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2018年11月 3日 (土)

記念艦三笠でカレーを (猿島編)

 クラブツーリズムの日帰りツアー「日本遺産認定記念 横須賀軍港クルーズと猿島 特別に記念艦三笠の中で海軍カレーの昼食」に行ってきた.
 いきなり突拍子もない話だけれど,国とか民族とかについての厳密な議論は横に置いて大雑把なつかみ方をすると,戦争好きな国 (国民) とそうでない国 (国民) というのは,やはりあると思う.
 歴史始まって以来,現代に至るまでに「戦争ばかりやってきた国」番付の横綱は「世界の警察」を自認する米国と,中国 (主に王朝の覇権争いや民族間の戦争だが,外国侵略戦争もやってきた) だろう.
 そして英仏独および我が日本あたりが大関か.世界史的に見ると,日本人は基本的に戦争が好きな国民だったと思う.
 日本列島における「日本」という国家意識が成立する前の段階では,江戸時代の一時期を除いて,ずっと内戦に明け暮れていた私たちは,戊辰戦争の結果として国家統一を成し遂げると,次に国家レベルでの戦争に手を染めた.その戦争の時代の記念碑が,横須賀港に保存されている記念艦三笠である.
 冒頭に書いたツアーは,横須賀の観光地として最近人気のある猿島を見学したあと,記念艦三笠の船内でいわゆる「海軍カレー」を食べ,そのあと横須賀軍港を一周するクルーズを楽しむという内容である.

 まずツアー当日の朝,京急横須賀中央駅に集合した参加者は三十人だった.
 ベテランっぽい年輩の女性添乗員さんに先導された参加者一同は,記念艦三笠が固定されている三笠公園へと歩き,公園内の三笠桟橋から猿島航路の船に乗った.
 
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猿島遠景
  
 猿島は,米軍横須賀基地の南に隣接する三笠公園の東方約 1.75km の沖合にある無人島で,島の大半は横須賀市が管理している.戦後は米国に接収され,その後暫くは海水浴場として開放されていたが,おそらく観光客による島内の荒廃が著しかったのだろう,平成五年 (1993年) に立入禁止となった.
 その後は国から横須賀市が管理を受託し,島内通路の遊歩道化,弾薬庫と兵舎の施錠などの整備を行って現在に至る.
 この日の猿島見学では,全員を三つの班に分け,一班に一人ずつ「猿島公園専門ガイド協会」の現地ガイドさんが付いた.要塞遺跡のうちで,観光客に開放されているのは,切通,トンネルと砲台跡くらいで,いくつか残存している弾薬庫と兵舎は施錠されており,ガイド同行でない一般観光客は中を見ることができない.個人でも「猿島公園専門ガイド協会」にガイド同行を申し込めるとのことなので,次回ゆっくりと見物するときも現地ガイドさんのお世話になろうと思った.

 猿島は,幕末の1847年に江戸幕府により国内初の台場が築造された島である.その後,明治政府はこの島に要塞を築造し,カノン砲の砲台が設置された.砲の規模については,島内の案内板に「24cm カノン砲四門,27cm カノン砲二門」と記されているが,現物がどこかにあるのか,あるいは散逸 (切断や熔解など) したのかは,資料をネット検索しても不明であった.
 しかし Wikipedia【猿島】には《本施設が実戦に用いられたことはない 》と記述されているから,残っていたとしても戦争資料としての価値はあまりないと考えられる.
 また太平洋戦争末期に,12.7cm 高射砲が設置されたと資料 (「猿島公園専門ガイド協会」作成のリーフレット) にあるが,東京湾岸要塞の高射砲は,東京空襲に飛来する B-29 の飛行高度の半分しか届かず,首都防衛には全く役に立たなかった.
 
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高射砲の砲台跡
 
 そこで B-29 を砲撃可能な高射砲として,現在の東京の井の頭線久我山駅近くに設けられていた久我山高射砲陣地に五式十五糎 (cm) 高射砲が急遽二門製造されて配備されたのであるが,それですら B-29 に対して実際に撃墜戦果があったかどうか疑わしいという.あるサイトに,猿島の《高射砲は終戦まで米軍機に向かって火を吹き続けたという 》とか書いてあるが,何を根拠にしてそう書いているのか.砲弾が届くはずもない B-29 を無駄に砲撃する馬鹿はいない.遥か上空を東京空襲に飛行する B-29 を,要塞の兵員たちは切歯扼腕して見送ったに違いないのである.
 以上を要するに,猿島の要塞は幕末以来,太平洋戦争敗戦に至るまで一度も実戦に参画したことがなかったというのが実際のところであろう.

 ま,上にそんなことを書いてはみたが,観光地猿島の人気は,そんな日本近代の戦史的なことではなく,植物が繁茂したレンガ造りの廃墟の雰囲気なんだろう.アニメ『天空の城ラピュタ』の聖地巡りというわけだ.といっても,私は『天空の城ラピュタ』を一度しか観ておらず,ディスクも持っていないので,猿島の印象が『天空の城ラピュタ』を連想させると聞いても,よくわからない.
 
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人気の撮影スポットだそうである
 
 さてガイドさんの先導で私たちの班が,要塞通路の壁に穿たれた横穴式の兵舎や弾薬庫に入って,まず目に入ったのは,カラフルな多数の落書きであった.
 
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弾薬庫跡
 
 ガイドさんはこれらの落書きについて「終戦後,人々は兵舎の壁に落書きすることで敗戦のウサを晴らそうとしました」と解説したが,そういう落書きだけではないと私は思った.というのは「ヨロシク」と書かれていたからである.「夜露死苦」と当て字で書かなかった理由はわからないが,どうみてもこれは修学旅行の高校生程度の頭の持ち主が書いたものであり,敗戦のウサ晴らしではないだろう.w

 この「猿島公園専門ガイド協会」の現地ガイドさんだが,年齢は私とさして変わらないと思われた.帰りの船が出るまでのトイレ休憩の時に,ガイドさんは若い (大学生くらいの軍事オタクっぽい青年) たちに,昭和二十年 (1945年) 七月十八日の横須賀空襲のことを分厚い資料ファイルを開いて解説した.その資料の中に,その日横須賀軍港に停泊していた戦艦長門を遠くから撮影した写真があったので,私は「死んだ私の父親は長門に乗っていたんですよ」と言った.
 
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戦艦長門 (パブリックドメイン画像)
 
 すると彼は手帳を取り出し,もう少し話を聞かせてください,と言った.何か個人的に思い入れがあるのかも知れないと思った私は,父親の軍歴について簡単に話した.
 それから私たちは,横須賀空襲で沈没を免れた長門の敗戦後の運命について語り合った.
 
 そんなこんなするうちに帰りの船が桟橋について,ツアー一行は三笠公園に戻った.
 
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猿島川の桟橋
 
(続く)

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