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2017年7月

2017年7月30日 (日)

でたらめドラマ

 とある事故により不測の入院をする破目となり,その間は読書とテレビで暇な時間をつぶした.
 で,話は例のNHK朝ドラ『ひよっこ』のこと.

 私が小学校の生徒だった昭和三十年代中頃,比較的裕福な家の子で『少年画報』など月刊少年漫画誌を購読している友達がいた.
 毎月,漫画誌が発売される日には,その子のうちに子供たちが集まって本誌と別冊付録をわいわいと回し読みしたものであるが,その家には年上のお姉ちゃんがいたので,少女漫画誌もあった.
 私が読みたいのは『少年画報』なのだが,それを誰かが読んでいる最中,私は手持無沙汰で仕方なく少女漫画をパラパラと流し読みした.そしてその中に,作者も作品名も覚えていないのだが,大雑把なストーリーは記憶に残っている作品がある.

 物語は,両親と幼い娘の三人家族の話である.
 どういう事情かわからないが,ある日,父親が失踪してしまう.
 残された母親は娘を女手一つで育てていくのだが,失踪した父親はどうしたかというと,完全な記憶喪失になっていたのである.
 私たちの健全な感覚では,「ここは何処? 私は誰?」状態の記憶喪失した失踪者が,そのまま何事もなく生きていくのはほとんど不可能である.その日の飯にも困るからである.
 従って,記憶喪失者が思考能力まで失っているのでなければ,警察に助けを求めるに違いない.そして警察は身元不明者として彼を保護するであろう.
 だが件の少女漫画家はそんなリアリティにはお構いなく,失踪した父親を,なぜか外国航路豪華客船の船長に出世させてしまったのである.そこらの漁船の船長じゃあるまいし.(笑)
 さてそんなこんながあった末に,その船長と娘の少女はどういうわけか盲亀の浮木優曇華の華,偶然にも再会し,さらには驚天動地の神の恩寵により父親は記憶を取り戻し,ハッピーエンドを迎えたのであった.

 私は少女漫画界に関する知識がほとんどないのであるが,少女漫画にはどうやら「記憶喪失漫画」というジャンルがあるらしい.上に紹介した作品はその最も古いものの一つだろうと思われる.
 ま,いずれにせよ,リアリティがどうのこうのと言い始めたら「記憶喪失漫画」は成立しないものだと考えられる.

 ところが,である.
 『ひよっこ』の脚本家である岡田惠和は,堂々と国民の金を遣って「記憶喪失ドラマ」を書いてしまった.
 しかも昨日の放送で明らかになったところによれば,ヒロインみね子の父親で,記憶を喪失して行方不明になっていた矢田部実が,人気女優川本世津子と二年間も同棲していたというのである.
 ひったくり犯に金を盗まれただけで頭部に外傷を受けたわけでもない矢田部実が何故か完全に記憶を喪失し,その実が都合よく人気女優と出会った挙句に同棲するに至るというのは,余りにも荒唐無稽な展開だ.でたらめすぎる.

→《みね子と実の再会シーン「ひよっこ」急展開に話題殺到「残酷すぎる」 》 

 岡田惠和は『ひよっこ』の中で,昭和中期における北関東から東京への出稼労働や,いわゆる「人間蒸発」現象とか,集団就職,あるいは東京オリンピック後の不況等々,色々なことを恰もドラマの伏線のように見せかけて,しかしそれらをとっ散らかしたまま放り投げ,『ひよっこ』を少女漫画的「記憶喪失ドラマ」として強引に収斂するつもりらしい.放送期間はもう残り二ヶ月しかないから,とてものことにもう辻妻を合わせることはできぬであろう.
 さてこの荒唐無稽なインチキドラマの中でも,とりわけ許しがたいのは,岡田惠和が先の戦争におけるインパール作戦の悲劇を,ドラマの小道具にしたことだ.
 岡田の如く戦争体験を玩具のように扱う恥ずべき人間に,皆様のNHKがギャラを払ったことに私は憤りを感じる.許せぬ.

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2017年7月29日 (土)

更新再開

 体調不良 (入院) のために更新していなかった当ブログだが,ぼちぼち再開する.

 再開最初の記事は,三原順子,上西小百合と並んで無能にして恥を知らぬ女性政治家の不祥事から.
 といっても今井絵理子本人のことではない.話は今井の破廉恥行為についての東国原英夫のコメントである.

 昨日 (7/28),サンケイスポーツに次の記事が掲載された.

東国原英夫、今井議員の“一線”発言に「政治家と一般国民は違います」 》  

 この記事の中で今井の不倫行為に関して東国原が述べたことを引用する.

国会議員は高い倫理性、道徳性を求められます。高潔でなければならない。疑いを持たれたところが一線だと思う。そういう自覚が足りない

 何を言っておるか,この破廉恥淫行野郎が.
 東国原といえば誰でも思い出すのは,十六歳の少女から性的サービスを買った事件である.
 東国原その後も,宮崎県知事時代に,食品衛生法違反と知りつつ九州のフグ料理店で公然とフグの肝を食うなどのでたらめな行為を続け,あるいは知事室で性的行為を行ったと週刊誌で報道されたこともある.
 また知事を辞めたあと東京の路上でナンパした女性をなじみのフグ料理店に連れていき,フグの肝を女性に食わせて食中毒事件を起こしたなど,こいつは倫理観ゼロ野郎なのである.
 これについて私は東国原を許し難いと考えるので,Wikipedia【東国原英夫】の記載から下に引用する.

2011年11月10日に銀座のふぐ料理店で裏メニューのふぐ肝料理「肝ポン酢」を食べた女性客が食中毒を起こした事件で、その女性と同席していた東国原が「肝ポン酢」を注文したと報道がされた。東国原は自身のブログで「九州の宮崎・大分等には毒性のないふぐの肝が提供されることが多々あります」「(毒性が無いと認識していたので)いつものようにごく普通に「肝ポン酢」と注文したわけです」とコメントしているが、東京都や宮崎県の保健所は「全国のどこであってもふぐ肝料理は違法」と東国原の主張を否定している。

 こういう男を知事にした宮崎県民は政治的に恥知らずであるし,今もテレビ情報番組にコメンテーターとして出演させているテレビ局は恥知らずであると私は断じる.

 当ブログ再開の最初を破廉恥野郎の糾弾で飾れることを嬉しく思う.こらこら.

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2017年7月14日 (金)

無知ホリエモン

[関連記事]
2017年7月12日 大胆すぎるホリエモン
2017年7月12日 『ごごナマ』の屁理屈

 人間は,何か行動する際に,無知であると自分の行動がどのような結果をもたらすか事前に想像できない.
 この手の幼稚な無知男が,浅はかな行動を他人から批判されると,当然ながら潔く反省する度量もないから,「シャレわかんねー奴多いなあ」と言い逃れする.
 ヒトラーをプリントしたTシャツを着用してNHKに出演したことを,AP電で海外に報道された堀江貴文のことである.
 堀江は,あのTシャツにプリントされた絵柄が平和を祈念するメッセージだと強弁しているが,ならばそれを着てヨーロッパに行ってみるがいい.ネオナチが歓迎してくれるだろう.

 シャレというのはもっと高級な精神に基づく.何でもかんでも「シャレ」にしてしまうのは,無知に過ぎない.

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昭和感横溢

 バブル崩壊の少し前,トレンディドラマ (Trendy Drama) というのがありましたな.
 Wikipedia【トレンディドラマ】にはこう書かれている.

トレンディドラマ (Trendy Drama) は、1988年から1990年にかけてのバブル景気時代に制作された日本のテレビドラマの一部を指して使われるが、和製英語である上に明確な定義はない。

 この当時の私は仕事人間で,テレビドラマなんぞ観ている暇は一切なかったから,実際に観て知っているわけではないが,ドラマのイメージとしては,浅野ゆう子さんとか浅野温子さんなどが都会で一人暮らしをしているわけだ.
 女性の一人暮らしといってもバブル景気だから,かなり高級な高層マンションに住んでいる.
 飽く迄想像 (妄想) で恐縮だが,彼女のマンションの間取りは1LDKだけれど,フローリングのLDKがベラボーに広い.
 生活感はなく,家具はほとんどない.キッチンの冷蔵庫の中には輸入ビールがはいっているだけである.
 五年前に亡くなった山口美江さん (享年五十一) の冷蔵庫には柴漬けが常備されていたというが,浅野ゆう子さんの冷蔵庫には,コロナビールしかなかったと思う.(妄想)

 で,家事研究家の先生がた (余談だが美人が多い) の教えでは「冷凍庫はビッシリ,冷蔵庫はスカスカ」がよいという.
 理想は,冷蔵庫の中は柴漬けとコロナビールだけがいい.

 しかしそうはいっても,冷蔵庫の中の整理は面倒で,いつの間にか,色んなものが詰め込まれている.
 奥のほうに何があるか,諸兄は完全に把握されているだろうか.私は,冷蔵庫だろうが部屋の中だろうが,整理整頓が苦手なので,もしかすると干乾びた到来物の金山寺味噌とかが放置されているかも知れない.
 そういう状況下のある日,冷蔵庫を開けたら,コバエの死骸がたくさん落ちていた.それどころか,一匹のコバエがぶ~んと飛んで出ていった.ま,これは物のたとえで,実際には羽音はしないけど.
 私の冷蔵庫の中でコバエが大繁殖したのである.
 それからキッチンでの大繁殖が始まり,次いで他の部屋にも侵入された.

 最初の発生源である冷蔵庫だが,ざっと見ただけではどこで繁殖したのかわからない.
 あれこれ思案の結果,中身を全部取り出して,掃除するしかないという結論に達した.
 となれば,整理整頓が苦手などとゴタクを並べている暇はない.意を決して明日掃除を決行する.

