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2019年4月18日 (木)

ザゼンソウ (一)

 私が郷里 (群馬県前橋市) で中学二年生の時,同じクラスにT君,A君,S君がいて,彼等三人と私の四人組は仲が良く,よく一緒に遊んだものだ.遊ぶといっても昔のことだから,大したことはしない.前橋は県庁所在地ではあるが田舎町で,市域の大部分は農村地帯だったから,田んぼでスルメをエサにしてザリガニを釣ったりとか,近くの赤城山や榛名山に登ったり,といった程度のことであった.
 そのT君が二年生の夏休み前に,四人で尾瀬に行こうという話を三人の仲間に持ち掛けた.詳しく聞いてみると,T君の叔父さんが尾瀬で山小屋をやっているというのだ.泊まり賃はタダだから,一緒に行こうよとの誘いだった.タダで,ミズバショウ咲くあの遥かな尾瀬に行けるというのだから,否やの在ろうはずがなく,七月に尾瀬登山をすることになった.
 その山小屋というのは,長蔵小屋である.長蔵小屋初代主人の平野長蔵は福島県南会津郡檜枝岐村の生まれで,日本の自然保護の祖と呼ばれる人物である.Wikipedia【平野長蔵】には次のようにある.
 
生涯
 1889年(明治22年)19歳の時燧ヶ岳に登頂、登山道を開く。
          その後「燧嶽神社附属愛国講社」を
          結成、拝殿を設ける。
 1902年(明治35年)「尾瀬沼区画漁業権」を獲得
 1910年(明治43年)尾瀬沼尻の尾瀬沼湖畔のすぐそばに小屋を
          立て、栃木県今市市と往復する日々を送る。
 1922年(大正11年)尾瀬に永住する覚悟で入山。
          この年、関東水電が尾瀬の水利権を獲得、
          尾瀬ヶ原をダムにし、尾瀬沼・尾瀬ヶ原間と
          至仏山にトンネルを掘り発電所を作る計画を
          発表。長蔵は単身上京して、同年7月26日付で
          当時の水野錬太郎内相に宛て、請願を提出。
 その他エピソード
 牧野富太郎が尾瀬で植物採集した際にあまりに植物を採るので、研究するだけでなく保護を考えろと叱ったというエピソードがある。
 
 余談だが,長蔵と同郷の野口英世は会津人として最もよく知られた人物である.しかし英世は放蕩を好み,また平然と経歴詐称するなど,人間性に問題が多々ある男であった.さらに研究論文には誤りが多く,というより捏造に近い論文もあって,私には紙幣に肖像が描かれるに値する偉人とは到底思えない.それに比べて全国的には無名に近い平野長蔵は,もっと世に知られていい人である.
 
 閑話休題.上に引用した Wikipedia に書かれている《関東水電》については説明が必要である.
 Wikipedia【尾瀬】には《やがて文字による歴史の時代になるが、尾瀬はあまりにも奥地のため、ほとんど記述が残っていない 》とあるが,明治時代以前には,尾瀬に近い霊場武尊山の修験者が,尾瀬の名峰燧ケ岳と至仏山に入山していたと信じられている.尾瀬に入った最初の修験者の名を記した印刷物を,私が中学生の時に読んだのであるが,いまネット上を検索しても見つからないのが残念だ.
 明治に入って,来日した英国人宣教師のウォルター・ウェストンが,それまでの日本文化における信仰対象としての山岳ではなく,自然と親しむ山岳愛好の在り方を我が国に紹介した.尾瀬の自然に魅せられた長蔵はその影響を受けたものと思われ,それのことを Wikipedia は《尾瀬沼尻の尾瀬沼湖畔のすぐそばに小屋を立て、栃木県今市市と往復する日々を送る》と書いている.
 ところがこの頃,尾瀬の自然を産業に利用せんとして食指を動かした企業があった.尾瀬の豊富な水量で水力発電を推進するのは当時の国策であったことから,電力会社が尾瀬の開発を考えたのである.
 尾瀬は群馬,福島,新潟の三県にまたがった土地であるが,福島と新潟方面は国有地であった.利根発電は大正五年 (1916年),私有地だった群馬県側の土地を買収して電源開発を進めることにした.これに対して,「関東水電」という別の電力会社が大正十一年 (1922年) に尾瀬の水利権を得た.明治から大正にかけて,有象無象多くの電力会社が誕生して社業を推し進めていたが,これらはやがて統合された.Wikipedia【日本の電力会社】は次のように記している.
 
