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2018年8月

2018年8月31日 (金)

困ったことだ

 最近,ウェブ中の資料を検索してヒットしたページを読み始めると,例の《おめでとうございます! Googleをお使いのあなた! ○○の当選者に選ばれました。OKをクリックして景品をお受け取りください というフィッシング詐欺画面が頻繁に表示される.
 ここで《OKをクリック 》するとロクなことにならぬので,もはやタブを閉じるしかないという.
 あまりにこのフィッシング画面が激しく立ち上がるので,調べものができない.困ったことだ.
 私はセキュリティツールに ESET を使用しているが,これも最近,リアルタイム保護が発動するケースが多くなっている.(その種の怪しいコンテンツにアクセスしているわけではないのに w)

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江戸,東京の味 (一)

 私が中学生の頃に耳にした実話である.東京から東北の農家に嫁いだ女性が,実家で習い覚えた通りの味噌汁を拵えたところ,義母にきつく叱られたそうだ.濃い味噌汁は飯をたくさん食いこんでしまうから薄くしろと言われたという.
 さもありなんという話である.
 東京都と首都圏である神奈川県,千葉県を除く東日本,すなわち東北や甲信越,私が生まれ育った北関東地方 (上越新幹線ができて首都圏の仲間入りをした) は,戦後の経済成長期以前は,やはり貧しい地方であると言わざるを得なかった.だから,味噌汁やおかずの味付けは,あまり濃くはなかった.調味料をたくさん使う濃い味付けは,コスト高の上に食べる飯の量も増えてしまって不経済だったからである.
 そこで,おかずを濃い味付けにする代わりに,関東・甲信越・東北では,塩蔵物とくに漬物を多食した.
 農水省は「一汁三菜が日本の基本的食事スタイルである」という大嘘をついて,括弧付きの「和食」をユネスコ無形文化遺産に登録させてしまった (*脚註) が,昭和の前半における庶民の食事は「一汁一菜」(=御飯と汁とおかずが一品,それと漬物) が普通であった.貧しい地方では,「一汁一菜」ならばよいほうで,「一汁」 (御飯と汁と漬物;漬物は「菜」ではない) ということもあったらしい.(私自身,うっすらと,漬物が何種類も並んだ我が家の卓袱台を覚えている)
 ちなみに,政府統計としては,厚労省「平成22年 国民健康・栄養調査結果」に関連データが記載されているので順位をつけてみた.

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[食塩摂取量が多い県]
  男性    女性
1位  山梨県   山梨県
2位  青森県   福島県
3位  福島県   茨城県
4位  福井県   鳥取県
5位  山形県   青森県
6位  長野県   山形県
7位  宮城県   群馬県
8位  栃木県   長野県
9位  島根県   宮城県
10位  茨城県   福井県
(鳥取,島根,福井県の塩分摂取量が多い理由は不明だが,塩鯖を多食する地方であることと関係があるかも知れない)
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[野菜摂取量が多い県]
  男性    女性
1位  長野県   長野県
2位  新潟県   山梨県
3位  山形県   福井県
4位  福島県   山形県
5位  福井県   新潟県
6位  山梨県   島根県
7位  群馬県   福島県
8位  宮城県   群馬県
9位  栃木県   宮城県
10位  島根県   茨城県
(漬物の多食は野菜摂取量を押し上げる)
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 いかがであろう.関東・甲信越・東北の漬物多食は,かなり歴然としている.そしてこれらの地方は高血圧地域でもある.

 昭和三十年代前半,私の郷里である群馬県では,冬を迎える頃になると,各家庭で大量の沢庵漬と白菜の塩漬,キムチなどを家族総出で漬けた.夏はキュウリとナスの浅漬けを拵えた.
 煮物などのおかずの味付けは特に濃くはなく普通であったが,とにかく漬物がないと飯にならぬのであった.農水省 (とその御用学者) がどう言おうと,東日本の食事の中心は,しよっぱい漬物であった.しかもその漬物に味の素を振りかけ,さらに醤油をかけるのであった.(漬物+味の素+醤油 は,現在の東日本出身の高齢者諸兄があまねく記憶するところである)

 だから私は,大学に入って上京した際,東京の蕎麦・うどんの汁が真っ黒けで甘辛いことに,本当に驚いた.東京の食べ物は,味付けに大量の醤油と味醂または砂糖を用いる.これは東京という土地の,経済的豊かさを反映していたのだろう.醤油や砂糖が安価になって,全国的に庶民の口に入るようになったのは,それほど昔のことではないのである.
(続く)
 
*脚註:日本の夏は温暖ですと嘘を吐いてオリンピック招致に成功したのと同じ構図だ.w

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2018年8月29日 (水)

母子草 (十七)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
* 前回の記事は《母子草 (十六)
 
 小川未明ら,戦前から既に名声を得ていた童話作家たち,あるいは彼らと同世代である藤澤衞彦教授らの作品を読んでみた正直な感想は,この作家たちは現実の子どもたちと一緒に遊んだりして触れ合ったことがないのではないか,ということである.
 彼らの作品は,書斎の中で子どもたちの親に対して,あたかも「こういう美しく正しい童話を貴君の子らに読み与えたまえ」とでも言うような「上から目線」で書かれているのだ.そして童話作家業界は,彼らの稚拙な作品,例えば未明の「赤い蝋燭と人魚」を褒め上げ,明治文壇からの落ちこぼれである小川未明 (未明が童話に専念したのは,Wikipedia【小川未明】によれば《一説には師の逍遥から小説家としての限界を指摘されたからとも言われる 》) を担いで一種のギルドを形成した.戦前は左翼のフリをしていた未明が,戦争が始まるや掌を返して戦争協力の旗を振り,戦後になったら身を翻して民主主義を標榜するという恥知らずぶりをさらけ出しても,幇間作家たちは再び未明を担いでギルドの存続を図ったのである.この思想的節操のない童話作家ギルドの徒弟たちの中には,戦後になって入党した日本共産党員もいたというから驚きである.(山中恒の指摘による)
 しかし戦後に登場した鳥越信古田足日らは,未明ら戦前派作家たちの作品を,作品論として否定し去った.また山中恒ら少数の人々は,戦争協力者小川未明の人間性までも批判するに至り,ここに未明神話は崩壊した.
 また石井桃子ら戦後の児童文学者たちは,共著『子どもと文学』(福音館書店,1967年初版) の中で童話作家批評と児童文学論を展開し,優れた童話作家として宮沢賢治と新美南吉を挙げ,これと対比する形で,児童文学界の三種の神器とまで賞賛されていた小川未明,浜田広介,坪田譲治の三人を批判している.また同書において,児童文学者,翻訳家として活躍した渡辺茂男は,童話で大切なことは,子どもたちにわかりやすいことであるとし,その手本は昔話であると述べたあと,次のように書いている.
 
では、子どもの文学として、これほどたいせつな、基本的な要素をふくんでいると見られる昔話について、もう少しくわしく考えてみましょう。
 昔話では、一口にいえば、モノレール (単軌条) を走る電車のように、一本の線の上を話の筋が運ばれていきます。大人の小説でよく使われる回想形式とか、あるいは、物思いにふけるとか、つまり、一本のレールから話の筋がはずれて、あちらこちらをぶらりぶらりすることがありません。もちろん、モノレールの電車でも、山を越え、トンネルをくぐるように、昔話の中でも、話の道筋に起伏はあります。このモノレールは、一つの話の中の、時の流れと考えればよいでしょう。時の流れに沿って出来事が連続していて、一つの出来事と次の出来事との間に、もとにもどって読み返しを必要とする複雑さもありません。なぜなら、昔話は、口伝えに語られたからです。一人の聞き手が「じいさんや、いまんとこ、ちっともどって話してくれや」といえば、話し手も他の聞き手も興をそがれてしまいます。むずかしい文学作品を読む場合に、読者は、話が混線してくると、数行なり数ページなりあとにもどって、混線した糸をほぐすことができますが、耳で聞いた昔話では、それができませんでした。それゆえに幼い子どもにもわかる、はっきりした形式になったのです。

 
 この記事の読者の便宜のために,この記事の末尾に藤澤衞彦作「母子草」全文を掲載し,以下,その中から適宜引用する.
 まず,上に述べた渡辺茂男の童話作法は,現在の私たちには「なるほど」と納得できることであるが,渡辺茂男が本書『子どもと文学』でそれを強調しなければならなかった理由は,《幼い子どもにもわかる、はっきりした形式 》を守らない作家がいたということだろう.
 その観点で藤澤衞彦作「母子草」を読んでみると,まさに《大人の小説でよく使われる回想形式とか、あるいは、物思いにふける 》という形になっている.
 この話は,時代もどこの土地の話であるかも語られずに,いきなり冒頭で《湖のほとりに立って 》いる主人公「小雪」の「物思い」から始まる.小雪がなぜ年期奉公に出ているかのもわからない.
 続いて母親の回想で,ようやく小雪が,母親の眼病の薬を買うために年期奉公に出たことが語られる.
 そのあとずっと,どこかわからぬ湖のほとりの話 (村か町なのかもわからない) が進行するのだが,それで押し通すのかと思っていると,《はるばると廣い大きな近江の湖 》とあり,これが琵琶湖のほとりであることが判明する.
 こうしてみると,藤澤衞彦作「母子草」は,親が幼い子どもに話して聞かせることを全く想定していないことが明らかである.果たしてこれを童話と呼んでいいのか,疑問が湧く.
 これは,次の諸点についても言える.
(1) 「他國」を「よそぐに」と読ませるのはいかがなものか.童話なら,漢字を用いてルビをふったりせず,単に「よそのくに」でいいではないか.
(2) 「悲しい湖」とした意図が不明である.いかにも文学的にひねくった余計な修辞である.
(3) 「湖のお國です」も同様.近江の別称は確かに「湖国」であるが,これは大人でも知らない人は多いだろう.
(4) 「『ふるさとこいし、母こいし。』小雪は、うたって泣きました。」と原文にあるが,インド映画でもあるまいに,なぜここで小雪は唐突に歌うのか.泣くだけでどうしていけないのか.その歌はどんなメロディなのか.子どもに話して聞かせる親は「ふるさとこいし,母こいし」をどのように歌っていいか困るではないか.
(続く)
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「母子草」全文
底本:『日本傳承童話集 第二集 母子草』(雄鳳堂揺籃社,昭和二十四年七月三十日発行初版第一刷)
 小雪は、いつものように、湖のほとりに立って、はるかむこう岸をじっとみつめているのでした。
『おなつかしいお母さま。お母さまは、いまごろ、どうしておいでやら。さぞ、ご不自由でございましょう。小雪の年期 (やとわれて働くことを約束した年數) も、あと三年ですみます。それまではお母さま、どうかおたっしゃにおくらしください。』
 毎日毎日、小雪は、ふるさとのお母さまにむかって、おわびするのでありました。
 人の一心の、なんで通じないことがありましょう。ふるさとでは、小雪のお母さまも、
『小雪、小雪、私のかわいい小雪よ、どうかたっしゃでいておくれ。せっかくお前がご奉公に出てまでととのえてくれたお藥も、どうしたことか、ききめがあらわれず、私はめくらになってしまったけれど、私はお前の美しい心がよく見えます。神さま、どうか、小雪の身の上がしあわせでありますように。』
 やさしい小雪のお母さまも、毎日いくたびか湖とわが家のあいだをいききしては、小雪のいる他國 [ルビ=よそぐに] はあの方角かと見えぬ目でのぞんでは、涙をながしておりました。今まで三年のあいだに、こうしてながしたお母さまの涙は、まあどのくらいだったでしょう。それにもおとらない小雪の涙は、きょうもまた湖のほとりに来て、とめどもなくながされるのでした。
 はるばると廣い大きな近江の湖、その湖の上には、きらきらと美しい太陽の光が波にてりはえて、なんともいわれぬ美しいながめでしたが、小雪には、やっぱり悲しい湖でありました。
 いつものように、草かりかごをそこへおろすと、小雪は、じっとふるさとの方をながめて、
『お母さま、きょうは私の身の上に悲しいことが起こりました。あと三年でお母さまにおあいできると、指おりかぞえて待っておりましたのに、きけば、ここでは、その年期が約束通り守られないらしいのです。きょう、七年たったお友だちが、なんとかりくつをつけられて、また三年のびました。私も三年たったら、うまくお母さまのもとへかえれるかどうか、あやしく思われます。でも、にげてはいかれない湖のお國です。ああ、私はお母さまがこいしい。…… ふるさとこいし、母こいし。』
 小雪は、うたって泣きました。
 するとそのとき、ふしぎにも湖の中に、『ふるさとこいし、母こいし。』という文字が、波の上にありありとあらわれました。見ているうちにその文字は、だんだんのびて、ふるさとの方へひろがっていきます。ゆめではないかと、小雪が見ていますと、その文字のみちを、はるかに通ってこちらに来る一人の女の人、それは湖のはなれ島におまつりしてある、べんてんさまでありました。
 べんてんさまは、やがて、なぎさ近くまでおいでになって、手まねで、小雪について来いと申されます。小雪が文字のみちをつくづく見ますと、それはなんと、たくさんのお魚がもりあがって橋をわたしているのでした。みちびかれるままに、小雪は、べんてんさまについて、魚の橋をわたっていきました。そして、長い長い橋をつかれもせず、なつかしいふるさとの岸までたどりつきました。
 ふと見れば、いつのまにやら、べんてんさまのおすがたが消えていました。小雪が岸につくと、そこからわが家の方にむかって、二列になってはえている、ふしぎな草が目につきました。ついぞ見なれぬ草なので、村人にたずねますと、
『それは、小雪のお母さまの、清い涙のしずくからはえた草だよ。』
 とこたえてくれました。小雪はその草のみちをたどって、なつかしいお母さまのもとにかえりました。
 皆さんも初夏のころ、あぜみちや野みちをいくと、小さい黄色い花をつけた、くきの長い草を見つけることでしょう。これこそ、この母と子の、やさしい心によって生まれ出た、記念 (かたみ) の母子草だということです。
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2018年8月28日 (火)

