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2018年7月21日 (土)

黒糖焼酎を買いに

 大正八年生まれだった私の父親は島倉千代子のファンであった.
 貧しい生活だったから昔の言葉の「ステレオ」なんかはなくて,ラジオから流れる島倉千代子の歌声に聞き惚れる程度のファンではあったが.
 島倉千代子の歌謡曲歌手としてのデビューは昭和三十年 (1955年) 三月,十六歳のときであった.デビュー曲は『この世の花』で,島倉千代子と同世代であり,かつ時代の同伴者であった美空ひばりを凌ぐ早熟の歌唱であった.
 その島倉千代子の生涯の代表曲の一つが昭和三十二年 (1957年) の『東京だョおっ母さん』である.彼女はまだ十九歳であったが,レコード売上枚数は百五十万枚といわれた.
『東京だョおっ母さん』の歌詞は宮城と靖国神社,浅草寺を詠み込んだものであるが,昭和天皇の戦争のために人生の大切な時期を失った私の父は,島倉千代子のファンではあったが『東京だョおっ母さん』を口ずさむことはなく,生前遂に宮城と靖国神社を訪れることはなかった.
 私は骨の髄から戦後民主主義者であり,反昭和天皇であったから,齢六十八のこの歳まで,皇居と靖国に足を踏み入れることはなかったのだが,昨日,とうとう皇居の中に入った.主義,心境の変化があったわけではない.皇居の中でしか買えない特製焼酎を飲みたかったからである.牛にひかれて善光寺参りだ.ヾ(--;) チガウ

 宮内庁は一日に二回,皇居一般参観 (ガイド付きツアー) を実施している.各回,事前申請手続の定員が二百人,当日受付の定員が三百人となっているが,さすがに季節がよくないので,昨日の午後一時過ぎに「桔梗門」前に集合した参加者は,おそらく三百人くらいで,定員に達する程の数ではなかった.
 桔梗門前で職員に手続きをすると,まとまった人数ごとに係員に案内されて,門をくぐり,待機場所である窓明館まで行く.

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 ここには大きなディスプレイがあって,参観コースの凡そを見せてくれている.さらにツアーガイドから日本語と英語で参観の際の注意事項が説明された.日本語ガイドと英語ガイドの二つのグループにわかれて参観するのである.
 英語のガイド (女性) は日本人ではなく,発音を聞くとネイティブスピーカーでもなく,もしかすると中国人観光客に対応するために中国語もできる人なのかも知れない.いかにも東洋人的な英語だった.
 参観出発は 13:40 だが,それまでの時間は「窓明館」の奥にある売店でお土産をどうぞとガイドが言うので,というか皇居土産が目的である私は勇躍して売店に行った.
 売店はとても狭く,JR駅構内のコンビニよりずっと小ぶりの店舗であったが,驚いたことに,ここで買い物をする参観客はほんの一握りで,ガラガラなのであった.多分,窓明館でしか買えない土産物の購入が目当てでやってきたのは私だけかも知れないと思った.
 で,買ったのは長期保存奄美黒糖焼酎「御苑」,桐紋入りの打ち菓子,菊紋のタオルハンカチと同じく菊紋の夫婦箸である.焼酎は自分用だが,あとは人様に差し上げようと思ったものである.
 
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 黒糖焼酎「御苑」は宮内庁生活協同組合が発売元で製造元は町田酒造 (鹿児島県大島郡龍郷町) である.価格は二千六百円 (720ml) で,私が日頃飲んでいる焼酎 (1800ml の紙パック) や泡盛が千五百円前後だから,私にしてはかなりの高級酒である.もったいないから正月に開封することにした.

 さて参観に出発した日本語ガイドのグループは二十人くらいの少人数だったが,若いカップルと三十過ぎと思われる男を除くほぼ全員が高齢者であった.
 また,高齢者の女性が,もはや歩くのが困難な自分の母親を車いすに乗せているという二人連れが三組であった.
 この車いすの女性たちが大変に不届きな連中で,急に進路を変えたり,追突してきたりするので,この連中から距離をとって参観コースを歩く必要があった.その中の一組が,窓明館の出口で私のアキレス腱のあたりに車いすをぶつけてきて,私が「痛っ」と声を上げて転倒しそうになったのに,無視して通り過ぎて行った.
「失礼じゃないかっ」
と声を荒げたら
「あらそうですか?」
と言って,この馬鹿女はソッポを向いた.参観のしょっぱなから実に腹の立つことであった.

 さて参観コースは,窓明館から出ると「皇宮警察本部」(↓) の建物を右に見て左に進む.

