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2018年7月

2018年7月23日 (月)

極端から極端へ

 昨年の話であるが,朝日新聞に《「捨てないパン屋」の挑戦 休みも増え売り上げもキープ 》と題した記事が掲載された.(掲載日付 2017年3月22日12時53分)
 これは有料会員限定記事なので料金を払わないと冒頭部分しか読めないが,実は他のメディアに,この記事をパクッた記事があったことをあとで知った.
 ニッポン放送の『上柳昌彦 あさぼらけ』で放送された《業界の常識を打ち破る!『捨てないパン屋』を営む夫婦 「あけの語りびと」(朗読公開) 2017/04/26 06:00 》がそれである.
 朝日新聞がニッポン放送に文句をつけたかどうか知らないが,それはともかく,記事あるいは放送は,広島市の田村陽至さんと奥さんの芙美さんが二人でやっている小さなパン店『ドリアン』が業界で大きな注目を浴びているという話である.
『ドリアン』が注目をされているのは,ここ二年余りパンを一個も捨てていないからである.それを番組は次のように放送した.
 
暗いうちから早起きをして、精魂込めて焼いたパンも、売れ残れば廃棄するしかありません。けれども、作り方と売り方と働き方を変えることによって、『ドリアン』は、パン業界の常識を打ち破り、捨てないパン屋に生まれ変わってしまったのです。
 
『ドリアン』が現在どのような経営をしているかは,『ドリアン』の公式サイトに書かれていることと,ニッポン放送の記事を読んで頂きたい.
 さてニッポン放送『あさぼらけ』の番組紹介記事 (と朝日新聞の有料記事) は,『ドリアン』が「捨てないパン屋」であることを手放しで賞賛しているのだが,本当にそうか.
『ドリアン』は,有機栽培の小麦粉とサワードウを用いて作る酸味の強いパンを製造している.日本のパンのマーケットでは非常にニッチな分野である.
 これは『ドリアン』の経営者自らが書いていることだが,このやり方はコストが著しく高いから,「捨て」ていたのでは経営が成り立たないのだ.
 つまり「捨てない」のは,利益を出そうとしたことの結果であって,目的ではない.そのところを『あさぼらけ』は誤解している.
 そもそも有機栽培の小麦粉は高価であるため,日本では富裕層が口にする特殊な食料である.また全地球的規模で食糧問題を考えた場合,有機栽培は生産性が低く,問題の解決に役立つ農法ではない.
 さらに,酸味の強い伝統的な製法のパンを好む人は,日本ではごく少数派である.従って他のパン屋が『ドリアン』と全く同じやり方で,この非常にニッチなマーケットに参入してきたら,『ドリアン』は小さなパイを奪い合う厳しい競争にさらされることになる.そうなれば,どっちのパンがおいしいか,という競争原理が働くようになるからである.
 
 記事によれば,『ドリアン』の現在の経営者は,親から店を継承した当時,以下のような状況だった.
 
田村陽至さんは40歳の三代目。実家の店を継いだのは、12年前でした。
張り切っていた田村さんは、店をリニューアル。
手作りの具にこだわった総菜パンや菓子パンをそろえ、流行りの天然酵母のパンも始めました。
店に並べた商品は40種類。田村さんは、夜の10時から翌日の夕方まで眠る間もなく働きづめだったといいます。
この努力の甲斐あって、評判の人気店にはなったものの、楽ではなかった経営。
何よりも辛かったのは、店の閉店後、廃棄処分にするパンの多さでした。
25リットル入りの袋がふくらんで行くのを見るたびに思ったそうです。
こんなに働いてるのに、なぜダメなんだ?

 
 記事によると《店に並べた商品は40種類》というから,これは大手のベーカリー,例えば関東ではポンパドウルリトルマーメイドなどが店頭に並べている商品数に匹敵あるいは上回る.
 これは夫婦二人がアルバイトを使ってやっている街中の小規模なパン屋としては異常な多品種,品揃えである.
 消費期限が厳しい総菜パンや菓子パンでこんなことをすれば必然的にロスが増える.固定客数があまり増えないという条件下でどんどん品数を増やすことは,そのままロスの増加をもたらす.
 すなわち,売れる以上に生産すれば,ロスになる.
 この製造業の基本的なことを理解できずに《こんなに働いてるのに、なぜダメなんだ?》とは,何を言っておるのかと呆れざるを得ない.(『ドリアン』の経営者が実際にそう言ったかどうか,『あさぼらけ』が勝手にそう書いたかは不明だが)
 行き詰った『ドリアン』の経営者は極端から極端に方向を転じ,富裕層向けのパンというニッチマーケットに参入したのである.
『ドリアン』の現在の成功は,その商売がニッチマーケットであることによって支えられている.これは,朝日新聞の記事が書いているようなサステナビリティのある経営ではない.
 
 五種類とか十種類とかの惣菜パンをメインに,種類は少なくてもおいしいと評判を取ってきちんと安定した経営をしているパン屋は,あちこちの街にあるだろう.
 かつて鎌倉山の住宅街にあった伝説的なパン屋「ボンジュール」は,予約販売の食パンがおいしいので湘南一帯で大評判であったが,それは有機小麦粉もサワードウも使わない,普通の手頃な値段のパンであった.そして昼過ぎには食パンはもちろん,その他のフランスパン類も売り切れた.売れる以上には作らなかったから,「捨て」ることはなかったのである.
『ドリアン』の成功を手放しで賞賛するのは,そのような普通のパン屋はダメだと批判するに等しいと私は考える.

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2018年7月22日 (日)

愛菜ちゃんに会える夏

 神戸新聞の記事《芦田愛菜 初舞台に1万人「こんなに楽しいものなのか」と笑顔 》をmsnが転載していた.(掲載日付 2018/07/21 13:13)
 記事に《女優の芦田愛菜が……初舞台を踏み、集まった親子ら約1万人を楽しませた 》とあるが,私もその一万人のうちの一人だった.初舞台とは知らなかったが.

 この日のライブショー『世界一受けたい授業 恐竜に会える夏』は,個人でチケットを手配したのではなく,クラブツーリズムの昼飯付きツアーを申し込んだのだ.

 しかしツアー企画としては不発だったようで,昼食会場である横浜プリンスホテル二階のレストラン「ケッヘル」前に集合した参加者は私を入れてわずか九名だった.というか,母と小学生の子という組み合わせが四組で,それに爺さん一人 σ(-_-;) が加わったツアーなのであった.
 
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 昼食はブフェであるが,内容はちょっと寂しいランチブフェだった.ツアコンダクタは「ローストビーフがオススメです」と言ったが,これが筋の多い堅い肉で,切れないナイフのせいもあって,えーっこれがオススメかよーとすごく残念な感じのローストビーフであった.パスタも中華も天ぷらもスーパーの総菜程度の質で,横浜プリンス「ケッヘル」のランチブフェは絶対にオススメしない.
 
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 昼食は残念なものだったが,肝心のショーがとても楽しかったから,昼飯のことは忘れて大いに満足だった.
 横浜アリーナを埋め尽くした親子連れはノリがよく,小学生たちはペンライトを大きく振って歓声を上げていた. 

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 このライブショーは,なによりも芦田愛菜ちゃんのかわいいことが最大のポイント.初舞台のせいか,共演者とのセリフの遣り取りに一瞬の間が開くこともあったが,それも御愛嬌だ.私には孫はいないが,ステージで歌い踊る愛菜ちゃんは,あたかも成長した孫のようであり,爺さんにとってこのライブは掛け値なく楽しかった.
 これから各地のアリーナで公演が行われるが,もしチケットを買ってみようと思われる爺さん婆さんには,最前列から十列目くらいまでをオススメする.恐竜が客席に乱入してくるので,絶対楽しいと思う.(私は 15列目の席だった)

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(カメラ撮影は,舞台上の大ディスプレイに撮影OKと表示された短時間の恐竜登場シーンにのみ可.その際,愛菜ちゃんを撮影したい場合は前の方の席で,コンデジではなく,それなりのズームレンズを装着したカメラを用い,あらかじめこのようなショーを撮影する条件にセットしておいて,撮影OKタイムまでバッグにしまっておくのがよい.撮影禁止タイムにカメラを手に持っていると,主催者側とトラブルになるかも知れない.またコンデジで後ろの席では,上の画像程度の写真が精一杯だろう)

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2018年7月21日 (土)

黒糖焼酎を買いに

 大正八年生まれだった私の父親は島倉千代子のファンであった.
 貧しい生活だったから昔の言葉の「ステレオ」なんかはなくて,ラジオから流れる島倉千代子の歌声に聞き惚れる程度のファンではあったが.
 島倉千代子の歌謡曲歌手としてのデビューは昭和三十年 (1955年) 三月,十六歳のときであった.デビュー曲は『この世の花』で,島倉千代子と同世代であり,かつ時代の同伴者であった美空ひばりを凌ぐ早熟の歌唱であった.
 その島倉千代子の生涯の代表曲の一つが昭和三十二年 (1957年) の『東京だョおっ母さん』である.彼女はまだ十九歳であったが,レコード売上枚数は百五十万枚といわれた.
『東京だョおっ母さん』の歌詞は宮城と靖国神社,浅草寺を詠み込んだものであるが,昭和天皇の戦争のために人生の大切な時期を失った私の父は,島倉千代子のファンではあったが『東京だョおっ母さん』を口ずさむことはなく,生前遂に宮城と靖国神社を訪れることはなかった.
 私は骨の髄から戦後民主主義者であり,反昭和天皇であったから,齢六十八のこの歳まで,皇居と靖国に足を踏み入れることはなかったのだが,昨日,とうとう皇居の中に入った.主義,心境の変化があったわけではない.皇居の中でしか買えない特製焼酎を飲みたかったからである.牛にひかれて善光寺参りだ.ヾ(--;) チガウ

 宮内庁は一日に二回,皇居一般参観 (ガイド付きツアー) を実施している.各回,事前申請手続の定員が二百人,当日受付の定員が三百人となっているが,さすがに季節がよくないので,昨日の午後一時過ぎに「桔梗門」前に集合した参加者は,おそらく三百人くらいで,定員に達する程の数ではなかった.
 桔梗門前で職員に手続きをすると,まとまった人数ごとに係員に案内されて,門をくぐり,待機場所である窓明館まで行く.

