最近公開された映画『キング・アーサー』のレビュー連載《『キング・アーサー』を弁護する》の《(四) 》で私は次のように書いた.
《一方,アーサー王物語の《アーサーの血筋を証明する石に刺さった剣》だが,大体において普通の剣が石に刺さるわけがない.しかし刺さっているからには,何かしらの理由があるわけで,それがアーサーの血筋を証明する理由ともなるのだが,その理由が実ははっきりしないのだ.
前に紹介した自称歴史研究家で,この剣は石を鋳型にして作られたものであり,そのため石に刺さっているように見えるのだとブログに書いている 馬鹿 知ったかぶり 人がいる.石を鋳型にして鋳造する方法があるなら教えて欲しいぞ.石から飛び出ている柄はどうやって作ったんだ?
それに,鋳造で作った剣は模造刀であって剣としては使えないじゃないか.》
上に再掲したこの部分では明記しなかったが,《前に紹介した自称歴史研究家》のブログなどと曖昧にすべきではないと思い直した.
なぜなら,世界史を勉強している高校生なら騙されないだろうが,もし『キング・アーサー』を観た小中学生がネット上の資料を探してその自称歴史研究家の嘘八百ブログを読んだら,金属器の歴史について間違ったことを刷り込まれるおそれがあるからだ.そこで映画レビューとは稿を別にして,小中学生の学習の一助となればよいと考え,その自称歴史研究家の嘘を批判することにした.
ではまず,自称歴史研究家の嘘八百ブログを紹介しよう.ブログタイトルは次の通りである.
《イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ
ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ (仲間) と言います。歴史深いウェールズに触れて下されば嬉しいです》
このブログの筆者は《「ウェールズ歴史研究家」たなかあきら》という.
このブログ中に《伝説の剣エクスカリバーの本質に迫る 》と題したページがあり,さらにその中に《エクスカリバーの作り方》という節がある.
そこに下の記述がある.
《エクスカリバーはどうやって作られたのでしょうか?
活躍するエクスカリバーのところでも書いたように、ブリタニア列王史の一文にエクスカリバー(カリブルヌス)は鋳造で作られたと記されています。
当時の技術から考えても鋳造で刀が製造されていた可能性は非常に高いといわれています。また、岩に刀が刺さっていた、という描写はまさに鋳造で刀を作っていた証拠ではないか?とも考えられます。
その再現されたエクスカリバーの製造の手順を簡単に書きます。
・るつぼの中で金属を高温で溶かします。
・剣をかたどった型を準備します。アーサー王の伝説によるとこの型が岩でできていることになります。
・溶けた金属を型に流し込みます。
・溶けた金属を型の中で固まらせ(凝固)、冷えるまで待ちます。
・剣が黒みを帯びて冷えて来たら、ゆっくりと抜き出します。
・取り出して、剣のふちのバリを取り除き磨いたら出来上がりです。
※こちらの記事には動画もありますので見てください》
鉄器の歴史は,世界史で大学を受験生する高校生なら知っていなければいけない.
Wikipedia【鉄器時代】から抜粋引用する.
《鉄器の発明と伝播
……
最初の鉄器文化は紀元前15世紀ごろにあらわれたヒッタイトとされている。ヒッタイトの存在したアナトリア高原においては鉄鉱石からの製鉄法がすでに開発されていたが、ヒッタイトは紀元前1400年ごろに炭を使って鉄を鍛造することによって鋼を開発し、鉄を主力とした最初の文化を作り上げた。
……
紀元前1200年ごろにギリシアの北方から製鉄技術を持つドーリア人が侵入し、ミケーネ文明の諸都市やその構成員であったアイオリス人やイオニア人を駆逐しながらギリシアへと定住した。この時代は文字による資料が失われていることから暗黒時代と呼ばれるが、一方でアイオリス人やイオニア人を含む全ギリシアに鉄器製造技術が伝播したのもこの時代のことである。
……
ヨーロッパにおいては、地中海沿岸のイタリア半島中部には紀元前1100年ごろからヴィラ・ノーヴァ文化が栄え、紀元前750年ごろよりこの文化が都市を形成してエトルリアの諸都市が成立した。中央ヨーロッパにおいては青銅器文明後期の段階にあったハルシュタット文化が紀元前800年ごろに鉄器を受け入れ、紀元前450年ごろからはかわってラ・テーヌ文化が栄えるようになった。》
上の引用の《中央ヨーロッパにおいては青銅器文明後期の段階……》がケルト人やゲルマン人の鉄器文化について記している箇所である.
ヨーロッパの鉄器製造 (青銅器も同じ) は,鉄器文化の初期から中世の末期に至るまで,鍛造であった.
