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2019年4月15日 (月)

余計なお世話だ

 昨日の記事にニウエ語の辞書を独力で編纂して自費出版をなさった遠藤澄さんを紹介した『日立 世界ふしぎ発見』を観て,世の中にはすごい人がいるものだと感心したと書いた.遠藤さんの御歳は米寿くらいであろうか.かなりの御高齢である.
 
 それはさておき,我が国が高齢社会を迎えた時,抜け目のない連中は「高齢者マーケットは大きい」と判断し,一つこれで本でも書いて稼いでやろうと思ったようだ.
 その結果,定年後の男性を対象にした駄本が書店の棚に並ぶこととなった.
 そのバカ本の著者の一人に保坂隆という,私たちよりもずっと若いらしい精神科医 (聖路加国際病院) がいる.この男が,やたらと似たような駄本を数十冊も書きまくって,自分より年上の高齢者層の人々に説教を垂れている.アホらしいからこいつの著書の数を数えてはいないが,こんなに本ばかり書いているようでは,専門分野の勉強なんぞしているはずがない.この男の頭の中は印税のことしかないに違いなく,聖路加病院も堕ちたものである.
 で,この医者に噛みついたのが,先日の記事にも書いた勢古浩爾氏である.勢古氏によると,保坂隆はかなり頭が粗末らしく,あれこれ書き殴っているうちに,甲著書と乙著書とで,言うことが食い違ってしまっているらしい.
 ま,そこ等辺の指摘は勢古氏におまかせするとして,許せぬのは,保坂隆が,東京オリンピックにかこつけて,《スワヒリ語やアラビア語の勉強を始めるのも一つの考え方でしょう 》と間抜けなことを書いていることだ.(『精神科医が教える定年から元気に「老後の暮らし方」』PHP文庫;下線はこのブログの筆者が付した)
 私たちは保坂のごとき若造から,自分の生き方を「教え」てもらう気はさらさらない.保坂が傲慢にも誰かに「教え」たいなら,自分より若い人たちを相手にせい.
 それはともかく,保坂は,言語というものをどう考えているのか.私たち高齢者がスワヒリ語を学ぶということに現実性と意義ががあるのか,少しは考えてみろと言いたい.
 もちろん保坂は,こんなことを言うからにはスワヒリ語を読み書きできるのだろうが,私は嫌だ.保坂は,スワヒリ語を何か珍しい言語ででもあるかのように書いているが,そんなことは全くない.スワヒリ語はメジャーな言語である.
 ここで冒頭に紹介した遠藤澄さんのことに戻る.遠藤さんにとってのニウエ語は,遠藤さんの人生にとってとても大切な言語であったという.だから,遠藤さんはニウエ語の習得に十年の歳月をかけた.
 そのように,私たちが残り少ない人生のうちの十年をかける意義が,スワヒリ語を勉強することにあるのか.あろうはずがない.保坂の口から出まかせには,もはや怒りを通り越して,情けないと言うしかない.

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