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2019年1月30日 (水)

近江の旅 (三)

 ツアー一日目は,石道寺のあと,向源寺石馬寺へ行く.

[向源寺]
 旅行代理店の公式サイトやリーフレットには,いくつも「近江の仏像巡り」ツアーが掲載されているが,まず間違いなくコースに組み入れられているのが向源寺である.
 向源寺は,正しくは慈雲山向源寺といい,所在地は滋賀県長浜市高月町渡岸寺.向源寺には,向源寺本体とは別に,飛地に建立されている本堂と収蔵庫 (慈雲閣) などが所属している.慈雲閣に国宝の十一面観音像が祀られている.この飛地の本堂,収蔵庫などの通称を渡岸寺観音堂という.渡岸寺は寺の名ではなく,この辺りの地域集落のことである.

 
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20190130c
 
 渡岸寺観音堂の由来は上の由緒書の通りだが,Wikipedia にも同様の記述がある.
 この観音堂におわす十一面観音像は,全国各地にあまた祀られている観音菩薩像の中でも屈指の彫刻である.私には仏像巡りの趣味はないのだが,この観音像は以前から目にしてみたいと思っていた.

 一口に仏像彫刻といっても様々なものがあるが,私は如来像に感銘を受けたことがない.仏像彫刻の参考書には,手に結んだ印の種類や衣文の形がどうとかの様式美が解説されているが,私には大同小異としか思われない.地蔵像についてはそもそもよく知らない.墓地や路傍の風化した石像くらいしか思い浮かばない.また古代インド神話に由来する明王や天部の神々の像は,密教体系の一要素としての意義しか私にはわからない.ただ一つの例外は興福寺の阿修羅像だが,これは光瀬龍『百億の昼と千億の夜』と萩尾望都『百億の昼と千億の夜』のメディアミックスがあるので仏像彫刻とは別格だ.
 それらに比較すると,観音菩薩 (の像) は,庶民の信仰がこれに集中していたことに特徴がある.貴族や武士階級が憂き世だとか無常観だとかお気楽なことで悩んでいる時に,底辺庶民は今日食う飯のことや,生んでも生んでも幼いままに死んでいく子供たちのこと,そして朝に病を得て夕には死んでいくかも知れない自分たちの日々の暮らしに打ちひしがれていた.
 そのような人々の悲しみや痛み苦しみに対する「救い」を具象化したものが観音像である.下の画像は Wikipedia【向源寺】から引用した十一面観音像であるが,これを観る者をして驚かすのは,その異様な腕の長さである.だがこれは,向源寺の十一面観音像に限ったことではなく,観音の腕が長いのは,人々がどれほど遠くに居ようとも手を差し伸べるのが観音であるという意匠なのだ.その下にやはり国宝である法華寺 (奈良) の十一面観音像の画像を掲げるが,一目瞭然,同じ姿である.

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(向源寺,国宝十一面観音像;パブリックドメイン画像)
 
20190130d
(法華寺,国宝十一面観音像;パブリックドメイン画像)
 
 上に掲げた両菩薩像の小さな画像からも見て取れるのは,微かな頭部と上半身の前傾と,揃えられていない両足である.これもまた,観音菩薩が衆生の救済のためにまさに動き出さんとする姿の表現であるという.繰り返すが,観音菩薩以外の菩薩や,如来像や明王,天部像にあるのは,仏教体系中の要素を示す様式であるが,観音菩薩像にあるのは救済という主題であると私は思う.形ではなく意味である.仏像の形式を知りたいのであれば,写真を見れば足りる.あるいは,例えば「初歩の仏像」などという本を読めばいい.だがしかし意味を知りたいなら,その仏像を観て感じ取るしかないだろう.それが,「母子草」という物語において,哀れな娘を手を差し伸べる救済者が,観音菩薩なのか弁財天なのかの答えに繋がると私は思ったのである.

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