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 幕府の命により実際に江戸城を建設したのは,石垣や櫓などの工事を分担したり石材を提供した大名たちであるが,各藩は家紋を石垣に残しているのだそうである.東京に高層ビルがなかった時代には富士山が望めたであろう「富士見櫓」の手前,桔梗門脇にある石垣には,丸に十の字の島津藩の紋が刻まれていた.(画像の黄色い↓の位置)

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 富士見櫓 (↑) を通り過ぎた正面に宮内庁 (↓) がある.戦後の一時期,この建物の最上階が宮殿に転用されていたことがあるそうだ.

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 ここを左に進むと,左手に坂下門,右手に割と急こう配勾配の「塔の坂」がある.
 
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 塔の坂を上がったところが宮殿東庭で,正月の参賀はこの東庭に面した長和殿に設けられるガラス張りのベランダで皇族の皆さんが「お手振り」をされる.テレビ報道を見るとベランダは高い位置にあるような印象だが,実際は低いところにある.
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 参観ガイドはライトグレーのシャツを着た宮内庁の職員 (帽章は桐) だが,皇居内の要所要所にライトブルーのシャツを着用した皇宮護衛官 (帽章は桜) が歩哨に立っている.日頃の厳しい訓練に耐えている護衛官は大したもので,この日の猛暑炎天下にもかかわらず,シャツに汗染み一つないのであった.

 進路の途中あちこちでガイドが「ここは左側を歩いてください」などと参観者たちに注意を促すのだが,その中の三十過ぎの男が無視して右側に行こうとした途端,近くにいた護衛官の裂帛の「ヘイッ!」という叱責 (参観者は外国人が多いから「ヘイッ」なのであろう) が響き渡った.ガイドの宮内庁職員はソフトな人物の印象だったが,護衛官は極めてハードなのであった.
 宮殿東庭を過ぎると参観コースの折り返し地点「正門鉄橋 (いわゆる二重橋) 」である.
 二重橋の名の謂れと沿革は Wikipedia【二重橋】に譲る.
 そこら辺の知ったかぶりブログに「二重橋は正式名称正門鉄橋を指し,正門石橋のことだと誤解している人が多い」なんて書かれているが,「二重橋は正門鉄橋と正門石橋の総称でもある」が宮内庁の見解である.ガイドの職員さんがそう言っていた.
 ここで冒頭に書いた島倉千代子の件を回収する.
『東京だョおっ母さん』の第一連で,老いた母の手を引いた娘は二重橋 (この歌の流行した当時は実際に木造二重橋であった) を背景にして記念写真を撮る.遠い昔の記憶であるが,正門石橋前の広場には記念写真屋がいたのである.
東京だョおっ母さん』を始めとする彼女の歌唱は「泣き節」と呼ばれた.米国六十年代ポップスを代表する歌手であったコニー・フランシスの歌も泣き節と呼ばれたが,島倉千代子の震えるような泣き節は,コニー・フランシスに劣らないと私は思う.

 閑話休題
 さて正門鉄橋から振り返ると,櫓の中で一番姿が美しいといわれる伏見櫓が遠くに見える.
このあと参観客は引き返して,宮内庁の後ろ側を迂回して出発地点に戻って解散した.
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 私は再び桔梗門から外に出て東京駅まで歩いた.
 藤沢駅に戻ってカフェで休憩したあと,夕刻五時少し過ぎに,以前から気になっている酒場を訪ねた.その店は「ビストロ酒場 Del Crocus's (デル クロッカス) 」という.
 
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 店を開けたばかりであったから客は私一人であった.カウンター席に着いてシェフにハウスワインの赤と燻製の盛り合わせを頼んだところ,ややあって到着した燻製がこれ.
 
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 何と呼んでいいのかわからないが,自作の道具に金串が四本吊り下げられている.左から合鴨,ハーブソーセージ,秋刀魚そしてサーモンである.
 燻香は微かに仕上げられており,ワインの香りを邪魔することなく,なかなかいい塩梅の料理であると思った.
 シェフが「いつもはスタッフがいるんですが,みんな夏バテして今日は私一人です」と言った.
 私が「一人で来るならこの時間帯がいいですか」と訊ねると,ウチは一人のお客さんが多いから,もっと遅くても大丈夫ですと言う.そして「女性のお一人が多いです」と力を込めて言った.
 シェフは私の顔を見て,女性客が多いと言えばリピーターになる客だと判断したのであろう.
 そこまで言われれば仕方ない.また近いうちに来ることにしよう.ヾ(--;)

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