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 ここには大きなディスプレイがあって,参観コースの凡そを見せてくれている.さらにツアーガイドから日本語と英語で参観の際の注意事項が説明された.日本語ガイドと英語ガイドの二つのグループにわかれて参観するのである.
 英語のガイド (女性) は日本人ではなく,発音を聞くとネイティブスピーカーでもなく,もしかすると中国人観光客に対応するために中国語もできる人なのかも知れない.いかにも東洋人的な英語だった.
 参観出発は 13:40 だが,それまでの時間は「窓明館」の奥にある売店でお土産をどうぞとガイドが言うので,というか皇居土産が目的である私は勇躍して売店に行った.
 売店はとても狭く,JR駅構内のコンビニよりずっと小ぶりの店舗であったが,驚いたことに,ここで買い物をする参観客はほんの一握りで,ガラガラなのであった.多分,窓明館でしか買えない土産物の購入が目当てでやってきたのは私だけかも知れないと思った.
 で,買ったのは長期保存奄美黒糖焼酎「御苑」,桐紋入りの打ち菓子,菊紋のタオルハンカチと同じく菊紋の夫婦箸である.焼酎は自分用だが,あとは人様に差し上げようと思ったものである.
 
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 黒糖焼酎「御苑」は宮内庁生活協同組合が発売元で製造元は町田酒造 (鹿児島県大島郡龍郷町) である.価格は二千六百円 (720ml) で,私が日頃飲んでいる焼酎 (1800ml の紙パック) や泡盛が千五百円前後だから,私にしてはかなりの高級酒である.もったいないから正月に開封することにした.

 さて参観に出発した日本語ガイドのグループは二十人くらいの少人数だったが,若いカップルと三十過ぎと思われる男を除くほぼ全員が高齢者であった.
 また,高齢者の女性が,もはや歩くのが困難な自分の母親を車いすに乗せているという二人連れが三組であった.
 この車いすの女性たちが大変に不届きな連中で,急に進路を変えたり,追突してきたりするので,この連中から距離をとって参観コースを歩く必要があった.その中の一組が,窓明館の出口で私のアキレス腱のあたりに車いすをぶつけてきて,私が「痛っ」と声を上げて転倒しそうになったのに,無視して通り過ぎて行った.
「失礼じゃないかっ」
と声を荒げたら
「あらそうですか?」
と言って,この馬鹿女はソッポを向いた.参観のしょっぱなから実に腹の立つことであった.

 さて参観コースは,窓明館から出ると「皇宮警察本部」(↓) の建物を右に見て左に進む.

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 幕府の命により実際に江戸城を建設したのは,石垣や櫓などの工事を分担したり石材を提供した大名たちであるが,各藩は家紋を石垣に残しているのだそうである.東京に高層ビルがなかった時代には富士山が望めたであろう「富士見櫓」の手前,桔梗門脇にある石垣には,丸に十の字の島津藩の紋が刻まれていた.(画像の黄色い↓の位置)

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 富士見櫓 (↑) を通り過ぎた正面に宮内庁 (↓) がある.戦後の一時期,この建物の最上階が宮殿に転用されていたことがあるそうだ.

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 ここを左に進むと,左手に坂下門,右手に割と急こう配勾配の「塔の坂」がある.
 
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 塔の坂を上がったところが宮殿東庭で,正月の参賀はこの東庭に面した長和殿に設けられるガラス張りのベランダで皇族の皆さんが「お手振り」をされる.テレビ報道を見るとベランダは高い位置にあるような印象だが,実際は低いところにある.
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 参観ガイドはライトグレーのシャツを着た宮内庁の職員 (帽章は桐) だが,皇居内の要所要所にライトブルーのシャツを着用した皇宮護衛官 (帽章は桜) が歩哨に立っている.日頃の厳しい訓練に耐えている護衛官は大したもので,この日の猛暑炎天下にもかかわらず,シャツに汗染み一つないのであった.

 進路の途中あちこちでガイドが「ここは左側を歩いてください」などと参観者たちに注意を促すのだが,その中の三十過ぎの男が無視して右側に行こうとした途端,近くにいた護衛官の裂帛の「ヘイッ!」という叱責 (参観者は外国人が多いから「ヘイッ」なのであろう) が響き渡った.ガイドの宮内庁職員はソフトな人物の印象だったが,護衛官は極めてハードなのであった.
 宮殿東庭を過ぎると参観コースの折り返し地点「正門鉄橋 (いわゆる二重橋) 」である.
 二重橋の名の謂れと沿革は Wikipedia【二重橋】に譲る.
 そこら辺の知ったかぶりブログに「二重橋は正式名称正門鉄橋を指し,正門石橋のことだと誤解している人が多い」なんて書かれているが,「二重橋は正門鉄橋と正門石橋の総称でもある」が宮内庁の見解である.ガイドの職員さんがそう言っていた.
 ここで冒頭に書いた島倉千代子の件を回収する.
『東京だョおっ母さん』の第一連で,老いた母の手を引いた娘は二重橋 (この歌の流行した当時は実際に木造二重橋であった) を背景にして記念写真を撮る.遠い昔の記憶であるが,正門石橋前の広場には記念写真屋がいたのである.
東京だョおっ母さん』を始めとする彼女の歌唱は「泣き節」と呼ばれた.米国六十年代ポップスを代表する歌手であったコニー・フランシスの歌も泣き節と呼ばれたが,島倉千代子の震えるような泣き節は,コニー・フランシスに劣らないと私は思う.

 閑話休題
 さて正門鉄橋から振り返ると,櫓の中で一番姿が美しいといわれる伏見櫓が遠くに見える.
このあと参観客は引き返して,宮内庁の後ろ側を迂回して出発地点に戻って解散した.
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 私は再び桔梗門から外に出て東京駅まで歩いた.
 藤沢駅に戻ってカフェで休憩したあと,夕刻五時少し過ぎに,以前から気になっている酒場を訪ねた.その店は「ビストロ酒場 Del Crocus's (デル クロッカス) 」という.
 
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 店を開けたばかりであったから客は私一人であった.カウンター席に着いてシェフにハウスワインの赤と燻製の盛り合わせを頼んだところ,ややあって到着した燻製がこれ.
 
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 何と呼んでいいのかわからないが,自作の道具に金串が四本吊り下げられている.左から合鴨,ハーブソーセージ,秋刀魚そしてサーモンである.
 燻香は微かに仕上げられており,ワインの香りを邪魔することなく,なかなかいい塩梅の料理であると思った.
 シェフが「いつもはスタッフがいるんですが,みんな夏バテして今日は私一人です」と言った.
 私が「一人で来るならこの時間帯がいいですか」と訊ねると,ウチは一人のお客さんが多いから,もっと遅くても大丈夫ですと言う.そして「女性のお一人が多いです」と力を込めて言った.
 シェフは私の顔を見て,女性客が多いと言えばリピーターになる客だと判断したのであろう.
 そこまで言われれば仕方ない.また近いうちに来ることにしよう.ヾ(--;)

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2018年7月20日 (金)

テキトー・イタリアン

「男子厨房に入る」を信条とする現代日本の国民に問う.と,森田美由紀さんのキメ台詞風に書き始めてみたが,貴兄が酒肴にカルパッチョを作るとして,材料に何を用いるか.
 おそらく本格イタリアンのカルパッチョではなく,そこら辺の和洋折衷イタリアンの定番である鯛か蛸,もしくは鮭ではあるまいか.
 和洋折衷イタリアンに異論はさらさらない.それどころかもっと和風に近寄せて,鰹でもビンチョウ鮪でも,かなりいける.要するにスーパーに出かけて,その日に安く売られている鮮魚を調達すればよろしいと私は思う.

 クックパッドでカルパッチョを検索すると,鮭の刺身を皿に並べてマヨネーズとわさび醤油をかけたものとかが掲載されていて,こうなるとどこがカルパッチョなんだかわからない.もはや何でもありで,他国ではどうか知らないが,日本ではカルパッチョは無国籍料理の範疇に属するかも知れない.
 カルパッチョを話題に持ち出したのは,この「何でもあり」のテキトー感が家庭料理として都合がよろしいからである.とにかく薄切りの鮮魚とオリーブオイルがあれば,あとは好きなように調味して,カルパッチョだと言い張ればいい.たとえそれがワサビ醤油マヨネーズであろうともだ.
 だが私はめんどくさいことはせずに,さらに手抜きして市販のカルパッチョソースをかけたものをカルパッチョと称している.
 先日の晩酌の肴に作ったカルパッチョが下の画像で,生蛸とビンチョウ鮪を用いた.ソースはキューピーの製品だ.従って「こんなのはカルパッチョじゃない」というクレームはキューピー株式会社お客様相談室が承る.

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 このカルパッチョソースは,酢を加えるとかアレンジすればサラダのドレッシングにも使えるので,私は常備している.このソースの糖質量は不明 (包装上の表示は炭水化物のみ) だが,おそらく普通の使用量なら 1g そこそこではなかろうか.従って糖質制限中の酒肴としておすすめする.
 飾ってあるのはグリーンオリーブで,これも一粒あたりの糖質は 0.1g 以下で,ほとんど糖質を含まない.特に肴を拵えず,オリーブの果実だけで酒を飲むのもいいかと思う.

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2018年7月19日 (木)

明石駅の謎な事件

 神戸新聞の記事《中ジョッキ持った男性、新快速に乗り込み通報される 兵庫・明石 2018/07/17 22:23 》がmsnニュースに転載されていた.
 これを読んで不思議に思った人は多いのではないか.ざっくり書くと以下のごとき「事件」である.

 昨日の午後五時過ぎ,JR明石駅のホームで六十代の男性がビールの中ジョッキを持って新快速の車両に乗り込んだ.それを見た他の乗客が駅員に通報した.男性は駅員らに促されて車両を降り,明石署の警察官によって事情聴取された.ジョッキは駅構内の牛丼店のものだった.

 警察官が職務質問をしたのは,缶ビールではなくジョッキなのが不審だったからだろうと想像される.実際に窃盗だったわけだ.
 しかしその前に,駅員に通報した者はどんな理由で通報したのか,これがわからない.駅のホームや在来線の車両内部で飲酒するのはマナーの問題であって,犯罪ではない.仮にジョッキがその男性の持ち物だったらどうするのか.
 駅員がその男性を電車から降ろした理由も不明だ.駅員にそんな権限があるとは思えない.この種の不審人物の行動を制約するのは鉄道警察隊の仕事である.
 さらに駅員がその男性を,鉄道警察隊でなく所轄の明石署に引き渡したのはなぜか.
 新聞記事には書かれていない何らかの事情があるのだろうか.

