« 小言幸兵衛の映画音楽 | トップページ | 君もコクリコ われもコクリコ »

2018年10月29日 (月)

宝塚歌劇団のこと

 大衆音楽史はおもしろい.
『歌う国民 唱歌、校歌、うたごえ』(中公新書,2010年) の Kindle 版を読んでいたら,次のような記述があった.(位置 No.535)

帝劇歌劇部が1912年に上演した《熊野》の舞台。謡曲をベースにした日本物オペラの嚆矢となる作だったが、不評だった。小林一三も観劇しており、これをヒントに宝塚少女歌劇が生み出された。

 上の既述は舞台写真のキャプションであるが,写真の出処は『帝劇の五十年』(東宝が出版した書籍で,古書が流通している.国会図書館等で閲覧可能) である.
 帝劇で上演された日本のオペラ「熊野」が宝塚少女歌劇のヒントであったというのは初耳であった.Wikipedia【小林一三】には《三越の少年音楽隊を模して 》とあり,Wikipedia【宝塚歌劇団】にも《三越少年音楽隊や白木屋少女音楽隊に想を得て 》と書かれていて,帝劇で上演された「熊野」のことは記載がない.
 そこでさらに調べを進めると,小林一三の生まれ故郷である韮崎市の公式サイトに《小林一三翁生誕140周年記念特集 小林一三ものがたり 》と題したコンテンツが見つかった.その一部を下に引用する.

《◆宝塚少女歌劇の設立―「清く、正しく、美しく」
 ある日一三は、東京の帝国劇場で歌劇『熊野』を見ました。それを少女にさせたらどうだろうかと考え、世界のどこにもない女性だけの劇団と歌劇の学校をつくり、先生として東京から作曲家の安藤弘・ちゑ子夫妻を招きました。

 宝塚歌劇団が生まれるヒントに二説が存在するようだ.いずれが正しいかもう少し調べてみることにした.
 そこで古書の阪田寛夫『わが小林一三 清く正しく美しく』(河出文庫,1983年) を注文した.この本に,宝塚歌劇団創設に関する資料が書かれている可能性が高い.著者の阪田寛夫は小説家で,女優で宝塚歌劇団の元花組男役トップスター大浦みずきの父である.
 小林一三の自伝『逸翁自叙伝 阪急創業者・小林一三の回想』(講談社学術文庫,1991年) は宝塚歌劇団創設よりも前のことが主に書かれているらしいので,これは古書を買わずに図書館の蔵書を探すことにする.

|

« 小言幸兵衛の映画音楽 | トップページ | 君もコクリコ われもコクリコ »

続・晴耕雨読」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 宝塚歌劇団のこと:

« 小言幸兵衛の映画音楽 | トップページ | 君もコクリコ われもコクリコ »