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2018年4月 9日 (月)

白川郷と雪中立往生の旅 (二)

 前回の記事は《白川郷と雪中立往生の旅 (一)
 クラブツーリズムの一人参加限定ツアー「ひとり旅」に参加する爺さん婆さんは,性格が悪いから一緒に旅行するような友達がいないのだろう,などと言う人がいる.だが,そんなことはないんじゃないか.その証拠に,私の性格は大変に良い.また,これまで私が参加した「ひとり旅」の参加者はみんな明るい感じのいい人たちだった.
 何年か前に,会社で同期だった連中と旅行した際に,ツインルームに同室になった奴がとんでもない爆音鼾男で,私は一睡もできなかった.私はそれ以来,相部屋の旅行は絶対に行かないと決めた.
 その轟音鼾男は自分の鼾がどれほど酷いものか自覚していない (自分の鼾で目が覚めないというのが信じられない) ようだったが,逆に自覚している人は会社の親睦会などの団体旅行には参加を躊躇せざるを得ない.私が会社で研究所長をしていた頃,社員旅行の際に幹事が「いびき部屋」を企画し,鼾をかく数人の社員を一部屋に集めたことがあった.しかしこれが裏目というか,ものすごいことになって,隣の部屋の者も眠れなかった.
 鼾をかく人でも,ツアーには一人部屋追加料金を払えば参加できるが,しかし自分以外のツアーメンバー全員がグループ参加だったりすると,ちょっと疎外感を味わうことになる.そんな事情があったりする場合は,一人参加限定ツアーはとてもありがたいだろう.「ひとり旅」に人気があるのは,こんなことも小さな一つの要因かも知れない.
 
 さて,ツアー『世界遺産・五箇山の合掌造りで郷土料理の昼食 白銀の世界遺産「白川郷ライトアップ」2日間』の二日目である.
 前夜は白川郷からバスで富山市に移動して一泊した.
 二日目の観光の目的地は,白川郷と共に世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」である五箇山だが,その前に富山市内にある「池田屋安兵衛商店」に立ち寄った.和漢薬の販売店である.
 私が小学校低学年の頃,つまり昭和の中頃までは一般家庭には「置き薬」の箱があった.この箱の中に入っていた内服薬や外用薬など各種家庭薬を堅苦しい言葉では「配置薬」と言った.一種の救急箱のようなものであるが,家庭の持ち物ではなく,配置薬を販売する業者 (医薬品医療機器等法第25条第2号,第30条~第33条に規定されている無店舗販売業者である) のものであった.
 家庭用医薬品の歴史は,古く室町時代に遡る.堺の商人であった万代掃部助 (もずかもんのすけ) が唐人から「反魂丹」の処方を学び家伝薬としたのが始まりとされる.
 万代家はやがて備前に移り住み,反魂丹を広めた.伝承によれば,富山十万石の二代目藩主前田正甫公がある日腹痛を起こしたが,正甫公はこの時,備前の反魂丹を服用して快癒した.そこで公は天和三年 (1683年) に備前から万代家十一代目万代常閑を越中に招聘し,常閑から反魂丹の処方を学び,これを基に独自に調合した越中反魂丹を常時携帯したという.
 Wikipedia【富山の売薬】には次のように記述されている.
 
17世紀終期、富山藩第2代藩主・前田正甫が薬に興味を持ち合薬の研究をし、富山では最も有名な合薬富山反魂丹 (はんごんたん) が開発された。これが富山売薬の創業とされる。しかし、この頃既に反魂丹は存在し、生産の中心地は和泉国(現在の大阪府)であった。1690年に江戸城で腹痛になった三春藩主の秋田輝季に正甫が反魂丹を服用させたところ腹痛が驚異的に回復した、とされる「江戸城腹痛事件」という巷談がある。このことに驚いた諸国の大名が富山売薬の行商を懇請したことで富山の売薬は有名になった、とするが、この腹痛事件に史料的な裏付けは無い。ともあれ正甫は領地から出て全国どこでも商売ができる「他領商売勝手」を発布した。さらに富山城下の製薬店や薬種業者の自主的な商売を保護し、産業奨励の一環として売薬を奨励した。このことが越中売薬発生の大きな契機となった。
18世紀になると売薬は藩の一大事業になり、反魂丹商売人に対する各種の心得が示された。この商売道徳が現在まで富山売薬を発展させてきた一因であるとされる。藩の援助と取締りを行う反魂丹役所、越中売薬は商品種類を広げながら次第に販路を拡大していった。
 
 上の引用中の《しかし、この頃既に反魂丹は存在し、生産の中心地は和泉国(現在の大阪府)であった》は,万代掃部助の反魂丹を指しているのだろが,「生産の中心地」は大げさのように思う.
 明治維新後,富山藩の反魂丹役所は廃藩置県のために廃止されてしまったが,当時の富山町の売薬業者が相寄って明治九年に「富山広貫堂」を設立した.これが現在の株式会社広貫堂である.広貫堂は今も「胃腸反魂丹」を製造販売していて,これが越中反魂丹の嫡流ということになるのだろうが,処方はたぶん昔とは異なるだろう.
 
 さて私たちがツアーで立ち寄った池田屋安兵衛商店だが,同店の公式サイトによると昭和十一年の創業で《池田屋安兵衛商店は戦後まもなく薬の製造を始め、越中反魂丹を現代の人々にも通用する新しい形の和漢薬として復活させ、その精神を今に引き継いでいます》のだという.つまり反魂丹といっても,万代家の処方,前田正甫の処方,広貫堂の処方,そして池田屋安兵衛商店が戦後に考案した処方等々色々なものがあるわけだ.
 
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 この池田屋安兵衛商店では,丸薬を丸める道具を店内に設置して,観光客に昔ながらの丸薬の製法を実演して見せている.
 
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 実演を見学したあと,店の人が「やってみますか?」と言うので丸薬作りをやらせてもらった.昔,正露丸くらいの丸薬を作ったことはあるのだが,仁丹クラスの小さな丸薬はコツがいるようで難しいと感じた.
 ツアーにお買い物は付き物で,私はこの店で反魂丹を話のネタに買ったのだが,予想したより遥かに高かった.もったいないから腹が痛くても服用しないようにする.w
 
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 反魂丹を土産に買ったあと,バスでいよいよ五箇山に向かった.
(続く)

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