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2019年2月18日 (月)

アンコールを一目でも (八)

 このカンボジア・ツアーは成田空港集合が朝の八時二十分だった.朝一で大船駅から成田行に乗ればギリギリで間に合うのではあるが,電車のトラブルが少しあったりするとアウトになる.それで大事を取って前泊することにした.ホテルは,アパホテル京成成田駅前にした.実は,ホテルの予約をしようと思って,成田空港までのJR沿線のホテルや空港周辺のホテルを探したのだが,アパホテル以外はすべて「残室なし」だった.アパホテル京成成田駅前は空港へのアクセスがよいのに,かなり空いていた.ガラガラだった理由はわからぬが,成田発のフライトで前泊するときはアパホテルがよさそうだ.
 
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 だがこのホテル,設備が間抜けであった.上の画像に示すように,テレビなんかが置いてあるデスクのところの壁にACコンセントがあったのだが,「電気ポット・ドライヤーの同時使用は、ご遠慮ください」と書いてあった.コンセントが一つしかないのに,どうすりゃ同時使用ができるのか.電気ポットとドライヤーの同時使用はしないとして,ポットでお湯をわかしながらスマホを充電し,ノートPCで仕事をするなんてのは普通のシーンだと思う.コンセントは少なくても二つ欲しいものだ.
 それはさておき,成田のアパホテルには一階に居酒屋があった (朝は朝食会場になる) ので,夕飯はその店で摂ることにした.店に入ると,客の入りは三割くらいだった.一番奥のテーブル席に腰をすえたのだが,隣のテーブルには会社の管理職と思しき三人連れが,部下の仕事ぶりについて愚痴をこぼしていた.いわく「○○は言われなきゃやらないんだよなー,言えばやるんだけど」「そうそう,あいつは指示待ち型」などなど.あー私も昔は酒を飲みながら,あんな話をしたんだよなー,と懐かしい思いがした.
 
 京成成田駅から成田空港はすぐだ.ゆっくり朝飯を食って,ホテルをチェックアウトした.
 集合場所は第1ターミナル・南ウイング出発ロビーにある,クラブツーリズムのブース前だ.ツアコンダクターは (まだかなり若い青年) 既にブースにいたので,挨拶して少し雑談.それからANAのカウンターに行き,出発便のチェックインをした.
 
 余談だけれど,高齢者の中にはANAを「アナ」と読む人がけっこういる.英語の略称は,アルファベット二文字の場合は,例えばJKは 女子 「ジェイケー」としか読めないし,JAは「ジェイエー」と読むのが普通だ.例外はほとんどない.アルファベット三文字以上の場合は,アルファベットを続けて発音してもいいし,単語のような発音でもいいが,例えば会社名であれば,その会社が自分たちをどう呼んでいるかに従う.そのデンでいくとANAは昔から「エーエヌエー」で,空港の英語アナウンスはそう言っていたが,「アナ」という言い方は,いったいどこから来たんだろう.それで少し調べてみたら,昭和の一時期に「アナ」という呼び方がされていたようだ.しかし語呂がよくないので,すぐに「エーエヌエー」に変更されたそうである.
 
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(出発ロビーのクリスマスツリー)
 
 さて,成田空港発 10:50,NH 0817便は七時間のフライトでプノンペン国際空港着.途中,機内食一回.割とおいしかったような記憶があるが,写真を撮らなかったので内容は忘れた.国内便 (K6 117) への乗り継ぎが四時間後なので,一旦空港を出て,近くのレストランで夕食を摂るというスケジュールだ.
 空港を出てチャーターしてあるバスまで歩いたが,乾季なのに雨が少し降っていた.バスには,この日の数時間だけの現地ガイドさんが乗っていて,通貨のこととか,カンボジアの簡単な歴史について話してくれた.
 というか,そのカンボジアの略史が,カンボジア内戦のことだったことに私は驚いた.私はツアー参加者の中では年長者であり,カンボジア内戦について少しばかりの知識はあるが,私より一世代若い人はもう,昔そんなことがあった程度のことしか知らないだろう.もっと若い人なら,そんなことには全く興味がないかも知れない.私たちの世代にとっては,忘れ難いことなんだけれど.

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 上の写真は空港からレストランへ行く途中の風景.
 今回の旅行は,アンコール遺跡訪問なので,かつて「東洋のパリ」と言われたプノンペンの風景は全く見ていない.もしも,また来ることがあったらプノンペン市内の自由行動をしてみたい.ちなみに Wikipedia【プノンペン】には以下の簡単な記述がある.映画ファンは「キリング・フィールド」を知っているだろう.
 