ところが,ヨーロッパから遠く離れた古代中国では,紀元前十八世紀から青銅器の鋳造技術が開発され,戦国時代には鉄器を鋳造する技術が発展した.
これに対して,ヨーロッパで鉄器の鋳造が可能となったのは,古代中国から著しく遅れて,十四世紀のことである.
以上が高校レベルの知識であるが,次に《「ウェールズ歴史研究家」たなかあきら》氏の文章から引用しながら,その嘘を暴いてみよう.
《ブリタニア列王史の一文にエクスカリバー (カリブルヌス) は鋳造で作られたと記されています。》
ヨーロッパ中世の中頃,イングランド王国に住んでいたジェフリー・オブ・モンマスが偽史書『ブリタニア列王史』を創作したのは,1136年頃である.
上に述べたように,ヨーロッパ中世の中頃,まだヨーロッパには鋳造鉄器を作る技術がなかった.
いわんやアーサー王の時代である中世初期に,エクスカリバーを鋳造することは不可能であった.
そもそも『ブリタニア列王史』は,我が国の文学ジャンルでいえば伝奇小説に分類されるフィクションなのである.
次に行く.
《剣をかたどった型を準備します。アーサー王の伝説によるとこの型が岩でできていることになります。》
この人は,鋳型というものを見たことがないのだ.
鋳型は鎔笵ともいう.Wikipedia【鎔笵】から引用して説明する.
(鋳型は) 《当初は両面2つの外型を組み合わせた形状のものが用いられたが、後に銅鐸や容器を鋳造するために内型と外型を組み合わせその隙間に金属を流し込む方法も用いられた。歴史時代に入ると貨幣や仏像・仏具の鋳造のための型としても用いられた。》
上の引用箇所で説明されているように,鋳造技術の歴史において,鋳型としては,二つの外型を組み合わせる方法や,あるいは内型と外型を組み合わせる方法が用いられてきた.パーツに分解できない一つの岩が鋳型として使われたことはない.
一つの岩に,刀身の断面の形の穴を数十センチの深さに彫って鋳型にすることは,現代の技術をもってすれば可能だろうが,そもそも鋳物の技術を持たなかった五世紀のケルト人にできたはずがないのである.
《剣が黒みを帯びて冷えて来たら、ゆっくりと抜き出します。》
鋳型が刀身部分を型取ったものであるとすると,この剣には柄がないから抜き出すことが不可能である.
鋳型が刀身部分と柄の部分を型取ったものであるとすると,柄が鋳型の中に入ってしまっているので,これを掴んで抜き出すことは不可能である.(笑)
こういう文章を書いて平気な人は,かなり知能程度が低いと断じて差し支えない.
《※こちらの記事には動画もありますので見てください》
その記事《アーサー王のエクスカリバーはどうやって作ったのか?》を見てみよう.
大嘘つきの《たなかあきら》氏は,
《実際にアーサー王のエクスカリバーはどうやって作っていた可能性があるのか?当時の技術を考慮して再現実験がなされました。》
と書いているのだが,呆れたことに全く再現実験になっていない.
この《再現実験》とやらの鋳型は,画像を見ると耐熱レンガ製の三つのパーツに分解できるように作られている.しかしエクスカリバーが刺さっていた岩は一つの岩だったはずだ.
その岩が三つに分解できるようになっていたなんて話は初耳だ.
アーサー王の物語に存在しない条件を勝手に創作してはいけない.
こんな幼稚な詐欺的記述で,常識ある人間が騙されると思っているのか,この嘘つき男は.
第一,歴史的に実用武器として鉄の刀剣が鋳造されたことはない.鋳鉄は脆いため,盾や甲冑を打撃すれば簡単に折れてしまうからだ.この鋳鉄の性質を,私は中学校の技術・家庭科の授業で学んだ.調べてみると現在でも中学で得る知識である.
洋の東西を問わず実用刀剣は鍛造で作られた.その理由は鋳鉄の性質を知っていれば容易に理解できる.従って《「ウェールズ歴史研究家」たなかあきら》氏の知識レベルは中学生以下であると考えられる.
ネット上には,巧妙な嘘が多くあって,それは Wkipedia の中にも存在するくらいだが,上に批判した《「ウェールズ歴史研究家」たなかあきら》氏の如き幼稚な嘘は,滅多にあるものではない.幼稚な嘘は恥ずかしいから,鉄面皮でないとつけないのである.
以上,《「ウェールズ歴史研究家」たなかあきら》氏に鉄槌を下した.話が鉄だけに.(笑)
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