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2018年11月12日 (月)

記念艦三笠でカレーを (海軍カレー編 6)

 前回の記事《記念艦三笠でカレーを (海軍カレー編 5) 》の末尾を再掲する.

「海軍カレー」の嘘に関して重要なことは,「筑波」では麦飯 (この麦とは,大麦を砕いて作る挽割麦のこと;今は麦飯といえば押麦と米を混ぜて炊いたものであるが,明治時代に押麦はまだ発明されていなかった) は炊飯されなかった (大麦はそもそも高木兼寛が作成した食糧表にない) ことと,「筑波」に積み込まれた食材の中にカレー粉はなかったという事実である.すなわち横須賀市当局が主張する「〈筑波〉の実験航海で,とろみをつけたカレー風味のシチューが兵食として提供された」は歴史の捏造である.
 また木原洋美や多くのブロガーが,麦飯にカレーをかけた「筑波」の献立が「海軍カレー」の始まりであると書いているが,これまた真っ赤な嘘である.挽割麦もカレー粉も,「筑波」は積んでいなかったのである.

 百科事典 Wikipedia の,情報源としての致命的欠陥は,客観性がないことである.端的に言うと,その百科事典項目に利害関係を有する者が「恣意的な編集=捏造」をすることを,Wikipedia のシステムは阻止できないのだ.
 その一例が Wikipedia【海軍カレー】である.Wikipedia【海軍カレー】の捏造部分を指摘していこう.

日露戦争当時、主に農家出身の兵士たちに、白米を食べさせることとなった海軍の横須賀鎮守府が、調理が手軽で肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事としてカレーライスを採用し、海軍当局が1908年発行の海軍割烹術参考書に掲載(後述)して普及させ、帝国海軍内以外では脚気の解消が、世界中で全くできていない中において、海軍内の脚気の解消に成功した。さらにその後の第一次世界大戦を通じ、その普及に努めた。また、この段階でカレーライスに牛乳が付いたとされる。》 (引用文中の文字の着色は,当ブログの筆者が行った.後述するが,この着色箇所は恥知らずな大嘘である)

 まず最初に《日露戦争当時、主に農家出身の兵士たちに、白米を食べさせることとなった海軍の横須賀鎮守府が、調理が手軽で肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事としてカレーライスを採用し 》が嘘であることを指摘する.どこをどう探しても,《白米を食べさせることとなった海軍の横須賀鎮守府 》を支持する史料はでてこないのだ.
「白米」を白飯の意味で用いるのは,この文章を書いた者の学力が小学生並みであることを示しているが,そういうツッコミはさておき,海軍軍医高木兼寛は,練習艦「筑波」の遠洋航海で行った脚気予防法の実験においては,主食を白飯とパンの併用とした.ところがその後の検討で,航海中は艦内でパンを焼くことができないことと,兵たちがパンを忌避する傾向が強いことからパンを諦め,翌明治十八年には麦飯を兵食とする方針に転換した.
 これ以後,太平洋戦争敗戦に至るまで帝国海軍は,戦時中,太平洋西部に展開した艦船はもちろん,舞鶴,呉,佐世保など国内の各鎮守府も,主食は麦飯であった.横須賀鎮守府だけが《白米を食べさせる》兵食に回帰したという事実はない.
 また《肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事 》という記述は,この箇所の執筆者が栄養にも調理にも無知であることを示している.一飯家庭や大衆食堂のカレーライス自体は,ラーメンと並ぶ栄養バランス崩れまくりの炭水化物偏重食だ.実際には温野菜や鮮度の高い生野菜を副食に追加し,そしてカレーに肉を増やさないと,健康的な食事とは言い難い.
 さらに,私が知る限り《横須賀鎮守府が 》《食事としてカレーライスを採用し 》たことを示す資料はない.このことが事実であるか調査したのは,実は私だけではない (ネット検索すると記事がみつかるので,関心ある向きは検索されたい).そして横須賀鎮守府がカレーを兵食に採用したということを,その記事も否定している.
 私は,ネットだけでなく書籍や論文などの調査・探索に関して,そこそこの自信をもっている者だが,それでも《横須賀鎮守府が 》《食事としてカレーライスを採用し 》たとする資料を見つけることができていない.まず間違いなくこれは,この箇所を執筆した者の 捏造 独自研究 w であり,私の想像では,この箇所の執筆者は横須賀市の関係者である.
 というのは,《横須賀鎮守府が 》《食事としてカレーライスを採用し 》の箇所に出典を示さず (嘘だから出典を示すことはできない) にサラリと流した上で,さらに何食わぬ顔で《海軍当局が1908年発行の海軍割烹術参考書に掲載 》と書いているからである.言うまでもなく《海軍当局 》とは海軍省を指す.しかし中央官庁である海軍省が調理の教科書を発行したのは,十年後の大正七年 (1918年) になってから配付した『海軍主厨厨業教科書』が最初である.『海軍割烹術参考書』は海軍省が作ったものではない.よくまあそんな嘘を思いつくものだと感心する.
 では『海軍割烹術参考書』は誰が出版したか.それこそが,横須賀市当局と横須賀のカレー屋たちが隠しておきたいことなのである.

 海軍の兵食としてカレーライスを記載した初出の資料である『海軍割烹術参考書』は,原本が公立図書館は無論のこと,国会図書館にもないという非常にレアな本である.幾つかの図書館にあるのは,イプシロン出版企画という出版社が十年ほど前に発行した『復刻 海軍割烹術参考書』だ.ただしこの本は書名に「復刻」としてあるが,書名に偽りがある.実は復刻ではなく現代語訳にしたものである.しかもこの本は,古書は入手できるが高価だ.
 ならば本物の『海軍割烹術参考書』はどこにあるか.舞鶴の海上自衛隊第四術科学校が,舞鶴海兵団から継承して保存しているのである.
 そしてこれを底本にして「特定非営利活動法人赤煉瓦倶楽部舞鶴」が現代語訳にした書籍を,実に良心的になことに僅か五百円で頒布している.『海軍割烹術参考書』の実物を見たいのではなく内容を知りたいのであれば,『復刻 海軍割烹術参考書』ではなく赤煉瓦倶楽部舞鶴が発行しているものをお勧めする.(私が持っているのもこれである)
 さあ,横須賀市当局と横須賀のカレー屋たちが隠しておきたい真実を述べよう.海軍兵食としてのカレーライス,すなわち海軍カレーの発祥の地は,横須賀ではなく,舞鶴なのである.

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