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2017年6月

2017年6月30日 (金)

『キング・アーサー』を弁護する (三)

 『キング・アーサー』を鑑賞した感想文の最後に,聖剣エクスカリバーについて少し触れておこう.
 レビュー《不親切 》の筆者は,文末でこんなことも書いている.

また,肝心な場面で個人的に大嫌いな爬虫類が出て来たのも気に入らなかった。

 欧米の人々にもっともよく知られた魔術師は,アーサー王伝説に登場するマーリンと,トールキン作『指輪物語』の主役の一人,ガンダルフだろう.
 《不親切》筆者氏が言う《肝心な場面》とは,女魔術師メイジ (青年期に達したアーサーを,簒奪された王位を奪還する者として覚醒させるために,大魔術師マーリンから遣わされた女性である.本作の脚本では,名前ではなく,ただ単にメイジ 〈=魔術師〉と呼ばれている) が,アーサーとヴォーティガンの戦闘でアーサーを援護するために,呪文を唱えて大蛇を召喚したことを指している.
 なぜ大蛇が出てくるのか.実はこれはアーサー王伝説の知識があれば,ナルホドと納得するシーンなのである.
 Wikipedia【エクスカリバー】に,アーサーの剣に関する記述がある.

見よ、彼は立ち上がった。手にはアルスルの剣を持っていた。剣身には黄金で打ち出された二匹の蛇の姿があって、鞘ばしると、蛇の首から二筋の炎が立ち上るのが見え、それがあまりにも恐ろしいありさまだったので、だれ一人として目を向けて見る者もないほどだった。》 (当ブログ筆者註;アルスルとはアーサー王のこと)

 私自身は聖剣エクスカリバー伝説について Wikipedia【エクスカリバー】程度の知識しか持ち合わせていないが,『キング・アーサー』のラストシーンに近いところで女魔術師メイジの召喚した大蛇がエクスカリバーの象徴であることは明らかだ.であるからして《大嫌いな爬虫類》が出てきても,ラストシーンに繋がる大切な伏線なんだから文句を言っても仕方ないのである.《不親切》筆者氏は,アーサー王伝説の基礎知識として,エクスカリバーと蛇の関係について調べておくべきであった.

 さて,日本ではトールキン作『指輪物語』の知名度はかなり高い.トールキンが独力で構築した世界観の首尾一貫さは大したもので,サイドストーリーを含めて綻びがない.
 映画『ロード・オブ・ザ・リングシリーズ』の興行的ヒットは,原作とした『指輪物語』の読者層に歓迎されたからであったろう.
 これに比較するとアーサー王の物語は日本では不人気である.『指輪物語』の知名度を100とすれば1くらいなもんだろう.
 その理由として,アーサー王の物語は過去の色々な人たちが夫々勝手に創作したストーリーが混乱して流布したために,統一された世界観がないことが大きいだろう.
 例えばA君とB君がアーサー王の物語について語ろうとしても,A君の知っているアーサー王伝説とB君の知っているそれが異なっているのでは,盛り上がろうはずがない.
 アーサー王伝説の重要アイテムである聖剣エクスカリバーだって,その出自からしてわけがわからぬ有様なのである.

(続く)

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2017年6月29日 (木)

『キング・アーサー』を弁護する (二)

 昨日の記事に書いたレビュー《不親切 》の筆者は,それでもレビュー中で「アーサー王伝説」と書いているだけマシで,中には偽書であるジェフリー・オブ・モンマスによる『ブリタニア列王史』を歴史書だと信じ込んでいる可哀相な人もいて,余談だが,これ↓がそれ..

映画「キングアーサー」の家系図の謎 》 

 このブログ↑の筆者は,文中に

歴史書に書かれている内容をもとに、家系と関係を書き直してみよう  …… (家系図) …… ※ブリタニア列王史による

として,偽書『ブリタニア列王史』を歴史書だと言い切っている.そしてこの筆者はプロフィールに次のように書いている.

「ウェールズ歴史研究家」たなかあきら
「歴史が深く素朴で仲間を大切にするウェールズの歴史を知ってもらい」という思いから、ウェールズの歴史を活かした執筆活動をしています。
ウェールズに住み歴史を学んだ経験を活かし、このブログでは歴史の紹介や歴史の創作ストーリーを書いています。
皆さんに楽しんで頂ければ嬉しいです。

 この自称歴史研究家,年齢は不明だが驚いたことに著書が二冊ある.
 そのうちの一つ『6人のアーサー王を追え! (ウェールズ歴史研究会)』はアマゾン Kindle版で二百五十円という低価格だが,『ブリタニア列王史』を歴史書だと書くような人の本なぞ誰が読むだろうか.(=「読みはしない」の反語的表現)

 ま,「たなかあきら」さんは放っておいて,レビュー《不親切》に戻る.
 三番目の引用箇所は以下の通り.

