ホー・チミン シティ
このブログを始める前は《江分利万作の生活と意見》という同名の個人サイトを運営していた.
そのうちの日記部分が《雑事雑感》とその続篇《続・雑事雑感》で,書評は《晴耕雨読》といった.
これは現在の《新・雑事雑感》 《続・晴耕雨読》というカテゴリーに継承されている.(@ニフティのサービスが終了したために消滅した《雑事雑感》と《続・雑事雑感》は原稿を保存してあるので,そのうちにこのブログに再掲載しようと思っている)
で,当時の《雑事雑感》は,その月の記事の冒頭に画像一葉と《今月のお言葉》と題した短いエッセイを載せるスタイルをとっていた.
その《2004年8月 今月のお言葉》は,こんな記事だった.
《会社で今の仕事に就いてから一年半が過ぎた.もしかしたらワン・ポイントかも知れないという気がしたので,少し荷物を前の職場に残していたのだが,どうやらこれが最後の転勤のように思えてきた.
それで,とうとう本やら資料やらを前の職場の人に頼んで自宅に宅急便で送ってもらった.荷物を開けると,写真を雑多に突っ込んでいたアルバムがあった.
そのアルバムをぱらぱらとめくると古い写真がたくさん出て来た.
冒頭の画像は,十二年前のヴェトナムの街中である.仕事でホー・チミン市に行った時に泊まったホテルの窓から,夜が明ける直前に撮影したものだ.
連続的に変わっていく毎日の出来事は直ぐに忘れてしまうけれど,旅行など非日常的な事は,飲酒喫煙で加速するような気がする脳細胞の死滅によく抵抗して,一枚の写真で思い出がくっきりと立ち上がってくる.写真というものの価値は一口にいえないと思うが,私達ごく普通の人間にとって写真は,懐かしい思い出と共にある.
この当時のパソコンはまだウィンドウズ以前であった.周辺機器としてスキャナがショップ店頭に登場するのは数年後である.
だから印画紙のままになっているのだが,これをデジタル・データ化するのが良いかどうか.そのまま褪色させるのも,写真の一つのあり方のようにも思われる.》
印画紙のままだった若い頃の旅の写真は,結局,画像データにした.そんなことをしなくても,その画像の一つ一つは,私の頭の中にある旅の記憶のコピーに過ぎないから,大した意味はないのだけれど.
さて上の画像は,旧サイゴン市1区の中心部 Ton Duc Thang 通りに近い Sai Gon 川に係留されていた船舶から撮った写真である.
この船は,今の横浜の氷川丸みたいに海底に固定されているのではなく,ちゃんと川に浮いていて,船の中は,客船の船室の雰囲気を活かしたホテルとして営業していた.このホテルは当時のホー・チミン市では数少ない最高級ホテルで,The Sai Gon Floating Hotel といった.
元々はシンガポールで1988年に建造され,オーストラリアに移動して,やはりホテルとして経営していたのだそうだ.
船舶とはいうものの,長距離の航海能力は不足していて,オーストラリアへは牽引されて行ったと聞いた.
それが,日本の会社に買われてオーストラリアからベトナムに運ばれ,五つ星ホテルになったというわけ.
私がこのホテルに宿泊した時のベトナム旅行をアテンドしてくれたのは三井物産で,物産が宿泊をこのホテルにしたのは,経営が日本資本だったからかも知れない.
しかしその後,ベトナムの経済成長と共に他の新しいホテルが人気となったために,このホテルは業績が落ちた.そして1997年に韓国 Hyundai グループに買われ,Hyundai は北朝鮮に持っていった.今も金剛山観光地区近くの長箭港に係留されているという.
テレビでベトナムやホー・チミン市の映像が流れると,私は今でもこの豪華ホテルのことを思い出す.一昨日のテレビ番組でダナンの映像を観て,忘れ難いことのあった昔の旅行を思い出したので書いてみた.
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