 私の老いた目ではよく判別できないのだが,ショウジョウバエだけではなく,もう一種いるようである.
 ネット検索をしたら,麺つゆトラップ (麺つゆに台所洗剤を加えたもの) が対ショウジョウバエ作戦で最強だとの意見が多いのだが,私のうちのやつは,このトラップに全く見向きもしてくれない.
 そこでアマゾンの品揃えを調べ,アース,キンチョーなどのコバエ類各種の駆除ツールを手あたり次第に注文した.明後日配達される.

 ケミカル系のコバエ忌避剤,駆除剤を購入したときにアマゾン中を検索していたら,あーら昭和の昔懐かし,粘着剤を塗布したテープを鴨居とか天井から吊り下げる方法の不快害虫駆除ツール (昔はハエ取り紙といった) を発見した.
 これは虫の種類を問わないので,購入者レビューも評判がかなりいい.それでこれも注文した.
 そういえばこのハエ取り紙,現在製造しているのは日本で町工場一社か二社しかないのではないか.テレ東の『和風総本家』だか『ソレダメ新常識』だかで紹介していたような気がする.

 思い起こせば昭和三十年代の庶民の暮らしでは,梅雨明けには畳を全部家の外に出して干し,畳の下の床板と床下に石灰を撒き,汲み取り便所に何だかよくわからない薬剤を投入し,家の中にはハエ取り紙をたくさんぶら下げた.
 髪の毛にハエ取り紙がくっついて往生した記憶を諸兄はお持ちであろう.持ってないですか.そういう人はあっちに行きなさい.しっしっ.
 もはや戦後ではないと皆が思いつつあったが,公衆衛生の水準は極めて低く,ポリオ日本脳炎が流行し,夏になれば集団食中毒が発生し,赤痢も,抵抗力の低い子供たちの身近な死因だった.小学校の夏休みが終わると,赤痢で命を落とした級友の机に花が一輪飾られた.私にはその記憶が二度ある.
 そんな時代に戻りたいかと問われれば,私は嫌だと答える.
 昭和三十年代を偽造した映画に老人たちは,静かな怒りを覚えるだろう.

 さて,オーディオ機器とテレビが置いてあるリビングに,ハエ取り紙をぶら下げる.それだけで,私の部屋には昭和感が横溢するであろう.ハエ取り紙を眺めながら音楽を聴くならスウィング・ジャズに限る.なんだそれは.

 それはそれとして,こんなことになった原因は,私の冷蔵庫に食い物が多すぎるからだろうと思う.
 すなわち冷蔵庫には,柴漬けとコロナビールだけあればいいのではないか.

 というわけで,プロローグのトレンディドラマという伏線は,ハエ取り紙の登場で見事に回収されたのである.よかったよかった.

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2017年7月12日 (水)

『ごごナマ』の屁理屈

 今日の記事《大胆すぎるホリエモン》で,堀江貴文がNHK『ごごナマ』に生出演した際に,ヒトラーの上半身像をプリントしたTシャツを着ていたことを批判した.
 この堀江貴文が着ていたTシャツに対して同番組の視聴者たちが,番組放送中にネット上で反応し批判した.
 その結果,阿部渉アナウンサーが番組内で謝罪したのであるが,謝罪コメントの要点は以下の三つである.

(1) Tシャツは堀江貴文が持参したものである.(NHKは関知していない)
(2) 戦争反対を示す「NO WAR」という文字と反戦のマークが入っていた.
(3) しかしヒトラーを想起させるという意見があったので,不快な思いをした人にはお詫びする.

 つまり,不快な思いをした人には詫びるが,これは「不快」について謝るのであり,ヒトラー像をプリントしたTシャツを堀江貴文が着用して行った政治的アピールについては謝らないと言い切ったのである.
 傲慢極まりない.これが,NHK『ごごナマ』制作責任者の姿勢なのである.

 特に重大なのは,「NO WAR」や反戦マークがあればヒトラー像はOKだとしたことである.
 この理屈でいけば,ハーケンクロイツと一緒に「NO WAR」や反戦マークをプリントすれば無問題だということになる.
 現在は,反ナチの文脈でハーケンクロイツを使用することは容認されているが,それは例えば次のようにナチ否定が明快なイラストのことをいう.

240pxhakenkreuz_im_verbotsschildsvg
(Wikipedia【ハーケンクロイツ】から引用;パブリックドメインである)

 「NO WAR」や反戦マークはナチ否定の意味を持たない.それどころか,安倍晋三だって,表立って問われれば,私は戦争に反対だ,と言うだろう.
 従って上に記載したNHK『ごごナマ』の見解が国際的に許容されるわけがないのである.

 今回の事件の張本人である堀江貴文について言えば,著書名を『我が闘争』とするような男が,今後どのような思想と行動に傾いていくか,私たちは見ていく必要がある.

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大胆すぎる春日

 先程,テレビをオンにしたら,日テレ『ヒルナンデス』というバラエティをやっていた.
 私が観たときの内容は,松本明子やオードリーの春日が商店街で総菜を買って弁当を作るというものだった.
 それはいいのだが,春日は生のオカラを弁当箱にぎっしり詰め込み,その上に総菜をのせていた.
 相棒の若林が,オカラって生で食べられるんですか,と言うと,春日は「味的には煮たほうがいい」と店の人は言ってましたと答えた.

 とんでもない番組である.オカラは極めて腐敗しやすい.生で弁当に入れたら食中毒間違いなしだ.この番組はバカ番組だと聞いていたが,その通りである.

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大胆すぎるホリエモン

 先程,テレビをオンにしたら,NHK『ごごナマ』をやっていた.(13:35)
 この番組はほとんど観たことがないのであるが,堀江貴文がゲスト出演し,《ごごナマ おしゃべり日和「堀江貴文さん “多動力”で人生を使い切れ!!」》というテーマで,船越英一郎,三保純さんとトークしていた.
 それはいいのであるが,堀江貴文の着ているTシャツに大きくヒトラーの上半身がプリントされていた.
 堀江は完全にリバウントした体で三段腹であるため,椅子に腰かけた状態ではヒトラー像が歪んでいて断定できないのだが,私にはヒトラーのプリントであると思われた.
 文字もブリントされているが,三段腹のせいで読み取れない.
 堀江が幻冬舎から出した『我が闘争』に関連するアピールかも知れないが,NHKよ,批判的文脈なしでヒトラーを画面に出してもいいのか?

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2017年7月11日 (火)

『キング・アーサー』を弁護する (六)

 前回の記事《『キング・アーサー』を弁護する (五) 》の末尾を再掲する.

ま,それは別の話として,『キング・アーサー』において監督ガイ・リッチーは,さすがに悪逆非道の王アーサーの物語がファンタジーとして観客に受容されるように基本設定を整理し直した.
 アーサーの宿敵モルドレッドの名だけ残し,モルドレッドはアーサーの父王と戦った悪の魔法使いとし,プロローグだけに登場させてあとは知らぬ存ぜぬことにした.(笑)

 アーサー王の物語を,本稿ではこれまでもアーサー王「伝説」ではなくアーサー王の「物語」と書いてきたのは,一般に知られているそのストーリーが,狭義の「伝説」ではなく,作者が明らかな伝奇小説『ブリタニア列王史』に書かれていることだからである.
 その『ブリタニア列王史』や,これから派生した作品に関する Wikipedia の項目を調べていくと理解できるのだが,アーサー王の物語が成立したヨーロッパ中世の倫理観は,現代のそれとはかなり異なっている.
 アーサ王自体が,近親相姦や友を裏切ることなんか平気という 糞野郎 悪人であるし,その妻は不倫女なので,これをそのまま映画化したのでは,いくら何でも青少年の教育に悪い.
 愛する者を守らんがためにフォースの暗黒面に堕ちたダース・ベイダー卿と,その魂の再生の物語は,かつて私たち映画ファンの共感を得たが,ヒーローが最初から悪人では話にならぬ.R指定のダーク・ファンタジーという方向もあるだろうが,ガイ・リッチー監督はそうしなかった.私もそれに賛成だ.
 とはいえ,素材が悪いから,『ハリー・ポッター』の連作のような愛と勇気,正義と友情の物語にはとてもならない.
 そこでガイ・リッチー監督が取った手段は,アーサー王の物語の主要人物の名前だけ拝借して,そのキャラクター自体は全面的に自分の構想に従って作り直すことであった.
 まずアーサーの父王であるユーサー・ペンドラゴンだが,こいつはロクデナシで,敵国の王妃に岡惚れし,敵王を倒して王妃イグレインを略奪した.
 この王妃イグレインに産ませた子がアーサーである.
 この辺りを Wikipedia【ユーサー・ペンドラゴン】はこう書いている.

当時は略奪婚など珍しくなく、勝者こそが姫を奪うことが許されていたのである。姫、妃は勝者の側につかないことには生存すら許されないのである。アーサー王物語はその部分をカットせずに伝えている。

 閑話休題.
 ガイ・リッチー監督は,ユーサー・ペンドラゴン王とその不義の子アーサーのことには触れない.そして,血は争えぬと言うべきか,後にアーサー王が,父王の不道徳を上回る近親相姦で成した不義の子であるモルドレッドの名を転用した.
 モルドレッドと名付けられたのは『キング・アーサー』のプロローグに登場する悪の魔法使いである.
 この魔法使いモルドレッドは強大な力を有していたと見えて,ペンドラゴン王家の助言者である大魔術師マーリンは,自らはモルドレッドとの闘いを避け,その代わりに一振りの剣を鍛えてユーサー・ペンドラゴン王に与えた.これでモルドレッドを倒せというわけだが,この剣こそが『キング・アーサー』では聖剣エクスカリバーなのである.

