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2018年5月

2018年5月31日 (木)

正々堂々 vs 根性悪

 昨日のテレビ朝日「ワイド!スクランブル」でMCの橋本大二郎が,日大アメフト部の事件につき,「アメフト部の選手声明は,内田元監督の名前を出さずに,私たちは新しい部を作っていくと述べて,これはよく練られたいい文章でした」と述べた.
 
 発表されたアメフト部選手声明は,元監督らチーム指導者が何をしてきたのかということに触れていない.これは,声明が出される前に数人の選手がテレビ局のインタビュー (顔を出さずに声は加工) に対して述べたところと全く異なっている.内田元監督らの暴力によるチーム支配に触れないという,まさにその点が今回の選手声明の問題なのに,橋本大二郎の絶賛は,一体どうしたことだ.
 
 ゲストコメンテーターの長田渚左 (日本スポーツ学会代表理事) さんは,橋本MCの誘導に乗らず,堂々と大学スポーツかくあるべしとの持論を述べた.
 この長田さんが発言中で「上意下達」を「じょういげたつ」と誤って言ってしまったところ,すかさず横の中野信子先生が「かたつ!」と突っ込みを入れた.そういう場合は,声で嘲笑せず,横から「かたつ」と書いたメモを渡すのが常識的な振る舞いだろうに.
 中野信子先生はこの日,髪型をショートに変え,髪の色もきれいな色に変えて美人ぶりに一層の磨きをかけての出演であったが,それはともかく,中野先生はいつもゲストが年上の男性だと卑屈なくらいに素直な態度であるが,女性だと年長者だろうとなんだろうと激しくつっかかる.もしかするとこの女は美人だが根性悪なのではないか.
 
 そして美人だが根性の悪い中野先生は「そういう人 (長田渚左さんが主張するところの<あるべき姿の,正しい大学スポーツ>を謳歌している選手) を見るとバッシングしてしまうのが私たち人間の本来の姿なんです」という趣旨の発言をした.また,内田元監督が選手を精神的に追い込んだのは,内田元監督自身が「優勝しなければいけない」というプレッシャーで精神的に追い込まれていたからだと思う.私たちだって内田元監督の立場に置かれたら彼と同じことをするのではないか.だから,ただ内田元監督を責めるのではなく,この事件では私たちも反省する必要があると述べた.
 だが私は,その発言に強い反感を覚える.人間というものに対する観方が歪んでいると思う.悪事を,誰もが持っている人間の心の弱さに帰着させる論法が許されるなら,「彼はあなたと同じ弱い人間だ.だからあなたには彼を責める資格がない」という理屈で,どんな悪人でも免罪されてしまう.しかし何があっても悪事に手を染めない強い心の人は,確かにいるのである.そしてそれは特殊な人間ではない.私たちの家族であり,友人たちであり,つまりごく普通に生きている人々なのである.
 美人で根性悪の中野先生は「監督には優勝しなければいけないというプレッシャーがあったのだろう」として内田元監督の凶暴な暴力 (他大学の選手を負傷させ,自分のチームの学生にハラスメントする.また週刊文春の記事によれば日大附属高校から他大学へ進学した学生の父親を呼び出して暴行したり,同僚の日大関係者を鉄拳制裁したという) を弁護したが,「優勝したら報酬 (例えば学内権力,ポスト,役員功労金など) を手にすることができる」という誘惑に負けたのだという見方も可能だ.しかし,内田元監督と同じように他人を殴って支配すれば報酬を手に入れることができるとしても,その誘惑に負けることなく暴力をふるわない主義のスポーツ指導者が大多数であると私は信じる.
 
 この美人だが根性の悪い中野先生の発言は,日大アメフト部選手声明が,内田元監督やコーチたちが全く反省の姿勢を示していない状況下で,
 
私たちの行為によりアメリカンフットボールという競技そのものへの信頼が損なわれかねない状況に至ってしまったことについて、アメリカンフットボールを愛する全ての皆様、そして社会の皆様に深くお詫び申し上げます
 
と,大学側責任者に代わって「私たちの行為」を謝罪し,さらに事件の原因について
 
そのような私たちのふがいない姿勢が、今回の事態を招いてしまった一因であろうと深く反省しています
 
と述べている異常さと符合している.(下線はこのブログ筆者による)
 また大塚学長は昨日 (5/30),文書を発表
 
本学アメリカンフットボール部選手一同の声明文にあるとおり、選手たちはこれまで指導者へ依存してきた事実を反省し、ことの責任を重く受け止める
 
と述べ,選手声明を用いて事件の責任を選手たちに転嫁した.(下線はこのブログ筆者による)
 この異常な声明文を絶賛した橋本MCと,内田元監督を弁護した中野先生の態度は,これすなわちテレビ朝日が日大経営サイド寄りに舵を切ったことを示している.
 そのせいか,いつもはニュートラルな立場で発言するレギュラーの川村晃司氏 (テレビ朝日コメンテーター) には,発言の機会がほとんどなかった.
 
 美人だが根性の悪い中野先生の露骨ないじめを受けた長田さんは,内田元監督を弁護しまくる美人だが根性悪の中野先生に「中野さんは (内田元監督に対して) おやさしいんですね」と皮肉を言うのが精一杯であった.しかし私は,美人だが根性の悪い中野先生の歪んだ意見ではなく,長田渚左さんの正々堂々の正論を支持する.長田さんには,根性悪の美人に何を言われようと,これからも正論を主張していただきたい.
 
[註] 以上は,何度も同じ言葉を繰り返す最晩年の武者小路実篤の文体を模写したものであり,他意はない.おいおい他意があるとしかみえないよ.そうですか,すみません.

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2018年5月30日 (水)

日大アメフト部選手声明

 日本大学アメリカンフットボール部の選手が重大な反則行為をした事件に関して,昨日 (5/29) に公表された日大アメフト部選手たちの声明は,事前に予想されていた内容と大幅に異なるトーンダウンしたものであった.
 
 内田元監督はアメフト界から追放されたが,依然として田中理事長―内田常務理事による学内暴力支配体制は無傷であるから,アメフト部選手たちの声明の内容によっては,選手たちが重大な報復を受ける可能性が高かった.すなわち今回の声明は,大学側から選手たちに脅迫がなされた結果なのではないかと疑われる.この辺りをどう調査報道するか,週刊誌ジャーナリズムの腕の見せ所であろう.
 
 ネット上の報道によれば,新聞各社は日大の広報部と密接な関係 (OBの就職先) があるらしい.だとすると,そろそろ新聞各紙はこの件の追求から撤退していくのではなかろうか.
 田中理事長は自民党や闇社会とのルートを通じて反撃の機会をうかがっているだろう.こうなると民放テレビ局も迂闊に踏み込めなくなる.実際に情報番組のコメンテーターたちは,田中理事長の背後関係に触れぬように慎重に発言している.
 あとは文春と新潮が頼りだ.
 
 この事件について政府は動くか.
 文部科学省外局であるスポーツ庁が大学側から事情を聴取したが,そこまでが精一杯だろう.というのは,この件に関して本庁は絶対に動かないと予想されるからだ.
 去年,ネット上で話題になったからよく知られていることだが,小学校の道徳教科書に「星野君の二るい打」 (東京書籍;原作は吉田甲子太郎) という題材がある.これは,監督の命令に逆らった野球部の選手が報復 (出場禁止) される話である.つまり文科省は,選手は監督に絶対に従わねばならない,つまり日大内田元監督のやり方が正しいという教育をしているのである.
 これがあるので,文部科学省本庁は下手に動くと道徳教科書を否定することになってしまうのだ.情けない話である.
 
 余談だが,長嶋監督の命令に従ったがために選手生命を短くされてしまった槙原寛己氏がテレビに出演して当時の心境を語った.さぞや無念であったろうということがテレビ画面から伝わってきた.

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『母子草』ノート (6)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
 前回の記事《『母子草』ノート (5) 》  
 
 滋賀県に伝わる「母子草」の名の謂れについて,中島千恵子氏が民俗学的方法で再話した民話『母子草』と,藤澤衞彦教授の伝承童話『母子草』の大きな相違点は,民話では主人公の少女を故郷に導くのが観音であるのに対し,童話では弁財天であることだ.
 
 ここで考えられるのは,(1) 藤澤教授が伝承童話集に『母子草』を収めるに際して観音を弁財天に変更した,(2) 元々近江民話において観音版『母子草』と弁財天版『母子草』があり,中島氏は観音版を採集し,藤澤教授は弁財天版を下敷きにした,という二つの可能性である.
 
 どちらであるかは今後の調査で明らかにするしかないが,一つの疑問点は,藤澤教授が残した資料がなぜ都下小金井市の旧武蔵野郷土館 (現江戸東京たてもの園) と駒場の日本近代文学館の二ヶ所に分けられたかということである.
 そこで調べを進めると,武蔵野文化協会という団体があり,これがかつて藤澤教授から旧武蔵野郷土館に寄贈された資料『藤沢文庫』の目録を作成し,機関誌『武蔵野』(70巻第2号;1993年) に掲載したことがわかった.
 武蔵野文化協会に,古いバックナンバーがあるかどうか問い合わせをしようと思って,所在地を調べたのだが,全くウェブ検索では出てこない.もしかすると代表者の個人宅が連絡先で,特に事務局を構えているわけではないのかも知れない.
 では図書館はどうかというと,国会図書館サーチではヒットしないし,神奈川県立図書館にもない.
 詰んだか,と思ったが,「日本の古本屋」で検索したら,運良く当該古書が二冊,別々の古本屋から出品されていた.そのうちの一冊を早速注文したのであるが,なかなかその本屋から返事がこない.仕事が遅いのか,在庫整理が悪くて出品はしているが実物はないのか.呆れて,別の本屋が出品していた一冊を注文しようとしたら,それは既に売れてしまっていた.こんなニッチな資料なのに,私以外に集めている人がいたようだ.古本との出会いは一期一会なのかも知れない.目録があるとないでは調査の手間が大違いなのに,がっかりである.
 
 しかし考えてみると,旧武蔵野郷土館に寄贈された資料『藤沢文庫』は,藤澤教授が蒐集した資料のうち,埼玉から東京,神奈川にわたる武蔵国の伝承に関わるものの可能性が高い.だとすると,近江の伝承に関する資料は含まれていないだろう.そのように考えて気を取り直した.これを世間では負け惜しみといい,学問的には合理化と呼ぶ.orz

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2018年5月29日 (火)

初めての台湾 (四)

 前回の記事《初めての台湾 (三)
 
 ツアー一行は,士林夜市の入り口で自由行動となった.
 私はこの台湾旅行で事前に何の下調べもしておらず,添乗員のSさんに「自由行動でーす」と言われてから,やおら「さーてどうしよう」と考えるという始末であったが,さすがに女性はしっかりしている.年配の御婦人一名と若い娘さんたちが「やっぱりタピオカミルクティーよねー」というので,何が「やっぱり」なのかわからぬが,その三人グループに混ぜてもらった.
 タピオカミルクティーを探しつつ士林夜市の狭い雑踏を歩く.
 この夜市=ナイトマーケットは,路上で営業しているテント張の屋台ではなくて,固定屋台店で構成されている商店街というかショッピングセンターみたいなものだと思った.
 
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 それでも出口に近い辺りでは通路の上の屋根はなくなって,屋台街らしい雰囲気が漂っている.
 
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 メインストリートの突き当りには,寺院らしきものがあった.調べると慈諴宮という寺院で,士林夜市は元々がこのお寺の門前に発達した屋台街なのだという.なるほどこの界隈は,先程通り過ぎてきた屋根付き屋台街よりも濃いアジアンテイストが漂っている (ような気がする).
 
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 本堂前のスペースはそれ程広くないが,若者たちが軽食を食べながらたむろしていた.
 本堂に入ると,恋人たちと思しき二人連れが,何やら赤く彩色した木片を床に投げている.
 
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 女性三人と私の一行は,「あれって何してるのかな」と訝しんだが,そのカップルが真剣な表情をしているので,彼らに「何してるんですか?」と訊くのはためらわれた.あとで現地ガイドのRさんに訊くと,台湾式の占いだそうで,観光の最後に行った寺院でやり方を教えてもらった.
 
 慈諴宮から士林夜市入口への戻りは,別の筋を通り,横丁にも出たり入ったりして散策を楽しんだ.そして小さなタピオカミルクティー専門の屋台 (JR東日本の駅構内にあるジューススタンド「ハニーズバー」のブースの半分くらいの間口) を見つけ,私たちはようやくタピオカミルクティーにありついた.
 女性たちは先刻御承知の飲み物らしかったが,私は初めて口にした.なかなかうまいじゃないかと思った.そして翌日から一日に一回はタピオカミルクティーを飲んだ.
 
 それから士林夜市の入り口に戻り,そこから地下にあるフードコートへ降りて中をウロついた.
 女性たちは買い食いをしたようだったが,私はこのフードコートで小エビの素揚げをテイクアウトで買って,これをつまみにホテルの部屋で酒を飲むことにした.
 
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 自由時間が終わって再集合した一行は士林夜市からバスに乗り,宿泊する洛碁大飯店・林森館へ向かった.
 洛碁大飯店・林森館はビジネスホテルだが,小さくても大飯店なのである.日本にもよくあるけれど,ホテルのすぐ隣にコンビニがあるというタイプのビジネスホテルであった.部屋はかなり狭いが,一日中観光して帰ったら寝るだけだからこれでいいのだ.
 私は隣のコンビニ (セブンイレブン) で日本製のチューハイとウイスキーのハーフボトルを買って部屋飲みを始めたのだが,夜市で買ってきた小エビの素揚げのうまさに感動した.日本の居酒屋にも同じような品があるが,こちらは塩加減が絶妙で,はるかにうまいと思った.
 さて明日はいよいよ故宮博物院見学である.深酒はしないで眠ろう.
 と思ったが,チューハイ二本とウイスキーのハーフボトルを半分空けてしまった.
(続く)

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2018年5月28日 (月)

糖質制限食品「かろやか梅酒」

 藤沢駅北口にビックカメラがある.このビルは,藤沢駅改札口からの通路が二階の売り場に直結しているので,二階が一番いい売り場ということになる.
 少し前に店内を改装して,それまで地味な営業をしていた酒売り場が二階に移動し,売場面積も大幅に拡大された.家電よりも酒のほうが儲かるのだろうか.
 特にワインの品揃えは湘南一番のように思われるし,スピリッツ類も他の酒類ディスカウンターでは売っていない銘柄もあって,通販で探して買わなくてもいいので便利である.販売価格はちょっと高めだが.
 
 さて昨日,東京でクラブツーリズム主催の講演会『定期講座「国宝」』(講師は橋本麻里さんで,おおそうだったのかと示唆されることの多い講義だった) を聴講した帰途,ビックカメラに寄った.
 店内をうろついていたら,「メルシャン かろやか梅酒」が目に入った.一リットル紙パック入りのチープ感あふるる商品だが,パッケージに小さく「糖類ゼロ カロリー63%オフ」と書いてある.
 家庭で拵える梅酒は,梅干しと同様に日本の食文化の裾野にあるものだから,それは別として,工場で製造する梅酒なんて飲んでも飲まなくてもいいような気がする.
 ではあるけれど,糖質制限が,割とどうでもいいニッチな嗜好品にまで波及してきたんだなあと,試しに買ってみた.
 飲用した感想としては「これは,お金出して買ってまで飲むようなもんじゃないなあ」というところである.買ってしまったが.w
 官能評価的には,何となく甘味料 (アセスルファムK,スクラロース) の角が立ち過ぎていると思う.普通の糖質制限用食品では甘味料を多量に使用しないから気にならないが,梅酒ともなるとたくさんぶち込んでいるのだろう.
 結論.炭酸で二倍に割るとか,凍る寸前まで冷やすとかしないと飲みにくい.これは味醂風調味料を愛飲する人以外にはお勧めしない.

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2018年5月27日 (日)

日大体育会

 今日の PRESIDENT Online に《日大の学長と監督は、だれに謝罪したのか》と題した記事が掲載された.(掲載日時,2018.5.27)
 
 この記事は,全体的には当たり障りのない内容であるが,文中で,筆者の沙鴎一歩 (プロフィルは,ネット上に資料がない) は次のように書いている.
 
大学の体育会は、監督やコーチに対する服従の精神を厳しく要求することが多いようだ。それは試合に勝って大学の名を上げ、入学者を増やして経営を充実させたいからだろう。
しかし体育会といえども教育の一環であるはずだ。体育会は大学のためにあるのではなく、学生のために存在する。それがいつの間にか大学の存続のため、大学の資金稼ぎの目的で体育会が存在するようになってしまった。だから日大アメフト部のような不祥事が起きるのである。
 
 一般的には上の引用箇所の通りだろう.しかし日大の体育会 (の一部) は,昭和三十年代から四十年代にかけて古田重二良が日本大学における権力体制を構築する過程で,学生教職員を暴力 (比喩ではなく実際に「殴る蹴る」暴力) で支配するための組織だったのである.
 今回のアメフト部の事件で,関学大QBに負傷させた日大学生は普通のまともな青年であると思われるが,事件の元凶である内田元監督は,日大体育会が学内を暴力で支配していた時代の人間である.内田元監督によるアメフト部の強権支配は,その年齢からすると,昔の日大体育会を今に伝えるものだろう.
 
 田中理事長 (相撲部出身;古田暴力支配体制の嫡流) を筆頭とする日大経営幹部の暴力体質,内田元監督に支配されてきた日大体育会の特殊性を書くのがジャーナリストであろう.
 こんなことは,特に東京で昭和四十年代に学生生活を過ごした老人たちにとって常識であるが,上に引用した記事の筆者である沙鴎一歩でも,とりあえず週刊文春の記事を参考にして,そこから Wikipedia にあたる程度の調べをすれば,色々なことが分かったはずだ.というか,雑誌ライターが私のごとき一般人に「調べてから書け」なんて言われてどうするのだ.
 
