『キング・アーサー』を弁護する (一)
先日の記事《2017年5月28日 藤沢 彩り酒場》に下のように書いた.
《SF映画の一ジャンルには違いないだろうが,最近は騒々しいアメコミヒーロー映画が全盛で,『メッセージ』のように思索的で,いかにもSFらしい作品は少ないような気がする.
と思ったら,あの名作の続編『ブレードランナー 2049』がもうすぐ公開だというではないか.しかも前作の主演ハリソン・フォードが同じリック・デッカード役で出演する.
さらに,これは観るべき作品かどうかわからないが,ファンタジー作品『キング・アーサー』も公開間近である.
映画ファンはこの夏が楽しみだ.》
その『キング・アーサー』が劇場公開されたので,辻堂駅の北口にあるシネコン,109シネマズのシートを予約し,それからこの作品の下調べをした.
すると,『キング・アーサー』は初動の観客動員数で大惨敗を喫したことがわかった. 予約した辻堂の109シネマズの席はシアター6なのだが,シアター6は同シネコンで一番狭い劇場であり,なるほどねーと思った.
なるほどというより,失敗したかもなーと思ったのだが,まあ予約しちゃったのだからと気を取り直して観に行ってきた.
上に《シートを予約し,それからこの作品の下調べをした》と書いたが,有象無象の子供の映画鑑賞感想文みたいなのは放っておいて,まあまあの映画レビューに次のものがあった.
《不親切 》
↑ズッタズタの酷評である.(笑)
まあこのレビュー筆者の言わんとするするところは実にもっともなのであるが,ただ,『キング・アーサー』には弁護する余地がないわけではない.
というのは,映画の鑑賞者が,アーサー王を歴史上に実在したかも知れない人物と見做すか,あるいはファンタジーのキャラとして物語を楽しむかで,この作品の評価は大いに異なってくると思うのである.
上に挙げたレビュー《不親切》の筆者の視点は明らかに前者であるが,本作の脚本と監督が意図したのは,ファンタジー作品であることがこれまた明らかなのである.
それはどこでわかるか.
まさにレビュー《不親切》の筆者が指摘している次のことからである.
《アーサー王の父ユーサー・ペンドラゴンが不慮の死に見舞われる原因に重点を置いてあるが,本来のアーサー王伝説にはない話で,ヴォーティガンはペンドラゴン家の者ではなく,ユーサー・ペンドラゴンの兄コンスタンス2世を殺害して王座を奪った実在の人物である。いくらアーサー王の伝説には定本がなく,様々なバージョンがあると言っても,これはかなり思い切った改変である。》
《演出は,まず気になったのが登場人物たちの服装で,どう見ても現代風の衣装にしか見えなかったことである。ワーグナーの聖地バイロイトの祝祭歌劇場では,戦後の再開時からそれまでの伝統的な演出を一切やめて,抽象的な舞台セットにパリコレのファッションショーのような衣装を着て演じられるようになってしまったのだが,その理由は,ヒトラーの好みだったという理由もあって,戦時中にナチスドイツが兵や国民の戦意の高揚にワーグナーの楽劇を活用し,ナチスのイメージに深く染まってしまったのを払拭するためという切実な理由があってのことなのだが,アーサー王の物語は特にそのような事情もないのに,バイロイトを模したような現代風のコスチュームには非常に違和感を感じた。》
まず最初の引用部分について.
そもそもこのレビュー筆者が言う《本来のアーサー王伝説》などというものは,実は存在しないのである.
その点を Wikipedia【アーサー王】は次のように記述している.
《中世の歴史書やロマンスでは、アーサー王は6世紀初めにローマン・ケルトのブリトン人を率いてサクソン人の侵攻を撃退した人物とされる。一般にアーサー王物語として知られるものはそのほとんどが民間伝承や創作によるものであり、アーサー王が本当に実在したかについては現在も歴史家が議論を続けている。》
つまりアーサー王は,比喩が極端だが,我が国の歴史で言えば神武天皇みたいなものなんである.
モデルとなる歴史上の人物がいないから,従ってアーサー王は恰好の創作の題材になるわけだ.
このことを Wikipedia【アーサー王】は以下のように書いている.
