母子草 (十五)
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* 前回の記事《母子草 (十四) 》
前回の記事に山中恒「児童文学は、いま……」の一部を引用したが,同一箇所の一部を再度引用する.
《さて、一般的な概念からすれば、<児童文学>といえば、グリムやアンデルセン、日本でいえば、小川未明、浜田広介あるいは坪田譲治、新美南吉、宮沢賢治といった作家たちの作品のことで、それは「世俗的なものと隔絶された美しい郷愁のファンタスティックな山野に花咲く童心のロマンの世界である」という思い込みがあって、そうした世間一般の思い込みの庇護のもとに、あるいはその善意にまぎれて、なにやらやってきたのが、この国の<児童文学>とよばれるものなのである。
<児童文学>に対する、この一般的な思い込みはかなり強固なもので、ついでに<児童文学者>とよばれる人たちに対しても、<童心の求道者>といったふうな聖職者イメージがついてまわる。これは<児童文学>をふくめて、児童文化というものが教育文化に従属していると目されている証拠でもある。》
ここで山中恒は更に指摘すべきであった.《<児童文学>に対する、この一般的な思い込み》は,児童文学者自身のものでもあったのだと.
児童ではない一般の大人たちが,児童文学者は「童心の求道者」「聖職者」であると思い込んでいたとしても別にどうということもないのである.むしろ問題は,児童文学者は教育者であり聖職者であると,児童文学者自身が思い込んでいたこと,言い換えればその思い上がりと傲慢にあったと私は考える.
その思い上がりと傲慢の最悪な例が,小川未明の『日本的童話の提唱』と題した小論であろう.そこから一部を引用する.(初出は昭和十五年 <1940年> の『新日本童話』,竹村書店;著作権の保護期間は終了している)
《今日ほど慌だしい時代の変遷はない。導く者も、導かるるものも、年齢の差こそあれ、同一の目的と理想に向かって反省し、情熱をもって進まなければならぬ。日本の当面する事業は、人類史上に類例を見ないほど偉大なものだ。
もとより外国の場合とか、理論とかが役立つものでない。新しい現実は常に理論を飛躍する。破壊と建設の複雑な渦中にあっては、現実を直観して、伝統的精神の中から体系を見出し新たなる建設的指導理論をつくるよりほかに道はない。この旗幟の下に児童を動員する。
そして、先ずこの度の聖戦の意義について知らせることである。幾百万の生霊を犠牲にして、支那四千年の文化を破壊してまで何で、戦わなければならなかったか、すなわち支那の無自覚なる、欧米に依存して東亜を危うくしたためだ。
先ずその思想を打破して、東亜を解放しなければならなかったからである。これがため、われらの父も兄も犠牲となった。祖先の意志と、祖国の観念を消滅しようとする将来の敵たる共産主義に対しては、各自の光栄ある歴史と民族を擁護するために、東洋諸国同志は、協力してこれに当たらなければならぬ。これが戦線に立つ父兄の志であった。
今の子供は、この志の承継者である。日本の子供は、始めて前途に輝かしい目標を与えられた。これを見ても日本は、兄たるべきである。日本の子供は兄たるの資格を有しなければならぬ。その徳においても、識見においてもそうであらねばならぬ。仮に、支那四億の民衆と、わが一億の同胞と比較して見ても、その数において大差がある。これを心服せしめ、指導することも、偶然ではあり得ない。
先ず日本の子供に、強き人格をつくることである。相手を信ぜしめるためには、何よりも『真実』ということが大切である。戦後における彼我の成人間の感情は容易に解消さるべくも思われない。子供の時代にいたって解消融和し、始めて明朗が期せられる。そこに日満支も各自の特色と技能を発揮し、有機的に結合して、政治に、経済に、ゆるぎなき秩序を形成し、渾然たるところの、東亜の文化が生まれるのである。
今は、正にアジアの夜明けで、全くの童話時代だ。文芸における童話の使命も、亦この時代にあるのだ。まことに無限な童話ロマンチシズムの時代である。
母や、祖母の愛で、子供たちに語られた昔のお伽話は、商品主義の産物でなかった。それであればこそ感化力の偉大なるものがあった。
たとえば舌切り雀も、桃太郎も、その他いろいろのお伽噺は封建時代の導徳感と離して考えることは出来ない。勧善懲悪、因果応報を教え、また克己忍従、主従の義理、憐憫の徳を教えた。》
この檄文のごとき文章の中で小川未明は,唐突に何らの説明もなく
《世界無二の有難い国体と精神は、自らにして人類を救済するに足りる》
と言い出して,これから強引な独断で
《支那の無自覚なる、欧米に依存して東亜を危うくした》
《その思想を打破して、東亜を解放しなければならなかった》
《今の子供は、この志の承継者である。日本の子供は、始めて前途に輝かしい目標を与えられた。これを見ても日本は、兄たるべきである。日本の子供は兄たるの資格を有しなければならぬ》
《支那四億の民衆》
《を心服せしめ、指導する》
と続けて,未明らが提唱した「童心主義」によれば純真無垢のはずである児童たちを支那侵略に動員せよと,大人たちに訴求した.
