記念艦三笠でカレーを (海軍カレー編 1)
三笠桟橋のすぐ隣の公園に記念艦三笠が固定されている.
戦艦三笠 (パブリックドメイン画像)
Wikipedia【三笠 (戦艦)】に書かれている通り,日露戦争で連合艦隊旗艦を務め,連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗した戦艦三笠は大正十二年 (1923年) 九月一日の関東大震災で岸壁に衝突し,大浸水を起こしてそのまま着底した.三笠は既にワシントン軍縮条約で廃艦が決定していたので,そのまま砲塔などの兵装を外して帝国海軍から除籍され,その後は解体されることになった.しかし三笠に対する保存運動が始まり,大正十四年 (1925年) 一月に記念艦として横須賀に保存することが閣議決定された.同年六月から十一月にかけて保存工事が行われ,海底に固定された状態になった.保存に際して廃艦時に撤去した兵装の復元は行われなかったが,砲塔等は木製のダミーが取り付けられた.そのため,この時点で三笠は戦艦としての生涯を終え,半レプリカの記念艦三笠となった.
三笠は太平洋戦争中もそのまま記念艦として現在地に保存されていたが,敗戦後の人心の荒廃は,三笠に大きな打撃を与えた.Wikipedia【三笠 (戦艦)】に次のようにある.
《敗戦から1年経たない1946年4月の時点で、切断可能な金属はガスバーナーで切断されて盗まれ、甲板のチークは薪や建材にするために盗まれ、「三笠」は急速に荒廃していた。東郷平八郎を敬愛していたアメリカ海軍のチェスター・ニミッツ元帥はこれを知ると激怒し、海兵隊を歩哨に立たせた。
連合国軍の構成国で横須賀港を接収したアメリカ軍のために娯楽施設が設置され、「キャバレー・トーゴー」が艦上に開かれた。のちに後部主砲塔があった場所に水族館が設置された。》
《復元運動
この惨状を見たイギリス人のジョン・S・ルービンが英字紙「ジャパンタイムズ」に投書、大きな反響を呼ぶ。さらにアメリカ海軍のチェスター・ニミッツ提督が三笠の状況を憂いて本を著し、その売り上げを三笠の保存に寄付するなどして復元保存運動が徐々に盛り上がりを見せていった。
日本での当時の世論は復元保存派と完全撤去派と賛否両論の真っ二つに分かれた。後者の場合、軍艦を重要文化財に指定した前例が過去になかったのと、すでに荒廃していた三笠を仮に復元したとしても指定が難しいという理由があった。更に高度経済成長期だったため、約四千トン分の鉄屑として売り払い(当時の時価として八千万円分)、それを資金に記念館を作るべきという意見すらあった。海上自衛隊としても維持できる予算が取れない上に「動かない艦など引き取れぬ」というコメントを当時の海上幕僚副長だった伊藤邦彦が述べている。伊藤は帝国海軍の出身で、個人的意見は保存に賛成であった。しかし予算が承認され復元工事が1959年に開始すると、同年6月27日に所管が大蔵省から防衛庁に移管された。工事は1961年に完了し、同年5月27日に復元記念式が挙行された。
復元にあたり、長官室に設置されていたテーブル等をはじめ、アメリカ軍が撤去した記録が残っているものは、ほぼすべてが完全な形で返還されたが、誰が持ち去ったか不明なものは(戦後の混乱期で致し方ないことがあったとしても)、今日に至るまでほとんど返還されていない。》
「衣食足りて礼節を知る」というが,言い換えれば「衣食足らざれば礼節を知らず」だ.敗戦前まで半レプリカ状態だった三笠は,ほかならぬ日本人の浅ましい我欲によってほぼ解体された.復元された三笠は,かつての戦艦三笠の単なるレプリカとなった.しかもあまり精巧でないレプリカである.甲板にそこはかとなく漂うハリボテ感が悲しい.すなわち現在,三笠公園に固定されている記念艦三笠は,日本海海戦に勝利した栄光ではなく,私たち日本国民の心性の浅ましさを後世に伝える悲しい記念碑であるといえよう.
さて三笠の艦内に入って,かつての士官室 (五十人は着席できる広さ) に案内され,まずは海軍カレーの昼食である.
明治時代に誕生した海軍カレーは「大日本帝国海軍における病死数で最大である脚気は白飯中心で副食の貧しい食事に起因する」と考察し,海軍の兵食改革に成功した海軍軍医・高木兼寛の卓見に遡ると,横須賀市は主張している.(後述)
これについて Wikipedia【海軍カレー】に次のように書かれている.
《日露戦争当時、主に農家出身の兵士たちに、白米を食べさせることとなった海軍の横須賀鎮守府が、調理が手軽で肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事としてカレーライスを採用し、海軍当局が1908年発行の海軍割烹術参考書に掲載(後述)して普及させ、帝国海軍内以外では脚気の解消が、世界中で全くできていない中において、海軍内の脚気の解消に成功した。さらにその後の第一次世界大戦を通じ、その普及に努めた。また、この段階でカレーライスに牛乳が付いたとされる。》
上の引用中の《海軍当局 》とは曖昧な記述であるが,これは海軍省ではなく舞鶴鎮守府に設置されていた舞鶴海兵団 (海軍の陸上部隊) のことである.横須賀鎮守府の横須賀海兵団ではないことに注意が必要.
また《海軍割烹術参考書 》に関する資料としては『復刻 海軍割烹術参考書』(前田雅之,猪本典子;イプシロン出版企画,2007年) がある.
この書籍についての Amazon の商品説明には,次のコピー (その作者が出版社なのか,Amazon に出品した業者なのかは不明) が掲載されている.
《明治41年に舞鶴海兵団が発行した大日本帝国海軍版「料理の基礎」が現代語訳で待望の復刻。海軍カレーのルーツがここに。》
この文章をそのまま解釈すると,かつて舞鶴海兵団が『料理の基礎』という書籍を発行したのだが,それを復刻したのが『復刻 海軍割烹術参考書』だということになる.もう何を言っているのか意味がわからぬ.コピーの通りであるなら書籍名は『復刻 料理の基礎』にしなければいけないが,日本海軍に『料理の基礎』などという本はない.しかも元の本を現代語訳してしまったら,それはもう復刻ではないではないか.まことに羊頭狗肉が甚だしい.著者は明星大学教授だというが,大丈夫か,この先生.
おまけに価格 (中古) が \7,382 + 配送料ときた.こんなボッタクリ本を買ってはいけないということの見本である.
さらに,この本を紹介している某ウェブページは「舞鶴海兵団」を「真鶴海兵教団」と誤記するなどの無知をさらけ出しておる.かように海軍カレーの周辺には嘘が多すぎる.
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