日本各地では中小の電力会社の設立が相次いだ。しかし関東大震災を機に電力会社の統合が進み、五大電力会社と呼ばれた東京電燈、東邦電力、大同電力、宇治川電気、日本電力の5社にほぼ収斂していった。
しかし1939年、戦時国家体制(国家総動員法)によりこれらの電力会社は特殊法人の日本発送電と関連する9配電会社に統合された。現在電気事業連合会加盟の電力会社のうち、沖縄電力を除く9社はこの日本発送電が元になっている。
 
 上記の利根発電と関東水電なども統合し,東京電燈を経て現在の東京電力となったわけだが,関東水電が尾瀬の水利権を握り,尾瀬ヶ原をダムの水底に沈める計画を発表した時,平野長蔵は敢然立ち上がった.
 そして尾瀬の土地と水利権を継承した電力会社,すなわち現在の東京電力が誕生したあとは,長蔵はこれに戦いを挑んだ.
 それまでの長蔵小屋は尾瀬における長蔵の拠点にすぎなかったが,この山小屋に永住し,尾瀬のたった一人の住人として,自然保護を旗印にして電力会社に挑んだのである.Wikipedia に《尾瀬に永住する覚悟で入山 》とあるのは,このことを指している.
 その長蔵が残した文章が,青空文庫に収められている.このブログ記事の読者の便宜のために,全文を引用する.(もちろん,長蔵が書いた文章そのままではなく,青空文庫のポリシーに従って現在の日本人にも読みやすく漢字と仮名遣いに修正が加えられていることを断っておく.また青空文庫文中のルビは,このブログの仕様による制限のため採用せず,止むなく ( ) に入れた)
 
