中野京子『美貌のひと』 (二)
『美貌のひと』第四章で解説されているルノワール画『ブージヴァルのダンス』は,いわゆるダンス三部作のひとつ.一昨年の「ルノワールの時代 近代ヨーロッパの光と影」展でこの絵を直接観たひとは多いだろう.
(Wikipedia【ブージヴァルのダンス】から引用;パブリックドメイン画像)
下も三部作の一つ,『都会のダンス』である.これまた一昨年の「オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展」で,この絵と対になっている『田舎のダンス』のすぐ隣に,ほとんど間隔を置かずに展示されていた.
一般にダンス三部作とは呼ばれているものの,『都会のダンス』と『田舎のダンス』は一対であるが,『ブージヴァルのダンスは』その二作品とは独立している.しかし『都会のダンス』と『ブージヴァルのダンス』は,モデルの女性が同一人物だという関係になっているのだ.
(Wikipedia【都会のダンス】から引用;パブリックドメイン画像)
さて上に画像を示した二つの作品に描かれた女性は,シュザンヌ・ヴァラドン.モンマルトルの画家にしてフランス国民美術協会初の女性会員,そしてモーリス・ユトリロの母である.
ヴァラドンとユトリロについて,Wikipedia【シュザンヌ・ヴァラドン】には次のように書かれている.
《ヴァラドンはユトリロが画家として成功するまで、息子に絵画の才能があるとは思っておらず、また息子も母から絵画を学ぶことはなかったため、互いに影響を受けることなく、独自の画風を確立している。》
しかし中野先生は,ユトリロの作品に,母ヴァラドンの強い影響を観ている.
その影響とは,ヴァラドンの画風や技法という意味ではなく,ヴァラドンの奔放でエネルギッシュな生き方そのものからのものであったという.
シュザンヌ・ヴァラドンは,社会の最下層の女を母として生まれた.そして生きるために様々な底辺の仕事を転々としながら,十代を過ごした.身入りのいいサーカスのブランコ乗りになろうとしたが,ブランコから落ちて怪我をしためにその道は断念した.
次に彼女は,ルノワールなどのモデルをしつつ独学で絵を描くようになったが,彼女の才能を見抜いたのはロートレックであった.その後,ドガの指導を得て,遂にヴァラドンは画家として才能を開花させたのである.
そこまではよかったのであるが,ある日,息子のユトリロが年下の友人を家に連れてきたところから,母と子の間に不穏な空気が漂うことになった.
その年下の友人の名はアンドレ・ユッテル.そしてヴァラドンはユッテルと激しい恋に落ちた.ヴァラドンは夫と離婚し,ユッテルと再婚した.二人の歳の差は二十一であった.
最近のテレビドラマで,有村架純ちゃん演じる中学教師が教え子と恋に落ちるという話が物議を醸していたようだが,そんなものはほのぼのとした児戯に等しいというべきだろう.
いや「歳の差婚」自体は現代でも珍しいことではない.問題は彼女の恋愛と結婚の相手が,自分の息子の年下の友人だということ.ヴァラドンの頭の中には,息子がそれによってどれほどのショックを受けるか,といった配慮はなかったのだ.
ユトリロの心中を中野先生は次のように描写する.
《自分を顧みない母への思いは複雑だった。
求める愛を与えられなかった子供は親に執着しがちだ。ユトリロもまた美しい母を生涯思慕してやまなかった。そんな哀れな息子にとって、母が自分の友人と恋に落ち、あまつさえ結婚までしたことはどれほどショックであった。
しかも前夫との離婚で、これまでのような贅沢ができなくなった母と友人の新生活の糧に、自分の才能が利用される。すでに彼の作品は母親のものより高値で売買されていたからだ。ユトリロは酒を飲み続け、ひたすらパリの街角を描き続けた。
力強く生命力あふれる肉体讃歌のヴァラドン作品と、無人の裏町の寂寥ばかりのユトリロ作品は、あまりにも彼ら母子関係の反映そのもので、見る者に複雑な感慨をもよおさせる。》
だがそれでは,ユトリロにとってヴァラドンは一方的に悪い母親で,ユトリロはひたすらに犠牲の子であったか.
ここで翻って中野先生は,一点の救いを彼ら母子の中に見出す.ヴァラドンのユトリロへの愛を.
それがどのように述べられているかは,いかにも中野先生らしい批評なので,ネタバレを避けてここでは書かない.本書の p.175, 《ブージヴァルのダンス》の末尾の一節をお読み頂きたい.
