「もち」と「団子」
(私の書くブログ記事は普通,最初にアップしてから数日間は推敲を行い,およそ一週間ほどで確定稿となる.しかしかなりあとになって誤字などを見つけて,こっそり訂正することもある.そこで今回は,メイキング・オブ《「もち」と「団子」》を書いてみることにした.二日間にわたって推敲の状況をアップしてきたが,以下がほぼ確定稿である)
先日 (12/21) 放送のNHK『チコちゃんに叱られる 年末拡大スペシャル』で,「お餅とおだんごの違いって何?」が出題された.例によって以下の画像は,テレビ画面をコンデジで撮影し,そのファイルを画像処理ソフトでトリミングしたもので,録画データの編集はしていない.
チコちゃんに質問されたのは陣内孝則だったが,うまく答えられなかった.
そりゃそうだろうね.「もち」も「団子」も恐ろしく昔からある食べ物なので,今ではその違いに明快な答えはなくなってしまったのである.つまりこんな質問をするやつの頭が悪いのだ.そして,この愚問にいとも簡単に答えるやつは一種のペテン師だといっていい.
だがしかし,この問いに敢然と答えた ペテン師 勇者がいた.日本和食卓文化協会代表理事とかいう槻谷順子先生である.先生は五十代半ばにはとても見えない美貌で,肩書はいかめしいが,つまりは料理教室の先生である.公表されているプロフを下に引用する.
《フードスタイリスト・食卓文化研究家。キッチンスタジオ&スペース・フードスタイリング教室『料理のある風景』主宰。料理を生業とする家に生まれ、「料理のある風景」=「幸せな家族の仕事風景」として育つ。フードスタイリストで現・料理研究家のアシスタントの後、フリーのフードスタイリストとして独立。雑誌・料理本・広告等を中心に,盛り付けや料理製作も含めたトータルなフードスタイリングを行う。日本伝統料理の撮影に多く携わり、和食卓をスタイリングしながら、学び、実践してきたことをベースに、2008年より「子供と大人の和食卓育教室」と「フードスタイリング教室」を開始、このカリキュラムを基軸に2017年より協会講座を始める。》
「フードスタイリスト」とか「日本和食卓文化」とかの テキトーな 斬新な造語に先生の感性を見てとることができる.
さて槻谷先生のお答えは,「米の粒から作ったものがお餅で,米の粉から作ったものがおだんごです」という,私のような七十歳近い年寄りは「え~っ」と驚いて尻餅 w をついてしまう程のものであった.
最近の若者言葉では,白米を炊いた白い御飯を「白米」と呼ぶ誤用がまかり通っているが,槻谷先生は,もち (糯) 米も,うるち (粳) 米も一緒くたに「米」である.実はこの表現も,若者の無知による語彙不足が表出したものなのであるが,槻谷先生はお若く見えるだけでなく,心持もお若いとお見受けした.
それはともかく,農業分野の用語としても,一般常識的な語彙としても,「米」はうるち米ともち米の総称であるが,単に「米」といった場合はうるち米を指す.つまり「米ともち米」という言い方は成立するが,「うるち米と米」とは決していわない.
なぜかというと,私たちは,食生活においてうるち米ともち米を区別してきた食文化史を持っているからである.そのことを Wikipedia【もち米】は,端的に
《モチ性の品種のデンプンは調理時に強い粘性を生じるという特性を持つ。デンプンの成分の点で、もち米はほとんどがアミロペクチンのみとなっており、このアミロペクチンがもちの粘り成分であるため、もち米は蒸してつくと強く粘るのである。》
《照葉樹林文化に属する地域では、しばしばハレの食材としての役割を持つ 》
と書いている.「もち米はしばしばハレの食材としての役割を持つ」は試験にでるから覚えておくように.w
このように和語「もち」とは何か,という問いは,農学,食品科学,民俗学の課題であって,お料理教室の授業の範囲を超えるものなのである.
戦前のことについては手元に資料がない (持っていたが失った) のであるが,昭和三十年代の頃,和菓子屋が行う「賃餅」という仕事があった.当時は一年中,何らかの行事で餅を食べたり配ったりすることが多かったので,和菓子屋が家庭の餅つきを有料で代行し,これを「賃餅」といったのである.現在でも年末になると和菓子屋の入り口に「賃餅承ります」と書いた紙が貼られるかも知れない.
