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2017年5月

2017年5月29日 (月)

無責任IT男

 まずはmsnニュースが TechCrunch日本版から転載した《トップ棋士に3連勝したAlphaGo、引退を表明 》を御覧頂きたい.
 翻訳ソフトを使用して「翻訳」した結果をそのまま載せているのがあからさまである.当然のことながら全く日本語の文章になっていない.この呆れた記事の責任者は岩谷宏という高齢の人物である.

 翻訳ソフトが悪いのではない.現状の翻訳ソフトはその程度のものだから,普通の英語力がある人は翻訳ソフトなんか使わない.翻訳ソフトは,できの悪い中学生がネット記事を「読んだつもりになる」ために使うものである.

 上に紹介した馬鹿記事に関して,悪いのは, TechCrunch日本版の「翻訳」スタッフをしている岩谷宏氏である.
 岩谷氏は,その翻訳ソフトと同程度の英語力しかないから TechCrunch に掲載された英文を翻訳ソフトで処理し,その出力を自分で全く読まずに TechCrunch日本版に貼り付けたわけで,よくまあそんな無責任な仕事振りで飯が食えるものだ.
 私のような年寄りは,まじめに働いていればお天道様と米の飯はついてまわる,と親に教えられて育った.岩谷宏 (もう呼び捨てにする) も同じはずだが,この体たらくはどうしたことだ.
 若い人ならばともかく,青年たちに範を垂れるべき年齢の男が,こんな有様で平然としている.この国の土台が腐ってきている兆候でなければよいが.

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2017年5月28日 (日)

藤沢 彩り酒場

 過日,映画『美女と野獣』を観に行ったときに『メッセージ』の予告編が上映された.
 なんだか懐かしいタイプのSF映画のようだったので,公開されてから少し経ったが,一昨日辻堂のテラスモール湘南に出かけて,予備知識なしで鑑賞してみた.
 期待通りの秀作だと思ったが,ストーリーを深く理解するには原作を読んでおくのがよいらしい.そこで遅ればせながら『メッセージ』の原作を含む短編集『あなたの人生の物語』(ハヤカワ文庫SF) をアマゾンで注文したら,在庫切れで入荷時期未定になっていた.みんな考えることは同じで,原作を読もうとしているようだ.
 この映画は,粗筋を書いたりするとまだ観ていない人に先入観を与えてしまうのでそれは避けるが,人間の意志あるいは思考と,言語との主従関係もしくは支配関係とでもいったものを改めて考えさせる.原作の趣を映画がどれだけ伝えられているか,原作を早く読んでみたいものだ.

 SF映画の一ジャンルには違いないだろうが,最近は騒々しいアメコミヒーロー映画が全盛で,『メッセージ』のように思索的で,いかにもSFらしい作品は少ないような気がする.
 と思ったら,あの名作の続編『ブレードランナー 2049』がもうすぐ公開だというではないか.しかも前作の主演ハリソン・フォードが同じリック・デッカード役で出演する.
 さらに,これは観るべき作品かどうかわからないが,ファンタジー作品『キング・アーサー』も公開間近である.
 映画ファンはこの夏が楽しみだ.

 さて映画を観た後,藤沢駅に戻っていつものように昼酒.
 違う.『メッセージ』のストーリーに難解な部分があったので,酒を飲みながら静かに作品が意図したものの余韻に浸ろうとしたのである.
 店は蕎麦屋でもいいのだけれど,午後三時過ぎとか四時過ぎとか,そんな時間帯ならともかく,真昼間に酒だけ飲んで蕎麦を注文しないというのは少し憚られる.
 軽い蕎麦前ではなく腰を据えて飲むのなら,南口の大通りに店を構える磯丸水産が二十四時間営業だが,ここも昼飯時は客のほとんどが海鮮丼などで腹を満たすためのご来店であり,一人で昼酒する客は,藤沢店では (私以外には) いないようである.おいおい.

 だがしかし,そんな時に便利な昼酒専門店が藤沢駅の近くにいくつかあるのだ.
 彩り酒場はその一つ.

 藤沢駅の南北を結ぶ地下道から駿河銀行の地下へ行く途中に,居酒屋「村さ来」と回転鮨「昭和匠寿司」と立食蕎麦屋「新月」と「彩り酒場」があって,ここは知る人ぞ知るチープ感溢れる一角だ.
 ここの村さ来には私は入ったことがないので紹介できないのだが,新月は私の青年時代から営業している古い店だ.この蕎麦屋の蕎麦はツナギが多いために,うどんの親戚状態であるが,それが却って腹持ちがいいというわけで,ファンが多いと聞く.私もたまーに入るが,ジャンクフードってのは,KFCが代表各だが,時々無性に食べたくなる.あれだ.(笑)
 昭和匠寿司は,カウンターに置かれている無料のガリだけを肴にして酒を飲んでいる客がいたりする.これは私も一度やってみたいのだが,その勇気がない.

 彩り酒場はこの一角では新参で,最近ようやく地域に根付いたか,客が増えてきたようである.
 彩り酒場の経営方針は,酒肴を安くして酒で稼ぐということらしい.だから酒を何杯も飲むと,かなりの金額になる.せいぜい焼酎のロックを三杯と肴を二品くらいが財布にやさしい飲み方で,私のお勧めである.
 焼酎は黒霧島のロック一杯が三百六十円で,三杯飲めば千と八十円.
 肴二品は何がよろしいか.私のお勧めはハムカツ (二百八十円) とザーサイ (百五十円) である.五百円玉ワンコイン也.これで焼酎三杯は余裕で飲める.
 酒が千八十円,つまみが二品で四百三十円だから,結構腹が満たされてお勘定は千五百十円.これは安い.

20170528a

 ところでハムカツといえば,テレビ朝日『じゅん散歩』で高田純次が商店街を散歩していると,肉屋とか惣菜屋の店頭に旨そうな揚げたてのハムカツが置かれていることがある.
 その際に,無類のハムカツ好きである高田純次は大抵ハムカツを買い求め,店頭で立食いしながら,よく「ほんとはハムカツって言うけどソーセージなんだよねー」と言う.
 それはその通りで,高田純次や私のような団塊の世代が少年だった頃から存在する伝統的ハムカツはハムのカツではなかったのである.
 であるからして,Wikipedia【ハムカツ】の記述

ハムカツは切ったハムに小麦粉・卵・パン粉をつけて揚げたカツレツである。

は食肉加工品業者の言い分を丸写しにしたものであり,百科事典の記述として相応しくない.以下にその意味を記す.

 昔も今も正真正銘のハムとは「伝統製法で作られたボンレスハム」を指す.これに比較すると日本独自の食肉製品であるロースハムは,保水性の高い副原料と食品添加物入りの調味液を注射 (インジェクション) して重量を大幅に水増し (参考ウェブページ《肉より重くて安いハム?その正体のカギは“水” 》 ; この記事に書かれていることは概ね事実である) したものが多く,そのため安価な薄切りのロースハムはフライパンで焼くと半分くらいにチリチリと縮んでしまったりする.
 この重量水増し製法は,ロースハムよりさらに低品質であるプレスハムも同様であり,それどころか昭和三十年代のプレスハムには,豚屑肉だけでなく馬,ウサギやカンガルーなどの雑肉も原料に使われていた.
 それでも平均的国民の肉類摂取量が現在よりも極度に少なかった昭和中期には,プレスハムが庶民にとっての高級ハムだった.
 ところがプレスハムよりさらに低品質な食肉加工製品があって,粗挽きした豚屑肉,雑肉,脂肪などを練ってケーシングしたもので,製法上はソーセージであるが,昭和当時の日本人は偽装表示なんぞは屁でもなくて,これが堂々とハムと称して売られていた.
 それは平成の世にも生き残っていて,例えば通販で入手できる《昔なつかしい 赤ハム ハムカツ用に。ハムカツ用 赤ハムブロック 1本 2キログラム 》である.
 この商品説明に

豚肉の荒く挽いたミンチを使用し

と書かれているように,正真正銘のソーセージであるにもかかわらずハムと称している.
 商品名「赤ハム」というソーセージです,という言い訳は食品偽装であるが,食肉業界はそんなことは気にしないのである.
 ともあれ,高田純次が「ほんとはハムカツって言うけどソーセージなんだよねー」と言うように,ジャンクフードの一つ「ソーセージカツ」を「ハムカツ」と呼ぶことは,昔からの既成事実として,これからも生き続けるだろう.

「お飲み物は~?」
「とりあえず黒霧のロックとザーサイとハムカツね」
「はーい」

 ジャンクフードってのは,時々無性に食べたくなるものだ. もし貴兄が藤沢の彩り酒場に行くことがあったら,ザーサイとハムカツをどうぞ.

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2017年5月26日 (金)

たいめいけんチキンライス弁当

 所用で東京に出かけた.
 用事を済ませての帰路,昼過ぎだったので,東京駅の大丸に寄って弁当を買うことにした.大丸地下一階の弁当売場「弁当ストリート」が,この辺りの会社の女性社員や旅行者に人気だとテレビのバラエティ番組で紹介されていたので,一度見てみようと思ったからである.
 件の弁当売場は惣菜店のある一角に隣接 (大丸 B1F フロアガイド) していて,ネット検索すると「全長60mの通路にお弁当屋さんがひしめいている」とか書いているブログがあるが,私には意外に狭いなーという印象である.
 フロアガイドから店舗名を抽出すると以下の通り.

叙々苑,ミート矢澤,ブラッカウズ,大雲,洋食や三代目たいめいけん,たまひで からっ鳥,両国鳥幸,つきじ鈴富,ベーカリーPAUL,柿安牛めし,日本橋弁松総本店,なだ万,銀座天一,日本橋伊勢定,とんかつ まい泉,味の梅ばち,牛たん かねざき,タキモト,蝦夷前知床鮨,平島,セレクトスイーツ2,崎陽軒,築地 魚弁 味の浜藤,地雷也,神田明神下 みやび,浅草田甫 草津亭,神田志乃多寿司,築地 青木,銀座萌黄亭,米八,サンドイッチハウス メルヘン

 弁当ストリートをぶらぶら歩きながら,ショーケースの弁当サンプルをちら見したのだが,おお!と食欲をそそるようなものがない.この弁当ストリートの弁当は全体的に茶色っぽいなとの印象を受けた.こんなことなら東京駅の中で買えばよかったという後悔の念が湧いたと正直に書いておく.
 それで東京駅に行こうと思ったとたんに「洋食や三代目たいめいけん」のカウンターにいた販売員の娘さんに「この時間帯は,もうここにあるだけで終わりで~す (にこり)」と声をかけられた.
 正直に告白するが,女性から声をかけられるなんて定年後は絶えてなかったことなので,私は大いに感動して「たいめいけんチキンライス弁当」(税込 1,180円) を即決購入した.
 代金を払うと「今日の五時までのお召し上がりとなりま~す (にこり)」とのことであった.

 さて帰宅したのは午後二時過ぎだった.
 「たいめいけんチキンライス弁当」の箱を開けると,中に割箸と樹脂製のスプーンと小さなお手拭き (小袋包装) が入っていたのだが,それらはチキンライスや鶏唐揚の上に直接置かれていた.
 駅弁などでは,内容物の上に透明フィルムを置き,その上に箸とかお手拭きを載せるものだと思うが,「たいめいけんチキンライス弁当」では直置きであった.これってこういう仕様なのだろうか.透明フィルムの一枚くらい,大したコストではないと思うが.
 チキンライスの飯粒がいくつも貼りついた小袋入りのお手拭きは取り除いて捨てたが,ちょっと感じが悪い.いや違う.かなり感じが悪い.

[食レポ]
 チキンライスの量はかなり少ない.箱は大きいが内容量は少なめで,この弁当がターゲットしている購入客セグメントは「老人」「ダイエット中の女性」と考えられる.
 チキンライスは,まずい.食品添加物「グリシン」の味がする.グリーンピースが六粒載っている.具材は,小指の爪以下の大きさの鶏肉が三粒入っていた.それだけで他に具材は使用されていない.
 エビフライは悲しいくらいに細い.小さな樹脂カップにマヨネーズ状のものが入れられており,原材料表示に「タルタルソース」書いてあるのが,これらしい.しかしこれを食べて「タルタルソースだ」と言う人はいないと思う.食品添加物によると思われる異様な酸味がある.
 鶏唐揚はバサバサである.まずい.
 付け合わせにキャベツの酢漬けのようなものが入っていた.原材料表示に「コールスロー」と書いてあるものがこれらしいが,これを食べて「コールスローだ」と言う人は少数派ではなかろうか.食品添加物によると思われる異様な酸味がある.

 あとはもう省略するが,こりゃだめだ,というのが食べた感想である.
 それで,ネットで「たいめいけんチキンライス弁当」を検索してみた.
 すると,大丸のサイトではなく,「ごちクル」という宅配弁当やケータリングの情報サイトに「たいめいけんチキンライス弁当」が掲載されていた.製造者 (実際の製造工場) は不明.流通経路は異なるが,販売者は同じ「株式会社たいめいけん」と考えられる.

 で,このサイトに掲載されている「たいめいけんチキンライス弁当」の画像を見て驚いた.リンク切れになる可能性があるから,商品説明ページをブラウザに表示させて画面のコピーを取り,トリミングしたものを,証拠として下に掲載する.(画像を取得した日はこの記事を掲載したのと同じ日である)
20170526b

 この画像によると,チキンライスに缶詰のマッシュルームが入っているようであるが,私が大丸で購入したものにはマッシュルームは一切れも入っていなかったのである.大丸で売られているやつをチキンライスと呼ぶのはかなりの勇気が必要だと思う.チキンレースかよ.←自分で自分に座布団一枚.
 ただし,この「ごちクル」に掲載されている「たいめいけんチキンライス弁当」は税込 1,300円であり,大丸で売られているものは税込 1,180円である.

 結論として,「たいめいけんチキンライス弁当」の味のレベルは,コンビニ弁当以下だと思う.久しぶりにこれ程まずい弁当を食べたので,有名デパ地下の弁当なのに,こんなのが大手を振ってまかり通っているのだなあと,珍しいものを口にした私は少し感心した.こんなものを売るなんて,きっと大丸B1F のバイヤーは,この弁当を試食したことがないのだろう.

 もしかしたらこの弁当を買ってしまうかも知れない消費者のために,原材料表示を下に示す.

[原材料名]
チキンライス(国産米),鶏唐揚げ,えびフライ,えびグラタン(ナチュラルチーズ入り),ナポリタンスパゲッティ,コールスロー,フライドポテト,ミニトマト,タルタルソース,ピクルス,加工澱粉,トレハロース,調味料(アミノ酸等),増粘剤(増粘多糖類,加工澱粉),pH調製剤,乳化剤,セルロース,酸味料,着色料(カラメル,ウコン),乳酸Ca,リン酸塩(Na),香辛料抽出物,酸化防止剤(V.C,亜硫酸塩),イーストフード,V.C,発色剤(亜硝酸Na),保存料(亜硫酸塩)

 このブログで何度も書いたが,私は食品添加物を否定しない.使う必要がある時は使用すればよいという考えを持っている.だが「たいめいけんチキンライス弁当」は度を超している.
 一般論として,保存性を向上させることを目的として使われる添加物は食材の味を損ねるものが多い.上の「たいめいけんチキンライス弁当」がこれほどまずいのは,調味料(アミノ酸等)pH調製剤酸味料の使い方が拙劣,あるいは使用量が多すぎるからだと考えていいのである.
 それから,加工澱粉にも要注意.稿を改めて書きたいが,この添加物はロクなもんじゃないのである.食品添加物肯定派の私が言うのだから当ブログの読者は心して頂きたい.

「ごちクル」に掲載されている「東京 日本橋 三代目 たいめいけん」のコンテンツ《★こだわり》には次のような記述がある.