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2018年7月18日 (水)

されどわれらが日々

 先々週録画しておいたテレビ番組『プレバト!!』を今頃再生したら,俳句の才能査定ランキングで,おや,と思うことがあった.
 私は名前も知らなかったが,浅利陽介とかいう俳優が,兼題「かき氷」で詠んだ句は次の意味不明な一句.
 
かき氷 先取りし過ぎた 外は雨
 
 これを夏井いつき先生は次のように添削,というか全く別の句を示した.
 
外は雨 されど我らの かき氷
 
 先日も芥川賞候補作に盗用の疑いがあると報じられたが,この添削句も道義的にほぼアウトだと私は思う.
 言うまでもなく「されどわれらが」は柴田翔の創作した空前にして絶後のフレーズである.少し変えて「されど我らの」にしてみたところで真っ赤な盗用くさいのは変わらない.
 小説のタイトルは著作権法では保護されないが,この作品のあと,誰も似通った題の小説を発表していないのは何故か.そんなことをすれば,パチモンの烙印を押されること必定であるからだ.
 それを堂々と《されど我らの かき氷》とは何たることか.「されど我ら」というフレーズの持つ青春の感傷は「かき氷」の軽さに極めてそぐわない.
 おそらく夏井先生は『されどわれらが日々』はタイトルだけ耳にして知っていて,作品本文は読んでいないと思われる.もし読んでいたら,こんな駄句に,今の高齢者たちの青春に刻み込まれたこのフレーズを使うはずがないからだ.私は『されどわれらが日々』を読んでいない人に「されどわれら」を軽々しく扱ってほしくない.
 
 時の流れは致し方ない.私よりずっと若い夏井先生は,山村工作隊六全協もよくは知らないはずだ.だとしても,夏井先生は国語教師だったはずである.たとえ理解できなくとも高橋和己や柴田翔は今からでも読んで頂きたいと切に願う.

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2018年7月17日 (火)

おいしい糖質制限タイカレー

 糖質制限を実行していると,日本風のカレーは敬遠せざるを得ない.食べていけないということはないが,日本風カレーは,ジャガイモを使わない場合でもかなり糖質が多いし,そもそも米飯と一緒に食べるものだ.
 インド風のカレーは,日本風に比較すれば糖質は少ないが,少量のカレーソースでナンあるいは米飯を食べるので,結局いずれも糖質が過大になってしまう.
 その点でタイカレー,中でもグリーンカレーはカレースープみたいなものだから糖質制限食にぴったりだ.
 タイカレーを一から自作するのは材料調達が面倒なので,レトルト製品がいいだろう.

 入手のし易さでは,実店舗の店頭で買える成城石井ブランドのもの (製造者はやまもり株式会社のタイ工場) が推薦できる.ただし店頭価格は四百円弱で,ちょっとお高い.ネット通販,Amazon やローソンだとこれより数十円は高くなる.マージンを取るから当然だが.

 タイカレーにはレトルトや缶詰など色々の商品があるなかで,成城石井ブランドのグリーンカレーが一番おいしいと私は思うけれど,庶民的価格とは言い難い.

 だが不屈の老人は諦めない.解決策はある.
 三菱食品が展開する低糖質食品カテゴリー「からだシフト」のアイテムに,グリーンカレーがあるのだ.(製造者は宮島醤油株式会社;一食=150g あたりの糖質量は 2.8g と大変に優秀)
 このグリーンカレーは成城石井ブランドのものよりやや辛いが,味はおいしい.難点は具がとても少ないので,一回の食事のメインにするにはわびしさが募る.上の商品紹介ページに掲載されている画像には右下に小さく《イメージ写真》と書いてあるが,ほとんど嘘に近い.w
 
おいしいけれど,嘘は罪.実際には小さな鶏肉はカレースープの底に沈んで見えない.だが,タイカレーらしくなるように鶏肉を足せば,立派な一皿の料理になる.
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 成城石井のより百円も安いから仕方ない.ww
 しかしそれならそれで,食べたいだけ鶏肉を足せばよろしい.クックドゥ (Cook Do) みたいなものだと思えばいいのだ.この記事は,上のイメージ画像程度になるよう鶏もも肉を足してみたものである.

 昨日,スーパーで「唐揚げ用鶏もも肉」の一番小さいパックを買ってきた.カットされたもも肉が六個入っていた.
 その二個を三つずつに切り分けると一口大になる.残りは冷凍する.
 一口大の鶏もも肉をボウルに入れ,ラップをして電子レンジで加熱する.
 鶏肉からはおいしいスープが出るので,煮たり焼いたりしてからタイカレーに加えるよりも電子レンジ加熱が優れている.
 で,鍋に少量の水とレトルトのグリーンカレーを入れて湯を沸かす.湯が沸いてからレトルトを鍋に入れるより,この方がガスの節約になると思う.
 沸騰したらレトルトを取り出し,開封してボウルの鶏もも肉にかける.これで主菜のできあがり.唐揚げ用の鶏もも肉をそのまま使い,食器はボウルでなく中皿にすれば,パッケージに描かれた ほとんど嘘の イメージ (w) 画像に近い外観になるし,鶏肉はもっと入れてもいいかと思う.
 さて副菜は,Pasco (敷島製パン) の低糖質イングリッシュマフィン・ブラン (一個あたりの糖質量は 15.6g ) を二つに割ってトーストし,これにレタスを挟んだサンドイッチだ.(糖質制限食には穀物食を「主食」にするという概念がない)

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 イングリッシュマフィンは,横二つ割りにしてトーストするのが正しい食べ方であるのは各位既に御案内の通りである.
 というのは,イングリッシュマフィンは焼きあがる少し前に焼成窯から取り出すからである.従って完全に焼成する食パンやフランスパンよりもかなり日持ちが悪い.
 Pasco の低糖質イングリッシュマフィン・ブランは,日持ちを少しでも良くしようというわけで,パッケージの中にアルコールを揮散する保存性向上シートを同梱しているため,このまま食べるとアルコール臭がする.それ故,トーストは必須である.
 トースト必須だが,二枚に割って焼いて,しかるに何も挟まないのは無駄骨を折ったような感じがして虚しいし,ブランパン類は水分を吸収する性質があってボソボソした食感だから,水気のあるものを何か挟まないと食べにくい.今回はレタスだけを挟んでみたが,これにハムか,卵一個のサニーサイドアップを追加すれば,豪華な昼食になる.副菜としてもう一皿,野菜だけのサラダを添えれば,言うことなしである.老人の昼飯にはこれで充分だ.御馳走様でした.
 あ,飲み物にはトップバリューの低糖質豆乳飲料ココア味 (一個あたりの糖質量は 0.9g で,優れている) か,からだカルピスを推薦する.
 主菜+レタスサンドイッチ+豆乳の,計算できる糖質量は全部で 19.3g である.一日の三食をこの程度の糖質量に抑えれば,おやつにグリコの低糖質クッキー「SUNAO 発酵バター」を一袋 (糖質量 9.1g) と,さらに果物やトマトを食べてもだいじょぶだ.

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2018年7月16日 (月)

恋は青いインクで

 共同通信社が記事《大岡信さんの未発表詩見つかる 19歳ごろ、恋の不安つづる》を配信した.(2018/07/16 19:51)
 配信先はmsnニュースなど新聞各紙.毎日新聞《大岡信 19歳の未発表詩を自宅で発見 恋の恐れつづる》は独自取材で詳しい.(掲載日時;2018年7月16日 03時00分,最終更新 7月16日 04時38分)
 見つかった未発表詩「暗い窓から」は,旧制第一高校在学中の十九歳の時に,後に妻となった深瀬サキさんへの初々しい恋の戸惑いを綴った散文詩である.

 記事に《全詩集(2002年刊)にも収録されていない 》とあるので,いい機会であるから大岡信のすべての詩を読んでみようかと思ったが,この書籍『大岡信全詩集』が高価であるのに驚いて断念した.元々の発行部数が少ないせいだろう.

 それはそれとして,msnニュースの記事には大きな原稿の画像が掲載されている.それを見ると,多分,横罫のノートを縦書きにして書いている.詩の原稿は縦書きにするものなのだろう.
 末尾に日付が「1950・2月下旬」とあるから,私が生まれるほんの少し前に書かれたことになる.
 インクはブルーだが,七十年近くの年月を経ても色褪せていないから,青の顔料インクだろう.
 私がプラチナ万年筆の #3776 ブルゴーニュに入れているインクは同社製ブルーブラック (染料系) だが,恋の思いを綴るならブルーがいいなあ. プラチナの #3776 は暫く使用しなくても顔料インクが乾いて使えなくなることはないとされているから,ブルーの顔料インクにしてみようと思う.また恋をしないとは限らないし.ヾ(--;)

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2018年7月15日 (日)

毛襟服

 会社員を卒業してしまうと,ネクタイを締めなくなるのが一般的だ.だが,普通のジャケパンスタイルでノーネクタイは,ラフな印象を免れ得ない.二つボタンでも三つボタンでもテーラードスーツは基本的にネクタイを着用するものであるから,ノーネクタイはもちろん,最近流行りのスタンドカラーシャツでも,カジュアルな装いなのである.
 そこで,ドレスコードはないとしても,ある程度ちゃんとした場所,例えばフレンチのレストランに着ていける服装はないかと検討したところ,マオカラーのスーツがいいのではないかと思いついた.
 マオカラースーツというのは服部幸應先生がいつもお召しになっている服である.(画像は Wikipedia【服部幸應】にある)
 服部先生は,大使館だろうが官庁だろうが,この服でどこにでも出席されているから,マオカラースーツは準フォーマルスーツとしても使えると考えていいのだろう.
 というわけで,まず既製服を探してみた.
 すると最初に,通販で入手できることがわかったのだが,ショップの商品説明によると,そのマオカラースーツは中国料理店のウェイターが着る制服として最適な服のようであった.
 さらに楽天の通販ショップで調べを進めると,いくつかの商品が見つかったが,商品画像を見ると広域暴力団の下級構成員風のモデルが着用していて,なんとなく裏地は深紅に金龍の柄が刺繍されていそうな服であった.

 マオカラースーツを仕立てられるテーラー数店が東京にあることが判明したので,イージーオーダーでいいからマオカラースーツを欲しいのだが,サービス業や○○組の人ではない一般人には似合わないのだろうか.
 Wikipedia には《一部の著名人や暴力団関係者など、特殊な立場の者》が着ると書いてある.orz ヾ(--;)

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2018年7月14日 (土)

母子草 (十五)

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* 前回の記事《母子草 (十四) 》 

 前回の記事に山中恒「児童文学は、いま……」の一部を引用したが,同一箇所の一部を再度引用する.