この際に,少量の注文なら臼と杵でつくこともあったろうが,大口注文の場合は機械「餅つき機」を使用した.この機械は実際には「臼と杵で撞く」のではなく,ミンサー (肉挽き機) に似た構造である一軸エクストルーダーを用いて,蒸したもち米を「練る」のであった.いわゆる「包装もち」の工業的な製造で,大型で電動の臼と杵を用いたのは,新潟の佐藤食品工業が最初であるが,現在でも一軸エクストルーダーで包装もちを製造しているメーカーは多い.さらに,昭和の後半には家電製品の「餅つき機」が登場 (昭和四十六年,東芝製) した.これはエクストルーダーではなく,回転する羽根で叩解する動作により「蒸したもち米を練る」動作を行うものであったが,ともあれ「もち」は,槻谷説とは異なり,臼と杵でついたものに限るわけではない.
そもそも「もち」は,「とりもち (鳥黐)」に由来するという.とりもちは植物性の粘着性物質を総称したものであるが,「もち」が主に食べ物を指すようになってから,食用以外の「もち」全般を「とりもち」と呼ぶようになったようだ.
食品科学の見地からすると,食べ物の「もち」の本質は,多量のアミロペクチンを含有する穀物中のでんぷん粒を破壊して,含まれているアミロペクチンの強い粘性を発現させることである.従って「ついて」も練っても「もち」は「もち」なのである.
「もち」と「団子」の違いについて,Wikipedia【団子】は次のように述べている.
《「団子は粉から作るが、餅は粒を蒸してから作る」「団子はうるち米の粉を使うが、餅は餅米を使う」「餅は祝儀に用い、団子は仏事に用いる」など様々な謂れがあるが、粉から用いる餅料理(柏餅・桜餅)の存在や、ハレの日の儀式に団子を用いる地方、団子と餅を同一呼称で用いたり団子を餅の一種扱いにしたりする地方[注釈 1]もあり、両者を明確に区別する定義を定めるのは困難である。》
槻谷先生の説は上記の《団子は粉から作るが、餅は粒を蒸してから作る 》であるわけだが,これは諸説のうちで最も的外れな説である.すなわち既に述べたように,食品の「もち」とは,含まれているアミロペクチンによって強い粘性が発現されたものだからである.
ここで大切なことは,アミロペクチンをあまり含まない穀物の粒は,いくらついても叩いても強い粘りの「もち」にはならないことである.逆に,アミロペクチンを多く含む穀物は,これを挽いて粉にしても,水で練って加熱すれば容易に「もち」になる.
つまり「もち」とは何かという問いは,原材料に着目すれば理解しやすいのである.しかしとにかく,「もち」は古代からある食品なので,似たものに同じ言葉を充てる「見立て」や誤用によって,現代に到るまでに例外がいくつか生じた.これは後述する.
で,本題に戻ると,私が腰を抜かして尻餅をついた槻谷先生の説は「米の粒から作ったものがお餅で,米の粉から作ったものがおだんごです」だが,この説には辻褄が合わないことが多いため,槻谷先生はここから迷走を始めた.
先生の迷走の一つが桜餅である.桜餅には関東風と関西風があるが,上の画像は関東風の,江戸時代に考案された「長命寺の桜餅 (長命寺桜餅とも)」である.Wikipedia【桜餅】に次の記述がある.
《「長命寺の桜もち」は享保二年(1717年)に、元々は寺の門番であった山本新六が門前で山本屋を創業して売り出したのが始まりとされる[7]。隅田川の桜の落ち葉を醤油樽で塩漬けにし、餅に巻いたとされる[8]。もとは墓参の人をもてなした手製の菓子であったといわれ、桜餅の葉は落ち葉掃除で出た桜の葉を用いることを思い至ったからだという。》
本来の長命寺桜餅は,小麦粉を材料とした素朴なものであったろうが,現代の和菓子屋は材料に工夫をして,もち米を粉砕した粉 (もち粉,上南粉,白玉粉など) も少し配合する.(和菓子の材料は,ここを参照されたい)
槻谷先生は「桜餅は「粉」からなので厳密には「餅」ではない」と主張するが,そうとは言い切れないのが,食べ物の名称のおもしろいところである.
実は桜餅と似た事情が,関東では江戸時代から川崎大師門前の名物としておなじみの久寿餅にもある.大師門前の老舗「住吉」の公式サイトに,久寿餅の由緒について次の記述がある.