(続く)

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エロビールの不始末

 経済分野の情報サイト「東洋経済オンライン」は,時に一般国民の感覚から乖離した記事を掲載することもあるが,今日 (7/11) の《サントリー「セクハラ動画」炎上は防げたか 「失敗の本質」と「再発防止策」を考える 》は良い内容であった.筆者である治部れんげ氏の意見に私はほぼ同感である.
 記事は,サントリーの新製品ビール「頂」のテレビCМの内容が,アダルトビデオを連想させるものであったことから,女性を男性の性欲の対象として描いているとの批判がネットに噴出したことについて論じている.
 問題のテレビCМは《絶頂うまい出張》と題したもので,《下ネタ?サントリーCM中止「しゃぶるのがうみゃあで」「コックゥ~ん!」CMに「下品」「下ネタ」と批判相次ぎ公開中止へ 》にアップされている.

 さて上に「ほぼ賛成」と書いたのは,下記の箇所に私は反対だからである.

以前、話を聞いた企業では、女性差別的と批判を受けてインターネット上のコンテンツを公開停止、謝罪したことがある。複数の従業員から「こんなものが外に出て腹立たしい。でも、自社製品を表立って批判できない」という意見が寄せられた。発信された内容はひどいもので顧客を怒らせたが、それだけでなく、従業員のやる気をそいでしまったことも悪影響と言える。
 この企業では、問題のコンテンツ公開直後に社長がこれを知り「ひどい差別だ」と怒りをあらわにしたそうだ。制作から公開までの意思決定に社長が関与することはなく、現場で起きた失敗だったが、事後的に社長は自らの規範を示したことになる。

 この引用箇所の内容に私はなぜ反対するか.
 そもそもインターネット上のコンテンツを公開する前には,社長が必ず内容を承知すべきであるし,多くの企業がそうしていると思われる.だから《制作から公開までの意思決定に社長が関与することはなく、現場で起きた失敗だったが、事後的に社長は自らの規範を示したことになる》は間違っている.制作から公開までの意思決定に社長が関与しないというのは社内統治ができていないということだ.そういう野放しの広告宣伝組織を社長自身の手で作っておきながら,不都合が起きたら現場に責任を押し付け,後から激怒してどうする.社員に無能な経営者だと笑われるだけだ.

 私が邪推するに,《問題のコンテンツ公開直後に社長がこれを知り「ひどい差別だ」と怒りをあらわにした》は嘘であると思う.知っていたのだが,社会的批判に驚いて,現場の独走失敗だと言いつくろったのではないか.
 私はそういう実際例を何度も見てきた.社長が役員に,役員が部課長に,管理職が一般社員に責任を擦り付ける実例は,私だけでなく会社員なら誰でも一つや二つ,胸の底に見たままをしまっていると思う.
 責任転嫁.これこそが帝国陸軍以来の,インパール作戦の牟田口廉也中将を典型とする我が日本人の悪しき振る舞いの代表なのである.

 翻って,《サントリー「セクハラ動画」炎上は防げたか 「失敗の本質」と「再発防止策」を考える》を読んだ会社員諸氏は,読了後に「あれ?」と思うに違いない.
 この記事の筆者が,サントリー「頂」のCМ炎上事件を低次元の「マネジメントの失敗」として,経営者の資質と責任を全く問うていないからである.
 サントリーの宣伝部は,今は泉下の開高健,山口瞳を擁した昔から,同社で最も有名な部門であった.
 従って今回の炎上に関して,当然のことながら三人の代表取締役,佐治信忠,鳥井信吾,新浪剛史各氏はCМの内容を承知していたと思われる.
 ならば何故,《サントリー「セクハラ動画」炎上は防げたか 「失敗の本質」と「再発防止策」を考える》は代表取締役各氏の責任に触れようとしないのか.
 つまるところ東洋経済新報社は,サントリーに対してなにかしらの配慮をしているのである.

 かつてサントリーは,サントリーオールドを同社の最高級ウイスキーと位置付けて販売し,現在の企業基礎を作った.
 しかし昭和五十六年,同社の社員が内部告発したところによれば,サントリーオールドは申し訳程度の原酒を多量の飲料用アルコールで希釈し,これをリキュールとカラメル色素で着香着色した模造ウイスキーであった.
 この社員の告発は,勇気ある出版社からの新書版出版物で私たちの目に触れたが,しかしテレビも新聞も無視して全く報道しなかった.これは潤沢な広告費を背景にしたサントリーのメディア支配力を,まざまざと私たちに見せつけた事件であった.
 上に挙げた《サントリー「セクハラ動画」炎上は防げたか 「失敗の本質」と「再発防止策」を考える》は,現在も存在するその支配力の前に,言論側が同社批判を自主規制した一例であろう.

 今日現在で Wikipedia【ノート:サントリーオールド】には,次のような記述がある.

記載内容が独善的かつ否定的な意見が入っており、百科事典としての書き方としては不適切かと思います。注意書きを入れるか修正をすべきではないでしょうか。--Mintia08(会話) 2015年1月12日 (月) 19:48 (UTC)

 何が《独善的かつ否定的な意見》なものか.消費者を欺いたサントリーの悪事は私たちの世代には周知の事実である.こんな「ノート」を誰が書いたか,語るに落ちるとはこのことだ.
 当時,所属する会社の悪事を告発する行為は普通の会社員の想像を超えたことであった.今にして思えば日本の会社員は,意図はしないまでも社畜だったのである.
 その時代にサントリーの詐欺商法を告発したサントリーの社員はまことにレスペクトに値した.
 私はかつて勤務した会社の企業犯罪を承知しながら,勇気足らず内部告発に至らなかった苦い記憶がある.それ故,サントリーオールドの事件を思い出すたびに内心忸怩たるものがある.

 それにしても,CМ《絶頂うまい出張》は酷い.このCМが炎上したことは,私たちの良識いまだ地に落ちずということだと思う.

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2017年7月 8日 (土)

恐怖のエンディングノート

 世は高齢社会 (国連の定義では既に超高齢社会) を迎え,皆様におかれては寂聴尼の御著書などを読みつつ,死に支度に着手されたことであろう.いやめでたいめでたい.
 子に残す財産とてない私は,資産家女優の (「恐怖のノート」を抱えて現在逃亡中) のごとき奇行はせずに済むわけだが,それでも銀行の通帳と陋屋の土地権利証とか個人年金の証書などの仕舞い場所は子に伝えないと,死後にややこしい手続きが必要となり,子に迷惑をかける.
 こんな事情は高齢者の多くが抱えていて,それが何年も前からの「エンディングノート」需要になっていると思う.

 紙のエンディングノートはコクヨのベストセラーがあるのだが,PCのアプリケーションは「筆まめ」から「はじめてのエンディングノート」が出ている.
 しかし,ただのメモに過ぎないエンディングノートのためにこんな特別なソフトを使うのはエンディングノート界の邪道であろう.一番よいのはテキストファイルだが,会社員だった人の中にはテキストファイルというものの存在すら知らない人がいるのが実情だ.
 それでもエクセルやワードを何とか使えるのであれば,それらにテキトーに書いておけば無問題だが,会社を定年になってからパソコン教室に通いました,なんて人だと,それも敷居が高いかも知れない.

 そのような人たちのために,「筆まめ」は「はじめてのエンディングノート」をアマゾンで¥4,536というベラボーな価格で販売しているわけだ.

 ところが,この「はじめてのエンディングノート」,アマゾンではたった一人のレビューしかなく,しかもそれが☆一つという最低評価だ.
 興味を引かれてそのレビューを読んでみた.以下はそれを箇条書きにしたもの.

(1) このアプリは一人分のデータしか作成できない.夫婦で別々にエンディングノートを作成したい場合は使えない.
(2) 一台のパソコンに「はじめてのエンディングノート」は一つしかインストールできない.

 これはもう何と言っていいのやら.この人物は Windows OS の基本が理解できていない.解決方法はいくらでもあるが,この人は現役時代にパソコンに触れたこともないのだろう.

 次は,パソコンの操作以前の,高齢者に必要な基本的かつ重要知識なので《》に直接引用する.

また、公的年金と私的年金のタブがあるのですが、共済年金と厚生年金・国民年金の3つを受領している人は多いと思います。これらは私的年金ではないと思うのですが・・・。公的年金はひとつしか登録できませんでしたので、問い合わせたら私的年金は複数登録できるという変な返事でした
買う必要は全くありません。ムダな買い物をしてしまいました。

共済年金と厚生年金・国民年金の3つを受領している人は多いと思います》に腰を抜かした私は,パソコンの前の椅子から転げ落ちた.
 パソコン知識がない上に,このレビュー筆者は公的年金の仕組みも全く理解していないのだ.
 周知のように,公的年金は一人一年金の受給が大原則である.
 年金の統合等の事由によって見かけ上,二年金を受けているように見える場合があるが,これは便宜上の特例措置にすぎない.しかもそのような事例は少ないと思われる.
 そのような場合でも実質上は一人一年金原則が貫かれているので,エンディングノートには「特例〇〇年金+厚生年金」とでも書いておけばよい.
 まずは,自分の年金の仕組みを理解することが必要で,そうしないと残された遺族が大迷惑をこうむる.
 この人物は結局,紙のエンディングノートに書いたのではないかと想像されるが,その内容は間違っていると考えられる.
 私たち高齢者は,意味不明なエンディングノートで遺族に迷惑をかけぬよう心掛けたいものである.

