琵琶湖竹生島 (二)
彦根駅に着いたのはまだ日が落ちる前で,夕飯には少し早いのでホテルへ行った.歩いていける距離である.
予約しておいたのは「彦根キャッスル リゾート&スパ」だが,彦根城にはこのホテルが一番近くて,翌日の観光に都合がよい.
それはよかったのだが,着いてみたらホテル付近に飲食店がない.それで,チェックインしたあと,また駅まで戻ることにした.
彦根駅からホテルへ歩く途中で思ったのは,随分と静かな街だなあ,ということ.駅前の大通りを歩いてみたが,コンビニひとつないのではあるまいか.
駅前にほとんど店がなく活気もない.他に「袋町」という飲み屋街があるらしいが,画像を見ると,激しく寂れまくっているようだ.
諸兄におかれても異論はなかろうと思うが,初めての土地で居酒屋に飛び込むのは,旅の楽しみである.しかしこれだけ寂れた街は初めてで,どうしようかと途方に暮れた.結局よさげな店を探すのは諦めて,駅のすぐ前にある「いろはにほへと」という大き目の店に入った.ところが,すぐに気が付いたのであるが,この店は宴会向けで,お一人様が入る店ではなかった.私が店員さんに「こちらへー」と通されたのは六~八人は入ろうかという個室であった.そしてそれから,広いテーブル席にポツンと一人腰掛けて,黙々とハイボールを飲んだ.
この伝票で明らかなように,私は最初にハイボールを三つ注文した.ちまちまと注文の品を持ってきてもらうのが面倒くさかったからである.
お通しとハイボール三つが到着し,それから酒肴を何にしようかと吟味した.彦根は内陸だが,「鰹の藁焼き」つまり鰹のタタキ,それと平目の刺身を頼んだ.開店すぐで客が少なかったせいか,二皿とも待たずに届けられた.そして食べてみたら,わるくない.この二品はリーズナブルだった.それで,いい店じゃん,と思ってハイボール大盛と串かつを追加注文した.だが,届けられた串かつを見て私は驚きの余り,席から床に転げ落ちた.東京とか神奈川の話だが,肉屋やスーパーの総菜コーナーで販売されている串かつの,半分ほどの太さだったのである.ウインナソーセージくらいの太さと言えばわかりやすいだろうか.
この手の大きい店舗の居酒屋によくあることだが,これはたぶん業務用冷凍総菜である.そして私が串かつに対して抱いているイメージと随分異なるので不思議に思い,翌日,長浜の飲み屋でも串かつを注文してみた.すると,出てきたのは全く同様のものだった.その店は業務用食材を使うような種類の店ではなく,従って滋賀県の串かつはスリムタイプがデフォであると断定していいようだ.とはいえ,値段がすごく安いので文句はない.それと,後で調べたら滋賀では,串かつは,関東では「串揚げ」に相当するものらしくて,いろんなネタを串にさして揚げる.「串かつ屋」というジャンルの店があるらしい.なるほどねー,覚えておこう.
というようなことがあった翌日,ホテルをチェックアウトして外に出ると,すぐそこに彦根城へ続く道路があった.道路の右側には「滋賀縣護國神社」があり,突き当りを右折したり左折したりすると,道の左側,内堀と反対側にに重文の「馬屋」があった.しっかり見学したのだが,写真を撮り忘れた.
馬屋を過ぎてすぐ右側に,内堀を渡って城内に入る入口 (表門橋) があった.(地図参照)
そこに「本日のひこにゃん」と書いた立て看板があり,ひこにゃんが出没する場所と時刻が告知されていた.魔法の国のネズミは複数同時に出没するけれど,ひこにゃんはどうなんだろう.出没予定の時間以外のときはなにをしてるんだろう.
城内に入ると「彦根城博物館」がある.ここには往時の表御殿が復元されている.
このかつての表御殿はいくつもの建屋が通路でつながった構造だが,そこにできる中庭というか空いたスペースは,かなり質素な佇まいである.下の写真は復元された庭園であるが,地味な印象である.武将の住居であるから,実際にもこんなものだったのかなあ,という印象を持った.
