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2018年12月 1日 (土)

記念艦三笠でカレーを (海軍カレー編 17)

 前回の記事《記念艦三笠でカレーを (海軍カレー編 16) 》の末尾を再掲する.

幼年学校が陸軍幼年学校に名称が変わったのちの柴五郎が登場する小説がある.団塊世代に読者の多い山田風太郎が書いた『警視庁草紙』(文藝春秋,1975年;現在はちくま文庫の「山田風太郎 明治小説全集に収められている) である.

 この連載の本題 (カレーライスの話) に戻る前に,もう少し明治という時代のことを書く.
 周知のように,戊辰戦争が終結したのちも,政情が安定したわけではなかった.近代日本の出発は西南戦争で西郷隆盛が敗死するまで待たねばならなかったのである.
 西南戦争の前に,各地で旧武士階級出身者の反乱があった.その一つに永岡久茂らによる「思案橋事件」があった.
 Wikipedia【思案橋事件】から一部を引用する.

1876年(明治9年)10月29日、萩の乱の発生を電文で知った永岡久茂ら旧会津藩士他14名は、東京・思案橋から千葉に向けて出航しようとしていた。しかし不審に思った者の通報により駆け付けた警官隊と切りあいとなり、永岡ら数名はその場で逮捕された。逃走を図った者は中根米七を除き、最終的には逮捕されている。主犯の永岡は事件の時に負った傷が元で翌年1月に獄中死し、その年の2月7日に行われた裁判では井口慎次郎、中原成業、竹村俊秀の会津藩士3名が斬罪となった。中根は1878年(明治11年)、喜多方町の寺院境内で切腹している。警察側は寺本義久警部補と河合好直巡査の2名が殉職した。

 この事件で興味深いのは,旧会津藩士である永岡久茂が西郷隆盛の支持者だったことである.
 幕末から明治にかけては,いわば日本における「アメリカン・ドリーム」の時代であった.下級武士の子であっても,政治家,官吏,学者,軍人として世に出ることが可能な時代が来たのである.
 西日本諸藩は諸外国との接触が多かったためか,早くから思想的に身分制社会から脱して,下級の武士たちが時代を牽引したが,無能な松平容保のもとで思考停止に陥っていた旧会津藩士の約二万人は,容保の子,容大を領主として斗南藩が成立すると,そのうちの一万七千三百人余りが藩主と共に厳寒不毛の地に移住した.明治三年のことであった.
 しかし明治四年七月の廃藩置県によって斗南藩が廃止されて旧藩主松平容大が上京したのち,旧会津藩士たちの過半は会津に帰郷したが,青森県に留まる者,東京で一旗上げようとする者など様々な形で離散した.
 それまで,農業や商工業に従事する人々から収奪することで生きてきた藩士たちは,働かねば食っていけない事態に直面し,ようやく幕藩体制下における身分制度の呪縛から離れ,思考停止から脱した.その典型例が,会津藩家老の地位にあった佐川官兵衛である.佐川は廃藩置県後,川路利良 (薩摩藩中でも身分の低い家に生まれたが,戊辰戦争では会津から東北を転戦し,その後に初代大警視を務めた「日本警察の父」である) に懇請されて警視庁に奉職して一等大警部に任命された.惜しくも西南戦争で戦死したが,薩摩がどうのこうのという,後に小説家や,会津戦争を観光資源化して金儲けすることを目論んだ会津若松市当局が拵えた「会津の怨念」から自由な人であった.一流の人物とは,こういう人のことであろう.
 他にも,白虎隊の兵士として会津戦争を戦ったが,戦後は明治四年に国費留学生として渡米し,後に東京帝国大学総長となった山川健次郎らも,新しい時代の日本の建設に努めた.
 一方,冒頭に記した永岡久茂は,在野の論客として西郷隆盛を支持して明治政府を糾弾する側に立ったが,明治九年 (1876年) 十月二十九日,萩の乱に呼応して千葉県庁襲撃を意図したが,事前に発覚して逮捕された.これが思案橋事件である.
 山田風太郎『警視庁草紙』が描くのは,思案橋事件に関わった旧会津藩士の父親たちが逮捕され,路頭に迷ったその子供らである.
 陸軍幼年学校生徒・柴五郎は,子供たちを率い,敢然徒歩で警視庁の目の届かぬ安全な村へ送り届ける役を買って出たのである.
 柴五郎の凛とした姿を描いたこの一節は,引用するには長すぎる.ただ,柴五郎と子供たちが出発したあと,山田風太郎は次のように結んだことを紹介する.

明治三十三年、いわゆる義和団の蜂起により北京が包囲されたとき、悪戦苦闘の籠城五十余日、その間駐留軍の総指揮官としてついに守りぬき、その勇名とともに軍規の厳正をもって連合軍の賞賛のまととなった北京駐在日本武官柴五郎中佐は、この若者の後身である。
 
『警視庁草紙』は『ある明治人の記録』が出版された少しあとに書かれた.山田風太郎は『ある明治人の記録』を読んだに違いないが,その影響を受けていないところが,さすがである.私たち戦後生まれの読書人が柴五郎に抱いている人物像は,『警視庁草紙』に描かれた柴青年なのである.

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