ザゼンソウ (六)
前稿の末尾を再掲する.
《思考実験をしてみよう.まず一つ.例えば私が非常に高品質の冬季用寝袋にくるまったまま雪の中に埋めてもらう.私は凍えずに,体温は平熱に保たれるとしても,寝袋の外の雪は融けない.これと同じで,ザゼンソウの発熱する花序は,苞によって氷雪と直接的に接触していない.だからこそ,花序の細胞は凍結せずに生きているのである.もう一つ考えてみよう.掌を雪の中に埋める.掌には体の筋肉や内臓で産生した熱が血流を介して掌に送り込まれる.しかし長時間後,掌は雪を融かすどころか体温を維持できなくなる.これは思考実験ではなく実際にやってみればすぐわかる.ましてや,ザゼンソウの小さな肉穂花序は,私たちの大きな体が産生する熱量よりもずっと小さな,それ自体を25℃に維持できる程度のわずかな熱しか産生しないのであるから,これが積雪を融かせるものかどうか,考えてみるまでもない.》
ところが,この「ザゼンソウは雪を融かす」という非科学的妄説が,そこら辺のブログではなくパブリックなサイトにもはびこっている.0℃の氷 (雪) を融かして0℃の水にするのに必要な熱量 (融解熱) は極めて大きい.焼け火箸を雪に挿せば,わずかに雪は融けるが,たちまち火箸は冷えてしまうであろう.積雪を融解できるほどの熱を産生する,アメコミヒーローのような植物があるもんか.そんな植物が存在した瞬間,その植物の細胞自体が焼けて破壊されてしまうだろう.このような直観的理解のできない人は,誰かの書いた嘘を検証することができない.例えば Wikipedia【竹森のザゼンソウ群】を見てみよう.そこにこうある.
《竹森のザゼンソウ群生地は東方の柳沢峠方面から伸びた尾根北側斜面の植林された杉の茂る日当たりの悪い沢の底部にあり、直射日光がほとんど当たらない場所であることから、甲府盆地の他の場所では溶けてしまう雪がここでは根雪となり、自ら発する熱で周囲の雪を溶かし開花するザゼンソウの生育条件に適した状態を維持し続けているものと考えられている。》
そして次の写真がその根拠として添えられている.写真画像のソースではなく,Wikipedia【竹森のザゼンソウ群】の記述であることを示すために,ブラウザに表示された当該箇所のハードコピーを掲げる.
上の左端の画像に写っている説明文を以下に引用する.
《竹森のザゼンソウ
ザゼンソウはサトイモ科 (ザゼンソウ属)の多年草で山中の湿地帯に自生します。竹森の群生は本州の南限地とされており、山梨県の自然記念物に指定されています。
名の由来は、仏炎苞という覆いの中に小さい花が密集して咲 姿 (原文のママ) が僧が座禅をしているように見えることからです。また、幸福をよぶ縁起のよい花といわれています。
開花するときに発熱し、自ら周囲の積雪を解かすため、早春にいち早く見ることができます。
甲州市》(下線は当ブログの筆者が付した)
この「現地説明板」の右に並んでいる画像のキャプションは《積雪が残る群生地》《雪を溶かし開花する》《小さなせせらぎとなる》となっている.この説明の流れでは,積雪が根雪となって残るザゼンソウ群生地のそこかしこにザゼンソウの苞が顔を出し,そのザゼンソウが雪を融かし,遂に根雪は融けて小さなせせらぎとなった,と読める.あたかも竹森の雪解けはザゼンソウの発熱によって行われると言いたいようだ.
愚かなことを書くものである.上の画像の如き十センチメートルにも満たないわずかな積雪の下ならば,春の植物が芽吹いた周辺では雪が融けるのは普通のことだ.例えば,早春のフキノトウの画像検索結果を見るがいい.竹森のザゼンソウと同じ理屈を用いれば,フキノトウも発熱していることになる.野原の,その他の越冬植物の場合も,少しくらいの雪が降ってもその周辺の雪から先に融けていく.これは,それらの植物が発熱しているからではない.植物が太陽光を吸収して温められ,その結果,周囲の雪が融けていくのである.すなわち,ザゼンソウの花序に発熱細胞が存在するのが事実であるとしても,その発熱で雪解けするとは牽強付会もいいところである.
[ザゼンソウ (七) へ続く]
最近のコメント