創業80余年、現在は三代目の茂手木浩司氏が調理場を仕切る「東京 日本橋 三代目 たいめいけん」。
その茂出木氏監修のお弁当(「ごちクル」では委託製造)は、「おいしい」「また食べたくなる」「特別な味はしないのに、後味までしみじみおいしい」と言っていただけます。

 そうですか,と言う他はないが,私なら「まずい」「もう食べたくない」「グリシンと酸味料の味がするので,後味までしみじみとまずい」と言いたい.
 ところがこの「たいめいけんチキンライス弁当」は,大丸「弁当ストリート」で売上トップテンに入る人気なのだという.(東京駅大丸の弁当年間ランキング!2016年に一番売れた弁当はコレだ!)
 みんな,この弁当が本当においしいと思ってるわけ?
 コンビニ弁当ならもっと安く同等の味のものが買えるのに,「たいめいけん」ブランドの威力なんだろう.これが悲しいかな一般消費者の味覚レベルなのだ.と,女性店員さんに声をかけられただけで「たいめいけんチキンライス弁当」を即決購入した私が言う.まことに年甲斐のないことで,済まぬ済まぬ.

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2017年5月25日 (木)

金に吹かれて 再論

 先週掲載した記事《2017年5月20日 (土) 金に吹かれて 》 で,私は以下のように書いた.

京都大学の山極寿一総長が今年春の入学式で,日本人によるカバー曲ではタイトル「風に吹かれて」として知られるボブ・ディランの "Blowin' in the Wind" の歌詞を,式辞に引用したことが問題になっている.
 言うまでもなく,口頭で述べる式辞中で歌詞を読み上げても何ら法的問題はないが,京都大学は当該式辞を大学のウェブサイトに掲載した.これについて日本音楽著作権協会 (JASRAC) は歌詞の使用料が必要になると大学側に伝えたという.
 朝日新聞DIGITAL が報道したところによると,京都大学広報担当者は,これは適正な引用であるから許諾は不要であると主張している.
 おもしろそうなので京都大学のサイトを覗いてみた.
 その式辞は《平成29年度学部入学式 式辞 (2017年4月7日) 》であるが,一読して,残念ながらどうみても明らかに不適切である.
 歌詞を引用する場合は,その歌詞そのものに対する批評が不可欠なのであるが,山極先生の式辞中には,ボブ・ディランが作った歌詞に対する批評がまったくない.単に話のマクラに歌詞を紹介しているだけであり,適正な引用どころか不適正な引用にすらなっていない.
 ボブ・ディランの歌詞を話のマクラにしたいなら,原歌詞を山極先生が翻訳し,大学のサイトに掲載する文章には,その歌詞を式辞に用いればよかったのである.
 ましてや文章中に歌詞を引用などすれば,強欲で知られる JASRAC からクレームが来るのは常識だ.不用意であったとしか言いようがない.

 この問題が最初に報道された時,京都大学広報課は,歌詞使用料に関する手続きが必要だと JASRAC から伝えられた (=使用料を請求された),とメディアの取材に回答している.これは京都新聞のウェブサイトが記事《式辞に歌詞引用、著作権料を 京大HP掲載でJASRAC 》(2017年05月19日5時00分掲載) で伝えたものをテレビ,他紙およびネットニュースが追従して報道した.
 翌日になると JASRAC は,メディアの反響の大きさに驚いたと見えて,歌詞使用料を請求したのではなく事実確認をしただけである,とメディア各社の取材に対して一歩後退した.
 そして遂に昨日,JASRAC の浅石道夫理事長は定例記者会見で,本件は引用であると認め,使用料は請求しないと発表した.
 これは,歌詞の引用に関して,以前から一貫してJASRAC が取ってきた方針と百八十度異なるものであるので,以下に解説する.

 「引用」すなわち合法的無断引用の詳しい解説は Wikipedia【引用】を参照して頂きたい.
 この Wikipedia の記述を踏まえて,それではどのような場合に引用が可能かは,文化庁ウェブサイトのコンテンツ《著作物が自由に使える場合 》に以下の如き指針が示されている.

(注5)引用における注意事項
 他人の著作物を自分の著作物の中に取り込む場合,すなわち引用を行う場合,一般的には,以下の事項に注意しなければなりません。
(1)他人の著作物を引用する必然性があること。
(2)かぎ括弧をつけるなど,自分の著作物と引用部分とが区別されていること。
(3)自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること(自分の著作物が主体)。
(4)出所の明示がなされていること。(第48条)

 ここで最も重要なことは,引用の必然性である.
 (2) の引用部分が明確であるか否か,(3) の自分の著作物と引用部分の主従関係において引用部分が従であるか否か,は判断基準が曖昧である.
 また,(4) の出所の明示は,どこまで詳しく書けばいいのかという問題がある.
 それ故,以上の三点について合法かどうかは,最終的には訴訟で争われることになるが,しかし,必然性のない無断引用については,特段に司法の判断を待たずとも,健全な常識に基づいて判断ができる.
 例えば必然性のない無断引用の一例だが,ブログあるいは個人ウェブサイトにおいて,検索でヒットされやすくするために当該記事の内容に無関係にヒット曲の歌詞を書き込むということが,かつて流行したことがある.しかしこのような行為は,著作権法の趣旨に照らして,健全な常識のみで合法に非ずと判断できるのである.

 そこで件の京都大学山極先生の式辞に戻る.
 まず引用の必然性についてであるが,ボブ・ディランが「風に吹かれて」の中で歌ったことは,歌詞を引用せずとも十分に可能であったと考えられる.
 例えば「ボブ・ディランは『風に吹かれて』で,答えは風の中にあると歌っています.その意味は……ということだと私は思います」と,歌詞を直接書かなくても,ボブ・ディランが歌詞に込めた思いを解説すれば,著作権法上,何の問題もなかったのである.
 それに,同じ趣旨のことは,わざわざ「風に吹かれて」を引き合いに出さずなくても,新入生に伝えることができる.山極先生は話のマクラに「風に吹かれて」を持ち出しているに過ぎないのであり,そう判断するのが健全な常識というものである..
 その上しかも,京大のウェブサイトに掲載された当該式辞の末尾には,

(“ ”は、Bob Dylan氏の「blowin' in the wind」より引用)

と書かれているが,実際には引用開始を示す《》と引用終わりを示す《》との間に,日本語訳が紛れ込んでいる.
 これは引用部分を明示することという文化庁が示した指針に反しているのである.

 さらに続けて言おう.
 山極先生は,式辞後半で茨木のり子の詩を引用している.その箇所を下の《》に示す.

最後に、皆さんに私の大好きな詩を贈ろうと思います。自分がもっとも美しかった青春時代を、戦時中の学徒動員と敗戦のがれきのなかで過ごした茨木のり子の「6月」という詩です。

 この引用に続いて山極先生は,茨木のり子が追い求めた美しい村や街を大学の中に創造したいと述べた.
 それはどのような村や街であったかを入学式に出席したすべての学生に知ってもらうには,その詩を引用する以外の方法はない.茨木のり子の詩は,誰でも知っているわけではないからである.
 すなわち,式辞中に茨木のり子の詩を引用することには大いに必然性がある.その引用は,式辞の中で大変に重要な部分なのである.
 であるとすれば,文化庁の指針にある「引用に必要な条件」を満たさねばいけないのであるが,山極先生はその詩の出典を示さなかった.これでは合法な無断引用とは認められないのである.
 ちなみに,その詩は,初出が昭和三十一年六月二十一日の朝日新聞に掲載されたもので,二年後に彼女の第二詩集『見えない配達夫』(飯塚書店,昭和三十三年十一月刊) に収載された.
 この詩を式辞で述べるのは問題ないが,大学のサイトに式辞文章の一部として掲載するのであれば,著作権法上,少なくとも詩集『見えない配達夫』が出典であることを明記しなければ違法なのである.

 さらに,ここが一番肝心であるが,掲載された山極先生の式辞の中で,詩の題が,驚くべきことに

茨木のり子の「6月」という詩です。

と書かれている.しかし,正しくは《6月》ではなく,「六月」なのである.
 詩の題を間違うようでは,山極先生がこの詩を大好きだというお話は本当なのかという疑念が湧く.自分の大好きな詩の題を間違う馬鹿はいないからである.いや婉曲な言い回しはやめよう.私は嘘であると考える.つまり大学の代表者が,学生の前で嘘をついたのである.
 茨木のり子は詩人である.言葉に対する感受性をもって人生を生きた人である.その人が題を《6月》なんぞとするわけがない.詩の題は,新聞記事の見出しとは異なるのだ.「六月」を《6月》と書くことは,彼女に対する侮辱であると言う他はない.
 必然性のないボブ・ディランの歌の歌詞を話のマクラに書いたことといい,茨木のり子の「六月」を,題を《6月》に改変 (これは著作権法上,非常に悪質な行為である) した上に,出典を示さなかったことといい,当該式辞には,大学人の言説として重大な問題がある.京都大学は,当該式辞を大学のウェブサイトから取り下げるべきである.

[余談]
 JASRAC が京都大学に歌詞の使用料を請求しないとしたことを伝えた毎日新聞は,山極先生の肩書を京都大学学長と書いた.言うまでもなく京都大学総長である.あっちもこっちも,この国は一体どうなっているのか.

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2017年5月24日 (水)

オオタカ

 朝日新聞デジタルに掲載された記事《自然環境保護の象徴オオタカ、希少種解除へ 懸念の声も》をmsnが転載して報道したところによれば,以下の通りである.

自然環境保護の象徴的な存在であるオオタカについて、環境省は22日、種の保存法に基づく国内希少野生動物種 (希少種) から外す方針を決め、有識者らの小委員会に示した。国民から意見を聴いた上で、8月以降に解除される見通し。

 環境省に限らず他の行政官庁すべてについて言えることだが,《有識者らの小委員会に示した》段階でその施策の実施は確定しているのである.
 というのは,官庁はその施策に同意する「有識者」を委員にするのである.そして「有識者」お墨付きを得たという形を整えてから《国民から意見を聴》くことにする.
 ここで《国民から意見を聴》くといっても国民投票に付するわけではなく,官庁ウェブサイトにひっそりと掲示して,パブリックコメント (通称「パブコメ」) を募集するだけである.
 募集期間が終ると当該官庁はパブコメを集計し,国民から提出された各意見に対して省庁側の立場からのコメントを付けて公表するのだが,このコメントがもう国民をナメ切った態度なのである.
 例えば,ある施策に賛意を示す意見 (明らかなサクラでも) に対しては丁重な応対をするが,批判的意見に対しては,酷い時には「参考に致します」の一言だけだったりする.
 私も現役会社員時代に,食品関連法案の変更時に何度かパブコメを提出したことがあるが,すべて一言でバッサリと切り捨てられてしまった.
 こういう事が続くと,一般の国民は呆れてパブコメに手を出さなくなる.ところがこの事態こそ官僚の思うツボであって,パブコメを募集すると,提灯持ちからの賛同意見ばかりが集まるようになる.こうしてパブコメ制度は既に形骸化してしまったと言っていい.

 環境省は,オオタカを国内希少野生動物種から外す気まんまんである.
 この方針を覆すのは極めて困難なのであるが,しかし圧倒的に多数のパブコメ提出意見が反対であれば,これを無視するとメディアが取り上げる可能性が高くなる.
 個人の提出意見は,環境省に相手にされないこと確実であるが,しかし集計結果 (賛否の数) は公表せねばならないからである.
 オオタカに関心ある向きは,当該施策のパブコメに参加されては如何だろうか.

 冒頭に紹介した記事を読むと,オオタカの希少種指定が解除されれば,現在の営巣地は指定解除を待ち望んでいる業者によってたちまちのうちに開発され,また再びオオタカは減少に向かうのではないかと危惧される.
 大抵の場合,このような施策の裏には,業者からなにがしかの陳情がなされていると推測される.週刊誌は「官邸の最高レベル」とその夫人が何かしていないか調べたらどうだ.(笑)

 自然保護の大義のために,あの田中角栄にも歯向かった初代環境庁長官,大石武一 の如き政治家は遠い昔の話となった.国の天然記念物であるコウノトリを射殺するハンターがいる国だもの.嗚呼.

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2017年5月23日 (火)

最近の小生絶賛本

 ハッピーリタイア悠々自適,残りの人生は読書してすごしましょうと,仕事を辞めたあと思った.
 ひとによっては一生涯現役で働くだろうし,趣味のことに打ち込むにせよ何にせよ余生というものは千差万別であろうが,私は本を読むのが大好きなので飽きもせず読書の毎日である.
 そこでどんな本を読むかだが,一般向け自然科学書から歴史書まで,もう手あたり次第だ.
 しかし手あたり次第とはいえ道案内は必要で,一昔以上前から毎号読んでいる週刊文春の書評欄「文春図書館」は大いに参考にしている.
 書評欄以外に,連載コラムの筆者諸氏が紹介してくれる書籍もあり,本川達雄著『ウニはすごい バッタもすごい デザインの生物学』は福岡伸一先生の御推薦だ.

 一般向け自然科学書といっても,私の場合は数学や物理学ではなく,生物学とか人類学などがツボのようで,おおそうだったのか!と目から鱗の落ちることが多くて楽しい.
『ウニはすごい バッタもすごい デザインの生物学』は第一章から鱗落ちっぱなしだ.例えば昆虫の飛翔には二種類あるという話.
 一つは筋肉 (直接飛翔筋) で翅を動かすという型で,これはトンボ,バッタ,チョウなどの例を思い浮かべるとわかりやすいのだが,もう一つのパターンは,筋肉 (非同期飛翔筋) が胸部をその共振周波数で振動させる型だという.
 ハチなどはものすごい速さで翅を動かしているが,それは筋肉自体の伸縮振動とは無関係だというのである.これ,知ってましたか,諸兄は?
 いや子供の頃から,あのハチの飛び方は不思議には思っていたのだ.それがこんなに明解に説明されると,ははーっとありがたく平伏してしまいますなあ.
 この本,著者がこれまでに書いたベストセラーと同様に,科学好きな老人にお勧めしたい.

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2017年5月21日 (日)

金八先生

 昨日,録画しておいたテレビ番組を観終えて,地上波放送に戻したら,クイズ番組をやっていた.日本テレビ『究極の○×クイズ!!超問!真実か?ウソか?』の再放送のようだった.(4/7放送分)
 私が観たときのクイズは,武田鉄矢が「間違えやすい日本語50」に全問正解できるか否かを,ゲスト回答者が○×で答えるというもの.
 武田鉄矢は結局,全問正解したのであるが,最後の問題は《「やぶさかではない」の正しい意味は?》で,武田鉄矢は《努力を惜しまず喜んでする》意味だと答え,番組が用意した正答はこれと全く同じであった.

 よかったよかったと言いたいところであるが,実はこれ,間違いなんである.
 一部のネット辞書が現在そのような誤った語義を載せているが,そうなったのは平成二十五年度の文化庁「国語に関する世論調査」において,「協力を求められればやぶさかでない」の意味を問う設問の答えを「喜んで協力する」としたことが影響していると思われる.武田鉄矢の知識も,おそらくこの時の「国語に関する世論調査」に基づいているのであろう.

 ところが,である.
 この「協力を求められればやぶさかでない」という例文自体が日本語になっていないのである.(笑)
 というのは,この「やぶさかでない」には定型があって,この例でいえば「求められれば協力するにやぶさかでない」としなければいけないのだ.
 しなければいけない,というのは少々強い言い方かも知れないが,慣用表現というものは,定型から外れると聞く者に違和感を覚えさせるので,特に文芸表現上の必要性がなければ,定型に従っておくべきである.
「やぶさかでない」の定型とはすなわち「○○するにやぶさかでない」という形である.
 では,問題の「やぶさか (吝か)」とはどのような意味か.
 ネット辞書の「実用日本語表現辞典」に行き届いた解説があるので,それを下に引用する.

