江戸,東京の味 (了)
民放の雑学番組とは異なり,NHK『チコちゃんに叱られる!』では,クイズの回答に必ず一言,「諸説あります」という断りがなされる.当然だ.
ところが今回の永山久夫監修の「関東の味付けが濃いのはなぜ?」では,「諸説あります」だけでなく,特別に《ご紹介したのは、監修してくださった専門家の見解です》という言い訳が付け加えられた.
想像するに,おそらく,NHK局内の時代考証担当職員あるいは局外の時代考証専門家と,永山久夫の主張が大きく乖離していたのではないか.
特に今回の『チコちゃんに叱られる!』では,「江戸の生活排水による海域汚染で江戸前の魚がおいしく育った」という永山の主張は酷い.既に述べたように,これは事実無根であり反社会的である.
この点は,NHKは《監修してくださった専門家の見解です》などとするだけで責任回避ができようはずがない.本来なら謝罪レベルの誤りである.これはNHKが流した誤情報の黒歴史としてここに記録しておきたい.
さて,今回の『チコちゃんに叱られる!』だけでなく,これまでも農水省の走狗として「和食=一汁三菜は日本古来の伝統食」などの大嘘を宣伝してきた永山久夫であるが,江戸の味について,そのデタラメぶりを批判するだけでは片手落ちだ.常識的な見解を紹介しよう.
かつて東京に住んだ食通作家たちが,東京のうまい食い物について書いた随筆は数多い.それらの作品や,江戸学とでもいうか,江戸の風俗に詳しかった故杉浦日向子の一連の著作に書かれているように,江戸,東京の味を一言で言えば「甘辛」であり,これに異を唱えるひとはまずいないだろう.
甘辛い江戸・東京の味付けは,何といっても煮魚だろう.
濃口醤油,砂糖,酒,味醂で煮付けるおかずは,江戸時代中期の煮売り屋 (惣菜屋) に始まる伝統の味だ.杉浦日向子より少し遅れて世に出た宮部みゆきも時代考証が確かであるが,彼女の作品に煮売り屋はよく登場している.長屋に暮らす下層庶民の調理道具は七輪と鍋くらいしかなく,まな板や包丁を持たない彼らは,煮売り屋から飯のおかずを買って食事にしていたのだ.
永山久夫は,江戸時代初期の工事に集められた土方たちが食べた味の濃いおかずである佃煮 (実は江戸初期には存在しなかった) と大根の塩漬けの二つと,江戸前鮨を「濃い味文化」である (事実は,江戸前鮨は「濃い味」ではないが) と述べたが,実は江戸時代中期以後の町人たちが好んだ甘辛い煮魚や煮豆,きんぴら牛蒡,ひじき煮等々,今もある多くの日常の惣菜こそが,江戸の濃い味の代表なのである.

親子丼や玉子丼も,天丼と同じ甘辛.


これ↑は鮪のカマを醤油だれに漬けてから焼いたもの.
江戸から明治,大正,昭和と,時代は変わっても日常のおかずは,すべて醤油と砂糖で味付けるのが東京の伝統なのである.↓

カツ煮↑
さて,何でも醤油と砂糖で茶色く甘辛く煮たり焼いたりするのが東京の味だが,私のように東京の外の関東の人間は,いまだに東京風の甘辛い味に慣れない.
生粋の江戸っ子はどんどん減って,東京の人口のほとんどは地方出身者であるという.それなのに,大衆食堂に限って言えば,いまだに江戸風,東京風の味が廃れないのは,考えてみればなかなか面白い現象である.家庭ではみんな健康のために減塩と低糖質につとめて,薄味の食事をしていると思うが.
(了)
[参考図書]
有薗正一郎『近世庶民の日常食』(海青社)
杉浦日向子『杉浦日向子の江戸塾』(PHP文庫)
杉浦日向子 『杉浦日向子の江戸塾 笑いと遊びの巻』(PHP文庫)
杉浦日向子 『杉浦日向子の江戸塾 特別編』(PHP研究所)
山田順子『江戸グルメ誕生』(講談社)
山本博文『学校では習わない江戸時代』(新潮文庫)
菅野俊輔監修『別冊宝島 江戸城 天下普請の謎』(宝島社)
(本記事中のテレビ画面は,録画データの加工ではなく,テレビ画面を撮影してトリミングしたものである.またこの連載は,私のブログでは日常茶飯事だが,アップしたあと数日のあいだ,何度か加筆推敲する)
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