母子草 (九)
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前回記事《母子草 (八) 》の末尾を再掲する.
《次回は中島版『母子草』の要約を示す.》
《次回は中島版『母子草』の要約を示す.》
以下に,箇条書きの形で,『ひともっこ山 湖の国にむかしむかし』に収録された中島千恵子版『母子草』の粗筋を示す.地の文は共通語で,会話は近江弁で書かれているところが中島千恵子版『母子草』の特徴である.他の著者たちによって書かれたハハコグサにまつわる民話は,地の文も会話も共通語である.
・昔,琵琶湖畔に貧しい母娘が住んでいた.十歳を過ぎたばかりの娘の名は,みよといった.
・母は病気がちで働くことができなかったので,幼いみよが,死んだ父親の仲間だった漁師たちから魚や貝を分けてもらい,それを売って生計を立てていた.
・やがて母は失明するかも知れない重い眼病を患った.
・みよは,何とかして母の眼を治してあげたいと思ったが,薬を買うにはお金が要る.
・そこへ近所の人が,みよに,琵琶湖の対岸の町で奉公の口があると教えてくれた.給金を前払いしてもいいという.
・みよは,母と別れるのはつらいが,母の眼を治すために辛抱して働きにでることにした.
・ところが奉公先の主人は,みよを情け容赦なく使ったので,みよは毎日辛い仕事に耐えなければならなかった.
・みよは,泣き出したいくらい悲しくなったときは,琵琶湖の浜辺に行って母のことを思った.浜からは観音堂が見えたので,いつも観音様に母の眼が治りますようにと拝んだのだった.
・その母は,みよが残してくれた給金の前払いで医者に診てもらったが,もう手遅れであった.母は杖を頼りに琵琶湖の岸辺に行き,次第に見えなくなる目に涙をためながら,観音様にみよの無事を祈った.
・ある日,水汲みの仕事に疲れ果てたみよは,怠けるなと主人に強く叱責された.みよはとうとう辛抱しきれなくなり,琵琶湖の畔にやってきて,おっかさんが恋しいと泣いた.
・すると不思議なことに,みよの涙が水の上に浮かんで,おっかさん恋しいという文字になった.その向こうに観音様が現れ,みよを手招きした.みよが観音様に近寄ると水上に書かれた文字の上に立つことができた.すると水に浮かんだ文字は,みよを乗せてするすると故郷の村に向かった.
・村の岸辺に着いたみよが観音様に礼を言おうとすると,もう観音様の姿は消えていた.
・みよが懐かしい我が家に帰ろうと歩き出すと,湖から家の方向に,見たこともない黄色い花がずっと咲いているのに気が付いた.
・母は病気がちで働くことができなかったので,幼いみよが,死んだ父親の仲間だった漁師たちから魚や貝を分けてもらい,それを売って生計を立てていた.
・やがて母は失明するかも知れない重い眼病を患った.
・みよは,何とかして母の眼を治してあげたいと思ったが,薬を買うにはお金が要る.
・そこへ近所の人が,みよに,琵琶湖の対岸の町で奉公の口があると教えてくれた.給金を前払いしてもいいという.
・みよは,母と別れるのはつらいが,母の眼を治すために辛抱して働きにでることにした.
・ところが奉公先の主人は,みよを情け容赦なく使ったので,みよは毎日辛い仕事に耐えなければならなかった.
・みよは,泣き出したいくらい悲しくなったときは,琵琶湖の浜辺に行って母のことを思った.浜からは観音堂が見えたので,いつも観音様に母の眼が治りますようにと拝んだのだった.
・その母は,みよが残してくれた給金の前払いで医者に診てもらったが,もう手遅れであった.母は杖を頼りに琵琶湖の岸辺に行き,次第に見えなくなる目に涙をためながら,観音様にみよの無事を祈った.
・ある日,水汲みの仕事に疲れ果てたみよは,怠けるなと主人に強く叱責された.みよはとうとう辛抱しきれなくなり,琵琶湖の畔にやってきて,おっかさんが恋しいと泣いた.
・すると不思議なことに,みよの涙が水の上に浮かんで,おっかさん恋しいという文字になった.その向こうに観音様が現れ,みよを手招きした.みよが観音様に近寄ると水上に書かれた文字の上に立つことができた.すると水に浮かんだ文字は,みよを乗せてするすると故郷の村に向かった.
・村の岸辺に着いたみよが観音様に礼を言おうとすると,もう観音様の姿は消えていた.
・みよが懐かしい我が家に帰ろうと歩き出すと,湖から家の方向に,見たこともない黄色い花がずっと咲いているのに気が付いた.
ここまでは,中島版『母子草』と他の著者による『母子草』の大筋は一致 (少女を故郷に帰すのが,中島版は観音様であるが,他の著者たちは弁天様にしている点が異なる.この点は後で詳しく述べる) しているが,他の著者の『母子草』が,特にクライマックスもなく母娘が再会して平板なハッピーエンドで終わってしまうのに対して,中島版はここで悲劇の方向に急展開する.
・母に会えると胸をわくわくさせながら,みよが家に着いてみると,家の中はひっそりとしていた.近所の人がやってきて,みよに,母は十日ほど前に亡くなったと告げた.
・あまりのことに,みよは狂ったように泣いた.
・あまりのことに,みよは狂ったように泣いた.
以下,中島千恵子氏の文体を紹介したいと思うので,物語の結末を直接引用する.
《「おっかさん、なんで生きていてくれなんだんや。どんなつらいときでも、おっかさんのためやと思うて、しんぼうして働いてきたのに……、そのおっかさんに会えんなんて……、そんなひどいこと……」
力を落として、なきつづけるみよに、となりのおじいさんは
「みよ、おまえのきもちは、ようわかるけど、もうどうしようもないのや……それより、みよ、見てみ。おまえのおっかさんのなみだがこぼれて、ほれ、こんなきれいな草がはえたんや……。きれいな花やろ、おまえのおっかさんに、ようにてるやないか……なあ、みよ、おっかさんが咲かせた花だよ」
と、なぐさめました。
力を落として、なきつづけるみよに、となりのおじいさんは
「みよ、おまえのきもちは、ようわかるけど、もうどうしようもないのや……それより、みよ、見てみ。おまえのおっかさんのなみだがこぼれて、ほれ、こんなきれいな草がはえたんや……。きれいな花やろ、おまえのおっかさんに、ようにてるやないか……なあ、みよ、おっかさんが咲かせた花だよ」
と、なぐさめました。
いまでも、春になると、びわ湖のほとりに、わた毛をつけた黄色い花が咲いています。かわいそうなおっかさんのなみだと、やさしいむすめの心とによって咲いたこの花を、村の人たちは、母子草とよんでいます。
(大津市堅田の話・再話 中島) 》
(大津市堅田の話・再話 中島) 》
母の死に目に会えなかった哀れな少女のために,琵琶湖の観音様は,母の涙を黄色い花に変えた.そして天涯に一人となった少女は,春になると咲くこの花を母の思い出として心の支えにしたのである.
この中島版『母子草』は,昔話の域を超えて,少年少女向けの小説の水準に達している.これは児童文学である.また,数百年にわたって物語を語り伝え続け,ここまでブラッシュアップした近江の人々の感性に感嘆せざるを得ない.
(続く)
この中島版『母子草』は,昔話の域を超えて,少年少女向けの小説の水準に達している.これは児童文学である.また,数百年にわたって物語を語り伝え続け,ここまでブラッシュアップした近江の人々の感性に感嘆せざるを得ない.
(続く)
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