似非学者磯野真穂

 磯野真穂という女性の「学者」 (専門は文化人類学であるという;国際医療福祉大学大学院講師) が,糖質制限食に反対する論陣を張っている.
 いつの時代でも,どこでも,学歴と肩書だけが売り物で,頭の中身がない人間はいる.磯野真穂氏もその例にもれず,文章を書くに際して何も資料を調べず,勉強をすることなく思い付きを書きなぐって世間に恥をさらしている.
 その無知ぶりがいかほどのものか,ネット上にある磯野氏の小「論文」(笑) を読んでみる.以下の二本は,糖質制限食を非難攻撃する彼女の論考である.
 
[例1]
ご飯はこうして「悪魔」になった~大ブーム「糖質制限」を考える 現代社会の特殊な価値観と構造 》 (掲載日 2016/10/25) 
 
 平成十四年 (2002年),京都の高雄病院理事長・江部康二医師が糖尿病 (以下,この記事では,生活習慣病である2型糖尿病を指す) の糖質制限療法を世に問うたとき,研究者たちから激しい批判にさらされた.しかし実践的な内科医たちは次第に糖質制限療法の有効性に気が付き,糖尿病患者の糖質制限療法に取り組むようになった.
 糖質制限療法が患者たちに広く認知されるに至ったのは,北里研究所病院糖尿病センター長・山田悟医師の功績だ.山田医師は一般社団法人「食・楽・健康協会」を設立し,食品企業に参加を呼びかけ,現在は「ロカボ」を統一ブランドとして種々の低糖質食品が販売されている.
 このように糖質制限療法が普及したのはいいのだが,糖質制限を推進する側に科学的立場に立たない過激な主張をする人たちが現れた.磯野真穂氏は,江部康二氏や山田悟氏を横に置いて,エキセントリックな論者があたかも糖質制限療法の代表者であるかのように歪曲して,糖質制限療法を攻撃している.その箇所を一つ挙げよう.
 
もし糖質を中心に食べることが、人類という種にまったくそぐわないものであれば、栄養摂取の8割強が炭水化物からであった昭和初期の人々は次々と生活習慣病を発症していただろう。
しかし生活習慣病にかかるのはかれらではなく、糖質からの栄養摂取がそこから2割近く落ち込んだわれわれなのである。この矛盾を私たちはどう説明したらいいのだろう。

 
この矛盾を私たちはどう説明したらいいのだろう 》とは呆れた.そんなことも知らずに糖質制限療法を批判しているのか.
 糖尿病は生活習慣病であり,糖尿病になるような生活を長年続けていると発症する.ここで厚労省の《平成 27 年 国民健康・栄養調査結果の概要 》を見てみよう.(p.19)
 図24は,四十歳から患者が増え始め,五十歳を越すと急激に発症リスクが高まることを示しているが,昭和初期の平均余命は五十歳に達していなかった (厚労省「表2 完全生命表における平均余命の年次推移」) のである.昭和初期,生活習慣病を発症するほど長生きの人は現在ほど多くはなかったのだ.平均余命の伸びほど健康寿命の伸びは大きくなかったこと,これが現代日本人の健康と栄養を考える上での基礎知識である.
 つまり,《もし糖質を中心に食べることが、人類という種にまったくそぐわないものであれば、栄養摂取の8割強が炭水化物からであった昭和初期の人々は次々と生活習慣病を発症していただろう。しかし生活習慣病にかかるのはかれらではなく、糖質からの栄養摂取がそこから2割近く落ち込んだわれわれ》なのではなく,平均余命で補正しないとそのように見えるに過ぎないのである.
この矛盾を私たちはどう説明したらいいのだろう 》などとエラソーにしていてはいけない.わからなかったら,調べて,仮説を立てて検証する.この科学の基本的な思考ができていないようでは,磯野氏は文化人類学者を自称しているが,彼女の「文化人類学」がどの程度のものであるか,底が知れる.
 
[例2]
白米を食べるとやせる!? バブル期に誕生した真逆ダイエットとは ご飯はこうして「悪魔」になった【2】  》 (掲載日 2017/1/21)
 
やせたいのならご飯を食べろ
鈴木式で特筆すべきは白米の扱いである。糖質制限派が「悪魔」と称することすらある白米であるが、鈴木式ではその白米を1日3回食べることが必須となる。
しかもその量はハンパではなく、女性であれば1食180〜240グラム、男性であれば300グラムが推奨される。これは、糖質制限派の中でも緩やかな論を展開する医師の山田悟氏が勧める1回の白米量70グラムを優に超える量だ。
》 
 
 例2は例1の続編として書かれたものだ.
 引用文中の「鈴木式」とは,故鈴木その子氏が提唱した「鈴木式ダイエット」で,いわゆる「ばっかりダイエット」の一種であり,「鈴木式ダイエット」の教祖として若い女性たちを集めて君臨するオカルトの一種でもあった.
 磯野氏は科学者でありながら,このオカルトと,科学である糖尿病の糖質制限療法が対等ででもあるかのように天秤にかけてみせる.疑似科学の信奉者がよくやる手口である.
 ま,それはともかく,この似非科学者は日本語が不自由であるようだ.
 私は山田悟医師の著作を何冊か読んだが,山田医師は一度も《1回の白米量70グラム》なんてことは書いていない.氏が提唱する「緩やかな糖質制限」では,一回の食事で摂る糖質を 20~25g (上限は 40g) にすることを推奨している.言わずもがなであるが,これは糖質の量であり,普通に炊いた米飯の重さに換算すると約 50g ほどになる.
 磯野氏は《山田悟氏が勧める1回の白米量70グラム 》と書いているが,白米 70g を炊飯すると約 150g で,「緩やかな糖質制限」推奨量の三倍にもなってしまう.
 つまりこのインチキ学者は,白米が玄米を精白したものであり,炊飯していない状態の米であることを知らないのである.国語辞典も百科事典も開かずに,よくまあ専門外の医学や栄養学について発言するものだと,開いた口が塞がらない.これが大学院の講師だとは世も末である.しかしこれは,頭脳の知的レベルの問題ではないかも.なんとなれば,家事のお手伝いをする小学生でも,米と飯の違いは知っているからだ.w つまり磯野氏は,生活者として小学生以下だということである.医療や栄養学のことを論ずるのは,自分の飯を自分で炊けるようになってからにするがよい.

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2018年8月26日 (日)

低糖質カレー

 先日の記事《『からだシフト』の低糖質包装米飯 》に以下のように書いた.
 
私は『からだシフト』の「ごはん (大麦入り) 糖質35% off」を Amazon でケース買い (十個入り) したのであるが,これほど残念な商品だとは思わなかった.
 
 私が糖質制限食生活を始めてから,一年余である.
 最初は糖尿病の治療として非常に厳しい糖質制限 (糖質制限食事療法の先駆者である高雄病院理事長の江部康二医師が提唱する「スーパー糖質制限」) を開始したのだが,三ヶ月で糖尿病が治癒したあとは,北里研究所病院糖尿病センター長・山田悟医師が提唱した「緩やかな糖質制限」に移行し,現在に至る.糖尿病が治癒したあと二ヶ月に一度の血液検査を行っているが,ヘモグロビンA1c (HbA1c) 値はずっと6以下を保っているし,肝機能などその他の生化学検査項目も正常値である.
「緩やかな糖質制限」の優れている点は,筋トレと併用できることである.
「スーパー糖質制限」を行うと,筋肉中の貯蔵グリコーゲンが著しく少なくなることが生理的なスイッチを入れてしまうらしく,筋肉 (速筋) が減少する.
 この現象を「飢餓状態になると人体は筋肉を分解してエネルギーにする」などと文学的な説明をする人がいるが,それは科学的根拠のないもっともらしい嘘である.ただし,速筋量の維持には貯蔵グリコーゲンが必要であるらしい.そしてグリコーゲン不足の状態では,いくら筋トレをしても効果が上がらない (速筋が増えない) のだ.
 スーパー糖質制限をやっていると,ジョギングや長時間のウォーキングなど有酸素運動をするには問題がない (持久力を鍛えることはできる) が,短距離ダッシュはまったくダメになる.全速力で走ろうとしても,ジョギングくらいの速さでしか走れない.これには自分でも驚いた.
 このことがあったので,少量の糖質を摂取する「緩やかな糖質制限」に移行し,ジムで筋トレを続けたところ,半年後の現在は「スーパー糖質制限」で減った筋肉 (速筋) 量を完全にリカバリした.
 
 そのような低糖食生活を続けた結果,今では私はもう白飯や小麦粉の麺類とパンなど,いわゆる「精製された糖質食品」を食べたいという気が起きなくなっているのでストレスはないが,糖質制限を始めたばかりで,白飯など精製糖質食品を食べたいという欲求が抑制できない人のために,食品企業が色々な糖質オフ食品を開発,販売している.
 その一つに大塚食品の低糖質包装米飯「マイサイズ 150kcal マンナンごはん」がある.これ単独で,別に調理した魚や肉のおかずと共に食べてもいいし,同社製のレトルト食品「マイサイズ 100kcal シリーズ」と組み合わせて軽食にすることもできる (同社が訴求するコンセプト).大塚食品のこの商品カテゴリーは薬局薬店の店頭での露出が高いから,買ったことはなくても,誰でも一度は見たことはあるだろう.
 ということなので,試食してみた.下は,「マイサイズ 100kcal スパイシーチキンカレー」と一緒に皿に盛り付けた調理例だ.
 