[追記]
 上のレビュー筆者は,正論を主張しているならばよいが,勉強嫌いが故の大間違いを世間に晒して恥をかいているにもかかわらず「悪いのは私ではなくて筆まめだ」という老人特有の不寛容に陥っている.貴君の勘違いですなどと指摘しようものなら逆ギレするであろう.
 年金については「嫌われる食い逃げ団塊世代」という若い人たちからの批判もあり,自戒も込めてしみじみと情けない思いをしていたら,《老婆は一日にして成らず》と題した知的なブログを発見した.
 いいですなー,このセンス.老爺は一日にして成らず,とパクリたいが,語呂が今一つ及ばない.

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2017年7月 7日 (金)

ホー・チミン シティ

 このブログを始める前は《江分利万作の生活と意見》という同名の個人サイトを運営していた.
 そのうちの日記部分が《雑事雑感》とその続篇《続・雑事雑感》で,書評は《晴耕雨読》といった.
 これは現在の《新・雑事雑感》 《続・晴耕雨読》というカテゴリーに継承されている.(@ニフティのサービスが終了したために消滅した《雑事雑感》と《続・雑事雑感》は原稿を保存してあるので,そのうちにこのブログに再掲載しようと思っている)

 で,当時の《雑事雑感》は,その月の記事の冒頭に画像一葉と《今月のお言葉》と題した短いエッセイを載せるスタイルをとっていた.
 その《2004年8月 今月のお言葉》は,こんな記事だった.

Saigon1992

会社で今の仕事に就いてから一年半が過ぎた.もしかしたらワン・ポイントかも知れないという気がしたので,少し荷物を前の職場に残していたのだが,どうやらこれが最後の転勤のように思えてきた.
 それで,とうとう本やら資料やらを前の職場の人に頼んで自宅に宅急便で送ってもらった.荷物を開けると,写真を雑多に突っ込んでいたアルバムがあった.
 そのアルバムをぱらぱらとめくると古い写真がたくさん出て来た.
冒頭の画像は,十二年前のヴェトナムの街中である.仕事でホー・チミン市に行った時に泊まったホテルの窓から,夜が明ける直前に撮影したものだ.

 連続的に変わっていく毎日の出来事は直ぐに忘れてしまうけれど,旅行など非日常的な事は,飲酒喫煙で加速するような気がする脳細胞の死滅によく抵抗して,一枚の写真で思い出がくっきりと立ち上がってくる.写真というものの価値は一口にいえないと思うが,私達ごく普通の人間にとって写真は,懐かしい思い出と共にある.

 この当時のパソコンはまだウィンドウズ以前であった.周辺機器としてスキャナがショップ店頭に登場するのは数年後である.
 だから印画紙のままになっているのだが,これをデジタル・データ化するのが良いかどうか.そのまま褪色させるのも,写真の一つのあり方のようにも思われる.

 印画紙のままだった若い頃の旅の写真は,結局,画像データにした.そんなことをしなくても,その画像の一つ一つは,私の頭の中にある旅の記憶のコピーに過ぎないから,大した意味はないのだけれど.

 さて上の画像は,旧サイゴン市1区の中心部 Ton Duc Thang 通りに近い Sai Gon 川に係留されていた船舶から撮った写真である.
 この船は,今の横浜の氷川丸みたいに海底に固定されているのではなく,ちゃんと川に浮いていて,船の中は,客船の船室の雰囲気を活かしたホテルとして営業していた.このホテルは当時のホー・チミン市では数少ない最高級ホテルで,The Sai Gon Floating Hotel といった.
 元々はシンガポールで1988年に建造され,オーストラリアに移動して,やはりホテルとして経営していたのだそうだ.
 船舶とはいうものの,長距離の航海能力は不足していて,オーストラリアへは牽引されて行ったと聞いた.
 それが,日本の会社に買われてオーストラリアからベトナムに運ばれ,五つ星ホテルになったというわけ.
 私がこのホテルに宿泊した時のベトナム旅行をアテンドしてくれたのは三井物産で,物産が宿泊をこのホテルにしたのは,経営が日本資本だったからかも知れない.

 しかしその後,ベトナムの経済成長と共に他の新しいホテルが人気となったために,このホテルは業績が落ちた.そして1997年に韓国 Hyundai グループに買われ,Hyundai は北朝鮮に持っていった.今も金剛山観光地区近くの長箭港に係留されているという.

 テレビでベトナムやホー・チミン市の映像が流れると,私は今でもこの豪華ホテルのことを思い出す.一昨日のテレビ番組でダナンの映像を観て,忘れ難いことのあった昔の旅行を思い出したので書いてみた.

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ダナン

 一昨日 (7/5) 放送のテレビ東京『ソレダメ!~あなたの常識は非常識!?』に小沢一郎氏が出演した.
 最近はあまり存在感のない氏であるが,バラエティ番組に出て楽しんでいる様子がなかなかよかった.

 さてこの日の放送の話題として,

♦この夏行きたい!ソレマルベトナム旅行の新常識
海外旅行先急上昇ランキングに3年連続ランクイン…今、人気沸騰中のベトナム!
特に人気のダナン・ホイアン(中部方面)旅行の新常識を伝授。
地元の人がオススメする、グルメに観光・ショッピングのソレマル新常識で、この夏の旅行を満喫! また、小沢一郎のベトナム戦争時の視察秘話が明かされる。

と,最近はベトナム旅行,特に中部の中心都市ダナンが大人気なのだと紹介された.
 イントロの映像に続いて司会の若林正恭が「ベトナムに行った事ある方はいらっしゃいますか?」と言うと,ゲストの小沢一郎と関根麻里,レギュラーの小籔千豊の三人が挙手した.

(若林) 《小沢先生も! どうでしたかベトナムは?
(小沢) 《ぼく一番最初に行ったのはベトナム戦争の時のサイゴン.ホーチミン,今の.戦争の最中.
(小沢) 《ぼくらが乗っている車の前を米軍の車が走ってて,それが,ボーン!
(若林) 《すごい話ですねー.今から観光の話しようと思ってたんですが.
(一同爆笑)

 それから番組は,現在のダナン観光の宿泊やらショッピング,食事などを紹介したのだが,ダナンはとても魅力的な観光地だと思った.

 小沢一郎氏が,番組の話題はダナン観光なのに,戦争時のサイゴン視察旅行の記憶を持ち出したのは,やはりダナンが激戦地だったことを思いだしたためだろう.
 Wikipedia【ダナン】に下のように記述されている.

1965年3月、ベトナム戦争の際には、朝鮮戦争以来のアメリカ海兵隊が上陸して、大規模な米軍基地を建設し、1967年には中央直轄市となった。1968年の旧正月に南ベトナム解放民族戦線がダナン駐留米軍に大攻勢をかけたテト攻勢はベトナム戦争の激戦の一つである。ベトナム戦争後、ダナン市はクアンナム省と合併して「クアンナム=ダナン省」となった。

 私も,ダナンと聞くとテト攻勢を思い出すクチだが,そのダナンが東南アジア有数の美しいリゾート地になった現在の映像を見ると,隔世の感がある.
 私は若い時に一度,ホーチミンに行ったことがあるが,他の土地は知らない.

 ダナン,行ってみたいぞ!

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2017年7月 6日 (木)

苦行『ひよっこ』視聴を再開

 先週の土曜日の記事《2017年7月1日 昭和の時代考証 (了) 》に,私は次のように書いた.

実はこの二週間の『ひよっこ』は,ドラマの舞台がラジオ製造工場の時よりもさらに幼稚園の演芸会化が進行していた.(それでもあの頃はラジオ工場の女子工員たちの合唱部のコーラスがとてもよくて,私は大いに感心して観ていたのだが)
 岡田惠和は,三宅裕司や白石加代子に,こんな馬鹿ドラマに出演させてまことに申し訳ないと平身低頭謝るべきである.
 朝ドラは短い十五分番組であるとはいえ,視聴は時間の無駄としか思えないので,今日で私は『ひよっこ』を観るのをやめることにした.
》 (引用文中に,幼稚園の「演芸会」と書いたが,幼稚園は初等教育を担う学校の一つであることから「学芸会」と呼ぶのが行政的に正しいらしい.訂正する)

 ところが昨日,ネット上の,降って湧いたようにNHK朝ドラ『ひよっこ』を賞賛する青少年の声に驚いた.

 時は中国後漢末期,呉の参謀魯粛が呂蒙に会った際に,その見識に驚いて「呉下の阿蒙に非ず」と驚いた時,呂蒙が「士別れて三日,即ち更に刮目して相待すべし」と答えた故事が,私の頭に閃いた.
 あるいは,みにくいアヒルの子の例もある.もしやと思いつつ,伝手を頼って録画を探して観てみた.
 だが悲しいかな,みにくいアヒルの子はやはりアヒルの子だった.
 どうして青少年たちは,あの『ひよっこ』の放送が「神回」だなんて高く評価するわけ?
 ドラマの筋書きは次のようである.

 ヒロインみね子の叔父宗男は戦争中,インパール作戦のさなか,斥候にでた時に英国兵と遭遇する.
 その英国兵がなぜか宗男を見逃してくれたおかげで,宗男は九死に一生を得て,復員して田舎に帰ることができた.
 それ以来の戦後ずっと,宗男は,自分を生き延びさせてくれたあの英国兵のことを忘れられず,それがビートルズに熱中するようになった理由だと洋食店シェフの省吾に語った.

