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2018年4月17日 (火)

母子草 (二)

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  前回の記事は《母子草 (一)
 
 植物の名前を文章中に書く時は,一般的に片仮名を用いる.ほとんどの植物名が成立したのは大昔のことだから,植物名を漢字で書く場合は正字 (旧字) を使用せざるを得ない.しかし正字で書くと読者は読めない場合が生じるので,片仮名で書くのが普通だ.(ちなみに,漢字表記をせずに片仮名を「カタカナ」,平仮名を「ひらがな」と書き分ける人がいるが,小賢しい工夫だと思う)
 
 さてハハコグサの場合は,漢字で母子草と表記することもよく行われている.これについて書かれたウェブコンテンツを検索すると,《この花なんだ【ハハコグサ】 》がヒットする.このブログ記事は調査が行き届いており,断片的なことしか記載されていない他のサイトを読む必要はなく,このブログ記事だけでハハコグサの名の謂れがよく理解できる.
 国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構の公式サイトに記載されているウェブコンテンツ《ハハコグサ (キク科) 》には
 
牧野富太郎博士によれば,茎の白毛が”ほおけ立って”いるので,「ハハケル」と呼ばれ,母子の字が充てられたとされました。また,古名ゴギョウ (御形) とは,平安時代の史徳天皇の祖母と父が相次いで亡くなったとき,不思議と野辺にハハコグサの姿がなかったとの故事によります
 
との記述がある.しかし文徳天皇を史徳天皇と誤記しているところを見ると,この資料の筆者は,どこかから誤情報をコピペしたに相違なく,従ってこの種の資料は信用に値しない.史徳天皇って誰だよ w
 おまけに《平安時代の史徳天皇の祖母と父が相次いで亡くなったとき,不思議と野辺にハハコグサの姿がなかったとの故事によります》としているが,これも意味不明な大嘘.御形は人形であるということを知らぬとみえる.平安時代の史徳 (w) 天皇の祖母と父が相次いで亡くなったとき,不思議と野辺にハハコグサの姿がなかった》ことがどうしてハハコグサを人形に見立てることに結びつくのか.馬鹿じゃないのか.
 そもそも植物名の語源に関して,植物学者である牧野富太郎博士を引っ張り出すところからして馬鹿であるが.w
 
この花なんだ【ハハコグサ】 》の記述は,本筋論の考察としてはそれでいいと思われるが,しかし waiwai さんの記憶にある母子草にまつわる物語に《この花なんだ【ハハコグサ】 》は全く触れていない.私が知りたいのは,母子草にまつわる物語の方なのである.
 ウェブ検索は難渋したが,waiwai さんの記憶が昭和三十年代に見た紙芝居によるものかも知れないことから,母子草と紙芝居の関係を検索したら手掛かりがあった.
 滋賀県で手作り紙芝居活動をされている「げんごろう」さんの作品一覧に母子草が登場するのである.
(続く)

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