吝かではない
読み方:やぶさかではない
形容動詞「吝か(である)」の否定形で、多くの場合「やりたい」というおおむね積極的な意思を示す表現。
「吝か」は、それ自体「気が進まない」「気乗りしない」「あまりやりたくない」といった後ろ向きな気持ちを示す。これを「吝かではない」と、否定形によって表すことで、「やりたくないわけではない」、「やってもよい」、あるいは、「どちらかと言えばやりたい」、「むしろ喜んでする」といった肯定的・積極的な姿勢を婉曲的に表す。
「吝かではない」のように否定的表現を否定する修辞法は「緩叙法」とも呼ばれる。例えば「嫌いではない」(わりと好きだ)、「悪くない」(けっこう良いと思う)などのような表現でも緩叙法が用いられている。

 さて「やぶさかでない」には一筋縄でゆかぬところがある.
 まず一つには,普通は上の解説にあるように《おおむね積極的な意思を示す》時に用いる表現なのであるが,実は心中で「喜んで○○する」と思っていても,口に出す時にはもったいぶって「○○しないわけではない」と言う時にも用いるのである.
 二つ目には,緩叙法表現の意味には,上の解説の例でいうと「嫌いではない」には,「嫌いではないが,取り立てて好きというわけでもない」から「わりと好きだ」まで,ニュアンスに幅があるのだ.そして「嫌いではないが好きでもない」であるのか「わりと好きだ」なのかのニュアンスは,文脈から読み取る必要がある.

「やぶさかでない」の定型表現を知らぬことといい,必要な文脈を示さずに,しかも不適切な例文「協力を求められればやぶさかでない」の意味を質問したことといい,ほんとに文化庁の三流役人は頭が悪いと言うにやぶさかでない.もっと本を読め.

 ネット辞書の「goo辞書」は文化庁の大間違いに基づいた語義を載せている三流辞書であるが,用例はなぜか適切な例文を載せているので紹介する.

賢明なる三菱当事者のために夫人の便宜を考慮するに吝かならざらんことを切望するものなり。》 (出典は青空文庫の芥川龍之介「馬の脚」である;ところが goo辞書は何をトチ狂ったか「龍之介」を「竜之介」と誤記しており,いかにも三流辞書であるなあと呆れる)

この点では志賀直哉の功を認めるに吝かではない。》 (出典は青空文庫の織田作之助「可能性の文学」である)

その局部に対しては大に賛成の意を表するに吝かならざるつもりである。》 (出典は青空文庫の夏目漱石「文芸委員は何をするか」である)

 私は武田鉄矢と義務教育同学年の者として,武田鉄矢の日本語知識はかなりのものであると以前から感心しているが,ただ,試験勉強的に知識を得るのではなく,小説を読むなどの読書によって日本語の力を蓄積して頂きたいと思うのである.

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2017年5月20日 (土)

金に吹かれて

 京都大学の山極寿一総長が今年春の入学式で,日本人によるカバー曲ではタイトル「風に吹かれて」として知られるボブ・ディランの "Blowin' in the Wind" の歌詞を,式辞に引用したことが問題になっている.

 言うまでもなく,口頭で述べる式辞中で歌詞を読み上げても何ら法的問題はないが,京都大学は当該式辞を大学のウェブサイトに掲載した.これについて日本音楽著作権協会 (JASRAC) は歌詞の使用料が必要になると大学側に伝えたという.
 朝日新聞DIGITAL が報道したところによると,京都大学広報担当者は,これは適正な引用であるから許諾は不要であると主張している.

 おもしろそうなので京都大学のサイトを覗いてみた.
 その式辞は《平成29年度学部入学式 式辞 (2017年4月7日) 》であるが,一読して,残念ながらどうみても明らかに不適切である.
 歌詞を引用する場合は,その歌詞そのものに対する批評が不可欠なのであるが,山極先生の式辞中には,ボブ・ディランが作った歌詞に対する批評がまったくない.単に話のマクラに歌詞を紹介しているだけであり,適正な引用どころか不適正な引用にすらなっていない.
 ボブ・ディランの歌詞を話のマクラにしたいなら,原歌詞を山極先生が翻訳し,大学のサイトに掲載する文章には,その歌詞を式辞に用いればよかったのである.
 ましてや文章中に歌詞を引用などすれば,強欲で知られる JASRAC からクレームが来るのは常識だ.不用意であったとしか言いようがない.

 ところで周知のように,JASRAC は正当な引用でも認めない.引用が適正であっても訴訟に持ち込む姿勢を明確にして音楽ファンを威嚇している.JASRAC は,とにかく金が欲しいのである.
 最近では,子供の音楽教室にまで魔の手を伸ばしている.
 先生が子供にエレクトーンを教える場面を想像して欲しい.先生がお手本を演奏すると,JASRAC はこれをカラオケ伴奏と同列に見做して,金を取るというのである.
 JASRAC は,音楽教室の生徒が音楽を好きになることとか,あるいは生徒の中から将来,演奏家が育つかも知れないなんてことには興味がないのである.音楽文化の発展より,現金が欲しいのだ.
 我が国の音楽シーンをダメにしたのは,日本の歌を荒廃させた演歌の職業作家と JASRAC なのである.

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思考停止大臣

 産経新聞のウェブサイトに《教育無償化「財源確保が基本」 麻生財務相 「公平感が難しい」》と題した記事が掲載された.(5/19 11:58配信,すぐにリンク切れになるがURLはここ)

 記事の内容は,麻生太郎財務相が昨日 (5/19) の閣議後会見で,高校や大学の授業料免除など教育無償化に関して与野党が検討している「教育国債」を創設した財源確保案に対して,かねてよりの持論である教育国債反対論を示したというものである.
 記事によれば麻生財務相は記者団に対して次のように述べた.

大学卒業者は、中学卒、高校卒の人より生涯獲得賃金が多い。大学卒業のための税金を中学卒、高校卒の人が収める税金で賄っている。公平感(を与えること)が極めて難しい

 一見もっともらしいが,これは根拠に乏しい意見である.
 2014年の数字であるが,各学歴の三月卒業者で就職した者の総数は,大学院卒が約65,000人,大卒が約395,000人,高等専門学校卒が約5,000人,高卒が約184,000人,中学卒が約6,000人である.
 これを見れば明らかなように,所得税を納める国民は主に大学院卒者と大卒者になっているのである.
 しかも,麻生大臣は《大学卒業のための税金を中学卒、高校卒の人が収める税金で賄っている》と言うが,学歴別所得税納付額などという統計数字は存在しない.(そんなことは調査不可能だ)
 その上,大卒以上の人の《生涯獲得賃金が多い》 (これには異論が存在する) ならば生涯に納める所得税も多いから,麻生財務相の発言はそもそも誤りである.
 さらには非正規雇用の問題があって,話は簡単ではないのだ.
 就職者に占める大卒以上の者が,その他の学歴者合計を上回った平成十年頃以前には,麻生財務相のような意見を想像で根拠なく言う人がいたことは確かであるが,それ以後,目にしなくなった.
 このコミック好きで日本語の不自由な大臣の頭の中は,その当時のままで止まっているのである.大丈夫か日本.(「大丈夫ではない」の反語表現)

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2017年5月19日 (金)

幇間コメンテーター (二)

 昨日,夕食を摂りながらラジオのニュース (文化放送) を聴いていたら,この日 (5/18) に開催された「第6回豊洲市場における土壌汚染対策等に関する専門家会議」の様子が報道された.

 会議の様子を伝えたNHKのネットニュースは,《豊洲問題 専門家会議「無害化」めぐり議論かみ合わず 5月18日17時56分 》だが,専門家会議で報告された追加対策費用には触れていない.
 追加対策費用に関しては,会議開催前のニュース《豊洲市場の安全対策費 最低でも35億円 都が試算 5月18日4時45分 》で次のように報道していた.

豊洲市場の土壌汚染対策を検証する東京都の専門家会議は施設の安全性をさらに高めるためとして、地下空間の底をコンクリートなどで覆い換気設備を整備することや、汚染された地下水をくみ上げる「地下水管理システム」を強化する案をまとめ、18日に公表する予定です。
これを受けて東京都が対策にかかるコストを試算したところ、最も低い場合でも35億円程度に上ることがわかりました。
具体的には、地下空間の底をコンクリートで覆う場合、総額で35億円から45億円程度に上るとしています。
また、密閉性の高い特殊なシートで覆う場合は70億円から80億円程度に上るとしていて、これらの試算は18日に開かれる専門家会議で報告される予定です。
18日の会議では、先月行われた地下水のモニタリング調査でも、それ以前と同様に最大で環境基準の100倍となる有害物質が検出されたことが報告される見通しですが、専門家会議は新たな対策を講じることで土壌の汚染を環境基準以下に抑える「無害化」を目指せるとする見解を示す予定です。

 上の引用箇所に書かれている追加対策費用の明細については,新聞各紙によってバラバラであるため,正確には専門家会議のレジュメを確認しないといけない.
 しかし報道された金額を見る限りでは,私が現役会社員時代の工場建設に関する経験からすると,安めに見積もっているかな,という感じがする.
 というのは,追加対策の一つで,建屋地下の空洞部分に防水シートを敷いて地下水の侵入を防ぐ,という工事が提案されたようだが,これは実際には地下空洞の既存のコンクリート床と壁を全部ひっぺがしてから実施することになるだろう.これはつまり「全部やり直し」ということであり,地下空洞をコンクリート施工前の状態に戻す工事は見積に含んでいないんじゃないかと思われるのだ.
 専門家たちが一事が万事この調子で見積もっているとすると,追加対策の総費用は一桁多い数百億円になるだろう.
 で,このニュースの時点でNHKのネットニュースは《専門家会議は新たな対策を講じることで土壌の汚染を環境基準以下に抑える「無害化」を目指せるとする見解を示す予定です》としたが,どうやらこの《「無害化」を目指せるとする見解》で紛糾したようだ.
 文化放送のニュースでは,会議を傍聴した築地市場関係者の女性がインタビューに応えて「専門家は数字を並べるだけで豊洲市場が安全にできるのかどうか全然はっきりしないっ」(録音していないが,概ねこんな感じだった) と怒っていた.
 この専門家会議のメンバーは,本来は築地市場関係者からの罵声を浴びるべき当事者ではないから,その点は深く同情するが,それにしても,「無害化」をする,でもなければ,「無害化」を目指す,でもない《(「無害化」を) 目指せる》などという役人風の玉虫色表現は拙劣であった.
 結局,傍聴者からの追及に,「無害化」を目指すが,達成はいつになるかはわかりません,と言わざるを得ず,会議は実質中断に追い込まれたのであった.

 さて本題に入る.
 私は昨年秋,このブログに

2016年10月14日 (金) こういう人物も学者というのか 》 

2016年10月20日 (木) 豊洲の地下水は水位下がらず 》 

と題した二つの記事を掲載した.
 この記事にあるように,豊洲新市場の建屋地下空洞に地下水が侵入していると報道された当初から私は,豊洲新市場の地下水の水位を低く保つ仕組み「地下水管理システム」は揚水能力が不足していると指摘していた.
 これは,たぶん私だけでなく,産業界の多くの技術者たちがそう考えただろうと思う.
 あれから半年以上経った昨日の専門家会議で,ようやく揚水能力を増やす提案がなされた.
 仕事が遅い.遅すぎる.こんなにスピード感のない仕事振りでは,民間企業だったらクビである.
 小池都知事は,オリンピックのこともあって大変な状況だと思われるが,役人と学識経験者にやらせていては埒があかないのであるから,もう政治家として決断しては如何か.
 築地再整備でも豊洲の手直しでも,どちらでも技術的観点からすれば,成功に導く色々なやりようがあるだろう.要はスピードだ.もたもたすればするほど,かかる費用は増大していく.

 それはさておき,話を宮崎哲弥のことにする.
 上に挙げた当ブログの記事にあるように,宮崎哲弥は,自分がMCであるラジオ番組に安倍晋三の取り巻きである内閣官房参与の藤井聡を出演させ,藤井の虚言に同調することで,安倍ブレーンになりたい下心を露わにしたのであった.

藤井は,これはもうやり過ぎなほど過剰な汚染地下水対策であり,それが工事費の高騰を招いたのであると,宮崎を相手に饒舌に論じた.つまり藤井は,これだけ巨費が投じられて対策が講じられているから豊洲市場は安全だというのである.
 いやいや,地下水モニタリングシステムの存在は,この問題が発覚したときに既に都の技術部門関係者がテレビで説明したことだ.私のようなレベルの一般人でも知っている.
 問題は実はそんなことではなくて,その巨費を投じた地下水モニタリングシステムがまともに作動していないことなのだ.
 テレビニュースで繰り返し報道されていた,あの地下空間に溜まった地下水は,システムが設計通りに動いていないことの証左なのである.
 それを政府関係者である藤井は承知しているはずだが,それなのに滔々と地下水モニタリングシステムがいかに汚染地下水対策として優れているかを語った.
 いったいこの男は何を考えているのであるか.一般人は馬鹿だから簡単に騙せると思っているのだろうか.また,こんなことを喋る男を番組に招いて議論の相手にしている宮崎哲弥の頭の中はどうなっているのだろう.

 繰り返して言うが,宮崎哲弥は,自分が知識も見識も持たぬ分野のことで安倍晋三に摺り寄るのはやめた方がいい.恥をかくだけだ.
 そんなことより,改憲と日本核軍備を主張すれば,次の参院選で比例区にどうぞとお声がかかるであろう.変節は恥だが役に立つ.頑張れ宮崎哲弥.

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2017年5月17日 (水)

幇間コメンテーター (一)

 青山繁晴という右翼デマゴーグがいる.この男は,第一次安倍内閣の頃までは安倍晋三に対して割と批判的な姿勢であったのだが,安倍が復帰するや,突然に猛烈な安倍応援団の旗を振り始めた.ネット上の一説には,自分と家族に対する安倍周辺からの経済援助 (某大学におけるポスト) を受けたことが変節の理由だとされているが,それは噂に過ぎないのでここでは取り上げない.興味ある向きはウェブを調べて頂きたい.
 ただし安倍晋三との親交は Wikipedia にも書かれているくらいに周知の事実であり,安倍の「お友達」の一人である.
 私は,第二次安倍内閣の発足以後,青山繁晴がラジオで「情報源は秘密ですが,実は……」と見苦しいまでの陰謀論と嘘八百を並べて安倍の政敵を攻撃し,まるで安倍の幇間であるかのように振る舞うのを聞いて,情けない品性の人間も世の中にはいるものだと呆れたが,実はそれは青山の周到にして見事な処世術であった.Wikipedia【青山繁晴】から引用する.

2016年6月20日、大阪市北区の帝国ホテル大阪にて記者会見を行い、通算8回目の出馬依頼を受諾し、第24回参議院議員通常選挙に自民党公認で比例区から出馬する事を表明し、比例区全体の6位である48万1890票を獲得し当選を果たした。

 このようにして今や青山繁晴は参議院議員である.幇間から参議院議員への戦略的 (笑),あるいはナリ振り構わぬ転身は,すべての変節漢の手本とされるであろう.
 この青山繁晴を横に見ていて,切歯扼腕したのは,かつての同業者にして同じラジオ番組で常連コメンテーターをしていた宮崎哲弥であろう.
 そのように想像されるのは,宮崎哲弥はそれまで自称リベラル派であったが,この頃から宮崎の週刊誌とラジオにおける発言が安倍政権支持に大きく舵を切ったからである.宮崎は,青山の水際立った変節を目の当たりにして,深く感銘を受けたのではなかろうか.自分だってこうすれば参院議員になれるのだと.

 それ以降一年,宮崎は安倍政権擁護の論陣を張ってきたのであるが,彼の言説の中心は,安倍の経済政策,いわゆるアベノミクス礼賛に偏している.これでは中途半端である.安倍晋三の「お友達」となるためには,己の思想的過去にきっぱりと別れを告げなければいけない.具体的には,日本国憲法の改憲を主張することだ.
 宮崎が自称リベラルから右派に転じても,誰も非難はしないだろう.宮崎は思想家ではなく,ただのテレビコメンテーターあるいは週刊誌コラムニストにすぎないのだから.
 変節しても仕事は減らないだろう.マツコのテレビCMなどにも,これまで同様に端役で出させてもらえるだろう.躊躇せずに変節するがいい.頑張れ宮崎哲弥.

 ところでその宮崎が,週刊文春 (5/18 日号) の連載コラム『宮崎哲弥の 時々砲弾』でこんなことを書いていた.