見所はと言えば,聖剣エクスカリバーが本領を発揮してものすごい威力を見せるところだが,全編の中でほんの僅かでしかなく,あとはただひたすら暗い画面で物語が進行するのみである。敵の裏事情にも立ち入った話は興味があったが,あんな代償を払ってまで王になって何が嬉しいのかと全く同感できなかった。

 この引用箇所は,レビュー《不親切》の筆者が映画『キング・アーサー』のストーリーを全く理解できていないことを示している.
 ストーリーをかいつまんで言うと,アーサーの父王が悪の魔法使いとの戦いに勝って国民の称賛を浴びた時,アーサーの叔父であるヴォーティガンの心中に,兄王への嫉妬が芽生えた.
 古来,悪魔というものは,人の心に生じた嫉妬心を見逃さない.
 まずは夢魔を使役して,ある事ない事を人の心に吹きこむ.
 次に富や権力や超人的な力を与えようと持ち掛ける.なにがしかの代償と引き換えに.

 ヴォーティガンはこうして悪魔に魅入られ,城の地下にある船着き場で悪魔と取引 (兄王を殺害し,王位を簒奪すること) をした.
 これは『キング・アーサー』の前半でわかりやすく示唆された事柄であるし,ファンタジー世界では,小説でもゲームでも戯曲 (*註) でも映画でも,頻繁に描かれるお約束の進行だ.レビュー《不親切》の筆者は,おそらくファンタジーに疎いのであろう.たぶん『キング・アーサー』を歴史物の映画だと思っていた筆者氏は,これが理解できなかったようだ.
 また,この人は《あんな代償を払ってまで王になって何が嬉しいのか》と書いているが,ヴォーティガンが嬉しいかどうかなんてことは悪魔にとってどうでもいいことだ.ヴォーティガンを権力欲にまみれさせ,人の心を失わせて破滅させることが悪魔のお仕事なのである.
 レビュー《不親切》の筆者が《あんな代償》と書いているのは,悪魔が,国王の座と引き換えにヴォーティガンに要求した「代償」のことである.それは,ヴォーティガンに最愛の娘を自らの手で殺害させることだった.
 『キング・アーサー』の最後に近いシーンで,抱きしめた我が娘の背に短刀を突き刺す時,ヴォーティガンは泣いた.僅かに残っていた人間の心がヴォーティガンをして泣かせたのである.
 そして最愛の娘の遺体を悪魔に渡したあと,完全に超人的魔物と化したヴォーティガンは,聖剣エクスカリバーを手にしたアーサーと最終決戦を戦うのである.
 これはもうファンタジーとしてほんとにわかりやすい展開であり,《あんな代償を払ってまで王になって何が嬉しいのかと全く同感できなかった》とか書いているようでは,兄王への嫉妬を発端に,遂に悪魔に心を売り渡してしまったヴォーティガンが流した血涙の理由を理解できなかっただろう.
 つまりは,映画を楽しむには,それなりに必要な知識と感性というものがあり,それを持たぬレビュー《不親切》の筆者は,『キング・アーサー』中に張られた伏線も,伏線の回収も見落としたに違いなく,これはつまり《不親切》の筆者氏は,観る映画の選択を間違ったということなのである.それじゃあこの人はどんな映画を観たらいいのか,私にはちょっと思いつかないのであるが.

(*註) ファンタジーではないが,周知のようにシェイクスピア『マクベス』も,魔女が人の心に欲望を吹きこみ,破滅させる物語である.

(続く)

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2017年6月28日 (水)

『キング・アーサー』を弁護する (一)

 先日の記事《2017年5月28日 藤沢 彩り酒場》に下のように書いた.

SF映画の一ジャンルには違いないだろうが,最近は騒々しいアメコミヒーロー映画が全盛で,『メッセージ』のように思索的で,いかにもSFらしい作品は少ないような気がする.
 と思ったら,あの名作の続編『ブレードランナー 2049』がもうすぐ公開だというではないか.しかも前作の主演ハリソン・フォードが同じリック・デッカード役で出演する.
 さらに,これは観るべき作品かどうかわからないが,ファンタジー作品『キング・アーサー』も公開間近である.
 映画ファンはこの夏が楽しみだ.

