江戸,東京の味 (二)
先々週金曜日に放送されたNHK『チコちゃんに叱られる!』で,「なぜ関東の味は関西よりも濃い?」という出題がなされた.
ゲスト回答者の長嶋一茂は「関西は素材の味を大事にする.関東は味付けのセンスが悪いから」と答えた.さすがに育ちがよい人はちがう.この答えは正解にしていいと思うが,このクイズの監修をした自称食文化研究家の永山久夫は一茂説を否定し,正解として独自研究の珍説「関東の味が濃いのは家康のせい」を堂々と開陳したのである.
この日の放送のおかげで,永山久夫の独自研究=嘘が,もうネット上に流布拡大されてしまっている.まことに困ったことである.
NHKに対して私のブログなんぞ蟷螂之斧ではあるが,やらぬよりはマシだ.永山久夫の嘘に反論,訂正して行こう.
(1.) 番組では先ずナレーションで「徳川家康は現在の静岡県中部にあたる三河の国を治めていた」と語られた.
ここでもう,中学生もあっと驚く嘘デタラメのパレード開始だ.w
三河が現在の愛知県東部であることは常識だ.現在の静岡県中部は駿河である.永山久夫は,恥ずかしげもなく,よくこんなことを言えるものだ.
永山久夫の嘘を指摘するために,少し詳しく書く.
家康は,織田信長に仕えていた時代の永禄九年 (1566年),今川氏の領地であった東三河,奥三河を奪取平定して三河国を統一した.続いて今川氏真の掛川城を攻囲してこれをを降し,三河の岡崎から遠江国 (現在の静岡県西部に相当) の曳馬に移ると,ここを浜松と改名し,浜松城を築いてこれを本城 (領地支配の拠点) とした.
その後の家康は,紆余曲折の末に武田氏との抗争に勝利し,この戦功により信長から駿河国を与えられたのであるが,信長が本能寺の変で倒れた後,家康は豊臣の家臣となるわけである.
天正十四年 (1586年),家康は長年にわたって拠点としてきた遠江国の浜松城から,隣国駿河の駿府城 (現在も静岡市内に城址がある) に移った.
ところが天正十八年 (1590年),北条氏を攻めて降したあと,秀吉の命により,駿河国・遠江国・三河国・甲斐国・信濃国の五ヶ国を召し上げられ,代わりに北条氏の旧領である武蔵国・伊豆国・相模国・上野国・上総国・下総国・下野国の一部・常陸国の一部の関八州に移封された.
極く簡単に書くと以上の事情であるが,それを事もあろうに史実を無視して永山久夫は《徳川家康は現在の静岡県中部にあたる三河の国を治めていた 》と解説したのである.この永山久夫という人物は以前からデタラメを吹き放題して世渡りしているほんとにもう不愉快な男なのであるが,天下のNHKが何ゆえに,かようにいかがわしい人物に番組の監修を依頼したのか理解に苦しむ.
NHKは,大河ドラマの関係からか,時代考証を専門に担当する職員がいる.その職員は,『チコちゃんに叱られる!』の監修を永山久夫がすると知って青ざめたのではなかろうか.それくらい,永山久夫という人物はトンデモな人なのである.
(続く)
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