さて、一般的な概念からすれば、<児童文学>といえば、グリムやアンデルセン、日本でいえば、小川未明、浜田広介あるいは坪田譲治、新美南吉、宮沢賢治といった作家たちの作品のことで、それは「世俗的なものと隔絶された美しい郷愁のファンタスティックな山野に花咲く童心のロマンの世界である」という思い込みがあって、そうした世間一般の思い込みの庇護のもとに、あるいはその善意にまぎれて、なにやらやってきたのが、この国の<児童文学>とよばれるものなのである。
<児童文学>に対する、この一般的な思い込みはかなり強固なもので、ついでに<児童文学者>とよばれる人たちに対しても、<童心の求道者>といったふうな聖職者イメージがついてまわる。これは<児童文学>をふくめて、児童文化というものが教育文化に従属していると目されている証拠でもある。

 ここで山中恒は更に指摘すべきであった.《<児童文学>に対する、この一般的な思い込み》は,児童文学者自身のものでもあったのだと.
 児童ではない一般の大人たちが,児童文学者は「童心の求道者」「聖職者」であると思い込んでいたとしても別にどうということもないのである.むしろ問題は,児童文学者は教育者であり聖職者であると,児童文学者自身が思い込んでいたこと,言い換えればその思い上がりと傲慢にあったと私は考える.
 その思い上がりと傲慢の最悪な例が,小川未明の『日本的童話の提唱』と題した小論であろう.そこから一部を引用する.(初出は昭和十五年 <1940年> の『新日本童話』,竹村書店;著作権の保護期間は終了している)

今日ほど慌だしい時代の変遷はない。導く者も、導かるるものも、年齢の差こそあれ、同一の目的と理想に向かって反省し、情熱をもって進まなければならぬ。日本の当面する事業は、人類史上に類例を見ないほど偉大なものだ。
 もとより外国の場合とか、理論とかが役立つものでない。新しい現実は常に理論を飛躍する。破壊と建設の複雑な渦中にあっては、現実を直観して、伝統的精神の中から体系を見出し新たなる建設的指導理論をつくるよりほかに道はない。この旗幟の下に児童を動員する。
 そして、先ずこの度の聖戦の意義について知らせることである。幾百万の生霊を犠牲にして、支那四千年の文化を破壊してまで何で、戦わなければならなかったか、すなわち支那の無自覚なる、欧米に依存して東亜を危うくしたためだ。
 先ずその思想を打破して、東亜を解放しなければならなかったからである。これがため、われらの父も兄も犠牲となった。祖先の意志と、祖国の観念を消滅しようとする将来の敵たる共産主義に対しては、各自の光栄ある歴史と民族を擁護するために、東洋諸国同志は、協力してこれに当たらなければならぬ。これが戦線に立つ父兄の志であった。
 今の子供は、この志の承継者である。日本の子供は、始めて前途に輝かしい目標を与えられた。これを見ても日本は、兄たるべきである。日本の子供は兄たるの資格を有しなければならぬ。その徳においても、識見においてもそうであらねばならぬ。仮に、支那四億の民衆と、わが一億の同胞と比較して見ても、その数において大差がある。これを心服せしめ、指導することも、偶然ではあり得ない。
 先ず日本の子供に、強き人格をつくることである。相手を信ぜしめるためには、何よりも『真実』ということが大切である。戦後における彼我の成人間の感情は容易に解消さるべくも思われない。子供の時代にいたって解消融和し、始めて明朗が期せられる。そこに日満支も各自の特色と技能を発揮し、有機的に結合して、政治に、経済に、ゆるぎなき秩序を形成し、渾然たるところの、東亜の文化が生まれるのである。
 今は、正にアジアの夜明けで、全くの童話時代だ。文芸における童話の使命も、亦この時代にあるのだ。まことに無限な童話ロマンチシズムの時代である。
 母や、祖母の愛で、子供たちに語られた昔のお伽話は、商品主義の産物でなかった。それであればこそ感化力の偉大なるものがあった。
 たとえば舌切り雀も、桃太郎も、その他いろいろのお伽噺は封建時代の導徳感と離して考えることは出来ない。勧善懲悪、因果応報を教え、また克己忍従、主従の義理、憐憫の徳を教えた。

 この檄文のごとき文章の中で小川未明は,唐突に何らの説明もなく

世界無二の有難い国体と精神は、自らにして人類を救済するに足りる

と言い出して,これから強引な独断で

支那の無自覚なる、欧米に依存して東亜を危うくした
その思想を打破して、東亜を解放しなければならなかった
今の子供は、この志の承継者である。日本の子供は、始めて前途に輝かしい目標を与えられた。これを見ても日本は、兄たるべきである。日本の子供は兄たるの資格を有しなければならぬ
支那四億の民衆
を心服せしめ、指導する

と続けて,未明らが提唱した「童心主義」によれば純真無垢のはずである児童たちを支那侵略に動員せよと,大人たちに訴求した.
 しかしその文章全体には論理の構築がなく,根拠を示さない断定ばかりが続いている.そもそも《世界無二の有難い国体と精神》自体が論理の産物ではないのだから,これを信奉する小川未明がこんな雑駁な文章を書くのは当然なのであった.

 児童文学界における小川未明という人間とその作品の権威は虚構にすぎなかった.しかし同世代の童話作家たちの無責任と権威主義のために,石井桃子他『子どもと文学』 (福音館,1967年) によって未明の作家としての無能が指摘され,「未明神話」が崩壊するまでに実に戦後二十年以上を要したのであった.
 さらに,『子どもと文学』に続いて山中恒は『児童読み物よ、よみがえれ』(晶文社,1978年) で,未明らの「童心主義」が子ども不在の無意味な観念であることを喝破し,また後に『戦時児童文学論』 (大月書店,2010年) で小川未明はもちろんのこと,浜田広介と坪田譲治についても戦時中の姿勢を徹底的に批判した.最近では,未明について転向論の切り口から,増井真琴 (『小川未明の再転向』) によって未明の人間性批判が行われている.
 だがここで私は,『日本的童話の提唱』全文にわたって顕著な,日本民族の優位性を自明のこととする未明の思い上がり,独善性を指摘したい.
 戦争協力者小川未明の独善的ナショナリズムは戦時中に顕著になったもので,戦後は掌を返して民主主義者を装うのであるが,しかしこの独善的ナショナリズムは戦後,日本の童話界に遅れてやってきた藤澤衞彦教授によって継承されたと考えられる.
 そこで『日本的童話の提唱』と対比するために,藤澤衞彦教授が昭和二十四年,『母子草』巻末に掲げた《父兄方へ》を再掲する.(前に《母子草 (十一) 》で引用した)

憧憬と敬虔の念のそぞろ湧く日本傳承童話の泉、それは、日本の歴史と共に古くこの國土に秘められ、日本民族のみに恵まれた泉である。
 そこに、わが民族精神は眞實に傳統せられ、そこに、わが民族詩情の影は、誇りかにうつる。
 思想的にも、本質的にも、わが國民性的特徴の豊かな、純日本所産の貴物 (註;「貴物」には「とうともの」とルビが振られている) である日本傳承童話の蒐集整理研究のために、私は、日本學士院の推薦により、有栖川宮記念學術奬勵資金を、高松宮殿下からいただくことになりました。感激その仕事に没頭、努力『學術上有益なる研究竝 (註;読みは「ならび」) に其の發表を補助』せらるる御志に答えねばなりませぬ。
 日本傳承童話の蒐集整理研究は、もとより、文獻と傳承とによる日本傳説と日本童話の蒐集整理研究であって、その業は容易でないが、積年かけて集大成し、完了を終生に期待する。
一、本集は、その傳承童話を、原話の形式にこだわらず、ひたすらに、直ちにこどもたちに與える讀物として、標準語表現によって發表すべく念願したものの、第二集である。
一、蒐集整理の數は、先ず、第一期約二百二十話を、こん後一箇年間に整理發表するもので、全十二巻の選集とし、「日本傳承童話の整理研究」を別巻とする。
一、發表の童話は、美しくて良い童話のみを選ぶ。美しいものはなおまた偉大であり、良いものはなおまた貴い。この美しい良い傳承童話は常に歴史的藝術を含んでいる。想像的所産と考えられる童話も、嚴密に言えばその構成要素のうちには、常にそれが以前集められた若くは傳統された知識、精神を材料としていることが認められる。このきまりの上に所産された眞の日本のこどもへの文化寶としての純日本傳承童話は、日本民族の心的動向としての特徴を、そのお話のなかにただよわす。
一、美しい、良い、正しい傳承童話は、次代への文化寶として、他の國家、他の民族の持てるものとは特異なものを含む。形態としても、日本傳承童話は、この國、この民族の上にととのえられた、特性を持つものが少なくない。
 どうぞ、この童話のもつ特徴を、こどもたちに知らしてくださるよう、願う。
         藤澤衞彦

 この文中で藤澤教授は「国体」と書くのはさすがに憚られたようだが,民族精神,民族詩情,わが國民性的特徴,純日本所産,日本民族の心的動向などと国粋主義を露わにしている. 国粋主義は戦時中の小川未明の姿に他ならない.
 さらに付け加えると,未明は戦時中の座談会で《正しいものは同時に美しいものであり、美しいものは同時に正義である》と語っている.(出典;上野瞭『ネバーランドの発想』(すばる書房,1974年)
 これは藤澤教授が《父兄方へ》で《美しいものはなおまた偉大であり、良いものはなおまた貴い》と書いたことと呼応している.
 すなわち,戦後の小川未明は軽々と転向したが,藤澤教授は戦後を,戦前戦中の未明のミニチュアとして生きたのである.そしてこれこそが,上笙一郎が『児童文学研究=北邙の人たち』(日本児童文学協会編『戦後 児童文学の50年』,p.113) の中で,藤澤教授を指して《世界観や人生観に関しては、古くてどうにもならない》と書いたことなのである.
(続く)

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2018年7月13日 (金)

弱い者が正しいとは限らぬ

 今日,ジムで一時間ほどトレーニングしたあと,藤沢駅北口のバスターミナルで自宅方面行のバスを待った.
 十五分ほど待っているとバスがやって来たので,並んで待っていた三十人ほどの人たちはぞろぞろとバスに乗車した.
 そのバスがどのような車両かは,神奈川中央交通の「路線バス」案内サイトに説明があるが,その中の《お客様へのご案内 車いすをご利用のお客様へ》に,車いす利用者が乗車する際に車いすを停める位置 (シート二席分) が写真で示されている.私はその二つのシートの前の方に腰かけた.
 さてバスの発車時刻になり,運転士が「発車します」と車内アナウンスをして中ドアを閉めようとした時,中ドアの外で,大きな声が響き渡った.
「乗せろーっ,運転手ーっ」
 
 見ると,そこに車いすに乗った男性の障碍者がいた.
 あっ,車いすの人だ,と思った私は,慌てて立ち上がった.私がいた席は車いすを固定するための特別なシートだからである.同様に私の後ろのシートにいた人も立ち上がった.
 運転手は前ドアから降りて,その障碍者を乗車させるべく,車いすに近寄った.そこまでは,どうということはない日常風景であったのだが,そこから妙なことが始まった.障碍者が運転手にカラみ始めたのである.
 
