糖質制限食本・補遺(四)
(前回記事の末尾)
《ま,ホリエモンがどうなろうと一般国民の知ったことではないが,地域ぐるみで大学の研究者たちから糖質中心の食事を指導されたがために,その地域住民に糖尿病患者が増えてしまったのではないかと指摘がなされている.これは糖尿病治療に携わる医師たちの一部から「久山町の悲劇」と呼ばれている事例である.》
まず,Wikipedia【コホート研究】から,語義と久山町に関する箇所を引用する.
《コホート研究(こほーとけんきゅう、英語: cohort study)とは分析疫学における手法の1つであり、特定の要因に曝露した集団と曝露していない集団を一定期間追跡し、研究対象となる疾病の発生率を比較することで、要因と疾病発生の関連を調べる観察的研究である。要因対照研究(factor-control study)とも呼ばれる。
ある基盤(地域、職業など)を元に行なう研究では実験的な介入は行なわない。主に一回の調査を行なう「横断研究」と、二回以上にわたり調査を行なう「縦断研究」があり、後者の中で特に最初の調査の対象者集団をコホートと呼ぶ。コホート研究はこの集団を前向きに追跡しているので、曝露から疾病発生までの過程を時間を追って観察することができる。したがって、疾病の自然史を調べることができる、観察の時間的な順序や論理の流れが実験に近い、複数の疾病についての調査が可能である(特定の曝露の広範な健康影響を調べることができる)、という利点がある一方で、対象としている疾病の発生が稀である場合には、大規模なコホートを長期間追跡する必要があり、時間とコストがかかるという欠点がある。》
《代表的なコホート研究
……
久山町研究
正式名称は「喫煙や食習慣などの生活習慣とがん死亡などの関連を検討するための大規模計画調査」で、通常「久山町研究」と呼ばれる。福岡市に隣接した糟屋郡久山町(人口約8,400人)の住民を対象に脳卒中、心血管疾患などの疫学調査を九州大学が1961年から実施しているもの。世界的に高く評価された精度の高い研究である。開始したのは九州大学教授勝木司馬之助である。追跡率は99%以上であり,全町民の詳細で長期間な研究は,世界でも例を見ないコホート研究である。》
Wikipedia にはこれだけの記載しかなく,福岡県糟屋郡の久山町住民を対象に実施されているコホート研究の主体である九州大学サイトにも簡単な紹介《久山町研究とは 》しかないが,高度に専門的な内容を持つものであるから致し方ない.多少詳しく知りたい向きは,このコンテンツの《研究テーマ》と《業績》を参照して頂きたい.
さて「久山町の悲劇」とは,我が国における「糖質制限食による糖尿病治療」の先駆的指導者の一人である一般財団法人高雄病院理事長・江部康二医師が「久山町研究」について用いた言葉である.
なぜ「悲劇」なのか.
江部康二医師が,脂質栄養学 (J. Lipid Nutr.) 第26巻,第1号(2017) に投稿した総説《久山町の悲劇と糖質制限法 糖質制限は人類本来の食事、人類の健康食 》から久山町研究に関する部分を抜粋する.
