糖質制限食本・補遺(五)
さて,この連載《糖質制限食本・補遺》は,森永卓郎著『モリタクの低糖質ダイエット ぶっちぎりのデブが4カ月で19.9㎏減!』の読書感想文である《2017年8月2日 糖質制限食本 》の注釈として書き始めた.そろそろ本題,すなわち森永氏が《低糖質ダイエット》と呼んでいるところの「糖質制限食」についての解説に入る.
連載の第一回《2017年8月3日 糖質制限食本・補遺(一) 》に私は次のように書いた.
《このことを,一般社団法人日本病態栄養学会も設立趣旨として述べている.少し長いが引用する.
《我が国の栄養学は農学、家政学を背景に発展したために、臨床栄養学、特に病態栄養学の分野はきわめて立ち遅れています。医学教育においても栄養学は軽視され、医師の栄養学に関する知識はきわめて低いものとなっています。また、管理栄養士は臨床の場で重要な役割を担うものの、病態についての知識や臨床現場での実習が少ないため刻々と変動する患者に対応できる能力が十分とは言えません。(以下略)》 》
だが《我が国の栄養学は農学、家政学を背景に発展した》は本当だろうか.
下に,朝日新聞社サイトのコンテンツ"HUFFPOST"に大隅典子先生 (東北大学大学院医学系研究科) が寄せた記事《「論文」という文化をめぐって 》から引用する.
《なぜ、日本のみで論文総数が2006年頃をピークに減少に転じたのか、種々の原因が考えられるが、研究者人口を増加させたにも関わらず、それに比例して研究費は増加せず、競争の激化も相まって研究者あたりの平均的な研究費は減少し、いわば、貧富の差が拡大していることが背景にあると思う。研究者人口が増えたのは、大学院の定員増加に舵を切ったためであり、そのこと自体は間違いとはいえないが、博士号取得者の人財活用は目論見どおりには進まなかった。大学院教育の負担が増えたことも、大学の法人化等への対応で種々の業務増加と相まって、研究そのもに割く時間が減ることに繋がった。
論文総数はアカデミアからのみならず、企業からのものも含むので、上記の動向には企業での論文に繋がるような研究活動が減少したことも反映されていると思う。勢い、アカデミアには「社会に役立つ研究」をすべし、というプレッシャーも大きくなっている。》
先生は私よりも一世代お若いので,実感としては御存知ないせいだと思われるが,《研究者あたりの平均的な研究費は減少し、いわば、貧富の差が拡大していることが背景にある》は半分正しく,半分間違っている.
実は科学研究者あるいは科学研究分野の貧富の差は,2006年に始まったことではなく,連綿と続く我が国の伝統なのである.
私が大学に入ったのは昭和四十三年だが,すぐに全学封鎖ストライキとなり,翌年春にはストライキは解除され,昭和四十五年の夏に教養学部から農学部に進学した.
当時,産業界と結びつきの強い実学研究分野には,企業からの豊富な研究資金に加え,国から支給される科学研究費も手厚く配分されていた.
その最たるものが医学部と,工学部の先端研究分野であった.
医学部なんかはもう,堂々たる大学病院を従えて山崎豊子の『白い巨塔』そのものであった.(Wikipedia【白い巨塔】に《後の医学部に端を発する東大紛争に大きな影響を与えた》と書かれている通りである)
工学部も同様で,研究棟は近代的な建物であった.
これに対して,工学部から道路一本隔てた私の母校農学部では,関東大震災に耐えたというレンガ造りの建屋の中で,ボロボロの実験台の上で実験をやっていた.
とはいえ農学部の中でも大隅先生が言うところの《社会に役立つ研究》をしていた農芸化学科は羽振りがよかったが,あとの学科は押しなべて貧乏だった.
その農芸化学科の中でも応用微生物などは資金潤沢だったが,栄養学はぱっとしなかった.それどころか日本の農学部における栄養学全体がぱっとしなかった.
本来であれば人間の食と栄養の学問であるはずが,ヒトを相手の研究は莫大な費用がかかるから,少ない研究費でできるマウスやラットの動物実験をやっていたのである.
この種の実験動物は寿命が短いから,すぐに結果の出る研究テーマを選ぶのが精一杯で,現在はどうか知らないが,当時の学会誌に掲載されていた報文は「〇〇の欠乏症」とか「××の過剰障害」のような,およそ人間の健康とは無関係な研究テーマが多かった.
だから私の知っている某大学農学部の栄養学の教授は,自分の学問を「ネズミの栄養学」と自嘲していた.
貧乏なのは女子大学の家政学も同じで「△△女子大学学生寮の食事と貧血」みたいな調査研究が多かったのである.
私よりもかなり年上の某女子大学教授の研究室ではガラス器具の補充もままならず,その先生はヤケクソで「本学の理念は貞淑な婦女子を育てることにあり,実験なんぞは無用である」と語った.
その一方,研究資金に事欠かない医学部は,栄養学に興味関心がないのであった.
必要があれば諸外国での研究成果を紹介し,それで事足れりとしていた.その一例が,糖尿病の治療における臨床栄養だった.
(続く)
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