《口碑によれば、天保の頃(1830~1840)大師河原村に、久兵衛という者あり、風雨強き夜、納屋に蓄えた小麦粉が雨で濡れ損じたため、己むなくこれをこねて樽に移し、水に溶いて放置しました。
翌年の飢饉に際し、思い出して調べたところ歳月を経て発酵し、樽の底に純良なる澱粉が沈殿しているのを発見しました。これを加工し蒸し上げたところ風変わりな餅が出来上がりましたので、早速この餅を時の35世隆盛上人に試食を願いましたところ、その味淡白にして風雅なのを賞して、川崎大師の名物として広めることを奨めると共に、「この餅の名は、久兵衛の久の字に、無病長寿を祈念して寿の一字を附して、久寿餅とされるが宜しかろう」とそれ以来川崎大師にては葛餅(くずもち)のことを久寿餅と記されるようになりました。 》
要するに久寿餅の名は僧侶がつけたのである.当時の僧は知識階級であり,中国語の「餅」が,本来は小麦粉から作るものであること,和語「もち」に「餅」の字を当てたのは古くからの誤用であることを知っていたに違いない.
Wikipedia【餅】に以下の記述がある.
《中華文明圏において、「餅(ピン)」は主に小麦粉から作る麺などの粉料理(麺餅(中国語版))全般を指し、焼餅・湯餅(饂飩・雲呑・餃子の原型)・蒸餅(焼売・饅頭の原型)・油餅などに分類され、小麦以外のヒエ、アワ、コメなどの粉から作るものは「餌(アル)」と呼んで区別があった。》 (文中の下線は,当ブログ筆者が付した)
久兵衛が小麦粉から偶然に拵えた食べ物を,川崎大師の上人様が「(久寿) 餅」としたのは当然のことだったのである.
同様に長命寺桜餅も寺が発祥であるからして,その命名に際して僧侶が山本新六の相談にあずかっていたと思われ,小麦粉が材料である故に「餅」の字を当てられたのであろう.
関西で好まれる桜餅は,普通は道明寺餅という.記述の長命寺桜餅よりものちに考案されたものだといわれるが,材料は小麦粉ではなく,もち米から作る道明寺粉である.これを用いて作る道明寺餅は,アミロペクチンによって粘りが発現している正真正銘の「もち」である.道明寺餅は道明寺「粉」から作るから厳密には餅ではない,とする槻谷説には,無知 勉強不足もここに極まれりというしかない.お料理教室の先生であるなら,少なくとも「もち」と「餅」の区別くらいは知っていて欲しかった.
さて槻谷先生は,自分の説が的外れであるため,どんどん墓穴を掘っていく.まず下の画像の右上に「くず餅」とあるが,単に「くず餅」では「葛餅」か「久寿餅」かわからぬ.「葛餅」は和菓子屋にもあるし,甘味を商うお店でも食べることができる.だが画像右上のものは「葛餅」ではなく明らかに「久寿餅」だ.「久寿餅」が「餅」である理由は既に述べた.
次に画像の右下の「大福餅」を,槻谷先生は「粉から作られているのになぜ餅?」と書いているが,「粉から作られたものは餅ではない」は自分で勝手に捏ね上げた嘘なのに,その嘘にあてはまらないからといって大福は餅ではないというのは,あまりと言えばあんまりである.もち米から作ろうが,もち粉 (もち米の粉) を使用しようが,大福餅の粘りはアミロペクチンによるものだから正真正銘の「もち」なのだ.
ちなみにきちんとした和菓子屋は,もち粉ではなくもち米で大福を作っているが,大量生産品でも,もち米を使っている製品はある.槻谷先生は大福はもち粉で作っているとしているが,それは偏見である.
画像左下の「わらび餅」は,本物の「わらび粉」が貴重品であるため,ごく一部の和菓子店でしか本当の「わらび餅」は販売されていない.古くは江戸時代から葛粉を使用したものを「わらび餅」と称した.
それはともかく「葛餅」や「わらび餅」は,でんぷんを糊化して作るゼリー状の菓子であり,「もち」とは全くの別物である.今なら食品偽装といわれかねないが,これらが考案された大昔は人々がおおらかだったから,特に難癖をつけられずに,これまで伝統的に「餅」と呼ばれてきたのである.
