[補遺 1]
前述したウェブコンテンツ《町山智浩『キングコング: 髑髏島の巨神』を語る》の中で,町山智浩氏が"We'll Meet Again"について次のように語ったと書かれている.
《(町山智浩)いい曲なんですけど、これは非常に不吉な意味とかいろんな意味があって、非常に深い歌です。》
だが,オリジナルの"We'll Meet Again"には《非常に不吉な意味とかいろんな意味》はないと考える.この美しい歌詞の曲にそんな余計な意味を付与したスタンリー・キューブリックらは,この歌を冒涜したと言っていいのではないだろうか.
戦時中の日本で多くの人々に歌われた歌謡曲があったように,連合国側の国で流行した歌があった.
最も有名な歌は"Lili Marleen" (Wikipedia【リリー・マルレーン】) だろう.これは元々はドイツの流行歌だが,ドイツ出身のハリウッド女優,マレーネ・ディートリヒが連合軍兵士を慰問し,この歌を歌ったことで知られる.(歌詞日本語訳はWikipedia【リリー・マルレーン】参照)
日本では"Lili Marleen"ほど有名ではないが,"We'll Meet Again"も一世を風靡した戦時歌謡の一曲であった.
これを歌ったのは Dame Vera Lynn (Wikipedia【ヴェラ・リン】) で,1939年のリリースであった.歌詞が載っている英語版 Wikipedia【We'll Meet Again】を調べると
《"We'll Meet Again" is a 1939 British song made famous by singer Vera Lynn with music and lyrics composed and written by Ross Parker and Hughie Charles.》
とあり,作詞作曲者が存命のために著作権がまだ切れていない.そのため歌詞はここに掲載できないので,Wikipedia を読んで頂きたい.
日本の軍歌や戦時歌謡の中には戦意高揚歌でないものもあったのだが,しかしそれらは軍によって禁じられた.一例が明治時代に作られた「戦友」である.Wikipedia【戦友】には次のように書かれている.
《全14番の詞から成り立っており、舞台は日露戦争時の戦闘である。関西の児童たちの家庭から女学生の間で流行。やがて演歌師によって全国に普及した。歌詞中の「軍律厳しき中なれど」が実際に軍法違反で、「硝煙渦巻く中なれど」と改められたことがある。
昭和の初期、京都市東山区の良正院の寺門の前に、『肉弾』の作者桜井忠温大佐が「ここは御国を何百里・・・」との一節を記した石碑が建てられた。日華事変が起きた際に、哀愁に満ちた歌詞、郷愁をさそうメロディーなどから「この軍歌は厭戦的である」として人々が歌うことが禁じられ、陸軍も将兵がこの歌を歌う事を禁止した。また軍部に便乗した人々から「この石碑を取り払うべし」との意見が出て物議を醸した。これは沙汰止みとなり、石碑自体は健在である。
太平洋戦争中「戦友」は禁歌だったが、下士官・古参兵は「今回で戦友を歌うのをやめる、最後の別れに唱和を行う。」と度々行い、士官・上官によって黙認された場合もあり、兵隊ソングとして認知されていた。
戦後連合国軍最高司令官総司令部は一切の軍歌を禁止していたが、一兵卒の悲劇を歌うこの歌は国民から愛され続けた。》
歌詞を読めば明らかなように"We'll Meet Again"は戦意高揚歌ではないが,英軍兵士に愛唱された.「(戦争が終ったら) 晴れたある日にまた会いましょう」と歌うヴェラ・リンはイギリス軍の恋人と呼ばれたという.
ところで《MAGICTRAIN Music Blog》というブログに《「また逢いましょう」ベラ・リン:Vera Lynn – We’ll Meet Again(1943) 》と題した記事がある.この記事には,
《「We’ll Meet Again」(1943)は、イギリスの歌手・女優ベラ・リン(Vera Lynn:1917-)が主演した同名のミュージカル映画の主題歌です。》
とあるが,これは誤りである.
イギリスの戦時歌謡"We'll Meet Again"は1939年に発表されたものだが,1943年に同名のミュージカル映画が制作され,その主題歌となったのである.英語版 Wikipedia【We'll Meet Again】にも次のように記載されている.
《The song gave its name to the 1943 musical film We'll Meet Again in which Dame Vera Lynn played the lead role (see 1943 in music). 》
そして《「また逢いましょう」ベラ・リン:Vera Lynn – We’ll Meet Again(1943)》には次のコメントが付いている.
《Musik より:
2016/02/25 8:12 PM
Vera Lynnはこの曲を1942年には歌っているはずです 確か英語のWikiにもそう書かれていました。1942年が舞台のイギリス映画でもVeraがこの曲を歌っていることになっていました。もし1943年が正しければ、その映画は時代考証が間違っているということになってしまいますよね。どうなのでしょうか?…ご情報を知りたいです。》
当該ブログの筆者もコメント投稿者も,いずれも間違っている.
上に書いたように,Vera Lynn が"We'll Meet Again"を最初に録音したのは1939年で,その後の1943年に"We'll Meet Again"を主題歌にして同名のミュージカル映画が作られたという事情であった.英国のことはよく知らないが,日本では戦中から戦後にかけて,ヒット曲を元にした映画が後から作られたという例がたくさんある.
このブログのコメント欄に私もコメントを付けてはみたが,休眠ブログであるとコメントが公開されないと思われるので,当ブログにも書いておく.
[補遺 2]
《半可通日記》というブログに,《『キングコング: 髑髏島の巨神』2017/3/16(木) 午後 10:13 》と題した記事がある.この記事には,
《あの謎の中国女は、ジン・ティエン "Tian Jing"「景甜」というらしい。
ジャングルの中でみんなが泥だらけで死闘しているのに、一人だけ真っ白い顔でノホホンと立っている。
中国で公開するので客寄せに現地人が必要だったのか、それとも最初から中国資本の映画なのか。》
と書かれている.
ご明察である.『キングコング: 髑髏島の巨神』の制作会社であるレジェンダリー・ピクチャーズは2016年1月に中国の大連万達グループに35億ドルで買収された中国系企業である.(日本のソフトバンクも出資している)
前稿で,サン・リン (ジン・ティエン) について私は
《女性ではもう一人,やはりモナーク所属ののサン・リンという女が出てくるのだが,これが最後まで生き残る割に存在感がゼロで,台詞もなくて,いてもいなくても一緒という体たらくなのである》
と書いた.上に引用した《半可通日記》の筆者が書いているように,ストーリー展開に無関係な中国人女優が無意味に調査団に加わっているのは制作会社レジェンダリー・ピクチャーズの意向によるものだろう.作品自体が駄作であるが,その上さらに,作品の完成度よりも会社の意向を優先する辺りも,監督のジョーダン・ヴォート=ロバーツがどれだけボンクラであるかを示している.
制作会社から「ジン・ティエンを出演させろ」と言われて承諾したのであれば,もっと魅力的なキャラ設定ができなければいけない.それが映画監督の力量というもんだろう.
それができない無能監督を「オタク」だとホメている町山智浩氏も少しおかしいんじゃないだろうか.
もしもこの三部作の第二作 (ゴジラ,ラドン,モスラ,キングギドラの怪獣総進撃トーナメントだと噂されている) で,制作会社レジェンダリー・ピクチャーズから「反日映画にしろ」と要求されたら,ボンクラ監督は従いそうな予感がする.その時こそ,町山智浩氏の映画批評家としての見識が問われるはずだ.
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