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2018年10月 6日 (土)

竹崎季長の真情

 昔からNHKは,歴史的事件に材を取った番組が十八番である.現在,水曜日に放送されている『歴史秘話ヒストリア』の前身のような番組『その時歴史が動いた』は,気合の入った番組として知られていて,Wikipedia【その時歴史が動いた】には,
 
番組の再現映像が教育テレビの学校放送で使用されたりもした。さらに毎回ではないものの、歴史上名高い建築物や戦場・場面(安土城、ミッドウェー海戦など)を質の高いCGで再現した。
 
NHKが2006年に公開した「ジャンル別番組制作費」によると、同番組の制作費は1回につき1,650万円掛かる。
 
と書かれている.
 
 先月 (9/19) 放送された《歴史秘話ヒストリア 蒙古襲来の真実 鎌倉武士 最強の秘密 》の中に蒙古の軍勢が描かれている場面があり,その一部をテレビ画面撮影してトリミングしたものを下に掲載する.
 
20181006a
 
 この中央部分の一部を拡大した画像が下のもの.

20181006b
 
 これは,どこかからもってきた実写の資料映像なのか,それともCGなのかがよくわからない.
 ネット上に掲載されている現存のモウコノウマ (蒙古野馬;絶滅種) の画像と比較すると,頭部がかなり小さく,脚も細い.またも口の部分も白くないところが異なっているので,上に掲載した蒙古兵が騎乗している画像は,サラブレッドなどを基にして描かれたCGであるように私には思われるのだが,本当はどうなんだろう.ここに描かれた蒙古兵が持っている刀も,ネット上にある蒙古の刀と比較すると少々刃渡りが長すぎるように思う.
 しかし仮にこれがCGだとすると,刀剣のことは別として,下に挙げた絵画史料に描かれた元寇当時のモンゴル産馬 (モウコウマ=蒙古馬;ポニーに分類される小型馬であり,日本産馬の原種) の体格はよく表現していると思われる.
 
20181006d
(Wikipedia【モウコウマ】から引用;パブリックドメイン画像である)
 
 さて,歴史秘話ヒストリア 蒙古襲来の真実 鎌倉武士 最強の秘密 》は,「蒙古襲来」に関して最近の研究成果をいくつか紹介した.その一つに,肥後国の御家人竹崎季長が元寇における自分の戦いを描かせた蒙古襲来絵詞が,何のために描かれたのか,ということがあった.
 Wikipedia【竹崎季長】には次のように書かれている.
 
弘安4年(1281年)、第二次侵攻である弘安の役では、肥後国守護代・安達盛宗(泰盛の子)の指揮下において、志賀島の戦いや御厨海上合戦で敵の軍船に斬り込み、元兵の首を取る等の活躍をして軍功を挙げ、多大な恩賞を与えられた。戦後の永仁元年(1293年)には元寇における自らの武功や鎌倉へ赴く事情などを中心に『蒙古襲来絵詞』(竹崎季長絵詞)を描かせ、甲佐大明神へ奉納した。このとき季長に恩賞の便宜を取り計らった泰盛や景資らは、弘安8年(1285年)の霜月騒動で滅びており、恩義のある彼らへの鎮魂の意味があると考えられている。》 (下線は当ブログの筆者が付した)
 
 しかし番組では,蒙古襲来絵詞は,文永の役と弘安の役で竹崎季長を指揮した少弐景資と安達盛宗への恩義に基づく鎮魂ではなく,竹崎季長と共に蒙古の襲来を迎え撃った「戦友」であるその他多くの御家人たちへの鎮魂であったとした.

 鎌倉武士の行動原理は「御恩と奉公」(主従関係) であるとされる.しかし,季長が蒙古襲来絵詞を甲佐大明神へ奉納したのは,今は滅んだかつての主たちへの奉公だけではなく,同じく既に世を去った戦友たちへの鎮魂だったとする見解も理解できる.果たして竹崎季長の真情はどちらであったのか,私は戦友鎮魂説の肩を持ちたい気がする.

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