平野長蔵「尾瀬沼の四季」
雑誌「山岳」第一九年第一号,大正十四年 (1925年) 5月号掲載
尾瀬沼の四季 平野長蔵

 尾瀬沼は海抜五千四百九拾尺、福島県と群馬県とにわたり、東は栃木県に峰を連ね、北西は新潟県及利根水源に接している。今日もなお三十年前と同じく少しも俗化せず、真に自然の仙境である。
 冬季は降雪甚しく、眼前咫尺 (しせき) を弁せず、日光を見ざること五日以上に至ることも珍しからず、従って寒気甚しく、寒暖計は水銀柱が萎縮して下部のガラス球の中にその姿を没してしまうという有様である。針葉樹にありては積雪二尺以上に及び、枝も幹も見えず、闊葉樹でも樹枝に一尺からの雪が積る。一度烈風が襲来すると、雪は吹き捲られて煙の如く渦を巻いて昇騰し、面を向くべき方もなく、ただその猛威に慴伏 (しょうふく) するばかりである。それが晴天の日となれば、連山の針葉樹を包む白雪は日光に輝いて、美観壮観譬たとうるに言葉もない。それこそ実に都人士に見せたいものであるが、一人として登山する者のないのは遺憾 (いかん) である。学生が冬の中にスキー登山を試みんとして問合す向きもあれど実行した様子もない。真に剛健質実の気象を養成し、自然の霊気を感得せんと欲する人は途中救助小屋の建設と防寒具の用意もあれば、準備に注意し、何日帰京などと期日は定めずして登山してもらいたい、万一天候険悪の時には数日滞在することもあるにより、家族の人に不安の念を起さしめざるように注意するを肝要とする。
 春の尾瀬沼は、朝日の光に雪は赤金光色と輝き、深山の雪もしめりがちとなり気温三拾度に昇れば雨の模様となり、白霧数里、針葉樹闊葉樹白樺に樹氷を結びし景色は、白銀の花というてよかろうか、山人らの如き自然の愛好者は、針葉樹及闊葉樹の梢の少部分が直立し、一円に霧の流れる朝の模様は、何と命名したならば適当であろうか。狂気の如く一家族を雪庭に呼集め、その偉観壮大を絶叫するの日が往々にある。雪すべり雪のかけ足等何といおうか。霞棚びきうららかに、小鳥が鳴く、ふくろも鳴く。我を忘れて駆り出す雪舟そりに乗り、何れの山に登るにも氷雪にて自由自在、さながら天国の遊戯ともいい得べく、春の一里は夏の二里より歩行にやすし。鶯の声を聞くときの如きは、深山の春の快感を誰にも味わせたきものであると思わぬことはない。三月になれば途中雪なだれの恐 (おそれ) はない。
 五月下旬より草花時季となる。大江川端、尾瀬沼の周囲、水バショウの白花満地となる、雪国は雪色の花より咲き初めるの感じがする。綿スゲ雪を突抜いて咲く。黄色花、紫花、赤花、一々草花の名称は略す。尾瀬沼より沼山峠下まで延長拾五丁、甘草の花と化し、その内セキショウ、アヤメの満開は、山人の如き拙つたなき筆にては書き尽すことはならぬ。
 尾瀬沼の落口燧岳 (ひうちがたけ) の麓は、自然の公園、山人の植物保護拝借地である。キンコウカ、モウセンゴケ、エゾセキショウ、サハラン等、他は略す。
 植物保護に付一言す。
 愛山者は自然の植物動物奇岩昆虫等一切を愛護し、枯樹一本でも取り捨ててはならぬ、枯樹の配合は自然美を調和すること大なるものがある。
 一、八百四十余町歩風致保護林 福島県分
 一、参百四十六町歩事業制限地 群馬県分
 その外に植物保護のために要所要所に借地してある。人間の弱点好奇心は植物採取すべからずと掲示でもしてあれば採りたくなるものである。山を愛する人は採取すべからずである。山より掘取った植物が温度の違う地に移植出来得べき者にあらず。移植と蕃殖の可能の種類は、苗圃を作り愛好者に分譲する考えである。自然は我らに無償にて百花を爛漫 (らんまん) たらしめ、芳香を馥郁 (ふくいく) たらしむることを思わば、枝葉を折り採る事の出来得べきはずなし、万物の霊長たる資格を標示すべきである。
 秋となれば樹類と草種の区域を限定し、沼面の水草より変色し、黄色と赤色、紫色と種々の草の秋色が劃然としている、その美観!
 白樺の紅葉は全山一方里位、燧岳の紅葉は匍松 (はいまつ) 地帯より始まり、赤色ナナカマド針葉樹内に混色し、熊笹の沼山峠の近傍より大江川尾瀬沼の附近、三平峠の下の白樺帯の如き密林の紅黄葉は、到底日光、湯本、伊香保、榛名山、塩原、十和田、碓氷峠等にて見る事は出来ぬ。尾瀬沼は他に例のない紅葉と草色の紅黄を取り交ぜて大自然の神苑であるというてよろしいと思う。
 ただ惜むらくは紅葉の期節は短くして十月上旬に限られていることである。
 尾瀬沼保護につき、山人の抱負の一端を披瀝ひれきするも敢て徒労ではあるまい。
 尾瀬沼は如何いかにして保存すべきか。学生村を創設し、享楽場として自然を有意義に利用せんとする企 (くわだて) は学生村設立趣意書に発表してある。尾瀬沼は現在の儘とし、日光箱根等の如く俗化させたくないものである。ただし登山者に交通の便を計るため林道の作成に尽力し、日光方面は大正十二年に鬼怒沼林道の開拓を見、これより西利根水源に林道の開拓を企図し、新潟県へ交渉し、群馬県沼田小林区署は利根水源林道の設計を大林区署へ提出せらる。新潟県六日町小林区署よりも同じく提出し、我福島県山口小林区署よりもまた提出せり。
 新潟県南魚沼より一線、北魚沼より一線、群馬県利根水源へ藤原より一線、この三線の林道を開拓して尾瀬原へ貫通し、尾瀬沼に至り、鬼怒沼へ達し、日光方面に至る、かくすれば日光方面、沼田方面、会津方面と皆連絡あり。その他の支線は徐々に開発すべく、先ず本幹となるべき林道の開拓に急進し、要所要所に無料宿所を設くべく、尾瀬原には現にこれが建設されありて学生らの便宜となれり。鬼怒沼間にも建設したき希望にて計画中である、尾瀬原と尾瀬沼間の道の修繕もなさなければならず、赤貧の山人苦心惨憺たるものがある。十四年には学生村の遊船は建造に着手すべし。水利権問題にては訴願中紛擾もあり、群馬県土木課の冷淡苛酷、殆 (ほとんど) 拾年間も自力にて修繕しつつある情態にて容易の業ではない。しかもまた一方には圧迫を加えんとする愚俗もある。愛山者はともにこの自然の神苑を叮重に保存し、有意義の享楽場たらしめたい。自然は人工に成ったものでないから、これを破壊するのは、自然の殺人者とも称すべく、水利権を他へ移転せば多少の価は得らるるも、さすれば山人は自然の逆殺者となる也。
 この意味を解せずして、彼是 (かれこれ) と目先の利に熱中し、山人に妨碍 (ぼうがい) を与え、脅迫がましき言を弄ろうする人もあれど、また大に厚意を寄せて援助せらる愛山者もあるに依り、心強く感じて赤裸にて微力を傾注するのである。明治廿一年より開発に着眼し、三拾六年の星霜を経過せり。その間に修得せる感想と体験とは不日 (ふじつ) 世に告白することとすべし。
 
