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2018年12月16日 (日)

滅びゆく味噌汁

 カンボジア旅行から帰国してすぐに寝込んで,もう五日が過ぎた.倦怠感と鼻腔粘膜の炎症 (鼻づまり) は軽くなったのでベッドから起き上がったが,依然として下痢が止まらない.
 困ったことに腹を下している割に食欲は普通なので,お粥を炊いたり (といっても米から炊くのではなく,パック御飯をレンジ加熱し,それを煮て作る簡易粥だが),素麺または細うどんを煮て食べている.
 トレーニングをしない上に,炭水化物中心の食事だと,筋肉が落ちてしまわぬか心配だが,回復するまではジムに行けないから仕方ない.まずは元気になって,それからリハビリだ.

 さて動物実験や臨床のデータがあるかどうか知らないが,消化器が弱っている時のタンパク質源は,脂肪の多い肉ではなく,淡白な白身魚,鶏卵あるいは大豆製品がよいような気がする.たぶんこれは肉料理の喚起するイメージが影響しているのであり,肉料理が消化しにくいわけではないとは思うが.
 そういうわけで,豆腐の味噌汁に卵を落として半熟にしたのなんかは,理想的な病人食のように思われる.味噌に含まれる食塩の量に注意が必要だが.
 ところが,岩村暢子さんの著書を読むと,今や日本の家庭から伝統的な作り方の味噌汁が姿を消したらしい.
 子供に食事を作らねばならない母親たちが味噌汁を忌避する理由は,野菜を切ったり煮たりする「面倒感」のようだ.私なんかからすると,味噌汁を作る手順のどこが面倒なのかさっぱり理解できないが,クックパッドを閲覧するとわかるように,彼女たちにとって大切なことは「おいしさ」や「栄養」ではなく「時短」と「簡単」であるから,鍋に材料全部をぶち込んで一手間で作れるわけではない味噌汁は,日常食ではない,作ることが誇らしいポジションにある「凝った料理」なのだ.
 そこで,岩村さんの調査に登場する家庭では,一旦作った味噌汁を鍋のまま冷蔵庫に入れて,繰り返し温めて食べることになる.さらには,具を継ぎ足してずっと冷蔵庫に保存されたりもする.鰻屋の秘伝のタレかよ.
 そしてそこから「味噌汁は一晩寝かすとおいしい」という境地までは,指呼の間である.
 例えばブログ《WOW! FOOD!! 食に関することやその周辺の話題を発射 》の記事《一晩寝かす 》を御覧頂きたい.そこに次のように書かれている.

しかし、カレーだけが寝かせるとうまいわけではない。
私の勘によると味噌汁も寝かせるとうまい。
夜に作った味噌汁を次の日の朝に飲むのだ。
身体にしみ込むあのうまさ。熟味噌汁。
朝だからうまいのかもしれない。
具は大根が一押し。
味噌汁は寝かせすぎると酸っぱくなるので気をつけてね。
本当は寝かさない方がいいかもね。

寝かせすぎると酸っぱくなる》とか暢気なことを書いているが,そりゃ腐敗が始まっているのですよ奥さん.カレーと味噌汁は夏場に腐敗しやすい料理の二大巨頭なのだ.w
 ブログだけではなく,滅びゆく味噌汁文化の残影はクックパッドにも投稿されている.
 例えばつい最近 (12/2) 投稿された《基本の味噌汁(おもてなし和食土鍋使用) 》だが,説明写真を見るとキッチンスケールを使用しているにもかかわらず,材料リストに量の指定がない.それどころか,手順の説明の中で「こうじ味噌」とあるだけで,どのような「こうじ味噌」なのかの説明もない.「こうじ味噌」といっても千差万別であり,それだけでは全く味噌の説明になっていないことを,投稿者は知らないのだと思われる.
 投稿者は《優しい味の味噌汁が好きで、試行錯誤してレシピを考えました 》と書いているが,試行錯誤しなければこの程度の雑駁な味噌汁も作れぬのか.私は思わずはらはらと落涙した.
 