20180826a  
 
 まず,「マイサイズ 150kcal マンナンごはん」の食味はとてもいい.普通の包装米飯と比べて何ら遜色ない.とても造粒マンナンで増量されているとは思えない.量的にもまずまずである.『からだシフト』の「ごはん (大麦入り) 糖質35% off」を食べたときのガッカリ感とは,えらい違いだ.企業の研究開発における実力差が如実に示されていると言うべきだろう.
 ところが,「マイサイズ 100kcal スパイシーチキンカレー」は不合格である.羊頭狗肉である.「チキンカレー」を謳いながら,鶏肉は小柱一個ほどの量も入っていない.具は事実上,ジャガイモだけである.上の画像のように,皿を眺めると,しみじみとわびしい.
 ただし,味はいい.カレーだとは考えずに,これは低糖質をコンセプトに工夫されたカレーソースなのだと思えばいいのである.
 そこで私の提案だが,フライパンでひき肉 100グラムを炒め,それを「マイサイズ 100kcal スパイシーチキンカレー」と混ぜればキーマカレー風になる.細かく刻んだピーマンを加えるともっといい.そうすれば,あとは緑黄色温野菜の料理やサラダと組み合わせて立派な食事になる.ただし,このカレーライスは「糖質オフ」程度のものであるから,「緩やかな糖質制限」でも,一日一度に限定である.
 この「マイサイズ 100kcal スパイシーチキンカレー」をひき肉で強化するカレーライスを,糖質制限を始めたはいいが,白いご飯が恋しくて挫けそうな諸兄におすすめしたい.

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2018年8月25日 (土)

栄養格差社会

 今から三十年以上も前の昔話だが,東北大学で栄養学の教鞭を執っておられた木村修一先生を座長とする文部省の調査研究プロジェクトがあった.
 その報告会で木村先生が「高齢者は粗食ではいけない,長生きしたければたんぱく質を充分に摂る必要がある」と講演された.

 昭和五十六年 (1981年),当時の鈴木善幸首相に請われて第二次臨時行政調査会長に就任した土光敏夫はメディアから「メザシの土光さん」と呼ばれていた.
 Wikipedia【土光敏夫】に以下のようある.

普段の生活ぶりは感服させられるほど非常に質素であり、決して蓄財家でもなく生活費以外の残りの多額の収入は全て橘学苑に寄付されていた。(2011/9/4 サンデー・フロントラインの「発掘人物秘話」の土光敏夫特集にて述べている。)
行政改革を推進する宣伝として、NHKで『NHK特集 85歳の執念 行革の顔 土光敏夫』(1982年(昭和57年)7月23日)というテレビ番組が放送された。その内容は土光の行政改革に執念を燃やす姿と、生活の一部を見せたものであった。土光の普段の生活として、次のようなものが映し出された。
戦後1回も床屋へ行ったことがなく、自宅で息子にやってもらう。
穴とつぎはぎだらけの帽子。
戦前から50年以上使用しているブラシ。
妻に「汚いから捨てたらどう?」と言われた使い古しの歯磨き用コップ。
農作業用のズボンのベルト代わりに使えなくなったネクタイ。
とりわけインパクトが大きかったのは、妻と2人きりで摂る夕食の風景であった。メニューはメザシに菜っ葉・味噌汁と軟らかく炊いた玄米。これが「メザシの土光さん」のイメージを定着させた。

 上の引用に書かれているNHK『NHK特集 85歳の執念 行革の顔 土光敏夫』は,今で言うところの「ヤラセ」だったのだが (Wikipedia【土光敏夫】の「メザシの真相」項目参照) 国民はそれを真に受けた.
 人間は歳を取ると,どうしても食が細くなる.米の飯と味噌汁があればいいとするのが高齢者の一般的な嗜好だった.そこに「メザシの土光」が拍車をかけたのだが,「それは違う」と異議を唱えたのが木村先生他の栄養学者だった.高齢者はたんぱく質を充分に摂る必要があると.

 私自身がたんぱく質摂取量の多い食生活をしていることもあって,現在では高齢者の食生活に関するその考えは定着したと私は思っていたのだが,大塚食品のウェブコンテンツ《突然ですが…「健康寿命」という言葉をご存じですか? 》に示された図《日本人のたんぱく質摂取量 》を見ると,そうでもない.株式会社明治のウェブコンテンツ《あなたは大丈夫?日本人はたんぱく質不足 》には,日本人のたんぱく質摂取量は,戦後の食糧危機をようやく脱しようかという時期である昭和二十五年の水準にまで落ち込んでいることが示されている.

 それらの図は厚労省による調査結果をグラフにしたものだが,この二十年間に,四十歳以上の男女を十歳ずつに層別すると,全ての年齢層でたんぱく質摂取量が減っており,なかでも四十歳から六十九歳までの男性は,大きく減っている.
 改めて厚労省の《平成 27 年 国民健康・栄養調査結果の概要 》を見てみよう.
 小さくて見にくいが,項目《3.エネルギー及び主食・主菜・副菜に関連した栄養素摂取量の年次推移(平成7年~27年)》 (p.41~) に若い年齢層も含めた図が掲載されているので,その部分をトリミングして引用する.

20180825

 このグラフを見ると,たんぱく質摂取量が減っているのは,摂取エネルギーの減少と軌を一にしていることがわかる.また脂質摂取量は横這いあるいは漸増傾向にあるが,たんぱく質と同様に炭水化物摂取量も減っている.(上図に続いて掲載されている)
 つまり日本人はあまり飯を食わなくなっているのだ.
 ダイエット志向のある若い女性や食欲の低下した高齢者層ならばともかく,働き盛りの男性も飯を食わなくなっている.これは,もしかすると,小泉内閣に始まる格差拡大と,格差拡大をさらに推進しているアベノミクスによって日本の貧困化が進行していることと関係があるのかも知れない.飯を食わなくなったのではなく,食いたくても食えないのかも.
 上に挙げた厚労省のデータからはわからないが,他の政府資料によれば児童の貧困化も進行していることから推測すると,子どもたちの栄養格差も進行しているだろう.栄養格差社会日本の未来は暗い.

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2018年8月24日 (金)

発電用風車の倒壊

 各メディアが伝えたところによれば,淡路島の北部にある北淡震災記念公園で,敷地内にある風力発電用の風車が根元から倒壊した.(朝日新聞デジタル)
 発電用風車の事故はこれが初めてではない.四年前には経済産業省が《発電用風力設備の安全対策について(修正)2014年6月3日,経済産業省》という通達を出しているくらい,発電用風車には安全性の問題がある.
 これまでの事故はメンテナンスの問題と考えられているが,今回の倒壊事故は,そもそもこの風車には台風の強風に耐えられない強度しかなかったことを示している.
 建築物の強度計算から食品の賞味期限に至るまで私たちの社会は,計算上必要な最大数値に,さらに「安全率」をかけて上乗せすることで安全が担保されている.
 ここで問題は,例えば建設コスト低減を目的にして「計算上必要な最大数値」を人為的に低く見積もれば,いくら「安全率」を乗じても事故は不可避だということだ.なぜ低く見積もるかという理由は,利益を上げるためである.そして事故が発生すると「想定外」で片づける.一過性の謝罪会見が終われば,「喉元過ぎれば…」だからである.頭を下げるのに費用は掛からない.
 東日本大震災で聞き飽きた「想定外」という言い訳.
 このことで私たちは,日本社会が意外に脆弱であることを知った.それは「安全性」の裏側に隠されているインチキに基づく.
 今回の風車倒壊事故について,またも「想定外の強風が吹いた」という弁解がなされるのではなかろうか.ここに至って私たちは,脱原発は,要原発と同じ構造を持っていることを知る.これでは脱原発は夢のまた夢である.

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2018年8月23日 (木)

刺青とタトゥーとタバコ

 なんだかネット上でタバコとタトゥーについて賛否両論が巻き起こっているらしい.
 反社会的勢力が好む本格的な刺青でないライトなタトゥーについては,プールに入場できないことがある,あるいはまたスポーツクラブに入会できないことがある,いかにも頭が悪そうに見える (ex.りゅうちぇる) などの不利益を甘受すれば,本人の好き好きでいいかと思う.(どうかと思うが,本格的な刺青やタトゥーがオッケーなプールや公衆浴場はかなりあって,ネット上にリストが公開されている)
 しかし反社会的勢力の刺青と,ヘビーでもライトでもタトゥーとの論理的区別は難しいから,刺青はもちろんタトゥーを入れた人も入場させないというプールやスポーツクラブは,これまで通りの毅然とした姿勢でいて欲しい.
 茂木健一郎という頭の悪い「学者」が,刺青者もプールに入れろと主張している.この男は,刺青とライトなタトゥーを同列に扱いたいというのだ.きっと反社会的「学者」なんだろう.その頭の悪さは,まともに簡単なダイエットができないというところにも表れている.w
 真鍋かおりさんもこの論争に参加したいらしいが,くれぐれも刺青とライトなタトゥーを区別して発言されますように.
 
 だがタバコはタトゥーの場合と事情が少し異なる.受動喫煙という大問題があるからだ.
 また私自身はかつてスモーカーだった.私が循環器系の疾患をわずらったのは,たぶん長年の喫煙の結果だろう.だから喫煙者はタバコをやめたほうがいいと思う.
 しかし,ここでややこしいのは,喫煙の完全排除を主張する人にはエキセントリックな傾向があって,洋画でも邦画でも昔の名画には喫煙シーンが多いのだが,こういうことまで排除を主張することがあるのだ.困ったことである.

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2018年8月22日 (水)

『月刊アスキー』の黄金時代

 昨日放送されたテレビ東京『開運!なんでも鑑定団』に,あの遠藤諭氏 (角川アスキー総合研究所取締役主席研究員) が登場し,買ったまま未開封の初代 AIBO の鑑定依頼をした.遠藤諭氏が自分で購入したものであるから,鑑定するまでもなく,もちろん本物である.
 それはいいのだが,番組制作サイドも司会の今田耕司も福澤朗も,遠藤氏がどんな人物であるかを知らないようで,ただの一般人だと思っているようだった.
 私たち,日本のパーソナルコンピュータの黎明期にコンピュータ雑誌を読み漁った世代は,遠藤諭氏の顔も名前もよく知っている.
 今田耕司も福澤朗も遠藤諭氏を知らないと知って,私は時の流れにしみじみと感慨を持った.

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ひと夏の物語

 先月末の週刊文春 (8/2 号) の連載書評「私の読書日記」の担当は,歌人の種村弘氏だった.
 その書評は次のように書きだされている.

ひと夏の物語が好きだ。子供たちが、大人には見えない不思議な世界をくぐり抜ける冒険をする。そして、季節の終わりとともに、すこしだけ、けれども決定的に以前とは変わった自分に気づく。そんな物語の系譜がある。
 どうしてか、その魔法の季節は夏と決まっているようだ。ひと春の物語やひと秋の物語やひと冬の物語というのは、あまり耳にしたことがない。

 この書評で取り上げられたのは,高橋源一郎『ゆっくりおやすみ、樹の下で』(朝日新聞出版),『フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記』(暮しの手帳社),内田善美『星の時計のLiddell』の三冊.いずれも読んでみたいと思わされる,いい書評だった.

