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2018年7月10日 (火)

経済白書の都市伝説

 昨日の記事《ほろ酔い初恋の味》に「昭和31年 年次経済報告」(通称「経済白書」) の結語から一部を引用した.改めて下に結語全文を引用する.
 
昭和31年 年次経済報告
結語
 戦後日本経済の回復の速やかさには誠に万人の意表外にでるものがあった。それは日本国民の勤勉な努力によって培われ、世界情勢の好都合な発展によって育まれた。しかし敗戦によって落ち込んだ谷が深かったという事実そのものが、その谷からはい上がるスピードを速やからしめたという事情も忘れることはできない。経済の浮揚力には事欠かなかった。経済政策としては、ただ浮き揚がる過程で国際収支の悪化やインフレの壁に突き当たるのを避けることに努めれば良かった。消費者は常にもっと多く物を買おうと心掛け、企業者は常にもっと多くを投資しようと待ち構えていた。いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた。なるほど、貧乏な日本のこと故、世界の他の国々に比べれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや「戦後」ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである。
 新しきものの摂取は常に抵抗を伴う。経済社会の遅れた部面は、一時的には近代化によってかえってその矛盾が激成されるごとくに感ずるかもしれない。しかし長期的には中小企業、労働、農業などの各部面が抱く諸矛盾は経済の発展によってのみ吸収される。近代化が国民経済の進むべき唯一の方向とするならば、その遂行に伴う負担は国民相互にその力に応じて分け合わねばならない。
 近代化--トランスフォーメーション--とは、自らを改造する過程である。その手術は苦痛なしにはすまされない。明治の初年我々の先人は、この手術を行って、遅れた農業日本をともかくアジアでは進んだ工業国に改造した。その後の日本経済はこれに匹敵するような大きな構造変革を経験しなかった。そして自らを改造する苦痛を避け、自らの条件に合わせて外界を改造 (トランスフォーム) しようという試みは、結局軍事的膨張につながったのである。
 世界の二つの体制の間の対立も、原子兵器の競争から平和的競存に移った。平和的競存とは、経済成長率の闘いであり、生産性向上のせり合いである。戦後10年我々が主として生産量の回復に努めていた間に、先進国の復興の目標は生産性の向上にあった。フランスの復興計画は近代化のための計画と銘うっていた。
 我々は日々に進みゆく世界の技術とそれが変えてゆく世界の環境に一日も早く自らを適応せしめねばならない。もしそれを怠るならば、先進工業国との間に質的な技術水準においてますます大きな差がつけられるばかりではなく、長期計画によって自国の工業化を進展している後進国との間の工業生産の量的な開きも次第に狭められるであろう。
 このような世界の動向に照らしてみるならば、幸運のめぐり合わせによる数量景気の成果に酔うことなく、世界技術革新の波に乗って、日本の新しい国造りに出発することが当面喫緊の必要事ではないであろうか。

 
 上記の結語について,Wikipedia【経済白書】には,有名な“もはや「戦後」ではない”について次の簡単な記述がある.
 
1956年(昭和31年)7月に発表された経済白書(副題日本経済の成長と近代化)の結語には、太平洋戦争後の日本の復興が終了したことを指して《もはや「戦後」ではない》と記述され流行語にもなった(経済企画庁の調査課長であったエコノミストの後藤誉之助が白書作成の指揮を執った。言葉の初出は中野好夫が『文藝春秋』1956年2月号に発表した「もはや『戦後』ではない」である)。 この言葉は、それまで経済成長を牽引してきた復興需要が落ち着きをみせ、今後の経済成長は社会の「近代化」によって支えられるものであり、その「近代化」もまた経済の安定した成長によって成し遂げられることを宣言するものであった。
 
 上の記述は,「昭和31年 年次経済報告」の結語についての妥当な解釈というべきだろう.
 ところが,たぶん二十世紀の終わりあたりからではないかと思うが,“もはや「戦後」ではない”の解釈が変容し始めた.
 例えば次のような記述がネット上に現れたのである.
 