しかしその文章全体には論理の構築がなく,根拠を示さない断定ばかりが続いている.そもそも《世界無二の有難い国体と精神》自体が論理の産物ではないのだから,これを信奉する小川未明がこんな雑駁な文章を書くのは当然なのであった.
児童文学界における小川未明という人間とその作品の権威は虚構にすぎなかった.しかし同世代の童話作家たちの無責任と権威主義のために,石井桃子他『子どもと文学』 (福音館,1967年) によって未明の作家としての無能が指摘され,「未明神話」が崩壊するまでに実に戦後二十年以上を要したのであった.
さらに,『子どもと文学』に続いて山中恒は『児童読み物よ、よみがえれ』(晶文社,1978年) で,未明らの「童心主義」が子ども不在の無意味な観念であることを喝破し,また後に『戦時児童文学論』 (大月書店,2010年) で小川未明はもちろんのこと,浜田広介と坪田譲治についても戦時中の姿勢を徹底的に批判した.最近では,未明について転向論の切り口から,増井真琴 (『小川未明の再転向』) によって未明の人間性批判が行われている.
だがここで私は,『日本的童話の提唱』全文にわたって顕著な,日本民族の優位性を自明のこととする未明の思い上がり,独善性を指摘したい.
戦争協力者小川未明の独善的ナショナリズムは戦時中に顕著になったもので,戦後は掌を返して民主主義者を装うのであるが,しかしこの独善的ナショナリズムは戦後,日本の童話界に遅れてやってきた藤澤衞彦教授によって継承されたと考えられる.
そこで『日本的童話の提唱』と対比するために,藤澤衞彦教授が昭和二十四年,『母子草』巻末に掲げた《父兄方へ》を再掲する.(前に《母子草 (十一) 》で引用した)
《憧憬と敬虔の念のそぞろ湧く日本傳承童話の泉、それは、日本の歴史と共に古くこの國土に秘められ、日本民族のみに恵まれた泉である。
そこに、わが民族精神は眞實に傳統せられ、そこに、わが民族詩情の影は、誇りかにうつる。
思想的にも、本質的にも、わが國民性的特徴の豊かな、純日本所産の貴物 (註;「貴物」には「とうともの」とルビが振られている) である日本傳承童話の蒐集整理研究のために、私は、日本學士院の推薦により、有栖川宮記念學術奬勵資金を、高松宮殿下からいただくことになりました。感激その仕事に没頭、努力『學術上有益なる研究竝 (註;読みは「ならび」) に其の發表を補助』せらるる御志に答えねばなりませぬ。
日本傳承童話の蒐集整理研究は、もとより、文獻と傳承とによる日本傳説と日本童話の蒐集整理研究であって、その業は容易でないが、積年かけて集大成し、完了を終生に期待する。
一、本集は、その傳承童話を、原話の形式にこだわらず、ひたすらに、直ちにこどもたちに與える讀物として、標準語表現によって發表すべく念願したものの、第二集である。
一、蒐集整理の數は、先ず、第一期約二百二十話を、こん後一箇年間に整理發表するもので、全十二巻の選集とし、「日本傳承童話の整理研究」を別巻とする。
一、發表の童話は、美しくて良い童話のみを選ぶ。美しいものはなおまた偉大であり、良いものはなおまた貴い。この美しい良い傳承童話は常に歴史的藝術を含んでいる。想像的所産と考えられる童話も、嚴密に言えばその構成要素のうちには、常にそれが以前集められた若くは傳統された知識、精神を材料としていることが認められる。このきまりの上に所産された眞の日本のこどもへの文化寶としての純日本傳承童話は、日本民族の心的動向としての特徴を、そのお話のなかにただよわす。
一、美しい、良い、正しい傳承童話は、次代への文化寶として、他の國家、他の民族の持てるものとは特異なものを含む。形態としても、日本傳承童話は、この國、この民族の上にととのえられた、特性を持つものが少なくない。
どうぞ、この童話のもつ特徴を、こどもたちに知らしてくださるよう、願う。
藤澤衞彦》
この文中で藤澤教授は「国体」と書くのはさすがに憚られたようだが,民族精神,民族詩情,わが國民性的特徴,純日本所産,日本民族の心的動向などと国粋主義を露わにしている. 国粋主義は戦時中の小川未明の姿に他ならない.
さらに付け加えると,未明は戦時中の座談会で《正しいものは同時に美しいものであり、美しいものは同時に正義である》と語っている.(出典;上野瞭『ネバーランドの発想』(すばる書房,1974年)
これは藤澤教授が《父兄方へ》で《美しいものはなおまた偉大であり、良いものはなおまた貴い》と書いたことと呼応している.
すなわち,戦後の小川未明は軽々と転向したが,藤澤教授は戦後を,戦前戦中の未明のミニチュアとして生きたのである.そしてこれこそが,上笙一郎が『児童文学研究=北邙の人たち』(日本児童文学協会編『戦後 児童文学の50年』,p.113) の中で,藤澤教授を指して《世界観や人生観に関しては、古くてどうにもならない》と書いたことなのである.
(続く)
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