 という話なのだが,これは,まっとうな人間には全く理解し難いドラマ展開である.
 そもそも戦争体験とビートルズを結びつけるのは無理がある.
 世に「ビートルズ世代」という.
 戦後生まれのビートルズ世代がビートルズの楽曲から影響を受けるには,それを可能とする日本人の音楽体験が必要だった.その音楽体験が,進駐軍キャンプおよび米軍極東放送から始まったことは周知のことである.また戦後日本の学校教育における英語教育もこれに力あった.
 宗男の世代には戦争体験があるが,しかし進駐軍キャンプで戦後の音楽体験をスタートすることは年齢的にできなかったはずである.
 このようにビートルズ世代と戦争体験世代の間にある二十年という年月の重みを無視し,あろうことか脚本家岡田惠和は強引にして驚くべき荒業を振るった.
 宗男に「(英国兵のこととビートルズが頭の中で) ゴチャ混ぜになって……」と言わしめたのである.
 うむ.確かに,ゴチャ混ぜにすれば如何なるドラマ展開も可能となるだろう.
 だがそれでいいのか.あんまりな御都合主義脚本に驚いた私は,テレビの前のイケア製安楽椅子から転げ落ちた.

 『ひよっこ』の中でインパール作戦の時の短い記録映像が流れたが,増田明美さんのナレーションは明るすぎである.私は増田さんのファンだが,あの場違い感は頂けない.
 増田さんのナレーションではなく字幕を使う方法もあったろうに,岡田惠和の脚本が,インパール作戦を単なるドラマのお手軽小道具として,明るく使ってみただけであるとすれば,これは許し難い.
 この岡田惠和という男が,戦争体験というものをどう考えているのか.ドラマ進行の様子によっては鉄槌を下す決意で『ひよっこ』の視聴を再開する.

 あとそれから,宗男は,ビートルズ東京公演のチケットもないのに,義父の法事と農作業を放り出して無責任な上京をしたのであるが,農作業は嫁の静ちゃんが一人でやっているらしい.宗男はいてもいなくてもいいのであった.
 だがしかし,その手の男は江戸明治の昔以来,我が郷土上州の専売特許ではないか.
 茨城の男も女も怒るがよい.岡田惠和は茨城と群馬の区別がついていないぞ.

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2017年7月 5日 (水)

歩兵第213連隊

 ネット上の芸能情報をちらちら見ていたら,昨日のNHK朝ドラ『ひよっこ』が若い人たちの話題になっているようだった.
 それでその回の内容が書かれているブログを探したところ,《ディレクターの目線blog》というブログの《ひよっこ (第80回・7/4) 感想》がわかりやすくまとめていた.
 そこからちょっと引用する.

真夜中の工事現場みたいな照明が真横から煌々と当たる不自然な広場だが、省吾(佐々木蔵之介)の突然な「宗男、お前、戦争中どこにいた?」の一言から、物語が大きく動き出す。
省吾「インパール作戦ってことか?
五郎「え…」
宗男「はい…。生き残(のご)りです。
   仲間は、殆ど皆戦死しましました (
ママ)」
 
 これだけだと大事な一言が抜け落ちているのでわかりにくいが,他のブログも参照して補うと,以下のようなことだったようである.

 洋食屋「すずふり亭」のシェフである省吾が,ヒロインみね子の叔父である宗男に,戦争中はどこにいたかと訊ね,宗男がビルマだと答えると,すぐに省吾が,お前は茨城だったろ,だとするとインパール作戦か?と再度質問するのである.(会話のやりとりは正確ではないかも知れない)

 それからあとは《ひよっこ (第80回・7/4) 感想》の通りだろう.

 さて,この放送回を観た若い視聴者の中に一人,省吾が〈茨城+ビルマ〉からすぐにインパール作戦のことを思いついた理由がよく理解できない,という人がいた.
 私がざっと調べた限り,多くの若い人たちは,この人の感じた疑問を疑問とも思わないでスルーしてしまったようだ.
 しかし,この省吾の台詞に関する疑問は,報道解説の池上彰氏ならきっと「いい質問ですね」と言うだろう.
 私の父親の世代は,戦時中,どの地方出身の兵たちがどの激戦地で奮戦したかということは,省吾のようにかなり詳しく知っていたからである.(私もたまに父親の口から聞いたことがある)

 インパール作戦について記せば,太平洋戦争において陸軍に「歩兵第213連隊」があった.
 この連隊は茨城県水戸市で昭和十四年に編成され,終戦の時点では第33師団に所属した.
 この連隊は昭和十七年二月十日に中国大陸からタイに移動し,ビルマ戦線に投入され,直ちに英印軍を主力とした連合軍と戦闘を開始した.
 昭和十九年一月十五日にインパール作戦が発動された後のことは Wikipedia【インパール作戦】を参照されたい.
 インパール作戦の結果,第二次世界大戦に参戦した各国の軍人の中で,最も無能にして無責任かつ卑劣な司令官であった牟田口廉也中将のために,二万人以上の日本陸軍兵士の命が失われ,さらに三千七百人の戦病者が発生したのである.
 茨城県出身者で編成された歩兵第213連隊は,インパール作戦で四千二百七十八名が戦死し,ほぼ全滅した.
 インパール作戦のことを軽いドラマの瞬間的一挿話にしてはならぬと私は思う.脚本家がインパール作戦を取り上げたいのなら,放送期間を貫くドラマの主題として,日本陸軍の無能かつ卑劣な精神にまで言及しなければ,死んだ兵士たちが浮かばれぬ.高齢者には周知のように,NHKはインパール作戦の悲劇を描く資料を有しているはずである.

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調味料容器二題

 少し前から「ヤマサ鮮度の一滴 超特選しょうゆ」を卓上で使っている.私見だが,これはかなりの優れものなので紹介したい.

 商品説明を引用しよう.

エアブロック弁により、開封後常温保存でも180日間鮮度キープできます。改良によりさらに注ぎやすく、注ぎ終わりの液切れもよくなりました。
びんより軽くペットボトルよりも樹脂使用量が少ないエコ容器、キャップがないので開け閉めのわずらわしさがなくスマートに使えます。

 商品容器はスタンディング・パウチタイプで,その注ぎ口にある《エアブロック弁》に私は感心したのである.
 スタンディング・パウチ容器を,例えば刺身とか,おひたしの上で傾け,少しパウチ容器に力を加えると,密着している二枚のフィルムでできているエアブロック弁が,内部の圧力でわずかに開き,醤油が滴々と流れ出る仕込みである.
 この弁は,二枚のフィルムが密着しているだけだが,何かしらの工夫がなされているようで,醤油を注ぎ終わると元の密着状態に戻り,外部と遮断される.
 容器外部の空気に晒されることが少ないという触れ込みのペットボトル醤油容器もある (ヤマサの商品では「ヤマサ鮮度生活 特選丸大豆しょうゆ」など) が,これはボトルが元の形に復元するときに外から空気を吸い込んでしまう.
 その際にピーヒョロロローと音を立てるのがうるさいのはともかくとして,空気を吸い込んじゃだめじゃん,と思う.
 ところがスタンディング・パウチ容器は復元力がないので,空気を吸い込まないのだ.
 そのせいだろうが,スタンディング・パウチ容器型が《開封後常温保存でも180日間鮮度キープ》なのに対して,ボトル型は《開封後、常温保存で90日間酸化を防いで、しょうゆの鮮度キープ》となっている.
 ボトルタイプでも使い終わるまで醤油が赤い色調を持続したのには感心したが,心なしかスタンディング・パウチ型のほうがさらに鮮烈な味わいのような気がしないでもないと言うにやぶさかではないとヤマサさんにお伝えください.ではまた.
 とはいうものの欠点がないわけではない.この容器は幼児には扱いが少し難しいかも知れなくて,テーブルの上にピューッと醤油をまき散らすおそれがあるような気がしないでもないと言うにやぶさかではないとヤマサさんにお伝えください.ではまた.

 この「鮮度の一滴」と同じ頃に購入したのが,オタフクの「キュッとさっぱりトンカツソース」だ.
 この商品は容器のことを特に訴求していないが,注ぎ口が秀逸である.
 私んちの冷蔵庫には,これまでキッコーマンの「キッコーマン デリシャスソース ウスター」は常備で,その他には「キッコーマン デリシャスソース 中濃」または「キッコーマン デリシャスソース とんかつ」を備えていた.
 しかしキッコーマンのウスターは,注ぎ口の穴が大きくて,ちょっと傾けすぎると,とんかつの上にドバーっとあふれ出て,せっかく和幸アシビシティビル藤沢売店で買ってきたサクサクのとんかつが,ウスターソースでびしゃびしゃになってしまう.
 中濃はまあまあだが,とんかつソースは,だーらーだーらーと,だらしなく出てくるので,「しっかりせんか!」とつい癇癪を起してキッチンの壁に激しく投げ当て,床がとんかつソースまみれになることがある.うそ.

 そこにいくとオタフクの「キュッとさっぱりトンカツソース」は注ぎ口の穴が小さくなっており,マヨネーズ容器のようなチューブに力を加えると,必要な分量のトンカツソースが速やかに出てくる仕組みになっている.これは快適だ.もっと早くからこれにすればよかった.
 これはもう日本のトンカツソース界に君臨するオタフクだけのことはある.さすがだと感心した.というか,キッコーマンがだめじゃん.

 余談ながら,キッコーマンはとんかつと表記し,オタフクはトンカツだと言う.おかげで私の単語表記は引きずられて不統一であります.

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嘘つきに鉄槌を

 最近公開された映画『キング・アーサー』のレビュー連載《『キング・アーサー』を弁護する》の《(四) 》で私は次のように書いた.

一方,アーサー王物語の《アーサーの血筋を証明する石に刺さった剣》だが,大体において普通の剣が石に刺さるわけがない.しかし刺さっているからには,何かしらの理由があるわけで,それがアーサーの血筋を証明する理由ともなるのだが,その理由が実ははっきりしないのだ.
 前に紹介した自称歴史研究家で,この剣は石を鋳型にして作られたものであり,そのため石に刺さっているように見えるのだとブログに書いている 馬鹿 知ったかぶり 人がいる.石を鋳型にして鋳造する方法があるなら教えて欲しいぞ.石から飛び出ている柄はどうやって作ったんだ?
 それに,鋳造で作った剣は模造刀であって剣としては使えないじゃないか.