例えば去る三月一四日、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・E・スティグリッツが経済財政諮問会議で発表した折、……(中略)…… 政府と中央銀行を一体と捉える「統合政府」の考え方に基づき、「政府の負債と日銀の資産が『相殺される』」との見解を示した。「日本の経済論壇は、政府の借金が1千兆円を超えて大変だ」と増税や緊縮へと急き立てるが、日本銀行はその国債を大量に保有しており、「いわば政府の中で債務をやりとりしているようなもの」なので「相殺できる」のだ。然るに、この発言の意味を精確 (*) に報じた新聞は皆無だった。》 (* ブログ筆者註;ここは「正確」と書かねば意味が通らない.しかし宮崎はラジオでしゃべっている際に高校レベルの四字熟語も言い間違うくらいに日本語が不自由なので,文春読者は,このくらいの間違いなら宮崎のいつものことだから許してあげて欲しい.とはいえ,経済問題を論じる前にまず高校の国語を勉強する必要があるとは思う)

 宮崎が上の引用文中で述べている「統合政府」の考え方とは,正確に (笑) いえば,政府の負債と日銀の資産が「統合される」ということである.
 これは特定の条件下,すなわち政府の負債と日銀の資産がバランスしている時は「相殺される」と言っていいことを意味している.宮崎は《(ジョセフ・E・スティグリッツが)「政府の負債と日銀の資産が『相殺される』」との見解を示した。》と何か目新しいことのように書いているが,それは今更ジョセフ・E・スティグリッツに言われなくてもほとんど常識だ.
 ところがここで大切なことは,当たり前だが,政府の負債と日銀の資産がバランスしていない時には「相殺できない」のだということである.
 ここら辺の理屈は吉田繁治氏が書いた《高橋洋一氏「日本の借金1000兆円はやっぱりウソでした」論は本当か? 》がわかりやすい.
 吉田繁治氏はこの《高橋洋一氏「日本の借金1000兆円は……》の中で,政府の負債と日銀の資産がバランスしていない時には,政府の借金は「相殺できない」という仕組みについて述べている.すなわち宮崎哲弥が文春のコラムで書いているところの《政府の負債と日銀の資産が『相殺される』》は,実は簡単な話ではないのである.
 私は経済学徒ではないから,アベノミクスを支持している (と宮崎が書いている) ジョセフ・E・スティグリッツの説と,アベノミクスは失敗だとする吉田繁治氏の説のどちらが正しいかを判断できない.しかし話が簡単ではないことはよく承知している.
 宮崎は,ジョセフ・E・スティグリッツの講演から統合政府の考え方を極めて断片的に紹介しているが,その考え方をアベノミクスの評価に関して安易に適用はできないということを私たちは知っている.少なくとも週刊文春読者の知識レベルを想定した文章を宮崎が書くのであれば,スティグリッツの説と吉田繁治氏の説の両方を紹介しないのはフェアでない.というか,こんなコラムを書いた時点で宮崎哲弥は既に立派なデマゴーグである.
 つまりそこまでアンフェアに,評論家としての矜持を捨ててまで,宮崎哲弥は安倍晋三の幇間になりたいのかと文春読者は思わざるを得ないのである.それ故,私は宮崎哲弥に勧めたい.アベノミクス礼賛で安倍晋三の「お友達」になるより,改憲論の旗を振るほうが楽だよと.頑張れ宮崎哲弥.

 余談だが宮崎哲弥は,吉田繁治氏の文中で批判されている高橋洋一氏の統合政府説を,自説の根拠にしていると推測されるのだが,その高橋洋一という経済学者は変わった人物で,東大卒の元大蔵・財務官僚でありながら,

2009年3月24日、“豊島園 庭の湯”(練馬区)で脱衣所のロッカーから現金や腕時計など約30万円を盗み、同年3月30日に警視庁練馬警察署に窃盗容疑で書類送検された(高橋が事実を認めた上で反省し、被害品も戻されているため書類送検となった)。学校法人東洋大学は同年4月20日付けで高橋を懲戒解雇処分とし解雇した。東京地方検察庁は、同月24日付けで高橋を起訴猶予処分とした。》 (Wikipedia【高橋洋一】から引用)

という経歴を有する.百日の説法屁一つ,とはこのことだ.(嘲笑)
 あ,サイテーな経済学者といえば植草一秀なんてのもいたなあ.しかしあれに比べれば高橋洋一はまだマシかも.

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2017年5月16日 (火)

柴犬のすみれ

 私は暇人であるにもかかわらず,ニュースの読み落としが多い.
 その一例で,「柴犬のすみれ」の話を知らなかった.
 今日の朝日新聞DIGITAL で《群馬)動物保護に一石 大けがから立ち直った柴犬》という記事の冒頭部だけを目にしたが,続きは有料記事であるため,詳しいことをウェブを検索してみた.
 すると,ヒットしたコンテンツのうちで《がんばれ、すみれちゃん!電車事故で脚2本を切断した元保護犬の今【わん!ダフルストーリー】2016/05/07 17:00 》がこの話の経緯をわかりやすく伝えていた.

 そのコンテンツの内容を繰り返すことは避けるが,動物保護団体を欺いて飼う気もないのに「すみれ」を詐取した極悪非道女とその家族といい,命というものに対する感覚の鈍麻した警察といい,獣医師の風上にもおけぬ性悪獣医といい,いかにも群馬県人だな,いかにも前橋の人間の話だなと,心底呆れた.
 私は群馬県の前橋市で高校まで生まれ育ち,その後は静岡県の中部,同県西部で暮らし,そして現在は神奈川県で生活している.
 いわゆる「県民性」はとても大雑把な話であって,○県の人の気風は何となくこんな感じだ,といった程度のことである.しかしこれは「血液型と性格」ほどのでたらめではないと考えられ,自然風土が人々の生活に与える影響というのは,確かにあるように思われる.
 その観点からすると,群馬の前橋辺りと静岡の中部には似たようなところがある.
 まず人々,特に男がお調子者だということがある.軽い.無責任.おしゃべり.寄らば大樹.
 そして故山口瞳の言葉を借りれば「田舎者」
 これは田舎の人という意味ではない.世間知らずのお山の大将を云う.
 だから,私は群馬と静岡が嫌いだ.老後はあんな土地で暮らしたくはないと思って,今は神奈川に住処を構えている.

 で,話は「柴犬のすみれ」のことだ.群馬県の人が犬や猫を飼う場合は,行政の許認可が必要だという具合にしろと本気で思う.でないと,群馬で悲しい目に遭う犬猫はなくならないと思う.たまに帰省した際に思うのだが,群馬は動物愛護の最後進県だ.

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2017年5月15日 (月)

ビジネスマンが書く日本史とは (十四)

(ブログ筆者註;タイトルの「ビジネスマン」は,週刊文春誌上で《ゼロから学ぶ「日本史」講義》を連載しているライフネット生命保険株式会社代表取締役会長兼CEOの出口治明氏を指し,氏を批判することが本連載の趣旨である)
(本連載記事のここ何回かで,先の戦争の敗戦を挟む時期の昭和天皇の行動を取り上げている目的は,昭和史研究で知られる作家半藤一利氏を批判し,それによって半藤氏をリベラル知識人であると称賛する出口治明氏の批判に繋げようとするものである)

 前回の記事《ビジネスマンが書く日本史とは (十三) 》の末尾を再掲する.

日米彼我の戦争遂行能力を冷静に認識できなかった昭和天皇は沖縄戦に一縷の望みを託していたのであろうと思われるが,現実はそれを許さなかった.
 事ここに至って昭和天皇は,一度は退けた和平交渉に目を向けざるを得なくなった.実はもう日本は既に和平交渉のチャンスを失っていたのであるが,それが明らかとなるのはもう少し先の話.昭和天皇は国体護持が不可能となるを恐れて,ようやく和平の途を探り始めた.

 昭和二十年六月下旬,米国軍は沖縄の占領をほぼ完了した.この沖縄戦敗北の受止め方は,帝国陸軍首脳 (この時点で海軍は,前年のレイテ沖海戦の結果,既に壊滅していた) と昭和天皇とでは異なっていたと思われる.
 そもそも陸軍が沖縄を「捨て石」に位置付けたのは,本土決戦を視野に入れていたからである.レイテ沖海戦は昭和十九年十月であるが,それよりかなり遡る一月に大本営は本土防衛戦のために大本営を長野県松代町 (現長野市松代地区) に移す計画 (松代大本営) を立てた.また同年七月に参謀総長は『本土沿岸築城実施要綱』 (Wikipedia には項目自体がないが,平凡社世界大百科事典の【本土決戦】に記載がある) を示し,米軍の上陸が予想される九十九里浜や鹿島灘,八戸に陣地構築を命じた.また関東防衛のための大本営直属部隊として第36軍を編成した.
 この頃,国内にいた兵力はわずか四十五万六千人であった (もはや戦力ではなかったが兵員約三百五十万人が戦地に置き去りになっていた) ため,兵の大量召集と部隊新設が進められた.
 こうして昭和二十年の四月には作戦名を「決号作戦」とした防衛計画を防衛部隊に示達した.これ以降,大本営は部隊の後退および持久戦を認めない旨を各部隊に通達し,《一億玉砕の思想にとらわれていくことになる。》 (Wikipedia【本土決戦】から引用)

「一億玉砕」とは何か.Wikipedia【玉砕】に《太平洋戦争における日本軍部隊の全滅を表現する言葉として大本営発表などで用いられた》とあるが,関連する箇所を少し引用する.

本土決戦と一億玉砕
戦局が絶望的となると、軍部は「本土決戦」を主張し、「一億玉砕」や「一億 (総) 特攻」、「神州不滅」などをスローガンとした。なお既に1941年 (昭和16年) から「進め一億火の玉だ」とのスローガンが使用されていたが、これらの「一億」とは、当時日本の勢力下にあった満洲・朝鮮半島・台湾・内南洋などの日本本土以外の地域居住者 (その大半が朝鮮人や台湾人) を含む数字であり、日本本土の人口は7000万人程であった。
1944年 (昭和19年) 6月24日、大本営は戦争指導日誌に以下の記載をした。
〈もはや希望ある戦争政策は遂行し得ない。残るは一億玉砕による敵の戦意放棄を待つのみ—〉
1944年 (昭和19年) 9月、岡田啓介は「一億玉砕して国体を護る決心と覚悟で国民の士気を高揚し、其の結束を固くする以外方法がない」と主張した。1945年 (昭和20年) 4月、戦艦大和の沖縄出撃は、軍内の最後通告に「一億玉砕ニサキガケテ立派ニ死ンデモライタシ」(一億玉砕に先駆けて立派に死んでもらいたい)との表現が使用され、「海上特攻」または「水上特攻」とも呼ばれた。

 上の引用箇所については註記が要る.戦争終結に向けて東條内閣の倒閣に努力し,鈴木貫太郎や迫水久常らと共に終戦工作の功労者である岡田啓介が《一億玉砕して国体を護る決心と覚悟で国民の士気を高揚し、其の結束を固くする》と主張したとする Wikipedia【玉砕】の記述には違和感を覚える人が多いだろう.しかもこの主張《一億玉砕……》の如く,一億の国民 (実際には七千万人ほど) が全滅したら国体護持も糞もないわけで,論理が矛盾しているからだ.しかしこの部分の出典としては纐纈厚 (山口大学名誉教授) 著『「聖断」虚構と昭和天皇』(2006年,新日本出版社) が挙げられている.そこには岡田啓介発言の出典が示されていると思われるが,当ブログ筆者は未確認である.
 当ブログ筆者の私見であるが,幕末に京都から引っ張り出されて来た天皇制は,いつの間にか議論を許さぬ最大のタブーになった.そのため「国体の護持」にはコンセンサスが存在せず,その意味するところが曖昧となっていたのではないだろうか.
 近衛文麿は天皇と天皇制 (国体) を切り分けていて,和平には天皇自らが出陣して戦死することが国体護持に繋がると考えていたとする説があるが,昭和天皇自身はそうではなかったと考えられる.
 後に『昭和天皇独白録』(文春文庫) に《米軍が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込が立たない。これでは国体の維持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならないと思った。》と書かれているように,昭和天皇にとっての国体は皇室祭祀であり,万世一系というフィクションを護り伝えることが国体護持だったのである.
(《ビジネスマンが書く日本史とは (十五)》に続く)

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2017年5月13日 (土)

書は人也

 MSNニュースや YAHOO! などに転載されていたから目にした人が多いと思うが,昨年の十一月に兵庫県で起きた教員の不祥事を神戸新聞が報道した.
 事件は,兵庫県小野市立小野特別支援学校の男性教頭 (59歳) が校長 (今年三月に定年退職) を含む同校の教員三十名ほどが参加した学校行事打ち上げの宴会で,同僚教諭(同じく59歳)に前歯を折る重傷を負わせる暴行を加えたというもの.
 問題の教頭は三月末に,この地区を管轄する区検察庁から略式起訴 (3/28) され,簡易裁判所から罰金三十万円の略式命令 (3/30) を受けた.

 この事件には,小野市教育委員会の態度に妙なものがあるのだが,それはどうでもいい.
 問題は,教頭が起訴される前に,弁護士経由で被害者の教員に提出した謝罪文である.
 謝罪文の中身はありきたりのもので,MSNニュースに貼付された画像からは「……誠実に対応し、……残された……としての職務を全うする所存で……改めて、この度は本当に申し訳……せんでした。」などと読める.
 私が強い興味を覚えたのは,この教頭の字があまりにもヘタくそなことである.
 漢字を使ってはいるが,一つ一つの文字も,書面全体の印象も,小学生が書いたと言われれば「難しい漢字を知ってるねー,偉いねー」と誰でも納得するレベルなのである.

 古くから「書は人なり」という.
 東京国立博物館のコンテンツ《1089ブログ》に《書を楽しむ 第4回「書は人なり?」
  と題した記事が掲載されている.(「1089ブログ」は東京国立博物館の略称「東博」を数字にしたものだろう)

 この記事の冒頭に

「書は人なり」という、出典のよくわからない格言があります。「書は人となりを反映する」と言われると、字が下手だと自認している人は「字の下手な自分は、性格も悪いのか?」と悩むことになり、あまりうれしくありません。

とある.ウェブを検索すると知恵袋に「書は人なり」は揚雄 (揚子雲) の言葉であるとした回答が載っているが,あまり信用できない.
 それはともかく,字のうまいヘタと人柄が無関係なのは周知の事で,《1089ブログ》筆者氏が《「書は人となりを反映する」と言われると、字が下手だと自認している人は「字の下手な自分は、性格も悪いのか?」と悩むことになり、あまりうれしくありません。》と言う通りである.
 私の若い頃の直属上司は,無能 (研究所員なのに英語論文が読めない) にして品性下劣 (部下の研究成果を盗む) かつ吝嗇 (飲み会で割勘を払わずに逃げる) な人間であったが,字だけは社内の三筆と呼ばれるくらい上手であった.
 かく言う私も字はヘタである.しかしヘタではあるが,誰でも齢七十に近くなればそれなりの字を書くようになるもので,私が書いた字を見て「難しい漢字を知ってるねー」とは言われないと思っている.難しい漢字は使えないし.おい.
 しかるに,上掲の新聞沙汰になった教頭は,還暦間際まで生きてきたのに,あまりにも字がダメである.謝罪文なのに,誠意の一片すら感じられない.この謝罪文を受け取った相手は「わしを馬鹿にしとんのかワレは,あ?」と言うであろう.(兵庫県の言葉を知らないので,インチキ関西弁にしてみた)
 もしまじめに反省しているのにここまでダメダメであると,教員として大きな問題があると思わざるを得ない.

 とかなんとか書くと,いかにももっともらしいが,しかし「書は人なり」の「書」は文字ではなく文章であるとし,「文章はその人の人柄を表している」との意に解すると,別の事が観えてくる.
 それは,野口英世の母,シカが英世に宛てて書いた手紙のことである.
 野口英世記念館で展示されているシカの手紙を読んだ見学者は誰でも,その稚拙な文字から浮かび上がるところの,母というものが子を思う心情に,深く感動するに違いない.
 私はシカの手紙をこれまで何度も読んだが「はやくきてくたされ。はやくきてくたされはやくきてくたされ。はやくきてくたされ。いしよのたのみて。ありまする。」のところにくると,その度に鼻の奥にツンとするものがある.シカの手紙は,我が国の文人墨客の手紙文すべてを凌ぐ最高峰である.まことに,書は人なり.