 ロクな調査もせずに,日大体育会を他大学の体育会と同列にし,体育会一般の話に帰着してしまうのでは,当たり障りのない内容にしかならない.ライターとしては怠慢だと謗られても仕方がないだろう.

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2018年5月26日 (土)

ミセス・パンプキンと称する匿名トンデモライター

 昨日 (5/25) の午後,日本大学の大塚吉兵衛学長が,アメフト部の問題に関して緊急記者会見を行った.
 この記者会見について,東洋経済オンラインで人生相談を担当している匿名のライター“ミセス・パンプキン”が,《「選手の話が事実」とは言わない日大の冷酷さ この会見で大塚学長は何をしたかったのか》と題して無知蒙昧な記事を同誌に発表して,世間に恥をさらしている.(掲載日時,2018/05/25 20:25)
 このミセス・パンプキンは,ネット情報によると私と同世代の女性のようであり,東洋経済オンラインに掲載されているプロフィルには立命館大学卒業と書かれているが,もしかするとそれは経歴詐称の疑いがある.
 というのは,この記事の中でミセス・パンプキン,日本の私学について全く知識がないことを露呈してしまったからだ.
 以下に同記事から,ミセス・パンプキンのトンデモ発言を引用する.
 
(引用 1.)
彼に人事権があるのであれば、やるべきことは決まっているはずです。いったい何を目的とした会見なのでしょうか。またしても組織防衛が前面に出た、火に油を注ぐような内容に終わりました。
 
(引用 2.)
大塚学長は会見の場で何をするべきだったのでしょうか。何よりも、学長が決断するべきは人事刷新でしょう。まずは内田前監督の常務理事の解任をするべきではないでしょうか。人事権も握っている彼が復帰する場合を考えると、自由闊達な意見を交わすのが難しいことは想像がつきます。
 
(引用 3.)
何しろ、内田前監督はワンマンである田中英寿・日大理事長の後任の理事長候補とも報じられております。大塚学長には実質的な人事権はないのでしょうが、そうであったとしたら、なおさら、捨て身で人事刷新を宣言するべきでした。
 
 言うまでもないが,大塚学長は,日大における研究教育に関する対外的代表者であって,経営における人事権には無関係である.
 (引用 1.) において《彼に人事権があるのであれば》とミセス・パンプキンは書いているが,そもそも私立大学に関する認識が最初から間違っているのだから,お話にならない.大塚学長に人事権はないのである.
 
 続いて (引用 2.) の《まずは内田前監督の常務理事の解任をするべきではないでしょうか》だが,会社でいえば,ヒラ取締役執行役員に取締役常務執行役員を解任しろと言っているようなものだ.
 あろうことかこのトンデモライターは《人事権も握っている彼が復帰する場合を考えると》とも書いているが,内田前監督も人事権は持っていない.会社でいえば取締役常務執行役員に人事権がないのと同じである.人事権というのは,あくまでも法人の代表役員,日大ならば田中英寿理事長が持っているのである.
 
 さらに (引用 3.) に《大塚学長には実質的な人事権はないのでしょうが、そうであったとしたら、なおさら、捨て身で人事刷新を宣言するべきでした》とあるが,こうなるともう日本語としても破綻している.
 実質的どころか形式的にも人事権を持たない大塚学長が,全く権限外の「人事刷新を宣言」できるわけがないではないか.もしそんなことをしたら,越権行為である.人事権を持たない理事である大塚学長は,人事権を有する田中理事長に対して「捨て身で人事刷新を要求」する側の立場にある.(人事刷新を提起したとたんに解任されてしまうからできないとは思うが)
 
 つまりこのミセス・パンプキンは,我が国の私立大学について全く知識がないのである.
 ミセス・パンプキンは立命館大学を卒業したと称しているが,立命館大学においても経営と研究教育は分離されているはずだ.それを知らないということは,彼女の学歴に強い疑いを持たざるを得ない.
 
[長すぎる註]
「東洋経済オンライン」というサイト名は,あたかも経済分野のメディアのような印象を与えるが,嘘情報や下ネタ記事も載せる下世話なサイトである.これは週刊文春にも叩かれたことだ.
 ミセス・パンプキンは私立大学だけでなく企業の組織についても無知であることが明らかであるが,そういうライターに日大の経営に関する記事を書かせる東洋経済オンラインに対し,しみじみと情けない思いがする.
 
 ちなみに,大塚学長の記者会見に,自称七十二歳の一般女性が乱入したと報道されている.
 この事件を伝えたキャリコネニュースによると,この老女は《「大丈夫。信じられないかもしれないけれど、私には宇宙がついている」》と発言したそうである.
 記事がホントかどうか知らぬ.しかし私も自分に宇宙がついているなら大塚学長に文句を言いに行く.w
 この宇宙婆さん (自称七十二歳) といい,嘘で世渡りしているミセス・パンプキン (ネット情報では七十歳) といい,さらには田中英寿日大理事長 (七十一歳) といい,私たち団塊世代年寄りの体たらくについて,若い人たちにお詫びを申し上げたい気持ちで一杯である.
 
 もう一つちなみに,人事権というものの実体,すなわち人事権が何によって保証されているかということは,組織によって異なる.明文化された組織の規程の場合もあるし,そうでない場合もある.例えば,会社で新しく役員を任命する際に,本人の署名捺印した辞任届を予め提出させて社長が密かに預かっておくなんていうダークな,そしてよく知られた手段もある.これで有名になったのが三井物産から NHK会長に転じた籾井勝人氏である.この,あるべきコーポレートガバナンスに反する行為は Wikipedia にまで書かれてしまった.
 これと少し似ているが,新入社員の入社時に,退職届を予め提出させる会社があると聞く.しかしこれはダークどころか真っ黒に法違反のブラック企業である.
 
 話があちこちに飛んだが,結論は,ミセス・パンプキンは会社や役所で仕事をしたことがないと見えて,人事権の意味を知らないということ.
 週刊文春の今週号 (5/31号) によると,日大アメフト部井上元コーチは,「フライデー」に《名門・日大アメフト部を襲った『ゲイビデオ』騒動》という記事を書かれた本人であるという.この下半身醜聞をもみ消してもらった恩義があるので,井上元コーチは内田元監督に逆らえなかったというわけだ.ミセス・パンプキンの頭の中では,こういうのも人事権というのだろう.w
 
 先日,私のブログに《大丈夫か江分利万作》という日本語読解力のない人物が,海野凪子について書いた私の文章の意味するところを曲解して難癖をつけてきた.今回の記事にも「ミセス・パンプキンを貶めたいのはよく伝わってくる」とかなんとか,言いがかりを書いてくるかも知れないが,二度目は投稿をこのブログに反映させない.でないとこのブログが汚れるわ.w
 私は上の文章で,ミセス・パンプキンを「貶めている」のではない.海野凪子やミセス・パンプキンのように,額に汗することなく嘘デタラメを書き殴って金銭を得るという汚い生き方の人間を「糾弾している」のである.ww

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2018年5月25日 (金)

『母子草』ノート (5)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
 
 国会図書館サーチを使用してキーワード「母子草」で検索した結果を一覧に整理して,一週間ほど前の記事《『母子草』ノート (2) 》に掲載した.
 その中で「古書注文中」とした以下の二冊が到着した.
 
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【ジャンル:内容未確認につき未分類】
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作品名      母子草
書籍名     『滋賀昔ばなし』
著者       勝部恵子 編 (駒原みのり 挿絵)
出版社      表現社
発行年      1976年
所在等特記事項  現在,古書注文中
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【ジャンル:伝承系童話】
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作品名      母子草
書籍名     『日本神話・日本民話・東洋民話』(世界の名作図書館 ; 3)
著者       村上知行,坪田譲治,浜田広介
出版社      講談社
発行年      1967年
所在等特記事項  現在,古書注文中.
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 勝部恵子『滋賀昔ばなし』は,書籍というよりは,かつてドライブインなどの土産店で販売されていたらしい郷土土産品の小冊子であった.出版元の表現社自体が出版社ではなく,葉書,カード,シール,ぽち袋などの紙製品を販売する会社である.w
 しかも『滋賀昔ばなし』はとっくに販売終了したらしく,同社の商品一覧に見当たらない.しかし『滋賀昔ばなし』がいい加減な本かというと,そうでもなく,著者勝部恵子は,あちこちの童話集から寄せ集めた童話をまじめに書き直して文体を変えており,その点ではこれを剽窃や盗作というのはかわいそうだと思われる.
 私はこの小冊子を,あるネット古本屋から四百円で買ったが,中に「\300」と書いたメモが挟んであった.これがどういうことかというと,たぶんその古本屋は別の古本屋から三百円で買い,これを私に四百円で売ったのである.地道な商売だなあ.古書市場ではブックオフが経営危機らしいが,小さな古書店には頑張っていただきたい.
 さて『滋賀昔ばなし』に収められている「母子草」だが,これは中島千恵子『ひともっこ山 湖の国にむかしむかし』の「母子草」を,近江弁を共通語に書き換えるなどしたもので,民話あるいは童話の資料としての価値は全くない.
 
 次の『日本神話・日本民話・東洋民話』に入っている「母子草」は,執筆者の一人である浜田広介が,自作「母子草」を転載したものであった.
 
 未調査資料として残るは,川崎図書館所蔵の『笛のたび』,都立多摩図書館所蔵の『おかあさん物語』と紙芝居『おかあさんの花 : 母子草』である.
 資料収集完了まであと一歩のところで推測すれば,近江の湖北と湖南に伝わる「母子草の物語」は二つのグループに分類できる.
 一つは中島千恵子氏が採集して再話した民話「母子草」であり,もう一つは藤澤衞彦作の童話「母子草」およびこれを翻案した浜田広介作の童話「母子草」と二反長半作の童話「母子草ばなし」である.
 この民話と童話で何が異なるかというと,民話では少女を故郷に導くのが観音であるのに対し,童話では弁財天であることだ.
 琵琶湖の竹生島には弁財天と観音が祀られている.近江民話において,竹生島の観音が少女を故郷へ送り届けたと伝承されてきたことは,中島千恵子氏が原話者二人の氏名を明記していることからして間違いない.それでは,藤澤教授が「母子草」を執筆する際に観音を弁財天に変更したのだろうか.あるいは,元から近江の民話に観音版と弁財天版の二つがあり,藤澤教授の「母子草」は弁財天版を下敷きにして書かれたという可能性もある.
 これについては上笙一郎が『戦後 児童文学の50年』の中に貴重な情報を書いてくれている.(p.114)
 
民俗学者としては、民俗採集に頼った柳田国男と違って文献主義に據っていて、そのため、民俗学よりもむしろ風俗学のおもむきを呈していたと言わなくてはならないでしょう。
 
藤沢さんの集められた多くの資料は、いま、都下小金井市にある旧武蔵野郷土館――現名江戸東京博物館分館の「藤沢衛彦文庫」として保存されています。また、駒場の日本近代文学館にも、近代の子どもの文化についてのものが寄贈されているのですが、知っている人はわずかです。
 
 先日,ユウタパパさんに,お探しの物語は浜田広介作の童話「母子草」ではないかと思われる旨の連絡をし,地元の図書館の所蔵図書でそれを確認していただいた.
 
 もう一件の,waiwai さんの記憶している「母子草の物語」は,おそらく直接的には藤澤衞彦作の童話「母子草」であろうと私は考えている.
 ここからさらに,藤澤衞彦「母子草」と民話とで相違点が生じた事情を明らかにすれば,waiwai さんへの回答が完結するだろう.
 江戸東京博物館分館の「藤沢衛彦文庫」と,駒場の日本近代文学館に寄贈された藤澤教授の資料.そのいずれかに,藤澤教授が「母子草」を書くために集めた資料があるに違いない.
 ようやくこの調査研究「母子草」のゴールが見えてきたという気がする.
 
[追記]
 江戸東京博物館分館 (現在の名称は江戸東京たてもの園) の公式サイトを閲覧したが,「藤沢衛彦文庫」のことは何も書かれていない.ただし,園内に小さな建築物関連図書が置かれている図書コーナーはあるようだ.しかしそんなところに藤澤教授の残した資料が所蔵されているとは思えず,訪問しても無駄足になる可能性が高いと思うが,どうしよう… 文庫がどこへ行ったか,行方だけでも調べに行こうか.
 日本近代文学館にも「藤沢衛彦文庫」があることは公式サイトで確認できた.しかし四千点近い資料から成る「藤沢衛彦文庫」の目録は作成されていないようだ.この膨大な資料群をしらみ潰しに調べていく作業を想像したら眩暈がした.<「母子草」のゴールが見えてきた>というより,箱根駅伝第52回大会 (1976年) で,大手町のゴールの150メートル手前でアンカーが倒れて無念の途中棄権となった青山学院大学のようである.w

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2018年5月24日 (木)

二百メートル

 今からちょうど五十年前,昭和四十三年五月二十三日のことだった.
 当時,日本大学の最高権力者だった古田会頭による腐敗した大学運営に対して,全学八万五千人の学生のうち,わずか二千人の学生たち (といっても,他の大学のデモとは比較にならないほどの大規模デモだが) が決死の抗議行動を起こした.
「決死の」と大仰に言うのは,当時の日大では,大学に対して学生が異議を申し立てるなんてことは許されていなかったからである.学内でデモをすれば,暴行された上に即時退学であった.
 だから彼らの最初の異議申し立ては,写真を撮られて大学当局に面が割れないように,短時間に二百メートルを行進したデモであった.こうして長い日大闘争が開始されたのだった.
 私たちの世代において今も語り継がれるその二百メートルデモに,私の友人のN君が加わっていた.
 五十年前の昨日,住処に帰ってきたNくんは,最初は一握りの学生たちがデモを始めたのだが,たちまちのうちに二千人の大きな隊列に膨れ上がったのだと,高揚した面持ちで語った.
 
 メディアの報道によれば,日大アメフト部内田監督は日大権力構造のナンバー2だという.そして今回の不祥事は,井上コーチに引責させて幕引きするのではないかと推測されている.
 
 もしそうなったら,日大の学生諸君.
 母校の名誉と正義のために,二百メートルの示威行進をしてみないか.きっと全国八万五千人の爺さん婆さんたちが連帯のエールを送るだろう.
 日大は私の母校ではないが,大学における正義というものを再び見てみたい.私もおっとり刀でデモの殿に加わるぞ.

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2018年5月23日 (水)

自分が何言ってんのかわかってるのか

 msnニュースを読んでいたら,デイリースポーツ/神戸新聞社というメディアが《本田圭佑、日大問題に言及 当事者以外の過剰反応に「その人の方が罪は重い」》と報じたという記事を転載していた.(2018/05/23 12:42)
 この記事の中に,本田圭佑の発言を引用する形で《「あのタックルは罪だし究明もすればいい。ただこのニュースにいつまでも過剰に責め続ける人の神経が理解できないし、その人の方が罪は重い」と、当事者以外の人間が騒ぐことにやんわり釘を刺していた。》と書いてある.
 本物の馬鹿はこれだから困る.
 このラフプレーの一件は,現在のところ,刑事事件に発展するかも知れないところにある.テレビ等の情報番組が熱心に報道している理由は,刑事事件の可能性があるからだ.
 
 本田圭佑はそれが理解できていないから,結果的に,警視庁に対して《過剰に責め続ける人 (=警視庁) の神経が理解できないし》とつぶやき,デイリースポーツ/神戸新聞社も,警視庁に対して《当事者以外の人間 (=警視庁) が騒ぐことにやんわり釘を刺していた》と書いているのに等しい.
 ほんとにこいつらは馬鹿じゃないのか.ていうか,もう馬鹿って書いてるけど.w

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母子草 (十三)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
 
 前回の記事《母子草 (十二) 》の末尾を再掲する.
 
藤澤教授による巻末解説《日本童話の二潮流について》は,これでよく大学教授が務まったものだと呆れるほどの悪文ではあるが,次回はこれを基に藤澤教授の文学上の思想について論じる.
 
 藤澤教授の文学上の思想について論じるために,教授自身が書いて『日本傳承童話集 第二集 母子草』の巻末に掲載した《父兄方へ》と,同書の内容に関する解説的文章《日本童話の二潮流について》以外の資料を,ネット上で探してみたが,これまで藤澤教授に関する資料は全く見つかっていない.
(《父兄方へ》は《母子草 (十一) 》に,《日本童話の二潮流について》は 《母子草 (十二) 》に転載してある)
 
 藤澤教授は,日本児童文学者協会の第四代会長 (初代は小川未明,続いて秋田雨雀,坪田譲治) であった人である.それなのにこれはどうしたことであろう.
 そこでネット上の資料ではなく,出版された文献を探したところ,日本児童文学者協会編『戦後 児童文学の50年』の古書が Amazon に出品されていたので,これを読んでみた.
 すると児童文化研究家の上笙一郎 (上は,知る人ぞ知る,の人だが,妻は『サンダカン八番娼館』で1973年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した山崎朋子である) が,この本に「児童文学研究=北邙の人たち」と題した一文を寄稿しているのを発見した.
(言わずもがなの註釈を加えれば,北邙は墓地の意である.洛陽東北にある北邙山は王侯の墓地として名高いことから転じて,墓地を北邙と呼ぶ.ただし「北邙の人たち」は上笙一郎の創作表現であり,一般に物故者を「北邙の人」と書くわけではない)
 この寄稿の中で上笙一郎は,藤澤教授のことに触れている.その一部を引用すれば以下の通りである.
 