《4.従来の糖尿病食(エネルギー制限・高糖質食)は糖尿病を増加させる―久山町研究
久山町は、福岡市の東に隣接する、人口8,000人足らずの町である。1961年から九州大学医学部が、ずっと継続して40才以上の全住民を対象に研究を続けている。5年に一度の健康診断の受診率は約80%で、他の市町村に比し高率である。また、死後の剖検率も82%の住民において実施されていて、精度の高い研究の支えとなっている。
1961年当時、日本の脳卒中死亡率は非常に高く問題となっていたが、久山町の研究により、高血圧が脳出血の最大の原因であることが判明した。それを受けて、食事の減塩指導や降圧剤の服用で血圧のコントロールを行ったところ、久山町の脳卒中は1970年代には1/3 に激減した。
その後、久山町では、糖尿病が最重要研究テーマとなっている。その研究の結果、糖尿病は心筋梗塞、脳梗塞、悪性腫瘍、アルツハイマー病などの発症要因となることが判明した。1988年と2002年に40~79才の年齢層の80%近い住民を対象に75g経口血糖負荷試験を用いた糖尿病の有病率調査が行われた。1988年の時点で、想定されていたより、糖尿病や境界型の比率が多かったのを受けて、「食事指導+運動療法」による介入が実施され、糖尿病の発症を予防しようと試みられた。
しかし、その結果は、表2、表3 にみられるように、糖尿病および予備軍発症予防は失敗し、著明な増加が認められた。実際14年間の努力にも関わらず、糖尿病の確定診断がついた人が男性で15.0から23.6%、女性で9.9から13.4%と著明に増加した。
また男性では、40 歳以上の久山町住人の約6 割が、予備軍を含めた耐糖能異常という、数字に増えていた。研究責任者の九州大学・清原裕教授も2007年7月27日(金)の毎日新聞朝刊で「1988年以後、運動や食事指導など手を尽くしたのに糖尿病は増える一方。どうすれば減るのか、最初からやり直したい」とのコメントを述べた。
久山町で指導された食事療法・運動療法は、当然、日本糖尿病学会推奨のものである。即ち、食事療法は、カロリー制限の高糖質食(糖質60%、脂質20%、タンパク質20%)である。運動は本来、糖尿病発症予防に悪いわけがない。従って、日本糖尿病学会推奨の「糖質60%、脂質20%、タンパク質20%」で食事指導を行う限りは、運動療法を少々頑張っても糖尿病発症の増加をくい止めることはできないということが、証明されたわけである。「カロリー制限重視の高糖質食で14年間指導した結果、糖尿病が激増した」ということが久山町研究という信頼度の高いデータから導き出される結論である。》
箇条書きに要約すれば以下の通りである.
(1) 糖尿病は心筋梗塞,脳梗塞,悪性腫瘍,アルツハイマー病などの発症要因となることが判明した.
(2) 1988年と2002年に40~79才の年齢層の住民を対象に糖尿病の有病率調査が行われた.
(3) 1988年の時点で既に発症している糖尿病や,その予備軍である境界型糖尿病の有病率が高かったため,「食事指導+運動療法」による介入が実施され,糖尿病の発症予防が試みられた.
(4) しかし糖尿病および予備軍発症予防は失敗し,2002年の有病率調査では,逆に著明な増加が認められた.糖尿病の確定診断がついた人が男性で15.0から23.6%へ,女性で9.9から13.4%と増加したのであった.
(5) 久山町で指導された食事療法は日本糖尿病学会推奨が推奨しているカロリー制限の高糖質食 (糖質60%,脂質20%,タンパク質20%) である.すなわち糖尿病治療で行われてきた「糖質60%,脂質20%,タンパク質20%」で食事指導を行う限りは糖尿病発症の増加をくい止めることはできない.
この総説の表題には「久山町の悲劇」とあるが,本文中には「悲劇」との表現はない.
本文中にない表現を総説の表題に用いるのはセンセーショナルに過ぎていささかアンフェアであると私は思うが,実は糖尿病発症の予防に失敗したにもかかわらず九州大学の研究者たちが,江部康二医師ら在野の医師たちに対して失敗を頑として認めない (奇妙なことに一部のマスコミに対しては失敗を認めたが,その他に対しては認めないなど態度が一貫していない) ことに,江部医師の怒りが勇み足的に露呈してしまったとすれば,その気持ちはよく理解できる.
久山町研究の代表者が介入試験 (食事指導) の失敗を認めないとはどういうことかというと,国の調査に基づく糖尿病有病率が誤っているのであり,有病率のデータは九州大学の得たものが正しいとし,1988年と2002年とで久山町住人における糖尿病患者が増加しているのは,我が国において糖尿病が増加している実態を反映したに過ぎないというのである.
また実際に久山町住民に対する食事指導を行ったとされる中村学園大学の研究者代表による弁明が,我が国の食文化史を知らぬとしか思われぬ程度の低い反論であったことも,一般の医師たちの心象を損ねたようで,現在では江部医師の意見を支持する医師が優勢となっているとみられる.
(九州大学および中村学園大学と,江部医師ら在野研究者との対立に,私は唯我独尊的大学アカデミズムの頑迷を観るような気がするが,穿ち過ぎだろうか)
ともあれ,この問題については江部医師を支持する立場の医師による《久山町でなぜ糖尿病が増えているのか? 》が要領よくまとめているので参照して頂きたい.
(続く)
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