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2018年8月29日 (水)

母子草 (十七)

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* 前回の記事は《母子草 (十六)
 
 小川未明ら,戦前から既に名声を得ていた童話作家たち,あるいは彼らと同世代である藤澤衞彦教授らの作品を読んでみた正直な感想は,この作家たちは現実の子どもたちと一緒に遊んだりして触れ合ったことがないのではないか,ということである.
 彼らの作品は,書斎の中で子どもたちの親に対して,あたかも「こういう美しく正しい童話を貴君の子らに読み与えたまえ」とでも言うような「上から目線」で書かれているのだ.そして童話作家業界は,彼らの稚拙な作品,例えば未明の「赤い蝋燭と人魚」を褒め上げ,明治文壇からの落ちこぼれである小川未明 (未明が童話に専念したのは,Wikipedia【小川未明】によれば《一説には師の逍遥から小説家としての限界を指摘されたからとも言われる 》) を担いで一種のギルドを形成した.戦前は左翼のフリをしていた未明が,戦争が始まるや掌を返して戦争協力の旗を振り,戦後になったら身を翻して民主主義を標榜するという恥知らずぶりをさらけ出しても,幇間作家たちは再び未明を担いでギルドの存続を図ったのである.この思想的節操のない童話作家ギルドの徒弟たちの中には,戦後になって入党した日本共産党員もいたというから驚きである.(山中恒の指摘による)
 しかし戦後に登場した鳥越信古田足日らは,未明ら戦前派作家たちの作品を,作品論として否定し去った.また山中恒ら少数の人々は,戦争協力者小川未明の人間性までも批判するに至り,ここに未明神話は崩壊した.
 また石井桃子ら戦後の児童文学者たちは,共著『子どもと文学』(福音館書店,1967年初版) の中で童話作家批評と児童文学論を展開し,優れた童話作家として宮沢賢治と新美南吉を挙げ,これと対比する形で,児童文学界の三種の神器とまで賞賛されていた小川未明,浜田広介,坪田譲治の三人を批判している.また同書において,児童文学者,翻訳家として活躍した渡辺茂男は,童話で大切なことは,子どもたちにわかりやすいことであるとし,その手本は昔話であると述べたあと,次のように書いている.
 
では、子どもの文学として、これほどたいせつな、基本的な要素をふくんでいると見られる昔話について、もう少しくわしく考えてみましょう。
 昔話では、一口にいえば、モノレール (単軌条) を走る電車のように、一本の線の上を話の筋が運ばれていきます。大人の小説でよく使われる回想形式とか、あるいは、物思いにふけるとか、つまり、一本のレールから話の筋がはずれて、あちらこちらをぶらりぶらりすることがありません。もちろん、モノレールの電車でも、山を越え、トンネルをくぐるように、昔話の中でも、話の道筋に起伏はあります。このモノレールは、一つの話の中の、時の流れと考えればよいでしょう。時の流れに沿って出来事が連続していて、一つの出来事と次の出来事との間に、もとにもどって読み返しを必要とする複雑さもありません。なぜなら、昔話は、口伝えに語られたからです。一人の聞き手が「じいさんや、いまんとこ、ちっともどって話してくれや」といえば、話し手も他の聞き手も興をそがれてしまいます。むずかしい文学作品を読む場合に、読者は、話が混線してくると、数行なり数ページなりあとにもどって、混線した糸をほぐすことができますが、耳で聞いた昔話では、それができませんでした。それゆえに幼い子どもにもわかる、はっきりした形式になったのです。

