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2018年10月19日 (金)

インチキ寺田屋

 昨日の記事に寺田屋事件のことを書いた.その補遺を少し.

 私が京都伏見の旅館「寺田屋」に行ってみたのは昭和五十年代のことだった.その当時は,「寺田屋」は坂本龍馬が襲撃された寺田屋事件の現場であると世間の人たちは信じていた.「寺田屋」がそう宣伝していたので,私もそう信じていた.
 ところが次第に色々と辻褄の合わないことが判明したため,平成二十年 (2008年) に京都市は調査を行い,公式に「寺田屋」が偽物であることを認めた.龍馬が襲撃された寺田屋は鳥羽伏見の戦いで焼失したのである.そこで元々の建屋があった場所の隣に,寺田屋の経営者が旅館を再建し,この新しい「寺田屋」が寺田屋事件の現場であるかの如き虚偽の宣伝を行ったのである.
 昔,私が見学したときも,いかにもそれらしく粉飾されていて,簡単に騙されたのがまことに腹立たしい.この件について,Wikipedia【寺田屋事件】から少し引用する.
 
現在の寺田屋
現在寺田屋を称する建物(同一敷地内)には、事件当時の「弾痕」「刀傷」と称するものや「お龍が入っていた風呂」なるものがあり、当時そのままの建物であるかのような説明がされている。しかしながら、現在の寺田屋の建物は明治38年(1905年)に登記されており、特に湯殿がある部分は明治41年(1908年。お龍はその2年前に病没)に増築登記がなされているなどの点から、専門家の間では以前から再建説が強かった。平成20年(2008年)になって複数のメディアでこの点が取り上げられ、京都市は当時の記録等を調査し、同年9月24日に幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の京都市伏見区南浜町263番地にある建物は後の時代に当時の敷地の西隣に建てられたものであると公式に結論した。
京都市歴史資料館のウェブサイトにある「いしぶみデータベース」では、「寺田屋は鳥羽伏見の戦に罹災し、現在の建物はその後再建したものである。」と紹介している。
大正年間に現在の寺田屋の土地・建物は幕末当時の主人である寺田家の所有ではなくなっており、のちに経営そのものも跡継ぎのなくなった寺田家から離れている。この「寺田屋」は昭和30年代に「第14代寺田屋伊助」を自称する人物が営業を始めたものであり、「第14代寺田屋伊助」自身、寺田家とは全く関係はない。
》 (文字の着色は当ブログ筆者による)
 
 この「寺田屋」がインチキであることは今ではかなり知られているが,腹の立つことに,今なおインチキ「寺田屋」は「お龍さんは裸だった」という嘘を流し続けている.そして「寺田屋」を見物したブロガーたちはこれに騙されて,「お龍さんは裸で風呂場を飛び出した」との誤情報を拡散し続けている.
「寺田屋」が風呂を増築し,これを「お龍が入っていた風呂」としたのは明治三十八年だとのことだから,この嘘の出所は「寺田屋」かも知れない.お龍さんが亡くなったあとになって風呂を作り,虚偽の宣伝を開始するあたり,元々の寺田屋の経営者はかなり悪質なペテン師であったし,それを引き継いで世間を騙し続けている現在の経営者も相当なワルである.京都市は,このインチキ「寺田屋」を放置してネット上で笑いものになっているのだから,法的な処置をとれぬものか,考えるべきだろう.「寺田屋」は京都の恥である.
 
 余談だが,司馬遼太郎は歴史家ではないから,かなり簡単に偽書,似非史料にだまされており,司馬ファンは,そのあたりを気を付けて読む必要がある.とはいうものの,司馬遼太郎には,小説家でありながら「司馬史観」と呼ばれる程の思想があったことは間違いない.その司馬遼太郎に比較して,無思想にして無節操な半藤一利や出口治明が書くインチキ「歴史」漫談が売れているのは,まことに残念無念である.

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