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2018年5月14日 (月)

『母子草』ノート (1)

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 ひょんなことから,私が「母子草の物語」と呼ぶ近江の民話について調べている.

 私の調べでは,この民話の原話は,故中島千恵子氏が再話して『ひともっこ山 湖の国にむかしむかし』に収録して発表した「母子草」だろうと考えられた.

 ところが調査を進めると,中島千恵子氏の出版のずっと前に,中島氏の再話「母子草」とは全く異なるストーリーの童話「母子草」が,日本の児童文学の重鎮であった藤澤衞彦氏 (明治大学教授) によって出版されていたことを知った.

 藤澤教授はその童話作品「母子草」を含む著書『母子草』の巻末の《父兄方へ》と題した文章において,《發表の童話は、美しくて良い童話のみを選ぶ。美しいものはなおまた偉大であり、良いものはなおまた貴い》と書いたが,私はこの言葉に既視感を覚えた.

 というのは,藤澤教授のこの言葉を知る前に,私はこの連載記事のための調査の過程で,あの小川未明がある座談会で「文芸というものは美しくなければいけない.正しいものは同時に美しいものであり、美しいものは同時に正義であるということは、私が文壇に出る時からの信念であった」旨の発言をしている(戦時下の児童文学-小川未明の場合)ことを知っていたからである.

 藤澤教授の《美しいものはなおまた偉大であり、良いものはなおまた貴い》は,戦時中は皇国史観に少年少女を動員し,戦後は掌を反して日本児童文学者協会の会長の地位に就いた世渡り上手の変節漢,小川未明へのオマージュであると断定してよいと思う.
 ここから私の調査 (勉強) は,藤澤教授の,あるいは他の児童文学者たちの戦争責任へと向かった.
 すると,やはり心ある人々によって,我が国の児童文学者たちの権力迎合,戦争協力は既に批判されていたのである.
 児童文学と戦争責任.これについて,今は山中恒の著書を古書店に注文して到着を待っているところである.

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