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2018年10月13日 (土)

渡世人の飯椀 (一)

 今から五十年以上前の事である.
 後に東京都知事になった青島幸男が,ラジオで一人トークの雑学情報番組を持っていた.
 その放送で青島幸男が語った話だが,江戸時代の渡世人は,振分荷物に飯椀を入れて携行していたという.
 静岡市清水区に,山岡鉄舟ゆかりの「鉄舟寺」という寺があり,この寺には宝物殿といえるほどではないが,歴史関係の資料が展示されている.昭和五十年頃のかなり昔のことであるが,私が鉄舟寺を拝観した時には,展示されていた歴史資料の中に,渡世人が旅をする際に携行していた飯椀の実物があった.それが今も展示されているかどうかはわからないが.
 静岡市清水区は,静岡市に吸収合併される前は清水市といい,東海道一の親分であった清水次郎長の縄張りだったところだから,記憶は定かでないものの,その飯椀は幕末から明治にかけて実際に使われたものだったと思われる.
 なぜ鉄舟寺に渡世人の持ち物が展示されていたかは,山岡鉄舟と清水次郎長の親交によるものだろう.
 で,飯椀のことだが,渡世人が携行していた飯椀は,旅先の土地の親分に仁義を切って泊めてもらうときに使ったのである.
 これは上述の青島幸男の番組でのトークと,鉄舟寺にあった飯椀の展示品説明書とが一致していたので,信憑性が高い.
 街道を堂々と旅をしたのでは身に危険が及ぶ凶状持ちや,ほとんどボロボロな恰好をした乞食渡世人は別として,賭場を渡り歩く普通の渡世人は,日が暮れる前に土地の親分のところに顔を出して挨拶をしなければならない.これが「仁義をきる」ということである.
 先を急ぐときは仁義をきってすぐ立ち去るが,そうでなければ例の「一宿一飯」にあずかる.
 仁義の詳細は略すが,一通りの作法を済ませ,食事をもらう時間になると,御内儀さんが飯櫃を持ってくるので,御内儀さんに持参の飯椀を渡す.すると御内儀さんは飯椀に飯をてんこ盛りにしてくれる.もちろん漬物が付いてくる.
 さてここで問題は,何かおかずが出され,それで飯を食ったのか,ということである.

 江戸庶民の日常食は,朝に白飯を炊いて,味噌汁と漬物がこれに付く.これが「一汁」である.漬物は飯とセットなので「菜」のうちには含まれない.
 昼飯は冷や飯と漬物に,煮物とか焼き魚などを付けて食べる.味噌汁は付けない.つまり「一菜」である.
 夜は屋台で天ぷらとか鮨,蕎麦 (江戸の後期) などのファストフードを小腹に入れる (杉浦日向子さんの考証によると,それらをたくさん食べるのは粋ではないとされていたようだ) か,あるいは長屋に帰ってから,漬物で冷や飯を茶漬けにして食う.「一汁」でも「一菜」でもない,この飯と漬物のセットを呼ぶ言葉はないが,敢えていうなら「一飯」,「一宿一飯」の「一飯」だ.
 某似非「食文化史研究家」や農水省の御用学者たちは「一汁三菜が日本の伝統食である」という大嘘を世間に広めたが,実は,我が国庶民の日常の食事は「一汁一菜」ならいいほうだったのだ.

 さて,中山道や三国街道,東海道などの街道筋で親分の家に草鞋を脱いだ渡世人に,江戸のやり方で食事が提供される場合は,大盛の雑穀一膳飯 (江戸の外では白飯は普及しなかった) と漬物が出されただろう.江戸の流儀の夕飯であるから,おかずも汁もない.江戸流ではなく,北関東など貧しい土地の貧乏な親分のところでは,雑穀の雑炊だけだったかも知れない.私は長いことそう理解していた.
 笹沢佐保の小説を原作にしたテレビ時代劇『木枯らし紋次郎』でも,確かそんなシーンがあったように思う.
 ところが,私が江戸時代の食文化史を勉強している過程で,『江戸やくざ研究』(雄山閣) という妙な古書を入手したのだが,そこには別のことが書かれていた.
(続く)

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