江戸,東京の味 (四)
永山久夫という人は,思い付きを書くばかりで,史料を示したことがない.
今回の『チコちゃんに叱られる!』でも,根拠を示すことなく,絶好調の永山節を歌い始める.
そもそも出題されたクイズは,上の画像に書かれているような実にアバウトなもので,関東とはどこなのかが先ずわからない.東京のように経済的に豊かな土地では調味料をふんだんに使うが,群馬のように昔は貧しかった土地ではそんなことはしなかった.関東にも色々あるのだ.
また,このクイズは,家庭料理のことを言っているのか,料理店の味付けのことなのか.それもわからない.江戸前寿司は,別に「味も色も濃」くはないぞ.w
色が薄い (淡い) と濃いのは容易に肉眼で比較できるが,「味が薄い」とはどのような意味なのか不明である.このクイズで漠然と「味」といっているのは,科学的な五味 (五原味) のことではないようだ.ようするに『秘密のケンミンショー』レベルの雑学なのだろう.しかし雑学クイズだとしても,嘘はいけない.
前回の記事で書いたように,この嘘吐き男は,徳川家康の江戸城再建工事と,三代将軍家光の時代まで続いた天下普請=江戸城拡張工事を一緒くたにしているので,話が支離滅裂なのだが,我慢して講釈の続きを聞いてみよう.
用語の定義をしないのは嘘吐きの常套手段だ.言うまでもなく「労働者」というのは近代的な概念であり,江戸時代に「労働者」がいたわけがない.そこを敢えて好意的な解釈をするとして,永山が言う「労働者」は土木建設作業に駆り出された農民を指しているのだろうが,「労働者の主食は玄米」というのが根拠のないデタラメなのである.
実は日本の食文化史上,玄米が主食になったことはないとするのが定説なのである.明治時代に玄米食を提唱した宗教的思想家 (石塚左玄) 人間がいたが,全くはやらなかった.現在でも「玄米は体にいい」として玄米を食べる人がいるが,その「玄米」は近代的農業機械 (精米機) が普及して初めて作られるようになったものである.それ以前は杵と臼で搗精していたから,籾から籾殻を外すときに既に糠層が少し削り取られて,一分搗きの状態になるのだ.
ここで米穀の専門家の見解を紹介しておこう.米穀安定供給確保支援機構のコンテンツ「お米・ごはん食データベース」に次の記述がある.
ほかの農業関係団体の公式サイトを検索しても,「玄米が食べられたことはない」とする定説が支持されている.
また有薗正一郎氏 (愛知大学文学部教授) の『近世庶民の日常食』(海青社,2007年) に示されている詳細な研究によれば,近世の農民は五分搗きの米を炊いて食べていたようである.食べていた量は,一日に五合弱であった.これはきちんと史料に基づいて計算された数字で,信用できる.ところが,我らが永山久夫は,ここで突拍子もない独自研究=嘘を炸裂させた.

徳川家康が行った土木工事に従事した「労働者」が,一日に食べた玄米の量は一升だと永山久夫はいうのだ.
私はこの画面を見て爆笑した.番組に出演したゲスト回答者の長嶋一茂も,思わず「そんなに食えるのかよー!」と笑った.
食えるわけがないのである.これが白米ならば,ギャル曽根は食べるかも知れないが,玄米は彼女でも無理だ.消化の悪い玄米を一日に一升も食べたら,消化不良で体をこわす.w
有薗正一郎氏が解析検討した江戸時代の史料に基づけば,きつい肉体労働に従事していた農民でも,一日に食べていたのは五分搗きの米を五合程度であった.どこから「労働者は一日一升の玄米を食う」という話がでてきたのか,史料を出せと言いたい.
(続く)
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