彦根城博物館では特別展として特別展「長曽祢虎徹 ― 新刀随一の匠 ―」が開催されていた.私は刀剣には素人だから虎徹と聞くと近藤勇を想起するが,これは嘘だという.そりゃそうだろなーと思う.
各地の歴史資料館みたいなところで,刀剣の常設展示を観たことはあるが,この虎徹特別展のような催し物は私は初めてである.素人の感想だが,虎徹は新刀だけれど,あるいは新刀だからか,意外に美術的に美しい (銘の書体とか) ものだと知った.
正宗とか虎徹とか,刀剣に精神性を付与する文化的傾向は日本独特のものなのだろうか.単なる刃物ではない刀剣で最も有名なのはアーサー王のエクスカリバーだ.「指輪物語」にも“named”な刀剣,グラムドリング,オルクリストが登場する.しかし欧米の伝統では,刀剣そのものが固有の名称を持つことはあっても,村正や長船など刀鍛冶の名で呼ばれることはないのではなかろうか.と思ったら,日本にも天叢雲剣や草薙剣があった.よくわからぬ.誰か文化史的見地から刀剣史を書いてくれていないだろうか.
博物館を出て,石の土留がある坂道 (表門山道;下の写真) を登り,重文の天秤櫓を眺めながら歩いて行くと,時報鐘の近くに聴鐘庵という茶店があった.
聴鐘庵の門をくぐり,茶店の中に入ると,小紋をお召しになった若い (当社比) お嬢さんが迎えてくれた.抹茶には「金亀」という御菓子が付いてきた.かなり甘いが,おいしいので「このお菓子はどこで買えますか」と訊ねたら,市内の御土産屋さんとか,どこでも買えますよ,とのことだった.
喉を潤してから順路を進み,本丸に到達すると国宝彦根城天守とひこにゃんの雄姿が.
彦根城は,天守が国宝指定された五城のうちの一つである.他は松本城,犬山城,姫路城,松江城の四城だ.
折角ここまできたのだから天守の中を見学したのだが,木造梯子のような階段が非常に急な傾斜に拵えてあり,すべり落ちはしないかと,昇降がひやひやものだった.これは,天守に攻め込まれても,敵兵が簡単に昇ってこられないような造りになっているのだろう.もちろん下から火をかけられたら一巻の終わりだが,燃え上がる火の中,天守最上階で城主は落ち着いて切腹できるというわけだ.
本丸の一角に展望台があり,琵琶湖や伊吹山の方向を眺望できる.この案内板の手前側に楽々園と玄宮園と書いてあるので,そちらへ廻ってみた.まず本丸の西北に進み,西の丸三重櫓のところから山崎山道を下る.右に折れてどんどん歩いて行き,黒門橋を渡って内堀の外側に出ると,楽々園の前に出た.
楽々園は正式名は槻御殿という藩主の下屋敷だとかで,建物部分を楽々園,その庭園部分を玄宮園と呼び分けているのだそうだ.一緒にして呼ぶときは楽々玄宮園である.
さて,楽々玄宮園の中を散策しながら,ここには何となく侘び寂びに繋がるものがあるなあ,という印象を私は持った.後で調べたら,歴代彦根藩主は茶の湯を嗜んだことで知られ,十三代藩主井伊直弼は石州流の一派を創立した茶人でもあったという.
武家茶道あるいは大名茶と呼ばれる茶道は,門外漢の私は太閤秀吉の金ぴか趣味を連想するのだが,そうではないという.むしろ秀吉が異端者らしい.
彦根城下には武家茶道の伝統が今も受け継がれているという.なるほどー.彦根に立ち寄った甲斐がある.勉強になりました.
玄宮園を出ると,屋形船の乗船場所があった.訊くと,内堀を半周して戻ってくるのだという.この日は晴れて風もなく,船に揺られて遊覧も一興と思って乗り込んだ.乗客は私一人かと思ったら,出発間際に若い (当社比ではない) お嬢さんが乗ってきた.