 如何であろうか.尾瀬の保護に人生を賭けた平野長蔵の人物像が読み取れる文章である.(文中「山人」とあるのは無論長蔵のことである)
群馬県土木課の冷淡過酷 》《圧迫を加えんとする愚俗 》《山人に妨碍を与え、脅迫がましき言を弄ろうする人 》に抗して,《大に厚意を寄せて援助せらる愛山者 》のあるを心強く思った長蔵は,自然を愛する若者たちが尾瀬を知り,尾瀬の自然を楽しむために入山できるよう,自費で尾瀬入山のインフラを整えたのであった.国策に抵抗する長蔵に対して群馬県当局が冷淡であったのは無論のことであるが,長蔵の活動に《圧迫を加え 》んとし,あるいは《脅迫がましき言を弄した 》のは誰であるか.私が少年であった頃,それを群馬,新潟,福島の県民は皆知っていた.言うまでもなくそれは,尾瀬の土地と水利権を持つ巨大企業であった.その会社は,長蔵の没後のはるか後に,福島県浜通りの自然を放射能汚染し,たくさんの人々から故郷を奪った.
 その会社について書かれた次のコンテンツがある.
 
東京電力ホールディングス株式会社 約半世紀にわたって実践した自然保護活動のさらにその先を目指すためのFSC認証
 
 ここには戦後,尾瀬ヶ原を水底に沈めようとする計画を進めた東京電力の姿は一切書かれていない.むしろ逆に,東京電力が尾瀬の自然保護に取り組んできたかのように記されている.なぜこのような嘘がまかり通るのか.こうして歴史は捏造されるのだなあと,私は声もない.
 ともあれ,平野長蔵とその子の長英,そして孫の長靖は,三代にわたって尾瀬の保護のために力を尽くした.私と同級生のT君,A君,S君の四人組が尾瀬に入ったのは,まだ二十代の青年だった平野長靖さんが長蔵小屋の三代目を継いだその年のことだった.
[ザゼンソウ (二) へ続く]
 
〈この連載記事は以下の通りである〉
ザゼンソウ (一)
ザゼンソウ (二)
ザゼンソウ (三)
ザゼンソウ (四)
ザゼンソウ (五)
ザゼンソウ (六)
ザゼンソウ (七)
ザゼンソウ (八)
ザゼンソウ補遺 あるいは弱者の戦い

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