「あーっ,おい,このやろうっ.オレを乗せねえってのか」
「申し訳ありません.気が付きませんでした」
「いいよいいよ,置いて行こうってんだな,このやろうっ,発車してえなら発車しろよ,このやろう」
 それからその障碍者は少しの間,バス運転手を罵倒し続けた.運転手は,済みません済みませんと謝り続け,私たち乗客はその光景をずっと見続けるはめになった.
 悪態をつき終わるとその障碍者は,今度は「早く乗せろこのやろうっ」と言った.
 運転手が中ドアに車いす用のスロープをセットすると,その障碍者の電動車いすは,ようやくバスに乗り込んだ.
 だが,意図的なのか車いすの運転に不慣れなのか,男は車いすを乗せる場合の指定位置にうまく停められず,電動車いすはバスの真ん中で斜めになってしまった.
 運転手が車いすの向きを進行方向に直して,ベルトで固定しようとしたのだが,男は運転手の手を払いのけ,
「さわるなっ,これでいいんだよっ.お前,名前はなんだ.会社に通報するからなっ,覚えておけ」
と言い放った.
 やむなく気の毒な運転手は運転席に戻って発車し,その暴君のごとき障碍者はスマホを取り出して声高に通話を始めた.
 
 こんなことがあったのだが,私は自宅最寄りのバス停に着くまで,車いすの近くの吊革につかまったまま,ずっと不快な思いをしていた.
 考えてみれば私たちは誰でも,車いすの世話にならなければいけない可能性がある.
 言い換えれば,どんなロクデナシでもゴロツキでも身体障碍者になり得る.
 だから,「弱い者が正しいとは限らぬ」とは眠狂四郎の台詞だが,社会的弱者が正しいとは限らない.善き心の持ち主であるとは限らない.
 言うまでもなく身体障碍者等はバスに乗って移動する当然の権利を有し,さらにはバス会社によっては割引運賃で乗ることができる (神奈川中央交通のバスは割引している).
 割引運賃は社会的弱者への社会 (直接的には国とバス会社) からのプレゼントである.しかしその優待を受けた者が,感謝の気持ちどころか言葉の暴力をふるうのを認めていいのか.バスは,障碍者であれば,いかなるロクデナシでも乗車拒否できない (国がそのようにバス会社を指導している) が,だからと言って障碍者は運転手を罵倒しても許されるのか.運転手はそれを甘受しなければならぬのか.私は納得できない.

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2018年7月12日 (木)

『氷の王国』と『しっぽの声 2』

 昨日の記事《南の魔女はオススメ》の末尾を再掲.
 
実は『スノーホワイト』の続編『スノーホワイト/氷の王国』も中古品を買ってあるが,これは公開時からボロボロに貶された作品だ.しかし映画は観てみなければわからないから,実際に観てから評価したい
 
 ほんとに映画は観てみなければわからない.前作『スノーホワイト』は駄作だった (王女なのに,口を半開きにしっぱなしで知性も気品も感じられないスノーホワイトを演じたクリステン・スチュワートは,この作品で第33回ゴールデンラズベリー賞最低主演女優賞を獲得した w ) が,『スノーホワイト/氷の王国』はとりあえず映画になっている.映画の口コミサイトでボロボロに貶されているのが不思議だ.みんな映画のどこを観ているんだ?
 この映画を観た人たちのレビューに「肝心のスノーホワイトはどうしたの?」というのがあるが,その疑問は,邦題しか見ていないからだ.原題は前作が“Snow White & the Huntsman”で今作は“The Huntsman: Winter's War”だから,別にスノーホワイト (白雪姫がモデル) が登場しなくても構わないのだ.むしろこの二作の主人公は“the Huntsman”なのだということが原題に示されている.つまり“Snow White & the Huntsman”は“The Huntsman: Winter's War”のプロローグであると同時にエピローグでもあるのだ.
 実は最初の構想は「スノーホワイト三部作」だったのだが,スノーホワイト役のクリステン・スチュワートが,監督のルパート・サンダースと不倫したため,二人とも企画から降板し,スピンオフ作品として構想されていた“The Huntsman: Winter's War”が代わって第二作に浮上したという経緯があったのである.
 そういう大人の事情があったので,三部作構想は頓挫してしまったのかも知れない.
 しかし“Snow White & the Huntsman”と“The Huntsman: Winter's War”のいずれにおいても「魔法の鏡はどこからきたのか」という伏線が回収されていない.もし第三作が作られるとすれば,魔法の鏡の由緒を巡る物語になるだろう.
 
 話題変わって,今週月曜日の記事《しっぽの声 》に《刊行されたばかりの「2」も買うことにした》と書いたが,その「2」が届いたので早速読んでみた.
 ちょっと物語の展開がモタモタしている感が否めない.ただし,ストーリーに原作協力者の杉本彩さんの意向が反映されているのはよく理解できる.この話の流れから予想すると,きっと「3」では杉本彩さんと某動物愛護団体との軋轢 (これはよく知られている事実) が描かれるのだろうと思う.
 杉本彩さんの考えに同意しない人も多いのではないかと思うが,それでもこのコミックは,日本のペットマーケットの実際を知るために読んでみるのを薦める.

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2018年7月11日 (水)

南の魔女はオススメ

 私は,現役会社員だった頃は「定年後に時間ができたらのんびりと,本を読んだり古い映画をまた観たりして暮らしたい」と思っていた.
 ところが意外に,のんびりどころか時間が足りない.ブログの更新に必要な読書と,それとはまた別の関心からする読書とで,一日の時間のかなりを使ってしまっている.
 映画鑑賞の方は,仕事からリタイアした時に未鑑賞の名画のDVDをしこたま買い込んだのだが,その後の作品のソフトもあれこれ買ってしまうものだから,古典名画の映画鑑賞はなかなか進まない.
 今日も今日とて,状態のいい中古品が Amazon に出ていたので購入した『スノーホワイト』(2012年) と『オズ はじまりの戦い』(2013年) とをぶっ続けに鑑賞した.いずれも公開時の興行成績が高かった作品である.

『スノーホワイト』は Wikipedia【スノーホワイト】に次の記述がある.

『スノーホワイト』(原題: Snow White & the Huntsman)は、グリム童話『白雪姫』を原作とした、ルパート・サンダース監督、ホセイン・アミニとイヴァン・ドーハーティ脚本による2012年公開のダークファンタジー映画。アメリカ合衆国では2012年6月1日に劇場公開された。本作を3部作の1作目とすることを予定している。
日本では2012年6月15日に劇場公開された。観客動員数は29万人を突破し、週末興行成績は約3億7000万円超えにして初登場第1位を獲得している。

 というのだが,作品の質としてあまり感心しなかった.
 どうしてかというと,ヒロインのスノーホワイト (クリステン・スチュワート) が,常に口を半開きにしているからである.美しく頭のよい魅力的な少女には見えないので,感情移入ができないのだ.
 ナタリー・ポートマン (『スターウォーズ』のパドメ・アミダラ役) やエマ・ワトソン (『ハリー・ポッター』のハーマイオニー・グレンジャー役) のようなオーラが,クリステン・スチュワートからは感じられなかった.
オズ はじまりの戦い』はこれと対照的に,ヒロインである南の善き魔女・グリンダを演じたミシェル・ウィリアムズが素晴らしく魅力的だ.このファンタジー作品はお薦めである.

 実は『スノーホワイト』の続編『スノーホワイト/氷の王国』も中古品を買ってあるが,これは公開時からボロボロに貶された作品だ.しかし映画は観てみなければわからないから,実際に観てから評価したい.

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2018年7月10日 (火)

経済白書の都市伝説

 昨日の記事《ほろ酔い初恋の味》に「昭和31年 年次経済報告」(通称「経済白書」) の結語から一部を引用した.改めて下に結語全文を引用する.
 
昭和31年 年次経済報告
結語
 戦後日本経済の回復の速やかさには誠に万人の意表外にでるものがあった。それは日本国民の勤勉な努力によって培われ、世界情勢の好都合な発展によって育まれた。しかし敗戦によって落ち込んだ谷が深かったという事実そのものが、その谷からはい上がるスピードを速やからしめたという事情も忘れることはできない。経済の浮揚力には事欠かなかった。経済政策としては、ただ浮き揚がる過程で国際収支の悪化やインフレの壁に突き当たるのを避けることに努めれば良かった。消費者は常にもっと多く物を買おうと心掛け、企業者は常にもっと多くを投資しようと待ち構えていた。いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた。なるほど、貧乏な日本のこと故、世界の他の国々に比べれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや「戦後」ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである。
 新しきものの摂取は常に抵抗を伴う。経済社会の遅れた部面は、一時的には近代化によってかえってその矛盾が激成されるごとくに感ずるかもしれない。しかし長期的には中小企業、労働、農業などの各部面が抱く諸矛盾は経済の発展によってのみ吸収される。近代化が国民経済の進むべき唯一の方向とするならば、その遂行に伴う負担は国民相互にその力に応じて分け合わねばならない。
 近代化--トランスフォーメーション--とは、自らを改造する過程である。その手術は苦痛なしにはすまされない。明治の初年我々の先人は、この手術を行って、遅れた農業日本をともかくアジアでは進んだ工業国に改造した。その後の日本経済はこれに匹敵するような大きな構造変革を経験しなかった。そして自らを改造する苦痛を避け、自らの条件に合わせて外界を改造 (トランスフォーム) しようという試みは、結局軍事的膨張につながったのである。
 世界の二つの体制の間の対立も、原子兵器の競争から平和的競存に移った。平和的競存とは、経済成長率の闘いであり、生産性向上のせり合いである。戦後10年我々が主として生産量の回復に努めていた間に、先進国の復興の目標は生産性の向上にあった。フランスの復興計画は近代化のための計画と銘うっていた。
 我々は日々に進みゆく世界の技術とそれが変えてゆく世界の環境に一日も早く自らを適応せしめねばならない。もしそれを怠るならば、先進工業国との間に質的な技術水準においてますます大きな差がつけられるばかりではなく、長期計画によって自国の工業化を進展している後進国との間の工業生産の量的な開きも次第に狭められるであろう。
 このような世界の動向に照らしてみるならば、幸運のめぐり合わせによる数量景気の成果に酔うことなく、世界技術革新の波に乗って、日本の新しい国造りに出発することが当面喫緊の必要事ではないであろうか。

 
 上記の結語について,Wikipedia【経済白書】には,有名な“もはや「戦後」ではない”について次の簡単な記述がある.
 