 少年少女のための小説ではないが,《風立ちぬ、いざ生きめやも》で知られる堀辰雄『風立ちぬ』の第一章「序曲」は,夏の終わりの物語である.

ひと冬の物語というのは、あまり耳にしたことがない 》と種村氏は書いているが,児童文学における「ひと冬の物語」としては,C・S・ルイス『ナルニア国ものがたり』の第一作『ライオンと魔女』が有名かと思う.

 児童文学の範疇を離れれば,私はモネの『日傘をさす女』に夏を感じる.モネの息子にとって,この時に父モネの写生のモデルになった思い出は「ひと夏の物語」だったのではなかろうか.
 余談になるが,モネ以前の画家は,家の外で下絵を描くとしても,油絵に仕上げるのはアトリエに帰ってからであったそうな.
 モネは,郊外の陽光の下に画架を立て,そこで油彩の写生をした最初の画家であると書いた人がいた.それを可能にしたのは,チューブ入りの油絵具だという.それ以前は,描く時に粉末の顔料を油で練って用いたから,風の吹く屋外では描けなかったのだ.これにはなるほどと思った.

 ともあれ,絵画における「ひと夏の物語」の最高傑作はこれだろうと思う.
 
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(Wikipedia から引用;パブリックドメイン画像)

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2018年8月21日 (火)

盂蘭盆

 先週の『チコちゃんに叱られる!』からもう一つ話題を.
 MCのチコちゃんがゲスト回答者の浅野ゆう子さんに「お盆の盆てなに?」と質問したが,浅野さんは答えられなかった.
 私のような年寄りは「お盆」の語源を知っていても,一世代若い浅野さんくらいになると御存知なくても仕方あるまい.もちろん盂蘭盆会の「盆」に由来しているというのが正解だが,それでは盂蘭盆会とは何か.
 盂蘭盆会は,釈迦の筆頭弟子だった目連とその母親である青堤女の物語に由来する,ということは知ってはいたが,記憶が曖昧な部分もあったので,この際だから詳しく調べてみた.
 すると意外なことが判明した.
 まずは『チコちゃんに叱られる!』の解説だが,これは Wikipedia【目連】に書かれていることを,そっくりそのまま『まんが日本昔ばなし』風の静止画に描いたもので,ナレーションは清水ミチコさんが市原悦子さんのモノマネでやった.(いつもながらの芸達者ぶりに感心したが,余談ながら彼女が浅野ゆう子さんと同年の生まれであることは,この稿を書いたおかげて初めて知った)

 で,その Wikipedia【目連】の解説はどのようなものかというと,下記の通り.

目連と盂蘭盆
下記に記す盂蘭盆の逸話により、目連が日本におけるお盆及び盆踊りなどの行事の創始者として受け取られている。
目連がある日、先に亡くなった実母である青提女が天上界に生まれ変わっているかを確認すべく、母の居場所を天眼で観察したところ、青提女は天上界どころか餓鬼界
(*ブログ筆者註) に堕し地獄のような逆さ吊りの責め苦に遭っていた。驚いて供物を捧げたところ供物は炎を上げて燃え尽きてしまい、困り果てた目連は釈迦に相談する。釈迦は亡者救済の秘法(一説には施餓鬼の秘法)を目連に伝授し、目連は教えに従って法を施すとたちまちのうちに母親は地獄から浮かび上がり、歓喜の舞を踊りながら昇天した。
 (*ブログ筆者註) この引用文中に「餓鬼界」とあるが,十界の一つとして数えるときは餓鬼界といい,六道の一つとして数えるときは餓鬼道と呼ぶ)

 私の持っていた知識もこの程度のものであったが,よく考えると不思議な話である.
 なぜなら,釈迦の十大弟子のうちでも長老格である目連の母親が,なぜに餓鬼道なんぞに堕ちたのかが,この説明では不明だ.
 それを調べたら,青提女は吝嗇だったから,と説明するウェブページが多数見つかった.しかしその説明の細部が,寺院や宗派によって少しずつ違っているのである.
 ほとんどは青提女は餓鬼道に堕ちたとする中で,地獄に堕したのだと出典を示さずに変形甚だしく書いている宗派もあったくらいだ.
 その一つ一つについて比較検討することは,私は仏教に詳しいわけでもないので避ける.しかし,どうしてそんな事態になったのかを想像するに,まずインドから中国に仏教が伝来した後,インドの仏典『餓鬼事経』を基にして偽経である『盂蘭盆経』が書かれた.(『盂蘭盆経』以前に,目連の伝説が発生していたのかも知れない)
 こうして一旦は底本たるべき『盂蘭盆経』が成立すると,これを基に,自宗派に都合のよい説話や異本が生じたことは充分に考えられる.
 例えば,文永八年に日蓮が執筆した「四条金吾殿御書」あるいは「盂蘭盆由来御書」と呼ばれる文書は,目連伝説を法華経にかなり引き寄せて変形させたものと考えられる.
 このような変形が日本仏教各派で行われた結果,「お盆とは何か」については,Wikipedia【目連】のような漠然とした解説しかできなくなったのであろう.
 
 ちなみに,上記の「四条金吾殿御書」にあるように,日蓮宗では目連は法華経により成仏したとしているらしいが,チベット大蔵経や漢訳仏典では,目連は外道に殺されたことになっているようだ.殺された理由は,六道輪廻の中で犯した罪業の報いであるという.十大弟子目連は今も六道の輪廻のうちにあるのだろうか.
 さらにちなみに,奈良の興福寺には国宝の「目犍連像」がある.これは奈良に行けば見るべき像の一つ.

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2018年8月20日 (月)

J.ボンドは人生を二度生きる

 私は英語が不得意だ.英語を必要とする人生ではなかったからである.
 いや,もちろん英語で書かれた自然科学論文は読める.学会誌の編集委員会からの依頼で,その学会の英語論文誌に投稿された論文の査読もやってきた.
 だが英字新聞を読むのはだめだ.出てくる時事用語や政治経済用語がわからぬからである.その意味では,米国のテレビニュースもチンプンカンプンである.(泣)
 とはいっても今更,英語の勉強なんかしたくない.字幕版のイギリス映画やアメリカ映画で,俳優の台詞が聞き取れればいいや,と思っている.私の英語は,映画のためのものである.
 
 そんなわけで,映画の話題を取り上げたブログを流し読みするのが私の暇つぶしなのだが,《阿呆は二度死ぬ 》と題した記事を読んで大笑いした.
 このウェブページの筆者は,次のように書いている.
 
「007は二度死ぬ」、この映画の原題は「You Only Live Twice」であり、原題と邦訳で意味が反転している。生を死に反転させることで原題の意味を残しつつ、より日本語らしい表現になっているのではないか。これこそ流石、翻訳の妙だと褒めておこう。
取りあえず「you  only live once」を「暗黒街の弾痕」と訳すよりマシな気がする。
  だがここで「二度死ぬ」とはどういう意味なのだろうか。

 
 《だがここで「二度死ぬ」とはどういう意味なのだろうか 》と書いた後,グジャグジャとわけのわからぬことを綴った挙句に,
 
人は二度死ぬ、いや訂正しよう、「人は無限に死に続ける」。人はその身が朽ち果てるまで、他者の記憶の中で死に続けているのだ。
 他者の「中での」自己の死に無頓着で、主観からしか死をとらえられない阿呆は僅か2度しか死を感じることがない。いや、それとも無限の死を感じ続ける者こそが真の阿呆なのか。結論は死んでみなければわかるまい。
 阿呆は死ぬまで直らないのだから。

 
と締めくくっている.
 私が大笑いした理由は,この筆者は映画『007は二度死ぬ』を観たことがないくせに,映画の題名,しかも邦題について云々しているのが歴然としているからだ.
 「二度死ぬ」の意味は単純である.『007は二度死ぬ』の冒頭で,ジェイムズ・ボンドは敵の目を欺くための偽装工作として,香港で殺されたことにするからである.
 “ You Only Live Twice ”を直訳すると「あなた (ジェイムズ・ボンド) は二度しか生きない」である.言うまでもなく“ You ”はボンドだ.それを《人は二度死ぬ 》と書いては,映画を観ていないことがモロバレである.
 さてここで面白いのは,英文の小技というか,“ You Only Live Twice ”の構文である.つまり“ You ”+“ Only Live Twice ”という意味の構文に,“ You Only ”+“ Live Twice ”という意味を重ねて含みを持たせていることだ.
 つまり「ボンドは二度 (偽装死の前と後) しか生きない (=三度目の偽装死は通用しない)」に,「偽装死したりするのはボンドだけ」を重ねているのである.ところが語順を入れ替えて“ You Live Only Twice ”にする (これが一般的な構文) と前者の意味だけになる.
 
 ところが更に面白いのは,映画と原作小説とでストーリーが異なることである.
 イアン・フレミングの長編小説“ You Only Live Twice ”は日本が舞台であるが,いろいろあって,ボンドは宿敵ブロフェルドと対決し,ブロフェルドを殺害することに成功するが,その格闘で頭に受けたショックのために記憶喪失になってしまう.記憶を失ったボンドは,任務に協力してくれた海女のキッシー鈴木 (w) を愛し,一緒に暮らす.
 原作では,ボンドは英国諜報部員としての過去を喪失して,日本女性との愛の暮らしという二度目の人生を送るのである.
 それではこの“ only ”は何を意味しているのか.
 直訳は「人生は二度しかない」だが,原作のストーリーではボンドは女性と別れて再び諜報部員に復帰して生きることになる.三つ目の人生はなかった,ということなんだろう.
 
 映画のことに戻ると,ナンシー・シナトラが歌った『007は二度死ぬ』の主題歌の歌詞は,原作の内容にある「記憶喪失」とは離れた意味で,「愛に生きることは人生を二度生きること」としている.
 ところが,この動画《You Only Live Twice [日本語訳付き]  ナンシー・シナトラ 》では“ You Only Live Twice ”を《人生って二度ないわ》と和訳している.英語歌詞に「人生は二度しかない」と書かれているのに,どこをどう捩じ曲げれば《人生って二度ないわ 》になるのか.捏造もいい加減にしなさい.英語がわからないなら,こんな動画をアップしてはいけない.

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2018年8月18日 (土)

親子二代で独自研究

 民放テレビの雑学番組を観ていると,画面の右下あたりに,見逃しそうな小さな字で「諸説あります」と表示されることがある.それに比べるとNHK『チコちゃんに叱られる!』では,大きな字で「諸説あります」と表示されるし,森田美由紀アナウンサーのナレーションでもきちんと断りが入るから,良心的である.
 だがしかし,明らかに間違ったことを解説しておきながら「諸説あります」はないだろう,というときもある.

 昨日の『チコちゃんに叱られる』で,「あす」と「あした」はどう違うのかという問題が出されて,意味の違いを金田一秀穂先生が解説したのだが,これが全くもって意味不明なのであった. 
 この『チコちゃんに叱られる』は,「○○なのはなんで?」などとチコちゃんに質問された出演者が答えに詰まると,チコちゃんが「ボーッと生きてんじゃねえよ!」とキメ台詞を吐いて,それから正解とその解説があるという進行である.下の画像は,「あす」と「あした」はどう違うのかという問題の答えとして示されたものである.

20180818a
 
 これだけでは何のことやらよくわからぬので,杏林大学教授の金田一秀穂先生が解説をするわけである.

20180818b
 
 いつものことだが,この稿で使用する画像は,録画データを加工したものではなく,引用に供するためにテレビ画面をカメラ撮影し,そのデータをトリミングしたものである.