 とかなんとか書くと,新聞の一面コラムみたいで,いかにももっともらしいが,しかし「書は人なり」を「文章は人なり」に言い換えるのはかなり強引である.
 件の教頭がダメダメな字で書いたのは,おざなりな謝罪文であるわけで,これはもうやっぱり教員として大きな問題があると思わざるを得ないのである.なに言ってんだか自分でもわかりませんが,そういう事情です.どんな事情だよ.

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2017年5月12日 (金)

昭和の時代考証 (六)

 録画しておいたNHK朝ドラ『ひよっこ』(月曜放送分) を観ていたら,ヒロイン矢田部みね子が,赤坂署の綿引巡査と喫茶店に入るシーンがあった.話の流れからすると,みね子の勤め先である向島電機 (トランジスターラジオ製造工場) の近くであろう.要するに下町の喫茶店である.
 その喫茶店でみね子は,綿引の勧めでクリームソーダを注文し,あまりのおいしさに驚くのだが,それはさておき,クリームソーダの背景に置かれたメニューの文字が見えた.
 それをそのまま書き写すと,軽食のお値段は以下の通りである.

  トースト     100円
  ハムサンド    140円
  エッグサンド   140円
  野菜サンド    140円
  ミックスサンド  140円

 翌日火曜日の放送では,みね子が同室の仲間と銭湯に行き,帰りに駄菓子屋でラムネを飲むシーンがあった.
 そして増田明美さんは次のようにナレーションした.

この頃,ラムネの値段は十五円でした.ちなみに銭湯は二十八円,ラーメン一杯七十五円,映画館入場料は四百円でした.

 増田明美さんが悪いわけではないが,これは随分と雑な台詞である.
 というのは,銭湯の入浴料金は法令 (物価統制令) に基づいて料金が統制されることになっていて,自治体が料金を定める公共料金であり,《ちなみに銭湯は二十八円》と言っても何ら問題がない.確かに昭和四十年の東京都の銭湯は大人二十八円であった.(参照,東京都浴場組合のサイト).

 だが《ラーメン一杯七十五円》はいかがなものか.
 私が昭和四十三年に上京して中野区に住んでいた時,西武新宿線沼袋駅の近くにあった大衆中華食堂「大陸」では,ラーメン一杯は六十円だった.当たり前だが,ラーメンの値段は法令の規制を受けず,店の主人が勝手に決めてよいのである.
 つまり,今と同じく,高いラーメンと安いラーメンがあったのだ.すなわち昭和四十年の東京で《ラーメン一杯七十五円》と,恰も相場があったかのように言っては明らかに間違いだということである.
 当時の金銭感覚では,中野区や墨田区のラーメンは似たようなものとしても,新宿や渋谷などの中華料理店ではかなり値段が高かったと思う.よく覚えていないが,百円くらいはしたかも知れない.
 ちなみに安食堂「大陸」では,タバコのハイライトが一箱七十円だった昭和四十三年の春に餃子ライス (スープ付) は八十円,野菜炒めライス (同左) は九十円,炒飯 (同左) は百円であった.これは,ハイライトが八十円になった二年後の昭和四十五年春には,それぞれ二十円ずつ高くなっていた.
 昭和四十年代の物価上昇には甚だしいものがあり,一般庶民の金銭感覚はどんどん変化していった.国家公務員の大卒初任給でこれを眺めてみると以下の通りである.(出典は人事院が公表している資料)

昭和40年9月  21,600円
  43年7月  27,702
  45年5月  36,100
  47年4月  47,200

 ちなみに昭和四十七年に私が就職したのは東証一部の食品製造企業であったが,大卒初任給は四万三千円で,公務員を下回っていた.
 かつては安月給の代名詞とされていた国家公務員は,この頃に民間平均を追い抜き,その後,現在では年金を計算に入れると民間企業社員を遥かに上回る生涯賃金を手にすることのできる優良就職口となった.地方公務員は言うに及ばない.日本の各地で,県庁が最も高給の優良「企業」であることは周知のことである.
 ついでに書くと,このように元々インフレ基調だった日本経済は,日本列島改造論を掲げて田中角栄が首相になった昭和四十七年以後,怒涛のインフレを開始し,遂には四十九年の「狂乱物価」に向けて突き進んで行った.昭和四十八年に私の月給は五万三千円となり,翌四十九年の春闘で,八万円を超えたのであった.
 富裕化したのは公務員だけではなかった.朝ドラ『ひよっこ』における茨城県北部の架空の村落「奥茨城村」からは矢田部家の父と娘が東京に出たが,東北各県から大量の労働力が東京に集められ,彼らが生み出した価値は,意図的な農業優遇政策により,補助金の形で農村に湯水の如く流し込まれた.それは国策による「農村への仕送り」であった.「仕送り」を受けた引き換えに労働力を失うことになった日本農業は活力も失ったが,しかし稲作からの転換に成功した農家は,その収入が税務当局に把握されない (所得税の負担が非常に少ない) こともあって,やがて富裕階級に成長したのであった.

 閑話休題.
 その当時の物価状況からみて,昭和四十年の下町の喫茶店でトースト百円は,ちょっと高すぎはしないか.ドラマのセットは別に高級喫茶店ではないように見えたが.
 トースト百円が高いと言う理由は,昭和四十三年に,中野区の普通の街のパン屋さんでは食パン一斤が二十円だったからである.これに加えて,肉屋でポテトサラダとコロッケを買えば,合計五十円で腹をすかせた男子学生二人が空腹を満たせたのである.付加価値のあるサンドイッチ類が百四十円はあり得るが,百円もするトーストを注文する客がいるとは思えない.ドラマの制作責任者はここに出てきなさい.
 余談だが,貧乏学生には,その五十円の金もないことがたまにあった.そんな時はパン屋に行くと,パンの耳をビニール袋一杯に詰めて,五円で売ってくれた.そして電気ヒーター (インスタントラーメンを作るのに必須のアイテムだった) に焼き網を載せてトーストにして,何も付けずに食べた.世間ではトーストを一枚二枚と数えるが,プアマンズトーストは一本二本と勘定するのであった.私が,墨田区の喫茶店のメニューにトースト百円と書かれているのを見て逆上するのは,そういう事情なのである.どんな事情だよ.

 時代考証において,物価は扱いに注意しなければ実際の生活感覚と大きくずれてしまうかも知れない.『ひよっこ』の脚本家が参考にした資料は,おそらく遡れば政府統計に行きつくのであろうが,物価の政府統計は,標本数が少なすぎて,実はあてにならないのはよく知られていることだ.『ひよっこ』において,物価について正確なナレーションを入れるなら,墨田区の年寄りから聞き取り調査しなければいけない.それが面倒くさいなら,物価に関する余計な台詞は入れないのがよい.

 さらに付け加えれば,映画館の入場料金は,それこそ銀座とか新宿とか浅草とかの地域によって高い安いが甚だしかったはずである.おまけに,封切館と,二番館あるいは名画座の違いもあった.ナレーションの《映画館入場料は四百円でした.》は,何を根拠にしているのか.これはブーイングされて然るべきだろう.

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2017年5月11日 (木)

英国軍の恋人 (補遺)

[補遺1]
 昨日の記事《英国軍の恋人 》に,次のように書いた.

この映画の音楽はハーバート・ストサートが担当したと Wikipedia にあるが,Vera Lynn の "The White Cliffs Of Dover" とは同名異曲であるらしい.混同しているブログが散見されるが,それはおそらく誤りであろう.

 こう書いた後でウェブ上の情報をさらに調べたら,やはり Vera Lynn の "The White Cliffs Of Dover" と,同名の映画の主題曲は別の作品だった.
 Vera Lynn の歌の方は,作曲が Walter Kent (英語版【Walter Kent】) と作詞 Nat Burton (英語版 Wikipedia に項目なし) で,1941年の作品である.Vera Lynn がこれを録音したのは1942年であった.
 映画音楽の方は Herbert Stothart による1944年の作品で,この人は英語版 Wikipedia【Herbert Stothart】に《He won an Oscar for his musical score for the 1939 film The Wizard of Oz.》とある.私はこれは知らなかった.
 ちなみにジュディ・ガーランドが歌った劇中歌「虹の彼方に」は作詞エドガー・イップ・ハーバーグ (Yip Harburg),作曲ハロルド・アーレン (Harold Arlen) である.

[補遺2]
 Vera Lynn のベスト盤 "The White Cliffs Of Dover - Vera Lynn" の中では,CDのタイトル曲の他に "It's A Sin To Tell A Lie" も,とてもいい.
 そこで YouTube で "It's A Sin To Tell A Lie" を検索してみた.
 検索語を変えると結果が少し違ってくるので,この歌をカバーしている昔の歌手を網羅できているかどうかはわからないが,まあこんなところではなかろうか.
 誰がいいかというと,ここは Patti Page と Vera Lynn で決まりだと私は思う.異論は認めない.

Patti Page
Vera Lynn
Billie Holiday
Pat Boone
Tony Bennett
Elvis Presley
Bobby Vinton
John Denver

 昔の歌手ではない (私より若い) が,こういう人のも番外編として.
阿川泰子

 Jo Stafford の歌はないかと探したのだが,YouTube どころか彼女の全四枚組CDにも入っていない.この歌を嫌いだったのだろうか.不思議な感じがする.

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2017年5月10日 (水)

『ひよっこ』の肩を持つ

 朝ドラ『ひよっこ』の時代考証が変で,視聴率が低迷していると芸能ニュースみたいなサイトが報道し,ブログが騒いでいる.

 例えば《tarotaro(たろたろ)の気になること 日々、気になることをつらつらと…。》というブログの記事《『ひよっこ』 第2回 感想~朝ドラ名物変なおじさん登場 [気になる「ひよっこ」朝の連続テレビ小説] 》では次のような文句が付けられている.にしてもタイトル長すぎだよ.

割と貧乏なおうちなのかと思っていたけれど、テレビも電気ジャーもあるヒロインのおうち。
でも、電話はないのね。
家電購入の優先順位がわからん。
電気ジャーじゃなくて、あれはガス炊飯器だったのかなぁ??

 ヒロイン矢田部みね子が集団就職した年に高校一年生だった私は,家の経済状態が矢田部家よりさらに貧しかったが,それでもテレビはあった.電気釜もあった.そういう時代だったのだ.悪いかよ.
 ガス炊飯器はほとんど普及していなかったが,テレビは全国平均で九割の家庭に普及し,電気釜はほぼ百パーセントだった.
 それに,矢田部家は昭和家電として博物館に展示されるくらい有名な東芝製の電気釜で飯を炊いていた.電気ジャーでもガス炊飯器でもない.画面に大写しになった東芝の電気釜を見て,演出の意図をわからぬやつが時代考証に文句つけるんじゃない.
 電話については,電電公社の電話は地方農村では全くといっていいほど普及していなかった.その代わりに農協が各家庭を結ぶ有線電話サービスを行い,村外への通話は交換機で電電公社へ接続して行っていた.北関東ではこの方式が昭和五十年頃まで存続した.それどころか東京都内の東証一部上場クラスの会社でも,昭和五十年の少し前まで,社内に電電公社への接続を行う交換機オペレーターがいて,内線と社外を繋いでいた.電話交換機の時代を知らぬやつが《でも、電話はないのね。》とか言うな.

 嘘と誤情報の殿堂,YAHOO知恵袋はもっと酷い.
ひよっこの時代考証について… 》  
昭和39年(1964年)茨城県の農村地帯では中卒がほとんどで少し裕福な豪農でもない限り高校進学は珍しいのでは?
それに女性であれば猶更ではないでしょうか?
当時の農村の価値観は女に学問はいらないが主流だと確信します。

 当時の高校進学率を調べてから文句を言え.《当時の農村の価値観は女に学問はいらないが主流だ》などと無知極まる馬鹿者が勝手に確信するんじゃないよ.あの頃,全国平均で高校進学率は七割を越え,いわゆる団塊世代の大学進学率は五割弱だった.そのため中学校卒が「金の卵」と言われたのだ.高校全入の時代はもうすぐそこに来ていたのだ.

 他にはみね子の母親の木村佳乃さんや,時子の母親の羽田美智子さんが美人だが,そんな設定は,茨城県ではあり得ないことだとか,もう無茶苦茶である.なんとなれば羽田美智子さんは茨城県出身だ.茨城を舐めてはいけない.

 こうなると私は,無知な最近の子供たちによる『ひよっこ』攻撃 (おそらくアンチ有村架純ちゃんの連中だと思われる) に対して,木村佳乃さんと羽田美智子さんに成り代わってお仕置きをしてやりたいと思う.

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英国軍の恋人

 先日の記事《髑髏島の巨神 (補遺) 》で,第二次世界大戦中,イギリス軍の恋人と呼ばれた Vera Lynn について書いた.
 彼女の全盛期は何十年も前のことで,CDの音源は,SP盤はもちろんLPでも録音の古いものが多く,そのため私が昔買ったCDは音質に難があった.
 それで,Vera Lynn について書いたのを機会に,現在入手できるベスト盤を買ってみた.新しいものなら,周波数帯域とダイナミックレンジの狭さは当然ながら元の音源そのままであるが,ノイズの除去処理は技術的に進歩しているのではないかと期待したのである.

 アマゾンで購入したのは "The White Cliffs Of Dover - Vera Lynn" だ.ジャケットの写真は,ドーバー海峡の白い崖だ.
 これには彼女の持ち歌の他にスタンダード曲が入っている.収録曲の一覧を下に示す.YouTube にある曲はリンクを張った.

1. Goodnight Children Everywhere
2. I Paid For The Lie That I Told You
3. Over The Rainbow
4. Now It Can Be Told
5. We'll Meet Again
6. My Own
7. The White Cliffs Of Dover
8. When Mother Nature Sings Her Lullaby
9. Wish Me Luck As You Wave Me Goodbye
10. Who's Taking You Home Tonight
11. I Hear A Dream
12. I Won't Tell A Soul
13. I'll Walk Beside You
14. It's A Sin To Tell A Lie
15. Little Sir Echo
16. A Garden In Granada
17. A Nightingale Sang In Berkeley Square
18. Love Makes The World Go Round
19. Mexicali Rose
20. Over The Rainbow

 SP盤のノイズがブチブチと聞こえる曲もあるが,前から持っていたCDよりも概ね良好である.
 CDタイトル曲の "The White Cliffs Of Dover" (*註) と,"It's A Sin To Tell A Lie" がとてもいい.深夜に聴くと,しみじみと我が胸の底のどこかに沁みていくようだ.

20170510a

(*註) 私が生まれる前の1944年,欧州では1月にソビエト軍が,ドイツ軍によるレニングラードの包囲網を突破し,4月にはクリミア半島およびウクライナ地方のドイツ軍を撃退した.
 この年,ソ連はポーランドのレジスタンスに蜂起を呼びかけた.これに応じてポーランドのレジスタンスはナチス・ドイツ占領下のポーランドの首都ワルシャワで武装蜂起した.ワルシャワ蜂起である.
 物資豊富なドイツ軍に比較すると,徒手空拳のような戦力でドイツ軍に戦いを挑んだポーランドのレジスタンスは苦戦した.その戦況報告を受けたヒトラーはレジスタンス軍の弾圧とワルシャワの破壊を命じた.
 ワルシャワの攻撃を命じられたドイツ軍部隊は,戦闘よりも略奪,市民への暴行と虐殺に励んだ.
 この蜂起した人々の苦境を知りながらソ連赤軍は,レジスタンス軍の背後を流れるヴィスワ川対岸にまで進軍しておきながら,レジスタンス軍への支援をせずに静観した.その結果,ポーランド・レジスタンスは敗北したが,レジスタンスに蜂起を呼びかけておきながら彼らを敗北に追いやったソ連は大戦後,ワルシャワに進軍して生き残ったレジスタンス幹部を逮捕した.こうしてポーランドに自由主義政権が生まれる芽はソ連によって完全に摘み取られたのであった.
 ワルシャワ蜂起の悲劇の後,スロバキア,ルーマニア,ブルガリアなどで蜂起が起きる中,連合軍は6月6日,アメリカ陸軍のアイゼンハワー将軍指揮下に北フランスノルマンディー地方にアメリカ軍,イギリス軍,カナダ軍,自由フランス軍など約十七万五千人の将兵と六千余の艦艇,一万二千機の航空機を動員したノルマンディー上陸作戦を開始,激戦の末に上陸を成功させた.
 このような第二次大戦末期の1944年,米国で『ドーヴァーの白い崖』(原題:The White Cliffs of Dover) が公開された.(映画情報はここ)
 この映画の音楽はハーバート・ストサートが担当したと Wikipedia にあるが,Vera Lynn の "The White Cliffs Of Dover" とは同名異曲であるらしい.混同しているブログが散見されるが,それはおそらく誤りであろう.
 映画 "The White Cliffs Of Dover" は輸入盤DVDが入手できるが,普通のリージョンフリーソフトで再生できるかどうか不明なので,購入して音楽を確認するのは躊躇している.
 いずれにせよ Vera Lynn の "The White Cliffs Of Dover" は,やがて来る平和への希望を美しい旋律に込めた歌である.

