« 炒飯 彼らの流儀 | トップページ | 髑髏島の巨神 (補遺) »

2017年5月 2日 (火)

髑髏島の巨神 (五)

 前稿《髑髏島の巨神 (四) 》の末尾を再掲する.

『シン・ゴジラ』では,米国の圧力によって東京で核兵器が使われようとする.これを回避するために日本政府側は死力を尽くす.このことが『シン・ゴジラ』のメッセージの一つであり,リアルの日本人の胸を打つのであるが,『GODZILLA ゴジラ』においては米軍は無思慮に核兵器の使用を強行し,しかも失敗する.日本人からすれば,あほかお前ら,という愚かなシナリオである.
 同じ怪獣ゴジラを登場させておきながら,日米の映画人を比較すると核兵器に対する感覚がこれくらい異なるのだ.
 この,初代ゴジラに対する一切のリスペクトを払うことなく作られた恥ずべき超駄作『GODZILLA ゴジラ』と同じ世界観の上に作られた『キングコング:髑髏島の巨神』もまた駄作となるのは必然であったと言えよう.

 戦後長らく,実際に行われた調査結果に基づいて「『広島・長崎への原爆投下は正当である』と米国民は考えている」とされてきた.
 ただ,第二次大戦を体験した世代が世を去るに連れ,次第に変化が現れてきたらしい.
 それについては昨年 (5/25),ニューズウィーク日本版に興味深い記事が載った.
 その記事《原爆投下を正当化するのは、どんなアメリカ人なのか?》には,

原爆投下の正当性に関する日米両国民の世論については、アメリカの調査機関であるピュー・リサーチ・センターが2015年1~2月に日米で同時に行った意識調査が、これまでにもたびたび参照されてきた。ここでもう一度、そのデータを検証してみたい。
 日本人で原爆投下が「正当化される」と回答した人は14%と少数派なのに対して、アメリカ人では56%と半数を越えていた。もっとも、「正当化される」と回答したアメリカ人の割合は減ってきていると見られている。正当だったとするアメリカ人の割合は、1945年のギャラップ社調査で85%、デトロイト・フリー・プレス紙の91年の調査では63%だった。15年のピュー・リサーチ・センターの調査後に、さらにこの割合は低下しているのではないだろうか。

と書かれていた.
 ギャラップ社の調査 (1945年),デトロイト・フリー・プレス紙の調査 (1991年),ピュー・リサーチ・センターの調査 (2015年) の各調査は,同じ手法で行われたものではないから,一枚のグラフにプロットすることはできないのだが,「日本への原爆投下は正当であった」と考える米国民が減ってきていると推測してもいいだろう.
 しかしながら,それでもなお過半数の米国民は「日本への原爆投下は正当であった」としているのである.
 興味深いことに,このニューズウィーク日本版の記事には,ピュー・リサーチ・センター調査の全体結果だけでなく属性別の結果が記載されている.
 それによれば,共和党支持者の74%,民主党支持者の52%が「正当だ」と回答している.
 現代米国の暗黒面たる共和党,すなわち進化論を否定し,人命よりも銃で武装する自由を優先し,男女差別や人種差別並びにマイノリティ差別を是とし,「偉大なアメリカ」プロパガンダに熱狂するキリスト教原理主義者などを支持基盤とする共和党は如何ともしがたいが,リベラルな民主党支持者の過半数も,しかしながら同様に日本への原爆投下を支持していることを私たちは知らねばならない.米国のリベラルは,反核と同義ではないのだ.

 最近テレビをオンにして,一部チャンネルの情報番組を観ていると,北朝鮮の脅威を強調するあまり,トランプ大統領を正義の味方のように描いている点が気になる.
 だが,第二次大戦後,核兵器による世界支配戦略を最初に立てたのは米国であることを私たちは知っている.従って,金正恩もトランプも同じ穴のムジナなのである.
 トランプが日本海に空母カール・ビンソンを送り込んだのは,日本を防衛するためではない.トランプが大統領選挙の前に言明したように,米国は米国の利益のために行動する.従って万が一,朝鮮半島と日本列島が戦場化すれば,トランプはたとえ東京でも熱核兵器を撃ち込み,米国民は,共和党支持者はもとより民主党支持者の過半数も「戦争を終わらせるための正当な手段だ」としてそれを支持するだろう.太平洋戦争と同じように.
 北朝鮮問題に関してトランプ大統領も米軍トップも,すべての選択肢がテーブルの上にあると強調している.米国にとって核兵器の使用は,何としてでも回避すべきことではなく,可能な選択肢の一つに過ぎない.『GODZILLA ゴジラ』のストーリーと同じである.
 多くの米国民は,核兵器の使用に関して心に痛みを感じない.熱核兵器の開発目的を隠蔽する『GODZILLA ゴジラ』『キングコング: 髑髏島の巨神』と,唯一の被爆国としてメッセージを発する『シン・ゴジラ』を比較して,私たちは暗然とせざるを得ないのだ.

 私は『キングコング: 髑髏島の巨神』を観て,もう一つ暗然としたことがある.
 映画評論家で米国在住のジャーナリスト,町山智浩氏のことである.
 町山氏は何冊もの著書があり,それらの中で一貫して米共和党を強く非難している.氏は米国リベラル派の支持者である.
 ところがこの連載の第一回に書いたように,町山氏は『キングコング: 髑髏島の巨神』の監修者である.
 そのことと町山氏のリベラルな政治的立場の間に齟齬はないのか.
 たまたま《町山智浩『キングコング: 髑髏島の巨神』を語る 》というサイトを見つけたので読んでみたが,町山氏は『キングコング: 髑髏島の巨神』の政治的意味について全く触れようとしていない.これはもしかすると,民主党支持者の過半数が「日本への原爆投下は正当であった」としていることと符合しているのであろうか.だとすれば残念である.

 最後に,『キングコング: 髑髏島の巨神』のジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督に好意的な町山智浩氏が,上記の《町山智浩『キングコング: 髑髏島の巨神』を語る》の中で,あの『博士の異常な愛情』と同じく『キングコング: 髑髏島の巨神』にも,第二次大戦中の流行歌 "We'll Meet Again" が映画音楽として使われていると発言していることに関して.
『博士の異常な愛情』は評価の難しい映画だと思う.この作品に対する批判的な意見を一つ紹介しておく.
 その批判的意見と同じく私も,スタンリー・キューブリックが『博士の異常な愛情』に"We'll Meet Again"を用いたやり方は,この歌の歴史的価値を損ねるものだと思う.そして『博士の異常な愛情』の瑕疵でもある.
(この連載終わり)

|

« 炒飯 彼らの流儀 | トップページ | 髑髏島の巨神 (補遺) »

続・晴耕雨読」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 髑髏島の巨神 (五):

« 炒飯 彼らの流儀 | トップページ | 髑髏島の巨神 (補遺) »