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2018年4月22日 (日)

鉄の雨に打たれて (補遺)

さとうきび畑』(作詞・作曲:寺島尚彦) が世に出たのは沖縄返還の五年前,昭和四十二年 (1967年) のことだった.
 最初のレコーディングは翌々年,「70年安保」の前年に森山良子によってなされたが,『さとうきび畑』についての私の当時の記憶はやはり沖縄返還運動と結びついている.デモのある日に清水谷公園 (Wikipedia【清水谷公園】に《かつてはデモ集会の場としても知られた》とある.遠い昔の話だ) に行くと,ギターを持ってきた無党派の参加者グループが歌っていたりしたものだ.
 後に森山良子御本人が,わたしが反戦歌を歌っていいのか内心忸怩たるものがあった旨の述懐をなさったが,しかし当時の彼女はジョーン・バエズに喩えられるくらいの反戦・非戦のアイコンだったのである.
 ある楽曲のオリジナルが誰で,カバーをしたのは誰々だなんてことに大した意味はないが,しかし《沖縄 さとうきび畑 ちあきなおみ》に,discovery と名乗る間抜けな厨坊が《この人の歌は心の奥底から訴えるものがある。凄い。森山良子がただのアホに見える。よくも恥ずかしげも無くカバーしたな》と森山良子を罵倒しているのを目にすると,君は馬鹿者だから知らないだろうがオリジナルは森山良子なのだよと諭したくなる.『さとうきび畑』と沖縄本土復帰の時代を象徴したのは,ちあきなおみ ではなく森山良子だったのだと.(discovery が馬鹿者である理由;「よくも恥ずかしげも無くカバーしたな」と「よく恥ずかしげも無くカバーしたな」とでは意味が異なる.前者は恫喝であり,後者は詠嘆である.相手のいないところで恫喝してどうする.w 日本語もちゃんと書けぬのにネットに投稿するではない)
 
 ちあきなおみ によるカバーは,沖縄の本土復帰後,「70年安保」も遠く過ぎ去りつつあった昭和五十年 (1975年) に NHK の『みんなのうた』のために行われ,放送時間制限のため十一連まである『さとうきび畑』のうちの三コーラスだけだったが,しかし彼女の稀有な才能は,若い世代が『さとうきび畑』のオリジナルは ちあき だと誤解するほどのものであった.(余談だが,水原弘のヒット曲『黄昏のビギン』と小畑実による昭和歌謡の名曲『星影の小径』も,ちあきなおみ の持ち歌だと思っている若い人は多い)
 若い人たちだけではなかった.安野光雅にも ちあき の歌唱が印象的だったのであろう,昨日の記事《鉄の雨に打たれて》において『皇后美智子さまのうた』から引用した部分に《(「さとうきび畑」作詞・作曲=寺島尚彦、歌=ちあきなおみ、森山良子) 》とあるように,歌手としてまず ちあきなおみ を挙げている.
 
 個人的な意見を書くと,『さとうきび畑』という歌は,誰よりもまず森山良子の歌唱で,しかもフルコーラス,いわゆる完全盤で聴かれるべきだろう.そして次に ちあきなおみ を推す人が多かろうが,私は夏川りみの歌唱が良いと思う.『さとうきび畑』が入っている彼女のCD『空の風景』は中古品がほとんど送料だけで買える.夏川りみは沖縄戦はもちろん本土復帰も体験していない (本土復帰の翌年の生まれである) のだが,陳腐な言い方をすれば「沖縄人の血」が彼女の歌を胸打つものにしている.(沖縄で生まれたら沖縄人になるわけではない.今井絵理子を見よ w)

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