 その『キング・アーサー』が劇場公開されたので,辻堂駅の北口にあるシネコン,109シネマズのシートを予約し,それからこの作品の下調べをした.
 すると,『キング・アーサー』は初動の観客動員数で大惨敗を喫したことがわかった. 予約した辻堂の109シネマズの席はシアター6なのだが,シアター6は同シネコンで一番狭い劇場であり,なるほどねーと思った.
 なるほどというより,失敗したかもなーと思ったのだが,まあ予約しちゃったのだからと気を取り直して観に行ってきた.

 上に《シートを予約し,それからこの作品の下調べをした》と書いたが,有象無象の子供の映画鑑賞感想文みたいなのは放っておいて,まあまあの映画レビューに次のものがあった.

不親切 》  

 ↑ズッタズタの酷評である.(笑)
 まあこのレビュー筆者の言わんとするするところは実にもっともなのであるが,ただ,『キング・アーサー』には弁護する余地がないわけではない.
 というのは,映画の鑑賞者が,アーサー王を歴史上に実在したかも知れない人物と見做すか,あるいはファンタジーのキャラとして物語を楽しむかで,この作品の評価は大いに異なってくると思うのである.

 上に挙げたレビュー《不親切》の筆者の視点は明らかに前者であるが,本作の脚本と監督が意図したのは,ファンタジー作品であることがこれまた明らかなのである.
 それはどこでわかるか.
 まさにレビュー《不親切》の筆者が指摘している次のことからである.

アーサー王の父ユーサー・ペンドラゴンが不慮の死に見舞われる原因に重点を置いてあるが,本来のアーサー王伝説にはない話で,ヴォーティガンはペンドラゴン家の者ではなく,ユーサー・ペンドラゴンの兄コンスタンス2世を殺害して王座を奪った実在の人物である。いくらアーサー王の伝説には定本がなく,様々なバージョンがあると言っても,これはかなり思い切った改変である。

演出は,まず気になったのが登場人物たちの服装で,どう見ても現代風の衣装にしか見えなかったことである。ワーグナーの聖地バイロイトの祝祭歌劇場では,戦後の再開時からそれまでの伝統的な演出を一切やめて,抽象的な舞台セットにパリコレのファッションショーのような衣装を着て演じられるようになってしまったのだが,その理由は,ヒトラーの好みだったという理由もあって,戦時中にナチスドイツが兵や国民の戦意の高揚にワーグナーの楽劇を活用し,ナチスのイメージに深く染まってしまったのを払拭するためという切実な理由があってのことなのだが,アーサー王の物語は特にそのような事情もないのに,バイロイトを模したような現代風のコスチュームには非常に違和感を感じた。

 まず最初の引用部分について.
 そもそもこのレビュー筆者が言う《本来のアーサー王伝説》などというものは,実は存在しないのである.
 その点を Wikipedia【アーサー王】は次のように記述している.

中世の歴史書やロマンスでは、アーサー王は6世紀初めにローマン・ケルトのブリトン人を率いてサクソン人の侵攻を撃退した人物とされる。一般にアーサー王物語として知られるものはそのほとんどが民間伝承や創作によるものであり、アーサー王が本当に実在したかについては現在も歴史家が議論を続けている。

 つまりアーサー王は,比喩が極端だが,我が国の歴史で言えば神武天皇みたいなものなんである.
 モデルとなる歴史上の人物がいないから,従ってアーサー王は恰好の創作の題材になるわけだ.
 このことを Wikipedia【アーサー王】は以下のように書いている.

伝説上の王としてのアーサー王は、12世紀のジェフリー・オブ・モンマスによる歴史書『ブリタニア列王史(Historiae Regum Britanniae)』が人気を博したことにより国を越えて広まった。ジェフリー以前のウェールズやブルターニュの伝承にもアーサー王に関するものが存在するが、それらの中では超自然的な存在や人間からブリタニアを守る屈強な戦士として、あるいはウェールズ人のあの世であるアンヌン(Annwn)に関係を持つ魔法的な人物として描かれている。1138年に『列王史』を書き上げたとされるジェフリーがこれらをどれほど利用したか、利用したとしてその割合は彼自身が創作した部分より多かったかなどについては詳しくわかっていない。

アーサー王伝説は作品によって登場人物、出来事、テーマがかなり異なるため、原典となる作品が存在しない。ただし、ジェフリーの『列王史』が後の作品群の出発点になったことは確かである。ジェフリーの描くアーサーは、サクソン人を撃退し、ブリテン、アイルランド、アイスランド、ノルウェー、ガリア(現在のフランス)にまたがる大帝国を建設した人物となっている。アーサーの父ユーサー・ペンドラゴン、魔法使いマーリン、王妃グィネヴィア、エクスカリバー、ティンタジェル城、モードレッドとの最終決戦(カムランの戦い)、アーサー王の死とアヴァロンへの船出といった、現在のアーサー王物語になくてはならない要素やエピソードの多くがジェフリーの『列王史』の時点ですでに登場している。

