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2018年9月 3日 (月)

江戸,東京の味 (四)

 永山久夫という人は,思い付きを書くばかりで,史料を示したことがない.
 今回の『チコちゃんに叱られる!』でも,根拠を示すことなく,絶好調の永山節を歌い始める.

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 そもそも出題されたクイズは,上の画像に書かれているような実にアバウトなもので,関東とはどこなのかが先ずわからない.東京のように経済的に豊かな土地では調味料をふんだんに使うが,群馬のように昔は貧しかった土地ではそんなことはしなかった.関東にも色々あるのだ.
 また,このクイズは,家庭料理のことを言っているのか,料理店の味付けのことなのか.それもわからない.江戸前寿司は,別に「味も色も濃」くはないぞ.w
 色が薄い (淡い) と濃いのは容易に肉眼で比較できるが,「味が薄い」とはどのような意味なのか不明である.このクイズで漠然と「味」といっているのは,科学的な五味 (五原味) のことではないようだ.ようするに『秘密のケンミンショー』レベルの雑学なのだろう.しかし雑学クイズだとしても,嘘はいけない.
 
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 前回の記事で書いたように,この嘘吐き男は,徳川家康の江戸城再建工事と,三代将軍家光の時代まで続いた天下普請=江戸城拡張工事を一緒くたにしているので,話が支離滅裂なのだが,我慢して講釈の続きを聞いてみよう.

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 用語の定義をしないのは嘘吐きの常套手段だ.言うまでもなく「労働者」というのは近代的な概念であり,江戸時代に「労働者」がいたわけがない.そこを敢えて好意的な解釈をするとして,永山が言う「労働者」は土木建設作業に駆り出された農民を指しているのだろうが,「労働者の主食は玄米」というのが根拠のないデタラメなのである.
 実は日本の食文化史上,玄米が主食になったことはないとするのが定説なのである.明治時代に玄米食を提唱した宗教的思想家 (石塚左玄) 人間がいたが,全くはやらなかった.現在でも「玄米は体にいい」として玄米を食べる人がいるが,その「玄米」は近代的農業機械 (精米機) が普及して初めて作られるようになったものである.それ以前は杵と臼で搗精していたから,籾から籾殻を外すときに既に糠層が少し削り取られて,一分搗きの状態になるのだ.
 ここで米穀の専門家の見解を紹介しておこう.米穀安定供給確保支援機構のコンテンツ「お米・ごはん食データベース」に次の記述がある.

 
米は縄文時代後期から栽培されはじめ、弥生時代には一部の地域で主食としての地位を築き奈良時代には常食とされるようになっていました。そのことを示す木簡(木片に墨で書かれた荷札や役所間の請求書)が都跡から出土しています。玄米をついて精白し、白米と書き「しらげのよね」と呼びました。白米は身分の高い人びとが食べ、庶民はもっぱら黒米とよばれた精白度の低いウルチ米を食べ、アワやヒエに混ぜることもあったようです。玄米は食べていません。江戸時代に入ると黒米は玄米をさすようになりますが、これを飯に炊いて食べた記録は少なく、食べるためには白米より薪を多く使わなければならなかったからです》 (下線はこのブログ筆者が付した) 
 
 ほかの農業関係団体の公式サイトを検索しても,「玄米が食べられたことはない」とする定説が支持されている
 また有薗正一郎氏 (愛知大学文学部教授) の『近世庶民の日常食』(海青社,2007年) に示されている詳細な研究によれば,近世の農民は五分搗きの米を炊いて食べていたようである.食べていた量は,一日に五合弱であった.これはきちんと史料に基づいて計算された数字で,信用できる.ところが,我らが永山久夫は,ここで突拍子もない独自研究=嘘を炸裂させた.
 
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 徳川家康が行った土木工事に従事した「労働者」が,一日に食べた玄米の量は一升だと永山久夫はいうのだ.
 私はこの画面を見て爆笑した.番組に出演したゲスト回答者の長嶋一茂も,思わず「そんなに食えるのかよー!」と笑った.
 食えるわけがないのである.これが白米ならば,ギャル曽根は食べるかも知れないが,玄米は彼女でも無理だ.消化の悪い玄米を一日に一升も食べたら,消化不良で体をこわす.w
 有薗正一郎氏が解析検討した江戸時代の史料に基づけば,きつい肉体労働に従事していた農民でも,一日に食べていたのは五分搗きの米を五合程度であった.どこから「労働者は一日一升の玄米を食う」という話がでてきたのか,史料を出せと言いたい.
(続く)

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