 上に再掲したこの部分では明記しなかったが,《前に紹介した自称歴史研究家》のブログなどと曖昧にすべきではないと思い直した.
 なぜなら,世界史を勉強している高校生なら騙されないだろうが,もし『キング・アーサー』を観た小中学生がネット上の資料を探してその自称歴史研究家の嘘八百ブログを読んだら,金属器の歴史について間違ったことを刷り込まれるおそれがあるからだ.そこで映画レビューとは稿を別にして,小中学生の学習の一助となればよいと考え,その自称歴史研究家の嘘を批判することにした.
 ではまず,自称歴史研究家の嘘八百ブログを紹介しよう.ブログタイトルは次の通りである.

イギリス・ウェールズの歴史ーカムログ
ウェールズ語ではウェールズの事をカムリ (仲間) と言います。歴史深いウェールズに触れて下されば嬉しいです

 このブログの筆者は《「ウェールズ歴史研究家」たなかあきら》という.
 このブログ中に《伝説の剣エクスカリバーの本質に迫る 》と題したページがあり,さらにその中に《エクスカリバーの作り方》という節がある.
 そこに下の記述がある.

エクスカリバーはどうやって作られたのでしょうか?
活躍するエクスカリバーのところでも書いたように、ブリタニア列王史の一文にエクスカリバー(カリブルヌス)は鋳造で作られたと記されています。
当時の技術から考えても鋳造で刀が製造されていた可能性は非常に高いといわれています。また、岩に刀が刺さっていた、という描写はまさに鋳造で刀を作っていた証拠ではないか?とも考えられます。
その再現されたエクスカリバーの製造の手順を簡単に書きます。
・るつぼの中で金属を高温で溶かします。
・剣をかたどった型を準備します。アーサー王の伝説によるとこの型が岩でできていることになります。
・溶けた金属を型に流し込みます。
・溶けた金属を型の中で固まらせ(凝固)、冷えるまで待ちます。
・剣が黒みを帯びて冷えて来たら、ゆっくりと抜き出します。
・取り出して、剣のふちのバリを取り除き磨いたら出来上がりです。

※こちらの記事には動画もありますので見てください

 鉄器の歴史は,世界史で大学を受験生する高校生なら知っていなければいけない.
 Wikipedia【鉄器時代】から抜粋引用する.

鉄器の発明と伝播
……
最初の鉄器文化は紀元前15世紀ごろにあらわれたヒッタイトとされている。ヒッタイトの存在したアナトリア高原においては鉄鉱石からの製鉄法がすでに開発されていたが、ヒッタイトは紀元前1400年ごろに炭を使って鉄を鍛造することによって鋼を開発し、鉄を主力とした最初の文化を作り上げた。
……
紀元前1200年ごろにギリシアの北方から製鉄技術を持つドーリア人が侵入し、ミケーネ文明の諸都市やその構成員であったアイオリス人やイオニア人を駆逐しながらギリシアへと定住した。この時代は文字による資料が失われていることから暗黒時代と呼ばれるが、一方でアイオリス人やイオニア人を含む全ギリシアに鉄器製造技術が伝播したのもこの時代のことである。
……
ヨーロッパにおいては、地中海沿岸のイタリア半島中部には紀元前1100年ごろからヴィラ・ノーヴァ文化が栄え、紀元前750年ごろよりこの文化が都市を形成してエトルリアの諸都市が成立した。中央ヨーロッパにおいては青銅器文明後期の段階にあったハルシュタット文化が紀元前800年ごろに鉄器を受け入れ、紀元前450年ごろからはかわってラ・テーヌ文化が栄えるようになった。

 上の引用の《中央ヨーロッパにおいては青銅器文明後期の段階……》がケルト人やゲルマン人の鉄器文化について記している箇所である.
 ヨーロッパの鉄器製造 (青銅器も同じ) は,鉄器文化の初期から中世の末期に至るまで,鍛造であった.
 ところが,ヨーロッパから遠く離れた古代中国では,紀元前十八世紀から青銅器の鋳造技術が開発され,戦国時代には鉄器を鋳造する技術が発展した.
 これに対して,ヨーロッパで鉄器の鋳造が可能となったのは,古代中国から著しく遅れて,十四世紀のことである.
 以上が高校レベルの知識であるが,次に《「ウェールズ歴史研究家」たなかあきら》氏の文章から引用しながら,その嘘を暴いてみよう.

ブリタニア列王史の一文にエクスカリバー (カリブルヌス) は鋳造で作られたと記されています。

 ヨーロッパ中世の中頃,イングランド王国に住んでいたジェフリー・オブ・モンマスが偽史書『ブリタニア列王史』を創作したのは,1136年頃である.
 上に述べたように,ヨーロッパ中世の中頃,まだヨーロッパには鋳造鉄器を作る技術がなかった.
 いわんやアーサー王の時代である中世初期に,エクスカリバーを鋳造することは不可能であった.
 そもそも『ブリタニア列王史』は,我が国の文学ジャンルでいえば伝奇小説に分類されるフィクションなのである.
 次に行く.

剣をかたどった型を準備します。アーサー王の伝説によるとこの型が岩でできていることになります。

 この人は,鋳型というものを見たことがないのだ.
 鋳型は鎔笵ともいう.Wikipedia【鎔笵】から引用して説明する.

(鋳型は) 《当初は両面2つの外型を組み合わせた形状のものが用いられたが、後に銅鐸や容器を鋳造するために内型と外型を組み合わせその隙間に金属を流し込む方法も用いられた。歴史時代に入ると貨幣や仏像・仏具の鋳造のための型としても用いられた。

 上の引用箇所で説明されているように,鋳造技術の歴史において,鋳型としては,二つの外型を組み合わせる方法や,あるいは内型と外型を組み合わせる方法が用いられてきた.パーツに分解できない一つの岩が鋳型として使われたことはない.
 一つの岩に,刀身の断面の形の穴を数十センチの深さに彫って鋳型にすることは,現代の技術をもってすれば可能だろうが,そもそも鋳物の技術を持たなかった五世紀のケルト人にできたはずがないのである.

剣が黒みを帯びて冷えて来たら、ゆっくりと抜き出します。

 鋳型が刀身部分を型取ったものであるとすると,この剣には柄がないから抜き出すことが不可能である.
 鋳型が刀身部分と柄の部分を型取ったものであるとすると,柄が鋳型の中に入ってしまっているので,これを掴んで抜き出すことは不可能である.(笑)
 こういう文章を書いて平気な人は,かなり知能程度が低いと断じて差し支えない.

こちらの記事には動画もありますので見てください

 その記事《アーサー王のエクスカリバーはどうやって作ったのか?》を見てみよう.
 大嘘つきの《たなかあきら》氏は,

実際にアーサー王のエクスカリバーはどうやって作っていた可能性があるのか?当時の技術を考慮して再現実験がなされました。

と書いているのだが,呆れたことに全く再現実験になっていない.
 この《再現実験》とやらの鋳型は,画像を見ると耐熱レンガ製の三つのパーツに分解できるように作られている.しかしエクスカリバーが刺さっていた岩は一つの岩だったはずだ.
 その岩が三つに分解できるようになっていたなんて話は初耳だ.
 アーサー王の物語に存在しない条件を勝手に創作してはいけない.
 こんな幼稚な詐欺的記述で,常識ある人間が騙されると思っているのか,この嘘つき男は.
 第一,歴史的に実用武器として鉄の刀剣が鋳造されたことはない.鋳鉄は脆いため,盾や甲冑を打撃すれば簡単に折れてしまうからだ.この鋳鉄の性質を,私は中学校の技術・家庭科の授業で学んだ.調べてみると現在でも中学で得る知識である.
 洋の東西を問わず実用刀剣は鍛造で作られた.その理由は鋳鉄の性質を知っていれば容易に理解できる.従って《「ウェールズ歴史研究家」たなかあきら》氏の知識レベルは中学生以下であると考えられる.

 ネット上には,巧妙な嘘が多くあって,それは Wkipedia の中にも存在するくらいだが,上に批判した《「ウェールズ歴史研究家」たなかあきら》氏の如き幼稚な嘘は,滅多にあるものではない.幼稚な嘘は恥ずかしいから,鉄面皮でないとつけないのである.

 以上,《「ウェールズ歴史研究家」たなかあきら》氏に鉄槌を下した.話が鉄だけに.(笑)

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2017年7月 4日 (火)

『キング・アーサー』を弁護する (五)

 前回の記事《『キング・アーサー』を弁護する (四) 》の末尾を再掲する.

こういう人は横に置いといて,私は,エクスカリバーの出自由来を観客に知らしめる上で,『キング・アーサー』の脚本はよくできていると思う.
 ところが,レビュー《不親切 》が掲載されているのと同じ映画レビューサイト《映画.com》では,作文を投稿している何十人もの子どもたち (知識がないことの婉曲表現) が皆揃ってアーサー王の物語を知らないせいか,誰もこの脚本のアイデアに触れていない.
 そこで次に,『キング・アーサー』で描かれた聖剣エクスカリバーの物語の概略を示そう.

 その最初に,映画『キング・アーサー』のプロローグにほんの少しだけ登場するモルドレッドを紹介する.