わたしが、古田足日と鳥越信の推薦で日本児童文学者協会に入会したのは、昭和三十三=一九五八年の春でした。その時の会長が、藤沢衛彦さんであったのです。
 今では、児童文化研究の志望者は別として、児童文学の作家志望の人にはほとんど馴染みのない名前でしょうけれど、藤沢さんは、民俗・風俗学から伝承童話・児童文学にまたがる広い領域で仕事をされた人。民俗学者としては、民俗採集に頼った柳田国男と違って文献主義に據っていて、そのため、民俗学よりもむしろ風俗学のおもむきを呈していたと言わなくてはならないでしょう。そして、その民俗・風俗学的研究の対象のひとつとして伝承童話があったことから、児童文学研究の分野にも足を踏み入れ、坪田譲治 (昭和五十七=一九八二年没 九十二歳) の後を受けて日本児童文学者協会の会長となっていたのでした。
 二十五歳のわたしからすれば、七十五歳の藤沢さんは父と言うより祖父のようなもので、正直に言えば、敬して遠くにいるよりほかはない存在でした。その江戸時代における童話本の研究には尊敬をはらっていたものの、近代=現代の児童文学の観方、その基礎となる世界観や人生観に関しては、古くてどうにもならない――と感じざるを得なかったからです。
 その古さの如実にあらわれたのが、数年後の協会総会の会長挨拶であったと思います。藤沢さんは、天皇の孫の初節供にあたり鯉幟の建て方を宮内庁から尋ねられたことを、この上ない名誉として、さもさも嬉しそうに話されたのでした――

 
 藤澤教授の仕事について書かれていることは,これだけで,あとは藤澤教授の思い出のような文章が綴られているだけである.
 上笙一郎は,日本の児童文学の歴史上で著名な人物の一人である.その人が,『戦後 児童文学の50年』が出版された平成八年 (1996年) 時点で,《児童文化研究の志望者は別として、児童文学の作家志望の人にはほとんど馴染みのない名前》と書いている.つまり藤澤衞彦はもう忘れられた人であったのだ.従って今後,藤澤教授の思想と文学的業績に関する資料が書かれることはないだろうと思われる.
 
 では,上笙一郎が指摘する《近代=現代の児童文学の観方、その基礎となる世界観や人生観に関しては、古くてどうにもならない》について,検討してみよう.
 藤澤教授が《天皇の孫の初節供にあたり鯉幟の建て方を宮内庁から尋ねられたことを、この上ない名誉として、さもさも嬉しそうに話された》ことは,私は《古くてどうにもならない》とは思わない.自分が長年にわたり研究してきた分野の学識に関し,その第一人者として宮内庁に評価されれば誰だって嬉しく名誉に思うだろうからだ.それを古いと批評されるのは酷に過ぎる.
 私が思うに,藤澤教授の「古さ」はそんなところにあるのではない.それについては,作品に即して検討してみよう.以下に藤澤衞彦作品の童話「母子草」全文を掲載する.
 
<このブログ筆者による凡例;底本は『日本傳承童話集 第二集 母子草』(雄鳳堂揺籃社,昭和二十四年七月三十日発行の初版第一刷) である.この底本の「母子草」においては,幾つかの漢字にはルビが振られている.それらのルビのうち,著者藤澤衞彦が特に一般的でない読み方を指定するために振ったルビは,以下に転載した作品中にも [ルビ= ] に入れて残した.またブラウザ上の表示に支障が生じない限り,旧字体の漢字は原文のままとした.JIS 第二水準にも含まれていない漢字は,相当する JIS 第二水準または第一水準の漢字に置き換えた.
 文中の ( ) は藤澤衞彦が幼年読者のために記した註である.また,一般的ではない表記であるが,会話文は「 」ではなく『 』で括られている.さらに,登場人物の心中の言葉も,会話と区別することなく『 』に括って記されている>
 
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母子草 ―滋賀縣―
 
 小雪は、いつものように、湖のほとりに立って、はるかむこう岸をじっとみつめているのでした。
『おなつかしいお母さま。お母さまは、いまごろ、どうしておいでやら。さぞ、ご不自由でございましょう。小雪の年期 (やとわれて働くことを約束した年數) も、あと三年ですみます。それまではお母さま、どうかおたっしゃにおくらしください。』
 毎日毎日、小雪は、ふるさとのお母さまにむかって、おわびするのでありました。
 人の一心の、なんで通じないことがありましょう。ふるさとでは、小雪のお母さまも、
『小雪、小雪、私のかわいい小雪よ、どうかたっしゃでいておくれ。せっかくお前がご奉公に出てまでととのえてくれたお藥も、どうしたことか、ききめがあらわれず、私はめくらになってしまったけれど、私はお前の美しい心がよく見えます。神さま、どうか、小雪の身の上がしあわせでありますように。』
 
<このブログ筆者による註;底本では,ここに童画画家川上四郎による仏教画風の挿絵が入っている.絵柄は,小雪の傍に立つ弁財天である.この挿絵はまだ著作権が保護されているので転載しない>
 
 やさしい小雪のお母さまも、毎日いくたびか湖とわが家のあいだをいききしては、小雪のいる他國 [ルビ=よそぐに] はあの方角かと見えぬ目でのぞんでは、涙をながしておりました。今まで三年のあいだに、こうしてながしたお母さまの涙は、まあどのくらいだったでしょう。それにもおとらない小雪の涙は、きょうもまた湖のほとりに来て、とめどもなくながされるのでした。
 はるばると廣い大きな近江の湖、その湖の上には、きらきらと美しい太陽の光が波にてりはえて、なんともいわれぬ美しいながめでしたが、小雪には、やっぱり悲しい湖でありました。
 いつものように、草かりかごをそこへおろすと、小雪は、じっとふるさとの方をながめて、
『お母さま、きょうは私の身の上に悲しいことが起こりました。あと三年でお母さまにおあいできると、指おりかぞえて待っておりましたのに、きけば、ここでは、その年期が約束通り守られないらしいのです。きょう、七年たったお友だちが、なんとかりくつをつけられて、また三年のびました。私も三年たったら、うまくお母さまのもとへかえれるかどうか、あやしく思われます。でも、にげてはいかれない湖のお國です。ああ、私はお母さまがこいしい。…… ふるさとこいし、母こいし。』
 小雪は、うたって泣きました。
 するとそのとき、ふしぎにも湖の中に、『ふるさとこいし、母こいし。』という文字が、波の上にありありとあらわれました。見ているうちにその文字は、だんだんのびて、ふるさとの方へひろがっていきます。ゆめではないかと、小雪が見ていますと、その文字のみちを、はるかに通ってこちらに来る一人の女の人、それは湖のはなれ島におまつりしてある、べんてんさまでありました。
 べんてんさまは、やがて、なぎさ近くまでおいでになって、手まねで、小雪について来いと申されます。小雪が文字のみちをつくづく見ますと、それはなんと、たくさんのお魚がもりあがって橋をわたしているのでした。みちびかれるままに、小雪は、べんてんさまについて、魚の橋をわたっていきました。そして、長い長い橋をつかれもせず、なつかしいふるさとの岸までたどりつきました。
 ふと見れば、いつのまにやら、べんてんさまのおすがたが消えていました。小雪が岸につくと、そこからわが家の方にむかって、二列になってはえている、ふしぎな草が目につきました。ついぞ見なれぬ草なので、村人にたずねますと、
『それは、小雪のお母さまの、清い涙のしずくからはえた草だよ。』
 とこたえてくれました。小雪はその草のみちをたどって、なつかしいお母さまのもとにかえりました。
 皆さんも初夏のころ、あぜみちや野みちをいくと、小さい黄色い花をつけた、くきの長い草を見つけることでしょう。これこそ、この母と子の、やさしい心によって生まれ出た、記念 [ルビ=かたみ] の母子草だということです。
 (註) 母子草は、『ごぎょう』ともよばれています。
         (畫・川上四郎)
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(転載終わり.続く)

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2018年5月22日 (火)

『母子草』ノート (4)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
 
 国会図書館サーチを用いて,キーワード「母子草」で検索をかけた結果を『母子草』ノート (2) に示した.
 その中に以下の資料があったのを再掲する.
**************************************************
【ジャンル:内容未確認につき未分類】
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作品名      母子草
書籍名     『母子草』
著者       田郷虎雄 著,辰巳まさ江 絵
出版社      偕成社
発行年      1949年
所在等特記事項  現在,古書注文中.
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作品名      母子草
書籍名     『母子草』
著者       田郷虎雄
出版社      偕成社
発行年      1953年
所在等特記事項  都立多摩図書館蔵書.
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**************************************************
【ジャンル:少女小説 (母子草の名称由来とは無関係)】
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作品名      母子草
書籍名     『母子草』
著者       春名誠一 著,高木清 挿絵
出版社      偕成社
発行年      1956年
所在等特記事項  国立国会図書館蔵書.
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作品名      母子草
書籍名     『母子草』
著者       田郷虎彦
出版社      偕成社
発行年      1948年
所在等特記事項  国立国会図書館オンラインサービス.「昭和館」所蔵の紙芝居「母子草」の原作である可能性あり.
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 【ジャンル:内容未確認につき未分類】の二件のうち,上欄の,著者が田郷虎雄で挿絵が辰巳まさ江の書籍 (1949年発行) は,国会図書館オンラインサービスで複写が取り寄せ可能であるが,コピー費と大差ない金額で古書が売りに出ていたので,それを買うことにした.
 二番目のもの (1953年発行;都立多摩図書館蔵書) は,書誌事項に著者は田郷虎雄であるとだけ記されていて挿絵画家名がない.挿絵のない版があるのかもしれないが,テキストとしては上欄の本と同じであると判断し,上欄の古書を購入して読むことにより,下欄の書籍を閲覧して内容確認することに代えた.
 この資料の所蔵館である都立多摩図書館は,児童書を豊富に所蔵しているが,児童書のデータベース的立場の図書館であるらしく,利用は館内閲覧のみで貸出はしていないため,遠隔地の者は利用しにくいからである.
 
 次に,【ジャンル:少女小説 (母子草の名称由来とは無関係)】に挙げた二件のうち上欄の《春名誠一 著,高木清 挿絵》は,奇跡的であると私は感動したのだが,一昨年にこれを読んだ人がいてネット上に読書感想が掲載されていた.
 いやもう何がひとの役に立つかわかったものでない.なんでもかんでも書いておけば,この私のブログだって誰かの調査の資料になるかも知れないと,心強く思ったことである.

 で,その記事に書かれている粗筋は,母娘生き別れの悲しい少女小説である.w
 母娘生き別れのお話は,私は既に昭和館の紙芝居を知っている.
 しかし春名誠一著『母子草』の設定は,上記の読書感想文によると

航空宣伝会社で飛行機乗りの父が墜落死。社長宅でしばらく厄介になることになった少女は、同い年の当家の娘の再三の追い出し工作を被る。上京してくるはずの母は途中で体調を崩し、合流できなくなる。また、少女の実母があらわれ彼女を探していることがわかり、あちこちで葛藤が生まれる。
 
とあり,昭和感あふれる昭和館の紙芝居とかなり異なる.
 昭和館の紙芝居は,戦争未亡人が生まれたばかりの一人娘を女中に託し,再婚して幸せになってしまうという無責任にして悲しい物語なのである.w
 
 従って,少女小説ジャンルの二件目,田郷虎彦著の『母子草』(偕成社,1948年) が,もしかしたら昭和館の紙芝居の原作かも知れないと考えられた.
 だがしかし,ここで問題となるのは,この『母子草』の著者の名が「田郷虎彦」であることだ.
 つまり【ジャンル:内容未確認につき未分類】の二件目,
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作品名      母子草
書籍名     『母子草』
著者       田郷虎雄
出版社      偕成社
発行年      1953年
所在等特記事項  都立多摩図書館蔵書.
--------------------------------------------------
の著者である田郷虎雄と,一字違いでよく似ているのだ.
 ややこしいが,田郷虎彦の『母子草』に関する国会図書館サーチのアウトプットは以下のスクリーンショット画像の通りである.
 
 1b
 
 書誌事項の部分を拡大すると以下の通り.
 
1c  
 
 この拡大部分に《プランゲ文庫整理番号:481-3 (読み物) 検閲書類枚数:1 原資料所蔵機関:メリーランド大学 》とある.
 プランゲ文庫とは何か.Wikipedia【プランゲ文庫】から引用する.
 
ゴードン・W・プランゲ文庫(ゴードン・W・プランゲぶんこ、英称:Gordon W. Prange Collection)は、第二次世界大戦後1945年から1949年までに日本で出版された印刷物のほとんどを所蔵する特殊コレクション(英語版)である。
 
プランゲ文庫は、連合国軍占領下の日本で民間検閲支隊(CCD)によって検閲目的で集められた出版物で構成される。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の参謀第二部(G2)で戦史室長を務めていたゴードン・ウィリアム・プランゲが、民間検閲支隊の解体後、これらの出版物をアメリカ合衆国・メリーランド大学に移送した。資料群は1950年にメリーランド大学に到着し、1978年にゴードン・W・プランゲ文庫と命名された。
 
 上の引用に示したように,プランゲ文庫とは,先の敗戦後の四年間に日本で出版された印刷物のほとんどを,検閲のために集めたコレクションである.
 そしてこのコレクションが米国メリーランド大学に移送されたのは,私が生まれた昭和二十五年 (1950年) なのである.
 この昭和の出来事になんとなく心惹かれるものがあって,プランゲ文庫の田郷虎彦『母子草』を探してみた結果が,これである.
 この資料には田郷虎彦『母子草』の表紙画像が掲載されていて,その画像の引用に関して次のように書かれている.
 
この画像の原本は著作権によって保護されています。アメリカ合衆国著作権法 (タイトル17、107条)に則り、学術的目的、研究、批評、解説、教育といった 公正な理由(フェア・ユース)の範囲内で個人的使用の目的のためだけにこの画 像を複製することができます。複製が合衆国著作権法に合致するものであるか どうかの判断と使用違反の責任は、複製を行う利用者に委ねられます。合衆国外 での複製に関しては、当該国の著作権法が適用され複製の妥当性と違反責任は複 製を行う利用者に委ねられます。
 
 この田郷虎彦『母子草』の表紙画像を,私自身が購入した田郷虎雄『母子草』の表紙と比較するという公正な理由により,以下に複製引用する.
 
Photo  
 
 次に私の手元にある田郷虎雄『母子草』の表紙をスキャナーで画像にして以下に掲載する.これは上に掲載したプランゲ文庫の画像と比較検討するためであるから,正当な引用である.
 
Photo_2
 
 両者は同じものである.
 すなわち,プランゲ文庫に収められた『母子草』の書誌事項に,著者は田郷虎彦であると記されているのは誤りで,正しくは田郷虎雄である.
 終戦後の少女小説に関する資料を調査している方がおられた場合のために,このしょーもない事実を記しておく.
 
 さて【ジャンル:少女小説 (母子草の名称由来とは無関係)】欄に書いたように,田郷虎彦 (正しくは虎雄であるが) の『母子草』は,昭和館所蔵の紙芝居『母子草』の原作ではないかと私は推定していた.
 それを確認するために,古書を入手したばかりの田郷虎雄『母子草』を読んでみた.
 物語の最初のところで,疎開先から東京に戻って,母と二人でアパートで暮らすようになった女学生の木崎南海子 (なみこ) がある朝,登校する場面がある. (安達明のヒット曲「女学生」では,女学生とは JK 女子高校生のことであるが,この少女小説『母子草』では女子中学生を指している)
 登校のときに南海子は同級生の江羽陽子と親しくなり,前を歩いている一人の男子上級生について会話する.
 
「ねえ、木崎さん、あなた、お好き、あゝいう人?」
 「ええ。」と、南海子は、正直にコックリをした。そして聞いた。
 「あなたは?」
 「私もよ。でもね、私が一ばん好きなのは……。」
 陽子は、そこまで言つて、くすツと茶目ツ子のように笑った。そして、あとは早口で、
 「木崎さん、あなたよ、あなたよ!」
 というが早いか、トンと南海子の肩をたゝいて、陽子は、ツバメのように駆けだして行つた。
 「まあ……。」と思わず顔を赤らめながらも、南海子もすぐに陽子のあとを追つた。
 「待つてよ、江羽さん、私もよ、私もよ!」
 校庭の若葉ようやく伸びようとする朝……。

 
 知り合ったばかりの少女二人が,唐突に「好きよ」「私もよ」と告白し合う怒涛の展開に,私は全身から脱力して椅子から転げ落ちたが,それはともかく,ここまでの記述で,田郷虎雄『母子草』は,昭和館所蔵の紙芝居『母子草』の原作ではないことが判明した.
 終戦後の紙芝居に関する資料を調査している方がおられた場合のために,このしょーもない事実を記しておく.

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2018年5月21日 (月)

心優しいひと

 年明けに放送された日本テレビ『世界一受けたい授業』(2018年1月13日放送) に出演した絵本作家 のぶみ氏が番組中の《今、話題の絵本作家が教える! 2018年に読んで欲しい絵本》と題したコーナーで,絵本『はなになりたい』(すまいるママ作,東京書店,初版は2014年12月だが現在は新装改訂版が出ている) を紹介した.
 
 この のぶみ氏の作風を嫌いな人は徹底的に嫌いだとみえてネット上に氏の批判がたくさんある.例えば宋美玄さんの《絵本は誰のためにある? のぶみ氏炎上を見て考えたこと》は,もっとも至極な内容だと思う.どこの世界にも思慮の浅い人と深い人がいて,のぶみ氏は浅い人に分類されるかも知れない.
 
 さて のぶみ氏は,当然のことながら自分の感性に訴えるものがある絵本をテレビで紹介するわけだから,のぶみ氏を嫌いな人たちは,絵本『はなになりたい』をどう受け止めたのだろうかと私は少し興味を覚えた.
 そこで Amazon のレビュー口コミサイトを覗いてみたら,案の定,絶賛と酷評に二極分化していた.
 