《伝説上の王としてのアーサー王は、12世紀のジェフリー・オブ・モンマスによる歴史書『ブリタニア列王史(Historiae Regum Britanniae)』が人気を博したことにより国を越えて広まった。ジェフリー以前のウェールズやブルターニュの伝承にもアーサー王に関するものが存在するが、それらの中では超自然的な存在や人間からブリタニアを守る屈強な戦士として、あるいはウェールズ人のあの世であるアンヌン(Annwn)に関係を持つ魔法的な人物として描かれている。1138年に『列王史』を書き上げたとされるジェフリーがこれらをどれほど利用したか、利用したとしてその割合は彼自身が創作した部分より多かったかなどについては詳しくわかっていない。》
《アーサー王伝説は作品によって登場人物、出来事、テーマがかなり異なるため、原典となる作品が存在しない。ただし、ジェフリーの『列王史』が後の作品群の出発点になったことは確かである。ジェフリーの描くアーサーは、サクソン人を撃退し、ブリテン、アイルランド、アイスランド、ノルウェー、ガリア(現在のフランス)にまたがる大帝国を建設した人物となっている。アーサーの父ユーサー・ペンドラゴン、魔法使いマーリン、王妃グィネヴィア、エクスカリバー、ティンタジェル城、モードレッドとの最終決戦(カムランの戦い)、アーサー王の死とアヴァロンへの船出といった、現在のアーサー王物語になくてはならない要素やエピソードの多くがジェフリーの『列王史』の時点ですでに登場している。》
要するにレビュー《不親切》の筆者が《本来のアーサー王伝説》と主張しているのは,上の引用箇所にある《12世紀のジェフリー・オブ・モンマスによる歴史書『ブリタニア列王史(Historiae Regum Britanniae)』 》なのであるが,実はジェフリーの『列王史』は歴史書なんかではないのである.
Wikipedia【ブリタニア列王史】を見てみよう.冒頭にこうある.
《『ブリタニア列王史』(ブリタニアれつおうし、ブリタニア列王伝、Historia Regum Britanniae)は、1136年頃にジェフリー・オブ・モンマスがラテン語で書いたブリテン(グレートブリテン島)に関する偽史書。……(中略)……歴史書としての独立した価値はない。……(中略)……しかし、中世文学としての価値はある。……(中略)……現代の歴史学者たちは『ブリタニア列王史』を、いくらかは中に事実も書かれているが、フィクションだと見なしている。》 (フォントの色を茶色にして強調したのは,このブログ筆者による)
これは私たち (特にファンタジーのファンや歴史好きの人) によく知られていることについての妥当な記述であろう.すなわちジェフリーの『列王史』は,五世紀 (中世初期) のイングランドを舞台にした全くの創作 (ファンタジー) なのだと Wikipedia【アーサー王】は教えている.
レビュー《不親切》の筆者は《ヴォーティガンはペンドラゴン家の者ではなく,ユーサー・ペンドラゴンの兄コンスタンス2世を殺害して王座を奪った実在の人物である》と書いているが,小説を根拠にして《実在の人物》と決めつけてはいけない.
ジェフリーの『列王史』に歴史的根拠がないのであるから,今年公開の映画『キング・アーサー』がジェフリーの『列王史』のストーリーに縛られる必要は全くない.自由に創作すればいいのだ.
本作における自由な創作の例が,聖剣エクスカリバーの由来についての新解釈だ.(後述する)
二番目の引用部分について.
映画『キング・アーサー』が,過去映画作品のリメイクではなく,アーサー王伝説を一つの素材にして創作した「剣と魔法の物語」であることは,登場人物の衣装や武器,防具を見ればわかる.
作中の一場面で,アーサーの叔父であり,悪魔に魅入られた仇役のヴォーティガンが純白のドレスシャツを着ているのだが,この王の衣装が,現代人が着てもぴったりの,なかなかよいデザインなのである.
このシャツを,レビュー《不親切》の筆者は《パリコレのファッションショーのような衣装》とし,《非常に違和感を感じた》と言うのだが,私はその衣装デザインの意図に,むしろ好感を持った.
「剣と魔法の物語」の,この程度の世界観に違和感を持っている (「違和感を感じて」はいけませんなあ) ようでは,肌も露わな半裸の衣装で長剣を振るって戦う日本アニメの美少女キャラは到底受け入れられないことになる.それでいいのか.よくない.
(続く)
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