 要するにレビュー《不親切》の筆者が《本来のアーサー王伝説》と主張しているのは,上の引用箇所にある《12世紀のジェフリー・オブ・モンマスによる歴史書『ブリタニア列王史(Historiae Regum Britanniae)』 》なのであるが,実はジェフリーの『列王史』は歴史書なんかではないのである.
 Wikipedia【ブリタニア列王史】を見てみよう.冒頭にこうある.

『ブリタニア列王史』(ブリタニアれつおうし、ブリタニア列王伝、Historia Regum Britanniae)は、1136年頃にジェフリー・オブ・モンマスがラテン語で書いたブリテン(グレートブリテン島)に関する偽史書。……(中略)……歴史書としての独立した価値はない。……(中略)……しかし、中世文学としての価値はある。……(中略)……現代の歴史学者たちは『ブリタニア列王史』を、いくらかは中に事実も書かれているが、フィクションだと見なしている。》 (フォントの色を茶色にして強調したのは,このブログ筆者による)

 これは私たち (特にファンタジーのファンや歴史好きの人) によく知られていることについての妥当な記述であろう.すなわちジェフリーの『列王史』は,五世紀 (中世初期) のイングランドを舞台にした全くの創作 (ファンタジー) なのだと Wikipedia【アーサー王】は教えている.
 レビュー《不親切》の筆者は《ヴォーティガンはペンドラゴン家の者ではなく,ユーサー・ペンドラゴンの兄コンスタンス2世を殺害して王座を奪った実在の人物である》と書いているが,小説を根拠にして《実在の人物》と決めつけてはいけない.
 ジェフリーの『列王史』に歴史的根拠がないのであるから,今年公開の映画『キング・アーサー』がジェフリーの『列王史』のストーリーに縛られる必要は全くない.自由に創作すればいいのだ.
 本作における自由な創作の例が,聖剣エクスカリバーの由来についての新解釈だ.(後述する)

 二番目の引用部分について.
 映画『キング・アーサー』が,過去映画作品のリメイクではなく,アーサー王伝説を一つの素材にして創作した「剣と魔法の物語」であることは,登場人物の衣装や武器,防具を見ればわかる.
 作中の一場面で,アーサーの叔父であり,悪魔に魅入られた仇役のヴォーティガンが純白のドレスシャツを着ているのだが,この王の衣装が,現代人が着てもぴったりの,なかなかよいデザインなのである.
 このシャツを,レビュー《不親切》の筆者は《パリコレのファッションショーのような衣装》とし,《非常に違和感を感じた》と言うのだが,私はその衣装デザインの意図に,むしろ好感を持った.
 「剣と魔法の物語」の,この程度の世界観に違和感を持っている (「違和感を感じて」はいけませんなあ) ようでは,肌も露わな半裸の衣装で長剣を振るって戦う日本アニメの美少女キャラは到底受け入れられないことになる.それでいいのか.よくない.

(続く)

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2017年6月27日 (火)

将棋少年の思い出

 私が中学二年生の時の思い出話である.

 一年から二年になる時にクラスの編成変えがあった.
 何しろ一クラスが六十人,一学年が八百人以上もいるというマンモス中学に詰め込まれた団塊の世代であるから,クラス変えがあると,ほぼ同級生は新しいメンバーになる.
 その中にU君という小柄で無口な少年がいた.
 彼はまるでオモチャのような将棋板 (三ミリ厚の薄い二つ折りのベニヤ板製だったから,将棋盤ではなく将棋板としておく w) を机の中に持っていて,昼休みに同級生たちを将棋に誘った.
 ところが彼は非常に将棋が強かったので,何とか彼の相手ができたのは私だけだった.
 私は小学校の時に近所のおじさんに将棋の手ほどきを受け,普通の大人たちと指すくらいの棋力はあったのである.

 そのうちに,彼と私は早指しの昼休み将棋では飽き足らず,一週間に何度か放課後に彼の家で指すようになった.
 話を聞いたところによると,彼の父親はプロ棋士だったのであるが,若くして亡くなり,彼の家は母親と暮らす母子家庭だった.
 彼の母親は働いていたから,この子の友達になってあげてくださいと頼まれたこともあり,中学卒業までそんな彼との付き合いが続いた.