 この『はなになりたい』の内容は,私は忘れかけた部分もあるけれど,私たち生命が,他の生命を食べて生きていくということの切なさ,哀しみを描いたものだったと記憶している.
 従ってこの絵本には,いわば私たち人間の宗教観にも触れるところがあり,とてもとても幼年児童に理解できるようなものではない.形こそ絵本であるが,内容的には小学校高学年あるいは中学生がようやく読むに耐えるレベルの児童文学の本だと思う.
 
 ところで上に挙げた口コミサイトの一番最初の投稿に「ちゅら。」さんという女性が次のように書いている.
 
ありのままの自分を、否定する絶望感。
 
このお話しは、肉食獣のライオンがウサギを食べるという、当たり前のことから始まります。
ライオンが自分が食べてしまったウサギの子どもを育てることになり、父性が芽生える。
親を食べられた子ウサギの目線からライオンを責め続けていくお話しです。
そして、ライオンが肉食であることを自己否定するようになってしまう。
ライオンはライオンであればいい。
立派なライオンになればいいのです。
天寿を全うして、もし花になることがあるとすれば・・
その時に綺麗な花になればいい。
そしてもしまたライオンに生まれ変わるのであれば・・
生きるためにウサギを食べ、また立派なライオンになればいい。
 
 この人の意見に従うと,ウサギの親を食べてしまったライオンが,草むらに残されたウサギの赤ちゃんを発見したら,それも食べてしまえということになる.
 草むらにかわいい赤ちゃんウサギがいました.ライオンはそれも食べました.おわり.
 というわけだ.絵本にならぬなあ.w
 
 当たり前のことだが,童話でも絵本でも,登場する動物は単なる動物ではない.擬人化された動物である.
 極端な例だが,ディズニーアニメでは,二足歩行して言葉をしゃべる犬と,四足歩行の犬が同じ場面に出てくる.w
 擬人化ということが理解できないと「ちゅら。」さんみたいに《立派なライオン》などと,作者の意図を全く読み取れていない見当はずれの意見を投稿してしまう.『はなになりたい』に描かれているライオンもウサギも,人間なのだ.スヌーピーに「立派な犬になれ」と言ってどうする.ww
 
 私たちは生きるために,あるいは食べる喜びのために,牛でも豚でも魚でも食ってしまうが,その一方で犬や猫やウサギやハムスターを可愛いがって生きている.
 でも欧米人に言わせると,日本人のクジラやイルカを食べる食習慣が許せないらしい.
 で,クジラ漁を擁護する日本人が,あんたらが平気で食っている牛も,クジラと一緒じゃないかと主張すると,欧米人は「クジラは頭がいいから殺してはいけない」と反論する.
 しかしいったん「頭がいい生き物は殺してはいけない (食ってはいけない)」という線引きを許すと,あとは人間に置き換えた場合に,頭がいいからとか,容姿がいいからとか,いじめのこと,障碍の有無,さらには肌の色の差別まで,際限なく線引きの泥試合が始まってしまう.
 
 本当に,生きるということは難しい.難しいけれど,考えてみたらどうでしょうか,ということこそが,『はなになりたい』の作者のメッセージなのだと私は思う.
 
 旧聞に属するが,『天才!志村どうぶつ園』の企画「絶滅ゼロ部」第二弾ケニア編が放送 (2/17) され,レポーターとして,昨年に続いて今年も加藤遊海さんが出演した.(彼女は今年のミス・ユニバース日本代表に選ばれたファッションモデルだ)
 細かい放送内容はネットで調べていただくとして,ケニアでキリンを肉食する部族にインタビューした加藤さんは,キリンは人間にとって食べる対象だという認識がなかったから,ショックを受けて泣いてしまう.
 でも彼女は気丈にも「しょうがないと思う.食べていくためだし,家族のためだし…」と語って,しかし涙を堪えることができない.
 加藤さんの涙に,私も目頭が熱くなった.この人は強者の立場から《立派なライオン》などと言わぬであろう.もし言わねばならぬとしたら泣きながら言うだろう.『天才!志村どうぶつ園』はエンタメ番組ではあるが,私は画面の向こうに優しい心の人を見た.

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2018年5月20日 (日)

愚かなり我が心 (補遺)

 先日の記事《愚かなり我が心》の中で,YouTube に上げられているペギー葉山の歌唱について,
ところで日本人のカバーはどうかというと,古いところではペギー葉山,中くらいに古いところ w ではジュディ・オングがいい.
と書いた.
 
 時折,この記事《愚かなり我が心》を閲覧してくださるかたがあるので,先程読み返してみたら,「ありゃ?」と思うことがあった.
 
 それは,テレビ画面で,ペギー葉山の歌に付けられている和訳歌詞の字幕である.(ペギー葉山は元の英語歌詞で歌っている)
 具体的にいうと,歌詞の第一連の,下に引用するフレーズがヘンなのだ.
 
なんてきれいなお月様 愚かな私の心を見守って下さい
 
 この部分の英語歌詞は次の通り.
 
How white the ever constant moon!
  take care, my foolish heart
 
 ペギー葉山の「愚かなり我が心」には実は日本語バージョンもあった.
 
 この本来の日本語歌詞では,テレビの字幕で《なんてきれいなお月様》となっている箇所は《月白き今宵》 (訳詞者;音羽たかし) である.
 両方とも意味が明確ではないが,どちらかというと《月白き今宵》がいい.
 
 元の歌詞の意味は「いつだってお月様は白く冷静だわ! それに比べて,我を忘れて恋に燃え上がろうとしている私はなんて愚かなの  しっかりしなさい おばかさんな私」である.
 しかるにテレビの字幕では,“ white ”も“ ever ”も“ constant ”も完全無視して,《なんてきれいなお月様》と能天気に月を鑑賞している.だが迫ってくる男の唇を前にして,そんなことを言ってる場合ではないのである.w
 それから《見守って下さい》は,“ take care of … ”と“ take care ”を取り違えている.w
 
 実際に歌う場合は長々と直訳するわけにいかないから,《月白き今宵》でサラリと逃げるしかない.だから音羽たかしの訳詞で,止むを得ないのである.
 ちなみに「音羽たかし」は,キングレコードの複数の作詞者が使った共通のペンネームである.だから「愚かなり我が心」訳詞者が誰であったか,実名はわからない.

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2018年5月19日 (土)

『母子草』ノート (3)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】

 今日は神奈川県立図書館で,以下の三冊を閲覧,調査してきた.

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作品名      母子草ばなし
書籍名     『少年少女日本の民話・伝説 第3 近畿の巻』
著者       二反長半
出版社      偕成社
発行年      1963年
所在等特記事項  神奈川県立図書館蔵書.
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作品名      母子草
書籍名     『日本むかしばなし集』(少年少女世界むかしばなし全集 ; 10)
著者       奈街三郎,藤澤衛彦
出版社      宝文館
発行年      1960年
所在等特記事項  神奈川県立図書館蔵書.都立多摩図書館蔵書.
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作品名      母子草
書籍名     『ふるさとのはなし 7 近畿地方』
著者       浜田広介
出版社      さ・え・ら書房
発行年      1966年
所在等特記事項  神奈川県立図書館蔵書.横浜市中央図書館蔵書.
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 二反長半の「母子草ばなし」は,藤澤衛彦の原作を翻案したものとしてよかろう.
 二番目の『日本むかしばなし集』の「母子草」は,藤澤衛彦の原作に奈街三郎が手を入れたものかも知れないが,基本的に藤澤衛彦の原作に沿っている.

 三つ目の浜田広介『ふるさとのはなし 7 近畿地方』に収められた「母子草」は,二反長半作の「母子草ばなし」と同じ翻案ものと考えていいが,主人公の少女の名を「おちょう」としている点に特色がある.
 私がこれまでに調べた範囲では,少女の名が藤澤衛彦の原作と異なっているのは,この浜田広介の童話のみである.(ここでは「のみである」と書くが,昭和の童話作家たちの知的所有権に関する鈍感と乱暴には恐るべきものがあり,藤澤衛彦の「母子草」を剽窃した清水たみ子や奈街三郎の「母子草」と同様に,浜田広介作品のパクリを探せば出てくる可能性がある.清水や奈街のような連中がよくもまあ子供たちに「童話」を提供してきたものだと,私は天を仰ぐのみである)
 便宜的に,近江民話を童話化した藤澤衛彦の「母子草」を「二つ目の母子草の物語」,浜田広介の作品を「三つ目の母子草の物語」,二反長半の「母子草ばなし」を「四つ目の母子草の物語」と呼ぶことにし,連載本文でそれぞれを批評することにしたい.

 ちなみに『ふるさとのはなし 7 近畿地方』の所蔵図書館は,国会図書館サーチによると三重県立図書館,京都府立図書館,大阪府立中央図書館国際児童文学館,福島県立図書館であるが,個別に各地の図書館の蔵書検索をすると,国会図書館サーチではヒットしない図書館にも所蔵されていることがある (神奈川県立図書館はその一例である) ので,『ふるさとのはなし 7 近畿地方』全文を読んでみたいと思われる向きは,各地の図書館で蔵書検索していただきたい.

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2018年5月18日 (金)

『母子草』ノート (2)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
 
 「国会図書館サーチ」で,国会図書館と全国の公共図書館に所蔵されている資料に関し,「母子草」をキーワードにして検索を行い,結果を整理し,一覧にした.
 以下の【 】の「ジャンル」はこのブログ筆者が便宜的に分類したもの.
 既に古書の実物,または図書館蔵書の複写を入手したものと,近々に入手が確実なものは書籍名を緑色にした.
 著者によって複数の書籍に同一の作品が収められている場合は,そのうちの一つを入手して他を代表させることにする.
 
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【ジャンル:民話】
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作品名      母子草
書籍名     『ひともっこ山 湖の国にむかしむかし
著者       中島千恵子,滋賀県児童図書研究会
出版社      サンブライト出版
発行年      1979年
所在等特記事項  古書入手済.母子草の名称の謂れにつき,竹生島観音信仰と関わる滋賀県の民話.中島千恵子氏の再話は,原話の語り手が明記されていて,民俗学的に正当な方法に則っている.
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作品名      猫間中納言と母子草
書籍名     『三田の民話100選 上』
著者       新編「三田の民話」編集委員会,三田市教育委員会
出版社      地方公共団体刊行物
発行年      2007年
所在等特記事項  国会図書館蔵書オンラインサービス,兵庫県立図書館蔵書,大阪市立図書館蔵書他.母子草の名称の謂れにつき,「奉公草」を「母子草」と呼ぶようになったとする兵庫県民話
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【ジャンル:伝承系童話】
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作品名      母子草
書籍名     『日本伝承童話集 第二集
著者       藤澤衛彦
出版社      雄鳳堂揺籃社
発行年      1949年
所在等特記事項  古書入手済.近江民話を翻案して童話化したものと考えられる.
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作品名      母子草
書籍名     『日本伝承童話集 第2集』
著者       藤澤衛彦
出版社      鶴書房
発行年      1995年
所在等特記事項  都立多摩図書館蔵書.
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作品名      母子草
書籍名     『日本伝承民俗童話全集 第2巻 中部篇』
著者       藤澤衛彦
出版社      河出書房
発行年      1944年
所在等特記事項  都立多摩図書館蔵書.
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作品名      母子草
書籍名     『日本の民話』(世界児童文学全集 ; 13)
著者       藤澤衛彦
出版社      あかね書房
発行年      1964年
所在等特記事項  都立多摩図書館蔵書.
         Amazon に海賊出版物が出品されている (Kindle 版).
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作品名      母子草ばなし
書籍名     『少年少女日本の民話・伝説 第3 近畿の巻
著者       二反長半
出版社      偕成社
発行年      1963年
所在等特記事項  神奈川県立図書館蔵書.近々に複写請求の予定.
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作品名      母子草ばなし
書籍名     『二反長半作品集 第3巻』
著者       二反長半
出版社      集英社
発行年      1979年
所在等特記事項  都立多摩図書館蔵書.
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作品名      母子草
書籍名     『幼年童話12カ月 第2巻
著者       清水たみ子 (児童文学者協会 編)
出版社      牧書店
発行年      1956年
所在等特記事項  神奈川県立図書館から複写を入手済.
         藤澤衛彦作品「母子草」を剽窃したもの.
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作品名      母子草
書籍名     『幼年みんわ かなしいはなし』(偕成社 幼年版/民話シリ-ズ - 11)
著者       奈街三郎 文,池原昭治 絵
出版社      偕成社
発行年      1973年
所在等特記事項  古書入手済.藤澤衛彦作品「母子草」を剽窃したもの.
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作品名      母子草
書籍名     『日本むかしばなし集』(少年少女世界むかしばなし全集 ; 10)
著者       奈街三郎,藤澤衛彦
出版社      宝文館
発行年      1960年
所在等特記事項  神奈川県立図書館蔵書.都立多摩図書館蔵書.「母子草」作者が藤澤衛彦であるかを確認する必要あり.近々に複写請求の予定.
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作品名      母子草
書籍名     『ふるさとのはなし 7 近畿地方
著者       浜田広介
出版社      さ・え・ら書房
発行年      1966年
所在等特記事項  神奈川県立図書館蔵書.横浜市中央図書館蔵書.近々に複写請求の予定.
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作品名      母子草
書籍名     『日本神話・日本民話・東洋民話』(世界の名作図書館 ; 3)
著者       村上知行,坪田譲治,浜田広介
出版社      講談社
発行年      1967年
所在等特記事項  現在,古書注文中.
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【ジャンル:内容未確認につき未分類】
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作品名      母子草
書籍名     『母子草
著者       田郷虎雄 著,辰巳まさ江 絵
出版社      偕成社
発行年      1949年
所在等特記事項  現在,古書注文中.
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作品名      母子草
書籍名     『母子草』
著者       田郷虎雄
出版社      偕成社
発行年      1953年
所在等特記事項  都立多摩図書館蔵書.
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作品名      母子草
書籍名     『笛のたび』(日本のむかし話 ; 9)
著者       槙本ナナ子,山本藤枝,大石真,那須辰造,宮脇紀雄,山主敏子,大柴愛子,久保喬,加藤輝男,岡上鈴江,山本和夫
出版社      ポプラ社
発行年      1957年
所在等特記事項  川崎市立高津図書館蔵書.都立多摩図書館蔵書.近々に複写請求の予定.
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作品名      母子草
書籍名     『滋賀昔ばなし
著者       勝部恵子 編 (駒原みのり 挿絵)
出版社      表現社
発行年      1976年
所在等特記事項  現在,古書注文中
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作品名      母子草
書籍名     『おかあさん物語』(お話博物館4年生;11)
著者       大蔵宏之ほか
出版社      実業之日本社
発行年      1956年
所在等特記事項  都立多摩図書館蔵書.
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【ジャンル:絵本】
作品名      母子草
書籍名     『滋賀の伝説シリーズ 3
著者       中島千恵子 文,田辺満里子 絵
出版社      京都新聞社
発行年      1992年
所在等特記事項  横浜市立中央図書館から複写を入手済.中島千恵子『ひともっこ山 湖の国にむかしむかし』所収の「母子草」とわずかな違いがある.
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【ジャンル:紙芝居】
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作品名      おかあさんの花 : 母子草 (シリーズ名「よいこの十二カ月」)
著者       稲庭桂子 作,河野きみ 画
出版社      童心社
発行年      2000年
所在等特記事項  都立多摩図書館蔵書.内容未確認.
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【ジャンル:創作童話】
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作品名      母子草
書籍名     『童話集 夢を見る子
著者       おくだあつし
出版社      文芸社
発行年      2001年
所在等特記事項  古書入手済.母子草の名称由来とは無関係であることを確認済.
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【ジャンル:少女小説 (母子草の名称由来とは無関係)】
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作品名      母子草
書籍名     『母子草』
著者       春名誠一 著,高木清 挿絵
出版社      偕成社
発行年      1956年
所在等特記事項  国立国会図書館蔵書.
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作品名      母子草
書籍名     『母子草』
著者       田郷虎彦
出版社      偕成社
発行年      1948年
所在等特記事項  国立国会図書館オンラインサービス.「昭和館」所蔵の紙芝居「母子草」の原作である可能性あり.
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【ジャンル:漫画】
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作品名      涙の母子草
書籍名     『涙の母子草』(あけぼのまんが選 ; 92)
著者       伊藤寿美子
出版社      曙出版
発行年      1956年
所在等特記事項  国立国会図書館オンラインサービス
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作品名      母子草
書籍名     『漫画 母子草』
著者       せきしろ (関四郎)
出版社      黎明社
発行年      1955年
所在等特記事項  国立国会図書館オンラインサービス
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2018年5月17日 (木)

安らかにヤングマン

私よりも若い人が亡くなると,しみじみと悲しい.
西城秀樹逝く.私は新御三家の中でこの人の歌が一番好きだった.

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2018年5月16日 (水)

初耳学再現ドラマに異議あり

 たまたま先日 (5/13) の日曜夜,TBSで『林先生が驚く初耳学!』を観たら,江戸時代に遊女小紫との遊興費を得るために辻斬りを働き,捉えられて処刑された平井権八の話 (実話) が再現ドラマで放送された.
 
 平井権八は,歌舞伎『御存鈴ヶ森 (ごぞんじすずがもり)』では白井権八の名で登場する.また落語『白井権八』にも出てくる.私は歌舞伎は不案内で『御存鈴ヶ森』は粗筋しか知らないのだが,落語とはストーリーが少し異なるようだ.
 それはさておき歌舞伎と落語で共通しているのは,鈴ヶ森で賊を斬り倒した白井権八を近くの駕籠の中から見ていた幡隨院長兵衛が,権八に声をかけるという場面である.つまり白井権八と幡隨院長兵衛を同時代の人物に設定している.
 しかし史実としては,平井権八は明暦元年 (1655年) の生まれであるとされ,幡随院長兵衛の没年は慶安三年 (1650年) あるいは明暦三年 (1657年) とされているので,歌舞伎や落語の物語は完全なフィクションである.そしてこのことが以下の議論に関係する.
 
