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2019年1月28日 (月)

近江の旅 (一)

 よく知られているように記憶の仕組みには凡そ二種類 (短期記憶,長期記憶) があって,私のような高齢者は,今朝の朝飯に何を食ったかは思い出せなくても,子供の頃の思い出は割と覚えているものだ.
 ところがそれも段々と怪しくなってきて,短期だろうが長期だろうが,どんどん忘れてしまう.朝飯の献立はもちろんのこと,去年のことも,何だかんだと色々なことをブログに書き殴っているうちに,記憶がおぼろげになってきた.それで,遅ればせながら去年の旅のことを書く.
 
 私がクラブツーリズムの企画「櫟野寺33年に一度の大開帳と白洲正子が愛した近江の仏像 2日間」に参加したのは,去年の十月二十日~二十一日だった.このツアーに出かけてみようと思ったのは,滋賀県の民話「母子草」について興味があったからである.
「母子草」についての論考は,現在は連載を中断しているが,書くのを継続するためには,どうしても琵琶湖周辺に赴き,近江の観音信仰と弁才天信仰について調べる必要があると思われた.
 少し詳しく述べると,物語「母子草」には二つのバージョンがある.戦後の童話作家たちが繰り返して題材にした話であるが,その最初の作家である藤澤衞彦は,自分の作品を民話と言わずに「伝承童話」と呼び,物語「母子草」などを童話集『母子草』に収めた.
 藤澤衞彦は作家が本業ではなく,近世から近代にかけての風俗の研究者であり,大学の教授の地位にあった人であるが,学者としては書斎派だったようで,昔から日本の各地に伝えられてきた話を,自ら語り部から採話することはなかったようだ.日本近世以降に書かれた御伽草紙類や説話集などから「伝承童話」の題材を得ていたらしい.
 だとすると,藤澤教授が死後に遺した蔵書の中に「母子草」の原話があるはずだが,蔵書の行方を追跡してみたところ,その蔵書の数たるや生半可なものではなく,寄贈を受けた機関では整理もされていないようだ.「母子草」原話の探索はおそらく藁山の中から針を探すような作業になると思われたので無念だが諦めた.
 しかし私には,藤澤教授の「母子草」が原話に近いものだとは思われなかった.滋賀県の民話研究者が,氏名が明らかな二人の民話伝承者から採話した別バージョンの「母子草」が存在するからである.
 藤澤教授バージョンは,ハッピーエンドであり,主人公の少女に力を貸す役割で弁財天が登場するのだが,別バージョンは悲しい物語で,登場するのは観音菩薩である.
「母子草」原話に登場するのは弁財天か観音菩薩か.「母子草」のストーリーからすると,どちらも琵琶湖の竹生島に祀られている.それを実際に,お姿をこの目で見て確かめたいと私は思った.それがこの旅の目的だった.
 
 さて,ツアーの出発当日の朝七時に,東京駅日本橋口 (ここは旅行代理店各社の新幹線利用東京発ツアー集合地点で,朝っぱらから混雑している)  に到着.ツアコンダクタから軽く説明を受ける.事前にこの日の昼食 (車中で弁当) を申し込んでいない人は,東京駅のそこらへんで調達してくださいとのこと.私は申し込んでおいたのだが,その方が荷物にならなくてよいと考えた.このツアーのスケジュールでは米原駅で降りてバスで移動する途中で昼飯時になるのだが,新幹線を降りる米原駅では弁当を買えないおそれがあるが,事前に申し込んでおくと,米原駅の駅弁業者がツアーのバスに届けてくれるので,飯時になるとツアコンダクタがお茶と一緒にツアーメンバーに配ってくれるからだ.
 ちなみに米原駅には井筒屋という弁当業者が入っていて,このツアーの弁当は「湖北のおはなし」という弁当だった.これは東京駅のコンビニや駅弁売店の「祭」で売っている弁当よりも駅弁らしい趣があって,おいしいと私は思った.あとでリピートしようと思ったのだが,残念ながら東京駅の「祭」では買えない.「祭」で買えるなら他の地方への旅の際にまた買いたいが.
 行動予定,というかお詣りする仏閣は以下の通り.
 
[一日目]
東京駅発→…→米原駅着…バスに乗り換えて移動…観音寺→石道寺→向源寺→石馬寺→草津着 (アーバンホテル南草津泊)
[二日目]
南草津…バスにて盛安寺へ→金勝寺→櫟野寺→米原駅→…→東京駅

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