もはや戦後ではない
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
 
1956年度の『経済白書』の序文に書かれた一節。戦後復興の終了を宣言した象徴的な言葉として流行語にもなった。執筆責任者は後藤誉之助。当時の日本は戦後復興の時期であり,日本経済は,朝鮮特需の影響もあり,戦前水準に向かって順調に回復していった。「回復を通しての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる」という序文の一節には,戦前水準への復帰を果たした達成感と,今後の成長への不安が入り混じっていたことがうかがわれる

 
 言うまでもなく,正しくは“もはや「戦後」ではない”であり,ブリタニカ国際大百科事典にある“もはや戦後ではない”は誤りである.ちゃんと原文を読んでいれば「 」を書き落とすことはあり得ないから,おそらく原文を目にしたこともない執筆者が,根拠もなくテキトーに《戦前水準への復帰を果たした達成感と,今後の成長への不安が入り混じっていたことがうかがわれる》とか何とか書きなぐったものと思われる.百科事典は事実を客観的に記載しなければいけない.《うかがわれる》などと主観的感想を書いているようでは,ブリタニカ国際大百科事典はロクな本ではない.
 また当該結語には,《達成感》とか《不安》など情緒的なことは書かれていない.そうではなく,Wikipedia【経済白書】が
 
この言葉は、それまで経済成長を牽引してきた復興需要が落ち着きをみせ、今後の経済成長は社会の「近代化」によって支えられるものであり、その「近代化」もまた経済の安定した成長によって成し遂げられる
 
と解説しているのと同趣旨のことを淡々と述べているのである.
 現在のネット上では,ネット百科事典「ブリタニカ国際大百科事典」の記述が質問掲示板などにおいてコピペで拡散されているうちに,“「昭和31年 年次経済報告」の行間に示されているのは今後の経済成長への不安である”とされて,これが優勢になってしまったようである.
 例えば,ブログ《科学技術のアネクドート》に掲載されている《「もはや『戦後』ではない。」の真意》には次のような文章がある.
 
つまり、「もはや『戦後』ではない」は、「復興による好景気は終わった。今後、日本はどう経済を成長させればいいのやら」という、未来を不安視する文言だったのです。
「もはや『戦後』ではない」が、楽観的な言葉として捉えられた背景には、その後、1964(昭和39)年の東京オリンピックのころまで、日本の経済成長が目覚ましかったため、白書に書かれている内容が杞憂と化したことなどが原因としてあるのでしょう。
かく述べる私も、白書の本当の意味合いを知ったのは、つい最近のこと。一次情報に当たってみることの大切さを思い知らされました。

 
 この文章の筆者は,おそらくネット上に伝播した噂話程度の情報で《白書の本当の意味合いを知った》のである.そのソースを確かめることなく信じ込んでしまったために,せっかく“一次情報に当たって”みたにもかかわらず,当該結語の意味を誤読してしまったのである.また自らもソースを示さずに噂話をネットに拡散したのだ.
 
 もう一つ例を挙げる.
 国土交通省国土計画局長まで務めた元高級官僚の小峰隆夫氏の《小峰隆夫の私が見てきた日本経済史》中にある《2016年5月17日 もはや戦後ではない―経済白書70年 (2) 》と題した一文である.
 この文章から一部を下に引用する.
 
つまり、白書は「これから新しい成長が始まる」という希望を述べているのではなく、これまでの成長を支えてきた復興需要というエンジンがなくなるのだから、「これからは厳しい時代に入る」と言っているのだ。そしてその見通しは全く外れた。日本経済は、エンジンがなくなったどころか、更に強い成長力を発揮して高度成長の時代に入っていったのだ。オリジナルの「もはや戦後ではない」は、特に先見の明を持って時代をとらえていたわけではなかったのだ。
 ただし、以上の話は、経済白書のことを知っている人には周知の事実であって、それ程意外な話ではない。私もこれまで何人もの先輩からこの話を聞かされてきた。「君は、『もはや戦後ではない』という有名な言葉を知っているだろう。あの言葉は、本当はどんな意味で使われていたのか知っているかね」と問われる。「いや、知りませんが」と答えると、「実はね、この言葉はかくかくしかじかの意味で使われていたのさ」というやり取りが、延々と繰り返されてきた結果、経済白書関係者の中では常識化したというわけである。

 
 小峰隆夫氏は,その素晴らしい経歴にもかかわらず,日本語は全くだめなようである.
 