 まず映画の観客は,一般教養とは言い難いが,以下のことを知っておく必要がある.
 第一のエピソード.昔々,古代エジプトに住んでいたヘブライ人家族に美しい子が生まれた.その頃,エジプトにヘブライ人が増えることを懸念していたエジプトの王ファラオは,ヘブライ人の男児を殺すよう命令した.
 ヘブライ人家族に生まれた美しい子は,出生後しばらく人目に隠れて育てられたが,やがて隠し切れなくなり,パピルスのかごに乗せてナイル川に流された.しかし奇跡的に助かって成長し,モーセと名付けられた.(旧約聖書の『出エジプト記』に見えるエピソード)
 長じたモーセは神の命を受け,ヘブライ人を乳と蜜流るる「約束の地」 (Wikipedia【カナン】を参照;現在のパレスチナ周辺) へと導くことを自らの使命とする.
 モーセはファラオに会ってヘブライ人がパレスチナへ大挙して移動する許しを求めたが、ファラオは拒絶した.そこでモーセの神は,エジプトに対して空前絶後にして残虐魔道の行いである「十の災い」を下した.
 エジプト中の長子を無差別殺戮されたファラオは遂にモーセとその神に屈服し,ヘブライ人たちがエジプトから出ることを認めた.(旧約聖書の『出エジプト記』に見えるエピソード;そんな超常的魔力があるなら勝手に出て行けばいいとブログ筆者は思うが,ヘブライ人の神は,ヘブライ人以外の人間を苦しめるのが仕事なのだろう)

 第二のエピソード.昔々,ユダヤの支配者であったヘロデ王は,星を見て救世主が誕生したことを知り,拝もうとベツレヘムにやってきた東方の三博士から「新しい王」(イエス・キリストを指す) の話を聞いた.
 ヘロデ王は「新しい王」に自分の地位が脅かされることを恐れ,ベツレヘムで二歳以下のすべての男子を殺害するよう命じたという.(新約聖書の『マタイによる福音書』に書かれた伝説だが,他の福音書には記述がなく,創作とされている;Wikipedia【幼児虐殺】を参照のこと;「幼児虐殺」は西洋宗教画の画題として有名で,中野京子先生の著書にも解説がある)
 さて第三のエピソードはアーサー王の物語である.
 Wikipedia【モルドレッド】から下に引用する.

アーサーの甥、もしくはアーサーがモルゴースとの近親相姦でできた不義の子とされる。マーリンはそのモルドレッドのことを暗に示し、「5月1日に生まれた子供が、アーサーの王国を滅ぼすだろう」と予言する。 その結果、王国中の5月1日生まれの子供がモルドレッドを含めて集められ、船に乗せて海に流される。 しかし、モルドレッドは奇跡的に助かり、ナブールに助けられて成長し、騎士としてアーサー王の前に現れた。

 これらエピソードの成立時期からすると,アーサー王の最強の敵であるモルドレッドの出自は,第一と第二のエピソードの影響を受けている.
 影響を受けたのは構わぬが,アーサー王を含めて,どうしてこうも古代の権力者たちは揃いも揃って幼い子どもたちを殺戮するのであろうか.
 特に旧約聖書における「十の災い」は酷い.酷すぎる.私たち日本人のメンタリティは,これを受け入れ難い.イスラエルを含めて欧米の諸国民は,神による悪魔の如き所業を何とも思わぬのであろうか.

 ま,それは別の話として,『キング・アーサー』において監督ガイ・リッチーは,さすがに悪逆非道の王アーサーの物語がファンタジーとして観客に受容されるように基本設定を整理し直した.
 アーサーの宿敵モルドレッドの名だけ残し,モルドレッドはアーサーの父王と戦った悪の魔法使いとし,プロローグだけに登場させてあとは知らぬ存ぜぬことにした.(笑)

(続く)

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2017年7月 3日 (月)

自分でも食べてみろっ

 今朝の飯のおかずに豆腐を食べた.
 商品の名称は「充填豆腐」で,四角く白いポリスチレン製の小容器の上面に貼られたポリエチレン製フィルムに「榛名山麓水仕込み のどごし 絹 味わいのある大豆でのどごしよく作りあげました」と書いてある.
 製造者は,株式会社光商 群馬工場 (群馬県北群馬郡榛東村広馬場3584-3) である.

 さて容器の上面に貼られた透明フィルムを,四角い容器との接着面から外に少しはみ出した端っこを指でつまんで剥がそうとしたのだが,いかに老人とはいえまだまだ若いモンに負けてはおられんと日々頑張っている私が,満身の力を込めても剥がれない.
 遂に諦めて,ペンチを工具箱から持ち出してきて剥がそうとしたのだが,部分的にベリッと小片化して剥がれてしまった.
 残ったフィルムを,何度も何度も悪戦苦闘して剥がし,なんとか中身を食べられるようにはできたが,なぜこんなに強力に容器とフィルムを接着せにゃならんのだ,おのれ株式会社光商群馬工場めそこへ直れ,と私は怒りにブルブルと震えた.

 たぶんこの豆腐は,鋭利なカッターでフィルムを容器の縁に沿って切り取らないと,豆腐を取り出せないのだが,高齢社会 (余談だが小池知事は,今や高齢化社会ではなく高齢社会であると持論を述べている) では,年寄りには可及的に刃物を使わせぬようにしなければいけない.障碍者に対する配慮のこともある.ユニバーサルデザインなんて,今や常識だろうが,株式会社光商群馬工場の社長以下は全く考えていないと思われる.

 おそらくこの株式会社光商群馬工場の社員は,自分ちの製品を食べていないのである.社員が会社を愛していれば毎日この絹ごし豆腐を食べるから,包装の欠陥に必ず気づくはずなのである.
 別の大手の豆腐製造業者の製品は,上面のフィルムの端に「ここから開けてください」旨のマークが印刷されており,その通りにすると実にきれいにフィルムが剥がれる.こうも見事に接着力が調整されていると,感心するし,ポリスチレンの容器とポリエチレンフィルムをきちんと分別してゴミ収集に出そうという気にもなる.
 株式会社光商群馬工場の社員は,製品の品質にもゴミの分別にもきっと無関心だろうと想像されるのだ.

 以上は豆腐の容器についてだが,樹脂製カップ入りのコーヒー飲料にも,ペンチを使用してもフィルムを剥がせないものがある (一例;製造者 トモヱ乳業株式会社,商品名 Caffè Latte 砂糖不使用 〈*註〉).
 加工食品製造業にとって,消費者志向の容器開発は極めて大事な課題である.ならば全社一丸となって愛社精神を奮い起こせと言いたい.
 で,件の豆腐だが,凝固剤の使用量過多だ.「のどごしよく作りあげました」は嘘である.そんなもんだろうね.

〈*註〉 トモヱ乳業のウェブサイトのコンテンツ「カップ飲料」に,この商品は掲載されて然るべきであるが,見当たらない.いかにいい加減な会社かよくわかる.この会社にして,この商品あり.

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『キング・アーサー』を弁護する (四)

 前回の記事《『キング・アーサー』を弁護する (三) 》の末尾を再掲する.

その理由として,アーサー王の物語は過去の色々な人たちが夫々勝手に創作したストーリーが混乱して流布したために,統一された世界観がないことが大きいだろう.
 例えばA君とB君がアーサー王の物語について語ろうとしても,A君の知っているアーサー王伝説とB君の知っているそれが異なっているのでは,盛り上がろうはずがない.
 アーサー王伝説の重要アイテムである聖剣エクスカリバーだって,その出自からしてわけがわからぬ有様なのである.

 アーサー王の物語が日本では不人気な理由は,自然発生した色々な民間伝承を材料にして創作された作品であるがために首尾一貫性に欠けるからであろう.
 その混乱の最たるものが聖剣エクスカリバーである.
 Wikipedia【エクスカリバー】の冒頭にこう書かれている.

エクスカリバー (英語: Excalibur) は、アーサー王伝説に登場する、アーサー王が持つとされる剣。魔法の力が宿るとされ、ブリテン島の正当な統治者の象徴とされることもある。同じくアーサー王伝説に登場し、アーサーの血筋を証明する石に刺さった剣と同じものとされることがあるが、別物とされることもある。

 ここに《象徴とされることもある》《別物とされることもある》とあるのが,その混乱を示している.
 中でも問題は《アーサーの血筋を証明する石に刺さった剣》が,一体何者で,それはどこからやってきたものなのかが明確でないことである.

 これに対して,トールキンの創作者としての才能は,壮大なファンタジーの舞台「中つ国」の歴史に登場する伝説の武具や刀剣の説明をおろそかしなかった.
 中つ国第一紀に鍛えられ,後にガンダルフの持ち物になったグラムドリング,同じく太古の昔に作られてホビットのビルボの護身剣となった無銘のダガー (ビルボによってスティングと命名されたエルフのナイフ),そしてやはり中つ国第一紀にドワーフ族の王トーリン・オーケンシールドが所持していた名剣オルクリスト (最終的に人間の王の持ち物となった).
 これらの剣は物語の展開に重要な役割があるので,『指輪物語』の中で出自由来が説明されており,映画『ロード・オブ・ザ・リングシリーズ』でもガンダルフたちの一行が剣を発見,手に入れる場面がきちんと描かれていたのは,『指輪物語』ファンの記憶に残るところだ.

 一方,アーサー王物語の《アーサーの血筋を証明する石に刺さった剣》だが,大体において普通の剣が石に刺さるわけがない.しかし刺さっているからには,何かしらの理由があるわけで,それがアーサーの血筋を証明する理由ともなるのだが,その理由が実ははっきりしないのだ.
 前に紹介した自称歴史研究家で,この剣は石を鋳型にして作られたものであり,そのため石に刺さっているように見えるのだとブログに書いている 馬鹿 知ったかぶり 人がいる.石を鋳型にして鋳造する方法があるなら教えて欲しいぞ.石から飛び出ている柄はどうやって作ったんだ?
 それに,鋳造で作った剣は模造刀であって剣としては使えないじゃないか.
 こういう人は横に置いといて,私は,エクスカリバーの出自由来を観客に知らしめる上で,『キング・アーサー』の脚本はよくできていると思う.
 ところが,レビュー《不親切 》が掲載されているのと同じ映画レビューサイト《映画.com》では,作文を投稿している何十人もの子どもたち (知識がないことの婉曲表現) が皆揃ってアーサー王の物語を知らないせいか,誰もこの脚本のアイデアに触れていない.
 そこで次に,『キング・アーサー』で描かれた聖剣エクスカリバーの物語の概略を示そう.