 父親の才能を受け継いだのだろうが,U君はどんどん強くなり,三年生の秋には,私はもう彼に全く歯が立たなくなっていた.
 そんなある日,彼は,中学を卒業したら上京してプロ棋士になるんだと夢を語った.
 その頃から,私は高校受験の勉強を始めなければいけないこともあって,彼の家に寄り道して将棋を指すことはなくなった.
 そして年が明け,卒業式から暫くして前橋駅で,上京するU君を彼の母親と一緒に見送った.頑張れよな,と私は彼に言った.お母さんは泣いていた.

 しかしそれから何年経っても,遂に私は棋戦出場者の中にU君の名を見ることはなかった.
 今の私はどうかというと,ネットで棋譜を読むことはあっても自分で指すことはない.小学生にも負ける程度の将棋ファンである.
 そして,時折彗星のように現れる将棋天才少年の話題をテレビやラジオで耳にする度,私は前橋駅のホームで別れたU君のことを思い出す.

 昨日,将棋会館に出前をする飲食店に,藤井四段の昼飯である豚キムチうどんを自分も食べたいと,客が殺到したそうである.
 藤井四段の対局姿を印刷したクリアファイルは売れ切れ状態になっていたが,昨日再発売したものの,これも瞬く間に売り切れたという.駒を手にしたこともない少女が遠くの地方から将棋会館に藤井君のファイルを買いにやってきたようだ.まことに微笑ましい.
 かつて昭和の中頃,新聞棋戦に登場する高段者ならばともかく,普通の将棋指しは一般庶民の目から見て,あまり堅気の商売とは思われていなかった.
 それを思うと隔世の感がある.羽生善治王位・王座・棋聖だって,少女たちのアイドルとまではならなかった.渡辺明竜王・棋王が華々しく登場したとき,少女たちは全く騒がなかった.こらこら.

 競技かるた (ちはやふる) の次は将棋 (3月のライオン) で,今はどこかに組紐 (君の名は。 ) に熱中している少女もいるかも知れない.
 さあその次はなんだろう.

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2017年6月26日 (月)

ラーメン黒歴史

 毎日新聞に《日清食品:カップ麺「黒歴史トリオ」意地の再発売》という記事が掲載され,msnが転載した.
 おおこれは朗報だと思ったのだが,再発売されるのは「サマーヌードル」「熱帯U.F.O.」「どん兵衛 だし天茶うどん」であるという.悲報だ.

 多くの即席麺ファンは,日清食品の黒歴史と聞いて,あの「タコヤキラーメン」を想起するのではなかろうか.
 そう,あのダンプ松本の Wikipedia【ダンプ松本】にも

ラーメンの具として、たこ焼き3個が入っている。CM中でのセリフ「みんな最初は分かってくれないんだ」「マジだぜ!」が話題になる。CMは複数のバージョンが作られたが、その1本では冒頭で、ノーメイクの素顔で明るく「ラーメンに、たこやきが入ったのよ!」と商品をアピールする場面もあった。

との記述があるタコヤキラーメンである.

 このタコヤキラーメンは,日清食品が発売前に試作品を都内の若い女性を対象にしてマーケット調査を行い,その結果,大ヒットを確信してリリースされた商品であったが,売上は未曾有の惨敗を喫し,「わーおいしそー」とか「タコヤキかわいいー」とか言う若い女がどれほどいい加減かを証明するという結果に終わった.
 これが今回,再発売されないということは,タコヤキラーメンが如何に深い傷を日清食品に負わせたかを物語っているように私には思われる.

 という理屈はどうでもいいから,私はタコヤキラーメンの再発売を切に望むものである.

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竜王戦 藤井四段対増田四段 ただ今対局中

 先程,文化放送の「斉藤一美 ニュースワイド SAKIDORI」を聴いておったら,女性の某コメンテーターが次のような趣旨の発言をした.

「いま十代のプロ棋士は藤井四段と増田四段の二人だけなんですが,年上のプロ棋士たちと違ってこのお二人は将棋ソフトで勉強していまして,だから二人の頭の中にはAIが入っているわけです.年上の棋士たちが二人に勝てないのはそういう理由なんですね」

 バカじゃないか,こいつ.
 頭の中にAIが入っているって,なんじゃそれは.
 将棋を知らんのなら,もっともらしい (嘘八百の) コメントなんかするんじゃないっ.
 MCの斉藤らは,将棋のことはチンプンカンらしいが,そういう人たちが藤井四段をアイドル視 (*註) するのは一向に構わぬが,評論家がこんな阿呆なコメントでギャラをもらっていいのかよ.