 
 この記事の読者の便宜のために,この記事の末尾に藤澤衞彦作「母子草」全文を掲載し,以下,その中から適宜引用する.
 まず,上に述べた渡辺茂男の童話作法は,現在の私たちには「なるほど」と納得できることであるが,渡辺茂男が本書『子どもと文学』でそれを強調しなければならなかった理由は,《幼い子どもにもわかる、はっきりした形式 》を守らない作家がいたということだろう.
 その観点で藤澤衞彦作「母子草」を読んでみると,まさに《大人の小説でよく使われる回想形式とか、あるいは、物思いにふける 》という形になっている.
 この話は,時代もどこの土地の話であるかも語られずに,いきなり冒頭で《湖のほとりに立って 》いる主人公「小雪」の「物思い」から始まる.小雪がなぜ年期奉公に出ているかのもわからない.
 続いて母親の回想で,ようやく小雪が,母親の眼病の薬を買うために年期奉公に出たことが語られる.
 そのあとずっと,どこかわからぬ湖のほとりの話 (村か町なのかもわからない) が進行するのだが,それで押し通すのかと思っていると,《はるばると廣い大きな近江の湖 》とあり,これが琵琶湖のほとりであることが判明する.
 こうしてみると,藤澤衞彦作「母子草」は,親が幼い子どもに話して聞かせることを全く想定していないことが明らかである.果たしてこれを童話と呼んでいいのか,疑問が湧く.
 これは,次の諸点についても言える.
(1) 「他國」を「よそぐに」と読ませるのはいかがなものか.童話なら,漢字を用いてルビをふったりせず,単に「よそのくに」でいいではないか.
(2) 「悲しい湖」とした意図が不明である.いかにも文学的にひねくった余計な修辞である.
(3) 「湖のお國です」も同様.近江の別称は確かに「湖国」であるが,これは大人でも知らない人は多いだろう.
(4) 「『ふるさとこいし、母こいし。』小雪は、うたって泣きました。」と原文にあるが,インド映画でもあるまいに,なぜここで小雪は唐突に歌うのか.泣くだけでどうしていけないのか.その歌はどんなメロディなのか.子どもに話して聞かせる親は「ふるさとこいし,母こいし」をどのように歌っていいか困るではないか.
(続く)
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「母子草」全文
底本:『日本傳承童話集 第二集 母子草』(雄鳳堂揺籃社,昭和二十四年七月三十日発行初版第一刷)
 小雪は、いつものように、湖のほとりに立って、はるかむこう岸をじっとみつめているのでした。
『おなつかしいお母さま。お母さまは、いまごろ、どうしておいでやら。さぞ、ご不自由でございましょう。小雪の年期 (やとわれて働くことを約束した年數) も、あと三年ですみます。それまではお母さま、どうかおたっしゃにおくらしください。』
 毎日毎日、小雪は、ふるさとのお母さまにむかって、おわびするのでありました。
 人の一心の、なんで通じないことがありましょう。ふるさとでは、小雪のお母さまも、
『小雪、小雪、私のかわいい小雪よ、どうかたっしゃでいておくれ。せっかくお前がご奉公に出てまでととのえてくれたお藥も、どうしたことか、ききめがあらわれず、私はめくらになってしまったけれど、私はお前の美しい心がよく見えます。神さま、どうか、小雪の身の上がしあわせでありますように。』
 やさしい小雪のお母さまも、毎日いくたびか湖とわが家のあいだをいききしては、小雪のいる他國 [ルビ=よそぐに] はあの方角かと見えぬ目でのぞんでは、涙をながしておりました。今まで三年のあいだに、こうしてながしたお母さまの涙は、まあどのくらいだったでしょう。それにもおとらない小雪の涙は、きょうもまた湖のほとりに来て、とめどもなくながされるのでした。
 はるばると廣い大きな近江の湖、その湖の上には、きらきらと美しい太陽の光が波にてりはえて、なんともいわれぬ美しいながめでしたが、小雪には、やっぱり悲しい湖でありました。
 いつものように、草かりかごをそこへおろすと、小雪は、じっとふるさとの方をながめて、
『お母さま、きょうは私の身の上に悲しいことが起こりました。あと三年でお母さまにおあいできると、指おりかぞえて待っておりましたのに、きけば、ここでは、その年期が約束通り守られないらしいのです。きょう、七年たったお友だちが、なんとかりくつをつけられて、また三年のびました。私も三年たったら、うまくお母さまのもとへかえれるかどうか、あやしく思われます。でも、にげてはいかれない湖のお國です。ああ、私はお母さまがこいしい。…… ふるさとこいし、母こいし。』
 小雪は、うたって泣きました。
 するとそのとき、ふしぎにも湖の中に、『ふるさとこいし、母こいし。』という文字が、波の上にありありとあらわれました。見ているうちにその文字は、だんだんのびて、ふるさとの方へひろがっていきます。ゆめではないかと、小雪が見ていますと、その文字のみちを、はるかに通ってこちらに来る一人の女の人、それは湖のはなれ島におまつりしてある、べんてんさまでありました。
 べんてんさまは、やがて、なぎさ近くまでおいでになって、手まねで、小雪について来いと申されます。小雪が文字のみちをつくづく見ますと、それはなんと、たくさんのお魚がもりあがって橋をわたしているのでした。みちびかれるままに、小雪は、べんてんさまについて、魚の橋をわたっていきました。そして、長い長い橋をつかれもせず、なつかしいふるさとの岸までたどりつきました。
 ふと見れば、いつのまにやら、べんてんさまのおすがたが消えていました。小雪が岸につくと、そこからわが家の方にむかって、二列になってはえている、ふしぎな草が目につきました。ついぞ見なれぬ草なので、村人にたずねますと、
『それは、小雪のお母さまの、清い涙のしずくからはえた草だよ。』
 とこたえてくれました。小雪はその草のみちをたどって、なつかしいお母さまのもとにかえりました。
 皆さんも初夏のころ、あぜみちや野みちをいくと、小さい黄色い花をつけた、くきの長い草を見つけることでしょう。これこそ、この母と子の、やさしい心によって生まれ出た、記念 (かたみ) の母子草だということです。
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