船頭さんと乗客二人は,和気あいあと雑談しながら短い時間を楽しんだ.その時のことは旅から帰ってすぐに書いた.
----------------------------------------------
刀剣女子
昨夜,近江の旅から帰った.
帰宅して,予約しておいたテレビ番組を観たのだが,その一つが『歴史ヒストリア その切れ味は鋭く、美しく 日本人と刀 千年の物語』だ.
番組内で,いま京都国立博物館で開催されている「京のかたな」特別展の様子が紹介されていた.展覧会来場者のほとんどは女性であるという.なるほどテレビ画面を見ていても,おっさんの姿はほとんどない.
ガラスケースに収められた国宝級の銘刀をうっとりと眺める若い娘さんたちの表情が,何とも言えないくらい素敵だ.中には,涙を流しながら刀剣を見つめるお嬢さんもいて,もしかするとそれは,彼女が「刀剣乱舞」で育て,失い,もう二度と会えないキャラなのかも知れない.
一昨日,彦根城の中堀を遊覧する屋形船に乗り込み,出発時間を待っていたら,あとから若い女性が乗ってきた.船頭さんと三人 (客は二人だけ) で雑談していると,どうやら彼女は刀剣女子であるらしかった.きっと「京のかたな」展にいった帰りに,彦根城でやっている「長曽祢虎徹特別展」を見に来たのだろう.
「いま女性に刀剣がすごい人気なんだそうですね」と私が言うと,彼女はとてもうれしそうに笑った.私にもっと刀剣の知識があれば,お茶に誘ったのであるが,残念であった.ヾ(--;)
----------------------------------------------
この内堀遊覧船は,江戸時代の屋形船を模したもので,それを条件に営業が許可されているのだと船頭さんは語った.あ,つい営業と書いてしまったが,この屋形船の運営主体は「特定非営利法人 小江戸彦根」という団体である.よくわからぬが,町おこしの組織なんだろうか.
屋形船を下船 (実際は船から船着き場にあがるんだけれど w) して,また歩く.朝に城に入った表門を通り過ぎ,さらに行くと,中堀を渡って市街地に抜ける橋 (京橋) があった.その先に観光施設「夢京橋キャッスルロード」がある.
屋形船の船頭さんは「お昼はキャッスルロードで食べるといいよ」と言ったのだが,昼飯時を過ぎてからキャッスルロードに到着したせいか,飲食店はすべて準備中の札を下げて,営業をしていなかった.ビジネス街なら昼休みの時間は決められているから,ランチタイムが過ぎたら休憩時間にするものだが,観光客には昼休みはない.観光客は腹が減った時がランチタイムなのに,なんという心得違いをしているのだろう,このキャッスルロードとやらは.彦根駅前に活気がないと既に書いたが,ここもヤル気が見られなかった.
致し方なく先に進んで行くと左へ曲がる露地があり,その先に「四番町スクエア」という一角があった.
ところが,である.下の写真を御覧あれ.

上の写真の,どこが大正ロマンなのか.コンセプトが大正時代なら「支那そば」と書かんかい.ビールは,サクラビールは現存していないから,売るならキリンのラガーしかあり得ぬ.そんな知恵も工夫もないのか.
この一帯の店舗は,外壁等に最近の建材が使われていて,大正ロマンはカケラも見当たらなかった.たぶん各店舗は,大正ロマンの何たるかを理解していないし,外観を古い時代の民家に見せかける資金もセンスもなかったのだろう.その結果,こんなにデキの悪いテーマパークもどきができたのだ.
国宝彦根城の観光は満喫したから,この城下町はもういいや,昼飯抜きで長浜に行こうと思ったが,さすがに空腹なので,彦根駅前で飯屋に入った.
| 固定リンク
「冥途の旅の一里塚」カテゴリの記事
- ちょっと心配 (続)(2020.01.29)
- ちょっと心配(2020.01.26)
- 東京都美術館のケーキ(2019.12.05)
- まさかのお一人様ディズニー (三)(2019.06.09)
- まさかのお一人様ディズニー (二)(2019.06.07)
コメント