20170510b
(Wikipedia【ドーバーの白い崖】から引用;引用元に記載の条件下でブログに引用が可能な画像である)

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2017年5月 9日 (火)

ビジネスマンが書く日本史とは (十三)

(ブログ筆者註;タイトルの「ビジネスマン」は,週刊文春誌上で《ゼロから学ぶ「日本史」講義》を連載しているライフネット生命保険株式会社代表取締役会長兼CEOの出口治明氏を指し,氏を批判することが本連載の趣旨である)

 出口治明氏は歴史の著書を幾冊か出版している.
 氏の歴史書,特に日本史のコンセプトは「世界史の中に日本史を位置づける」ということであるらしい.
 では,このようなコンセプトの下で一体何がどのように書かれるか.
 過去,世界のどこかの国で,何かしらの重大な歴史的事件が起きてきたのであるが,その時,日本では何が起きたかを,出口治明氏は日本史として叙述するのである.
 ところがこの方法論では,例えば中国大陸で大きな動きがあった場合には,たとえ日本が天下泰平の時代であっても,「世界史の中に日本史を位置づける」ために,どうでもいい日本の天下泰平ぶりを無意味に記述することになる.
 要するに,メリハリがない.ダラダラと大昔から現代までを軽重の別なく書き流して,これを日本史だと称するつもりなのであろう.まるで退屈な高校の日本史教科書のようだが,実際に週刊文春で連載中の《ゼロから学ぶ「日本史」講義》は退屈極まりない.
 その退屈さをごまかすためにであろう,出口氏は《ゼロから学ぶ「日本史」講義》の中で,飛鳥時代の人物の言葉を関西弁にしている.
 言うまでもなく,歴史的事実を扱う場合,かぎ括弧「」の中には実際に発言された言葉を書くことになっている.従ってこのように記述するには,根拠となる史料が必要である.史料がない場合は,発言は地の文に書かれねばならない.
 しかるに出口氏の《ゼロから学ぶ「日本史」講義》では,歴史的人物が「」付の関西弁で会話している.まことに下らぬおふざけで,週刊文春の読者を舐めているとしか思えない.これでは《ゼロから学ぶ「日本史」》ではなく,ゼロから学ぶ「小説日本史」である.
 出口氏は,とにかく何でもメリハリなく知識として持っていることを「教養」だと考えているらしいが,まずは飛鳥時代の関西弁について,資料を示して解説して欲しいものである.(笑)

 ところで最近,呉座勇一 (国際日本文化研究センター助教) 著『応仁の乱』がベストセラーになっている.
 この本は,冒頭の「はじめに」からして魅力的な書きぶりで読者を日本史に誘う.もしかすると著者は磯田道史 (国際日本文化研究センター准教授) 氏に続くスターになるかも知れないと評判であるが,その『応仁の乱』の「はじめに」から二ヶ所を引用する.

原因も結果も今ひとつはっきりしない応仁の乱。だが後世に与えた影響は甚大である。大正一〇 (ママ) 年 (一九二一) に東洋史家の内藤湖南は講演「応仁の乱に就いて」で次のように述べている。
 〈大体今日の日本を知る為に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆んどありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれで沢山です。それ以前の事は外国の歴史と同じ位にしか感ぜらませぬが、応仁の乱以後は我々の真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これを本当に知って居れば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります――〉
 現在の日本と関係があるのは応仁の乱以後で、それ以前の歴史は外国の歴史と同じ。この過激な一節はそれなりに有名なので、ご存知の方もいるかも知れない。それまでの史書も応仁の乱に注目していたが、その扱いは大きな戦乱の一つという域を出ず、たとえば源平合戦や承久の乱などをより重視していた。応仁の乱は日本史上最大の出来事であると喝破した内藤の史論は極めて独創的であった。
》 (ブログ筆者註;読みやすくするため内藤湖南の言葉を〈〉で括った)

 上の内藤湖南の言葉はよく知られていて,Wikipedia【内藤湖南】にも書かれている.
 すなわち内藤湖南は,現代に生きる私たちにどれ程の影響を与えたかという観点から日本史を考察することが大切だと言っている.
 呉座勇一氏はこの内藤湖南説に同意しているわけではないが,別の切り口から次のように述べている.

《……「何年何月何日、どこそこで合戦があり、誰それが勝利した」といった事実関係を淡々と書き連ねるだけでは意味がない。

 このように,内藤湖南も呉座勇一氏も,日本史研究に取り組む姿勢,方法論は,出口治明氏流の漫然たる「日本史」とは対極にある.
 結局のところ《ゼロから学ぶ「日本史」講義》を書き続ける出口流「日本史」は学問ではない.古代の人物が関西弁をしゃべるというふざけた小説に過ぎないのだ.

 さて前置きが長すぎた.《ビジネスマンが書く日本史とは (十二)》から先に続ける.
 宮内庁編纂『昭和天皇実録』の公刊本が発売されたとき,琉球新報が社説《昭和天皇実録 二つの責任を明記すべきだ 》において指摘した三項目のうち,最初の指摘は《ビジネスマンが書く日本史とは (十一) 》で解説した.二番目の指摘は,

二つ目は45年7月、天皇の特使として近衛をソ連に送ろうとした和平工作だ。作成された「和平交渉の要綱」は、日本の領土について「沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とする」として、沖縄放棄の方針が示された。なぜ沖縄を日本から「捨てる」選択をしたのか。この点も実録は明確にしていない。

である.これについて前稿で,私見を書き始めたところであった.
 前稿《ビジネスマンが書く日本史とは (十二) 》の末尾を再掲する.

それはさておき,六月二十三日午前四時頃 (異説あり),沖縄県民に多大な犠牲を強いた「捨て石」沖縄戦の最高指揮官たる第32軍司令官牛島満中将と参謀長長勇中将が,最後まで戦うことなく摩文仁の軍司令部で自決した.翌二十四日頃,沖縄守備軍基幹部隊であった歩兵第22・第89連隊は軍旗を燃やして玉砕した.これによって沖縄守備軍の指揮系統は消滅し,沖縄戦が終った.

 日米彼我の戦争遂行能力を冷静に認識できなかった昭和天皇は沖縄戦に一縷の望みを託していたのであろうと思われるが,現実はそれを許さなかった.
 事ここに至って昭和天皇は,一度は退けた和平交渉に目を向けざるを得なくなった.実はもう日本は既に和平交渉のチャンスを失っていたのであるが,それが明らかとなるのはもう少し先の話.昭和天皇は国体護持が不可能となるを恐れて,ようやく和平の途を探り始めた.
(《ビジネスマンが書く日本史とは (十四)》に続く)

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2017年5月 8日 (月)

日本の恐竜 奇跡的発掘の話

 昨日の日曜日 (5/7),NHKスペシャル「世紀の発見!日本の巨大恐竜」は実におもしろかった.
 先月 (4/15) のNHKスペシャル 廃炉への道2017「核燃料デブリ 見えてきた“壁”」といい,翌日のNHKスペシャル「熊本城 再建 “サムライの英知”を未来へ」といい,実にNHKの面目躍如たる内容の番組であったが,さらに続いて今月は,北海道のむかわ町で化石が発見された恐竜「むかわ竜」を取り上げた.むかわ竜は現在,ほぼ全身に近い化石が揃っていて,NHKはCGでむかわ竜の再現動画を放送してみせたのである.

 放送の内容は明後日の火曜深夜 (5/10 0:10) の再放送を観て頂くとして,私が感心したのは,総人口 8,664人,一般会計歳入 8億9,200万円の自治体がこの化石発掘事業に 6,000万円を拠出したということである.
 これはもう町長偉い,町民も偉いと称賛したい.
 科学好きな爺さん婆さん,ぜひとも再放送をご覧あれ.

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昭和の時代考証 (五)-4

 実を言うと,ドラマの時代考証の間違いについて小言幸兵衛の如くにネチネチといちゃもんを付けようとして調べを進めていたのだが,『ひよっこ』の話の展開が思っていたよりもスピーディで,のんびりしているうちに,どんどん物語に置いていかれてしまった.
 というのは,私はついこの間まで,『ひよっこ』の脚本を書いている岡田恵和という売れっ子のライターが構想しているのは,「昭和三十九年の東京オリンピックの年に始まる地方の家族の物語」といったものだろうと思って,以下のようなことを考えていた.

 脚本家というのは,亀和田武みたいに薄っぺらな批評を思い付きで書けばいいのではなく,報酬と引き換えにNHKから課せられた視聴率という重荷を背負っているわけだから,『ひよっこ』の脚本を書くに際してきちんと下調べはしているだろう.
 しかし資料を調べて書くだけでは,時代の空気感みたいなものをドラマに反映させるのは,なかなか大変な作業だと思われる.岡田恵和は私より一世代下の人で,しかも東京の生まれ育ちだから,茨城県北部の架空の村,奥茨城村の昭和を描くのは困難であろう.
『ひよっこ』の展開を観ていると,舞台は昭和四十年代の東京へ移り,奥茨城村は単なるドラマの背景になるようだ.それは脚本家として賢明な方針だと思われる.戦後の農村の歴史を書けば,優に大部の本になるくらいの分量があるだろうからだ.

 とか何とか講釈を垂れつつ,高度経済成長期からバブル崩壊までの農村史を概説するつもりでいたら,ドラマの舞台はヒロイン矢田部みね子が集団就職したトランジスタ・ラジオ工場,向島電機に移ってしまった.
 工場女子寮の舎監,永井愛子 (和久井映見) や寮で同室になった仲間たち,さらには赤坂の交番に勤務する茨城県出身の若き警察官との巡り会い等々,青春ドラマ (例えばほぼ同じ時代設定 (1963年) で,墨田区にあった石鹸工場を舞台にした倍賞千恵子『下町の太陽』みたいな.ちなみに『ひよっこ』中で『下町の太陽』が歌われた) が始まると視聴者は想像したに違いない.
 となれば,むしろ良き敵ござんなれ,かつてのラジオ少年の無駄知識を惜しげもなく披露してくれるわムフフフと腕まくりした途端,NHKの番宣によると,みね子は洋食屋「すずふり亭」で働くことになるというではないか.ネット情報によれば向島電機は倒産するらしい.(この時代に電機分野での倒産はリアリティがないように思うが)

 しかも「すずふり亭」の料理長には娘がいて,この娘とみね子とのカラミがどうなるのか,もう展開が速すぎてついてけませんわ.

 ま,洋食屋が舞台になるのでは時代考証はあまり問題はなくなるだろう.せいぜい料理の値段くらいなものだ.
 とりあえず,向島電機のラジオ製造ラインで組み立てられていたトランジスタラジオは現代の部品が使われていることだけを指摘しておこう.抵抗器やコンデンサ,トランジスタなどについては,当時の部品を数多く集めるのはもはや無理であるが,部品をマウントするベークライト製の基板 (これは通称「紙フェノール基板」という;ドラマ中では,現在は一般的であるが当時はなかった「ガラスエポキシ基板」が使われていた) は今でも販売されているから,工場ラインを昔風にそれらしく見せることは不可能ではない.
 しかし小道具にそこまで凝ることは,費用対効果が悪すぎてテレビドラマに要求するのは酷というものだろう.すぐ倒産する工場だし.

 というわけで,脚本家は,昭和という時代を描こうとの意図はなさそうで,これから『ひよっこ』は普通の青春ドラマになっていくのだと思われる.
 あんまり真剣に視聴せず,有村架純ちゃんの運命を時々見守るだけにする.

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2017年5月 7日 (日)

林先生の空騒ぎ

 私は昨年末に《徳川埋蔵金伝説 》と題した記事を書いたのだが,昨日からずっとこの記事へのアクセスが続いている.
 昨年末のTBSテレビの徳川埋蔵金発掘番組があまりにも下らなかったので,今回は録画すらしなかった.もしも埋蔵金が出てきたら,当然ながら公共放送がTBSの番組が放送される前に報道するはずであるから,それがなかったということは今回も空騒ぎに終わったはずなので,テレビを見る気が起きるわけもなかったのである.

 それにしても林先生は,こんな馬鹿番組 (重機を持ち出しての環境破壊のことも含めて) に関わっていると自分の見識を疑われることに,そろそろ気が付いてもよかりそうなものだ.
 林先生は世間と同じに「徳川埋蔵金」ともっともらしい呼び方をしているが,要するにこの話は,幕臣が公金を横領したという言い掛かりだ.
 なぜなら徳川幕府の命脈は実質的に尽きていたのであるから,赤城山だかどこだか知らないが公金を埋めておいて,幕府が倒れたあとでその埋蔵金を資金に幕府を再興するなどは,その当時でも荒唐無稽なヨタ話以外の何物でもなかったはずだ.
 歴史は,ヨタ話はヨタ話でしかなかったことを示しているわけだが,小栗忠順がその程度の先見性もないボンクラだったはずがないのである.林先生は,徳川埋蔵金なるものがあると信じておられるようだが,ならばその埋蔵目的,すなわち公金横領の目的が何であったかを論証せねばならない.もしも幕府再興などいうヨタ話を持ち出すが如き不見識であるなら,予備校教師の職をなげうつ覚悟を問われるであろう.
 しかし林先生と違って,私は小栗忠順は立派な人物であったと考えているから,前回の記事に下のように書いた.

この貨幣改鋳 (悪貨は良貨を…を実行したわけだ) によって小栗は,かねて通じていた三井組 (三井財閥) に巨利を供与した.(Wikipedia【小栗忠順】参照)
 この貨幣改鋳で得た利益で,小栗は横須賀の地に製鉄所 (後の横須賀海軍工廠) の建設を行い,この横須賀製鉄所が明治期に,大いに国力増強に寄与することとなったのは周知のことである.

小栗はこの国の将来のために,貨幣改鋳に手を染めてでも利益を得て先行投資したのであろう.公金を埋蔵したというのは不当な言いがかりのように私は思う.

 林先生とTBSテレビが小栗忠順を公金横領者として貶めるのは勝手だが,それなら小栗がそのような卑劣な人間であったことを論証してからにしてくれと思うのである.

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2017年5月 6日 (土)

ダメミステリー『純喫茶「一服堂」の四季』

『美女と野獣』を観に行く途中で本屋に立ち寄り,移動中や映画館ロビーでの時間つぶし用に東川篤哉『純喫茶「一服堂」の四季』を買った.
 若い頃はどんな本でも手あたり次第に読んだものだが,この歳になると死ぬまでの残された時間が惜しいから,本を買って読むにあたっては,できるだけハズレは引きたくない.その点,東川篤哉は『純喫茶「一服堂」の四季』の著者紹介文を読むと『謎解きはディナーのあとで』で本屋大賞を受賞した作家だとあるから,大丈夫と思ったのだ.
 が,大外れだった.
 というか,作家として大丈夫か,この人.

 ミステリーの感想文ではネタバレを書いてはいけないというのがお約束だが,『純喫茶「一服堂」の四季』はあまりにもダメダメな連作作品集 (四話から成る) なので,遠慮しないことにする.
 で,この連作はトリックに全くリアリティがない.実際にやってみろと作者に言いたい.
 例えば第二話「もっとも猟奇的な夏」では,磔にした死体を田んぼに立てて案山子にみせかけるというトリックが使われるのだが,作者は実際の案山子を見たことがないと思われるのだ.

