記念艦三笠でカレーを (海軍カレー編 20)
このあとの話の展開に,私の父親の軍歴を確認する必要があり,そのため更新が滞ったが,ここで前回の記事《記念艦三笠でカレーを (海軍カレー編 19) 》の末尾を再掲する.
《つまり凮月堂がカレーライスを売り始めたのは明治十年どころか,その九年後,鹿鳴館開設よりも三年もあとのことだとしている.吉田よし子『カレーなる物語』は出典も参考図書も全く挙げていないので,この説がどこから出てきたものかは不明であり,さすがにこのデタラメは,井上宏生の著書では採用されていない.
さて凮月堂のカレーライスには後日談がある.》
Wikipedia【凮月堂】に,以下の記述がある.
《米津松造は銀座並木通りに西洋料理を出す店として「米津分店南鍋町凮月堂」を出店し、次男の恒次郎を店主としたが 》
しかし,これはいくら何でも話を端折りすぎである.
小菅桂子『カレーライスの誕生』(講談社学術文庫,2013年) は良書であるが,残念ながら米津松造に関する記述に誤りがある.それを東京凮月堂の《沿革 》と突き合わせて訂正すると,以下のようである.
米津松造は銀座に西洋料理店を出す前に,次男の恒次郎を米国と欧州に,語学と洋菓子の修行に出した.恒次郎が十六歳の時で,帰国は明治二十四年 (1981年),恒次郎二十三歳の時であったという.恒次郎が銀座の店をまかせられたのは修行が明けてからに違いない.
帰国の二年後の明治二十六年 (1893年),『婦女雑誌』(第三巻第十号) に恒次郎は「即席ライスカレイ」と題した記事を寄せている.
《煎茶茶碗に一杯のバターと葱三、四本を細かに切りたるを深き鍋に入れ、強き火に懸け、葱の柔かになりたる時、煎茶茶碗に八分目程の粉を入れ、絶えず攪き廻しながら鳶色になるまで煎りつけて、煎茶茶碗に半杯のカレイ粉 (西洋食糧店にあり) を入れ、かくて鰹節の煮汁 (これは鰹節半本にご飯茶碗六杯の水にて前に拵へ置くべし) を少しづつ注ぎ入れながら攪き廻し、醬油を適宜に加へ十分間程弱き火に懸け、味噌漉しにて漉し、其汁へ湯煮したる車鰕或は鳥肉を入れ、炊きたての御飯へかけて食すべし 》
このレシピを読むと,米津恒次郎の「即席ライスカレイ」は,バターに葱の香りを移してから小麦粉を加えて炒めてカレールーを作り,それを鰹出汁でのばしてから醤油で調味している.これは明らかに,今のいわゆる蕎麦屋のカレー (カレー南蛮やカレーうどん) の濫觴である.カレー南蛮は,今はもう閉店した東京早稲田の三朝庵がよく知られていたが,その他にも幾つもの店が「うちがカレー南蛮発祥の店」 を自称している.しかしカレー南蛮にしてもカレーうどんにしても,明治の末から大正にかけて同時多発的にあちこちの店で品書きに載ったものだろう.
それらに対して米津恒次郎のライスカレイは,大衆食堂系統の食い物よりも二十年ほども早い時期に,鰹出汁がカレー風味と相性がよいということを文献資料の記述に残しているという点で食文化史的な価値がある.あとの店の「うちが最初」は,大した意味のない雑学知識に過ぎない.
以上が,凮月堂のカレーライスに関する後日談である.
さて小菅桂子『カレーライスの誕生』は,凮月堂の銀座店よりも早い時期に,草野丈吉という人物が長崎で開業した西洋料理店「自由亭」について記している.『カレーライスの誕生』は,自由亭は後に長崎から大阪に移って店を出したとし,同書にはそのカレーのレシピが記載されているが,出典は書かれていないので真偽は不明である.ただし,『カレーライスの誕生』によると,自由亭のカレーは,仮名垣魯文が明治五年に出版したレシピ集『西洋料理通』の流れの料理であるという.(『西洋料理通』は Wikipedia【ライスカレー】の《年譜 》に紹介されている.)
料理現物ではなく本に書かれたレシピだった『西洋料理通』のカレーライスは,その後,西洋料理店やホテルのレストランにおいて,庶民の食生活とは無縁の高級料理として定着したと考えられる.特徴は,日本家庭料理のカレーライスとは全く異なり,牛肉・鶏肉や蝦等をカレーソースで食べるというコンセプトの料理である.
ただ,ホテル業界は競争熾烈であるらしく,現存しているホテル (Wikipedia【クラシックホテル】参照) は少ない.しかし日光金谷ホテルの軽食レストラン「クラフトラウンジ」の「百年ライスカレー」(一人前二千百円~) は,明治以来の高級カレーライスを今に伝えるものと考えられる.横浜のホテルニューグランドでは軽食レストラン「ザ・カフェ」のカレー (一人前二千百六十円~) も戦前からの料理だという.
ところで,上に述べたような西洋料理系のカレーとは全く違うカレーが明治の末に普及した.それは野菜と少しの肉を煮込んだカレーで,今の家庭料理のカレーに繋がるものだった.
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