(続く)

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2017年7月 1日 (土)

昭和の時代考証 (了)

 有村架純ちゃんがヒロインみね子をやるから,何か時代考証話のネタにでも思って今日まで我慢して『ひよっこ』を観続けてきたが,ふんとにもう今日 (第78回「ビートルズがやって来る」) は酷かった.観るのが苦痛だった.
 何が酷いかというと,みね子の父の弟が,当時こんな阿呆なビートルズファンは居なかったぞと怒りたいほどに,軽薄な戯画化をされていたのである.
 どういうことかというと,その低劣漫画的な叔父が,農業の仕事と義父の法事をほったらかして突然上京し,みね子と一緒に赤坂の町中で「兄きーっ」とか「とうちゃーん」とか長々と絶叫するのである.NHKの朝ドラは酷いと伝え聞いてはいたが,まさかここまでとは思わなかった.
 馬鹿放送局は自分を馬鹿メディアとは思わぬらしく,NHKの番宣サイトにこんなことが書いてある.

 

突然、東京にやって来た宗男(峯田和伸)。ビートルズの公演のチケットは持ってないのにウズウズして来てしまったと言う。みね子(有村架純)は、さっそく早苗(シシド・カフカ)、島谷(竹内涼真)らあかね荘の住人に宗男を紹介する。美代子(木村佳乃)の様子をみね子に伝えると、「行きたいところがある」と言いだす宗男。それは実(沢村一樹)が目撃された場所だった。そこで宗男は意外な行動をとる。

 

 《意外な行動》は上に書いた絶叫であるが,その前に《突然、東京にやって来た宗男》は,一体どういうわけの事柄だ.農繁期の農家の主が《ウズウズして》《突然、東京にやって来》れるはずがない.農家と農業をナメるんじゃない.

 

 しかもこの叔父は,亡くなった義父の法事に出ないというのである.非常識極まりない.北関東の人間はそういうことをする人たちだと脚本家の岡田惠和は言いたいのか.茨城県人に何か恨みでもあるのか.何か茨城を見下したい悪意でもあるのか.あるいはビートルズにトラウマでもあるのか.ふざけるんじゃないぞ,と北関東生まれの私は怒る.
 来週は腰が抜けるほど御都合主義の顛末があって,ビートルズ東京公演のチケットが手に入るような予告をしていたが,ふざけるんじゃないぞっ.(怒)

 

 実はこの二週間の『ひよっこ』は,ドラマの舞台がラジオ製造工場の時よりもさらに幼稚園の演芸会化が進行していた.(それでもあの頃はラジオ工場の女子工員たちの合唱部のコーラスがとてもよくて,私は大いに感心して観ていたのだが)
 岡田惠和は,三宅裕司や白石加代子に,こんな馬鹿ドラマに出演させてまことに申し訳ないと平身低頭謝るべきである.
 朝ドラは短い十五分番組であるとはいえ,視聴は時間の無駄としか思えないので,今日で私は『ひよっこ』を観るのをやめることにした.

 

 さて最後に,『ひよっこ』の時代考証についてまとめて文句を言う.
 みね子が入居した木造アパートの家賃が四畳半で五千円だが,当時の相場はもっと安かったはずだ.東京の安アパートの家賃は,ドラマよりずっと後の昭和四十五年にやっと一畳千円になったはずである.
 それに対して,喫茶店のチョコレートパフェが『ひよっこ』中では百円以下である.しかし都心のパフェではその二倍はしたのではないか.

 

 それから,洋食店「すずふり亭」の主人 (宮本信子) と従業員一同が揃って昼食を摂るシーンがあったが,宮本信子さん以外の出演者全員が,いただきまーすと言いながら合掌した.
 しかし,そもそもこの合掌して「いただきます」と唱えるのは,浄土真宗本願寺派や真宗大谷派が昭和の中頃に提唱した運動 (*註1) なのである.
 私は少年時代に,大谷派の布教ラジオ番組「東本願寺の時間」などを通じて,リアルイムでこの運動の提唱を聴いたが,父親は他の宗派だったので,我が家では父が「飯のときに仏さまを拝むようなマネをするんじゃない」と言ってこれを退け,私たち子どもは合掌せぬように躾けられた.
 浄土真宗本願寺派や真宗大谷派にあれこれ指図される以前から,私たち東日本の庶民は,食事を始めるときに合唱することなく「いただきます」と唱えてきたものだが,この古くからの食文化に基づく作法は,お米の流通の川上からいうと,まず農家の人々が田んぼの神様に祈ったことに起源がある.
 農家以外の家庭では,家長が田んぼの神様とお百姓さんに感謝の意を表して「いただきます」と言った.
 その家族は,田んぼの神様とお百姓さんのご苦労と,家族に食事を与え,支えてくれる家長に感謝して「いただきます」と一斉に唱えたのであった.
 私の生きてきた時代では,小学校の給食の時間でも,中学高校の昼飯の時でも,合掌なんぞする生徒はいなかった.(今は生徒は教員に合掌を強制されるという話を聞いたことがあるが)

 

 しかるに浄土真宗本願寺派や真宗大谷派が「いただきます,は命を頂くという意味です」とする珍説 (「お命頂戴っ」は時代劇の台詞だ w ) を唱え,食事をする時は仏さまに合掌しましょうと信徒に教えた.田んぼの神様とお百姓さんへの感謝の心を食事の場から排除し,代わりに浄土真宗を持ち込んだのである.
 この食事流儀 (私はこれを作法とは認めない) は,浄土真宗が仏教各宗派の中でもメジャーである関西地方でやがて広まったが,東日本に伝わったのは昭和の後期である.(珍奇な食文化 (*註2) は,西から東に伝播する.恵方巻を見よ)
 だから宮本信子さん (北海道生まれの七十二歳) が『ひよっこ』のそのシーンで敢えて合掌しなかったのは,時代考証的に正しいことなのである.

 

 私がテレビ番組を見た限りでは,満州生まれにして気骨ある九州人である草野仁さん (七十三歳) も食事を始めるときに合唱しない.手を膝に置いて,かるく頭を垂れて,いただきます,と言っている.
 食事開始にあたっての合掌は,私のような老人から見れば最近の軽重浮薄な流行に過ぎない.私は今も合掌をしたりはせず,心中で「お百姓さんありがとう」と感謝して箸を取っている.草野さんもそうではなかろうか.
 田んぼの神様すなわち米への素朴な信仰と,お百姓さんありがとうの心.これは昭和が平成に伝え損なった食文化の一つである

(*註1) 《新「食事のことば」解説》を資料の一つとして挙げておく.
 ネット上の記事を調べると,浄土真宗が広まっている地方の若い人 (還暦前 w ) たちは,食事前の合掌が昔からの習慣のように勘違いしているようだが,大きな間違いである.それは昭和後期に生まれた浄土真宗内の流儀に過ぎない.
 先日のテレビ東京『世界!ニッポン行きたい人応援団』を観ていたら,アルゼンチンのブエノスアイレスにある日亜学院の生徒たちの日常が紹介されていた.
 それによると,この学校の生徒たちの給食では,いただきますとは言うが合掌なんかしない.このアルゼンチン在住邦人の子弟向けの学校 (現在は日系人以外の生徒のほうが多いという) が設立されたのは1927年 (昭和二年) であるが,浄土真宗の流儀はアルゼンチンにまでは伝わらなかったと見える.
 そもそもの話をすれば,鎌倉時代の武家作法を源流とし,江戸時代に庶民にも広まった小笠原流の作法では合掌しない.これは時代考証的に当然だ.
 これが明治になると,政府は国威発揚の一環として国民共通の礼儀作法を定め教育せんとした.明治四十三年に内示され,大正二年に発表された『小学校作法教授要項』である.
 その後,この要項に続いて中学校,女学校用の「要項」が整備され,これに基づいて教科書が作られた.
 その教科書の一つ,『小学作法 尋常科第一学年』には次のようにある.

 

十四 ゴハン ヲ イタダク トキ
ゴハン ノ トキ ハ、キット テ ヲ アラヒマス.ソシテ、オハシ ヲ トル マヘ ニ、
 「イタダキマス.」
ト、 ゴアイサツ ヲ イタシマス.

 

 また女学校作法要項には,次のように書かれている.

 

食事を始めんとする時は食膳に向い一礼し同席者ある時は相互に会釈し、……》

 

 このように,明治から大正にかけて政府が指導した国民共通の礼儀作法においては,食卓で合掌するなどという不作法は影も形もなかったのである.(作法教科書からの引用の出典は横山験也『明治人の作法』,文春新書)

(*註2) 例を挙げると.京都が発祥とされるノーパン喫茶,ノーパン焼肉,ノーパンしゃぶしゃぶ,大阪生まれのノーパンラーメンなどがある.
 特に素晴らしいのは,ノーパンラーメンであった.
 これは,ついさっきまで麺を茹でていた女性店員が,ショータイムーっの掛け声とともにカウンターの上に昇り,踊り始めるのである.度肝を抜かれた客は,丼を見たらいいのか,それとも見上げたらいいのか,もうどうしたらいいのかわからなくなるのであった.これは友人から聞いた話であるので,そこんとこ宜しくです.

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