20170506a
(Wikipedia【かかし】から引用;パブリックドメイン画像である)

 つまり人間の死体を磔にするための十字架は,かなりの強度が必要だから,角材とか板の木材を使うとなると,その「案山子」の外観が,華奢な作りの本当の案山子 (一例は上の画像) とは似ても似つかないものになってしまうのだ.
 木材ではなく鉄とかアルミ合金のパイプなら細い支柱にすることができるが,その死体を磔にした十字架は,死体自体が重量物だから,柔らかい田んぼの土に穴を掘り,支柱を立てて根元に土を埋める方法では,立てても倒れてしまう.
 倒れないようにするには支柱を上から叩いて,地面に深く突き刺せばよいが,これには建設機械が必要になる.ダメなトリックについてこれ以上,ダメな理由を詳しく解説しないが,殺人犯はそんなことができる状況にないのである.
 こういうトリックを思いついたら,ホームセンターで材料を買ってきて,人間を縛りつけてその「案山子」とやらを作って,田んぼに立てて確認すればいいと思うのだが,思い付きだけで書かれたのでは,金を払う読者はいい迷惑だ.

 また最終話「バラバラ死体と密室の冬」では,犯行が密室状態の一軒家で行われたと見せかけて,実は殺人犯は汲み取り式トイレの金隠しの穴から出入りしたというトリックが使われている.
 これも上と同様で,作者は汲み取り式トイレの金隠しの実物を見たことがないと思われる.そんなことは小学生でも無理だ.というか,子供が跨いでも誤って落ちないような横幅にしてあるのだよ,あの穴は.見たことがないなら,実物を探して調べろ.

 このように,この作家はミステリーの書き手として致命的な頭の構造をしている.東野圭吾の作品でも読んで少しは勉強しろと言いたい.
 さらに言うと,ミステリー作家の資質云々以前に,社会人としてダメだ.
 次の引用箇所は,やはり最終話「バラバラ死体と密室の冬」から.
 新米刑事,黛清志の運転するパトカーの助手席に,女性刑事,夕月茜が同乗している場面である.新米刑事の運転が,かなりあぶなっかしいという設定だ.

呆気に取られる私の隣で、黛刑事は相変わらず軽々しいハンドル捌きを続けている。やはり穴があれば飛び越えるつもりなのかも知れない。
 ふと恐怖に駆られた私は、慎重を期してシートベルトを装着した。
》 (講談社文庫版,p.252)

 呆気にとられるのは読者である.
 警察官がパトカーの助手席に乗っている際に,それまでシートベルトを装着していなかったのだが《ふと恐怖に駆られた私は、慎重を期してシートベルトを装着した》というのである.
 助手席で《慎重を期してシートベルトを装着》する馬鹿野郎がどこにいるか.慎重もへったくれもない.助手席のシートベルトは必ず装着するものなのである.ましてや警察官だ.助手席でのシートベルト装着義務違反を取り締まる側ではないか.
 たぶん東川篤哉は普段,助手席でシートベルトをしていない.それどころか,助手席でのシートベルト装着義務自体を知らないのである.だからこんなことを書いて平気なのだ.講談社は,社会人として失格な男の小説を世に出してはいけない.私はこんな本を買って,金 (本体価格 \660) をドブに捨ててしまったのが悔しい.

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2017年5月 5日 (金)

ベルは黄色のドレスを脱ぎ捨てて

『美女と野獣』,よかったですねー.エマ・ワトソン,よかったですねー.もう「これがデイズニーだよ!」というスクリーンでありました.
 辻堂の 109シネマズはシネコンだから,広いロビーには同時上映される何本もの作品の観客が混じっている.昨日の主な観客層は,黄金週間を楽しむためにやってきた子供連れのお母さん,若いカップル,十代から二十代の女性二人連れだったろうか.

『美女と野獣』上映館に入ると,若い女性たちで満席のようだったが,中には私と同年代と思しき爺さんと年輩の御婦人がちらりほらり.
 きっと彼らは私と同様に,幼年時代にデイズニーアニメの洗礼を受け,少年時代は日本テレビで隔週放送だった『ディズニーランド』(Wikipedia【ディズニーランド(テレビ番組)】;プロレス中継と交互に放送された) に夢中になった人たちでありましょう.
 私たちはやがて社会に出て,家庭を持って子育てをした.昭和五十八年 (1983年) の春,東京ディズニーランドが開園し,それから平成に至る長いあいだ,夢と魔法の国は団塊世代の家族であふれたのだった.

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エレクトリカル・パレードのベル (1990年撮影)

 いわゆるディズニー・プリンセスは,当時はまだ多くなかったし,東京ディズニーランドのパレードでメインキャラを張ったのは,元祖プリンセスにして特別扱いの白雪姫,シンデレラ,そしてベルだった.オーロラ姫は記憶にないしパレードの写真にも写っていない.今はパレードにいるのだろうか.
 別に資料を持っているわけではないが,若い女性に人気ナンバーワンのディズニー・プリンセスは,ベルだと思われる.
 白雪姫は,ボケーっと待っているうちに幸せになりましたというお姫様であるし,服がダサダサである.あの服を着て結婚披露宴をしたいと思う女性は我が国に一人もいないと私は断言する.コスプレには最適だが.
 シンデレラはどうかというと,へこたれずにイジメに耐えていたら魔女が幸せにしてくれたという受け身の人生.脚本は橋田壽賀子でお願いします.
 これらと比較すると,明らかにベルは能動的に王子樣を愛するのであり,これが女性たちの共感を呼んでいるのではなかろうかと爺さんは愚考するのである.

 さて昨日の記事《ベルの黄色いドレス 》に

一説によると,ヨーロッパでは「花嫁は青いものを身に着けると幸せになれる」という.シンデレラのドレスが青いのは,これを踏まえているらしい.
 とすると,ベルのドレスが黄色い理由が知りたい.調べてみたが,今のところ不明だ.

と書いたが,『美女と野獣』を観て一つ思ったことがある.
 物語の後半,悪漢ガストンがベルの父を精神病院送りにしようとした寸前,野獣に開放されて呪われた城から戻ったベルはガストンに抗議するが,ガストンに精神病院行の馬車に閉じ込められてしまう.
 ベル父娘を村に置き去りにしてガストンと煽動された村人たちは城を襲撃に向かうが,ベルと父は馬車の錠前を開けて逃げ出す (ここはアニメ版と少し異なっている).
 そしてベルは愛馬に乗って城へと疾駆するのであるが,その時に城での舞踏会で着ていた黄色のドレスを脱ぎ捨て,カメラはそのドレスに焦点をあてた.
 このシーンは,やはり黄色のドレスには意味があることを示唆しているだろう.(このシーンがアニメ版でどのような演出だったかは未確認)

 そうこうして物語はハッピーエンドを迎え,ラストシーンの舞踏会で,ベルは花柄の白いドレスで踊る.これはベルの次のドレスが純白であるだろうことを想像させる回収されない伏線だろう.
 こうしてみると黄色いドレスは,ベルの愛が成就するために脱ぎ捨てられねばならないものだったと考えられる.
 ところがディズニー映画の公式サイト (日本) で『美女と野獣』のコンテンツには次のように書かれている.

『美女と野獣』でベルが身に纏う印象的なイエローのドレス。このイエローには、”知性“や”自分らしさ“という意味が込められているとも言われています。

 これはちょっと違うんじゃないか.《”知性“や”自分らしさ“ 》を脱ぎ捨ててはいけない.
 そこで黄色という色の持つイメージについてウェブを検索してみると,英語の "yellow" には「臆病」という意味があるようだ.
 だとすると,野獣に対する愛を確信したベルが,黄色のドレスを敢然と脱ぎ捨てて愛馬に打ち跨り,勇敢にも城へと疾駆するという伏線が,クライマックスで,息絶えた野獣にベルが呼びかける "I" love you で見事に回収されたのだと観客は納得できる.ベルは「愛されるのを待つプリンセス」ではなく,「自ら愛するヒロイン」であることを明らかにしたのだ.王道の映画作法といっていいだろう.
 ここに至って観客は,ヒロインのベルを,女優エマ・ワトソンの生き方に投影することができる.エマ・ワトソンの起用は,長年にわたり女性差別の象徴であるとの烙印を押されてきたディズニー・プリンセスに関するディズニー映画からの回答であろう.

 来週まで銀座三越では,エマ・ワトソンが映画で着た黄色の豪華ドレスが展示されている.作品中の黄色のドレスの意味云々はさておいて,実に華やかだ.実写版『美女と野獣』は,オールド・ディズニー・ファンたちにお勧めである.

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2017年5月 4日 (木)

判官贔屓を卒業

 テレビの散歩番組で,犬吠埼は義経伝説の地であると紹介していた.
 岬にある「犬岩」は義経の愛犬が石になったものだという.

 その伝説は知らなかったのでウェブを検索したら,Wikipedia【犬吠埼】に次のように書かれていた.

犬吠埼という地名には諸説があるが、中でもよく知られるものが義経の愛犬「若丸」が岬に置き去りにされ、主人を慕う余り、7日7晩鳴き続けたことから犬吠(犬が吠く)と名付けられたという説である。

 この説明では,なぜ若丸が岬に置き去りにされたのかわからない.
 さらに検索を続けたが,Wikipedia【犬吠埼】をコピペしたような記事ばかりであった.
 中には,若丸が義経を襲ったので置き去りにしたとかいうのもあって,話はうまくできているから騙されそうになった.
 結局,《義経伝説を追う》というブログのコンテンツ

犬岩、千騎ケ岩(千葉県) [京から平泉]2012年1月6日

が信用できる記述かと思われた.
 それによると,義経一行は犬吠埼で平家の亡霊に襲われる.一度は撃退するも,亡霊は若丸に憑りつき,若丸は次第に衰弱していった.
 これを見たある僧が義経に助言したのだが,その箇所を上のブログから一部引用する.

平家の亡霊を鎮めるためやって来た僧は「平家の亡霊が、若丸に乗り移り、仇をしているため、若丸を供として連れて行ってはいけない」という注意した。義経は止む無く「若丸」を残して奥州に発つことにし、「若丸」を浜に残すと、片岡常春が用意した船に乗り込んだ。
「若丸」は自分が置いて行かれたことに気付くと、義経主従の後を追い、船を目指して泳ぎだした。しかし、船に追い付くことができないと分かると波間の岩に泳ぎ着き、その上で義経主従に向かって、悲しげに吠え続けた。その声は7日7晩続き、やがて「若丸」は岩になったという。

 悲しい伝説であるが,今の私たちの健全な感覚からすると,義経は犬の飼い主として言語道断の不適格者である.足手まといになれば静を捨て,若丸を捨てる.そういう人間だからこそ因果応報,衣川の戦いで非業の死を遂げることになったのだと,ようやく腑に落ちた.ただ,義経自身は勝手に自害して死ぬがよいが,こんなテキトー男に衣川館で殺されて死んだ妻子が哀れではある.
 裏切られて死ぬ義経の最後は,女癖がわるかった報いかと思ったこともあるが,それだと兄頼朝も女癖がわるかったのだから辻褄が合わない.それで前から不思議に思っていたのである.どんな兄弟だよ.

 ところで引用したブログ《義経伝説を追う》は参考になるなあ.力作だと感心した.

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ベルの黄色いドレス

 辻堂は自宅最寄り駅である藤沢の隣駅であるし,映画を観たあとテラスモール湘南 (駅の北口に隣接しているショッピングモール) で買い物するのにも便利なので,映画館はテラスモール内にある 109シネマズに決めている.
 で,『美女と野獣』を観ようと思い,このところずっと深夜に日付が変わったらエグゼクティブシートの予約を試みていたのだが, 109シネマズのシート予約画面を開くと,いつも全席ソールドアウトなのであった.
 まあ五月連休の真っ只中であるし,人気が落ち着くまで仕方ないかなあ,と思っていたら,なんと本日のエグゼクティブシートが一つ空席になっていた.ラッキー.

 この『美女と野獣』,観客動員のオープニング成績はあの『アナ雪』を越えたのだそうである.
 大ヒットの要因は,エマ・ワトソンの起用に違いない.観客は,美しく成長したハーマイオニーを観にいくのである.
 日本のアニメだろうがディズニー映画だろうが,困難に勇敢に立ち向かっていく知的な美女 (美少女) というのは最強だ.ハーマイオニーもベルもエマ・ワトソンも,最強です.文句ありますか.ないですね.
 しかもアニメ版『美女と野獣』のヒロイン,ベルの容姿イメージに,エマ・ワトソンはかなり近い.その点で実写版『シンデレラ』のリリー・ジェームズはアニメ版『シンデレラ』のヒロイン,エラのイメージから遠く,はっきり言ってミスキャストだったのではなかろうか.
 映画批評家の前田有一氏が YOMIURI ONLINE に『美女と野獣』のヒットの理由として,《「安心感」感じさせるストーリー》と書いていた.(記事タイトル《「美女と野獣」定番中の定番でも大ヒットのワケ》2017/5/2 掲載)
 野獣はお城の主でお金持ちだし,優しい心の持ち主だ.容貌が問題なだけだというのである.大人の女性にとって容貌は大した問題じゃないと.
 そりゃそうだけどね.男は顔じゃないというけど,その代わりに必要なのがお金と優しい心って,すごくハードル高くないですか.(笑)

 一説によると,ヨーロッパでは「花嫁は青いものを身に着けると幸せになれる」という.シンデレラのドレスが青いのは,これを踏まえているらしい.
 とすると,ベルのドレスが黄色い理由が知りたい.調べてみたが,今のところ不明だ.

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ベルは黄色のドレスを脱ぎ捨てて

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2017年5月 3日 (水)

髑髏島の巨神 (補遺)

[補遺 1]
 前述したウェブコンテンツ《町山智浩『キングコング: 髑髏島の巨神』を語る》の中で,町山智浩氏が"We'll Meet Again"について次のように語ったと書かれている.

(町山智浩)いい曲なんですけど、これは非常に不吉な意味とかいろんな意味があって、非常に深い歌です。

 だが,オリジナルの"We'll Meet Again"には《非常に不吉な意味とかいろんな意味》はないと考える.この美しい歌詞の曲にそんな余計な意味を付与したスタンリー・キューブリックらは,この歌を冒涜したと言っていいのではないだろうか.

 戦時中の日本で多くの人々に歌われた歌謡曲があったように,連合国側の国で流行した歌があった.
 最も有名な歌は"Lili Marleen" (Wikipedia【リリー・マルレーン】) だろう.これは元々はドイツの流行歌だが,ドイツ出身のハリウッド女優,マレーネ・ディートリヒが連合軍兵士を慰問し,この歌を歌ったことで知られる.(歌詞日本語訳はWikipedia【リリー・マルレーン】参照)

 日本では"Lili Marleen"ほど有名ではないが,"We'll Meet Again"も一世を風靡した戦時歌謡の一曲であった.
 これを歌ったのは Dame Vera Lynn (Wikipedia【ヴェラ・リン】) で,1939年のリリースであった.歌詞が載っている英語版 Wikipedia【We'll Meet Again】を調べると

"We'll Meet Again" is a 1939 British song made famous by singer Vera Lynn with music and lyrics composed and written by Ross Parker and Hughie Charles.

とあり,作詞作曲者が存命のために著作権がまだ切れていない.そのため歌詞はここに掲載できないので,Wikipedia を読んで頂きたい.
 日本の軍歌や戦時歌謡の中には戦意高揚歌でないものもあったのだが,しかしそれらは軍によって禁じられた.一例が明治時代に作られた「戦友」である.Wikipedia【戦友】には次のように書かれている.