[追記] ヴァラドンとユトリロに関するネット上の記事,例えば西日本新聞の記事《特別展「ユトリロとヴァラドン」 母と子のドラマ描く 》 (掲載日2015年10月12日) などに貼り付けられているヴァラドン母子の写真は,写真全体だけでなくトリミングした画像がネットのあちこちに見られる.しかし,その出典と著作権関係について記された資料が発見できない.
一般にダンス三部作とは呼ばれているものの,『都会のダンス』と『田舎のダンス』は一対であるが,『ブージヴァルのダンスは』その二作品とは独立している.しかし『都会のダンス』と『ブージヴァルのダンス』は,モデルの女性が同一人物だという関係になっているのだ.

(Wikipedia【都会のダンス】から引用;パブリックドメイン画像)
さて上に画像を示した二つの作品に描かれた女性は,シュザンヌ・ヴァラドン.モンマルトルの画家にしてフランス国民美術協会初の女性会員,そしてモーリス・ユトリロの母である.
ヴァラドンとユトリロについて,Wikipedia【シュザンヌ・ヴァラドン】には次のように書かれている.
《ヴァラドンはユトリロが画家として成功するまで、息子に絵画の才能があるとは思っておらず、また息子も母から絵画を学ぶことはなかったため、互いに影響を受けることなく、独自の画風を確立している。》
しかし中野先生は,ユトリロの作品に,母ヴァラドンの強い影響を観ている.
その影響とは,ヴァラドンの画風や技法という意味ではなく,ヴァラドンの奔放でエネルギッシュな生き方そのものからのものであったという.
シュザンヌ・ヴァラドンは,社会の最下層の女を母として生まれた.そして生きるために様々な底辺の仕事を転々としながら,十代を過ごした.身入りのいいサーカスのブランコ乗りになろうとしたが,ブランコから落ちて怪我をしためにその道は断念した.
次に彼女は,ルノワールなどのモデルをしつつ独学で絵を描くようになったが,彼女の才能を見抜いたのはロートレックであった.その後,ドガの指導を得て,遂にヴァラドンは画家として才能を開花させたのである.
そこまではよかったのであるが,ある日,息子のユトリロが年下の友人を家に連れてきたところから,母と子の間に不穏な空気が漂うことになった.
その年下の友人の名はアンドレ・ユッテル.そしてヴァラドンはユッテルと激しい恋に落ちた.ヴァラドンは夫と離婚し,ユッテルと再婚した.二人の歳の差は二十一であった.
最近のテレビドラマで,有村架純ちゃん演じる中学教師が教え子と恋に落ちるという話が物議を醸していたようだが,そんなものはほのぼのとした児戯に等しいというべきだろう.
いや「歳の差婚」自体は現代でも珍しいことではない.問題は彼女の恋愛と結婚の相手が,自分の息子の年下の友人だということ.ヴァラドンの頭の中には,息子がそれによってどれほどのショックを受けるか,といった配慮はなかったのだ.
ユトリロの心中を中野先生は次のように描写する.
《自分を顧みない母への思いは複雑だった。
求める愛を与えられなかった子供は親に執着しがちだ。ユトリロもまた美しい母を生涯思慕してやまなかった。そんな哀れな息子にとって、母が自分の友人と恋に落ち、あまつさえ結婚までしたことはどれほどショックであった。
しかも前夫との離婚で、これまでのような贅沢ができなくなった母と友人の新生活の糧に、自分の才能が利用される。すでに彼の作品は母親のものより高値で売買されていたからだ。ユトリロは酒を飲み続け、ひたすらパリの街角を描き続けた。
力強く生命力あふれる肉体讃歌のヴァラドン作品と、無人の裏町の寂寥ばかりのユトリロ作品は、あまりにも彼ら母子関係の反映そのもので、見る者に複雑な感慨をもよおさせる。》
だがそれでは,ユトリロにとってヴァラドンは一方的に悪い母親で,ユトリロはひたすらに犠牲の子であったか.
ここで翻って中野先生は,一点の救いを彼ら母子の中に見出す.ヴァラドンのユトリロへの愛を.
それがどのように述べられているかは,いかにも中野先生らしい批評なので,ネタバレを避けてここでは書かない.本書の p.175, 《ブージヴァルのダンス》の末尾の一節をお読み頂きたい.
[追記] ヴァラドンとユトリロに関するネット上の記事,例えば西日本新聞の記事《特別展「ユトリロとヴァラドン」 母と子のドラマ描く 》 (掲載日2015年10月12日) などに貼り付けられているヴァラドン母子の写真は,写真全体だけでなくトリミングした画像がネットのあちこちに見られる.しかし,その出典と著作権関係について記された資料が発見できない.
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