(*註) 「斉藤一美 ニュースワイド SAKIDORI」の女性レポーターは,千駄ヶ谷の将棋会館からの現地レポートとして,

1. 藤井四段は対局室に右足から入ったが,増田四段は,これに対抗して左足から入った.
2. 藤井四段は勝負飯に豚キムチうどんを,増田四段はミニとんかつ定食を食べた.

 の二点を報告した.情けないけど,「頭にAIが入っている」よりはずっといい.よかったよかった.

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2017年6月24日 (土)

傲慢な喫煙者の代表 飯島勲

 飯島勲という男が週刊文春に「飯島勲内閣参与の激辛インテリジェンス」という連載コラムを書いている.
 飯島勲は,Wikipedia【飯島勲】

メディア戦略や情報操作に長けており、日本のメディアからは「官邸のラスプーチン」、アメリカのメディアからは「日本のカール・ローヴ」と評され、歴代の総理秘書官と比較してメディア露出が多い。

と書かれているように,日本政界に暗躍する一種の怪人物である.
 昭和四十七年 (1972年) に小泉純一郎の秘書となった以後,紆余曲折あって小泉と対立し,現在は安倍晋三の取り巻きとして生きている.
 こいつが文春 (6/15号) の連載コラム冒頭に次の文章を書いた.

オレも色々とご縁の深い政治家だった与謝野馨元経済財政相が、亡くなられたな。ここに謹んで哀悼の意を表させていただくぜ。

 私は長いこと生きてきてたくさんの文章を読んだが,こんな馬鹿な日本語は初めて目にした.
 普通に「ここに謹んで哀悼の意を表させていただく」で何故いけないのか.
 飯島は,これに無礼にも「ぜ」をつけることで,故人に対して「謹んで」哀悼の意を表する気持ちが全くないことを示していることになる.
 ところが,この書き出しに続く以降の文章では,飯島は与謝野馨氏を特に愚弄しているわけではない.無礼なのは冒頭の一文だけなのである.
 ということは,飯島は「ここに謹んで哀悼の意を表させていただく」には「ぜ」を付けてはいけないことを知らぬと考えていい.
 つまり日本語に関して無知なのである.
 飯島勲は人生のスタートから,政治家秘書として虎の威を借る狐の生き方をしてきた.
 こういうふんぞり返った男は,礼儀も常識も学ぶことがなかったのだろう.

 翌週の週刊文春 (6/22号) で飯島は,受動喫煙について,《小池「禁煙条例」がひどすぎる》と題して以下の通り書いた.

小池氏が代表に就いた「都民ファーストの会」は、都議会選挙に向けて、公共施設や飲食店の屋内全面禁煙の条例制定を公約でぶち上げたじゃん。
 加えて「子どもを受動喫煙から守る条例」も創るって、冗談じゃないぜ。自宅でも「子どもと同室の空間で喫煙をしてはならない」とかさ。もっとひどいのは「子どもが同乗する自動車内において喫煙をしてはならない」だって。それじゃどこで吸えばいいの?

 普通の喫煙者は,なんとか非喫煙者に迷惑をかけないようにしたいと思っているだろう.ところが飯島は子供の受動喫煙なんか考慮する必要はないと言い切ったのだ.
 ここに至っては,飯島勲には常識どころか,そもそも知性というものが無いと言わざるを得ない.こんな男が安倍晋三の取り巻きなのである.
 飯島勲のコラムのタイトルは「飯島勲内閣参与の激辛インテリジェンス」であるが,知性がないのに「インテリジェンス」が笑わせる.このコラムは,週刊文春のコラムの中でも最低の内容であり,よくまあこんな阿呆なことを毎週書けるものだと,情けない思いがする.(週刊文春は,内閣参与飯島勲に安倍政権翼賛連載コラムを書かせることで,安倍内閣を批判する記事とのバランスを取っているのだろう.また,週刊文春はこれまで,受動喫煙に関して旗幟鮮明にしたことがないことも付け加えておく.傲慢な喫煙者が多い自民党議員への心温まる配慮と思われる)

 飯島は,安倍晋三の取り巻きの中でも,レイプ犯でありながら警察の「忖度」によって起訴を免れたあの山口敬之 (元TBS幹部,週刊文春常連ライター) と並ぶ馬鹿である.

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2017年6月22日 (木)

RF1「海老カツレツと鶏そぼろご飯のお弁当」 (一)

 昨日の記事に,東京は中央線国分寺駅ホームにある立食い蕎麦屋で,鼻炎男の狼藉を目撃した話を書いた.今日の記事もその日のことである.
 
