« 極端から極端へ | トップページ | 肴は炙っただけの烏賊 »

2018年7月24日 (火)

橋本忍逝く

 名優加藤剛が亡くなったのは先月の十八日だが,報じられたのは今月九日だった.
 続いて日本映画史上に屹立する脚本家橋本忍の訃報は先日の二十日であった.
 この二人の名を聞けば何を措いても『砂の器』だが,橋本忍の逝去を報じたウェブニュースの中に『砂の器』を挙げていないものがあったので私は驚いた.
 またふとしたことから閲覧したブログ《鶴の一声》の記事《524 橋本忍という脚本家 》   に

先日のブログで、加藤剛・加藤嘉の「砂の器」のことを書いたが、その脚本家が橋本忍さんだったことを、今回亡くなってから知った。
 その他にも、羅生門・七人の侍・隠し砦の三悪人・ゼロの焦点・日本の一番長い日・風林火山・どですかでん・日本沈没・八甲田山・八墓村・影武者など、多くの優れた邦画の脚本を手掛けていたことも合わせて知った。

と書かれているのを見て,今の若い映画ファンは,私と同世代の映画ファンとは全く異なるものなんだと知った.

『砂の器』(1974年製作) は,松本清張作品の映画化を多く手掛けた野村芳太郎監督の力量は言うまでもないが,何よりも脚本を書いた橋本忍と山田洋次,音楽監督の芥川也寸志と主題曲『宿命』(註) を作曲した菅野光亮,そして俳優としては刑事役の丹波哲郎と,放浪する父子の父を演じた加藤嘉の映画であると言っていい.物語上の主人公は和賀英良を演じた加藤剛だが,実質的には脇役である.
 この作品が公開された時,私は劇場で繰り返し観た.そして主題曲LP『宿命』を買って繰り返し聴いた.私にとって『砂の器』は,橋本忍の名を記憶に刻むと共に,この作品で映画の観方を学んだという点で,邦画最優秀作品である.
 昔購入したLP盤の『宿命』は手放したが,デジタルリマスター版『砂の器』とそのCD『宿命』は大切に持っている.
 昨日,久しぶりに『砂の器』を再鑑賞した.そして泣いた.
 映画や音楽は人生の一部になり得る.私は『砂の器』のストーリーにも泣いたが,この映画の公開当時まだ若かった私の人生の,過ぎ去った数々の思い出にも涙したのであった.
 
(註) ちなみに,この動画中,放浪する父と子が峠を越えて見下ろす先に広がる有名なシーンのロケ地は,後に世界遺産となった越中五箇山の相倉合掌造り集落である.当時はあまり世間に知られていなかった五箇山をロケ地に選んだのは山田洋次ではなかろうかと私は想像している.放浪を回想する部分のシナリオは山田洋次であるからだ.

|

« 極端から極端へ | トップページ | 肴は炙っただけの烏賊 »

新・雑事雑感」カテゴリの記事

続・晴耕雨読」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 橋本忍逝く:

« 極端から極端へ | トップページ | 肴は炙っただけの烏賊 »