琵琶湖竹生島 (補遺)
[1]
まず酔っ払いの記憶違いを訂正する.
竹生島旅行記を書き終えて,醍醐寺のパンフレットとか,入ったカフェのレシート,遊覧船のチケットの半券などを整理していたら,資料の中から店の名入りの箸袋が出てきた.それを見たとたん,記憶の大間違い気が付いた.私は彦根の四番町スクエアから歩いて彦根駅前に戻り,実はそこで飯屋の暖簾をくぐったのだった.飯屋の名は八千代といい,鮒寿司の一件はその八千代での話なのである.その店で結構酔っ払ったが電車に乗り,長浜駅で下車したはいいがホテルに行く前に,煤けたような飲み屋でハシゴ酒を食らったというのが事実である.それで,その線で《琵琶湖竹生島 》の (二) と (三) を訂正した.
[2]
長浜港から竹生島へ渡るクルーズ船の中に大きなディスプレイがあり,観光案内のビデオや歌をかけていた.竹生島が近くなった頃,ディスプレイに「琵琶湖哀歌」と歌のタイトルが映り,男声コーラスの歌が流れたのだが,それを聴いて私は心底驚いた.メロディーが「琵琶湖周航の歌」そのまんまだったからである.帰宅してから Wikipedia で調べてみたら以下の事情であることがわかった.
琵琶湖周航の歌
《この曲は1917年(大正6年)6月28日、第三高等学校(三高。現在の京都大学)ボート部の部員による恒例の琵琶湖周航の途中、部員の小口太郎による詞を「ひつじぐさ」(作曲:吉田千秋)のメロディーに乗せて初めて歌われた。その後この歌は、三高の寮歌・学生歌として伝えられた。》
琵琶湖哀歌
《1941年 (昭和16年)6月にテイチクレコードから出された流行歌。》
《作詞を奥野椰子夫、作曲を菊池博が行い、東海林太郎と小笠原美都子が歌った。
同年4月6日に琵琶湖でボート練習中に突風のため転覆し水死 (琵琶湖遭難事故) した第四高等学校 (現・金沢大学) 漕艇部の部員11人を悼んで作られたとされている。歌詞には遭難事故には全く関係のない琵琶湖八景が詠み込まれており、またメロディの半分ほどは琵琶湖周航の歌の借用である。東海林太郎と小笠原美都子のデュエットも即席で、レコードが発売されたのは、まだ遭難者の捜索が続いていた最中であった。》 (当ブログ筆者による註;遭難者の捜索が続いている最中に,悲劇を金儲けのタネにするところが凄い.今ならネットで炎上だ)
Wikipedia【琵琶湖哀歌】は《メロディの半分ほどは琵琶湖周航の歌の借用である 》とか《琵琶湖周航の歌 - しばしば混同される別の学生歌 》とかなんとか書いているが,借用でも混同でもない.琵琶湖哀歌は,完全なパクリと断定していい.YouTube はこれ.当時の日本が如何に知的所有権に無関心だったかがわかる.ちなみに作詞者の奥野椰子夫は,資料によれば,日本著作権協会理事であったという.日本著作権協会の黒歴史だ.w
しかし,さらに言うなら,そもそも琵琶湖周航の歌自体がパクリなのであった.パクラれた「ひつじぐさ」のYouTube はここ.
琵琶湖周航の歌,琵琶湖哀歌のパクリ問題については,かなり専門的な議論が既にあるようだ.私は極悪非道な「ヒット曲」琵琶湖哀歌をしらなかったのだが,先人がわかりやすく整理してくれている.
この件の道義的問題につき,京都大学関係者や,経済的利益を得た加藤登紀子はどう考えているのだろう.
[3]
彦根城の中の茶店「聴鐘庵」でいただいた和菓子「金亀 (こんき) 」を土産物店や駅で探したが見つからなかった.それで,帰宅してから通販で購入した.
菓心おおすが (大菅製菓 彦根市中央町4-39)
水分活性が非常に低い砂糖菓子なので,冷蔵すれば相当な長期間の保存が可能だろう.賞味期限が切れて一ヶ月後に食べてみたが,全く劣化 (カビの繁殖) はなかった.化学的劣化について,冷凍して数年後に食べてみようかと思っている.どういう義理があってそこまでするのか自分でもわからぬが.
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