1953年のカンボジア独立以来1960年代までは隣国の内戦をよそに表面的な平和を保ち、プノンペンは「東洋のパリ」としてその美しさと治安のよさを称えられていた。
1970年のロン・ノルによる軍事クーデターにより、アメリカがカンボジアに軍事介入し、共産勢力を攻撃するために農村部に爆撃を開始した。そのため農業ができなくなった農民たちが、アメリカからの空輸食料を求めて首都に集結せざるを得なくなり、1975年ロン・ノル政権末期にはプノンペンの人口は200万人を超えていたといわれている。
1975年4月17日、クメール・ルージュによりプノンペンは陥落した。最初は市民に歓迎ムードで迎えられたクメール・ルージュであるが、アメリカが爆撃に来るなどと市民を偽り、あるいは暴力をもって強制的に市民を各方面へと放逐した。この過程で抵抗して射殺されたり、自殺したり病人、老人や子供、妊婦など数万人が犠牲となったといわれている。
以後1979年1月7日の、ヴェトナム軍と、ヘン・サムリン率いるカンプチア民族救国戦線とによるプノンペン陥落までの間、都市人口はわずかに5000人ほどであったといわれている。プノンペンにはS21という、元々はキエンスワイという土地で高等学校だった場所に強制収容所が設けられ、ロンノル時代の公務員、軍人、知識人はもとより、クメール・ルージュの忠実な幹部までがさまざまなスパイ容疑のもとに収容、拷問された挙句、市外近郊のチュンエクにある、いわゆるキリング・フィールドにて惨殺された。2万人以上収容されて、生存者はわずかに6名といわれている。ちなみに映画でも有名になったキリング・フィールドという言葉は固有名詞では決してなく、カンボジア各地に存在する。
またこの時代、シハヌーク元国王一族はシハモニ現国王ともどもプノンペンの王宮に幽閉されていた。しかし彼らはプノンペン陥落前にクメール・ルージュによって中国に脱出させられた。
1991年にカンボジア内戦が終結し、その後はカンボジアの経済成長と共に発展を続けている。

 
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(POCHENTONG RESTAURANT;口コミサイト )
 
 上の写真は夕食を摂ったレストラン.クチコミサイトの評判は大変よいが,普通のレストランだ.ツアーの予定表には「クメール料理」とあったが,私たちが食べたコースは,前菜,スープ,空心菜の炒め物,鶏の脚の揚げ物,炒飯等,味付けを別とすれば,タイやベトナムの料理よりも中国料理に近いものだった.
 内容的には,若い人は量的に満足できないと思われたし,「旨かった!」という記憶も残っていない.炒飯に,細かく刻んだ腸詰 (中国ハム) が入っていたが,これがものすごく甘かった.今まで生きてきた中で一番 幸せです 甘いです.鶏の脚の揚げ物は,単に皮が貼りついた骨であった.しかしこれは,このコースをチョイスしたクラブツーリズムに文句を言うべきかも.もう少しいいコースが食べたかったなあ.
 
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 夕食後,バスでプノンペン国際空港へ戻る.ここで一日目の現地ガイドさんとお別れして,プノンペン発 K6 117便 (アンコール航空) でシェムリアップへ.空路一時間ほどで到着.
 シェムリアップの空港には航空機が横付けできる空港ビルはなく,降りてから徒歩で到着ロビーへ.下の写真,いずれも手前に女性が写り込んでいるのは偶然である.ヾ(--;)
 
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 バスでホテルへ.ここから別のバスと現地ガイドさんに交代.
 今回のツアーの宿泊は EMPRESS RESIDENCE RESORT&SPA に連泊した.このホテル,部屋は広いし,東洋的な雰囲気があって,とてもよい.オススメだ.
 
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(EMPRESS RESIDENCE RESORT&SPA)
 
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 カンボジアのガイドを書いているブログに「カンボジアでは基本的にチップは必要ありません」と書かれていることがあるが,それはケース・バイ・ケースだ.私たちのツアーは各自の荷物をポーターに部屋まで運んでもらったから,当然チップが必要だ.チップを渡さないと,ポーターは部屋から出ていかないし.(^_^;)
 
 ロビーから私の部屋に行く途中に広い中庭があり,そこにバーがあった.ちょっといい雰囲気だったので,さっそくバーに出かけた.
 部屋を出たら廊下にツアーメンバーの若いお嬢さんがいて,「あのー,これからポーターさんが荷物を持ってきてくれるんですけど,チップ,どうしましょう」と訊かれたので「私は一ドル渡しましたよ」と答えた.
 一ドルでいいかどうか知らないが,この時点では,カンボジアの通貨リエルを持っていないので,一ドルにした.渡し過ぎの場合は笑顔になるが,特にニッコリとはしなかったから,一ドルが相場だろうと思う.
 彼女が「これからどこに行くんですか?」と言うから.バーへ軽く飲みに,と答えた.
 すると彼女が「わたしを連れてってください (ニコリ)」と言うので,一緒に飲むことにした.
 
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(The barstool in THE DYNASTY BAR)
 
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 このバー (THE DYNASTY BAR) は中庭側にテーブル席もあって,食事ができる.食事は確か夜九時までだが,酒を飲むだけなら十一時までOK.
 私は安いバーボンを,氷を警戒してストレートで三杯飲んだ.チェイサーをビールにしたのもそれ.しかしそれは杞憂だった.彼女はカクテルを三つ飲んだのに,なんともなかったからである.よかったよかった.こらこら.
 彼女の若い娘さんらしいおしゃべりは楽しかったし,バーの従業員さんたちもフレンドリーで,私は心地よい時間を過ごした.それで翌日もここに通うことになった.ヾ(--;)
アンコールを一目でも (九) へ続く 〉
 
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