 その日,所用を済ませての帰路,東京駅で弁当を買って帰ることにした.
 先月にも同様のことがあった折は,《2017年5月26日 たいめいけんチキンライス弁当》に書いたように,大丸デパートの地下食品売場に出店している「洋食や三代目たいめいけん」でチキンライス弁当を購入したのだが,これが呆れるほどまずい弁当だったので,もう大丸では弁当を買わないことにしたのである.
 きちんとしたデパートでは,例えば「洋食や三代目たいめいけん」に単に場所を貸して,後は放置という商売はしない.各フロアで販売されている商品に関してデパートが顧客に対する品質 (この「品質」の意味するところは商品ジャンルによって異なるが,食品であれば味や衛生度やコスパなどである) 責任を果たすことになっている.
 しかるに「洋食や三代目たいめいけん」のチキンライス弁当は,コンビニ弁当より高くて,しかし味は更にまずかった.
 これは即ち,大丸東京店の弁当担当社員が無能であることに他ならない.無能というのは,自分の職責を果たさず「洋食や三代目たいめいけん」の阿漕な商売を放置しているからである.
 ま,消費者に対する「洋食や三代目たいめいけん」の不埒な態度については別件があるので,稿を改めてまた触れることにして,ここは東京駅で買った弁当のことに戻る.
 東京駅の改札内商業施設,地下一階の GRANSTA (グランスタ) は,改札内であるため,都民以外に近県の人々や旅行者にも馴染み深い.
 ここで私は菓子類は購入したことがあるが,現役時代の出張の際の駅弁は,駅構内一階の中央コンコースに面した「祭」でいつも買っていた.グランスタで販売されている弁当を物色するのは初めてだ.
 ウロウロとあちこちの店の弁当を見比べながら検討したところでは,先日の大丸の弁当がガッカリものだったので気のせいかどの店のも旨そうだったが,結局これが良さそうだと気に入ったのはRF1 (ロック・フィールドのブランド名) の店頭に並べられていた「海老カツレツと鶏そぼろご飯のお弁当」であった.
 何もわざわざ東京に出てきてRF1の弁当を買わんでも,と思われるかも知れない.自宅最寄りの藤沢駅北口,さいか屋デパート地下にもRF1の店舗はあり,そこであれこれの惣菜を買って帰れば,同じテイストの一食を調えることができると思われるからである.
 しかしそこはそれ,弁当には弁当の食べる楽しさというものがあるから,私はRF1の弁当でも一向に構わぬのである.
 
 さて私は《2017年5月26日 たいめいけんチキンライス弁当》に次のように書いた.
 
このブログで何度も書いたが,私は食品添加物を否定しない.使う必要がある時は使用すればよいという考えを持っている.だが「たいめいけんチキンライス弁当」は度を超している.
 一般論として,保存性を向上させることを目的として使われる添加物は食材の味を損ねるものが多い.上の「たいめいけんチキンライス弁当」がこれほどまずいのは,調味料(アミノ酸等),pH調製剤,酸味料の使い方が拙劣,あるいは使用量が多すぎるからだと考えていいのである.
 
 そこで比較のためにRF1の「海老カツレツと鶏そぼろご飯のお弁当」も,原材料表示を以下に転記してみよう.
 弁当に関しては,消費者庁《加工食品品質表示基準Q&A (弁当、惣菜関係)》に次のような記述がある.
 
問9
小売店の店内で弁当、惣菜を作って、容器包装に入れて販売する場合は、加工食品品質表示基準に基づく表示が必要なのですか。バックヤードや店舗と同一敷地内の施設で作って容器包装に入れている場合や、別の場所にあるセントラルキッチンから配送されたものを販売する場合はどうなりますか。
 答
1.加工食品品質表示基準に基づく表示は、容器に入れ、又は包装された加工食品に対して適用されますが、飲食料品を製造し、又は加工し、一般消費者に直接販売する場合は、表示の必要はありません。
2.したがって、 ①小売店の店内で弁当、惣菜を作って、容器包装に入れて販売する場合
②バックヤードや店舗と同一敷地内の施設で作って、容器包装に入れている場合
は、製造又は加工をした者が一般消費者に直接販売しており品質について説明できると考えられるので、表示の必要はありません。
3.しかしながら、別の場所にあるセントラルキッチンから配送されたものを販売する場合一般消費者に直接販売しているとはみなせないので、表示が必要となります。

 
 従って法的には,店舗のバックヤードで製造している「海老カツレツと鶏そぼろご飯のお弁当」には原材料を表示する義務はないのであるが,包装紙の一部に食品添加物だけ表示されていた.表示義務がなくとも消費者が知りたいことを書いておくのは,まことによい心掛けである.それは以下の通りであった.(ちなみに「たいめいけんチキンライス弁当」は上記「答」の3に該当する)
 
【食品添加物】・調味料 (アミノ酸等)・酸味料・着色料・ (ウコン、カラメル、カロチン)・水酸化Ca・pH調整剤・乳酸(Na)・トレハロース・糊料 (加工デンプン、増粘多糖類)

(続く)

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2017年6月21日 (水)

哀れ丼紙ナプキン

 諸般の事情でブログ更新が暫く滞った.
 事情の粗方が片付いたところで,時間の余裕ができたので更新を再開する.