20180818c

20180818d

 この例文の「現代語訳」がそもそもだめだ.現代語どころか日本語になっていない.w
 右側の「原文」の「あす」は「今日の次の日」の意である.左側「現代語訳」のように,ただ単に「次の日」としたのでは,いつのことやらわからぬ.日本語では「次の日」という場合は,「天皇誕生日の次の日」とか「運動会の次の日」のように「○○の次の日」と明示する.単に「次の日」とするのは,文脈から推測して「○○」を省略しても構わぬ場合に限る.
 この例文は,枕草子第百二十九段から引いたものと考えられるが,だとすればここの「あす」は現代語の「あす」と同じ意味である.従って現代語訳は「あすは宮中が物忌で外出を控えねばならない (殿上の間に詰めていなければいけない) から」となる.高校の古文の試験で上の秀穂先生の「現代語訳」のように「次の日は」云々と書いたら点はもらえない.

20180818f
 
「あす」の語義は二つある.一つは「今日の次の日」で,もう一つは「近い将来」である.上の左側の例文は「今日の次の日全体」のつもりだろうが,上に述べたように,単に「次の日」では意味をなさない.単に「次の日」としていいのは,文脈から意味が推測できる場合に限る.左の「あす」は文脈から切り出した単語であるから,「今日の次の日全体」と書かねばならない.もう一つ,「近い将来」の意味では,例えば「あすは我が身」「あすの日本」などという.この語義もあるということは,ナレーションなら数秒で済むはずだが,秀穂先生は,この語義に触れなかった.理由がわからない.
 右側の「あした⇒次の日の朝」は秀穂先生の独断である.昔から現在に至るまで,「あした」の基本的な意味は「夜があけて暫くのあいだ」である.誰でも知っている現代文の用例には「あした浜辺をさまよえば」(浜辺の歌) がある.もっと古い用例は論語があり,原文「子曰朝聞道夕死可矣」を漢文訓読すれば「朝 (あした) に道を聞かば夕べに死すとも可なり」である.すなわち「あした」は「朝」である.「次の日の朝」ではない.繰り返すが「○○の次の日の朝」なら「あした」の意味としては間違っているが,日本語ではある.しかし「次の日の朝」は意味不明だ.
 さて,いつしか「あした」から転じて「今日の次の日全体」を指す語義が生じた.その理由を秀穂先生は次のように,唐突に時計を持ち出して説明した.
 
20180818g

 この場面で秀穂先生は「昔は一日は朝と夕しかなかったのだが,みんなが時計を使うようになったから,『あした』から『朝』の意味がなくなり,『あした』は次の日全体を意味するようになった」と言うのだが,全くもって非論理的である.「あした」の語義と時計の普及の間にどのような関係があるのか.論理的にも歴史的にも日本語としても破綻している.先生が何を言っているか理解できる人がいたら手をあげて欲しい.
 
20180818h

 秀穂先生の御父上 の金田一春彦先生も,とんでもない間違いを言ったり書いたりして,碩学高島俊男先生に指摘されることが多かったが,独自研究 (Wikipedia から発生した言葉で,珍説を婉曲にこういう) は親子二代にわたって受け継がれるものであるらしい.w

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2018年8月15日 (水)

戦争協力俳句

 先日書いた記事《俳句の性善説 (おいおい) 》について少し補足しておく.
 私は当該記事の末尾に次のように書いた.

余談だが,夏井先生が《私も良い句ができたなと思ったら、高浜虚子の句と一言一句同じだったことがある 》と発言したその虚子こそ,桑原武夫が「言葉遊び」として指弾した俳人なのだ.そしてこの発言が,私が先週の「俳句の才能査定ランキング」を観て第二芸術論争を想起した所以である.

 補足とは,夏井いつき先生は《高浜虚子の句と一言一句同じだった》に続いて次のように発言したこと.

私もいよいよ高浜虚子のところまできたなと思いましたね

 この言葉でわかるのは,夏井先生が高浜虚子を高く評価していることだ.
 夏井先生は私よりも七歳も年下なので,日中戦争から沖縄戦を経て,昭和二十年 (1945年) 八月十五日に終わったあの戦争 (歴史的には大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した翌九月二日を指すことが多い) について関心があるのかどうか知らぬが,私たち戦争後すぐに生まれた世代は,自分たちの父親,母親の青春を,人生を大きく狂わせたものとして,あの戦争に無関心ではいられなかった.
 戦争に対して私たちが抱いた関心には色々な側面があるが,戦争責任の問題はその一つであった.
 戦争責任を問うとはどういうことか.それは,国体護持のために,戦争終結の和平条件として,戦地にいる兵たちを連合軍に労働力として提供することや,沖縄を割譲することなどを意図していた昭和天皇の卑劣さを後世に伝えることである.
 それはまた,例えば特攻隊隊員たちに《諸君はすでに神である。君らだけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する 》と言ってフィリピンから四百機の特攻を出撃させ,パイロット全員を戦死させておきながら,自分は敵前逃亡した陸軍中将・富永恭次の名を語り続けることである.(《 》は Wikipedia【富永恭次】から引用)

 私よりも若い人たちでも,昭和天皇や卑劣な軍人たちの戦争責任については理解してもらえることと思うが,忘れられがちなのは,一般人でありながら戦意高揚の旗を振った者たちの戦争責任である.
 私が別稿の連載「母子草」で童話作家小川未明の卑劣振りを何度も書いたが,俳句の世界では高浜虚子が未明に相当する.
 小川未明は,軍部と直接の関係を持っていたわけではないが,状況証拠からすると,高浜虚子は戦時中,積極的に軍部と協力した疑いがある
 戦時中,いささかでも反戦傾向のある俳人が検挙投獄の弾圧を受けた中で,ひとり虚子は日本文学報国会の俳句部代表として戦争協力に努め,もって虚子の率いるホトトギスが俳句界を席捲したのであった.虚子の行動の陰湿さは,小川未明よりもタチが悪いと言うべきかと思われる.
 桑原武夫は『第二芸術』(講談社学術文庫,1976年初版第一刷) の「まえがき」で次のように書いている.

戦争中、文学報国会の京都集会での傍若無人の態度を思い出し、虚子とはいよいよ不敵な人物だと思った。

 Wikipedia【第二芸術】に,桑原武夫は《俳句に対するそもそもの非好意的な態度》と記されているが,その非好意的な態度は,上の引用箇所にあるように,戦時中の虚子ら戦争協力俳人たちに対する反感によるものであったろう.
 夏井いつき先生が高浜虚子を高く評価するのは一向に構わぬが,しかしそれはホトトギス社の黒歴史を容認することなのである.

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2018年8月13日 (月)

『からだシフト』の低糖質包装米飯

 三菱食品 (2011年に三菱系の食品卸である菱食,明治屋商事などが経営統合した商社) は,糖質制限用の加工食品ブランド『からだシフト』を展開している.
 製造者が異なる個々の『からだシフト』商品を,三菱食品が統一ブランドとして企画開発しているわけだ.
 そのアイテムの一つに「ごはん (大麦入り) 糖質35% off」があるので,どんなものか買ってみた.製造者はテーブルマーク株式会社 (新潟県南魚沼市),販売者はサラヤ株式会社 (大阪市東住吉区) である.
 品名は「包装米飯 (雑穀米)」で,原材料表示は以下の通り.
--------------------------------------------------
原材料名:
米 (国産),大麦,還元難消化性デキストリン,酸味料
--------------------------------------------------

 栄養成分表示は下記の通り.
----------------------------------------
栄養成分表示 (1食 / 150g 当り)
エネルギー        163kcal
たんぱく質         2.9g
脂質            0.5g
炭水化物         39.2g
    炭水化物 (糖質)     35.0g
    炭水化物 (食物繊維)    4.2g
食塩相当量         0g
----------------------------------------

 食品や食材の低糖質化の常套手法は,デンプンを小麦タンパクで置き換える方法である.例えば少量の小麦粉に,コムギのブランと小麦タンパクを加えて製麺することにより,かなり低糖質の麺とすることができる.まだこのブログで紹介していないが,鳥越製粉がその手法で大幅に糖質を減らした良質の麺を製造販売している.
 しかし包装米飯では,この手が使えない.そこで『からだシフト』の「ごはん (大麦入り) 糖質35% off」は,還元難消化性デキストリン (*脚註) で増量することにより含有糖質量 (%) を低下させているようだ.
 しかしその目論見が成功しているかどうかは実際に食べてみないとわからない.それで購入して試食し,確かめたわけである.

 まずは普通に電子レンジで加熱してパッケージのフィルムを剥がし,しかし中身を見て私は「なんだこれは?」と思った.
 見慣れた包装米飯,例えば「サトウのごはん」とは随分と様子が違う.
 目を近づけて観察したところ,丸い大麦の粒の他は米粒なのであるが,その粒の大きさが小さいものから,普通の大きさの粒まで色々なのである.
 米粒は,短粒の国産米の他に,炊飯時に胴割れしたと思しき小さなかけらと,長粒種 (インディカ米) の米がかなり入っている.
 原材料表示は「米 (国産)」となっているのに,どうしてインディカ米が….
 と思って調べてみたら,私は全く知らなかったのだが,四年前から佐賀県で長粒米が生産されているのであった.品種名は「ホシユタカ」という.
 そしてさらにホシユタカ関連サイトのいくつかを閲覧すると,この品種は,インディカ米特有の香りがせず,日本人に好まれるジャポニカ米の香りのする点が優れていると書かれている.
 この「ごはん (大麦入り) 糖質35% off」に関連する特許を検索したが今のところ見つけることができていない.従ってこれは推測に過ぎないのであるが,短粒国産米に還元難消化性デキストリンを加えて炊飯すると,米粒の外側が還元難消化性デキストリンでコーティングされることになる.還元難消化性デキストリンは主に飲料の機能性成分として使用されているが,薄い水溶液では低粘度であっても炊飯後は濃縮されるから「糊」のようになるだろう.この「糊」で米粒がコーティングされると,米飯の食味としてはベタベタして味を損ねるのではないか.
 それを少しでも緩和するために,元々が炊飯してもパラパラしている (=糊化しない) インディカ米をジャポニカ米にブレンドしたのではないかと考えられる.

 このようにして,包装米飯を還元難消化性デキストリンで増量することにより低糖質化を実現しようとの目的がインディカ米のブレンドというアイディアに結びついたというのが私の推測である.
 その開発プロセスはよしとして,しかし商品化された「ごはん (大麦入り) 糖質35% off」は,失敗していると私は考える.有体に評価して「まずい」のである.
 ホシユタカ単独の食味を私は知らないが,もしかするとあまり上質ではないかも知れない.またそれ以外にブレンドされている国産米も,かなり低品質なのではないか.
 以前にも述べたが糖質低減に関して「35%オフ」は微妙な線である.ほんの少し低糖質だというところである.そのわずかな低糖質化のために,食品の「おいしさ」を犠牲にするのは本末転倒だ.
 そんなことをするくらいなら「おいしい御飯」の,食べる量を少し減らせばいいのだ.
 私たちが食べ慣れている「サトウのごはん」と,『からだシフト』の「ごはん (大麦入り) 糖質35% off」とを食べて比較すれば,百人のうちの百人が「サトウのごはん」を選ぶだろう.「ごはん (大麦入り) 糖質35% off」の食味は歴然と劣る.また「ごはん (大麦入り) 糖質35% off」には酸味料が添加されているが,衛生的な工場で製造されている「サトウのごはん」にはそんなものは使われていない.これも『からだシフト』の包装米飯の減点ポイントである.

 私は『からだシフト』の「ごはん (大麦入り) 糖質35% off」を十個入りを Amazon で購入したのであるが,これほど残念な商品だとは思わなかった.試食したあとの残り九個をどうしようかと思案している.

