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2018年4月23日 (月)

花をのみ待つらん人に

 昨日はクラブツーリズムの『定期講座「国宝」第二回』(@一ツ橋センタービル)を聴講してきた.講師は美術史家の橋本麻里さん.私はこのセミナーの準備回 (第ゼロ回) から聴講している.第二回のタイトルは「京都 王朝文化の輝き~平等院と三十三間堂~」だった.
 このセミナーは教養講座だから,大学の講義のようにノートをとる必要もないわけだが,それでも「ほお!」と思ったことはいつもメモしている.
 昨日の講義でメモしてきたことの一つは,「時代の美意識の変化は,まず文芸 (和歌) に現れ,その後に絵画や彫刻などの造形芸術に波及する」である.
 その一例として橋本さんは日本の中世を取り上げ,源平の興亡から鎌倉幕府の成立,そして承久の乱 (1221年) のあと,後鳥羽上皇が隠岐に配流された時期の仏教美術を解説した.
 
 1164年に後白河上皇は平清盛に命じて蓮華王院本堂を建立させた.
 蓮華王院本堂は通称三十三間堂.本尊は木造千手観音坐像 (湛慶作) で,これは国宝であるが,本堂内に林立するように配置された千一躯の木造千手観音立像が圧巻である.この立像群はこれまで重要文化財であったが,大規模な修復が完了し,今年2018年3月9日に文化庁文化審議会により国宝にすることが答申され,近くに国宝になる予定である.(参照;Wikipedia【三十三間堂】)
 本堂内にはその他に,やはり国宝の木造風神・雷神像と木造二十八部衆立像があるし,特に修復成った千手観音像群について,橋本さんは「修学旅行で行っただけならぜひもう一度行ってみてください.驚きますよ」と言った.
 
 橋本講師によると,この時代の仏教芸術の特徴は,この三十三間堂に観てとれる「大量造仏,過差美麗の空間」ということである.「過差」は民俗用語で,不相応な贅沢ということ.「過差美麗」(「美麗過差」とも) は王朝文化についてよく用いられる表現で,洗練された趣向を奇抜なまでに凝らしたという程の意味か.
 しかし造形芸術は過差美麗であったが,この時代に詠まれた和歌には,次時代の美意識の萌芽が出てきている.というのが橋本麻里さんの講義のテーマであった.
 この時代の代表的な歌人として挙げられるのは『新古今和歌集』の撰者の一人,藤原家隆である.家隆の和歌で特に有名なのは次の一首だろう.
 
花をのみ待つらん人に 山里の雪間の草の春を見せばや
(壬二集,六百番歌合,新古今和歌集)
 
 これは千利休が茶の湯の精神とした歌として知られる.つまり過差美麗な仏教美術が盛んな時代に,既に和歌の世界には「侘」の精神が現れていたということである.私は大いに納得した.
 
 さて昨夜,焼酎の炭酸割をちびちびと舐めながら (これは言葉の綾で,事実はぐいぐいと飲みながら),橋本麻里さんのお話を反芻しつつ,中世和歌の美意識について復習していたら,ネットに池坊短期大学の授業概要を見つけた.小倉嘉夫という先生の「日本文化論」と題した授業である.
 その「授業概要」に次のように書かれている.
 
日本の文化史において、和歌文学の存在は見逃すことのできないものである。特に、平安時代の『古今和歌集』や『伊勢物語』、鎌倉時代の『新古今和歌集』などの作品は、後世の文学作品のみならず絵画や工芸、染織など、広く芸術一般に著しい影響を与えた。そしてその「こころ」は、茶・花・香道といった芸道にも反映されて今日に至っている。例えば、六角堂の華道家元に、室町期に製作された『花王以来の花伝書』が伝えられている。花形図に相伝内容を込めて伝授する形式の伝書としては現存最古のものであるが、花形のかたわらに『古今和歌集』等に所収の歌が添えられているのである。花の生け方に古歌が引用されるのは注目すべき事実であり、いけばなと和歌文学の一体化をここに見ることができるのである。また、藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」や藤原家隆の「花をのみ待つらん人に春日野の雪間の草の春を見せばや」の歌が、後に茶の湯の極意とされたことなどは周知のことであろう。和歌文学が、我々日本人の感情や美意識、ひいては日本文化の源流の一つとなっているといっても過言ではない。この授業では、様々な分野から、日本文化一般に与えた和歌文学の影響を考察し、その浸透が現代の我々とは決して無縁ではないことを確認したい。
 
20180423a_ikenobou

(上記文章中のリンクが切れた場合に備えて,2018年4月23日9:45 にPC画面のハードコピーを取り,トリミングした)

 上に引用した文章の中で小倉嘉夫先生は《藤原家隆の「花をのみ待つらん人に春日野の雪間の草の春を見せばや」の歌》とお書きになっている.
 だが一般的には,利休が茶の湯の精神とした歌は「花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや」とされている.
 はてと私は考え込んだ.
 家隆が生涯に詠んだ歌は六万首といわれるから,その中には,わずかな違いのある同工異曲の和歌があるのだろうか.
 そこで小倉嘉夫先生が言うところの「花をのみ待つらん人に春日野の雪間の草の春を見せばや」を検索してみたが,私の非力な検索力では見つけることができなかった.
 自分の非力を省みずに断言するが,ネット上のコンテンツにおいては,すべて「山里の雪間の草の春」であると考える.「春日野の雪間の草の春」は,ない.
 さてどうしよう.茶道各流派の公式サイト (表千家裏千家) も家隆の歌は「山里の雪間」としているのだ.しかし,小倉嘉夫先生は大学の先生である.きっと私の知らない,そして茶道の家元も利休本人もあっと驚く根拠があって「春日野の雪間」としたに違いない.
 
 だがしかし,小倉嘉夫先生の授業を聴講した学生たちは,家隆の和歌を「花をのみ待つらん人に春日野の雪間の草の春を見せばや」だと信じて社会に出て行くのだ.なのに,それ違うよ,と茶道を習っている友達に言われたりしたら,いかほどショックを受けるか.小倉嘉夫先生,授業では普通の説を説かれたほうがいいのではないでしょうか.
 
 ちなみに,池坊短期大学 (京都府京都市下京区) は学校法人池坊学園により1952年に設置された私立短期大学である.あの大横綱貴乃花親方を土俵外で完膚無きまでに叩きのめした ドスコイ 剛腕池坊保子 親方 氏は池坊学園の元代表者だとのことである.全然ちなんでないですか.そうですね.

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