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2018年10月 3日 (水)

皆で日本を守るのだ!

 体調ならびに多忙等諸般の事情でブログ更新が滞っていたが,復調しつつあるので,少しずつ書いていきたいと思う.
 まずは昨日のテレビ番組から.
 昨日 (10/3) 放送されたテレビ東京《なぜ、あの歴史は消えたのか?【鑑定団の今田&福澤が歴史の新常識に迫る】 》は,半年前にも放送された特番の続編だ.内容的には,知っている人は知っているぞという話題ばかりで,特に新味はなかったものの,まあまあ面白かった.
 特に女癖が最低な男であった勝海舟の妻の民子について,これまでは Wikipedia【勝海舟】にあるように

妾とその子と同居であったが、正妻・民子は異腹の9人の子供を分け隔てなく可愛がり、屋敷の人々から「おたみさま」と呼ばれて慕われた。だが民子は遺言で「勝のそばに埋めてくださるな。わたしは小鹿のそばがいい」と言い残したが、遺言の希望は聞き入れられず養子の精の一存で海舟の隣に葬られてしまった。》 (ブログ筆者註;小鹿は早世した長男である)

とされていた.しかし実は,民子は遺言通り一旦は青山墓地に埋葬されたのだが,洗足池公園内にある海舟の墓の隣にあとで移されてしまったのだという.これは初耳だった.
 だが改めて調べてみたら,大田区の公式サイトに,このことはちゃんと記載 (↓) されていた.テレビのエンタメ番組に教えられたわけで,これは勉強になった.

勝海舟(1823年から1899年)は、官軍のおかれた池上本門寺に赴く途中、洗足池畔に憩い、風景にうたれ、その縁でここに別荘を構えました。後に海舟の遺言で、屋敷裏の台地に葬られたと伝えられます。妻である民子の墓は、後に青山墓地から移設されました。区指定文化財。

 海舟の仕打ちに耐える一生であった民子は,夫と同じ墓に入りたくないという現代日本の妻たちの先駆者であった.しかるに今は遺志に反して勝の隣に眠っている.さぞや草葉の陰で無念の思いでいることであろう.

 この番組はそつなく作られてはいたが,ただ一点,苦言を呈しておきたいことがある.
 それは,安政元年 (1854年) 正月にペリー艦隊が再来した際に,ペリーとの交渉役に幕府から任命された林復斎が,再現ドラマに登場する場面である.
 下の画像を見て頂きたい.

20181003a
立っているのが林復斎

20181003b
「憶することは無い!」が邪魔であるが,復斎が立っているのは…

20181003c
敷居の上である.w
 
 このシーン,三人揃いも揃ってこんな時代考証無視の演技をする役者たちも役者たちだが,編集段階で制作スタッフの誰も
気が付かなかったのか.
「皆で日本を守るのだ! 敷居を踏まずにな!」 ww

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