 先日その事情に関連してだが,三年前に住んでいた東京の国分寺市へ出かけた折,ちょうど昼飯時だったが,急いでいたので国分寺駅上り線ホームにある立食い蕎麦屋 (椅子はあるから立って食べる正調立食い蕎麦ではない) で軽く腹に入れることにした.
 自動販売機で食券を買って店内に入ると,先客は一人だけであった.痩せた五十代半ばと思しき軽装の男であった.平日の昼間にポロシャツ一枚であったから,会社員ではないだろう.

 私は特に理由もなくL字カウンターの端に腰かけた.先客との位置関係は下記略図のようであった.

          ■
       ※  ■
          ■先客
■■■■■■■■■■■
         私
(※は従業員のおばさんである.ちなみに上図から右方向が東京駅方面である)

 私が席に腰掛けたとき,店のおばさんは「はいおまちどうさま~」と先客にかき揚げ蕎麦の丼を渡した.立食い蕎麦は,おばさんに食券を渡せばすぐ出てくるのであるから,先客は私のすぐ前に店に入ったものと思われた.
 私の冷やしたぬき蕎麦も続いて出来上がり,客二名は音もなく蕎麦を食べ始めたと書けばただの日常風景であるが,この時はそうでなかった.
 痩せたポロシャツ男は,激しい鼻炎だったのである.

 男の鼻はほぼ完全に詰まっており,よせばいいのにそんな状態で熱い汁蕎麦なんぞを食うものだから,鼻水が出てきたらしい.
 会社員であればポケットティッシュの一つくらい仕事かばんの中に入れてあるものだが,この男は手ぶらであり,ティッシュの用意はなかった.
 では男がどうしたかというと,カウンターに置かれている紙ナプキンで鼻をかむことにしたのである.
 男は「ズガブーッ」と爆音のごとき音を立てて鼻をかみ,その鼻紙代わりの紙ナプキンを,私から見えるところに置いた.下の図の (*) である.

          ■
       ※  ■
          ■先客
■■■■■■■■■■■ (*)
         私

 男は再び蕎麦をすすると,「ブガブーッ」と爆音のごとき音を立てて,垂れてくる鼻水をかみ,その鼻紙代わりの紙ナプキンを同じところに置いた.
 これが蕎麦一すすりごとに繰り返され,遂に鼻水紙ナプキンは,丼一杯ほども積み上げられたのである.

 現役会社員時代の私なら,男の横面を「うるせえっ,花粉症性鼻炎なのに熱い汁蕎麦を食うとは無思慮にして迷惑な騒音野郎っ」と説明調に張り倒していたものであるが,今は年金で細々と暮らしている老人である.鼻炎野郎の爆騒音にひたすら耐えたのであった.

 とまあ,ここまでなら,ただの日常風景ではないが,異常な光景とは言い難いだろう.
 真に驚愕すべきことは,その男が蕎麦を食い終わったときに起こった.
 男は,積み上げられた鼻水まみれの紙ナプキンを,先程までかき揚げ蕎麦が入っていた丼にぶち込んだのである.丼に残っていた汁を吸った鼻水まみれの紙ナプキンが茶色に染まっていくのを私は呆然と眺めた.
 現役会社員時代の私なら,男の横面を (中略),今は年金で細々と暮らしている老人である.店を出ていく鼻炎野郎の後ろ姿を静かに見送った.

 私はまだ若い頃,蕎麦屋で相席になった会社員風の客が,テーブルに置かれた爪楊枝入れから一本抜き取った爪楊枝で,シーハシーハと汚らしい音を盛大に立てて歯を掃除し,その爪楊枝を元の爪楊枝入れに戻したのを目撃したことがある.
 これが昭和から平成にかけて「輝け!蕎麦屋迷惑客ベストテン」の不動の第一位であるが,今回の丼鼻紙事件は一気に第二位にランキングされたのである.
 第三位以下については,御要望があれば書きたいと思う.そんなもん要らないですか.わかりました.

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