« アンコールを一目でも (二) | トップページ | アンコールを一目でも (三) »

2019年2月11日 (月)

「エコノミック・アニマル」考

 連載旅行記《アンコールを一目でも》を書き始めて,今はまだイントロを書いているところだ.イントロとは,カンボジアの戦乱でアンコール遺跡が破壊されるまでのことである.
 カンボジアを舞台にした戦乱,通称カンボジア内戦は1970年 (昭和四十五年) にカンボジア王国が倒れてから二十三年の長きに亘って戦われた.
 そのカンボジア内戦が始まった昭和四十年代にはやった日本 (人) を表現するキー・ワードに「エコノミック・アニマル」という言葉がある.

 この言葉は『精選版 日本国語大辞典』で次のように解説されている.

昭和四〇年(一九六五)、アジア‐アフリカ会議でパキスタンのブット外相が日本人の経済活動を評価する意味で「日本人はエコノミックアニマルのようだ」と評したのが初めとされる。その後、主として東南アジア諸国への日本の経済進出に対する反発から日本人への蔑称となった。

 大雑把な話としてはこれでもいいのだが,正確に言うと間違いである.というのは「アジア・アフリカ会議」(略称はAA会議) は1955年 (昭和三十年) に一回開催されただけで,1965年の第二回会議は開かれなかったからである.我が国における国語辞典の根本辞典というべき日国にも誤りはあるということだ.
 それについて,昭和四十年 (1965年) 六月二十八日の日本経済新聞夕刊記事から一部を抜粋する.この日経の記事は,元外交官で宮内庁侍従も務めた多賀敏行氏の著書『エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった ― 誤解と誤訳の近現代史 ― 』(新潮新書,2004年) からの引用である.

"日本人は政治わからぬ動物"パキスタン外相が暴言
【アルジェ二十七日共同】第二回AA会議のパキスタン主席代表ブット氏は二十七日、アルジェの宿舎で記者会見し、AA会議延期のいきさつについて説明した。

 この記事は,上の引用箇所に続く部分が,内容的には共同通信の大誤報 (後述) なのであるが,共同通信が記事を配信した日付自体は正しいから,昭和四十年 (1965年) 六月末あるいは七月初めあたりに第二回AA会議が開催予定されていたが,延期されたということを意味している.そしてAA会議は,延期されたまま遂に開かれることはなかった.
 AA会議に関しては資料が新聞記事くらいしかないので断定はできないが,首脳会議である第二回AA会議の前に,おそらく外相会議が予定されていたと思われる.ところがAA会議常設準備委員会は,外相会議に諮らずにAA会議の延期を決めた.外相会議はAA会議の下部組織だったわけではないだろうから,それは特に問題ではないだろう.パキスタン主席代表ブット氏 (この時は外相,のちにパキスタン大統領,次いで首相に就任) が二十七日に記者会見したのは,これも推測だが,ブット氏が常設準備委員会の代表だったからではないかと思われる.

 ここから先は多賀敏行氏 (実は私と同年の生まれ) の推理なのだが,この時の記者会見席上で,ブット氏に「なぜAA会議を外相会議に諮らずに延期したのだ」と不当かつ執拗に絡む日本の地方紙特派員がいて,その人物とブット氏との間で一悶着あったらしい.そしてその応酬の中でブット氏が“economic animal”“not political animal ”という表現を用いたようだ.
 ところがその“animal”に共同通信が噛み付いた.なにしろ昭和四十年のことだから,共同通信社といえども皆が全員,ネイティブ・スピーカー並みに英語が堪能ではなかったようで,“animal”を“beast”と混同,誤解し,おまけに激昂して《"日本人は政治わからぬ動物"パキスタン外相が暴言 》と題して共同通信本社に打電したのであろう.それをまた日経 (この当時の日経は三流紙) が拡散した.私と多賀敏行氏の記憶は一致しているし,私の育った家では新聞は読売だったから,おそらく全国紙は皆この共同通信の配信を垂れ流したと思われる.

 日経の記事からの引用に続いて,共同通信の配信が内容的に大誤報だったと書いたのは,以上のことである.
 ブット氏は“econmic animal”に批判的意味を込めたわけではなかった,というのが多賀敏行氏の見解だが,私もそれに同意する.(多賀氏はさらに「誉め言葉だった」旨の意見だが,それには同意しない.animal は中立的な語だと思う)
 しかしこの報道以来,“econmic animal”という言葉は「エコノミック・アニマル」に日本語化して独り歩きを始めた.「日本は経済のことしか頭にない二流国家である」との意味に変質し,日本国内の知識人とメディアが自虐的に用い始めたのである.
 そして悲しいかな当時,「日本は経済のことしか頭にない二流国家」は事実であったし,エコノミック・アニマルが流行語だった時代に続いて田中角栄が登場して拝金主義が横行し,日本人はお金のことしか頭にない二流国民に成り下がったのであった.
 
 日本がどれだけ“econmic animal”ならぬ「エコノミック・アニマル」だったかは,国際外交において,如何にアジア・アフリカ諸国家が大切かを全く理解していなかったことに示されている.すなわち第一回AA会議に各国からは,中華人民共和国の周恩来,インドのネール,エジプトのナセル等の元首あるいは首相級が出席したのに,日本は外相代理級の代表 (高碕達之助経済審議庁長官) しか送らなかった.しかも日本代表が経済審議庁長官だったことは,まさに「日本は経済のことしか頭にない二流国家」だったことを示していた.
 このAA会議の第一回 (1955年) は「バンドン会議」とも呼ばれ,アジア・アフリカ諸国が平和と反植民地主義,民族自決を謳い上げた歴史的国際会議であったが,日本はこれに無関心であった.それは,その後のベトナム戦争に関して,日本が米国に無批判に追従した姿勢に繋がるものだった.

 
 以上は,連載記事《アンコールを一目でも 》の補足の意味で記した.

|

« アンコールを一目でも (二) | トップページ | アンコールを一目でも (三) »

新・雑事雑感」カテゴリの記事

冥途の旅の一里塚」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「エコノミック・アニマル」考:

« アンコールを一目でも (二) | トップページ | アンコールを一目でも (三) »