 さて次の四枚の画像は,『林先生が驚く初耳学!』中の再現ドラマの一場面である.(録画データを直接加工したものではなく,録画したテレビ画面をカメラで撮影し,トリミングした画像である)
 
20180515a
 
 上の一枚目の画像は,父の同僚を斬殺して江戸へ逃亡してきた平井権八が遊女小紫と昵懇になり,遊郭へ通う場面である.
 下の二枚目は,権八が腰に帯びていた長剣をアップにした.
 
20180515b
 
 権八はこの刀を刃が下向きになるように腰に差している.これを見て私は「おや?」と思った.
 
 日本刀には大雑把にいうと太刀と打刀 (一般に「刀」と呼ばれているもの) がある.
 Wikipedia【太刀】から下に引用する.
 
太刀(たち)とは、日本刀のうち刃長がおおむね2尺(約60cm)以上で、太刀緒を用いて腰から下げるかたちで佩用(はいよう)するものを指す。刃を上向きにして腰に差す打刀とは「銘」を切る位置が異なるが、例外も数多く存在する。》 (下線は江分利万作による)
 
馬上での戦いを想定して発展したものであるため、反りが強く長大な物が多いという特徴がある。平安時代頃から作られ始め、鎌倉時代、南北朝時代と使用され続けたが、室町時代後期になると武士同士の馬上決戦から足軽による集団戦が主になるにつれ生産量も落ち、徒戦(かちいくさ:徒歩による戦い)に向いた打刀が台頭していった。 (下線は江分利万作による)
 
 Wikipedia【打刀】からも下に抜粋引用する.
 
打刀(うちがたな)は、日本刀の一種。通常、室町時代以降は「刀」というと打刀を指す場合が多い。
打刀は、主に馬上合戦用の太刀とは違い、主に徒戦(かちいくさ:徒歩で行う戦闘)用に作られた刀である。
反りは「京反り」といって、刀身中央でもっとも反った形で、腰に直接帯びたときに抜きやすい反り方である。長さも、成人男性の腕の長さに合わせたものであり、やはり抜きやすいように工夫されている。
(下線は江分利万作による)
 
 つまり装備の仕方としては,太刀は刃を下向きにして腰から下げるのに対し,打刀は刃を上向きにして腰に差すという違いがある.
 ただし太刀から打刀への移行期 (室町時代末期から江戸時代初期) には,刃を下向きにして腰に差す半太刀と呼ばれる日本刀の様式があった.
 一枚目の再現ドラマ画像は,平井権八の日本刀が一般的な打刀ではなく,やや刃渡りが長い半太刀であることを示している.
 
 しかし上述のようにここで私は「おや?」と思った.史実の平井権八が生きていたのは,江戸初期よりもう少し後の半太刀が廃れた時代であるから,この再現ドラマの時代考証を否定はできないが,敢えて半太刀に設定したのはなぜだろうと思ったのである.
 
 続く三枚目の画像は,貧窮した平井権八が辻斬りをする場面である.
 
20180515c
 
 町人を殺害したあと刀を鞘に納める場面であるが,ここでは普通の打刀を,刃を上に向けて鞘に納めている.
 ということは,平井権八は,鳥取藩から逃亡してくるときに日本刀を打刀と半太刀の二振りも持ってきたことになる.
 しかしそのような設定の再現ドラマであるとしても,辻斬りに身を落とすくらいなら,オールドファッションな半太刀を売り払って金にすればいいのに,ヘンだなと私は思った.
 
 だがこのシーンでの問題点は別のことである.それは権八が打刀と脇差の二本を腰に差していることである.(下の四枚目の画像)
 
20180515d
 
 実は平井権八が江戸に出てきた頃,幕府は武器の規制強化を始めていた.
 Wikipedia【刀狩】から以下に引用する.
 
江戸町民も長刀・長脇差以外の一般の1尺8寸(約54cm)までの脇差の装備は1720年(享保5年)でも布令は無くとも慣習として行われていた。そして1683年までは、旅立ち・火事・葬礼時の町民の帯刀二本差しも許容されていた。しかし、「文治政治」の導入に伴って、17世紀後半に再び帯刀規制に乗り出した。1668年(寛文8年)江戸御用町人以外の帯刀を禁止し、後1683年(天和3年)に江戸町民全ての帯刀を禁止して、それは全国的に拡大していき17世紀末には国中に広がった。 (下線は江分利万作による)
 
 上の引用中,帯刀とは大小二本を腰に差すことを意味しているのだが,権八が江戸に出てきたとき既に幕府は《江戸御用町人以外の帯刀を禁止》していたのである.とすれば脱走犯罪者である浪人の権八が二本差しなのはどうにも妙である.
 さらに言えば,腰に大小を差すのは武士の正装である.正装を許される武士の立場から転落した権八が,強盗するのに正装で出かけるという,再現ドラマにおける権八の心理描写に,私は強い疑問を覚える.この場面で権八はなぜ着流しに一本差しではないのか.ここは視聴者に対して何らかの説明が必要である.
 
 以上の時代考証上の誤りについて,一つ可能な説明は,『林先生が驚く初耳学!』の制作スタッフもМCの林修先生も,平井権八と白井権八を混同しているということである.
 歌舞伎に登場する白井権八を描いた浮世絵はたくさんあって,例えばこれこれこれなどがある.
 これらの浮世絵を見ると,権八は打刀と脇差の二本差しであるが,歌舞伎の白井権八は,実在の平井権八よりもずっと前の幡隨院長兵衛と同時代という設定であるから,これでいいのである.

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2018年5月15日 (火)

初めての台湾 (三)

 前回の記事《初めての台湾 (二) 》 

 キャセイ・パシフィック台北行フライトの搭乗口前に再集合したツアー参加者に,添乗員Sさんは,簡単に自己紹介をしましょうと言った.参加者は十人で,男性は私ともう一人であった.

 女性ツアーメンバーの年齢はまちまちで,お一人はおそらく七十歳を越しておられるのではと思われた.お元気であるなあと感服.女性の服装のことはわからないのだが,彼女は高級ブランドと思われるパーカーをお召しになって,背筋はピンと伸びていらっしゃるのだった.
 一番若い女性は,まだメイクも初々しい印象で,あとで食事の時に訊いたら,高校を卒業したばかりで,このツアーが初めての海外旅行だという.全然物怖じせずに一人で卒業旅行だ.今の若者は颯爽としているなあと感心した.あとは二十代が一人と三十代が二人で,残りの女性三人は年齢を推定すると四十代,五十代,六十代がお一人ずつ.Sさんは落ち着いてみえるが,三十代ですと言っていた.
 そのあとでSさんのガイダンスがあり,私たちのフライトは午後すぐの便だから,夕食の機内食はかなり早いはずだという.でも今夜は台北の夜市にご案内しますから,お腹がすいたらそこで何かを召し上がってください,とのことだった.
 またSさんは,ツアーのマナーについても説明した.参加者の間で発生するトラブルの一つに,食事のことがあるという.会食の際に料理をマズいと貶す人がたまにいらっしゃいますけど,おいしいと思う人もいるわけですから,料理を貶さないでくださいというのがSさんの話であった.なるほどと納得.実に行き届いた添乗員さんである.

 参加者同士で軽くおしゃべりしているうちに搭乗案内のアナウンスがあり,私たちはそれぞれのシートに着いて機内の人となった.(ところで「車中の人となった」「機内の人となった」は手垢の付いた常套句だが,最初は誰が書いたのだろう)
 早めの機内食の時間になり,CAさんが「牛肉か鶏肉か」と訊くので鶏料理をくれと答えた.すると配られたのはマカロニグラタンで,小指の爪ほどの鶏肉が数個入っていた.これなら「牛肉か炭水化物か」と訊くべきだと思った.私は現在,糖質制限中の身であるが,しかしこのグラタンを食べないと夜市観光まで腹がもたないだろうから,半分食べた.
  そうこうしているうちにキャセイ CTX**** 便は台湾桃園国際空港へ着陸態勢に入った.

 到着ロビーで再集合した私たちは,ロビーで待ち受けていた現地ガイドの女性Rさんと会った.
 Rさんは御本人の口から二十九歳だと明言.彼女はかなりの美人で,しかも常に口角上がりっぱなしという好感度五つ星なのであった.私はこれが初めての台湾旅行であるが,Rさんを見て台湾は良い国であると即断した.
 すぐにチャーターしてあるバスがやってきて,ツアー一行は士林夜市 (台北市内の観光マップには,○○観光夜市とただの△△夜市とがある.士林夜市はマップ上は士林観光夜市と書かれている.どう違うのかわからないのでSさんに訊ねたが,たぶんテキトーに名乗っているんじゃないかという回答だった) へ向かった.
 バスの中でRさんに両替をしてもらい,やがて一時間ほどでバスは夜市に到着した.いよいよ台湾観光のスタートである.

 
20180508a
 
(続く)

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2018年5月14日 (月)

『母子草』ノート (1)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】

 ひょんなことから,私が「母子草の物語」と呼ぶ近江の民話について調べている.

 私の調べでは,この民話の原話は,故中島千恵子氏が再話して『ひともっこ山 湖の国にむかしむかし』に収録して発表した「母子草」だろうと考えられた.

 ところが調査を進めると,中島千恵子氏の出版のずっと前に,中島氏の再話「母子草」とは全く異なるストーリーの童話「母子草」が,日本の児童文学の重鎮であった藤澤衞彦氏 (明治大学教授) によって出版されていたことを知った.

 藤澤教授はその童話作品「母子草」を含む著書『母子草』の巻末の《父兄方へ》と題した文章において,《發表の童話は、美しくて良い童話のみを選ぶ。美しいものはなおまた偉大であり、良いものはなおまた貴い》と書いたが,私はこの言葉に既視感を覚えた.

 というのは,藤澤教授のこの言葉を知る前に,私はこの連載記事のための調査の過程で,あの小川未明がある座談会で「文芸というものは美しくなければいけない.正しいものは同時に美しいものであり、美しいものは同時に正義であるということは、私が文壇に出る時からの信念であった」旨の発言をしている(戦時下の児童文学-小川未明の場合)ことを知っていたからである.

 藤澤教授の《美しいものはなおまた偉大であり、良いものはなおまた貴い》は,戦時中は皇国史観に少年少女を動員し,戦後は掌を反して日本児童文学者協会の会長の地位に就いた世渡り上手の変節漢,小川未明へのオマージュであると断定してよいと思う.
 ここから私の調査 (勉強) は,藤澤教授の,あるいは他の児童文学者たちの戦争責任へと向かった.
 すると,やはり心ある人々によって,我が国の児童文学者たちの権力迎合,戦争協力は既に批判されていたのである.
 児童文学と戦争責任.これについて,今は山中恒の著書を古書店に注文して到着を待っているところである.

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2018年5月13日 (日)

新元号問題

 朝日新聞 DIGITAL に《改元後も「平成」利用へ 納税や年金システム、混乱回避 》という記事が掲載された.(掲載日時;2018/05/13 07:03)
 
 同記事によると,
 
税金や社会保障などに関わる行政システムの一部について、政府は新しい元号となる来年5月1日以降も「平成」の元号を一定期間使い続ける検討に入った。行政機関と民間の金融機関など複数がネットワークでつながっているシステムが対象で、納税や年金支給などで混乱を避ける狙い
 
だとのことである.
 
 おそらく銀行はシステムを修正整備してくるのではなかろうか.
 行政では,官庁内部のことはいざ知らず,国民を相手にする役所の窓口では,届け出書類などに「平成の年月日と新元号の年月日を両方書け」と言えば済む.(私たちはエライ迷惑だが)
 
 問題は年金機構だ.きっと何かヘマをやらかすに違いない.そしてまたゾロ「消えた年金」が発生するのだ.そうに決まっている.

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母子草 (十二)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
 
 前回の記事《母子草 (十一) 》 
 
 前回記事は《父兄方へ》を全文引用した.
 今回は巻末の解説《日本童話の二潮流について》から全文引用する.
 
アンデルゼンやブラボルン等の童話文學の内容には、傳説に基づいたものが少なからずあるが、それらは、飽くまでもアンデルゼンやブラボルンの文學であって、E・S・ハートランドが定義したところによる所謂傳承童話の本流である民族傳承の童話とは、本質的に相違している。
 この意味において、ハートランドは、所謂創作童話なるものは文學的物語であって、童話ではないと考えておるところから、童話學の範囲を限定して "童話學は、傳承を取扱うもので、文學を取扱うものでない。それは既に忘れられた過去から、口傳えに耳から傳承したところの話を研究の主題とするものである" と心得、文學の世界と、童話の世界とを明らかに區別しているが、日本の今日の限定としては、内容的には傳承童話と創作童話との二系統に區別される。そして、口演を以てするもの、今日、傳承童話に拘泥せず、また實演技巧に堕ちるあり。文章を以てするもの、現下、傳承童話の再現模倣に傾向して、必ずしも創作ならず。児童日常の生活環境譚、実録説話を主題とするものも亦少なくない。
 思うに、嘗て、日本少國民文化協會が、その設立にあたって、童話文學家を文學部会に包含し、口演童話家を童話部会に合同せしめたのも、文章と話術の發達におもいやりをかけてのことであって、現下においても、傳承童話の分野は、爐邊童話の採集とその話し方の傳統とも、多くこれを民俗研究家の手にゆだねるの態度にあるのである。
 今日、民間傳承は、その中に含まれる固定したもの、古風なもののみが特に注目され、従って、その採集整理において、回顧的、愛情的な感情に傾き易く、その取扱いも、原型を保護することに忠實すぎて、民俗學的取扱いの範圍を出ずにおるが、過去において、それを生成した力が、今日も新たに働き、今日の新たな傳統を形成しつつあることにその意味を持つということに、眼を注ぐべきであろう。
 されば、傳承童話の概念は、過去において固定してしまった單なる自然的夢幻的物語ではなく、むしろ、今日、こどもたちの情操を高め、倫理的修養に資し、その修養の魂をゆする童話として、今日不斷に衝動的に生成されつつあるものであることを、考えてみなくてはならない。
 日本民族傳承の童話は、遙かに遠い過去の出來事、或は又その頃に於ける自然觀の一趣相として表現完良され、昔話型に固定され盡してしまったものと考えるべきでなく、今日もなお旺盛に兒童修養の糧として、新しき話の文化として、不斷に進行しつつあるものと考えるべきであって、とうとい世界意識の基層をなすところの空間的、基層的面において、衝動的に少年少女たちを形成しつつあるところの寶物であることを知らねばならない。

 
[註]
* アンデルゼン
  Hans Christian Andersen.
 「アンデルン」は「アンデルン」の誤り.Wikipedia【ハンス・クリスチャン・アンデルセン】を参照のこと.
 デンマーク語発音を片仮名表記すれば,ハンス・クレステャン・アナスンである.藤澤教授がわざわざデンマーク語でなく「舞台ドイツ語」で人名を表記したのか理由は不明である.戦前は Andersen をアンデルゼンと書いた可能性はあるが,このブログ筆者の戦後の幼年時代,日本語の慣用ではアンデルセンと読み書きしたはず.
 
* ブラボルン
 童話作家と推定されるが,ネット上に資料がなく,人物像は不明.
 
* E・S・ハートランド
 Edwin Sidney Hartland.英語版 Wikipedia【Edwin Sidney Hartland】に簡単な記述がある.十九世紀英国の民俗学者.
 日本口承文藝學會編『口承文藝研究』(2006年;No.29,p.28 - 42) に掲載された藤本朝巳氏 (フェリス女学院大学教授) の総説「English Fairy Tales の出版経緯と再話 ― Joseph Jacobs の再話意図 (1) ―」に以下の記述がある.
 
ところで、フォークロア界の動向として注目しておくべきことは、当時の心あるフォークローリストたちが、フォークロアが、すでに廃れつつあると危惧し、活字にして書き留め、英国に残そうと努めていたことである。例えば、当時のすぐれたフォークローリストで、後にフォークロア学会の会長も務めたE・S・ハートランドは、昔話集『イングランドの妖精譚と昔話』(1890) の序文に、以下のように記している。
 
 ……フォークテイルは、文学の形式であるとしても、数少ない伝承的な物語としても、以前は程度の差こそあれ、この国に疑いなく豊かにあったものである。しかし今や、近代生活の重圧のもと、急速に廃れつつある。それゆえ、読者は、常に親しみをもってきた昔話の多くを、当然の流れとして失ってしまうであろう……このような話の中には、自然に語り継がれたというわけではなく……チャップ・ブックにしてフランスから持ち込まれ、翻訳されたものもある。また最近は、「なじみのあったお気に入りの「ジャックと大男」(Jack the Giant-Killer)』のような話の、きちんとした版を手に入れることがむずかしくなった」と、すぐれた書き手が嘆くことばも耳にするようになった……物語 (The story) というのは時として風化の影響を受けるものであり、他の国々の同じような話と同様、鋭く削られてしまうと、もはや細部を補うことは不可能になるものである。それどころか、多くの話はその骨子となる部分すら、もはや壊され、損なわれたままになっている。もっと悪いことには、その台無しにされて状態でぽつんと置き去りにされているのである。 (翻訳、( ) 内、線は筆者による)
 
 これらの文章には、昔話が改ざんされたり、廃れてしまう前に、きちんと記録して残しておきたいという、フォークローリストの切なる思いが綴られている。

 
 この藤本氏の文章については,のちに再び引用して論じる。(註;文中の《チャップ・ブック》の意味はチャップ・ブックを参照のこと)
 
* 「表現完良され」
 この巻末解説文の筆者藤澤教授の造語の可能性はなくもないが,意味不明であるので「表現完了され」の誤植が校訂から漏れたものと考えられる.
 
