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2018年11月17日 (土)

記念艦三笠でカレーを (海軍カレー編 10)

 一昨日の《記念艦三笠でカレーを (海軍カレー編 9) 》には,その前日の記事《記念艦三笠でカレーを (海軍カレー編 8) 》の補遺を書いた.
 今日は元に戻って《(海軍カレー編 8) 》の記事の末尾を再掲する.

次回も食品大企業の公式サイトのあきれた状況について書く.

 さて,再び Wikipedia【カレーライス】に戻り,《年表 》の最初の部分 (明治時代) を見てみよう.

1872年(明治5年)、北海道開拓使東京事務所でホーレス・ケプロン用の食事にライスカレー(当時の表記はタイスカリイ)が提供された。また、同年にカレーライスのレシピを記した本『西洋料理指南』(敬学堂主人)、『西洋料理通』(仮名垣魯文)が出版された。
1873年(明治6年)、大日本帝国陸軍の幼年学校生徒隊食堂の昼食メニューに、ライスカレーが加えられる。
1876年(明治9年)、当時、札幌農学校の教頭として来日していたウィリアム・スミス・クラークが、「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」という寮規則を定める。
1877年(明治10年)、東京の「米津凮月堂」が、初めて日本でライスカレーをメニューに載せる。
1889年(明治22年)、神戸居留地にあるオリエンタルホテルのカレーライスをラドヤード・キップリングが新聞「The Pioneer.」誌上で絶賛する。
1903年(明治36年)、大阪の「今村弥」(現ハチ食品)が、初めて日本でカレー粉を製造販売。
1906年(明治39年)、東京・神田の「一貫堂」が、初の即席カレールウ「カレーライスのタネ」を発売。
1908年(明治41年)、大日本帝国海軍が配布した『海軍割烹術参考書』に、「カレイライス」のレシピが載る。海軍カレーの起こり。
1910年(明治43年)、大日本帝国陸軍が配布した『軍隊料理法』に、「カレー、ライス」のレシピが載る。

 明治五年に《北海道開拓使東京事務所でホーレス・ケプロン用の食事にライスカレー(当時の表記はタイスカリイ)が提供された 》とのことであるが,これは外国人が食べたのであるから,日本のカレーライスのルーツとは無関係な話である.
 しかし《当時の表記はタイスカリイ 》がちょっと気になる.
 江戸でも明治でもそれ以後の時代でも,耳から聞いた音をそのまま片仮名に移すことはよく行われた.例えばヘボン式ローマ字の考案者 James Curtis Hepburn の Hepburn は確かに「ヘボン」であって,これを「ヘップバーン」と発音したら誰のことやらわからない.昔の人の聴覚は正確だったんだなあと感心する.(脚註*)
 とすると,《タイスカリイ 》とは一体何だ.アメリカ英語でもイギリス英語でも「ライスカレー」という言葉はないからである.ホーレス・ケプロンが「ライスカレー」と言った可能性はゼロである.その上,しかも,「タ」と「ラ」では発音が違い過ぎる.従ってこれは何かカレーライスではない他のものだと思われる.
 そこでホーレス・ケプロンが何を食べたかを検索してみたところ,その献立が,北海道立文書館所蔵の『開拓使公文録』に載っていることがわかった.そしてその献立を撮影した画像がネット上のあちこちに散乱している.例えばこれ.  
 その画像を見ると「タイスカレイ」と書かれている.つまり Wikipedia【カレーライス】に《当時の表記はタイスカリイ 》とあるが,この部分の執筆者は『開拓使公文録』の原文を読んでいないことがわかる.原文を調べずにネット記事を孫引きし,そして正確な孫引きならまだしも,「タイスカレイ」を「タイスカリイ」と間違って転記したのがあからさまである.まったくもって話にならぬ.
 さて年表は次に《大日本帝国陸軍の幼年学校生徒隊食堂の昼食メニューに、ライスカレーが加えられる 》とある.
 これが事実なら,これこそは日本のカレーライスのルーツだ.
 そこで,Wikipedia【カレーライス】のこの記述の出典だと記載されている《カレーの日本史 明治時代 - ハウス食品 》を閲覧してみた.すると,そこにあったのは,たった一行の記述であった.
20181117a
 
 この短すぎる記述には,典拠が書かれていない.Wikipedia【カレーライス】を読んだ者が,このハウス食品のウェブページを閲覧しても,これが本当か否か,確かめる術がないのである.よくもまあ Wikipedia【カレーライス】はこんなものを堂々と出典であるとしたものだ.情けなくて涙がでるくらいだ.
 情けないのは Wikipedia だけではない.ハウス食品は食品製造業である.食品製造業というものは,仕入れた原料,例えば小麦粉に関する「201*年の米国産小麦で,これが西海岸○○港から穀物輸送船××丸に積まれて横浜港に輸送され,△△製粉の□□工場で製粉された」などの情報が,消費者から要求されたらたちどころに回答できるようになっている.そのような生産関係情報をトレースする (辿る) システムを有していなければならない.

 ところが,ハウス食品の公式サイトは,カレーライスのルーツに関する情報を,消費者が収集する際のトレーサビリティを途中で遮断している.これは製造業の企業ウェブサイトとしてあるまじき行為である.
 
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(脚註*) 似たような例で「ギヨエテとは俺のことかとゲーテ云い」という文句が知られている.これは斎藤緑雨の言葉であるとされており,Wikipedia【斎藤緑雨】には次のように書かれている.
警語
その常識に捉われない機知は、1903年(明治34年)1月から1903年(明治36年)7月まで萬朝報・読売新聞・二六新報などの新聞に発表された「眼前口頭」をはじめとするアフォリズム集によくあらわれている。
" 按ずるに筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし "
"ギヨエテとは おれのことかと ゲーテ云ひ"

 ところがこれが根拠のない話らしい.東京ゲーテ記念館の公式サイトに,斎藤緑雨の言葉であるという根拠はないと書かれている.ここでも Wikipedia は根拠のない記述をしているわけで,これはもう Wikipedia の体質であり,根本的欠陥だとしていいだろう.

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