[脚註]
 難消化性デキストリンは,一般的には焙焼したデキストリン (トウモロコシ由来が多い) を酵素分解することにより,酵素分解可能な部分を除去して得られる.
 その難消化性デキストリンを水素添加して還元することにより還元難消化性デキストリンを得ることができる.還元難消化性デキストリンは,難消化性デキストリンの欠点である焙炒による着色が解消されている.
 還元難消化性デキストリンは,食後血糖値の上昇を緩やかにするとし最近注目されている機能性食品素材である.『からだシフト』の「ごはん (大麦入り) 糖質35% off」は,単なる低糖質化だけでなく,食後血糖値の上昇を抑制する効果を期待したのであろうが,残念ながらアイディア倒れに終わった.

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2018年8月12日 (日)

恋人つなぎ

 昨日の夕刻,ジムで筋トレしたあと,サラダにするカット野菜とか夕食の材料を買いに,藤沢駅北口のダイエーの方向に歩いていたら,前方から私よりもかなり年上かなと思われる男女が歩いてきた.様子からすると,きっと御夫婦に違いないと思った.
 向かって右側が男性で,左手で杖をついている.左側が女性で右手で杖をついている.
 その二人は,杖を頼りに,ゆっくりと一歩一歩を歩いていたが,二人は,あいている方の手を「恋人つなぎ」していた.
 なんというか,とてもいいものを見た気がして,私もちょっとよい気分になった.

 その夜のテレビ番組『世界一受けたい授業』で,オキシトシン (Oxytocin) の話題が取り上げられた.
 オキシトシンはヒトに幸福感をもたらすホルモンとされている.詳しいことを知らなかったので Wikipedia【オキシトシン】を読んでみたら,恋人同士が手をつなぐ行為はオキシトシンの分泌を大幅に増加させるのだそうだ.
 ペットをなでることもいいらしい.私は膝の上に愛犬を乗せてなでながら,あの老夫婦がこれからも幸せでありますようにと祈った.

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2018年8月11日 (土)

半田付け プルプル感はいけません

 昔話をする.
 小学生の頃,父親の同僚で,趣味でラジオやテレビを製作する人が近所に住んでいた.私はその人のお宅に行っては,電気回路の初歩を教えてもらったり,ラジオの組み立てを見せてもらったりした.
 その当時は真空管が実用部品とされていた最後の時期にあたり,半田付けに使う半田ゴテは消費電力が60Wくらいの大きいもので,銅製のコテ先は銃弾のような形をしていた.
 話は少し横に逸れるが,この銃弾型のコテ先は,実は電気回路の配線だけでなく,簡単な板金工作にも適しているのだが,真空管ラジオとか真空管アンプの製作にだけに使うのであれば,ヤスリで削って加工してから使うのが普通だった.どんな形に削るのかは機会があればお見せしたいが,これはまあ滅びた伝統技術だ.今は秋葉原に行けば使いやすい形状で温度調節もできる高性能の半田ゴテが簡単に手に入る.
 さて程なくして真空管の時代が終わり,半導体の全盛期を迎えると,半田付けのやり方はすっかり変わってしまった.熱に弱い半導体をダメにしないように半田ゴテの消費電力は30~40W程度に小さくなり,小型化し,プリント基板の配線に便利なようにコテ先の形状は細い棒状になったのだった.(上級者が愛用する先端が尖ったものもある)

 一昨日,テレビ番組『プレバト!』で,半田付けのシーンが放送された.
 名人フジモンが次の句を詠んだのである.

短夜や 付録ラジオの半田付け

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 このシーンはイメージ映像であるから,プリント基板がラジオのそれでないのは構わない.しかし,映っている半田ゴテがイケナイ.これは板金工作もできる消費電力の大きいものだ.しかも,出演した子役の少年は,一度も半田付けをした経験がないとみえて,デタラメなことをしている.これは半田付けではない.プリント基板の上で無意味に半田を融かしているに過ぎない.
 このシーンを撮影したスタッフも半田付けという作業を一度も見たことがないのだろう.だが,見たことがないなら,ネットを探せばいくらでも資料画像がみつかるのに,それをしないというのはどういうことなんだろう.

 しかしもっとダメなのは,夏井先生の評言だ.
 この句から「半田のプルプル感」と言ったのだ.

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 真空管ラジオだろうがプリント基板の電子回路工作だろうが,半田付けは可及的に少量の半田しか使ってはいけない.
 融けた半田がプルプルするくらいに盛ってしまうのは,通称「イモ半田」といい,半田付けのやり方の初歩すら知らぬ者がやってしまう大失敗なのである.
 すなわち夏井先生は半田付けの実際を見たことがないに違いない.見たことがないのは無理からぬことであるが,ならばなぜネットで資料を探して勉強しないのか.夏井先生の「半田のプルプル感」は,自分が見たこともないことを,さも知っているかのように語っているわけで,つまりこの言葉にはリアリティというものが全くない.これは俳句批評遊びである.

 いやあ『プレバト!』は毎週毎週,ツッコミ所満載で,最上のエンタメ番組であるなあ.
 ちなみに半田付けの動画で楽しいのはコレ

(上の画像は録画データを加工したものではなく,引用に供するためにテレビ画面をカメラで撮影し,それをトリミングしたものである) 

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2018年8月10日 (金)

母子草 (十六)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
* 前回の記事は《母子草 (十五) 》 
 
 この連載もそろそろ終わりに近づいた.藤沢衞彦作「母子草」の作品評価を始めよう.
 ここで連載前回の末尾を再掲する.
戦後,小川未明は軽々と転向したが,藤澤教授は戦後を,戦前戦中の未明のミニチュアとして生きたのである.そしてこれこそが,上笙一郎が『児童文学研究=北邙の人たち』(日本児童文学協会編『戦後 児童文学の50年』,p.113) の中で,藤澤教授を指して《世界観や人生観に関しては、古くてどうにもならない》と書いたことなのである.
 
 藤沢衞彦教授の世界観や人生観の古さは,自ら「標準語の使用」を明らかにしていることに示されている.
 現代日本ではもはや「標準語」は死語である.戦前の日本史に明るくない世代の人々が,標準語と共通語とを混同している場合があるが,かつて明治政府が富国強兵策の一環として国を挙げて取り組み,あるいはまた昭和期戦前の政府が海外植民地 (特に朝鮮) 統治のための道具として用いた「標準語」を話し,読み書きした人々は既に世になく,標準語は言語としては忘れ去られた.従って標準語は,単語として残っているが実体はない.それがどのようなものであったかは,《母子草 (十一) 》の註に記した.
 ここでは藤澤教授の童話「母子草」から一部を引用してみよう.(便宜のために全文を最後に掲げる)
 
『おなつかしいお母さま。お母さまは、いまごろ、どうしておいでやら。』
毎日毎日、小雪は、ふるさとのお母さまにむかって、おわびするのでありました。
『それは、小雪のお母さまの、清い涙のしずくからはえた草だよ。』
 
 藤澤教授の童話「母子草」の中で,主人公小雪はもちろん,話に登場する村人も小雪の母親を「お母さま」と呼んでいる.この「母子草」は戦後の昭和二十四年に書かれた作品であるにもかかわらず,明治時代に標準語の基礎となった東京山手の中流家庭 (官吏や会社員など比較的富裕な層) の言葉である「お母さま」が用いられているのだ.現代の私たちからすると,違和感を持たざるをえない.
 また「母子草」は,戦後の口語文の文学作品としてはあまり用いられない「であります」調 (一般には軍隊言葉として知られている) と「です・ます」調を混在させて書いている.ここで指摘しておかねばならないのは,「であります」調は小川未明が多用した表現であったということである.未明の「であります」調については,古谷綱武氏は「小川未明論」(『日本人の知性』〈学術出版会所収) で次のように書いている.
 
むやみやたらに「あります」でむすんでいる文章のまずさ、明治の雄弁術が現代に生きのこっているようなその目ざわりなかたさは、それがそのまま頭のかたさであるが、現代の評価にあてれば、欠点とよんでいいものである
 
 これはまことに的確な指摘であり,《「あります」でむすんでいる文章のまずさ 》は,そのまま藤澤衞彦教授作の童話にも当てはまる.
 著名な童話作家であった奈街三郎 (1978年12月23日没) は昭和四十八年 (1973年) に,藤澤衞彦作「母子草」をほぼ丸ごと剽窃して奈街三郎名義の「母子草」(『幼年みんわ かなしいはなし』〈偕成社〉所収) を発表したが,これは完全なコピーではなく,姑息なことに,原作中の「お母さま」を「おかあさま」と平仮名にし,かつ「であります」を「です・ます」に書き換えている.剽窃者は剽窃者なりに,いくら何でも童話に軍隊言葉は馴染まないと考えたのであろうか.
 実際,藤澤衞彦作「母子草」から派生した戦後の童話作品には,奈街三郎らが剽窃して発表した二作品も含めて,標準語で書かれたものは一つもない.標準語で書かれたのは藤澤衞彦作「母子草」だけである.
 なぜ藤澤教授が,戦後になっても大日本帝国の残滓である標準語で童話を書こうとしたのかは,今となってはわからない.
 しかし推測できる理由が一つある.それは,藤澤衞彦教授が昭和二十四年,童話集『母子草』巻末に掲げた後書き《父兄方へ 》 (前回の記事《母子草 (十五) 》に掲載した) を読めば明らかなように,藤澤教授の童話は子どもに向けて書かれたものではないことである.
 藤澤教授は,戦前の標準語教育を受けた「父兄」を対象にして童話を書くことを意図したのであり,従って,戦後の普通の子どもが理解できる言葉ではなく,標準語を用いて書いても何ら問題はないと考えたのだろう.これは小川未明が,子どもではなく大人に鑑賞されることを期待して童話を書いたのと同じ姿勢である (小川未明《今後を童話作家に 》;青空文庫).そして未明ら明治生まれの童話作家たちの作品は,戦後になってから登場した児童文学者たちによって「子ども不在の童話」として厳しく否定されたのであった.
 