* 「今日不斷に衝動的に生成されつつある」
 何が言いたいか不明だが,「衝動的」は「特定の意図をもたず自然に」ほどの意味か.
  精選版日本国語大辞典;
   [形動] 衝動を感じてそれをそのまま行動にうつしてしまうさま。
  広辞苑第六版;
   衝動のままに行動してしまうさま。
 
 藤澤教授による巻末解説《日本童話の二潮流について》は,これでよく大学教授が務まったものだと呆れるほどの悪文ではあるが,次回はこれを基に藤澤教授の文学上の思想について論じる.
(続く)

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2018年5月11日 (金)

糖質制限食品「糖質0g麺」

 江戸時代からある豆腐料理で「滝川豆腐」というものがある.
 豆乳または裏漉しした豆腐を寒天で固め,天突 (ところてん突き) で突き出したものだ.滝川豆腐には,普通のところてんよりも少し細くできる天突を使うのが良い.
 豆乳で作ると単に白いところ天だが,豆腐で作ると見た目が細うどん風なので食事に小鉢として添えられる.料理屋さんで夏の懐石料理の先付として出されることもある.
 
 昔,もう三十年くらい前のことだが,紀文が滝川豆腐を商品化しようとした.その開発担当者と知り合いだった関係で,滝川豆腐の試作品を頂いたことがある.カップ入りで麺つゆもついていて,なかなかいい味であったが,その後店頭で見かけたことはなかったから,商品化はされなかったのかも知れない.
 
 その滝川豆腐を現代風にしたらこうなるという商品が紀文にある.「とうふそうめん風」という. 外観は滝川豆腐よりもずっと細く,商品名通り,そうめんのように見える.
 ただし,これは糖質制限食品として食べるには少し多めの糖質が含まれているので,その場合は食前または食後に有酸素運動を行う必要がある.
 糖質制限をしていない (する必要がない) 人なら,糖質量は気にせずに,暑くて食欲が湧かない夏の日などに冷たく冷やして食べるのがお勧め.
 
 さて「とうふそうめん風」とは別に,紀文は糖尿病患者や糖質制限ダイエットをしている消費者向けの商品も開発していて,商品名は「糖質0g麺」という.ブランドサイトはここ
 
 ビール各社と日本酒製造業の数社を除く日本の大手食品企業で,糖質制限用食品の開発に関心があるのは,この紀文と,はごろもフーズくらいなものだ.
 ちなみに日本の食品企業を代表する味の素株式会社は,糖質制限食品をただのダイエット食品だと思っているらしく,これが実は糖尿病患者にとって重大な価値を持つものだとの認識がないようだ.なにしろ糖尿病患者たちは,前回の記事で紹介したように「命がけで低糖質食品を探している」のである.食品企業は国民の健康に関して責任を負っているという自覚があれば,食品業界のリーディングカンパニーとして,糖質制限食品分野で少しは何か開発するだろうと思うが,現状は完全に無視している状態である.
 
 それはそれとして,紀文「糖質0g麺」に戻る.
「糖質0g麺」には「平麺」と「丸麺」の二種類がある.ブランドサイトには明確に書いてないが,いずれも温めるとすぐノビてしまうので,基本的には冷たく料理して食べる.
 しかし「平麺」は,手早く温めれば「にゅう麺」のようにすることも可能ではある.
 そういう調理の方向で,私はエスニック風にして食べている.「平麺」の見た目がベトナムの「フォー」に似ているからだ.
 
[ 日・タイ・ベトナム三国友好麺 」の作り方
 
1. 大き目の柄付き片手鍋にたっぷりの水を入れる.
2. 成城石井ブランドのレトルト・グリーンカレー 〈産地はタイ;輸入者はヤマモリ(株)〉を鍋に入れて湯を沸かす.
3. 沸騰するまでのあいだに「糖質0g麺 平麺」の水切りをする.包装の下の方にペティナイフでプスプスと穴を開け,次に袋の上端を開封すると水が流れ出て水抜きできる.
4. 水切りした「平麺」を大き目のボウルまたはラーメン丼に入れて軽くほぐしておく.
5. 湯が沸騰したらグリーンカレーを鍋から取り出し,鍋の湯をサラダボウルになみなみと注ぎ入れる.箸で麺を軽くほぐすようにして麺と器を温める.
6. 器の湯を捨て,麺にグリーンカレーをかけて,さっと混ぜる.彩にあり合わせの温野菜を載せてできあがり.
 
(註)
 成城石井ブランドのレトルト・グリーンカレーは,ヤマモリ(株)の現地法人タイ工場 (サイアムヤマモリ) で製造しているPBだが,ヤマモリ自社ブランドのものとはレシピが異なる.
 エネルギーと炭水化物の栄養成分表示は,成城石井グリーンカレーが 314kcal,6.8g であるのに対して,ヤマモリのタイカレー (グリーン) は 319kcal,10.3g である.
 成城石井グリーンカレーは通販で買うと四百円以上だが,実店舗では四百円以下で買える.
 ヤマモリのタイカレー (グリーン) は実店舗なら三百円くらいと思われる.
 味とボリーム感は,私は成城石井を推すが,これは好き好きだろう.価格の点で,Amazon プライム会員ならヤマモリが第一選択.
 
〈盛り付け例〉
 
20180510a
 
 器は ARABIA 24h (フィンランド) のシリアルボウル (18cm).
 トッピングは豆苗の炒め物.
 これだけでは野菜が全く足りない.スーパーやコンビニで売っている野菜炒め用のカット野菜を炒めて,缶詰のアサリ水煮 (小) をぶち込んでナンプラとかXO醤等で調味したものを皿に盛り付け,上の麺に添えれば糖質制限的にカンペキな一食.

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2018年5月10日 (木)

萌え筋トレ

 正月にスポーツクラブに入会し,トレーニングを始めてから四か月が過ぎた.
 勤労者の皆さんは仕事が終わってからクラブに来て,水泳なりマシントレーニングをするのだろうが,私は引退老人なのでデイタイム会員資格で昼間にトレーニングをしている.
 御婦人会員がたは高齢者ばかりというわけではなく,たぶん三十代と推定されるボディビルダーさん二人をよく見かける.その他の女性は四十代~六十代と思われるのだが,先月あたりから数人の二十代らしき若い女性たちが昼間のマシンジムで筋トレをしている.

 女性×筋トレで検索すると,昨年後半から現在も,女性たちに筋トレがブームになっているという.そういう若い女の子たちを腹筋女子,筋肉女子,筋トレ女子などと呼ぶのだそうである.なるほどねー.それでか.

 ヨガの流行はかなり以前からで,ヨガスタジオはマシンジムより多いんじゃなかろうか.
 女性は筋トレではなくヨガが定番のトレーニングだと思っていたのだが,最近は片岡鶴太郎以外の男でもヨガをするのかと蒙を啓かれた.例の文部科学大臣が通った違法な無資格指圧ヨガのことだ.
 あのヨガスタジオの違法営業は横に置いて,件の週刊文春の報道で世間が驚いたのは,あの文部科学大臣の,まるで麻原彰晃のごとく情けなく緩んだ体でも,ヨガってできるんだ,ということだろう.

 いや,反語表現はよそう.あの大臣は健康のためにヨガをやっていると文春の取材に答えたが,読者は「あの体でヨガなんてやってるわけないよね,ほんとの目的は健康なんかじゃないなー」と皆さん記事を読んで納得したと思われる.
 あの体形では,靴下を自分で履くことも大変だと思われるのに,ナントカのポーズ,なんてできるわけがない.公用車でスタジオに行くより,自宅で,靴下を履くポーズから始めるべきだ.

 筋トレでもヨガでも,まずそれに最低限必要な体を,有酸素運動や食事療法で作ってからやらなければいけない.筋肉や関節が支えられる以上の体重があったのでは,健康どころか故障を起こす.
 言い換えると,つまり大臣が故障していないところを見ると,彼が通ったヨガスタジオは正当なヨガではないと考えていい.まともなヨガならあの肥満した大臣にできるわけがないからだ.

 余談だが,片岡鶴太郎も,大臣とは逆の意味でどう見ても不健康な体形であるから,取り敢えずヨガは横に置いておき,まずは極端な偏食を止めて,健全な食生活を回復するところから始めるのがいいと私は思う.

 ところで老人というものは世の中の流行に疎いので,筋トレ女子なる言葉を知ってからようやく秋葉原にある“MAID GYM”の存在を知った.メイドさんが筋トレのインストラクターをしているのだそうだ.色々と思いつくものだと感心したが,スポーツとメイドというのはこれまでにない切り口だ.例えばメイド・カーリングはどうだ.メイド卓球場もいいかも.メイドさんが卓球の相手をしてくれるのだ.サー!とかチョレイ!も言ってくれる.あ,モエーのほうがいいか.いや,やっぱり,お帰りなさいご主人様,チョレイ!がいいな.

 ちなみに MAID GYM の料金表はここ.費用としては割と良心的だが,さてどれ程のトレーニング効果があるか,それが問題だ.

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2018年5月 9日 (水)

初めての台湾 (二)

 前回の記事《初めての台湾 (一)
 
 台湾ツアー出発の数日前に,クラブツーリズム添乗員のSさんから電話があった.旅をよろしく御一緒お願いしますという挨拶と,何か事前に訊いておきたいことはありますか?という内容だった.特に確認しておきたいことはないと答えると,では当日成田でお会いしましょうということで電話は切れた.
 Sさんは,言葉遣いも声もきちんとした印象の女性で,このツアーの少し前にやはりクラブツーリズムで白川郷ツアーに行ったのだが,そのときのダメダメ添乗員とは大違いだと思った.
 
 ツアーの当日,出発空港は成田なので,大船駅から成田エクスプレスで成田の第2ターミナルビルに行った.乗るのはキャセイパシフィックである.
 集合指定時間より少し早めに到着して出発ロビーフロアにあるクラブツーリズムのブースに行くと,若い女性社員がいて,チケットと名札などが入ったポーチを渡された.搭乗券は参加者各自で取るようで,キャセイの発券機の場所を教えてくれた.
 発券機へ行く途中で,たぶんSさんと思われる女性が,私より年配と思しき御婦人ツアー参加者のお世話をしていたので「Sさんですか?」と訊ねるとそうだと言うので,よろしくと挨拶し,それから発券機で手続きをした.
 
 クラブツーリズムのブースに戻って少しすると,参加者全員が揃った.Sさんの先導でキャセイのカウンターへ行って荷物を預け,それから手荷物検査場へ向かった.参加者各自で検査を受けたら,台湾行 CTX**** 便の搭乗口前で再集合してくださいとのことだった.
 私は出発前に買い物をするわけでもないから,再集合まで時間が余ってしまい,喉が渇いたこともあって,ドリンク売り場に行った.
 すると若い東南アジア系外国人カップルの先客がいて,何を飲むかという相談をしていた.言葉がわからないが,たぶんそういう話をいつまでも続けるのであった.
 私は次第にイライラ感がつのってきた.
 自分の飲むドリンクくらい相談せずに自分で決めればいいのにと諸兄は思われるかも知れぬが,こやつらはプラスティックのカップに入れてストローを挿したドリンクを半分飲んだら交換するに違いないのだ.
 そして二人の目を見つめ合って「うふ」「うふふ」などと微笑み合うのだ.そうとしか考えられぬ愚かな行動である.
 後ろでイライラしている私を無視して数分間の相談を終えた二人は各自の飲み物を注文した.
 店員さんはあっという間に飲み物を用意してカウンターに置き,合計の値段を二人に告げた.
 ところがこのとき,男が小銭入れの口を開けたまま床に落とした.彼らが日本滞在中に貯め込んだ大量の小銭がぶち撒かれたのである.
 二人はたぶん彼らの言葉で「うわーっ」「あらーっ」とか何とか言いながら,それでも何だか楽しそうに見つめ合いながら硬貨を拾い集め始めた.うふ.うふふ.
 だめだこりゃ (死語 by いかりや長介).ここに至って遂に私は飲み物を買うのを諦め,搭乗口前に戻ったのである.
 
 話は唐突だが,最近「エアポート投稿おじさん」とかいうのが流行しているのだそうだ.
 ネットニュース日刊 SPA!の《なぜおっさんはSNSに“空港にいる俺”の写真をアップするのか? 20代女性からブーイング》 (2018/05/02 08:55 掲載) に書いてあった.
 このエアポート投稿おじさんたちは
 
一番の特徴は、空港のラウンジや搭乗口の写真をアップして、そこに一言だけ添えていること。『しばらく旅に出ます』『東京を離れます』とか。でも、一番ムカつくのは『さて、どこに行くでしょう?』というクイズ文ポスト。誰も知りたくねーよ、とつっこんでます
 
気持ちはわからなくはないですが、こっちはそろそろうんざりしていることに気付いてほしいです。空港第2ビルに着いた瞬間に浮かれてんじゃねーよ、と言いたい
 
と若い女性たちにバカにされても SNS 投稿をやるのだというが,記事はその理由を次のように推測している.
 
さらにこうした投稿をより勢いづかせてしまうのが、空港にいる時間は圧倒的に暇であるということ。搭乗まで時間があるので、ついスマホで写真を撮影、迂闊に若者とつながっているFacebookに更新してしまうのかもしれない。
 
 なるほどねー.エアポート投稿おじさんたちは第2ターミナルビルにいるのか.だったら暇潰しにドリンク売り場に行くとよいだろう.
 なかなか出発しないが,続く.

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2018年5月 8日 (火)

ひょうずんご

 昨日の記事に,《確か二代目三遊亭歌奴 (後に三代目三遊亭圓歌) が若い頃,噺の枕に標準語を「ひょうずんご」と嘲るネタをよく使った記憶がある》と書いた.
 もう少し詳しく説明すると,東北弁で二人の男が会話している場面である.
 片方が完全に東北訛 (どの地方の方言かは私にはわからなかったが) でしゃべると,もう片方の男が,発音の抑揚をいかにも東北弁らしく「なにいってんだかわがらね ひょうずんごでしゃべれ!」と言うのである.訛っているのに自分は標準語で話していると思い込んでいるから寄席の客はどっと笑うわけである.
 歌奴のこのネタの意図は,「標準」語などともっともらしく言うが,それは書き言葉だけの話だ.会話には標準語なんてない,というところにあった.
 その点について Wikipedia【標準語】には次のように記述されている.
 
日本語の標準語・共通語の特徴は書記言語に偏重していることで、口頭言語については発音・アクセントなどの面で固定した規範が完全に成立しているとは言いがたい。》 (下線は江分利万作が付した)
 
 私の郷里である群馬県,つまり上州では,話言葉の語尾に「だんべ」をつける.
 これには県内のあちこちで色んな変種があり,前橋とか高崎あたりでは肯定の「そうです」を「そうだんべ」ときちんと w 上州標準語 ww でしゃべるが,都市部周辺では「そうだんべに」「そうだんべなに」などと訛る.www
「そう」に「だんべなに」が付着するから,余計な語尾の方が長いのだ.wwww
 上州弁に関しては,語尾について固定した規範が完全に成立しているとは言いがたい.5w
 
 かく言う私は,生まれ故郷を出てからもう五十年経った.上州弁はもはや「だんべ」しか覚えていない.あとは全部忘れた.それはちょっと残念である.

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2018年5月 7日 (月)

母子草 (十一)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
 
 前回の記事《母子草 (十) 》 
 
[二つ目の「母子草の物語」]

 戦後すぐの出版物だから紙は酸性紙に違いなく,紙が褐色にヤケてもうすぐボロボロになってしまいそうな藤澤衞彦著『日本傳承童話集 第二集 母子草』(雄鳳堂揺籃社,昭和二十四年七月三十日発行) を開くと,扉,口絵に続いて本文の最初に次のように書かれている.(ちなみに出版社名にある「揺籃」は「ゆりかご」と読む)
 
日本學士院推薦
 有栖川宮記念學術奬勵資金による『日本傳説童話の蒐集整理研究出版』事業の一
 日本傳承童話集 第二集 本州中部篇の二 母子草
 
 この書籍が『有栖川宮記念學術奬勵資金』による事業であることを明記したページに続いて,読者である子供たちに向けて書かれた前書き《こどものみなさん》が載っている.その末尾を引用する.
 
博物を科學する時代でない、むかしの日本人の自然觀を、こまかに分析してみるうえにも、傳承童話は、なおざりに出來ないものであります。
 わたくしは、日本傳説蒐集整理研究の事業
(註;「事業」には「しごと」とルビが振られている) の上に、日本學士院の推薦によって、とうとい 有栖川宮記念學術奬勵資金を 高松宮殿下から重ねて賜りました。わたくしは、このこの學術上の榮譽に、一層はげまなければなりません。 たゆまずつづけておるこの仕事のうち、これは日本のこどものみなさんによんでいただくための、標準語版の日本傳承童話第二集であります。
 これは、日本傳統の話の文化の寶物
(註;「寶物」には「とうともの」とルビが振られている) であります。みなさんもまた讀みつぎ語りついで、日本傳統のみなさんの話の文化の寶物として大事にしてください。
 昭和二十四年春
      ふじさわ もりひこ
 
 この本は,明治大学で戦前から教鞭を執った民俗学者であり,また日本児童文学者協会長でもあった藤澤衞彦教授が,日本伝説研究の学術成果を,標準語で子供向けの童話にしたものであると書かれている.
 この文章を読んだ私はもはや寝床で気楽にこの本を読むわけにはいかなくなり,起き上がって机に向かい姿勢を正した.何しろ日本の国立アカデミーである日本学士院の推薦により有栖川宮記念学術奨励資金(*脚註) を受領して行った研究成果の出版なのである.横になって読みながらうっかり眠り込んだりすると,貴重な古書が体の下敷きになって,紙が破れたり糸綴じの製本装丁がバラバラになる可能性もあり,慎重に読み進めなければいけなかったからである.
 さて本書には巻末に《父兄方へ》と題した文章と,《日本童話の二潮流について》という解説文が掲載されている.
 このいずれにも,童話集『母子草』がどのような方針に基づいて編纂されたか,重要なことが記されているので,長文引用の煩を厭わずに引用をする.
 前回の記事に書いたように,この本の著作権は今年の年頭で保護期間が終わっている.また引用にあたっては,漢字と仮名遣いは原著を尊重すべきではあるが,環境によって正しく表示されない可能性がある漢字は,止むを得ず JIS の字体を使用した.原著と別の字体を使用することを避けるには,引用の方法としてスキャンした画像を掲載すれば簡単ではあるが,原本の紙質が悪いために小さいポイントの活字が不鮮明である上に紙のヤケが酷く,画像にすると大変読みにくいため,それは断念した.
 まず《父兄方へ》から全文を引用する.
 