全14番の詞から成り立っており、舞台は日露戦争時の戦闘である。関西の児童たちの家庭から女学生の間で流行。やがて演歌師によって全国に普及した。歌詞中の「軍律厳しき中なれど」が実際に軍法違反で、「硝煙渦巻く中なれど」と改められたことがある。
昭和の初期、京都市東山区の良正院の寺門の前に、『肉弾』の作者桜井忠温大佐が「ここは御国を何百里・・・」との一節を記した石碑が建てられた。日華事変が起きた際に、哀愁に満ちた歌詞、郷愁をさそうメロディーなどから「この軍歌は厭戦的である」として人々が歌うことが禁じられ、陸軍も将兵がこの歌を歌う事を禁止した。また軍部に便乗した人々から「この石碑を取り払うべし」との意見が出て物議を醸した。これは沙汰止みとなり、石碑自体は健在である。
太平洋戦争中「戦友」は禁歌だったが、下士官・古参兵は「今回で戦友を歌うのをやめる、最後の別れに唱和を行う。」と度々行い、士官・上官によって黙認された場合もあり、兵隊ソングとして認知されていた。
戦後連合国軍最高司令官総司令部は一切の軍歌を禁止していたが、一兵卒の悲劇を歌うこの歌は国民から愛され続けた。

 歌詞を読めば明らかなように"We'll Meet Again"は戦意高揚歌ではないが,英軍兵士に愛唱された.「(戦争が終ったら) 晴れたある日にまた会いましょう」と歌うヴェラ・リンはイギリス軍の恋人と呼ばれたという.
 ところで《MAGICTRAIN Music Blog》というブログに《「また逢いましょう」ベラ・リン:Vera Lynn – We’ll Meet Again(1943) 》と題した記事がある.この記事には,

「We’ll Meet Again」(1943)は、イギリスの歌手・女優ベラ・リン(Vera Lynn:1917-)が主演した同名のミュージカル映画の主題歌です。

とあるが,これは誤りである.
 イギリスの戦時歌謡"We'll Meet Again"は1939年に発表されたものだが,1943年に同名のミュージカル映画が制作され,その主題歌となったのである.英語版 Wikipedia【We'll Meet Again】にも次のように記載されている.

The song gave its name to the 1943 musical film We'll Meet Again in which Dame Vera Lynn played the lead role (see 1943 in music).

 そして《「また逢いましょう」ベラ・リン:Vera Lynn – We’ll Meet Again(1943)》には次のコメントが付いている.

Musik より:
2016/02/25 8:12 PM
Vera Lynnはこの曲を1942年には歌っているはずです 確か英語のWikiにもそう書かれていました。1942年が舞台のイギリス映画でもVeraがこの曲を歌っていることになっていました。もし1943年が正しければ、その映画は時代考証が間違っているということになってしまいますよね。どうなのでしょうか?…ご情報を知りたいです。

 当該ブログの筆者もコメント投稿者も,いずれも間違っている.
 上に書いたように,Vera Lynn が"We'll Meet Again"を最初に録音したのは1939年で,その後の1943年に"We'll Meet Again"を主題歌にして同名のミュージカル映画が作られたという事情であった.英国のことはよく知らないが,日本では戦中から戦後にかけて,ヒット曲を元にした映画が後から作られたという例がたくさんある.
 このブログのコメント欄に私もコメントを付けてはみたが,休眠ブログであるとコメントが公開されないと思われるので,当ブログにも書いておく.

[補遺 2]
 《半可通日記》というブログに,《『キングコング: 髑髏島の巨神』2017/3/16(木) 午後 10:13 》と題した記事がある.この記事には,

あの謎の中国女は、ジン・ティエン "Tian Jing"「景甜」というらしい。
ジャングルの中でみんなが泥だらけで死闘しているのに、一人だけ真っ白い顔でノホホンと立っている。
中国で公開するので客寄せに現地人が必要だったのか、それとも最初から中国資本の映画なのか。

と書かれている.
 ご明察である.『キングコング: 髑髏島の巨神』の制作会社であるレジェンダリー・ピクチャーズは2016年1月に中国の大連万達グループに35億ドルで買収された中国系企業である.(日本のソフトバンクも出資している)
 前稿で,サン・リン (ジン・ティエン) について私は

女性ではもう一人,やはりモナーク所属ののサン・リンという女が出てくるのだが,これが最後まで生き残る割に存在感がゼロで,台詞もなくて,いてもいなくても一緒という体たらくなのである

と書いた.上に引用した《半可通日記》の筆者が書いているように,ストーリー展開に無関係な中国人女優が無意味に調査団に加わっているのは制作会社レジェンダリー・ピクチャーズの意向によるものだろう.作品自体が駄作であるが,その上さらに,作品の完成度よりも会社の意向を優先する辺りも,監督のジョーダン・ヴォート=ロバーツがどれだけボンクラであるかを示している.
 制作会社から「ジン・ティエンを出演させろ」と言われて承諾したのであれば,もっと魅力的なキャラ設定ができなければいけない.それが映画監督の力量というもんだろう.
 それができない無能監督を「オタク」だとホメている町山智浩氏も少しおかしいんじゃないだろうか.
 もしもこの三部作の第二作 (ゴジラ,ラドン,モスラ,キングギドラの怪獣総進撃トーナメントだと噂されている) で,制作会社レジェンダリー・ピクチャーズから「反日映画にしろ」と要求されたら,ボンクラ監督は従いそうな予感がする.その時こそ,町山智浩氏の映画批評家としての見識が問われるはずだ.

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2017年5月 2日 (火)

髑髏島の巨神 (五)

 前稿《髑髏島の巨神 (四) 》の末尾を再掲する.

『シン・ゴジラ』では,米国の圧力によって東京で核兵器が使われようとする.これを回避するために日本政府側は死力を尽くす.このことが『シン・ゴジラ』のメッセージの一つであり,リアルの日本人の胸を打つのであるが,『GODZILLA ゴジラ』においては米軍は無思慮に核兵器の使用を強行し,しかも失敗する.日本人からすれば,あほかお前ら,という愚かなシナリオである.
 同じ怪獣ゴジラを登場させておきながら,日米の映画人を比較すると核兵器に対する感覚がこれくらい異なるのだ.
 この,初代ゴジラに対する一切のリスペクトを払うことなく作られた恥ずべき超駄作『GODZILLA ゴジラ』と同じ世界観の上に作られた『キングコング:髑髏島の巨神』もまた駄作となるのは必然であったと言えよう.

 戦後長らく,実際に行われた調査結果に基づいて「『広島・長崎への原爆投下は正当である』と米国民は考えている」とされてきた.
 ただ,第二次大戦を体験した世代が世を去るに連れ,次第に変化が現れてきたらしい.
 それについては昨年 (5/25),ニューズウィーク日本版に興味深い記事が載った.
 その記事《原爆投下を正当化するのは、どんなアメリカ人なのか?》には,

原爆投下の正当性に関する日米両国民の世論については、アメリカの調査機関であるピュー・リサーチ・センターが2015年1~2月に日米で同時に行った意識調査が、これまでにもたびたび参照されてきた。ここでもう一度、そのデータを検証してみたい。
 日本人で原爆投下が「正当化される」と回答した人は14%と少数派なのに対して、アメリカ人では56%と半数を越えていた。もっとも、「正当化される」と回答したアメリカ人の割合は減ってきていると見られている。正当だったとするアメリカ人の割合は、1945年のギャラップ社調査で85%、デトロイト・フリー・プレス紙の91年の調査では63%だった。15年のピュー・リサーチ・センターの調査後に、さらにこの割合は低下しているのではないだろうか。

と書かれていた.
 ギャラップ社の調査 (1945年),デトロイト・フリー・プレス紙の調査 (1991年),ピュー・リサーチ・センターの調査 (2015年) の各調査は,同じ手法で行われたものではないから,一枚のグラフにプロットすることはできないのだが,「日本への原爆投下は正当であった」と考える米国民が減ってきていると推測してもいいだろう.
 しかしながら,それでもなお過半数の米国民は「日本への原爆投下は正当であった」としているのである.
 興味深いことに,このニューズウィーク日本版の記事には,ピュー・リサーチ・センター調査の全体結果だけでなく属性別の結果が記載されている.
 それによれば,共和党支持者の74%,民主党支持者の52%が「正当だ」と回答している.
 現代米国の暗黒面たる共和党,すなわち進化論を否定し,人命よりも銃で武装する自由を優先し,男女差別や人種差別並びにマイノリティ差別を是とし,「偉大なアメリカ」プロパガンダに熱狂するキリスト教原理主義者などを支持基盤とする共和党は如何ともしがたいが,リベラルな民主党支持者の過半数も,しかしながら同様に日本への原爆投下を支持していることを私たちは知らねばならない.米国のリベラルは,反核と同義ではないのだ.

 最近テレビをオンにして,一部チャンネルの情報番組を観ていると,北朝鮮の脅威を強調するあまり,トランプ大統領を正義の味方のように描いている点が気になる.
 だが,第二次大戦後,核兵器による世界支配戦略を最初に立てたのは米国であることを私たちは知っている.従って,金正恩もトランプも同じ穴のムジナなのである.
 トランプが日本海に空母カール・ビンソンを送り込んだのは,日本を防衛するためではない.トランプが大統領選挙の前に言明したように,米国は米国の利益のために行動する.従って万が一,朝鮮半島と日本列島が戦場化すれば,トランプはたとえ東京でも熱核兵器を撃ち込み,米国民は,共和党支持者はもとより民主党支持者の過半数も「戦争を終わらせるための正当な手段だ」としてそれを支持するだろう.太平洋戦争と同じように.
 北朝鮮問題に関してトランプ大統領も米軍トップも,すべての選択肢がテーブルの上にあると強調している.米国にとって核兵器の使用は,何としてでも回避すべきことではなく,可能な選択肢の一つに過ぎない.『GODZILLA ゴジラ』のストーリーと同じである.
 多くの米国民は,核兵器の使用に関して心に痛みを感じない.熱核兵器の開発目的を隠蔽する『GODZILLA ゴジラ』『キングコング: 髑髏島の巨神』と,唯一の被爆国としてメッセージを発する『シン・ゴジラ』を比較して,私たちは暗然とせざるを得ないのだ.

 私は『キングコング: 髑髏島の巨神』を観て,もう一つ暗然としたことがある.
 映画評論家で米国在住のジャーナリスト,町山智浩氏のことである.
 町山氏は何冊もの著書があり,それらの中で一貫して米共和党を強く非難している.氏は米国リベラル派の支持者である.
 ところがこの連載の第一回に書いたように,町山氏は『キングコング: 髑髏島の巨神』の監修者である.
 そのことと町山氏のリベラルな政治的立場の間に齟齬はないのか.
 たまたま《町山智浩『キングコング: 髑髏島の巨神』を語る 》というサイトを見つけたので読んでみたが,町山氏は『キングコング: 髑髏島の巨神』の政治的意味について全く触れようとしていない.これはもしかすると,民主党支持者の過半数が「日本への原爆投下は正当であった」としていることと符合しているのであろうか.だとすれば残念である.

 最後に,『キングコング: 髑髏島の巨神』のジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督に好意的な町山智浩氏が,上記の《町山智浩『キングコング: 髑髏島の巨神』を語る》の中で,あの『博士の異常な愛情』と同じく『キングコング: 髑髏島の巨神』にも,第二次大戦中の流行歌 "We'll Meet Again" が映画音楽として使われていると発言していることに関して.
『博士の異常な愛情』は評価の難しい映画だと思う.この作品に対する批判的な意見を一つ紹介しておく.
 その批判的意見と同じく私も,スタンリー・キューブリックが『博士の異常な愛情』に"We'll Meet Again"を用いたやり方は,この歌の歴史的価値を損ねるものだと思う.そして『博士の異常な愛情』の瑕疵でもある.
(この連載終わり)

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2017年5月 1日 (月)

炒飯 彼らの流儀

 散蓮華は,ネット上の画像を調べると様々な意匠のものがあるようだが,普通の中華料理店とかそこら辺の中華大衆食堂で使われている陶製のものは,食器としてあまりできのよいものではない.
 Wikipedia【散蓮華】にもこう書かれている.

日本で出回っている散蓮華の多くはもともとはスープをすくうサイズで口に運ぶには大きく深さもありチャーハンなどを食べるのにはあまり適していない。

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(Wikipedia【散蓮華】から引用;パブリックドメインの画像である)

 しかし《チャーハンなどを食べるのにはあまり適していない》理由は,《大きく深さもあ》るからではない.陶製の散蓮華では,皿に少し残った炒飯を散蓮華に載せようとしてもうまくいかないのであるが,それは陶製であるが故に縁が厚いからである.
 ところが,料理のお値段が比較的高めの中国料理店では,陶製の散蓮華の他に金属製 (クロムメッキした鉄製あるいはステンレススチール製) の散蓮華を出してくれるところがある.円形卓の席に着くと,各人の前に長い中国箸と散蓮華が二種置かれているといった具合.
 たぶんスープなどでは大きくて深い陶製のものを使い,炒飯には金属製のものをお使いくださいということだろう.この金属製散蓮華であれば,パラリと仕上げられた炒飯でも,難なく最後の飯一粒まで残さず食べきることが可能だ.大変な優れモノなので,家庭でも購入しておくと重宝する.通販サイトを「レンゲスプーン」で検索するとヒットする.

 とはいうものの,レンゲスプーンはあまり普及していない.
 例えば小栗旬が毎週一度は炒飯を食いたくて堪らない中華大衆食堂があるのだが,その店では陶製の散蓮華しかないのだ.

小栗旬が本気で食らうテレビシーエム

 皿に最後に残った少量の炒飯を残さず食べたい小栗旬は,意味不明な行動に出る.
 その店の料理人が中華鍋から炒飯を「炒飯お玉」で手前にシャッと掬い取るのを見ていた小栗旬は,散蓮華で同じようにできないかと思い,やってみたのだがうまくいく筈もなく,炒飯がカウンターの上に散らばってしまう.
 そして散らばった炒飯を指でつまんで食うのである.このCMを観た若い女性もおばちゃんも胸をキュンとさせるのであろう.勝手にするがよい.
 だが,こういうことは職人技であるから,家で練習を積み重ねてからやれと私は言いたい.

 小栗旬の流儀はそういうことだが,大関照ノ富士はどうするか.

チャーハンの素「おかわり」篇

 茶漬けにせよ味噌汁にせよ,汚らしい音を立てる食いかたを日本中に広めようと躍起の永谷園が遂に,皿に口を付けて炒飯を,スポスポ吸い込むような下品な音を立ててかっ込むという荒業に出たのである.
 もちろん照ノ富士が普段,こんな幼稚園児のごとき飯の食いかたをしているとは誰も思うまい.
 想像するにCM撮影の際の「あー関取,そこんところはガツガツと子供みたいに皿からかっ込んでください.そうすると激旨に見えるんで,よろしく」という永谷園側の指示に従っているに過ぎないだろう.
 要するに永谷園は,照ノ富士の祖国モンゴルをナメているのだ.照ノ富士は祖国の名誉のために,この永谷園のCMを受けるべきではなかったのである.礼儀正しいモンゴル国民を代表する姿を日本人に印象付ければ,土俵上で品性下劣な観客から「モンゴルに帰れ」などと罵声を浴びることはなかっただろう.(* 註1)
 志を抱いて日本に来たのだから,土俵外の仕事は選ぶべきであった.照ノ富士のために惜しむ.

 では,パラリと仕上げられた炒飯を,陶製の散蓮華で残さず食うにはどうしたらいいか.
 炒飯を食い進んで,散蓮華に山盛りになるくらいの量になったら,いわゆる炒飯皿 (八角,六角,円形などがあるが八角形が一般的) の端の辺り,少し上に湾曲したところに集め,そこに散蓮華を上から被せ,ぐっと押し付ける.
 こうすると如何なパラパラリ炒飯でも,散蓮華に余すところなく載せることができるのである.これには特段の職人技的修練は不要で,誰でも簡単にできる.
 私はこの方法を,昭和四十三年初夏,西武新宿線沼袋駅の改札口の近くにあった大衆中華屋「大陸」の炒飯を食う際に考案して以来,皿に炒飯の飯粒を残したことがない.諸兄にこの流儀を強くお勧めしたいと思う今日この頃である.(* 註2)

(* 註1) 三月の大相撲春場所で,照ノ富士が観客から人種差別的な罵声を浴び,衆院決算行政監視委員会においてこのことに関する質疑が行われた.

(* 註2) これは飯屋で炒飯を食うときの話である.自宅でなら,レンゲスプーン以外には薄手に作られたメラミン樹脂製の安価な散蓮華が売られているので,それを使えばよい.もちろん普通のカレー用スプーンなどでも全く不便はない.

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