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2018年12月 3日 (月)

お箸の国の人なのに (一)

 昨日の記事《箸を正しく持てない料理人 》に以下のように書いた.

岩村さんは,今の人たちは箸を正しく持てないと嘆いていたが,いやいやそれは今に始まったことではない.

 現代家族論の美貌の論客,岩村暢子さんの『残念和食にもワケがある 写真で見るニッポンの食卓の今』(中央公論新社,2017年) を読んでいるところに,同時に注文した『家族の勝手でしょ!―写真274枚で見る食卓の喜劇― 』(新潮社,2010年) が届いた.これもザッと読んでみると,この二冊はセットで読むべき本だとわかった.二冊共に調査研究であり,豊富な写真と文章で構成されているのだが,調査方法については『家族の勝手でしょ!―写真274枚で見る食卓の喜劇―』に詳しいので,これから読むなら『家族の勝手でしょ!…』→『残念和食にもワケがある…』の順に読み進むのがお勧めである.
 さて,上に挙げた岩村さんの著書の内容であるが,一言で言うと,既に失われた日本の食文化に対する挽歌のようなものである.彼女の淡々とした叙述に,私はしみじみとした思いを禁じ得なかった.
 よく知られているように,私たちの食生活,つまり食材,調味料,食器,作法などの基本的スタイルは室町時代に源流がある.
 その基本様式は徐々に変化しながら近代に移行してきたのであるが,戦後になって音を立てるが如くに崩壊し,無秩序化した.その無秩序ぶりが,岩村さんの著書に写真付きで解説されているのだ.おもしろくなかろう筈がない.
 例えば,ある家庭 (かならずしも若い人たちの家族ではなく,年寄りもいる) では,おかずは何でもかんでも飯茶碗に盛り,その代わり炊いた飯は洋食器の皿に盛る.つまり白い御飯ではなく「ライス」とでもいうものになった.そして味噌汁はグラタン皿に入れて,スプーンで飲む.なぜグラタン皿かというと,肉厚だから熱くても持てるというのが理由である.汁椀の存在なんか考慮外なのである.
 こうなると白飯もおかずも味噌汁も,スプーン一本で食べるのが楽ちん,ということになる.
 こうして日本の家庭から箸が姿を消そうとしていると岩村さんは言う.
 箸が家庭から消えようとしているのは,美しい扱い方が,スプーンよりやや難しく,多少の練習が必要だということがあるだろう.だが,金儲けにならぬ事に関しては,練習や努力を「ダセー」として嫌うのが現代日本の国民性である.その結果,わずかな一部の人々を除く日本人のほぼ全員が箸を使えなくなった今,箸の存在理由が希薄になったのである.(* 脚注 1)
 詳しくは岩村さんの著書に譲るが,日本の食事作法の崩壊が,いつ頃から始まったのかという疑問に,私は興味をそそられる.

 昭和の最後から平成にかけて,味の素社が「ほんだし」のCМ (* 脚注 2) に三田佳子さんを採用した.
 その時の惹句が「お箸の国の人だもの」であった.(YouTube はここ)
 下の画像 (PCモニター画面のハードコピー) では見にくいが,動画を観ると,三田さんの箸の持ち方が間違っている (左の↓) ことがわかる.持ち方が間違いなだけならまだしも,中央の↓のところで二本の箸が交差し,箸先 (右側の↓) が元の方とは逆方向に開いていることがわかる.幼児に多い,いわゆる「バッテン箸」である.
 
20181203k
20181203l
 
 三田さんの箸遣いが幼児のようであることは,この当時既に日本の代表的女優となっていた彼女の女優としての才能,業績と対比すれば,まことに微々たる問題だ.問題は,箸を正しく持てない人を敢えて広告に使い,それに「お箸の国の人だもの」というコピーを付けた味の素社の見識のなさなのである.
 
(* 脚註 1) テレビ東京の『YOU は何しに日本へ』などを観ていると,器用に美しく箸を使う外国人がよく登場する.日本の箸の作法は,彼らに継承されているのかも.
(* 脚註 2) CМの中で「かつお風味のほんだし~」というフレーズが歌われたが,国民は「かつお風味のフンドシ~」と歌った.だからどうしたと言われると,どうもしない.ヾ(--;)

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