憧憬と敬虔の念のそぞろ湧く日本傳承童話の泉、それは、日本の歴史と共に古くこの國土に秘められ、日本民族のみに恵まれた泉である。
 そこに、わが民族精神は眞實に傳統せられ、そこに、わが民族詩情の影は、誇りかにうつる。
 思想的にも、本質的にも、わが國民性的特徴の豊かな、純日本所産の貴物
(註;「貴物」には「とうともの」とルビが振られている) である日本傳承童話の蒐集整理研究のために、私は、日本學士院の推薦により、有栖川宮記念學術奬勵資金を、高松宮殿下からいただくことになりました。感激その仕事に没頭、努力『學術上有益なる研究竝 (註;読みは「ならび」) に其の發表を補助』せらるる御志に答えねばなりませぬ。
 日本傳承童話の蒐集整理研究は、もとより、文獻と傳承とによる日本傳説と日本童話の蒐集整理研究であって、その業は容易でないが、積年かけて集大成し、完了を終生に期待する。
一、本集は、その傳承童話を、原話の形式にこだわらず、ひたすらに、直ちにこどもたちに與える讀物として、標準語表現によって發表すべく念願したものの、第二集である。
一、蒐集整理の數は、先ず、第一期約二百二十話を、こん後一箇年間に整理發表するもので、全十二巻の選集とし、「日本傳承童話の整理研究」を別巻とする。
一、發表の童話は、美しくて良い童話のみを選ぶ。美しいものはなおまた偉大であり、良いものはなおまた貴い。この美しい良い傳承童話は常に歴史的藝術を含んでいる。想像的所産と考えられる童話も、嚴密に言えばその構成要素のうちには、常にそれが以前集められた若くは傳統された知識、精神を材料としていることが認められる。このきまりの上に所産された眞の日本のこどもへの文化寶としての純日本傳承童話は、日本民族の心的動向としての特徴を、そのお話のなかにただよわす。
一、美しい、良い、正しい傳承童話は、次代への文化寶として、他の國家、他の民族の持てるものとは特異なものを含む。形態としても、日本傳承童話は、この國、この民族の上にととのえられた、特性を持つものが少なくない。
 どうぞ、この童話のもつ特徴を、こどもたちに知らしてくださるよう、願う。
         藤澤衞彦
 
 
[註]
* 有栖川宮記念學術奬勵資金
 有栖川宮 (ありすがわのみや;これをこのまま Microsoft 系の IME に入力すると「有栖川飲み屋」と変換されるが,他の宮家,例えば「たかまつのみや」などと入力した場合は固有名詞「高松宮」に変換される) は江戸時代初期から大正時代にかけて存在した宮家.世襲四宮家 (有栖川宮,伏見宮,桂宮,閑院宮) の一つであった.
 当初の宮号は高松宮であったが,第二代良仁親王は自分の皇子・幸仁親王に高松宮を継がせ,宮号を有栖川宮に改めた.
 大正二年 (1913年) に有栖川宮威仁親王 (その第一王子である栽仁王は夭逝) が薨去したため旧皇室典範の規定に基づき断絶が確定した.その後,大正十二年 (1923年) に威仁親王の母 (熾仁親王妃董子) と妃 (慰子) の両未亡人が薨去したため,翌年の慰子の一年祭をもって有栖川宮は正式に断絶となった.
 しかし大正天皇は,有栖川宮家の幕末以来の功労に鑑み,自分の第三皇子の宣仁親王に高松宮の号を与え,有栖川宮の祭祀を宣仁親王に受け継がせることとした.
 高松宮は有栖川宮の祭祀と財産を継承し,その財産を基に有栖川宮記念と冠した事業を行ったが「有栖川宮記念學術奬勵資金」はその一つ.
 民間人の名を冠した学術奨励金は数多いが,有栖川宮の学術奨励金は皇族からの下賜であるから特別なものであった.藤澤衞彦教授は「有栖川宮記念學術奬勵資金」を受領したことが余程の誇りだったと思われ,伝承説話の調査のために地方の図書館を訪問した際には,芳名帳に,有栖川宮記念學術奬勵資金に基づく訪問調査であると特に断って記している.
 
* 標準語
 明治維新後,戊辰戦争に勝利して全国統一を達成した政府は,富国強兵政策を進める上で国民の教育が不可欠であると考え,明治四年 (1871年) に文部省を設置し,明治五年 (1872年) に教育法令『学制』を発布し,国民皆学,義務教育制度の確立を目指した.
 当時,日本語を廃して英語を国語にすべしとした初代文部大臣森有礼のごとき極論もあったが,それはさておき,富国強兵策を進めるにあたっては教育における言語の規範を定める必要がある.戦争の前線で薩摩の兵と陸羽の兵とで話が通じないのでは戦争に負けること必定であるし,工場生産の効率においても事情は同じである.
 明治政府は初等教育に用いられる教科書 (読本) につき最初は,各学校は文部省に報告すればよいとしていたが,次に認可制,検定制そして国定教科書制度〈明治三十六年 (1903年)~昭和二十年 (1945年)〉に移行して国家統制を進めた.
 余談だが,明治の日本言語事情を小説と戯曲に創作したのは井上ひさしであった.現在は小説が新潮文庫『新版 國語元年』に入っている.これは政府から全国共通の言葉を作れと命じられた官僚の悲劇を描いた作品である.
 明治二十八年 (1895年),欧州留学から帰国して東京帝国大学文科大学博語学講座教授に就任した上田萬年は,日本語の標準を確立することを主張し,それを受けた形で文部省に国語調査委員会が設置されたのが明治三十五年であった.
 上述のように明治三十六年に国定科書制度が発足したが,その際に発せられた『尋常小学読本編纂趣意書』に
 
文章ハ口語ヲ多クシ用語ハ主トシテ東京ノ中流社会二行ワルルモノヲ取リカクテ国語ノ標準ヲ知ラシメ其統一ヲ図ル
 
と,国語を《主トシテ東京ノ中流社会》の言葉を標準として統一することが明記されている.
 これ以後の義務教育教科書の変遷は,大田勝司《近代日本の教科書の歩み》に譲り,先に進める.
 国家事業としての標準語は,やがて朝鮮や台湾など海外植民地で日本標準語を強制するなどの方向に突き進み,そして昭和二十年に破局を迎えたのである.
 戦後は,戦争と結びついた印象を与える「標準語」という言葉自体が行われなくなった.Wikipedia【標準語】に次の記述が見られる.
 
太平洋戦争以後は国家的営為としての標準語政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
 
国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考え》については,話は横に逸れるが,確か二代目三遊亭歌奴 (後に三代目三遊亭圓歌) が若い頃,噺の枕に標準語を「ひょうずんご」と嘲るネタをよく使った記憶がある.
 閑話休題.
 さて藤澤衞彦教授が氏の言うところの「傳承童話」を,国家主導の標準語政策が頓挫したにも関わらず時代遅れの《標準語表現によって發表すべく念願した》結果はどうであったか.
 それはこの連載記事の本文で述べることにする.
(続く)

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2018年5月 6日 (日)

愚かなり我が心

 高齢者諸兄におかれては,戦後すぐ (1949年) のアメリカ映画『愚かなり我が心』を御存じか.
 何しろ1949年は私が生まれる前年であるのだが,私が高校受験のために夜中に勉強していると,ラジオの電話リクエスト番組で主題歌がよくかけられた記憶がある.その時にもう懐メロだったのだ.
 この映画を私は未見だが,主題歌“ My Foolish Heart ”はあまりにも有名だから,色んな歌手やオーケストラがカバーしていて,それらは私のPCの音楽ファイルフォルダに幾つも入れてある.
 
 Wikipedia【愚かなり我が心】を読んでみると,
 
ヴィクター・ヤング、ネッド・ワシントン作曲、唄:マーシャ・ミアーズによる同名主題歌はジャズのスタンダードナンバーになった。
 
とある.
 ところが歌手マーシャ・ミアーズの消息がよくわからない.
 日本語版 Wikipedia には彼女の項目自体がないので,英語版 Wikipedia【Martha Mears】にあたってみると,戦前から戦後にかけてラジオ番組で活躍したらしい.映画主題歌をよく歌い,映画の中で女優が歌う場面の吹き替えもやったようで,
 
She was also the singing voice of many film actresses, notably singing for Marjorie Reynolds in the debut of "White Christmas" in the movie Holiday Inn (1942), for Rita Hayworth in Cover Girl and for two of Lucille Ball's songs in DuBarry Was a Lady (1943). Her other movie credits include dubbing the singing voices of actresses such as Claudette Colbert, Loretta Young, Hedy Lamarr, Veronica Lake, and Eva Gabor.
 
と書かれている.
 このように百科事典に掲載されている歌手でありながら,というかそういう歌手だからなのか,音源がサウンドトラックにしか残っていないらしい.
 それで,彼女の歌唱を探してみたら,YouTube《My Foolish Heart from My Foolish Heart 》が見つかった.
 この映画の場面のバックに流れているのがマーシャ・ミアーズの歌である.
 
 だが映画主題歌“ My Foolish Heart ”が大ヒットしたのはマーシャ・ミアーズのオリジナルではなく,翌年にジャズ歌手ビリー・エクスタインがカバーした録音なのだった.
 ビリー・エクスタインの歌う“ My Foolish Heart ”は,これ.いい声だなあ.上手いなあ,上手過ぎだ.
 その後,往年の名歌手トニー・ベネットナット・キング・コールがカバーして,私が中学生の時にラジオで聴いたのは彼らの歌唱だった.
 しかし元々は恋に落ちる女の歌なのだから,歌詞の“his”を“her”に変えて男性歌手がカバーするのはいかがなものかと私は思う.
 女性歌手による優れたカバーとしては,Wikipedia【愚かなり我が心】にカーメン・マクレーが挙げられている.それはこれだが,いかにもジャズっぽくて,ドスが効いていて私は好きになれない.
 この歌の歌詞の一番いいフレーズは,
 
ああ彼の唇が私の唇のすぐ近く来たわ しっかりしなさい おばかさんな私の心 (邦訳;江分利万作)
 
 というところで,恋の予感に震える女心を歌うわけだから,ドスを効かせてどうする.それならむしろ1960年代ポップス調のロビン・ウォード (英語版 Wikipedia【Robin Ward】) の歌唱が余程いいのではないか.ロビン・ウォード,懐かしくないですか,御同役.
 
 ところで日本人のカバーはどうかというと,古いところではペギー葉山,中くらいに古いところ w ではジュディ・オングがいい.
 ジュディ・オング,きれいですなあ.彼女は私と同じ昭和二十五年の生まれで,昭和三十年代のテレビドラマ『三太物語』で私はかわいらしい彼女を初めて見た.その当時の私の家にはテレビがなかったので,テレビのある御近所さんのうちに行って『三太物語』をみせてもらったのだ.この YouTube 《三太物語》の中で「あたいは花子」と言っているのが,たぶんジュディである.主題歌『俺あ三太だ』を歌っているのは天才子役といわれたが夭逝した小柳徹だ.
 話を“ My Foolish Heart ”に戻すと,若い女性ジャズシンガーのカバーも YouTube に上がっているけど,私にはちっともいいとは思えない.ジュディがいいです.
 あ,テレビの『三太物語』といえば,ひとんちに上がり込んでやたら家をほめまくる渡辺篤史が三太役で主演だったなあ.
 えーと話がまた横に逸れた.もうどうしたら元に戻せるかわからないわ.しっかりしなさい,おばかさんな私の心.終わり.
 
[追記] ジャズ演奏としては,Bill Evans の“Waltz for Debby”に入っている“ My Foolish Heart ”に止めを刺すという.“Waltz for Debby”のCDは Amazon で中古が大変安いのでお勧め.

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2018年5月 5日 (土)

糖質制限食品

 Amazon で,とある低糖質食品のレビューに糖尿病患者の人が「命がけで低糖質食品を探している」と書いていた.
 昔は糖尿病は治らぬ病気とされていたが,糖質制限食療法が普及した昨今は,本人の強い意志があれば治る病気になった.
 インシュリン注射が欠かせない重度の糖尿病であった森永卓郎さんは,ライザップの糖質制限食事指導によって現在はインシュリンを卒業している.
 私も去年の夏,一時的に糖尿病になったが,ただちに糖質制限の実行と運動療法により,二ヶ月で完治することができた.
 糖質制限ではないが,筋トレで糖尿病を治したボディビルダーがいて,その人のサイトは有名だ.誰にでもできるわけではないという欠点はあるが,ボディビルダーがやっているような強力な筋トレも,有力な糖尿病治療法だと考えられる.
 
 我が国の糖尿病患者の不幸な点は,日本糖尿病学会に所属する糖尿病専門医たちがエネルギー制限食 (カロリー制限食) を患者に指導していることである.ネット上の医師たちのブログを読む限り,私見だが,一般の内科医は糖質制限に割と柔軟な思考をするのに対して,糖質制限に反対する糖尿病専門医は頑迷である.
 糖質制限療法の推進者である山田悟北里研究所病院糖尿病センター長の著書によると,糖尿病の食事療法としてエネルギー制限を行うことに医学的根拠はないという.
 肥満傾向の患者にエネルギー制限を指導するのは何の問題もないが,その際に米や麦などのいわゆる「主食」からのエネルギー確保を重視すると,結果的に糖質中心の食事になってしまうことが大問題なのだ.糖質中心食を長期間続けると,治るものも治らなくなってしまうからである.
 もし糖尿病患者の人で,現在治療に通っている病院の医師が糖質制限療法に反対しているのであれば,そこはさっさと見切りをつけて糖質制限に積極的な医師に診てもらうのがよい.それが合併症の危険を回避するただ一つの方法である.
 
 ただ,糖尿病の治療は医師と患者の二人三脚で行う必要があるのだが,医師の多くは実際の低糖質食品に詳しいわけではないということが問題点である.そこはやはり患者が自分で勉強しなければいけない.
 勉強しないと,食品メーカーの宣伝に騙されて病気を悪化させてしまうこともある.
 パッケージに「糖質オフ」とデカデカと謳っているが,よく調べると「当社比」だったりするトンデモな高糖質食品もある.
 確かに低糖質なので Amazon で箱買いしたが,まずくて食えない代物だったという実例もレビューに散見される.
 そこで,糖質制限を行いたいとする人たちに対して,不定期ではあるが,私が実際に食べたり飲んだりしてみて「これは推薦できる」と考える食品を紹介する.
 
 まず最初は「糖質ゼロ」を標榜する「アサヒ スタイルフリー<生>」と「クリアアサヒ 贅沢ゼロ」の二つ.
 なんだよ最初から酒か.
 そうなのである.血糖値コントロールにせよ,糖質制限ダイエットにせよ,強い決意でビールとお別れしなければいけないのだが,これが酒飲みには強いストレスとなるのである.
 そこでビール風味の酒を探しまくる (依存だ w) わけだが,私の意見では,上に挙げた二種がもっともビールに近い風味である.特に「アサヒ スタイルフリー<生>」は,ちょっと高いが,筋トレやって汗をかいたあとになどに飲むと,ビールに劣らぬ爽快感を味わえる.
「アサヒ スタイルフリー<生>」は発泡酒だが「クリアアサヒ 贅沢ゼロ」はリキュール (発泡性) だ.この二つの中で,よりビール感のあるのは無論「アサヒ スタイルフリー<生>」である.
 またどちらも「糖質ゼロ」は食品成分表示上の「ゼロ」だから実際には少量の糖質を含んでいる.トレーニングの後で飲んでもいいし晩酌でもいいけれど,一日に飲む量は 500ml 缶一本に抑えると,糖質制限がやり易い.
 原材料と成分表示はリンク先のメーカーページを御覧頂きたい.
(続くかも)

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2018年5月 4日 (金)

体幹ウォーク

 厚労省の国民生活基礎調査 (平成28年調査結果の p.18) によると,日本人の十人に一人程が腰痛の自覚症状を訴えている.高齢者のみに関する資料は知らないが,もっとこの割合が高いと想像される.
 五木寛之『健康という病』(幻冬舎新書,2017年12月25日第一刷) を買ってきて読んだら,その中の一節「腰痛が教えてくれたこと」に,五木寛之も長年にわたって腰痛に悩まされてきたとあった.
 腰痛持ちは誰でも (かつての私も) 歩き方や寝る時の姿勢とかを色々と変えてみて,苦痛が少しでも軽減するように工夫する.五木寛之は,腰痛は老化の一種だから治らないとした上で,痛みを和らげる工夫を次のように書いている.
 