 藤澤衞彦作「母子草」には,標準語の使用の他にも,いくつかの問題点がある.
 その一つは,この作品では童話の基本的な作法が守られていないことである.次回はそのことについて述べる.
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「母子草」全文
底本:『日本傳承童話集 第二集 母子草』(雄鳳堂揺籃社,昭和二十四年七月三十日発行初版第一刷)
 
 小雪は、いつものように、湖のほとりに立って、はるかむこう岸をじっとみつめているのでした。
『おなつかしいお母さま。お母さまは、いまごろ、どうしておいでやら。さぞ、ご不自由でございましょう。小雪の年期 (やとわれて働くことを約束した年數) も、あと三年ですみます。それまではお母さま、どうかおたっしゃにおくらしください。』
 毎日毎日、小雪は、ふるさとのお母さまにむかって、おわびするのでありました。
 人の一心の、なんで通じないことがありましょう。ふるさとでは、小雪のお母さまも、
『小雪、小雪、私のかわいい小雪よ、どうかたっしゃでいておくれ。せっかくお前がご奉公に出てまでととのえてくれたお藥も、どうしたことか、ききめがあらわれず、私はめくらになってしまったけれど、私はお前の美しい心がよく見えます。神さま、どうか、小雪の身の上がしあわせでありますように。』
 やさしい小雪のお母さまも、毎日いくたびか湖とわが家のあいだをいききしては、小雪のいる他國 [ルビ=よそぐに] はあの方角かと見えぬ目でのぞんでは、涙をながしておりました。今まで三年のあいだに、こうしてながしたお母さまの涙は、まあどのくらいだったでしょう。それにもおとらない小雪の涙は、きょうもまた湖のほとりに来て、とめどもなくながされるのでした。
 はるばると廣い大きな近江の湖、その湖の上には、きらきらと美しい太陽の光が波にてりはえて、なんともいわれぬ美しいながめでしたが、小雪には、やっぱり悲しい湖でありました。
 いつものように、草かりかごをそこへおろすと、小雪は、じっとふるさとの方をながめて、
『お母さま、きょうは私の身の上に悲しいことが起こりました。あと三年でお母さまにおあいできると、指おりかぞえて待っておりましたのに、きけば、ここでは、その年期が約束通り守られないらしいのです。きょう、七年たったお友だちが、なんとかりくつをつけられて、また三年のびました。私も三年たったら、うまくお母さまのもとへかえれるかどうか、あやしく思われます。でも、にげてはいかれない湖のお國です。ああ、私はお母さまがこいしい。…… ふるさとこいし、母こいし。』
 小雪は、うたって泣きました。
 するとそのとき、ふしぎにも湖の中に、『ふるさとこいし、母こいし。』という文字が、波の上にありありとあらわれました。見ているうちにその文字は、だんだんのびて、ふるさとの方へひろがっていきます。ゆめではないかと、小雪が見ていますと、その文字のみちを、はるかに通ってこちらに来る一人の女の人、それは湖のはなれ島におまつりしてある、べんてんさまでありました。
 べんてんさまは、やがて、なぎさ近くまでおいでになって、手まねで、小雪について来いと申されます。小雪が文字のみちをつくづく見ますと、それはなんと、たくさんのお魚がもりあがって橋をわたしているのでした。みちびかれるままに、小雪は、べんてんさまについて、魚の橋をわたっていきました。そして、長い長い橋をつかれもせず、なつかしいふるさとの岸までたどりつきました。
 ふと見れば、いつのまにやら、べんてんさまのおすがたが消えていました。小雪が岸につくと、そこからわが家の方にむかって、二列になってはえている、ふしぎな草が目につきました。ついぞ見なれぬ草なので、村人にたずねますと、
『それは、小雪のお母さまの、清い涙のしずくからはえた草だよ。』
 とこたえてくれました。小雪はその草のみちをたどって、なつかしいお母さまのもとにかえりました。
 皆さんも初夏のころ、あぜみちや野みちをいくと、小さい黄色い花をつけた、くきの長い草を見つけることでしょう。これこそ、この母と子の、やさしい心によって生まれ出た、記念 (かたみ) の母子草だということです。

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2018年8月 9日 (木)

林先生,その説明,お見事ではありません

 医療分野や,健康と栄養に関する話題を取り上げるテレビの情報番組で,もっとも信頼性が高いのは,しかるべき医師の監修の下に制作されているNHK『ドクターG』(不定期放送) であろう.
 ところが同じNHKでも,健康情報を頻繁に取り上げる『ガッテン!』は,過去に学会などから放送内容について抗議を受け,厚労省から口頭注意されて謝罪にまで追い込まれたことがある.
 誤情報の流布というよりもテレビ番組の大不祥事の一つとして記憶されているのは,フジテレビ系列で放送されていた『発掘!あるある大事典』だが,その司会者だった堺正章は現在,日本テレビ系列の『世界一受けたい授業』に出演している.しかしこの番組はまだそれほど社会に害悪を流していないようだ.
 その手のクリティカルな話題は取り上げないので毒にも薬にもならぬエンタメに過ぎないテレビ東京『ソレダメ!』は,過去にあまり問題を起こしたことはない.
 誤情報の流布,ほとんどフードファディズムの域にあるという点で最悪なのは,予備校講師にして雑学芸人である林修先生が出演するテレビ朝日『林修の 今でしょ!講座』である.この番組は精神衛生に悪いので,今はもう私は決して観ない.
 これよりはマシだが,時折とんでもないことを放送するのが,やはり林修先生の毎日放送系列『林先生が驚く 初耳学』だ.
 先日の日曜日 (8/5) に放送された『林先生が驚く 初耳学』で《医師が患者に,効き目のない薬を出すことがあるが,その理由は何か》という出題がなされた.
 
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 この問題に対する林先生は「知っている」と答えたが,その答えの概略は次の通り.
 
『人間は,有効成分を含まないものをも薬だと思って服用すると効いてしまうことがある.
これを「プラシーボ」あるいは「プラセボ」と言う.また「偽薬」とも言う.
必要でない薬を欲しがる患者にプラシーボを処方すると,薬をもらったという安心感でいい方向に繋がっていくので医師が敢えて処方するケースがある』

 
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 番組ではこの解答を司会者が「林先生,その説明,お見事です」と正解にしたが,実はこれが大間違いなのであった.
 大きな間違いとは,林先生がプラシーボの意味と倫理的問題点をよく理解していないことが露呈したのに,司会者が正解としてしまったことと,正解の解説として放送されたVTRとテロップに,エンタメ番組だからといって看過してはならぬ重大な誤情報が含まれていたことである.以下,この問題について解説する.
 
 さてプラシーボ (偽薬) には二つの意味がある.
 第一は,医薬品の評価を目的として行われる臨床試験 (=治験) において当該医薬品に対する対照として使用される場合 (プラシーボ対照という) であり,第二は臨床の場で患者の疼痛緩和などの治療を目的として使用される場合 (プラシーボ治療という) である.林先生は単にプラシーボと言ったが,正しくはプラシーボ治療と言わなければいけない.
 まず最初に,プラシーボ対照について.
 例えば,新しく開発された抗がん剤の治験に参加する患者群は,医師にも患者本人にもわからぬようにして本物の抗がん剤を投与される群とプラシーボを投与される群に分けられる.これを二重盲検法という.この場合,本物の抗がん剤を投与される群はいいが,プラシーボを与えられる患者はたまったものではない.本来なら与えられるべき治療の代わりに偽物の薬を投与されるわけで,治験中に病状が悪化して死亡したりなどしたら,その責任は誰がとるのかという重大な倫理的問題が生じる.
 そのため現在の治験における比較対照試験では通常,プラシーボ対照は行われず,類似の薬効を有する既承認薬が用いられる.
 次に,プラシーボ治療について.
 これは,既に医療の分野で確立された概念のように一般に考えられている「インフォームド・コンセント」に反する行為なのである.
 Wikipedia【インフォームド・コンセント】から概略を以下に引用する.
 
インフォームド・コンセント (英: informed consent) とは、「十分な情報を得た (伝えられた) 上での合意」を意味する概念。
特に、医療行為 (投薬・手術・検査など) や治験などの対象者 (患者や被験者) が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解した上で (英: informed)、対象者が自らの自由意志に基づいて医療従事者と方針において合意する (英: consent) ことである (単なる「同意」だけでなく、説明を受けた上で治療を拒否することもインフォームド・コンセントに含まれる)。説明の内容としては、対象となる行為の名称・内容・期待されている結果のみではなく、代替治療、副作用や成功率、費用、予後までも含んだ正確な情報が与えられることが望まれている。また、患者・被験者側も納得するまで質問し、説明を求めなければならない。
インフォームド・コンセントについて、日本医師会生命倫理懇談会は1990年に「説明と同意」と表現し、患者の自己決定権を保障するシステムあるいは一連のプロセスであると説明している。1997年に医療法が改正され「説明と同意」を行う義務が、初めて法律として明文化された。
》 (下線は当ブログの筆者が付した)
 
 プラシーボ治療は,患者本人は「効く薬」だと信じているのに,実際は無効な医薬品を与えるのであるから,インフォームド・コンセントとは真っ向から対立する行為なのである.
 また,林先生は《人間は,有効成分を含まないものをも薬だと思って服用すると効いてしまうことがある》と述べた (これをプラシーボ効果という) が,プラシーボ効果を疑問視する研究者は多い.
 Wikipedia【偽薬】から以下に引用する.
 
偽薬に一定の効果があるかどうかについては、疑問視する意見も常にある。2001年に New England Journal of Medicine に掲載された Hrobjartsson らの論文は、治療手段としての偽薬の効果が限られていると主張し、反響を呼んだ。この論文で著者らは、過去に行われた偽薬と無治療との比較試験100編以上の論文をレビューして、痛みの症状は偽薬によって若干改善されるが、それ以外では、偽薬が自覚症状や他覚症状を改善する証拠はなかったと述べている。
 
 上の引用のように,プラシーボ治療は科学的に確立したものではないため,米国では2004年に米国疼痛看護管理学会 (American Society for Pain Management Nursing) がプラシーボ治療に反対する声明文を公表したことを契機に,2005年に米国疼痛学会 (The American Pain Society) が,2008年には米国医師会 (American Medical Association)が相次いで治療においてインフォームド・コンセントを求めるガイドラインを示すに至った.
 ところが日本においては,医師や看護師のプラシーボ治療に関する倫理観が低く,田中 (東邦大学医学部看護学科) らは,論文『臨床における看護師のプラシーボ与薬の実態に関する全国調査』(日本看護倫理学会誌,Vol3,No.1,2011) において次のように述べている.
 
プラシーボ治療は当事者である患者はもちろん社会的にも公にされないまま、実際にはかなりの頻度で実施されていることが明らかになっている
 
 『林先生が驚く 初耳学』にVTRで登場した山下弘一という医師 (やました内科・脳神経クリニック院長,東京都) はプラシーボ治療を《確立された科学的なものなんですよ》と述べたが,これは事実に反する.
 
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20180809h
 
 実際には研究者間にプラシーボ治療に関する科学的なコンセンサスは存在せず,このことは Wikipedia【偽薬】に《少なくとも標準的な治療法とはなり得ていない状況といえる》と書かれている.(ネット上にあるプラシーボ治療に関する原著論文を私が読んだ限りにおいては,この Wikipedia【偽薬】の記述は妥当である)
 しかもプラシーボ治療には,科学的な問題の他に,インフォームド・コンセントに反するという大きな問題が存在するのである.従って上に示した山下弘一医師の発言は,いまだ見解が対立している状態にあるプラシーボ治療の問題を,あたかも解決済みであるかのように視聴者をミスリードする誤情報だと断じて差し支えない.
 
 私の体験について述べると,私はこれまでに四回,総合病院に入院して治療を受けたことがあるが,いずれの病院でも,医師が薬を処方すると病院所属の薬剤師が私のベッドまでやってきて,処方された薬の詳しい内容と服用方法の説明を行った.
 このようなインフォームド・コンセントのシステムがきちんと機能している病院では,プラシーボ治療は実施が難しい.薬剤師による薬の説明がないということは,その薬がプラシーボだということであり,プラシーボ治療であることが患者にバレてしまったのでは,そもそもプラシーボ治療の効果がないからである.
 すなわち《医師が患者に,効き目のない薬を出すことがある》プラシーボ治療が可能なのは,インフォームド・コンセントのシステムが機能していない病院 (例えば「○○クリニック」とでもいうような規模の w) で入院治療を受けている場合に限られるだろう.(医師法では,医薬品を患者に処方する際,処方箋を発行することがその暗示的効果の妨げになる場合には処方箋を交付する義務がない事が規定されている)
 通院患者の場合はどうかというと,処方箋には医薬品名が書かれているから,患者はただちにネット検索してその医薬品の効果効能を知ることができる.またその処方箋を持って行った先の調剤薬局では,通常,薬剤師による口頭で薬の説明が行われるか,またはその薬の説明が書かれた印刷物が薬と共に患者に渡されることになっている (薬の入った袋だけがポンと患者に渡されている次のシーンは実際と異なる) ので,林先生が言うようなプラシーボ治療は困難である.
 