1956年(昭和31年)7月に発表された経済白書(副題日本経済の成長と近代化)の結語には、太平洋戦争後の日本の復興が終了したことを指して《もはや「戦後」ではない》と記述され流行語にもなった(経済企画庁の調査課長であったエコノミストの後藤誉之助が白書作成の指揮を執った。言葉の初出は中野好夫が『文藝春秋』1956年2月号に発表した「もはや『戦後』ではない」である)。 この言葉は、それまで経済成長を牽引してきた復興需要が落ち着きをみせ、今後の経済成長は社会の「近代化」によって支えられるものであり、その「近代化」もまた経済の安定した成長によって成し遂げられることを宣言するものであった。
 
 上の記述は,「昭和31年 年次経済報告」の結語についての妥当な解釈というべきだろう.
 ところが,たぶん二十世紀の終わりあたりからではないかと思うが,“もはや「戦後」ではない”の解釈が変容し始めた.
 例えば次のような記述がネット上に現れたのである.
 
もはや戦後ではない
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
 
1956年度の『経済白書』の序文に書かれた一節。戦後復興の終了を宣言した象徴的な言葉として流行語にもなった。執筆責任者は後藤誉之助。当時の日本は戦後復興の時期であり,日本経済は,朝鮮特需の影響もあり,戦前水準に向かって順調に回復していった。「回復を通しての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる」という序文の一節には,戦前水準への復帰を果たした達成感と,今後の成長への不安が入り混じっていたことがうかがわれる

 
 言うまでもなく,正しくは“もはや「戦後」ではない”であり,ブリタニカ国際大百科事典にある“もはや戦後ではない”は誤りである.ちゃんと原文を読んでいれば「 」を書き落とすことはあり得ないから,おそらく原文を目にしたこともない執筆者が,根拠もなくテキトーに《戦前水準への復帰を果たした達成感と,今後の成長への不安が入り混じっていたことがうかがわれる》とか何とか書きなぐったものと思われる.百科事典は事実を客観的に記載しなければいけない.《うかがわれる》などと主観的感想を書いているようでは,ブリタニカ国際大百科事典はロクな本ではない.
 また当該結語には,《達成感》とか《不安》など情緒的なことは書かれていない.そうではなく,Wikipedia【経済白書】が
 
この言葉は、それまで経済成長を牽引してきた復興需要が落ち着きをみせ、今後の経済成長は社会の「近代化」によって支えられるものであり、その「近代化」もまた経済の安定した成長によって成し遂げられる
 
と解説しているのと同趣旨のことを淡々と述べているのである.
 現在のネット上では,ネット百科事典「ブリタニカ国際大百科事典」の記述が質問掲示板などにおいてコピペで拡散されているうちに,“「昭和31年 年次経済報告」の行間に示されているのは今後の経済成長への不安である”とされて,これが優勢になってしまったようである.
 例えば,ブログ《科学技術のアネクドート》に掲載されている《「もはや『戦後』ではない。」の真意》には次のような文章がある.
 
つまり、「もはや『戦後』ではない」は、「復興による好景気は終わった。今後、日本はどう経済を成長させればいいのやら」という、未来を不安視する文言だったのです。
「もはや『戦後』ではない」が、楽観的な言葉として捉えられた背景には、その後、1964(昭和39)年の東京オリンピックのころまで、日本の経済成長が目覚ましかったため、白書に書かれている内容が杞憂と化したことなどが原因としてあるのでしょう。
かく述べる私も、白書の本当の意味合いを知ったのは、つい最近のこと。一次情報に当たってみることの大切さを思い知らされました。

 
 この文章の筆者は,おそらくネット上に伝播した噂話程度の情報で《白書の本当の意味合いを知った》のである.そのソースを確かめることなく信じ込んでしまったために,せっかく“一次情報に当たって”みたにもかかわらず,当該結語の意味を誤読してしまったのである.また自らもソースを示さずに噂話をネットに拡散したのだ.
 
 もう一つ例を挙げる.
 国土交通省国土計画局長まで務めた元高級官僚の小峰隆夫氏の《小峰隆夫の私が見てきた日本経済史》中にある《2016年5月17日 もはや戦後ではない―経済白書70年 (2) 》と題した一文である.
 この文章から一部を下に引用する.
 
つまり、白書は「これから新しい成長が始まる」という希望を述べているのではなく、これまでの成長を支えてきた復興需要というエンジンがなくなるのだから、「これからは厳しい時代に入る」と言っているのだ。そしてその見通しは全く外れた。日本経済は、エンジンがなくなったどころか、更に強い成長力を発揮して高度成長の時代に入っていったのだ。オリジナルの「もはや戦後ではない」は、特に先見の明を持って時代をとらえていたわけではなかったのだ。
 ただし、以上の話は、経済白書のことを知っている人には周知の事実であって、それ程意外な話ではない。私もこれまで何人もの先輩からこの話を聞かされてきた。「君は、『もはや戦後ではない』という有名な言葉を知っているだろう。あの言葉は、本当はどんな意味で使われていたのか知っているかね」と問われる。「いや、知りませんが」と答えると、「実はね、この言葉はかくかくしかじかの意味で使われていたのさ」というやり取りが、延々と繰り返されてきた結果、経済白書関係者の中では常識化したというわけである。

 
 小峰隆夫氏は,その素晴らしい経歴にもかかわらず,日本語は全くだめなようである.
 
白書は「これから新しい成長が始まる」という希望を述べているのではなく、これまでの成長を支えてきた復興需要というエンジンがなくなるのだから、「これからは厳しい時代に入る」と言っているのだ
 
と述べているが,当該結語のどこにも《これからは厳しい時代に入る》などとは書かれていない.先入観があるために氏が勝手にそう思い込んでいるのだ.
 また小峰氏もブリタニカ国際大百科事典と同じく文中で《君は、『もはや戦後ではない』という有名な言葉を知っているだろう》と書いている.再度指摘するが,正しくは『もはや「戦後」ではない』と書かねばいけない.
 この文言は,Wikipedia【経済白書】に
 
1956年(昭和31年)7月に発表された経済白書(副題日本経済の成長と近代化)の結語には、太平洋戦争後の日本の復興が終了したことを指して《もはや「戦後」ではない》と記述され流行語にもなった(経済企画庁の調査課長であったエコノミストの後藤誉之助が白書作成の指揮を執った。言葉の初出は中野好夫が『文藝春秋』1956年2月号に発表した「もはや『戦後』ではない」である)。
 
とある通りである.
 中野好夫氏も「昭和31年 年次経済報告」も,“戦後”に括弧をつけて“「戦後」”あるいは“『戦後』”とすることで特別な意味を込めたのである.こんなことは,日本経済の成長期を生きてきた私たちの世代には常識レベルの知識だ.
 しかるに小峰氏は,意図的かどうかわからぬが,括弧を取り去った.ここまでくると,もはや小峰氏の文章は歪曲あるいは捏造レベルと言っていい.
 では小峰氏が「昭和31年 年次経済報告」に対して持っている先入観はどんなものかというと,氏自ら
 
私もこれまで何人もの先輩からこの話を聞かされてきた。「君は、『もはや戦後ではない』という有名な言葉を知っているだろう。あの言葉は、本当はどんな意味で使われていたのか知っているかね」と問われる。「いや、知りませんが」と答えると、「実はね、この言葉はかくかくしかじかの意味で使われていたのさ」というやり取りが、延々と繰り返されてきた結果、経済白書関係者の中では常識化した》 (下線は当ブログの筆者が付した)
 
と述べているように,史料に基づく知識ではなく,引用文中の下線を付した箇所にあるように,一種の都市伝説的な口コミによって刷り込まれた先入観であることを白状している.
 このような非科学的頭脳の人物が日本経済を指揮してきたのだから,我が国の現状は,むべなるかなである.
 余談だが,小峰氏は文中に次のようなことも書いている.
 
原典に当たってみよう。第1回 (2016年4月21日掲載の本連載) の白書について書いた時は、貴重な古文書を日本経済研究センターのライブラリーから借り出してきたわけだが、56年度白書は簡単だ、内閣府のホームページ上で54年度以降の白書が全文公開されているからだ。全くネット社会とは便利なものだと実感する。なお、ついでに言わせてもらえば、内閣府がなぜ54年度以降しか公開しないのかは、私には謎である。せっかくだから、歴史的な第1回白書も含めて、47~53年度の白書も是非公開して欲しいと思う。
 
 過去に発刊された年次経済報告に関しては,国会図書館に現存しているものは国会図書館オンラインでも公開されていて,誰でも必要な時に必要な部分を簡単な手続きで入手できる.
 内閣府のサイトに,欠けている年次経済報告があることは事実だが,政府刊行物の基本的所蔵機関は国会図書館である.内閣府のサイトは便利だが,それは国会図書館から転載された資料だ.要するに政府刊行物は,「電子政府政策」の中核機関の一つである国会図書館 (のサイト) にあり,そこにないものは政府は所蔵していないのであるから,公開しようがない.《内閣府がなぜ54年度以降しか公開しないのかは、私には謎である 》と不満を述べても,ない袖は振れない.(さきほど調べたら,1952年度と1953年度の年次経済報告は地方自治体の図書館に所蔵されていて,その所蔵館は容易に検索できる.また1947年度はオリジナルが国会図書館デジタルコレクションに入っている他に,講談社学術文庫の一冊として復刻出版されたものの古書がたくさん流通している.氏が言うほどの《貴重な古文書》では全然ない.さらに,1951年度の年次経済報告は今日現在も数点が古書市場で流通している.残り三冊の所在を突き止めるのも調べる気になればそれほど難しくはないだろう)
 小峰氏は,私のような一般人程度の情報収集力も持っていないらしい.現役官僚時代,資料の調べ方も知らないで,一体どんなやり方で仕事をしていたのか国民としては是非とも知りたい.内閣府のサイトにおいて欠けている年次の報告を公開しろと言っている暇があったら,自分でさっさと原本を集めてデータ化し,自分のブログで公開するのが余程手っ取り早いと思うが,それができないから文句をたれているのだろう.