最後の左上の「柏餅」は,上新粉で作るから「もち」ではないが,端午の節句の供物であったことに鑑みると,もしかすると元々は「ハレの食事」であり,もち米あるいはもち粉で作った可能性が考えられる.しかし「柏餅」には古い資料がほとんどないので,曖昧に「もちではないのに餅と呼ぶ」とせざるを得ない.
さて以上までのところで,「もち」について書いてきたが,「団子」についてこれから述べる.
Wikipedia【団子】に,《団子は、柳田國男説の神饌の1つでもある粢(しとぎ)を丸くしたものが原型とされる 》とあり,この「しとぎ」が,「もち (餅)」や「だんご (団子)」に発展していったとされる.「だんご」が現在のような意味になったのは,おそらく室町時代であるが,その発展過程において,「だんご」は原材料が何であるかに縛られず,あまり大きくない形に成形できる食べ物,といった意味合いを持ったようだ.茶葉を成形し,醗酵させて作る「団茶」の「団」も似た用法と考えられる.
つまり「もち」と「だんご」は,物の見方,観点が異なるのであり,二つに分けて対比できるものではない.すなわちチコちゃんの出題《お餅とおだんごの違いって何? 》は,論理的に無意味な問いなのである.問いが無意味だから,正しい答えはない.この記事の冒頭に,《この愚問にいとも簡単に答えるやつは一種のペテン師だといっていい 》と書いた所以である.
というような事情であるから,「もち」でもあり「だんご」でもあるものや,「もち」ではないが「だんご」ではある,といった食べ物を例示することができる.雑穀の団子として有名なのは蕎麦団子だが,これは「もち」ではない.
越後名物の「笹団子」は,昭和三十年代までの家庭では,もち米から作ったが,現在では土産品にはもち粉も使われるようだ.これは「もち」だが,名前は「団子」だ.
静岡県の一部では,上新粉で作った月見団子でやや扁平な形のものを,「もち」ではないのに昔から「へそ餅」と呼んでいる.この地方の人々は今でも「餅」と「団子」をはっきりとは区別していない.
ところで槻谷先生は,番組中,上の画像で「平たいもの=餅と名付ける場合も」と言っているが,画像の左上のきな粉もち (赤い↓) は,どう見ても丸い.これが例として全くダメなことは小学生でもわかるが,先生は一体何を考えているのか理解に苦しむ.想像するに槻谷先生は,もうここら辺で自分が何を言っているか,話の収拾がつかなくなったのではないか.とうとう先生は次のようなことを語ったのである.
「もち」と「だんご」を区別するのは無意味なことなのに,どうしても区別したい先生は,ここに至って遂に破綻した.チコちゃんの問いに
《米の粒から作ったものがお餅で,米の粉から作ったものがおだんごです 》
と答えておきながら,その答はどんどん変化してしまうと言ったのである.すぐに変化してしまうならば,将来どう変化するかが不明である以上,つまり答えはないというに等しい.
ちなみに,日本和食卓文化協会のコラム《チコちゃん・こぼれ話②餅と団子の違い?~桜餅 》に,以下の文章が掲載されている.
《今、日本中に流通している【餅】【もち】と名が付くもののほとんどが、実はこの【餅菓子】。
餅菓子とは、材料に米粉・もち粉を使った和菓子全般をさします。
本来ならば、とか、厳密に言えば、を前提にした上で、私は餅と団子の違いを、細かく言いましたが、今の日本人が食べて、【餅】だと思えば、餅菓子だって充分【餅】なのです!
食は時代とともに変化するのが、常であります。
そしてみんな餅も餅菓子大好きですよね?
餅が大好き!食べたい!という気持ちであれば、餅でも餅菓子でもOK♪
なんて、実はこれが日本和食卓文化協会の本音です。》 (文中の文字の着色は,当ブログの筆者が行った)
槻谷先生は,今の日本人が「餅」だと思えばそれは「餅」だ,と言う.しかし,そんなに簡単に私たちの食の歴史を切り捨てていいのだろうか.
昔の日本人の「食」は,その生活および精神の在り方と相互に反映し合うものであったし,このことは現代日本人においても同様である.
《食は時代とともに変化するのが、常》ではあるが,長い時を経てどのように変化してきたかを知ることは,現代の私たちの生活と精神の在り方を理解することに繋がっている.それが民俗学や食文化史研究の意味するところなのだ.
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