そうして発見した腰が楽な歩き方が、能役者のような足の運びである。
 
しかし、しばらく歩いているうちに、脚や足の裏よりも大事なのは、やはり腰だということに気がついた。どんなふうに歩こうと、やはり腰が定まっていなければ痛みはとれない。
 腰をすえて、能役者ふうに歩く。腰をすえるというのが、最後の決め手であると納得する。
 ではしっかり腰をすえるにはどうすればよいか。
 腰をすえるというのは、腰を「落とす」ということではない。むしろ、腰を「入れる」という感じで、体全体の重心をそこに集中するのである。そのためには、軽く吸い込んだ息を下腹部に押し込むような感覚で、下腹部に力をためこみ、ヘソ下三寸 (指の幅3本分のところ) にグッと気合を入れる。
 下腹部に体の重心を置くというのは、インドや古代中国で紀元前からすでにいわれていることである。養生法としてはもちろん、座禅や武術、茶道から芸能の世界まで、腰をすえる技術が追及されてきた。
 その技法は、やがて一つの思想、哲学にまで発展していく。
 
下腹部のヘソ下三寸は、「臍下丹田」と呼ばれている。……ここから下腹部に意識を集中して行う呼吸が、腹式呼吸、丹田呼吸である。
 
 上の引用箇所に《体全体の重心をそこに集中する》とか《下腹部に体の重心を置く》とあるのは文学的表現であって,物理学的な重心のことを言っているのではない.丹田に意識を集中することを言っているのだ.
 丹田に意識を集中するとはどういうことか.それについて以下に述べる.
 
 この記事の冒頭に「かつての私」と書いたのは,現在の私には腰痛がないからである.昨年の夏以前は,時折,一歩も歩けなくなるくらいの激しい腰痛があったのに,まるで嘘のように治ってしまったのである.
 五十歳を過ぎた頃だったか,私は腰痛に悩まされるようになった.やがて間欠性跛行の症状が現れて仕事に支障をきたすようになり,これは何とかしなければと,藤沢で名医の評判が高い春○整形外科医院で診てもらった.
 すると○日整形外科の院長は,低周波だか高周波だかよくわからない電気治療と,腰を引っ張る牽引の物理療法をやりましょうと言った.
 その日から春○整形外科医院に一日おきに通って半年間の治療をしたが,全く効果はなく,むしろ悪化していくように思われたので,ある日,○日院長に効果がない旨を言うと,春○院長は平然と「では別の病院へ紹介状を書きましょう」と言った.治療を放棄するというのだ.
 春○院長は名医どころかヘッポコ医者だったのだ.口コミを信じた私が阿呆だったのである.
 それ以来,腰をかばうようにして生きてきたのだが,ある日,唐突に治ってしまったのである.
 さて何をどのようにしたら治ったか.
 何を隠しましょう,ウォーキングである.
 ただし,ここで言うウォーキングは例のスローガン「健康のために一日に一万歩を歩きましょう」とかいう普通の歩き方ではない.真冬の明け方でも汗をかくほどの有酸素運動,トレーニングとしての長距離ウォーキングである.
 ウォーキングを始めたきっかけは昨夏,糖尿病の症状が自覚されたことだが,それは別の機会に書くとして,何事についても先ず勉強してから始める私は,書店でウォーキング関係の書籍を立ち読みし,金哲彦『「体幹」ウォーキング』がよさそうだと結論した.
 しかしレジには行かずに,帰宅して Amazon で古本を買った.書店の棚に新品があるのにわざわざ古書にしたのは,半額以下だっ 地球環境の保全に資するためである.うそ.
 『「体幹」ウォーキング』に決めたのは,金哲彦氏は昔からの箱根駅伝ファンならその名を知らぬ者なしの強いランナーだったから,内容はたぶん実践的で信用できると思ったのである.
 で,読んでみると,全体的には大変わかりやすい内容なのだが,p.38 に書かれている《STEP 3 重心を低くして軸を安定させる秘訣/丹田に重心を置く》が理解しにくかった.
 上に引用した五木寛之の文章と同じで,金哲彦氏も《丹田を意識する》と書いていて,実践的というより文学的なのであった.ww
 だが書かれていることを読んでいても仕方ないので,とにかくやってみようとウォーキングを始めて見た.
 丹田を意識するとはどういうことなのか,ああでもないこうでもないと歩いているうちに,気が付いたら何キロも休みなく歩いていた.そしてこの日を境に私の腰痛は治ったのである.
 
 以前,NHKスペシャルだったかで放送していたが,日本人の腰痛の大部分は原因不明なのだそうである.原因不明,つまり椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄,その他の障害もないのに強い痛みを感じる腰痛は,実は幻であるという.これはどうやら脳科学分野のテーマであるらしい.
 私の腰痛が治ったのは,金哲彦流体幹ウォークで腸腰筋などの体幹筋肉群における左右の歪が矯正されたか,あるいは体幹筋肉の不要な緊張が解けたのか,はたまた糖尿病完治のために体幹ウォークに取り組むという強い決意が幻の痛覚を追い払ったのか,私にはわからない.
 しかし治ったのは確かであり,もし諸兄が原因不明の腰痛にお悩みなら,丹田を意識するウォーキングが有力な運動療法であると私は考える.お試しあれ.

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2018年5月 3日 (木)

母子草 (十)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
 
 前回の記事《母子草 (九) 》 
 
[剽窃者たち]

 昨日ようやく,藤澤衞彦著『日本傳承童話集 第二集 母子草』(雄鳳堂揺籃社,昭和二十四年七月三十日発行) が古書店から届いた.
 この書籍は,図書館で一通りの閲覧をするだけではなく,少し時間をかけて調べたいことがあったので,古書を探して手に入れたのである.
 というのは,ハハコグサの名の謂れについての近江民話,すなわち民話研究者である故中島千恵子氏が採話し,『母子草』と名付けて再話した昔話の原話から,民俗学者である故藤澤衞彦氏が一篇の童話『母子草』を創作したのであるが,それが『日本傳承童話集 第二集 母子草』に収められているのである.
「少し時間をかけて調べたいことがあった」とはどんなことかというと,実は盗作問題である.私がハハコグサの名の謂れについて調査を進め,『日本傳承童話集 第二集 母子草』に辿り着く過程で,童話『母子草』が剽窃者たちの餌食になっていたことを発見したのだ.
 後述するが,簡単に記すと,藤澤衞彦作の童話『母子草』は,著作権法の保護期間であるにも関わらず,まず最初に児童文学作家・清水たみ子 (Wikipedia【清水たみ子】によれば,北原白秋の門下であるらしい) によって盗作された.清水は『母子草』を童話集に自分の作品として発表したのである.
 続いて清水たみ子の同業者,というかこの女との共著がある作家仲間の奈街三郎 (Wikipedia【奈街三郎】によれば小川未明の門下であるという) が,同じ手口で盗作した.類は友を,とはこのこと.
 そしてグーテンベルク21という出版社が,藤澤衞彦氏が1953年 (昭和二十八年) に出版した『日本伝承民俗童話全集』(この全集の「中部編」に童話『母子草』が収録されている) のタイトルを『日本の民話』と勝手に改変して,2010年に海賊出版したのである.
 
 藤澤衞彦氏は1967年 (昭和四十二年) 5月7日に亡くなった.氏の著作権の保護期間は1968年元日を起点として五十年間であるから,奇しくも今年の元日に著作権が切れている.奈街三郎は既に死んでいるが,清水たみ子はまだ生きているから,この児童文学作家の風上に置けぬ恥知らずな泥棒女は,まんまと逃げきったことになる.
 盗作された藤澤衞彦氏の作品は著作権が切れたが,清水たみ子の盗作品は清水が死んでから五十年間保護され,権利を相続した者に経済的利益をもたらすのである.そんなことが許されるのかと憤りを感じるが,それが著作権法の仕組みであるから致し方ない.ただし法的なことは致し方ないとしても,清水と奈街の盗作は道義上の問題として指弾されねばならぬだろう.
  藤澤衞彦氏の著作権が切れた今年になって,ユウタパパさんが十一年前の waiwai さんのブログ記事を発掘したのは,何かの奇縁であるように思われる.天網恢恢,疎にして漏らさず,である.
 グーテンベルク21による海賊出版は,現在も Kindle 版が Amazon で販売されているのであるが,中身の作品の著作権は,著者が既に亡くなっているから親告罪である著作権法の違反に問われることはない.しかし表紙絵は,もしかすると画家が存命かも知れない.その場合は表紙絵の権利に関して著作権法違反に問えるかも知れない.
 そこで私はグーテンベルク21にメールを出して探りを入れたのだが,返事は来なかった.こいつは故意犯であると私は確信した.
 
 ともあれ,私がハハコグサの名の謂れについて調べ始めたのは waiwai さんの幼い頃の記憶がきっかけであるが,それはもうすぐ出典を明らかにできるだろう.
 この連載では,清水たみ子と奈街三郎の盗作について述べることを含めて,waiwai さんの記憶の件を片づけたのちに,それから派生して未解決であるユウタパパさんの疑問 (三つ目の「母子草の物語」はどこに?) の解決に迫りたいと思う.
 次回は藤澤衞彦氏の童話『母子草』について述べる.
(続く)

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2018年5月 2日 (水)

大臣のテーラー

 私の早朝ウォーキングコースは,自宅から江ノ島までである.
 江ノ島からの復路を,藤沢駅の方向に歩いて行くと左側にデニーズがある.朝六時過ぎにここで朝食を摂るのがいつものパターンである.
 ドアを開けて中に入ると,ウェイトレスさんが「いつものでいい?」と訊くから,私は頷いて,いつもの席に着く.
 いつもの朝食とは,サニーサイドアップ二つにソーセージとベーコンと付け合わせのサラダが載ったワンプレート,石窯ブールパン (これはそこら辺のパン屋のブールよりおいしい;ファミレスとは思えない),それにドリンクバーである.これを飽きもせず食べ続けている.卵とソーセージとカリカリのベーコン,それにサラダとパンとコーヒーを,英国人は十八世紀頃から延々と毎朝食べ続けてきた.それに比べれば私なんかまだ新参者だ.
 
 さてデニーズで先日の朝,私のテーブルの隣に,男女の二人連れがやってきた.
 男は私と同年配で,女性は五十代だろうか,もう少し若い感じであった.
 彼らの会話が聞くともなく耳に届くのだが,服装の話をしている.
 女性が言うには,最近,ブルックスブラザーズの通販で服を買ったとのこと.ブルックスブラザーズなら失敗 (着てみたら似合わなかったということだろう) しても大したことはないからだという.私は女性服に疎いので,あとでブルックスブラザーズのサイトを覗いてみたら,確かにお手頃な値段の服が並んでいた.
 それに対して男が言うには,彼のスーツは英国屋で仕立てたものばかりで,以前かなりの収入があったときに作っておいたのだという.
 その朝の彼はジャケパン・スタイルだったが,「このジャケットも英国屋だよ.もう何度も,傷んだら修理して着ているんだ.服は一生ものだからね」と言った.
 女性は彼の意見に一応は同意したが,「でもね」と続けて,女の服は,はやりすたりがあるから,高いのはコスパが悪いのよ,と言った.
 
 男の意見は至極もっともだと私も思う.しかし私は若いときから服装に関心がなかったので,いつも吊るしの五万円くらいのビジネススーツを着つぶして済ませてきた.そしてもうスーツを着なくなった今になって振り返ると,私にはそれで充分だったと思う.
 
 最近,麻生大臣のスーツが三十五万円だとテレビの娯楽番組で話題になった.これを取り上げたメディアが麻生大臣のテーラーにインタビューしたところ,大臣はシーズンごとに来店して数着をオーダーするのだそうである.
 通常は,良い生地のフルオーダースーツは最低でも五十万はするから,麻生大臣が青年時代から服を仕立ててきたというそのテーラーは,もはや商売抜きにスーツの世話をしているのだろう.
 それにしてもフルオーダースーツが一着三十五万円は安い.安いけれど,麻生大臣クラスの人物になると,数回袖を通したら周囲の者にお下げ渡しになられるのではないか.「服は一生もの」だとはしていないところが,大臣と私の意外な共通点である.おい.
 
 私は定年退職したとき,安物のビジネススーツを全部捨てた.夏用と冬用のブラックフォーマルだけは残したが,結婚披露宴にはもう行かないから葬式専用である.
 だがしかし,最近になって思ったのだが,葬式の前に病院があるじゃないかと.
 瀕死の知人の枕元に駆け付けるのに,ジーンズと秋葉系ネルシャツはちょっとまずいんじゃないか.
 というわけで臨終見舞い用のダークスーツを買おうと思うのだが,そういう義理のある知人はそれほどいない.従ってあと数回袖を通すだけだろうから,高いものは要らない.洋服の青山にしようかユニクロオンラインにしようか迷っている.こらこら.
 
 ちなみに,下半身が緩すぎて人間のクズだと蔑まれている島耕作のスーツは百万円らしい.漫画とはいえ絵空事は描けないだろうから,たぶん作者の弘兼憲史がそのクラスのスーツを着ているのだろう.麻生大臣のスーツの三倍だ.
 で,弘兼の考えによれば,人間のクズでも百万円のスーツを着ればなんとかなるということだ.なるほどね.あ,クズは島耕作のことね.弘兼憲史じゃなくて.(*註)

(*) 人間のクズをヒーローとして描いて恥じない団塊世代の弘兼憲史は,若い人たちから団塊世代が「食い逃げ世代」と揶揄される原因の一つであったと私は考えている.

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2018年5月 1日 (火)

母子草 (九)

【この連載のバックナンバーは,左サイドバーにある[ カテゴリー ]中の『続・晴耕雨読』にあります】
 
 前回記事《母子草 (八) 》の末尾を再掲する.
次回は中島版『母子草』の要約を示す.
 
 以下に,箇条書きの形で,『ひともっこ山 湖の国にむかしむかし』に収録された中島千恵子版『母子草』の粗筋を示す.地の文は共通語で,会話は近江弁で書かれているところが中島千恵子版『母子草』の特徴である.他の著者たちによって書かれたハハコグサにまつわる民話は,地の文も会話も共通語である.
 
・昔,琵琶湖畔に貧しい母娘が住んでいた.十歳を過ぎたばかりの娘の名は,みよといった.
・母は病気がちで働くことができなかったので,幼いみよが,死んだ父親の仲間だった漁師たちから魚や貝を分けてもらい,それを売って生計を立てていた.
・やがて母は失明するかも知れない重い眼病を患った.
・みよは,何とかして母の眼を治してあげたいと思ったが,薬を買うにはお金が要る.
・そこへ近所の人が,みよに,琵琶湖の対岸の町で奉公の口があると教えてくれた.給金を前払いしてもいいという.
・みよは,母と別れるのはつらいが,母の眼を治すために辛抱して働きにでることにした.
・ところが奉公先の主人は,みよを情け容赦なく使ったので,みよは毎日辛い仕事に耐えなければならなかった.
・みよは,泣き出したいくらい悲しくなったときは,琵琶湖の浜辺に行って母のことを思った.浜からは観音堂が見えたので,いつも観音様に母の眼が治りますようにと拝んだのだった.
・その母は,みよが残してくれた給金の前払いで医者に診てもらったが,もう手遅れであった.母は杖を頼りに琵琶湖の岸辺に行き,次第に見えなくなる目に涙をためながら,観音様にみよの無事を祈った.
・ある日,水汲みの仕事に疲れ果てたみよは,怠けるなと主人に強く叱責された.みよはとうとう辛抱しきれなくなり,琵琶湖の畔にやってきて,おっかさんが恋しいと泣いた.
・すると不思議なことに,みよの涙が水の上に浮かんで,おっかさん恋しいという文字になった.その向こうに観音様が現れ,みよを手招きした.みよが観音様に近寄ると水上に書かれた文字の上に立つことができた.すると水に浮かんだ文字は,みよを乗せてするすると故郷の村に向かった.
・村の岸辺に着いたみよが観音様に礼を言おうとすると,もう観音様の姿は消えていた.
・みよが懐かしい我が家に帰ろうと歩き出すと,湖から家の方向に,見たこともない黄色い花がずっと咲いているのに気が付いた.
 
 ここまでは,中島版『母子草』と他の著者による『母子草』の大筋は一致 (少女を故郷に帰すのが,中島版は観音様であるが,他の著者たちは弁天様にしている点が異なる.この点は後で詳しく述べる) しているが,他の著者の『母子草』が,特にクライマックスもなく母娘が再会して平板なハッピーエンドで終わってしまうのに対して,中島版はここで悲劇の方向に急展開する.
 
・母に会えると胸をわくわくさせながら,みよが家に着いてみると,家の中はひっそりとしていた.近所の人がやってきて,みよに,母は十日ほど前に亡くなったと告げた.
・あまりのことに,みよは狂ったように泣いた.
 
 以下,中島千恵子氏の文体を紹介したいと思うので,物語の結末を直接引用する.
 
「おっかさん、なんで生きていてくれなんだんや。どんなつらいときでも、おっかさんのためやと思うて、しんぼうして働いてきたのに……、そのおっかさんに会えんなんて……、そんなひどいこと……」
 力を落として、なきつづけるみよに、となりのおじいさんは
「みよ、おまえのきもちは、ようわかるけど、もうどうしようもないのや……それより、みよ、見てみ。おまえのおっかさんのなみだがこぼれて、ほれ、こんなきれいな草がはえたんや……。きれいな花やろ、おまえのおっかさんに、ようにてるやないか……なあ、みよ、おっかさんが咲かせた花だよ」
と、なぐさめました。

 いまでも、春になると、びわ湖のほとりに、わた毛をつけた黄色い花が咲いています。かわいそうなおっかさんのなみだと、やさしいむすめの心とによって咲いたこの花を、村の人たちは、母子草とよんでいます。
          (大津市堅田の話・再話 中島)
 
 母の死に目に会えなかった哀れな少女のために,琵琶湖の観音様は,母の涙を黄色い花に変えた.そして天涯に一人となった少女は,春になると咲くこの花を母の思い出として心の支えにしたのである.
 この中島版『母子草』は,昔話の域を超えて,少年少女向けの小説の水準に達している.これは児童文学である.また,数百年にわたって物語を語り伝え続け,ここまでブラッシュアップした近江の人々の感性に感嘆せざるを得ない.
(続く)

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