白書は「これから新しい成長が始まる」という希望を述べているのではなく、これまでの成長を支えてきた復興需要というエンジンがなくなるのだから、「これからは厳しい時代に入る」と言っているのだ
 
と述べているが,当該結語のどこにも《これからは厳しい時代に入る》などとは書かれていない.先入観があるために氏が勝手にそう思い込んでいるのだ.
 また小峰氏もブリタニカ国際大百科事典と同じく文中で《君は、『もはや戦後ではない』という有名な言葉を知っているだろう》と書いている.再度指摘するが,正しくは『もはや「戦後」ではない』と書かねばいけない.
 この文言は,Wikipedia【経済白書】に
 
1956年(昭和31年)7月に発表された経済白書(副題日本経済の成長と近代化)の結語には、太平洋戦争後の日本の復興が終了したことを指して《もはや「戦後」ではない》と記述され流行語にもなった(経済企画庁の調査課長であったエコノミストの後藤誉之助が白書作成の指揮を執った。言葉の初出は中野好夫が『文藝春秋』1956年2月号に発表した「もはや『戦後』ではない」である)。
 
とある通りである.
 中野好夫氏も「昭和31年 年次経済報告」も,“戦後”に括弧をつけて“「戦後」”あるいは“『戦後』”とすることで特別な意味を込めたのである.こんなことは,日本経済の成長期を生きてきた私たちの世代には常識レベルの知識だ.
 しかるに小峰氏は,意図的かどうかわからぬが,括弧を取り去った.ここまでくると,もはや小峰氏の文章は歪曲あるいは捏造レベルと言っていい.
 では小峰氏が「昭和31年 年次経済報告」に対して持っている先入観はどんなものかというと,氏自ら
 
私もこれまで何人もの先輩からこの話を聞かされてきた。「君は、『もはや戦後ではない』という有名な言葉を知っているだろう。あの言葉は、本当はどんな意味で使われていたのか知っているかね」と問われる。「いや、知りませんが」と答えると、「実はね、この言葉はかくかくしかじかの意味で使われていたのさ」というやり取りが、延々と繰り返されてきた結果、経済白書関係者の中では常識化した》 (下線は当ブログの筆者が付した)
 
と述べているように,史料に基づく知識ではなく,引用文中の下線を付した箇所にあるように,一種の都市伝説的な口コミによって刷り込まれた先入観であることを白状している.
 このような非科学的頭脳の人物が日本経済を指揮してきたのだから,我が国の現状は,むべなるかなである.
 余談だが,小峰氏は文中に次のようなことも書いている.
 
原典に当たってみよう。第1回 (2016年4月21日掲載の本連載) の白書について書いた時は、貴重な古文書を日本経済研究センターのライブラリーから借り出してきたわけだが、56年度白書は簡単だ、内閣府のホームページ上で54年度以降の白書が全文公開されているからだ。全くネット社会とは便利なものだと実感する。なお、ついでに言わせてもらえば、内閣府がなぜ54年度以降しか公開しないのかは、私には謎である。せっかくだから、歴史的な第1回白書も含めて、47~53年度の白書も是非公開して欲しいと思う。
 
 過去に発刊された年次経済報告に関しては,国会図書館に現存しているものは国会図書館オンラインでも公開されていて,誰でも必要な時に必要な部分を簡単な手続きで入手できる.
 内閣府のサイトに,欠けている年次経済報告があることは事実だが,政府刊行物の基本的所蔵機関は国会図書館である.内閣府のサイトは便利だが,それは国会図書館から転載された資料だ.要するに政府刊行物は,「電子政府政策」の中核機関の一つである国会図書館 (のサイト) にあり,そこにないものは政府は所蔵していないのであるから,公開しようがない.《内閣府がなぜ54年度以降しか公開しないのかは、私には謎である 》と不満を述べても,ない袖は振れない.(さきほど調べたら,1952年度と1953年度の年次経済報告は地方自治体の図書館に所蔵されていて,その所蔵館は容易に検索できる.また1947年度はオリジナルが国会図書館デジタルコレクションに入っている他に,講談社学術文庫の一冊として復刻出版されたものの古書がたくさん流通している.氏が言うほどの《貴重な古文書》では全然ない.さらに,1951年度の年次経済報告は今日現在も数点が古書市場で流通している.残り三冊の所在を突き止めるのも調べる気になればそれほど難しくはないだろう)
 小峰氏は,私のような一般人程度の情報収集力も持っていないらしい.現役官僚時代,資料の調べ方も知らないで,一体どんなやり方で仕事をしていたのか国民としては是非とも知りたい.内閣府のサイトにおいて欠けている年次の報告を公開しろと言っている暇があったら,自分でさっさと原本を集めてデータ化し,自分のブログで公開するのが余程手っ取り早いと思うが,それができないから文句をたれているのだろう.

 かように日本経済の基本文献の集め方を知らぬような非科学的頭脳の人物が日本経済を指揮してきたのだから (以下同文)

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