「日常の食事は御飯と具だくさんの味噌汁で充分」(『一汁一菜でよいという提案』,グラフィク社,2016年) であると土井善晴先生は仰るが,それは人間というものを信頼しすぎかもしれない.料理することが死ぬほど嫌いで,玉葱の薄皮を剥くのも嫌だという者にとって「具だくさんの味噌汁」は,自分とは無関係な別世界のお話であるに違いない.
 料理することが死ぬほど嫌い,というのは文学的修辞ではない.下に,岩村暢子さんの『家族の勝手でしょ!―写真274枚で見る食卓の喜劇―』(新潮社,2010年) の「あとがきにかえて」から長目の引用をする.
 
【食DRIVE】調査では、本当にいろんな家庭を見てきた。だが、中でも2年前の調査で出会った忘れられない家がある。休日の朝、子供たち (10歳・9歳) は「普段どおり自分たちで」食パンを焼いて食べている。主婦は食べず、夫はお握りを持って出かける。昼は子供に買わせた菓子パンを母子で食べる。夜はスーパーで子供たちと主婦が選んだ揚げ物など惣菜類をパックのまま出して親子4人で食べる。終日、親が選んだり作ったりした料理がないし、野菜もほとんど出てこない。こんな日が続くのだが、主婦 (36歳) は「野菜がないことなんか気にしない」「子供たちは学校給食があるから大丈夫よ」と笑う。
 さらに聞けば、この主婦は以前子供たちから「ママはなぜちゃんとした朝ごはんを作らないんだ」と抗議を受けたことがあるという。そこで、ご飯・味噌汁・おかずを作り、子供たちを早くから起こして正座させ「(お前たちが言ったのだから) 完食しろ」と迫ったそうだ。せっかく作ったのに無駄にされてはたまらないという思いがあったのだ。
 それが数日続くと、子供たちはベソをかき始めた。すると主婦は「親も子も嫌な気持ちになるくらいなら、もういい」と再び朝食を作らなくなった。以後、この家の子供たちは朝食が食べたければ自分で用意し、昼や夜は、お腹がすくと親には言わず、勝手に近所のおばさんの家に食べに行くこともある。しかし、主婦は「これはヤダあれはヤダと言われるよりも、私は子供に選ばせるようにしているから」と、まるで子供の自主性に任せているかのように語る。
 私は苦いものを飲み込んだような気がして、しばらくこの家のことが頭を離れなかった。家庭とは、家族とは、親とは、いったい何であったろうかと思ったのである。さまざまな事情を考えて、百歩譲っても、10歳以下の子供に対し要求されなければ朝食を出さないのは親と言えるだろうか。言われてようやく作っても、その自分の行為を無駄にされたくなくて正座で完食しろとお仕置きのようなことを子供に迫るだろうか。そして、耐え切れなくなった子供が食べ残して泣くと、以後作らなくてもよい口実として平気でいられるだろうか。「嫌な思いをするくらいなら」食事作りさえ放棄できるだろうか。空腹で近所のおばさんの家に食べに行ってしまう子供を見て見ぬ振りできるだろうか。やむなく子供が自分で選ぶ行為を自主性と思えるだろうか。
 だが、ふと考えると同じような話を私はたくさんの主婦から幾度となく聞いてきたのだと気づいた。この家は、単にそれらのわかりやすい典型例に過ぎなかったと。

 
 この一節のあと岩村さんは,「わかりやすい典型例」の類型をいくつも挙げる.岩村さんは,昭和から平成にかけての家庭の食事の変遷を追いかけているうちに,楽しかるべき家庭の食事が遂に児童虐待の道具と化した現場に辿り着いたのだった.
 家庭の経済的困窮が理由で満足な食事を与えられない児童数は,日本は先進国で最悪の状況と言われるが,しかし遅ればせながらもようやく現在,行政の手が貧困児童たちに差し伸べられようとしている.
 だが,家庭が貧困ではないのに,親の手で栄養不良状態に追いやられている子供たちは,貧困児童よりもはるかに多いような直感が,私にはする.病気になったときに,親が落とし卵の味噌汁を作ってくれない子供たちを,政治はどうすればいいのだろう.

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