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(通常の調剤薬局では,薬剤師がトレーに処方箋と薬と,薬を入れる袋を載せてもってきて,処方箋を確認しながら患者に薬の説明を行い,それから薬を袋に入れる.このようにして患者に間違った薬を渡してしまわぬような手順が踏まれるのだが,これはインフォームド・コンセントの実行でもある.番組では上に掲載した画像のシーンが放送されたが,確認作業なしに,既に袋に入れられた薬を患者に手渡すような調剤薬局が仮にあるとすれば,私たちはそのような薬局を利用してはいけない)
 
 以上が『林先生が驚く 初耳学』で放送された「医師が患者に,効き目のない薬を出すことがあるが,その理由は何か」という出題が持つ重大な問題点の説明であるが,実はもう一つ,放送内容にもっと重大な問題点があった.次のシーンを見て頂きたい.
 
20180809f_2  
 
 薬の知識がない上にスマホもパソコンも持っていない情報弱者の患者が何としてでも薬を欲しがった場合に「それじゃあビタミン剤でも出しておくか」と医師が意味なくビタミン剤を処方することは無害だからよしとしても,上のテロップにあるように無意味な抗生物質を処方するのはよほど悪質な医師の場合に限られるだろう.昭和の頃に,医師が無意味に抗生物質を投与した結果として薬剤耐性菌が蔓延したのを知りつつ,現代の普通の医師が意味なく抗生物質を処方するとは思えない.これは誤情報の域を超えた虚偽情報である.
 
[脚註 1] なお,上の数葉の画像は,録画データを編集したものではなく,引用に供するためにテレビ画面をカメラで撮影し,それをトリミングしたものである. 
[脚註 2] 最後に文献をいくつか紹介しておく.
プラセボの使用に関する倫理的ジレンマとそれを乗り越える試み

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2018年8月 7日 (火)

俳句の性善説 (おいおい)

 昔,私がまだ中学生であった頃のこと.父親が読売新聞を定期購読していたので,週に一度掲載される短歌と俳句の欄 (読売歌壇,俳壇) を私は楽しみにしていた.
 読売の縮刷版を調べていないから不確かではあるが,たぶん東京オリンピックの年,昭和三十九年 (1964年) のことだった.歌壇俳壇とは別ページの文芸批評欄に「第二芸術論争」に関する評論が掲載された.その評論の筆者が誰であったかは覚えていないが.
 第二芸術論争とは,フランス文学者の桑原武夫が昭和二十一年 (1946年) ,雑誌「世界」の十一月号に発表した論文「第二芸術論 ― 現代俳句について ― 」に始まる論争である.(講談社学術文庫に桑原武夫著『第二芸術』があり,これは絶版であるが現在も古書が入手できる.青空文庫には収載されていないようである)
 その論争がどのようなものであったかは,俳句の鑑賞はするが実作者ではない私が述べるよりも,当該論争を要領よく紹介している Wikipedia【第二芸術】と,桑原武夫をほぼ支持する立場で書かれているウェブコンテンツ《今もつづく「第二芸術論」の衝撃 》を紹介しておく.
 Wikipedia【第二芸術】は,

桑原の挑発的な論調もあってこの論文は俳人たちの間で多くの反論を引き起こした。主な論者は山口誓子、中村草田男、日野草城、西東三鬼、加藤楸邨などで、山口と桑原は毎日新聞紙上で「往復書簡」のやりとりをしている。反論側の要旨は俳句の党派性などの弊害をある程度認めつつ、桑原の鑑賞力の低さや俳句に対するそもそもの非好意的な態度を批判するもので、中でも中村草田男が激しい反論を行った。

としているが,第二芸術論争に関して中立的に述べた文芸批評が読売新聞に掲載された当時に中学生だった私にすら,草田男らの反論は的外れのように思われたのであった.
 しかしそれから五十余年を経た今の私には,俳句は作者の人生と無関係な処に成立するという桑原武夫の主張はいささか極論だと思われる.

 話は少し逸れるが,「無限の猿定理 (infinite monkey theorem) 」は広く知られている思考実験である.Wikipedia【無限の猿定理】の冒頭から少し引用しよう.

無限の猿定理(むげんのさるていり、英語: infinite monkey theorem)とは、ランダムに文字列を作り続ければどんな文字列もいつかはできあがるという定理である。比喩的に「猿がタイプライターの鍵盤をいつまでもランダムに叩きつづければ、ウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す」などと表現されるため、この名がある。
この「定理」は、巨大だが有限な数を想像することで無限に関する理論を扱うことの危険性、および無限を想像することによって巨大な数を扱うことの危険性について示唆を与える。猿の打鍵によって所望のテキストが得られる確率は、たとえば『ハムレット』くらいの長さのものになると、極めて小さくなる。宇宙の年齢に匹敵する時間をかけても、実際にそういったことが起こる見込みはほとんどない。しかし、定理は「十分長い」時間をかければ「ほとんど確実」にそうなる、と主張する。

 上記が「無限の猿定理」についての超簡単な紹介であるが,《たとえば『ハムレット』くらいの長さのものになると、極めて小さくなる。宇宙の年齢に匹敵する時間をかけても、実際にそういったことが起こる見込みはほとんどない 》としても,猿をスーパーコンピュータに置き換え,これに適当なロジックで俳句を作らせたらどうなるか.
 膨大な時間を要せずに,コンピュータが正岡子規の「絶筆三句」すなわち

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
をとゝひの糸瓜の水も取らざりき
痰一斗糸瓜の水も間にあはず

をアウトプットする可能性には現実味があると思われる.
 だがしかし,コンピュータがそんなことをしても私たちは「はーそうですか,それで?」と言うだろう.
 またコンピュータの技術者は誰一人としてそんな愚かな試みはしないだろう.
 何となれば「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」は,正岡子規という人間の人生があってこそ初めて成立したものだからである.
 子規が世を去る前年の「柿くふも今年ばかりと思ひけり」もよく知られた句である.齢七十に近い私はこの一句にしみじみとした感慨を覚えるのであるが,私だけでなく老人の多くは同じ思いであろう.感銘とはそういうものである.
 話を第二芸術論に戻そう.坂口安吾は「第二芸術論について」で次のように書いている.

俳句も短歌も私小説も芸術の一形式なのである。たゞ、俳句の極意書や短歌の奥儀秘伝書に通じてゐるが、詩の本質を解さず、本当の詩魂をもたない俳人歌人の名人達人諸先生が、俳人であり歌人であつても、詩人でない、芸術家でないといふだけの話なのである。

 私は,坂口安吾の意見に賛成である.俳人には,自分の人生を五七五の詩にしない (しようとせぬ) 人と,詩人と呼ばれるべき人々がいるのである.
 では,己の人生と無関係の処に成立する詩魂のない俳句とは何か.遊びである.
 遊びではあるが,それが悪いというのではない.後述のように,遊びにも意味はあると私は思っている.

 以上は長い前フリである.
 先週のテレビ番組『プレバト!』の名物企画「俳句の才能査定ランキング」を視聴して,私は第二芸術論争を想起したのである.
 番組内容は《東国原英夫の盗作疑惑について、俳句講師“この世界ではよくある話” ネットは賛否両論 》をお読み頂きたい.芸能記事であるが,過不足なくまとめられている.
 番組では講師の夏井いつき氏が,番組内で名人の位にある東国原英夫の句が地方紙の投稿句に酷似していることを指して

俳句を査定している俳人・夏井いつきは、句が似通ることは「俳句の世界ではよくある話。17音しかないので、類想類句は山のようにできる」とフォロー。俳句の世界の慣習は「すべて性善説で考える。わざと悪いことをしたって考えない。同じのがたまたまできたんですね(と解釈する)」と見解を述べた。また、類似した句が先に発表されていた際は、「それ以降その句を自分の句と主張しない」と対処法を教示。さらには「私も良い句ができたなと思ったら、高浜虚子の句と一言一句同じだったことがある」と話していた。

と擁護したが,この発言は重大である.もしも夏井先生の言う通りなら,俳句とは何とまあのんびりとしたいい加減なものなのだろうと考えざるを得ないからである.
 例えばこの文章の前半で述べたように,思考実験としてスーパーコンピュータに俳句を作らせる.ランダムに十七音を並べ,その中から俳句として意味あるものをアウトプットさせる.そうすると何万冊,何十万冊もの句集ができるだろう.その結果,夏井先生が今後どんなに工夫を凝らした俳句を作ったとしても,コンピュータが作った句集の中にそれと全く同じ先行作品が見出されるだろう.このような,自分の作る俳句がすべて先行作品の類想類句として全否定されるという局面に際して,夏井先生はそれでも《類想類句は山のようにできる》のが俳句というものであるから,「自分の句だと主張しなければいい」などと平然としていられるか.
 そうではなかろう.文章の芸術というものは,桑原武夫が極論したように,作者の人生と結びついて初めて芸術たり得るのである.(桑原武夫は,俳句には人生を盛り込めぬから,俳句は二流の芸術なのであるとしたが,それは言い過ぎである)
 もし自分の一句が己の人生から生み出されたものであれば,夏井先生はコンピュータ作の同一先行句に対して「これは私の句だ,私の作品だ」ときっぱり否定できる.機械に人生はないからである.同様に,夏井先生の俳句が言葉遊びではないとするなら,他の人の句と同じものになるはずがない.人には,同じ人生などないからである.言い換えれば,他人の句と同じものを作ってしまうというのは,それが言葉遊びであるからだ.今回の東国原の盗作疑惑の件は,言葉遊びとしての俳句のあやうさを示している.そして東国原を擁護した夏井先生には,創作のオリジナリティということに対する潔癖性が決定的に欠けている.それは先日ここに書いた私の文章《されどわれらが日々 》でも指摘した.

 とは書いてみたものの,私は毎週「俳句の才能査定ランキング」を楽しみに視聴している.この番組は,お笑い芸人たちに俳句芸人の夏井先生が「○○と懸けてなんと解く」と「お題」を出す形の,いわば寄席の大喜利と同種の遊びなのである.しかし遊びとしては,なかなか面白いので私は欠かさず観ている.w

 余談だが,夏井先生が《私も良い句ができたなと思ったら、高浜虚子の句と一言一句同じだったことがある 》と発言したその虚子こそ,桑原武夫が「言葉遊び」として指弾した俳人なのだ.そしてこの発言が,私が先週の「俳句の才能査定ランキング」を観て第二芸術論争を想起した所以である.
 子規は生涯に二万句以上の俳句を詠んだという.それらには他人の作品と同じ句はなかったのである.

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2018年8月 6日 (月)

自転車のチリンチリン

 背後から音もなく,しかも無言ですり抜けるように追い抜いて行った自転車に驚き,横っ飛びに避けたら,電柱に右手を強打した.
 骨にヒビが入ったため,右手を使う作業ができなくなってしまった.
 しかし昨日,ようやく固定が外されたので,またキーボードを打てるようになった.

 それで思ったのだが,かなり前から自転車に乗っている時に「チリンチリン」という警音を鳴らす人はいない.
 なぜかというと日本の道路交通法においては,第54条 (警音器の使用等) で,進路上にいる他の自転車や歩行者に進路を譲らせる目的で警音器を鳴らしてはならないとされているからである.
 私が被ったケガは,この条文に該当し,運転者 (女性だった) は正当なのである.
 まことに腹が立つ.運転者が声を出して前方の歩行者に警告する義務を課して欲しいが,それは現行法ではマナーの範疇である.自転車に接触されたわけではなく,自分が避けたことが原因のケガは,ケガをした方が悪いというのが現行道交法の精神である.後で調べたら,そういうことなのであった.くそっ.

 というわけで,また更新再開である.

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