 かように日本経済の基本文献の集め方を知らぬような非科学的頭脳の人物が日本経済を指揮してきたのだから (以下同文)

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2018年7月 9日 (月)

ほろ酔い初恋の味

 昔々,私が二十四歳の時,後に妻となる女性と地方都市のパブで酒を飲んだ.
 その時に彼女が飲んだのは,カクテル名は忘れたが,ジンを炭酸水で希釈したカルピスで割り,そこにサントリーのカクテル用ライムジュースを少量加えてステアしたものだった.
 彼女が,このカクテルはおいしいと言うので,私も飲んでみた.アルコール入りの初恋の味がした.w
 
 昭和二十年代生まれの老人たちにとって,カルピスは特別な飲み物だろうと思う.
 我が国は,「昭和31年 年次経済報告」の結語に
 
いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた。なるほど、貧乏な日本のこと故、世界の他の国々に比べれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや「戦後」ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである。》 (下線は当ブログ筆者が付した)
 
と書かれた時期,戦前の経済水準への回復を達成し,怒涛の経済復興は終わりを告げた.そして,戦前の水準を凌駕すべく《速やかにしてかつ安定的な経済の成長》を目指す新時代を迎えた.
 この頃,比較的に裕福な庶民の家では,玄関の引き戸脇の壁にヤクルトと森永ホモ牛乳の木箱が釘打ちされて設置され,この二つの飲料の宅配が広まった.
 ヤクルトが現在とほぼ同様の小瓶入り商品となったのは昭和三十年代の前半である.(「ヤクルト」発売80年ヒストリー)
 乳製品業界最初の乳脂肪均質化 (ホモジナイズド) 牛乳「森永ホモ牛乳」が発売されたのは昭和二十七年 (1952年) のことだった.(森永乳業商品ヒストリー)
 この二つは《もはや「戦後」ではない》を象徴する食品であった.
 すなわちヤクルトと森永ホモ牛乳は生活に不可欠の食品ではなく,子どもの栄養のために購入するものであったから,家計に余裕のある家庭が月極契約で購入した.そしてヤクルトと森永ホモ牛乳の,どちらがステータスが上かというとヤクルトであり,家庭の裕福度は以下のようであった.
ヤクルトと森永ホモ牛乳を両方   裕福
ヤクルトのみ           そこそこ裕福
森永ホモ牛乳           やや裕福
いずれもとっていない       普通の家庭経済状態
森永ホモ牛乳の配達アルバイトをしている    (ToT)
 
 私の生家は貧しかったので,幼時の頃は子どもの飲み物といっても特別のものはなく,焙じ茶や麦茶を飲んでいたのだが,そのうちに「渡辺粉末ジュース」が登場し,これが夏の飲料の定番となった.(粉末ジュースには発泡性と非発泡性のものがあり,非発泡性のオレンジ味は冬にも飲まれたがうまくはなかった)
 当時の粉末ジュースは合成甘味料,合成香料,合成着色料などの食品添加物で構成されていた飲料で,安全性を問わなければ,今や多くの飲料メーカーから発売されている「ゼロカロリー飲料」の先駆けであった.ヾ(--;) 問えよ
 しかし当時,いかにもジャンクな粉末ジュースとは別格の飲料があって,何を隠しましょう,それはカルピスであった.
 
 企業としてのカルピスの創業は,大正五年 (1916年) 設立の醍醐味合資会社に遡る.
 翌年にラクトー株式会社が設立され,大正八年 (1919年) にカルピスが発売された.大正十二年 (1923年) にカルピス製造株式会社に商号変更したのが創業である.
 商品としてのカルピスは昭和中頃まで贈答品として確固とした地位を保持していたのだが,その後は凋落の一途を辿り,平成十九年 (2007年),遂に立ち行かなくなり,味の素に吸収されて完全子会社となった.
 しかし味の素は,平成二十四年 (2012年),カルピスの全株式をアサヒグループホールディングスに売り,カルピスはアサヒグループの一員となった.
 ところがアサヒグループホールディングスは,平成二十八年 (2016年) に飲料事業を再編成し,カルピスの事業をグループ各社に継承・移管して解散したため,大正時代創業のカルピスはここに消滅した.
 企業としてのカルピスは創業百年で命脈尽きたが,しかし飲み物としてのカルピス,ブランドとしてのカルピスは一世紀を生き延びた.カルピスの乳酸菌発酵事業を継承したアサヒ飲料は昨年,体脂肪減少を謳う機能性表示食品「カラダカルピス」を発売したのだ.
 現在,乳酸菌飲料の主戦場は機能性を訴求する商品であるが,遅ればせながらようやくカルピスも機能性表示食品市場に参入したわけである.
 
 前置きが長かったが,本題である.
「体脂肪減少」は鰯の頭も信心から程度に考えておけばいい (発表されたデータによれば三ヶ月間飲み続けても効果は僅かで,短期間の厳しい糖質制限ダイエットに遠く及ばない w ) が,私がこのカラダカルピスで感心したことがある.体脂肪減少というコンセプトから必然的に,砂糖を使用せずに他の甘味料へ原材料を変更したわけだが,にもかかわらず,味が依然として,私たちが慣れ親しんだ昭和のカルピスなのである.
 そこで私は老人諸兄に,糖質制限中でも飲んでよいカクテルを提案したい.
 黒糖焼酎,泡盛あるいはジンのいずれでも結構であるが,タンブラーに好みの量を入れ,カラダカルピスで割り,氷を入れる.あれば無果汁のライム風味炭酸水 (ペリエやクリスタルガイザーから出ている.カラダカルピスは甘いので,甘いライムジュースよりも無果汁炭酸水のほうがよいかと思う) を加えてステアする.
 カラダカルピスに由来する糖質が含まれるが,その糖質は砂糖や果糖,ブドウ糖ではなく「体脂肪減少」に有効だとするニゲロオリゴ糖なので,摂っても大丈夫ではないかと思う.
 材料それぞれの比率は各自のお好みで,初恋の味のするカクテル,名付けて「初恋」をどうぞ.w

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2018年7月 8日 (日)

しっぽの声

 私がこれまでに読んできたネコマンガもイヌマンガも,ほとんどは明るい内容の作品 (例外は涙腺崩壊必至の村上たかし『星守る犬』) だった.

 ところが最近,Amazon がしきりに『しっぽの声』を推薦してくるので,これまでに二冊出ているが,試しに「1」を購入してみた.このコミックは原作が夏緑,作画は ちくやまきよし,そして動物福祉活動家として知られる女優の杉本彩さんが原作者に協力している.
「あとがき」で,この本が出版されるに至った経緯を杉本彩さんが執筆していて,そこに次のようにある.

人間は動物を利用して動物からたくさんの恩恵を受けています。そのことを認めた上で、動物が命あるかぎり不快な思いをしないよう配慮する――動物福祉は、人が動物と関わる以上、最低限の責務でもあります。
 『しっぽの声』を初めて読んだ方は、その内容に衝撃を受け、にわかに信じがたいかもしれません。ですが、残念ながらこれが現実なのです。"漫画"を通じて、動物たちの声が多くの皆様の心にとどくことを願ってやみません。

 この文章に嘘はないと思う.刊行されたばかりの「2」も買うことにした.

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2018年7月 7日 (土)

ジェネリック医薬品不信

 各メディアが報道したところによれば,あすか製薬は,2017年まで製造販売していた高血圧症治療剤のバルサルタン錠「AA」に発がん性物質が混入しているとして自主回収を開始した.
 バルサルタン (註1) は,国際的製薬企業のノバルティス社が開発し,臨床研究不正事件で有名な「ディオバン (Diovan)」(註2) の一般名である.バルサルタン錠「AA」はあすか製薬の製品名であり,ディオバンのジェネリック医薬品である.あすか製薬以外のメーカーのバルサルタン錠の名称は記号部分が異なり,バルサルタン錠「XX」などとなる.
 
 さてジェネリック医薬品の安全性に不信感を抱いている人は多いだろう.私もその一人だ.
 今回の事件で判明したのは,あすか製薬は原薬の品質管理をしていない (バルサルタン錠「AA」の原薬は中国製で,あすか製薬は輸入した原薬をそのまま使用した) ということである.
 先発医薬品はすべての安全性試験を行って初めて承認されるわけだが,ジェネリック医薬品は有効成分のみに関する試験が行われるに過ぎない.また,ある先発医薬品に関して,その開発を行ったメーカーは原薬開発過程で,ジェネリック医薬品メーカーよりも高い品質管理技術を獲得していると思われる.
 すなわちジェネリック医薬品メーカーの品質管理技術が劣るということは,彼らは原薬開発に携わっていないから,有効成分を合成する化学反応でどのような副生成物が生成し,原薬に残存・混入する可能性があるかという知識がないことを意味しているのであるが,それならそれで,ジェネリック医薬品を製造する前に,先発品の特許明細書に従って実際にその合成反応を実施してみれば,管理すべき不純物に関する情報は獲得できる.
 何が混入しているか不明な場合の化学的分析による品質管理は困難であるが,不純物が何かわかっている場合は高感度の不純物分析が可能であるため,品質管理が容易になるのである.
 今回の事件で混入した発がん性物質はN―ニトロソジメチルアミンであるが,ある範囲の pH 条件下において硝酸塩や亜硝酸塩やアミンを利用する産業プロセスにおいて,副生成物として生成されることが既知であり,またこれは低分子化合物であるので,高感度分析が容易である.
 従って,あすか製薬は,やろうと思えば簡単にN―ニトロソジメチルアミンの混入を防げたはずだが,どういう心得違いか,原材料の品質管理を全くしていなかったために事件を起こしたと考えていい.
 
 ジェネリック医薬品に関して Wikipedia【後発医薬品】に,その問題点として次の記述がある.
 
