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2018年4月20日 (金)

母子草 (四)

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 前回記事《母子草 (三) 》の末尾を再掲する.
だから私は,このような過程を経て複数の「母子草の物語」が存在しているかどうか知るために,テキストを手に入れられる限り入手しようと決めた.
 
 私がこれまでに出版された「母子草の物語」を探すにあたって選択した場所は,Amazon,楽天ブックス,複数の古書店の在庫を一斉検索できる幾つかのウェブサイト,そして公共図書館の蔵書を一斉検索できる国会図書館サーチである.
 
 冒頭から余談だが,私たちに最もよく名を知られている児童文学者の一人に,三年前に亡くなった松谷みよ子さんがいる.
 松谷さんは民話伝説の研究でも知られ,民話集を幾つか出版している.しかし私のおぼろげな記憶ではそれらの中に「母子草の物語」はおそらく含まれていない.また書誌事項のウェブ検索でもキーワード「母子草」は松谷さんの著作中にヒットしない.ではあるが,松谷さんには民話に関する『現代民話考』(筆者は未読) などの論考集があり,その中に「母子草の物語」についての考察がないとは言い切れない.このことは課題として横に置いておくことにする.
 
 滋賀県は,あるいは近江または湖国と呼ぶ方がいいかも知れぬが,民話の豊富な土地であるそうだ.
 昭和四十三年九月,滋賀県老人クラブ連合会から『近江むかし話』(東京ろんち社,1968年) が出版された.
 その後の昭和五十二年には『続 近江むかし話』(洛樹出版社,1977年) が出版された.(洛樹出版社の前身は東京ろんち社)
 その続篇の「あとがき」から一部を引用する.
 
昭和四十三年二月、県老人クラブ連合会理事会の席上、湖北地方老連会長松江賢修氏から、忘れ去られようとしている湖国の伝説や民話を、次の世代に書き遺そうという発議があり、明治百年の記念事業として企画することになった。
 当時、毎日新聞社学生新聞部長 (現・滋賀文学会会長) の徳永真一郎氏、作家クラブ幹事 (現・児童図書研究会会長) の中島千恵子氏、能登川高校教諭 (現・東大津高校教諭)の渡辺守順氏等より万般について指導援助をいただき、県下の老人クラブ会員からの応募五百余篇のうち一六〇篇を採用し、同年九月敬老の日に「近江むかし話」が発刊されたのである。

……
その後、市町村ごとに老人クラブ会員の協力によって「○○市 (町)むかし話」の出版が相つぎ、老人の社会的役割について理解を深めることができたことは、まことにうれしいことである。
 このような市町村での盛りあがりによって内外から続篇 (本書) 刊行を待望する声も強くなり、県老連はこれをうけて続篇編集の企画をたて、市町村で出版されたもの及び今回の応募作品の中から選択し大別して、史話を前記徳永先生に、伝説を渡辺先生に、民話を中島先生とそのグループ ―
(中略) ら諸氏のご奉仕によって添削していただいた。(以下略) 》
 
 こうして近江の民話は『近江むかし話』に百六十篇,『続 近江むかし話』に百三十三篇が集められたのであった.
 さてこの民話集の特徴は,何といっても,近江の民話を記憶していた老人の語り手たちが,県老人クラブ連合会の呼びかけに応えて,老人の社会的役割を果たすべく積極的に自ら再話して募集に投稿したというところにある.しかも正続『近江むかし話』二巻に収められた話数の多さを見れば,いかに近江が民話の宝庫だとて,これは昭和後半に存在していた近江の民話をほぼ網羅していたと考えてよいだろう.
 しかるに残念ながら,この二百九十三篇に「母子草の物語」は含まれていないのである.
 考えられる理由は,昭和中頃には,「母子草の物語」の語り手が絶えていたということである.
(続く)

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