この動きに合わせて、新薬開発に乏しい、もしくは後発医薬品に特化した中小の医薬品メーカーは、後発医薬品の積極生産へとシフトしつつある。しかしながら、OECD諸国並みの普及率には至ってはいない。
その理由としては、安定供給が難しいという後発医薬品メーカーの問題のほか、材料や製造法が先発品と完全には一致しないことから、効果・安全性の面で必ずしも信頼できないとする医師・薬剤師らの意見があることが挙げられる。
》 (下線は当ブログ筆者が付した)
 
先発医薬品の承認申請には、発見の経緯や外国での使用状況、物理的化学的性質や規格・試験方法、安全性、毒性・催奇性、薬理作用、吸収・分布・代謝・排泄、臨床試験など数多くの試験を行い、20を超える資料を提出する必要がある。
これに対して後発医薬品では、有効性・安全性については既に先発医薬品で確認されていることから、安定性試験・生物学的同等性試験等を実施して基準をクリアすれば製造承認がおりる。生物学的同等性試験とは、先発品と後発品の生物学的利用能を比較評価するもので、投与された被験者の生物学的利用能に統計的に差がなければ効果も同じで、すなわち生物学的に同等と判断される。血中濃度の推移が同等であれば生物学的効果に差がないとする考え方は、米国FDAをはじめ諸外国でも同様に認められた解釈である

一方、承認申請時に必要な書類は、規格および試験方法、加速試験、生物学的同等性試験のみであり(ただし、医薬品によっては長期保存試験も必要となる)、7つの毒性試験が全て免除されていることは問題であるとする意見がある。 (下線は当ブログ筆者が付した)
 
 現状,医師は患者からの要請がない場合,ジェネリック医薬品を積極的には薦めてはいないようだ.というのは,ジェネリック医薬品は患者にとって大して安価ではないからである.(ジェネリック医薬品にすればどれくらい薬代の節約になるかは,健保組合や行政から,節約額を記載した「お知らせ」がくるのでわかるが,私の場合,五種類の薬を毎日服用しているが,節約できるのは少額だ.多量の薬を飲まなけれはいけない人とか,国民年金しか受給していない人は別として,私のような普通の厚生年金受給者であれば,ジェネリック医薬品にする必要性はあまりない)
 であれば医師は,長年の実績がある先発医薬品を,処方する薬の第一候補にするのは当然だし,患者である私も,わずかな節約のために安全性に疑問がある薬を服用したくはない.現行の医療制度では,国はジェネリック医薬品の普及に力を入れている.そのため調剤薬局は,医師の処方箋に書かれている先発品を,患者に「ジェネリックにすると安くなります」と宣伝してジェネリック医薬品への誘導し変更に成功すると儲かる仕組みになっている.調剤薬局がジェネリック医薬品の販売に熱心なのはそのためである.
 調剤薬局を併設しているドラッグストアチェーンがいくつもあるが,酷い薬局では,薬剤師がジェネリック医薬品を薦めるので,処方箋通りに先発品にしてほしいと私が言ったら,「先発品は置いてないので,それでは他の薬局へどうぞ」と言われた経験がある.(藤沢駅北口に近いドラッグストア「クリエイトS・D藤沢駅北口店」)
 
 このように患者も医師もジェネリック医薬品に積極的でない現状下で,当のジェネリック医薬品メーカーはどう考えているのか.
 業界団体である日本ジェネリック製薬協会の公式サイトに Q&A 《ジェネリック医薬品に不安・疑問のある方へ》が掲載されている.しかしこの資料を読めば明らかなように,彼らが「安全性」といっているのは,有効成分の安全性を意味している.そうではなくて,私たち国民が知りたいと言い続けているのは,今回のバルサルタン錠「AA」事件のような,実際の製品に含まれる不純物に由来する危険性をどのようにして管理し,どのように安全性を国民に保証していくのかという具体的な品質保証システムのことなのである.有効成分の安全性は,先発品が承認された時点で「ほぼ」 (註3) 保証されている.ジェネリック製薬協会に今更教えられる筋合いはないのだ.
 しかるにジェネリック医薬品メーカーは,国民の疑問に答えようとしない.これではジェネリック医薬品が普及するわけがない.
 厳しい承認審査を受ける先発医薬品はもちろんのこと,行政による監視が厳しくない食品業界でも,残留農薬やヒ素重金属などの有害物は分析を実施するのが品質管理の基礎である.しかるにジェネリック医薬品 (の一部は) 品質管理がなされていないことが明らかになってしまった.この事件の意味するところは重大である.
 
 このブログ記事の結論を書く.この記事を読んでいただいたかたが,調剤薬局で「この薬はジェネリックがありますがどうします?」と訊かれたら,メーカーはどこかを訊ねていただきたい.そしてメーカーが,あすか製薬だったら,先発品か他のジェネリックにしていただきたい.あすか製薬のような悪質な製薬企業を医薬品市場から退場させる方法はそれしかないと思うのである.
 
 余談だが,高齢者が医療費を節約しようと思うのであれば,ジェネリック医薬品よりも,筋肉量を維持するトレーニングと,糖質を制限する健康的な食生活のほうが余程効果的である.私は現在は健康を回復しているが,以前,生活習慣病を患った経験から,健康のコストを計算して本当にそう思う.
 
[註1]
N―ニトロソジメチルアミンの化学的性質と毒性データの詳細 (環境省のサイトから引用)
 
[註2]
ディオバン事件 (Wikipedia【ディオバン事件】)
 
[註3]
市販後に副作用などの理由で市場から撤退する例はある.(津谷喜一郎「市場撤退薬の諸相」)

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2018年7月 6日 (金)

ある生き物の殺処分

 三日前の毎日新聞に《外来生物:タイワンリス「根絶」にめど 熊本・宇土半島 (2018/07/03 09:42) 》が掲載された.
 記事の冒頭を要約すると以下の通りである.

 熊本県の宇土半島で六千匹を超えるほど繁殖した特定外来生物のタイワンリスが昨年,推定六十五匹にまで減ったことが調査で分かった.タイワンリス根絶を目指した第一段階である宇土半島への封じ込めが成功した.環境省,林野庁,熊本県,宇土・宇城両市,JA,学識経験者により構成される地元の協議会は第二段階である根絶目標を2021年3月に定めた.

 日本全体のタイワンリス生息数はどれくらいになるのだろう.(繁殖地域はここ)
 仮に他の地方・地域でも熊本県方式に倣うとすると,莫大な殺処分が行われることになる.
 止むを得ないこととは思うが,胸がいたむ.
 同じく野生繁殖個体の根絶が目標とされている動物にアライグマがある.その根拠になっている「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律(外来生物法)」について公益財団法人・神奈川県動物愛護協会の公式サイトに批判記事がある.その一部を引用する.

日本政府は、1992年に生物多様性条約に締結しても、何ら自国の自然環境を守るために策を講ずることはなく、海外からの輸入は大通りのまま10年以上放置し、重い腰を上げたのは、結局、被害や苦情の増加でしかなかったということです。そして作られた法律が、動物・植物・昆虫まで全て同じ枠に押し込んだ「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律(外来生物法)」です。

この法律では、まず輸入だけの禁止や繁殖の禁止という段階的な措置がありませんし、国内で野外繁殖が懸念される規制対象種を増やしていくという方法(ブラックリスト方式)ですから、見落とされればそれまでです。少なくとも、ペット用や観賞用に輸入する生物については、確実に危険のないものだけの輸入(ホワイトリスト方式)にするべきです。

人が過ちを犯してしまうことを100%防ぐことはできません。そして、人が自身の犯した過ちを正す時は、悔恨の情を持ち、迷惑を与えた相手に出来る限りの配慮を行なうべきでしょう。しかし、外来生物法での対処は、野外で増えた生物の駆除・根絶でしかありません。それは命を奪うことです。人間の意図の有無は関係なく人が持ち込んだ事に変わりなく、持ち込まれた生物が移住を望んでいなかったことだけは明らかです。持ち込まれた生物こそが被害者なのですが、『害を及ぼす』として安易な殺され方をしています。

ペット用や観賞用に輸入する生物については、確実に危険のないものだけの輸入(ホワイトリスト方式)にするべきです 》に私はほぼ同意する.同意に一部保留したのは「危険性の有無判定をどうしたらよいか」という問題が分明でないことと,法で輸入禁止しても必ずや違法に輸入する業者が現れるからである.

 環境省のサイトに掲載されている外来生物法の罰則を見てみると,割と軽い罰則規定であることが知れる.
 私見だが,個人で違反した場合は,「懲役または罰金」でなく懲役刑のみにするべきであり,法人の場合は代表者の懲役刑を新設するべきであると考える.

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2018年7月 4日 (水)

久しぶりに更新

 夏風邪をこじらせて肺炎の徴候があり,止む無く入院の仕儀となった.
 さすがに医師の手当ては自宅で安静にしているなんていうのとは異なり,すぐに楽になった.
 入院中は本ばかり読んでいて,病室に持ち込んだ本は以下のもの.
 
高島俊男『お言葉ですが…別巻7 本はおもしろければよい』(連合出版)
石井桃子,いぬいとみこ他『子どもと文学』(福音館)
末木文美士『中世の神と仏』(山川出版)
鎌田茂雄『観音のきた道』(講談社現代新書)
大東俊一『奥琵琶湖「観音の里」の歴史【近江・湖北の精神風土】』(彩流社)
松本三喜夫『柳田「民俗学」への底流』(青弓社)
 
 高島俊男先生の『お言葉ですが…』シリーズはこの別巻7 が最後の刊行となる.視力困難となられたあとも,これまでシリーズの口述筆記を続けられたことに対して心から尊敬する.
『子どもと文学』は現代日本の童話や絵本の出発点となる評論集である.大いに参考になった.
 残りの四冊は,秋に湖北と竹生島など琵琶湖の旅に行く予定なので,その予習である.
 
 退院して,なまった体を動かしに外出することにしたが,結局,辻堂のテラスモールで映画を観た.スター・ウォーズのスピンオフ第二作『ハン・ソロ』である.
 スピンオフ第一作の『ローグ・ワン』が本編を凌ぐ出来だったので,それに比較するとこれは凡作であるし,米国での評判も芳しくない.
 今後のシリーズ本編でもスピンオフ作品でも,『ローグ・ワン』のラストシーンのヒロイックな美しさを越えるのはなかなか難しいと思う.
 
 今月の予定は,皇居を参観して,皇居でしか販売されていない焼酎「御苑」を買うことと,テレビ番組『世界一受けたい授業』のスピンオフというか,ライブショー「THE LIVE 恐竜に会える夏」を見に行く.目的は芦田愛菜ちゃんを見に行くことだ.w
 恐竜つながりで映画『ジェラシック・ワールド』も観る予定.細田監督作長編アニメ『未来のミライ』はどうしようか迷っている.私以外の観客全員が子どもたちだったら,周囲に与える違和感が半端ではないと予想されるからだ.ww
 あとは,飲み会が一度あるのと,月末にクラブツーリズムの定期講座『国宝』を聴講することにしている.

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